読書と書評

読書を一般論として語ることはできない。第一にジャンルに応じた読み方があり、第二に目的に応じた読み方があるからだ。いろいろな読み方があるが、ここではぼくが語りうる読み方しか語りえない。第一のジャンル。気に入りそうなものは普段ジャンルを問わずに何でも読むが、文学とハウツーものは読書論から除外する。文学は好きに任せて、ハウツーはそれぞれの事情で読めばいいからである。第二の目的。目的が至近で一つに絞れるような読み方をしないので、仕事に役立つ読み方とか調べもののための読み方を語る資格はない。と言うわけで、生きていく上での教養を長い目で培ってくれるジャンルの本を、考えるヒントや体験の肉付けになるように愉しみながら読むにはどうすればいいかがぼくの関心事になっている。

本を読むとは、著者が書いたことを読者の脳内に移植することではない。そんな意味のないことをするくらいなら、読んだ本をいつも手元に置いて時折りページ繰ればいい。『広辞苑』を丸暗記してもことば上手にならないように、本の内容を覚えても生きた教養にはならない。読書とは、読者固有の「経験・知識」と「書物」との照合作用である。何を読むか以上にたいせつなのは、誰が読むかなのである。つまり、その本を読むのは他の誰かではなく、自分自身なのだから、世間一般のその本の読み方に倣うことはない。いかにやさしい本であっても、あなたが読むのとぼくが読むのとでは理解や読み込み箇所が違うのだ。経験と知識の質が違うからである。

読書感想文を書いたことがあるはずだ。課題図書を指定されて読み、読後に思うところを書いて先生に提出する。課題もなく先生もいないが、自ら本を選んで読み感想を書くのを習わしとする読書家もいる。ぼくも若い頃にはよく読書ノートに記録したものだ。読書感想文の利点を一つ挙げれば、二度読みせざるをえないことである。一度読むだけではそう易々と感想を文にできるものではない。傍線や付箋、ページの折り目を追い掛けながら再読し、ここぞというくだりを抜き書きして自分の考えをしたためる。二度読んで書くから、覚えようとしなくても、自分の経験や知識の中に必然取り込まれていく。もっといい方法は、誰かに読んでもらうことを想定して「書評」してしまうことである。


書評を眼目とした読書会を数年前から主宰し、およそ20回開いてきた。書評だから評さないといけない。要約しても必ずしも書評にはならない。本のさわりや著者の本気のメッセージに着目して引用し、そのくだりに呼応して書評者が経験を踏まえた――あるいは想像を逞しくした――知見を呈示する。著者が誰で、その著者の何かについての本を誰が読んだのかが重要なのである。著者と読者がやりとりする過程に書評の妙味がある。普段の自分が気づかぬこと――気づいていても一面的であること――に、著者がヒントを授けてくれているという感覚で読む。著者の書いていることを自分の経験と対比させてみる。すると、共感もするけれど、そうではなくて自分はこう思うという批評も生まれる。だから賛否を明快にして評すればいい。かく解釈せねばならないという強迫観念に縛られることはない。その本を選んだ時点で何がしかの関心があって敬意を表しているのだから、自分流に書評すればいいのである。

書評

月に数冊から十数冊の本に目を通すが、抜き書きしておく本はわずか二割程度である。書評に到っては対象となる本は年に四、五冊に満たない。直近では、池波正太郎『男の作法』を3,500字で、小林秀雄『真贋』を1,400字で書いた。プロの書評家は本を推薦するために書評を書く。新聞や雑誌の書評は本の概要や要所を知る上で役立つが、同時にそれは一つの評論でもあるから、評者の考えを知ることにもなる。ほとんどの場合、その書評を読んでいる人はまだ本を読んでいない。読みもしていない本の書評が分かるかどうか微妙だが、そこを分からせるのが腕の見せ所なのだろう。アマチュアはそこまで考えなくてもいい。

書評が一つの評論であるならば、書評を読むだけで肝心の本を読まなくてもいい場合があると思う。実際、数千円もするような本に飛びついたのはいいが、読まずに放置する惨めに苛まれる。それなら、その本の書評に目を通して、いくらか読んだことにしておくのも悪くないだろう。そういう本の存在を知るだけでも値打ちがある。本についての評者の視点と知見とあいまみえて垣間見るだけでも十分に読みごたえがある書評があり、大いに学び鼓舞されることもあるのだ。まとめるだけでは不十分である。評者は自らの体験キャンバス上でその本を料理して自分を語ってほしい。

本を読めても本は誰でも書けるわけではない。しかし、誰かが書いた書評は読めるし、その気になれば自分でも気軽に書評を書けるのである。『随想録』でフランシス・ベーコンは次のように語っている。

反論し論破するために読むな。信じて丸呑みするためにも読むな。話題や論題を見つけるためにも読むな。しかし、熟考し熟慮するために読むがいい。

これは本の読み方について書かれているが、書評の読み方にもそのまま当てはまる。自分の体験と知識に照らし合わせて考えるきっかけにするのがよい読書である。そのコツを摑みたいなら、他人の書評を読み自らも書評をしたためて仲間内で発表するのがいい。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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