「○暑」の○には猛、酷、極、厳、大、炎などが入る。また、「▢熱」の▢には極、焦、灼などが入る。詳しく調べればそれぞれに固有のニュアンスがあるかもしれないが、いずれも「ものすごく暑い/熱い」を意味する。
それではよくわからないので、「地獄の釜蓋が開いたような暑さ」などとたとえる。しかし、釜蓋はわかるが地獄が想像できない。他に何かないかと辞書で調べてみたら、故事成語辞典で一つ見つけた。「甑に坐するが如し」がそれ。

甑は蒸し器。そこに座れば下から蒸し焼きにされてしまう。そんなはなはだしいにも程がある暑さ/熱さを甑に坐するが如しという。この表現は韓愈の詩、『鄭羣贈簟』の次のくだりで出てくる。
〈原詩〉自從五月困暑濕 如坐深甑遭烝炊
〈読み下し〉五月より暑湿に困しみ、深甑に座して蒸炊に遭うがごとし
〈意味〉五月の頃から暑さと湿度に悩まされるが、その苦痛は深い甑の中に座って蒸されるようなものだ。
今年の7月の平均気温は平年のプラス3℃。いつも40℃で沸かしていた風呂の湯を43℃にするとよくわかる。わずか3℃プラスだけでどれだけ熱くなるか、見くびってはいけない。
昨年も一昨年も猛暑だったが、今年がそれを凌いでいることを、気象予報士に解説してもらうまでもなく、自分の脳がわかっている。平年との違いを猛暑、酷暑、極暑、炎暑、厳暑、大暑などでは言い表せない。「甑に座するが如し」が言い得て妙なのは、わが国の暑さが高湿度とセットになるからだ。
暑いにはすでに「気温が高すぎる」という意味が内蔵されている。そして、限界を超えると「暑苦しい」になり、甑に座って「蒸し暑い」になる。極熱、焦熱、灼熱などは熱の不快感。対して、蒸されるような熱気を「熱れ」という。ものの本によると、日本の夏の蒸し暑さを表わすには「溽暑」がぴったりとのことだ。はたして「じょくしょ」と正しく読み、かつ意味もわかってもらえるだろうか。
残暑お見舞い申し上げます。
ご無沙汰いたしております。連日の猛暑でうんざりしているところですが、「甑に坐するが如し」を興味深く読ませていただきました。
最近では手紙を書くことも少なくなりましたが、時候の挨拶として「〇〇の候」をよく使い、暑さを表す言葉の多さに正直呆れていました。
そんな中で「甑に坐するが如し」という表現を知り、唐の時代にも暑いだけでなく蒸されるような感覚があったことに新鮮さを感じました。
蒸し暑さというのは現代だけのものではなかったのですね。
私自身の不勉強で「溽暑」という言葉は全く知りませんでした。
岡野さんの長年にわたる見識、探求心と造詣の深さに改めて感銘を受けた次第です。
私は、地域貢献を目指し、今のところ暑さに負けず、自治会活動や地元小学校のチャレンジスクールで講師などをやっています。
立秋を過ぎたとは言え、まだまだ暑い日が続きますが、どうぞご自愛ください。またお会いしたいと思います。
蒸し暑い日々に辟易しています。
それに加えて、1年の早さを実感する日々。11月に当社で集まってからまもなく9ヵ月、あっと言う間です。
長らく知識を仕入れて他人に移植する、いわゆる講演と研修を副次的に生業としていましたが、第一線を退いてからは「自分のための学び/人生最終幕の己の深掘り」を意識するようにしています。
街歩きして観察眼を研ぎ澄ますこと、想いと考えを1,000文字前後で書くこと、スケッチしたり水彩画を描いたりすること……です。
シニアの知的鍛錬には、たぶん読むことよりも書くことのほうが効果があるというのが経験からの実感です。書くことは全知性的行動だと思います。
10月~11月にフランス/スペインへの旅を考えています。この歳になって、荷物のことや手続きのことを思うと億劫ですが、億劫がらないことも鍛錬の一つでしょう。
個人の旅はほとんどアパートか安ホテルです。市場に買い出しに行って調理すると、旅人から地元民に変身できます。そんな土着感覚が性に合っているように思います。
機会があればまた集まりましょう。なお、万博にはまだ足を運んでいません。自宅の最寄駅、堺筋本町からだと乗り換えなしで20分足らずなのに……。