年末年始の「マイ風物詩」

冬の風物詩を思い起こそうとしたら、枚挙にいとまがなくて困り果てる。冬の二十四節気は立冬に始まり、小雪、大雪、冬至、小寒を経て大寒に至る。この時期特有の現象や歳時や文化や味覚は尽きない。しかし、冬を年末年始に限定すれば絞りやすい。慣習的に1229日から13日の時期が年末年始とされるので、それに従えばお歳暮、クリスマス、七草粥、成人式は年末年始の風物詩から外れる。

6日間に絞ってもまだ候補はいくらでもある。そこで、世間一般の風物詩の中から自分が見たり経験したりしてきた、いわゆる「マイ風物詩」に絞ることにした。そうすると、縁のない雪、雪合戦、かまくら、つららが消え、あまり興味のない箱根駅伝が消え、故郷がないので帰省が消え、買ったのが一度だけの福袋が消えた。子ども時代には風物詩だったが今はそ、火鉢、みかんが落選。逆に、子ども時代にはなかったイルミネーションや貼るカイロや忘年会は候補から漏れた。

以上のようにフィルターをかけた結果、年末年始の「マイ風物詩ベスト10」はおおむね月並なリストになった。無理もない。風物詩は一人の人生の始まりから終わりまで続いて記憶に残って思い起こされるものだから、極端にリベラルなものは除外されるのである。


餅つき  餅つきとの付き合いは長い。昔は、もち米を持参して餅をついてもらう「賃餅ちんもち」(関西では「ちんつき屋」)だった。やがて親たちは杵と臼を米屋で借り、もち米を持ち寄って町内でついていた。その習慣がなくなってからは父が電動餅つき機を購入して餅づくりに励んでいた。わが家にも最新鋭のが一台ある。

年賀状  小学生の頃から続けてきた年賀状。創業してからも36年間続けてきたが、昨年を最後にピリオドを打った。メールやSNSのやりとりができるようになった今、年賀状の存在が薄まったのもやむをえない。これを機に、普段の手紙と葉書の出番を増やしたいと思う。

干し柿  柿は秋の風物詩かもしれないが、季節が冬になれば干し柿である。旬の時はそのまま食べるが、寒くなると干し柿をいただく。干し柿は甘いが、これを冬の風物詩として選んだのは、我ながら渋い・・と自負している。

大掃除  毎年百円ショップで新しい掃除具やシートの類を買ってくる。大掃除を真剣勝負と考えている。特に窓と網戸とベランダは入念にキレイにする。大掃除や整理整頓をするたびに、自分の気分もついでにリセットしているのだと感じる。

大晦日  正月よりも大晦日のほうがワクワクする。除夜の鐘、午前零時までのカウントダウン、おせちのフライングつまみ……。時の流れの中で、この日ほど節目を強く感じる日は他にない。昨年の大晦日は初めてジルベスターコンサートに出掛けた。ワクワクした。

正月/初詣  いろいろな風物詩が正月に集中する。おみくじは数年前に引くのをやめた。今では、元旦のいの一番は雑煮ではなく、初詣である。散歩にちょうどよい距離に真言宗の寺院がある。護摩祈祷ごまきとうの儀に一礼をして、長居はしない。「こちらお接待です」と、日本酒1本を持ち帰らせてくれる。それが初春のお神酒になる。

雑煮/おせち  初詣から帰宅すると、寺院の御神酒おみきをいただき雑煮とおせちを食べる。餅はマシーンによる自家製。おせちは自前のものもあるが、プロ仕様のおせちを知り合いが差し入れてくれる。なお、祝箸は小さなアイテムだが、冬の風物詩には欠かせない。

お年玉  もらうのが楽しみだったお年玉が、子どもや孫らにあげる楽しみに変わってくる。核家族化が著しいので、親族らと直接会う機会が激減した。会って渡せないので、何度か書留でお年玉を送ったことがある。早晩、お年玉は振込になるかもしれない。

書き初め  別名「初硯はつすずり」。文字通り硯を取り出して、数十年間断続的に書いている。今年の12日は出掛けていたので失念した。例年は年末に文字を考えるのだが、それも失念していた。遅くなっても書けばいいが、まだいい文案が浮かばない。

鍋料理  おせちが終わると、ラーメンやカレーやハンバーガーを食べたくなる若者たち。ぼくはと言えば、鍋料理を好む。親と暮らしていた頃の正月の三日目あたりに母が鶏の水炊きを作っていた。そのせいか、牡蠣や鮟鱇の鍋、鰤しゃぶなどの冬の食材を使った鍋料理は今も定番になっている。


総じて言えば、冬の風物詩の主役は正月がらみになる。但し、正月がらみなのに、羽子板、凧揚たこあげ、コマ回し、門松、しめ縄、鏡餅の存在はかなり薄くなってしまった。マイ風物詩を編んでいるうちに、年末年始の自分史が綴られていくのに気づく。

師走のプチ歳時記

ビール

芋焼酎のマイブームは昨年末から下火気味で、900mlの瓶は封を切らずに数本買ったまま。ワインは、1本飲んでは1本買うというありさまなので減ることはなく、相変わらず常時40本くらいある。セラーに入り切らないので一部は室温15℃の部屋に放置。冬だからこれで問題はない。そうそうオフィスにも10本保管している。

缶ビールは冷蔵庫に23本しか入っていない。あまり買い置きせず、飲みたい時にそのつど買う。暑い夏場よりも寒くなってからのビールがうまい。乾燥した部屋の中での最初の一杯で渇いた喉が潤う。缶ビールはそのまま飲まずにグラスに注いで飲む。しかし、缶ビールより瓶ビールのほうがいい。外食時もほぼ瓶ビール。生ビールはたまにしか飲まない。

そもそもビール党ではないので、痛飲することはない。週に12度中瓶を飲む程度だ。日本のビールは店で飲み、自宅ではたいていベルギー、ドイツ、チェコのビール。日本のビールとの違いはおおむね色が濃く、色のバリエーションが豊富だということ。
写真のドイツビールは飲んで初めて分かったが、アルコール12%というツワモノだった。グイグイ
飲めないし、グラスでちびちび飲んでもほろ酔いの回りが早い。ほぼワインと言ってもいいほどのアタック感があった。

忘年会

昨日は3人だけのプチ忘年会。焼きとん酒場で午後5時スタート。飲み放題には関心がなく、3人で瓶ビール2本とハイボール1杯ずつ。串は156本、小皿のつまみが3皿、あとは枝豆と塩だれキャベツという質素なラインアップ。こんな飲み食いでも、雑談しながら2時間も経てばそれなりに満腹感を覚えるもの。
次の店はスナック。カウンターのみ9席の店だが、スペース感があって落ち着く。クリスマスイブ前の月曜日、客はわれわれ3人だけ。しばらくして、さすがに小腹が減ってきたので、1人がたこ焼きを買いに出た。1人にワンパック8個。昔はよくスナックでお好み焼きやたこ焼きを出前してもらったものだ。焼酎のお湯割りや水割りは各自2杯、歌は各56曲。ちょうどいいほろ酔い加減で午後9時半におひらき。2軒合わせてお勘定は5,000円ぽっきり。予算も時間の長さもシニアにやさしい企画だと自画自賛。

街歩き

冬になると、夏の1.52倍歩くようになる。歩き始める時は少し寒くても、1万歩も歩けばかなり温まる。距離と時間が長くなると、眺める対象も増えてくる。普段見えなかったものが視界に入りやすくなる。

御堂筋の歩道は、北上する時も南下する時もたいてい東側を歩く。よく動ける冬場は西側も歩く。すると、北御堂の歩道寄りの掲示板も目に入る。
このお寺のマスコットが「キタミゾウ」という象だと知る。「見たいゾウ、聞きたいゾウ、言いたいゾウ」と言ってる。まだ未熟ということなのか……「おさるさんってスゴイ!」のは、ゾウさんにできない「見ざる、聞かざる、言わざる」ができるからか……それは成熟のシルシなのか……ハイ、ここでストップ! 小難しく考えるのは厳禁。「おもしろいなあ」で止めておくのが街歩きのコツ。

遅ればせながら、秋来たる

エアコン疲れした3ヵ月半がやっと終わり、まだ昼間は気温が上がるものの、朝夕は過ごしやすくなった。灼熱の外気を遮断していた窓を開けて涼しい風を取り込む。肩に布団を掛けて眠れる季節である。

半世紀前に出版された『ことばの歳時記』(金田一春彦)では、10月はもちろんのこと、9月早々から題材は秋色に染まっている。たとえば9月は「秋風」と「秋の扇」と「秋雨」。10月に入ると「秋寒し」と「秋の空」。夏が長引く今時の歳時との差が大きい。

男心か女心か知らないが、秋の空とは「定まらないこと」の比喩である。しかし、上記の著者は「秋は一番晴天の続く季節で、朝、ハイキングに出掛けて、一日お天気にめぐまれて帰ってくることが多いではないか」と異議を唱え、秋の空が変わりやすいと思うのは、古来、わが国が京都を天気の標準としてきた感覚のせいだと言う。


天気のことはさておき、近くの川の対岸を遠目に見ると、まだ申し訳程度の秋の気配しか感じない。ところが、橋を渡って遊歩道を実際に歩いてみると、足元はすでに秋色に染まっている。秋の始まりはクローズアップするほうが実感しやすいように思う。

他方、秋の深まりを感知するのは景色を遠望する時かもしれない。都会では遠望の対象は、紅葉していく山ではなく、空である。気まぐれに変わる天気ではなく、様々な表情を見せる空であり雲の模様である。

日曜日に見上げた空はまるで和紙のちぎり絵のような作品で、大都会と空の合作コラージュだった。今日から11月、意識して空を見上げることにしよう。ところで、先の歳時記では119日のテーマは早々と「秋の暮れ」である。秋という季節は年々短くなっていく。

夏の忍耐、昔の3倍

昔も暑かった。大阪の賑やかな下町に育ったが、子どもの頃の夏の暑さ、その肌感覚の記憶はいくばくか残っている。暑くても、住宅街の大部分がアスファルト舗装されていなかった時代だったから、土の地面に打ち水すれば空気がひんやりした。今のように、一日中ずっと暑かったわけではなかった。

自宅に電気を使わない冷蔵庫があって、近所の製氷店でブロックの氷を買って保存していた。魚や麦茶も入れていた。氷は高価で貴重だったから、いつも備えていたわけではないが、外で遊ぶ時はカチ割りにして口に含んでいた。

夏は防犯意識よりも避暑意識が強かった。玄関も裏木戸も四六時中開けっ放して風通しの工夫をしていた。涼をとる方法はいろいろあった。風鈴、蚊取り線香、団扇、花火、朝顔、素麺、かき氷、すいか……。これらの工夫がそのまま夏の風物詩になっていた。

昔も暑かったし湿度も高かった。しかし、そんな日々はおそらくわずか1ヵ月だったような気がする。盆を過ぎる頃から朝夕の気温も下がり始め、微風の吹く時間帯が少しずつ長くなった。空と雲が、虫や植物が、そして音と梢のそよぎが、こぞって夏の終わりの始まりを告げていた。

1ヵ月程度だった暑さ――酷暑または猛暑――が、今では3倍長く続く。春は早めに夏を先取りし、秋は持ち分を削って夏に割り当てる。エアコンという装置があるから、かろうじて長期の夏に耐えているが、引きこもっていては季節感も体調も狂ってしまう。

動物行動学者の日高敏隆著『春のかぞえ方』によれば、植物も虫も生き物はみなそれぞれの方法で春の到来を知るという。三寒四温を「積算」して、ある値に達すると、植物は花を咲かせ、虫たちは土から顔を出す。動植物はおそらく同じように夏も秋もかぞえるのだろう。

人も生き物であるから、そんなふうに温度を積算して春夏秋冬の季節を体感してきたはずだ。ところが、この10数年、猛暑は長引く。四季のメリハリがあったこの国で3ヵ月も高温を積算していたら、バグが生じて夏と秋を正しく数えることができなくなる。

何日続くかわからないが、少なくとも秋分の日の昨日は過ごしやすかった。しかし、「涼しい、秋めいてきた」と小躍りしている場合ではない。盆過ぎに涼風がそよぎ、秋分の日に秋風が吹くのはかつて当たり前だったのだ。夏は毎年次第に、かつ確実に秋を侵食している。そして、早晩、長引く夏の風物詩は「冷房」だけになるかもしれない。

暑中見舞いの儀と戯

年賀状じまいが珍しくなくなり、加えて郵便料金が値上がりする。年賀状の儀が廃れそうな今、暑中見舞いの儀が元気であるはずがない。しかし、過酷を極める夏の見舞いという大義名分を立て、かつ儀をほどほどにして「戯」を工夫すれば、目立たぬように生き長らえる可能性はある。

昨日が七夕で、二十四節気の小暑でもある。この日から約1ヵ月間、87日の立秋の頃までに暑中見舞いをするのが通例とされる。暑中見舞いはいただくが、出したことはない。「暑い、暑い」と芸もなく嘆くのではなく、暑さに呆れて笑うしかない振りをして、暑中見舞いで戯れてみようと思う。


🎐 暑中お見舞い申し上げます。夏が好きで好きでたまらない人もいますが、ここ十数年の猛暑に辟易しているのが大方でしょう。
さて、外が暑いからと言って一日中自宅に引きこもるわけにもいきません。幸いにしてわが家からちょっと歩けば、エアコンがよく効いた屋内型のアーケード通りがあり、これが数百メートルほどメトロの隣り駅まで続きます。この駅から弱冷房のメトロに乗れば、これまた灼熱とは無縁のショッピングモールに辿り着きます(しかも複数の施設が選べます)。自宅のエアコンを休ませるために、週末は時々モールに足を運んでいます。

🎐 いかんともしがたい厳しい炎暑の日々、お変わりなくお過ごしのことと……そんなわけないですね。さぞかし変わり果てているだろうと推察申し上げます。
休みは土日だけですが、仕事を辞めて久しいシニア仲間らは毎日が日曜日なので、夏場になるとほとんどの時間をショッピングモールで過ごすらしいです。昼を挟むことが多いので、食事処に行くとのこと。たいていの食事処のテーブルにはQRコードがあって、「アプリをダウンロードして新規登録またはLINEで友達になると、500円クーポンがもらえます」と謳っています。こうして、一度きりしか行かなかった店のアプリがスマホ画面上に溢れるようになります。

🎐 梅雨が明けたのかどうかは知らねども、猛暑の毎日、おバテにならぬようにと心よりお祈り申し上げます。
最近はショッピングモールを避暑地と見なして、わざわざ出掛けます。軽く食事をした後に、食事処以上によく冷房の効いたカフェに寄ります。若者で賑わうSバックスは避けるので、選択肢は多くなく、甘味処で妥協することもあります。
珈琲を飲みながら文庫本を読みます。先週は『カフカ断片集』を携えていました。帯文の「カフカは断片が一番ヤバい!」という一文に食いつき、結局ページを捲らずに「ヤバい」の意味を考えておしまい。ヤバい≒すごい;らしい;おもしろい;不条理;ドキッとする;はまる……
 

ほんの少し春を惜しむ


4月と5月を振り返ってみると、わが居住地ではちょうどよい気温が続き、おおむね快適に過ごした日が多かった。一昨日も昨日も、近年の五月とは違って、微かに記憶に残る昔の春の感じだった。今朝も清々しい空気の中を156分歩いて事務所にやって来たが、部屋に入るとちょっと気配が違う。少なくとも昨日とは違う。もしかして、春との決別の日が近づいているのか……。

東に向いて歩く朝、眩しい陽射しに春を惜しむ。
「今日はアイスコーヒー」と呟いて春を惜しむ。
窓際のガジュマルの剪定をしながら春を惜しむ。

惜春と言ってはみたものの、寂寥感にさいなまれるほど惜しんでいるわけではない。去り行くものすべてに覚えるいくばくかの物思い程度にすぎない。ともあれ、春の名残はなくなり余韻も消えて、まもなく五月が終わろうとしている。五月が終わって六月になっても、ハンカチがフェースタオルに変わる以外、日々のルーチンは大きくは変わらない。

五月が終わる頃、井上陽水の『五月の別れ』の歌詞を思い出す。

風の言葉に諭されながら 別れゆくふたりが五月を歩く
木々の若葉は強がりだから 風の行く流れに逆らうばかり
鐘が鳴り花束が目の前で咲きほこり
残された青空が夢をひとつだけあなたに叶えてくれる

風の言葉に諭されてみたいと思うし、諦め上手にならずに、時には強がりな若葉を見習ってみたい。この少し後に「星の降る暗がりでレタスの芽がめばえて」という一節があり、芽がめばえるなら暗がりもまんざら悪くないと思ったりする。ちなみに、レタス炒飯よりも挽肉のレタス包みのほうが好きだ。

惜春は五月の特権である。四月に春を惜しむのは早すぎる。ところで、四月の歌と言えば? 若い頃によく聴いた英語の“April Love”(四月の恋)が一番に浮かぶ。パット・ブーンのあの透明感のある甘い声が懐かしい。てっきり亡くなっていると思っていたが、ご存命で次の61日に90歳になられる。

古来人々が春を惜しんだのは、梅雨の季節にわくわくしなかったからだろうか。初夏や六月にも風物詩の魅力があるはずなので、待ち遠しくなるような風物詩を発見するか発明したいものである。