暑中見舞いの儀と戯

年賀状じまいが珍しくなくなり、加えて郵便料金が値上がりする。年賀状の儀が廃れそうな今、暑中見舞いの儀が元気であるはずがない。しかし、過酷を極める夏の見舞いという大義名分を立て、かつ儀をほどほどにして「戯」を工夫すれば、目立たぬように生き長らえる可能性はある。

昨日が七夕で、二十四節気の小暑でもある。この日から約1ヵ月間、87日の立秋の頃までに暑中見舞いをするのが通例とされる。暑中見舞いはいただくが、出したことはない。「暑い、暑い」と芸もなく嘆くのではなく、暑さに呆れて笑うしかない振りをして、暑中見舞いで戯れてみようと思う。


🎐 暑中お見舞い申し上げます。夏が好きで好きでたまらない人もいますが、ここ十数年の猛暑に辟易しているのが大方でしょう。
さて、外が暑いからと言って一日中自宅に引きこもるわけにもいきません。幸いにしてわが家からちょっと歩けば、エアコンがよく効いた屋内型のアーケード通りがあり、これが数百メートルほどメトロの隣り駅まで続きます。この駅から弱冷房のメトロに乗れば、これまた灼熱とは無縁のショッピングモールに辿り着きます(しかも複数の施設が選べます)。自宅のエアコンを休ませるために、週末は時々モールに足を運んでいます。

🎐 いかんともしがたい厳しい炎暑の日々、お変わりなくお過ごしのことと……そんなわけないですね。さぞかし変わり果てているだろうと推察申し上げます。
休みは土日だけですが、仕事を辞めて久しいシニア仲間らは毎日が日曜日なので、夏場になるとほとんどの時間をショッピングモールで過ごすらしいです。昼を挟むことが多いので、食事処に行くとのこと。たいていの食事処のテーブルにはQRコードがあって、「アプリをダウンロードして新規登録またはLINEで友達になると、500円クーポンがもらえます」と謳っています。こうして、一度きりしか行かなかった店のアプリがスマホ画面上に溢れるようになります。

🎐 梅雨が明けたのかどうかは知らねども、猛暑の毎日、おバテにならぬようにと心よりお祈り申し上げます。
最近はショッピングモールを避暑地と見なして、わざわざ出掛けます。軽く食事をした後に、食事処以上によく冷房の効いたカフェに寄ります。若者で賑わうSバックスは避けるので、選択肢は多くなく、甘味処で妥協することもあります。
珈琲を飲みながら文庫本を読みます。先週は『カフカ断片集』を携えていました。帯文の「カフカは断片が一番ヤバい!」という一文に食いつき、結局ページを捲らずに「ヤバい」の意味を考えておしまい。ヤバい≒すごい;らしい;おもしろい;不条理;ドキッとする;はまる……
 

ほんの少し春を惜しむ


4月と5月を振り返ってみると、わが居住地ではちょうどよい気温が続き、おおむね快適に過ごした日が多かった。一昨日も昨日も、近年の五月とは違って、微かに記憶に残る昔の春の感じだった。今朝も清々しい空気の中を156分歩いて事務所にやって来たが、部屋に入るとちょっと気配が違う。少なくとも昨日とは違う。もしかして、春との決別の日が近づいているのか……。

東に向いて歩く朝、眩しい陽射しに春を惜しむ。
「今日はアイスコーヒー」と呟いて春を惜しむ。
窓際のガジュマルの剪定をしながら春を惜しむ。

惜春と言ってはみたものの、寂寥感にさいなまれるほど惜しんでいるわけではない。去り行くものすべてに覚えるいくばくかの物思い程度にすぎない。ともあれ、春の名残はなくなり余韻も消えて、まもなく五月が終わろうとしている。五月が終わって六月になっても、ハンカチがフェースタオルに変わる以外、日々のルーチンは大きくは変わらない。

五月が終わる頃、井上陽水の『五月の別れ』の歌詞を思い出す。

風の言葉に諭されながら 別れゆくふたりが五月を歩く
木々の若葉は強がりだから 風の行く流れに逆らうばかり
鐘が鳴り花束が目の前で咲きほこり
残された青空が夢をひとつだけあなたに叶えてくれる

風の言葉に諭されてみたいと思うし、諦め上手にならずに、時には強がりな若葉を見習ってみたい。この少し後に「星の降る暗がりでレタスの芽がめばえて」という一節があり、芽がめばえるなら暗がりもまんざら悪くないと思ったりする。ちなみに、レタス炒飯よりも挽肉のレタス包みのほうが好きだ。

惜春は五月の特権である。四月に春を惜しむのは早すぎる。ところで、四月の歌と言えば? 若い頃によく聴いた英語の“April Love”(四月の恋)が一番に浮かぶ。パット・ブーンのあの透明感のある甘い声が懐かしい。てっきり亡くなっていると思っていたが、ご存命で次の61日に90歳になられる。

古来人々が春を惜しんだのは、梅雨の季節にわくわくしなかったからだろうか。初夏や六月にも風物詩の魅力があるはずなので、待ち遠しくなるような風物詩を発見するか発明したいものである。