学習偏向と免疫の関係

免疫研究の専門企業の広報を手伝ったことがある。研究の様子や試薬製造の現場も見せてもらい、専門家にヒアリングして免疫についていろいろと教わった。詳細はすっかり忘れてしまったが、まったく無知だったぼくには抗原と抗体のメカニズムの話はインパクトがあった。強いインパクトを覚えたポイントは今も記憶に残っている。

外部からウィルスが身体に侵入しようとする。この攻撃に対して人間側ではリンパ球やマクロファージなどの軍隊を編成し外敵をやっつける――おおよそこんなふうに理解している。もう少し正確に言うと、ウィルスという抗原に対して、リンパ球やマクロファージが抗体をつくって、抗原の作用を排除したり抑制するのである。これが免疫システム。「病気にならないように抵抗力をつける」というのが普段の表現だ。もっとも関心を抱いたのが、免疫システムが「自己」と「非自己」を識別するという点だ。

自己を強く守れば守るほど非自己への「沿岸警備」はいっそう厳しくなるんだろうな、と考えたりした。「知」になぞらえたら、自分好みの同種の知を蓄積すればするほど、異種の知への風当たりが強くなり免疫反応を示すようになるのだろうか――とも推論してみた。フロイトの防衛機構論的に言えば、現実を歪曲したり誤解したり否定したりすることにつながりはしないか、と案じたりもした。


やがて知の世界にも強烈な免疫システムがあると確信するに至った。肉体の免疫は低下していくが、こっちの免疫は加齢とともに強化されることもわかった。免疫は学習においてもちゃんと機能する。「偏重して同種の知ばかりを蓄積し、同質思考を繰り返すと、異種の知や異質思考への防衛機能が強く働く」のである。そうなのだ、人は非自己と見なす「ウィルス的知性」を拒絶する。一定の成熟レベルに達すると、多くの人たちは新しい知や異種なる知に目を向けなくなる。やがて知の偏りが生じる。免疫過剰による滞りなのだ。

熟年になっても知のダイナミズムを衰えさせたくなかったら、ものすごくリスキーなことだが、意識的に防衛機能を甘くせねばならない。それは、自己内でほぼ自動的に形成される「知の抗体」を弱めて、新種かつ異種なる――もしかすると危険な――「知の抗原」を迎え入れる勇気である。もちろん勇気とリスクに見合ったご褒美も期待できる。自己と非自己を分別しない、開かれた知の世界である。

免疫と学習の構造は、もはや類似という段階ではなく、同一と言ってもいいくらいである。自分を高めようとして学習しているつもりが、実は料簡の狭い防御壁をつくり、安住の閉鎖空間に自身を追い込んでいるかもしれない、というわけだ。防衛機能に保護された学びは、やればやるほど排他的になる。結論を急いではいけないけれど、知の免疫における抗体は「専門自我」と呼ぶべきものだろう。実はその専門、すっかり閉じられた「偏学」に過ぎない。

ファックスと電柱の貼紙

こんなふうにタイトルをつけると、誰もが「ファックス」と「貼紙」の関係を連想しようとする。貼紙ということばからファックスのほうも用紙を想定するかもしれない。種明かしをすれば、他愛もなくことばを並べただけ。ファックスの用紙と貼紙が紙という共通点を持つのは偶然にすぎない。

行き詰まったらというわけではないが、時折り10年、20年前のノートを繰ってみる。ぼくにとっては、沈殿した記憶の脳内攪拌みたいなものである。知新にならないことがほとんど。しかし、時代を遡って温故するのは、懐かしの路地裏散策みたいで眼を見開くこともある。走馬灯のように追いかけにくい幻影ではなく、案外くっきりと記憶の輪郭が見えてきて、一気に当時の臨場感に入ってしまったりもする。

適当に本棚から引っ張り出した一冊のノート。これまた適当に繰って指が止まったページ。そして、その直前のページ。この両ページを足すと「ファックスと電柱の貼紙」になった。統合ではなく、並列のつもりである。それぞれそっくりそのまま転記してみよう。


ちょっとした報告。決して緊急ではないので、電話で相手の時間を拘束するまでもないと考え、まずファックスした。必要ならば、数分後に電話でファックス送付の件を伝え、補足するつもりだった。

ところが、電話しようとした矢先に先方から電話が入った。なんとお叱りのことばである。順序が逆だと言うのである。まず電話で今からファックスを送付すると伝え、それからファックスを送るべきだというのである。こんなビジネスマナー、聞いたことがない。誰がつくったのか? 少なくともファックス発明後のマナーだろ? 

ファックスの前はハガキか手紙を出していた。ぼくの相手のお叱りの趣旨をハガキに置き換えたら、「今からハガキを出します。明後日までには着くと思いますので、よろしく」と言え! ということになる。まったくお粗末なお叱りではある。マナーか何か知らないが、取るに足らない細部に分け入ることしか自分を誇示したり他人を制したりできない輩だ。こんな連中と仕事をするのは一回きりで十分。

それにしても、ビジネスマナーはビジネスとマナーの複合語だが、ビジネスが主ではないか。最近企業研修で、ビジネスを教えずにマナーばかり教えている愚はどうだ。マナービジネス(礼儀を商売にすること)にビジネスマナーを押し売りされてたまるもんか。


電柱に「劇薬散布注意」という貼紙がしてあった。ずいぶん意味深である。

いったい誰が貼ったのか。まず、そのことが気になる。テロリストか、近所の誰かか、農園主か、「当局」か? それぞれに貼る意図があるかもしれないが、電信柱でなければならない理由が思いつかない。しかも、メッセージを伝えたい相手も特定しにくい。

テロリストなら「劇薬を散布した」と犯行声明を出すかもしれないが、ご丁寧に「注意」を呼びかけることはない。また、この町中に農園主はたぶんいない。いるとしても家庭菜園か植木の世話をしているご主人。自分のテリトリーに劇薬を散布したが、公道に飛沫したかもしれないので犬の散歩時に注意? かもしれない。農薬ではなく「劇薬」とした点が気にかかるし、自治会の住民向けにそんな挑発をする動機が見当たらない。「当局」はまずないだろう。ふつう当局は電柱にそんな貼紙をしない。回覧板を使うはずである。

もしかすると、近所の誰かが一番危ないのかもしれない。嫌がらせの始末が悪い。おっと、重要な点を見逃している。貼紙は漢文のように漢字だけで書かれている。この文章、「劇薬ヲ散布シタ。注意セヨ」なのか? それとも、「劇薬ヲ散布スル。注意セヨ」なのか? いずれも気味悪いが、電柱という異色な場所柄を考えると、後者のほうが「ぞっとする感覚」が強い。

イタリア紀行46 「パンテオンとナヴォーナ広場」

ローマⅣ

高密度で味わいのある空間。広場と教会が目白押しで、ぶらりと歩くだけでも楽しみの多い地区だ。パンテオンにやって来たのは6年ぶり。世界最大級のこの建築は、約1900年前に14代ローマ皇帝ハドリアヌスによって建造された。初代が焼失したので、現存するパンテオンは二代目になる。セメントと火山灰を成分とするコンクリートでできていて、ドームに代表される高度な建築技術は圧巻だ。

ギリシア語起源のパンテオン(Pantheon)は、“pan+theos”に由来する。「すべての神々」という意味で、パンテオンは「万神殿」と訳される。後世にはキリスト教だけを崇めるようになるが、当時は「神様のデパート」だった。ちなみにインフルエンザがらみで最近よく耳にする「パンデミック(pandemic)」もギリシア起源で、こちらは“pan+demos”。「すべての人々」というのがおもしろい。病は人々の間で蔓延するからか。

手元の資料によれば、パンテオン上部に設けられているクーポラ(円堂)の直径は43.2メートル。そして、おそらく計算の上なのだろうが、床からドームの尖端までの高さが同じく43.2メートルなのである。その尖端には「オクルス」という採光のための天窓があって、パンテオン内部の装飾をいかにも「神々しく」演出している。

パンテオンから西へおよそ300メートル歩けばナヴォーナ広場に出る。古代ローマ時代の競技場跡だけに、特有の細長い形状の空間になっている。晴れた日には、オープンカフェに座って集まってくる人たちや噴水をぼんやりと眺めるのがいい。雨の日には人は少なくなるが、濡れた建造物の壁と広い空間が何とも落ち着いた空気を醸し出してくれる。

広場には三つの噴水がバランスよく配置されている。北に『ネプチューンの噴水(Fontana del Nettuno)』、中央にオベリスクとともに『四大河の噴水(Fontana del Fiumi)』、そして南に『ムーア人の噴水(Fontana del Moro)』。いずれも噴水と呼ぶだけですまないほどの芸術性の高い彫刻で彩られている。肉体をくねらせた力強さと構図は、いくら眺めていても飽きることはない。

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パンテオン前のロトンダ広場。
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パンテノン正面の柱廊。
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巨大な列柱。
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強くもなく弱くもなく、絶妙な採光を可能にしている天窓の明りを見上げる。「オクルス」という名のこの天窓は「目」を意味する。
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パンテオン内部。ルネサンス期の人気画家ラファエロの墓がある。
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雨上がりのナヴォーナ広場。ムーア人の噴水。
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ネプチューンの噴水。
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オベリスクを中央に見る広場。
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昼下がりのカフェ。
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よく晴れた日のナヴォーナ広場の朝。この日は空が澄みわたり絶好の観光日和となった。いずれ紹介するアッピア旧街道に出掛けたのはこの日だった。

考えが先か、ことばが先か

「考えること」と「ことばにすること」の関係についてはテーマとしてずっと追いかけている。「考えている?」と尋ねて「はい」と返ってきたからと言って、安易に「考えている」と信じてはいけないなどの話も2月に一度書いた

「考えていることがうまく表現できない」「想いを伝えられない」などの悩みをよく耳にする。この発言は、間違いなく「考えていること」を前提にしている。私はよく考えている、思考も意見もある、ただ残念なことに「話す」のが下手なんです――ぼくにはそんなふうに聞こえる。皮肉った解釈をすれば、「高等な思考力はあるのだけれど、ペラペラと喋る下等なスキルと表現力が足りない」と言っているかのようだ。

冷静に考えてみればわかるが、発話したり書いていない時の頭の中はどんなふうになっているか。考えの輪郭ははっきりしているか、思考はことばとしっかりと結びついているか、筋道や分類や構成は明快か、すべての想いが手に取るように生き生きとしているか……。決してそうではない。断片的なイメージや単語や文節が無秩序にうごめき、浮かび上がったり消えたり、互いに結びついたり離れたりしているものだ。少なくともぼくは、誰かに喋ったり書いたりしないかぎり、自分がいったい今何を考えているのかよくわからない。


もし考えることがことばよりも先に生まれており、明快かつ精度が高いのであれば、わざわざ言語に置き換える必要はないではないか。思考それ自体が何らかの対象を認識して十分に熟成しているのならば、なぜ思考が表現の力を借りなければならないのか、その理由が説明できない。こんなふうに哲学者のメルロ=ポンティは「言語が思考を前提にしていること」に異議を唱える(『知覚の現象学』)。

考えている(つもりの)あなたは、その考えを自分に向かって表現する、あるいは誰かに語ったり紙に書いたりする。その時点で、思考がことばに翻訳されたと思うかもしれない。あるいは、あることばが口をついて出て来ないとき、それが単純に度忘れによることばの問題だと思ってしまうだろう。しかし、実はそうではないのである。話したり書いたりする瞬間こそが、考えを明快にし輪郭をはっきりさせるべく一歩を踏み出した時なのである。話す前と話した後、書く前と書いた後の頭の思考形成の状態を比較すればよくわかるはずだ。

ことばが思考を前提にせず、思考もことばを前提にしているのではないかもしれない。もしそうだとすれば、「想いがことばにならない」という言い訳は成り立たない。敢えて極論すれば、話す・書くことが思考の醸成につながるのである。思考を騎手とすれば言語は馬である。しかし、この人馬一体においては騎手が馬を御しているのではなく、馬のほうが騎手を乗せて運んでいるのかもしれない。そう、思考は言語によって遠くへと走ることができる。だからこそ、馬を強く速く走れるように訓練しておかねばならないのだ。 

「選択」という名の重荷

そのコマーシャルの完全版を見たような気がするが、あまり覚えていない。だが、新聞記事で見つけた。以前も紹介したが、そのニューバージョンである。

「長持ちキンチョールか、よく飛ぶジェットか。先生。おれは、どっちを選んだらええんや」
「そんなこと、どっちだっていいじゃない」
「そんな……そんな正しいだけの答えなんて、ききたないんや!」

とてもおもしろいではないか。「どっちだっていい」を正しい答えとしているのである。そして、その答えは「正しいだけ」であって、それ以外には何の価値もないと吐き捨てている。

少しニュアンスは変わるかもしれないが、誰かに麺類をご馳走するとする。「うどんにしますか、ソバにしますか?」と尋ねる。ご馳走されるほうが、「お任せします」または「どちらでも結構です」と遠慮気味に言うこともあるだろう。「うどんかソバを選ばずに、どっちでもいい」というのが正しくて、しかも正しいだけにすぎない――こういう感じなのである。


豊川悦司のこの正論にはほとほと感心する。先生といえども、二者択一は面倒なのである。いや、面倒だけではなく、責任も負わねばならないのでプレッシャーがかかるのである。これを〈選択権の負担〉と呼びたい。

二つに一つを選ぶときはもちろん、たくさんの選択肢から自由に選べる、好きなものを選べる、一番にクジを引けるなどの状況に置かれるのは、ありがたいようで、実は重荷になることがある。かつてこういうタイプの青年たちを「モラトリアム人間」と呼んだことがあった。最近ではさしずめ「草食系男子」と言うのだろうか。

定食屋に行って注文する場面。店員が先手で「Aランチにしますか、Bランチにしますか?」と聞いてきた。おおむね次のような対応がありうるだろう。

(1)  Aにします
(2)  Bにします
(3)  どちらでもいいです(お任せします)
(4)  AでもなくBでもなく、別のものにします
(5)  AとBの両方にします
(6)  すみません、帰ります

以上の6つ。こうして比較してみると、なるほど(3)が無難で「正しいだけの答え」に見えなくもない。他のすべては何らかの意思決定が働いているが、「どちらでもいいです」は選択の負担から逃げている。いや、「どちらでもいいです」というのもある種の意思決定という見方もできるかもしれない。それでもなお、その選択には保険がかかってはいないか。


提示されたものを選ばない、後で選ぶつもり、何でもいいです、お任せします――実に厄介である。選択権を放棄して逃げ道をつくる。「正しいだけの答え」を選択するくらいなら、間違っていてもいいから自己責任の取れる選択やドキッとする選択をしてみてはどうだろう。  

いったい何が正しいのか?

二ヵ月前のゴールデンウィークの話。高速道路の渋滞の様子をテレビで見ていた。まるで静止画面を見ているようだった。いや、対向車線が流れていたので、かろうじてそれが生中継であることがわかった。車を運転しない、というか所有していないぼくから見れば、渋滞することを100パーセント想定しながら、なぜそこに入ってしまうのか、不思議でならない。もしかすると、ドライバーにとっては行列のできるラーメン屋に並ぶ程度の覚悟で済ませることができることなのか。

どちらかと言うと、世相を批判的に見る傾向があるぼくだ。「この高速道路を走る、いや歩くように動く自動車のドライバーたちは、みんな間違っているのではないか。正しいのは渋滞する高速道路以外の道を走っている人たちであり、もっと正しいのは車に乗っていない人たちであり、さらにもっと正しいのはどこにも出掛けずにじっとしている人たちなのではないか、そしてもっとも正しいのはこのようなことを考えているぼくなのではないか」と、気がつけば、とても危険な独我的思考に陥りそうになっている。

自惚れ過剰に注意しながら冷静に考えてみる。「55日が帰省のUターンラッシュと聞いていたので、今日(54日)に帰ることにしたんです。そうしたら、この状態で……」と、家族連れの三十代後半らしき男性がテレビのインタビューに答えていた。これは、やっぱり愚かしくはないだろうか。呆れ返るほどの愚かしさなのではないだろうか。


彼の推論を推論してみよう。「5日に混む」と誰が言ったのか知らないが、たぶんテレビのニュースでそんなふうに報道したのだろう。それで、彼は「5日を避けるのが賢明だ」と考えた。彼だけがひそかにこの情報を小耳に挟んだのならばこれでいい。だが、情報源は公器たるテレビであった。大勢がこの情報を入手したに違いない。彼のみならず、その他大勢が「5日を避けて、4日に戻ったほうがいい」と判断するのは当然だ(6日も休日だったが、7日から仕事が始まるので、6日にずらすよりは4日に変更するのがノーマルな決定だろう)。

しかし、ここで推論をやめずに、もう少し続けてみればどうなるか。「ちょっと待てよ、みんなオレと同じように4日に早めようと思うから、4日が混むのじゃないか。それなら当初の予定通りに5日に戻ればいい」――こういう演繹的導出もできたはずである。55日で正解!? 残念ながら、これも正解とは言い切れない。

なぜなら、その他大勢もここまで考えるかもしれないからだ。逆説的に事態を読み続けることはできる。しかし、どこかで読みをやめないかぎり意思決定などできなくなる。結果から言えば、4日が大渋滞になり5日はさほどではなかった。彼は予定していた5日を変える必要はなかった。だが、実際は変えた。他の大勢も(おそらく彼と同じような推論パターンを経て)変えた。変えなければよかったのに変えたしまったのが不特定多数の心理だったのか。真相は絶対にわからない。


確実に言えることが二つある。一つは、上記のような推論ゲームにぼくが参加しなかったという事実。もう一つは、ゲーム理論では何をどこまで読むかを自分が決めなければならないこと。ジャンケンで相手が「グーを出すよ」と言い、それを素直に信じてパーを出したらあなたが勝つかもしれない。いや、そんなの信じられないと考えて、パーを出すあなたに対して相手がチョキに変えると予想し、ならばとあなたはグーに変化……この読みは無限に続く。「相手がグーを出すよという情報」があってもなくても同じだということがわかる。グー、チョキ、パーで勝敗が決まる閉じたゲームにもかかわらず、永遠に踏ん切りがつかない。どこまで読むかもさることながら、読むのか読まないのかに関してもいずれが正しいかはわからないのである。 

♪ 想い出のサンフランシスコ

あっという間に過ぎた。サンフランシスコの坂をケーブルカーで上り下りしながら、I left my heart in San Francisco……と口ずさんでから一ヵ月が過ぎた。写真の整理をしていたら、ふとこのメロディが脳裏をよぎった。フランク・シナトラのCDを取り出して聴こうと思ったら、この曲が入っていない。そんなバカな……。もしかしてと、トニー・ベネットのCDジャケットを見たら、ちゃんと入っていた。一曲目だ。正確に言えば、こちらのほうが本家ではある。

 

念のために調べてみたら、YouTubeでシナトラバージョンも聴けた。ついでに他にも探してみたら、歌詞と動画をシンクロさせているのもあっておもしろかった。少々こじつけっぽい箇所もあるが、許容範囲である。


下記に歌詞を掲載してみたが、最初の四行は歌っているようで歌っていないセリフ。実はこのセリフのようなイントロがあるからこそ、 I left my heart 以下に哀愁が漂う。字面に影響されぬよう意味を汲むが、なかなかこなれた日本語にはなってくれない。だが、とりあえず試訳してみようと思った。

The loveliness of Paris seems somehow sadly gay
The glory that was Rome is of another day
I’ve been terribly alone and forgotten in Manhattan
I’m going’ home to my city by the bay.

パリの魅力はなぜか悲しげなまでに華やかで、

ローマがほしいままにした輝きも過ぎた日々。

孤独にさいなまれたマンハッタンを後にして、

いまわたしは湾のある生まれ故郷の街へ帰る。


一行目、二行目、四行目それぞれの最後の単語は、gay(ゲイ)、day(デイ)、bay(ベイ)と韻を踏んでいる。こう口ずさんでから耳に親しいあのメロディーで歌が始まる。引き続き日本語を付けてみた。

 
I left my heart in San Francisco
High on a hill it calls to me

心残りだったサンフランシスコが

丘の上からわたしに呼びかけてくる。

 

To be where little cable cars
Climb halfway to the stars

その街では小さなケーブルカーが

星へと向かって坂を登りつめる。

The morning fog may chill the air
I don’t care

朝霧で空気が凍えても苦にならない。

 

My love waits there in San Francisco
Above the blue and windy sea

愛しい人が待つサンフランシスコ。

風が吹きさらす青い海の上。

 

When I come home to you San Francisco
Your golden sun will shine for me.

故郷のサンフランシスコに帰るわたしに

黄金色の太陽が輝いてくれるだろう。


最後の二行では、サンフランシスコが「あなた」と擬人化されている。「サンフランシスコというあなた」、「あなたの太陽」になっている。

☆     ☆     ☆


ここまで書いて、締めのことばが継げない。PCの電源を落として夕食を済ませ、9時頃自宅近くを散歩することにした。先週の土曜日のことである。いつも前を通りながら、一度も入ったことのないバーがビルの2階にある。行って見た。オーナーは日本人ではない(後の会話でわかったことだが、スパニッシュ系アメリカ人でニューヨーク出身と言った)。

ギネスビールを飲みナッツをつまみながら、「つい先月までサンフランシスコとロサンゼルスにいた」という話からアメリカ談義に及び、やがて彼が日本で店を始めた経緯へと会話が弾んだ。「故郷での疎外感がつらかった。だから日本へ来た」と彼はつぶやいた。それを聞いて、ぼくは夕方に訳していた歌詞の冒頭を思い出してこう言った、「“I’ve been terribly alone and forgotten in Manhattan”という感じかな?」 彼はうなずき、人懐こく笑った。 

イタリア紀行45 「そぞろ歩き時々観光」

ローマⅢ

この紀行シリーズで紹介しているローマの写真に不満足なわけではない。だが正直なところ、これらの写真よりも一番最初にローマを訪れたときの写真のほうがバリエーションに富んでいる。それもそのはず、それから後に何度かローマに戻ってくるなどとは思いもしなかったから、できるかぎり方々へ足を運んで見るものすべてをカメラに収めたのだ。当時の写真を繰ると、彫刻家ベルニーニの手になる噴水の作品やトレヴィの泉、スペイン階段などがアングルと構図を変えて何枚も何枚も出てくる。「おのぼりさん的観光」をしていたのは間違いない。

トレヴィの泉もスペイン階段もコロッセオももう十分、それよりもまだ足を踏み入れたことのない裏町や路地に行けばいい。こんなふうに思って街歩きに出る。しかし、観光名所の近くに差し掛かりながら、脇目も振らずに一つ隣りの脇道にそれていくのはあまりにもひねくれている。過去に何度も見たからと言っても、あれから四年も過ぎている。足の向くまま気の向くままがそぞろ歩き(パッセジャータの原点なのだから、ついでに立ち寄ればいいと思い直したりした。

ローマにある7つの丘のうち一番高いクイリナーレの丘に初めて上る。道なりになだらかに坂を上がっていくので、高い所に来たという実感が湧かない。ここからトレヴィの泉は目と鼻の先なので、寄ってみる。トレヴィ(Trevi)は「三つの通り」という意味で、三つの通りが集まった角地に泉がつくられている。雑誌の写真などでは、巨大な彫刻と噴水を囲むように大勢の人だかりを見せるが、実際は「あっと驚く狭さ」である。何度行っても、どの通りから入っても、予想外の狭くて高密度の空間だ。

めったに土産物の依頼を受けないが、知人に皮の手袋を頼まれた。ご指名の店は、スペイン階段の前にあり、イタリア人店員が全員日本語を話すという、露骨なまでに日本人観光客をターゲットにしている。ふつうはこの種の店で絶対に買物しない。でも、店指定の頼まれ物だから仕方がない。割り切ってスペイン階段方面へ歩を進めた。

カンポ・ディ・フィオーリへも初めて行ってみた。この広場は名前の由来通り、もともとは花の市場だったらしいが、今では大半が八百屋、一部ハム・ソーセージ・チーズの店や乾物屋。花屋さんは少ない。素直に感想を述べれば、ローマの名門市場というには「がっかり」である。

ただ、ここにある19世紀に建てられた像には注目だ。コペルニクスやガリレオと同様に「地球自転説」を唱えた哲学者ジョルダーノ・ブルーノ(1548―1600)の像。元司祭だったが、天文学にも精通していて地球外生命の存在も主張していた。処刑を前にして、「真に恐れているのは、私ではなく、私を死刑にしようとしているあなたがたの方だ」と語ったという。司祭だった彼はカトリック教会を破門され異端審問を逃れるためフランスやドイツを転々とした後に、幽閉されて16002月にこの広場で火あぶりにされた。

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人だかりのトレヴィの泉。
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実際に見るとこのスケール感はない。
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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。
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記念堂の階段から見下ろしたヴェネツィア広場のスケッチ。
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雨上がりのスペイン階段。
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        カンポ・ディ・フィオーリの市場。
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パリのバスティーユのマルシェをイメージしていたので、少々期待外れだった。
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ジョルダーノ・ブルーノの像。火刑後280年の歳月を経て建てられた。

「動体知力」への意識

知力の低下が叫ばれるものの、指標の定め方や統計の取り方次第で、昔に比べて知力がアップしているという説も浮上する。マクロ視点で日本人の知力を世代比較するのではなく、ここは一つ、自分の回りの人間をつぶさに観察してみようではないか。しばし自分を棚上げして問うてみよう、「わたしの回りのみんなの知力、いったいどんな程度でどんな具合?」

過去に比べてどうのこうのと考える必要などない。当面の問題を上手に解決できる知力、想定外の難問に直面してその場で瞬時に対処できる知力、暗記した事柄を再生するだけでなく創意工夫もできる知力――こんな知力の持ち主が自分の回りにいるだろうか? 周囲には、定番のお勉強がよくできたであろう「静止知力型優等生」は五万といるが、変化に柔軟対応できる「動体知力」の持ち主は、いないことはないが、稀有である。絶滅危惧種にならぬことを祈らねばならない。

だが、そこまで絶望するにはおよばない。そういう人たちが顕在化していないだけかもしれない。あるいは、ぼくの見る目がないだけなのかもしれない。いや、実は、どんな人間にも部分的には動体知力が潜在しているのだが、それを発揮する環境に恵まれていないのかもしれない。そう、動態的な舞台とテーマを用意しなければ、動体知力を発揮する必要など芽生えてこないからである。


だいたいにおいて、集団で学びながら身につける知力は、じっとしている亀の頭から尻尾までを定規で測るスキルのようなものだ。テーマも対象も計測器もすべて静止している。他方、入り組みながら飛ぶ鳥の数をすばやくカウンターで数えるようなスキルがある。鳥も動くが指もずっと動き続けている。あるいは別の例として、流れる時間を刻むために動き続ける時計はどうだろう。時が動き、同時に時計がそれを刻んでいく。一時も静止することがない。ぼくのイメージしている「動体知力」とはこんな感じなのである。

大学生になった1970年代始めは、知と言えば、まだまだ“knowledge”(知識)のことで、“information”(情報)は目新しいことばだった。前者が“know”(知る)から、後者が“inform”(知らせる)から、それぞれ派生した名詞だ。この二つの英単語には決定的な差異がある。前者の“know”の主体は自分であって、「私が知る」――これが知識。自分の中にストックするものだ。ここに他人は関わってはいない。対照的に、後者の“inform”は「誰かに知らせる」――つまり、自分から他者へ、あるいは他者から自分へと流れる情報だ。知識が〈ストック知〉であるのに対して、情報は〈フロー知〉なのである。


自分があることを熟考しているうちに、時代は動いている。自分の中で仕事をいったん休止しているあいだも、その仕事に絡むさまざまな要因は変化している。国際化・情報化の時代は24時間社会なのだ。このような時代が動体知力を求めているにもかかわらず、相変わらず日本社会で訓練しているのは静止知力――知識の貯め込み――のほうなのではないか。一人静かに本を読み、読んだ本の話を誰にするともなく悦に入る。転がってきたボールはいったん足で止め、それから狙いを定めて蹴る。期限ゆったりの宿題は大好き、でも予想外の問題のアドリブ解答は苦手。

動体知力の特徴は、スピード、集中力、即興性、対人関係性、複雑系、臨機応変、対話的、観察的、異質性、超越的などである。いずれもマニュアルや指導要領ではいかんともしがたい特徴だ。しかし、基本は動体への反応の速さである。すべての対象、テーマ、問題を止まったものではなく、「ピチピチと動いているもの」と認識すればいい。鮮度を落とさずに手早く捌く経験を積むのだ。何年もかかるものではない。テキパキと何事にも対峙すれば、それまで静止していた知力が勝手に動き始めるのである。  

理屈を超えるひととき

出張が10日間ほどない。この間に研修や講座のコンテンツづくりとテキストの執筆編集をすることになる。先月の中旬から5本同時に取り掛かってきた。完全オリジナルが3本、あとの2本が編集とバージョンアップ。だいぶ仕事がはかどり、残るはオリジナルの2本。テーマは「東洋の古典思想から仕事をメンテナンスする話」と「問題解決の技法と知恵」の二つだ。自分で選んだテーマとはいえ、いずれも難物。もちろんわくわくして楽しんでいるが、理の世界につきものの行き詰まりは当然出てくる。


こんな時、わざとテーマから外れてみることにしている。完全に外れるということではなく、テーマを意識しながら、敢えて迂回してみるのである。迂回の方法にはいろいろあって、読書で行き詰まったら人間観察に切り替える。構成がうまくいかなかったら、出来上がったところまでを一度分解してみる。文字通りの「遠回り」もしてみる。

オフィスの近くに寺があるのだが、最近は反対方面にランチに行くことが多い。しかし、いったん寺の前まで出てから裏道を通ってお目当ての店に行ってみるとか……。早速効果てきめん、その寺の今月のことばが目に入ってきた。

「善いことも悪いこともしている私。善いことだけをしている顔をする私。」

筆を使って読みやすい楷書体で書いてある。昔からある禅語録もそうだが、現代版になってもうまく人間のさがを言い当てるものである。「これは見栄のことを言っているのか、それとも実体と表象の永遠のギャップを指摘しているのだろうか」などと考えながら、メモ帳に再現しつつ蕎麦を口に運ぶ。蕎麦を食べ終わり、次のようにノートに書き留めた。

見栄というものはよりよい人間になるうえで最強の敵なのかもしれない。ぼくたちは偽善的にふるまおうとし、己を正当化しようとし、非があってもなかなかそれを認めようとしない。人間だから手抜かりあり、怠慢あり、ミスもある。時には、意識しながら、してはいけない悪事にも手を染める。その実体のほうをしっかりと見極め認めること。「自分には善の顔と悪の顔がある」ことを容認する。これこそが人間らしさなのか。

理屈を超えた文言に触れ、理以外の感覚を動かして、それでもなお結局は理屈で考えてしまうのだけれど、そのきっかけをつくる刺激の質がふだんと違っている。ここに意味があるような気がする。


ぼくのオフィスと自宅周辺から南へ地下鉄を二駅分ほど下ると、谷町六丁目、谷町九丁目という界隈があり、何百という寺院が密集している。現代的なビルの装いをした寺もある。それぞれの寺が「今月のことば」を門のそばに掲げている。休みの日、寺内に入らずとも、散歩がてら文章を読むだけでもおもしろい。2か月前には次のようなものを見つけた。

「かけた情けは水に流せ。受けた恩は石に刻め。」
「花を愛で、根を想う。」

前者が「ギブアンドテイクのあるべき姿」、後者が「因への感謝」。こんな具合に自分なりにタイトルをつける。すなわち意味の抽象。

伝えたいことを必死で言語化する「所業」を卑下するつもりはない。専門的僧侶でないぼくが言語から離脱して悟りの境地に到らなくても誰も咎めないだろう。とは言え、言語理性に凝り固まりがちなアタマの柔軟剤として、「意味不足の表現」や「行間判じがたい表現」に触れることには意味がある。「半言語・半イメージ」を特徴とする俳句などもそんな役割を果たしてきたのだろう。俳句に凝った十代の頃を懐かしく思い出す。