「イソップ寓話のウサギとカメのかけっこの話、知っているよね」
「もちろん。能力のあるなしよりも努力の大小のほうが成功にかかわるという教訓と理解している。それがどうかしたの?」
「もう十年も前になるけれど、『ウサギとカメが再戦したら、今度はどっちが勝つか?』というテーマでディベートをしてもらったことがあるんだ」
「おもしろいねぇ。で、どうなった?」
「今度はウサギが勝利すると主張した者は、かけっこの絶対能力を持ち出した。ウサギは走るが、カメは歩く。①居眠りさえせずに一気に駆け抜ければウサギが勝つ。そして、②凡ミスに懲りたウサギは必ず巻き返す、というのが論点だった」
「多分に期待が込められているね。と言うか、居眠りイコール凡ミスが例外だったのか、それとも染み付いた属性だったのかがわからないから、『居眠りさえせずに』という条件はあくまでも仮定にすぎない」
「まあまあ、慌てずに。今度もカメに軍配が上がると主張した者は、どう反論したと思う?」
「かけっこは単に俊足対鈍足の勝負ではなく、他にもメンタルな要因もあるということだろうか。いや、ウサギのカメを見下す態度は変わらないから、やっぱり油断をする。だから、何度勝負をしてもウサギに勝ち目はない。こんなところかな」
「ウサギが今度は居眠りしないという証明もできなければ、きみが今言った、他にもメンタルな要因があるということも証明しにくい。したがって、結局のところ、このディベートではウサギが前回の失態を改善できるか否かというのが主要争点になったんだよ」
「要するに、カメにとっては自力勝利はないわけだ。カメはひたすらウサギが居眠りしてもらうことを祈るしかない。これに対して、ウサギは意地でも眠ってはいけない。自力勝利の目は自分の采配しだいなのだからね」
「いかにも。ちなみに、そのディベートではレトリックにすぐれたカメ派が勝ったけどね」
「それで、審査員であるきみはどんなコメントをしたんだい?」
「その前に一言。このディベートのテーマは『ウサギとカメが再戦したら、今度はどっちが勝つか?』だっただろ。これって論題形式の記述になっていない。だから、前回カメが勝ってウサギが負けたという事実から、必然『再戦したら、今後はウサギが勝つ』という論題として読み替えられた。立証責任を背負ったウサギ派が『今度は絶対眠らない』と言い張っても説得力はないよね」
「どうやら、ウサギ派の『三度目の正直論』とカメ派の『二度あることは三度ある論』の言い合いに終ったようだね。もっともこれは二度目の勝負ではあったけれど……」
「ぼくは最後にこう締め括ったんだ。寓話によれば最初のかけっこを挑んだのはカメだった。お前はのろまだと小ばかにされたカメから申し出たのだから勝算があったはずだ。そして、実際に勝利した。だから、ウサギがリベンジを誓う挑戦もきっと受けて立つだろう。おそらくカメはウサギの変わらぬ性向を見抜いているのだよ」
「う~ん。それだって、ウサギ派が導いた推論の蓋然性とそんなに変わらないよな」
「いや、そうではない。この戦い、ウサギという種とカメという種の戦いではないのだよ。これは、ある特定のウサギとある特定のカメとのかけっこだったんだよ。米国対日本という戦いではなく、一米国人対一日本人の戦いのようなものだった。そのウサギは居眠りする怠け者だったうえに、もしかすると仲間内で一番鈍足だったかもしれない。他方、そのカメは仲間内でもっとも俊足で試合巧者だったかもしれない」
「ウサギが種の競走ととらえ、カメは個体間競走と見た。なるほど。間違いなく詭弁だろうけど、おもしろい分析だね。賢いアキレスにも追いつかれないカメだから、ウサギに負けるはずもない」
「あっ、それはなかなかの論点だ。詭弁ついでに言えば、居眠りをした時点でウサギはおそらく狩人に捕まっていただろうから、再戦はありえなかったと思うけどね」