近場のそぞろ歩き

ここ10年以上、ゴールデンウィークは遠出していない。メトロとバスを使って半日ほど郊外に出掛ける程度だ。その翌日は、ランチついでに自宅から半時間圏内の街中を当てもなくぶらつく。勝手知ったる場所でもいろいろと発見と再発見がある。昨日がそんな日だった。

土地勘はいい加減なもの。何を以てこの街を知っていると胸を張れるのか。発見と再発見のつど、知識と記憶のいい加減さや曖昧さに気づかされる。見た目よりも、町名や通りや筋の名称に発見が多い。町名はたいてい知っているが、「えっ、ここも〇〇町!?」という、地理上の誤認識はよくある。

大阪市内では原則、東西の道を「通り」、南北の道を「筋」と呼ぶので比較的わかりやすい。しかし、マイナーな通りにも筋にも一応名前が付いているから、サインを見て初めて知る名称も少なくない。三休橋という地名はよく知っているが、北浜から心斎橋あたりまでのよく歩く一本道に三休橋筋という名が付いているのは初めて知った。

スマホで地図をチェックしていたら、紀州街道の文字が出てきた。道修町の少彦名神社近くを走っている。知らなかった。中央区の高麗橋を起点として、船場から日本橋を経て大和川を渡り、和歌山城のある京橋を終点とする街道だ。

歩いたエリアはオフィス街なので、人通りも少なかったしほとんどの店が休業していた。普段なら車も多いのでじっくりと街並みに目配りすることはないが、昨日は店のファサードやしつらえのディテールもよく見えた。今度数カ月ぶりに歩くと、もう何が何だかわからないくらい街角が大化けしているかもしれない。

脳が感じる季節の移ろい

3月中旬が過ぎ下旬に入ってもまだ肌寒い時間帯がある。家を出る時にちょっと寒いなあと感じるくらいが散歩にはちょうどよく、速足で56分歩いているうちに温かくなる。気持ちがいいので、上着を脱いでベンチに腰掛ける。しばらくすると体感温度が下がり始め上着を着直す。こういう動作を繰り返すようになると〈季節時計〉が春の始まりを告げる。

「気温に合わせて着るものを調節しましょう」と気象予報士が言う。しかし、百葉箱の温度計が示す数値とは別の、脳が独自に感応するカレンダーがある。平年よりも暖かいと告げられたサラリーマンが、2月下旬にカッターシャツ一枚で通勤するのはやっぱり異様に見える。何かが変だと感覚が騒ぎ、めまいが起こりそうになる。

気温に合わせてそのつど物理的に衣服を調節するだけではすっきりしない。ぼくたちの脳には暦を言語で分節する季節が刷り込まれているのだ。仮に肌寒い4月の日であっても、わが街では雰囲気も気分もすでに春。冬コートにマフラー、手袋に納得しない自分がいる。気温適応を優先せずに、少々我慢してでも春装束で外出するのが自分に正直ではないか。

逆に、ゴールデンウィークが明けて少々暑くなり始め、気温が25℃を示しても、また世間がクールビズを宣言していたとしても、仕事では春スーツにネクタイがしっくりくる。環境適応だけでは四季の移ろいを感じることはできない。長年脳が記憶してきた二十四節気の顔を立ててこそ歳時記的な暮らし方が楽しめる。


ところで、大阪城の堀端の散歩道から少し逸れた先日、初めて見る光景に出くわした。近づくと碑があり「老人の森」と刻んである。行政から老人扱いされているぼくだが、この表現に季節外れに似た違和感を覚えた。何本も木は植えられている。しかし、どう見ても小さな草むら仕様なのに、なぜ森? おまけに、なぜ老人? 併せて「老人の森」。そのココロは?

「老人の森? さようですか、わたくし、自他ともに認める老人です」とつぶやいて、この森もどきの空間に立ち入ろうとする好奇心は芽生えない。老人と森という、定義不確かな二語が醸し出す不自然なネーミングも落ち着かない。どこの誰が名付けて碑まで建てたのか。碑の裏に回ってみた。社団法人大阪市老人クラブ連合会! 連合会に背筋が寒くなった。

冬ごもらない暮らし

今住んでいる地域は都会度が高いので、手付かずの自然の風景に乏しい。乏しいが「まったくない」わけではない。よく目を凝らせば自然の断片を感じさせるような空間が所々にある。大阪の都心にいると「冷え冷えとして寒い」と嘆くことはめったになく、終日冬ごもることもない。冬ごもらない・・・・・・暮らしができる。

朝、部屋から西の空を眺める。窓越しだから窮屈で見通しにくい四角い視界である。建設ラッシュでタワーマンションが聳え立ち、空は年々狭くなっている。外に出ると視界が少し広がった。雲はマンションのはるか高くにある。その日に限って、流れ行くはずの雲が急いでいないように見えた。こっちの目線に付き合って留まっているようだった。

「雲をとどむ」という表現がある。流れてくる楽曲や歌声があまりにも美しいので、雲が聴き惚れてしまう。流れるのが当たり前の雲がしばしそこに留まるというのだ。雲にドビュッシーの『雲』を聴かせてみれば、はたして留まって耳を傾けるだろうか。


年末に父が他界し、今週末まで喪に服すことにしている。どなた様とも飲み食いはもちろん、雑談程度のお付き合いも控えてきた。かと言って、じっと自宅にこもり続けているわけではない。普通に仕事をしているし、休みの日には冬ごもりなどせずに1万歩、15千歩くらい街歩きをする。

川岸、公園、庭園、プロムナードなどは、一応わずかな自然と調和するように工夫されているように思う。緑の多い中之島公園やバラ園は近いのでよく行く。この時期、バラは一本も植えられていない。養生している芝生が青くなる頃にバラが一斉にここに移植される。バラの華やかな彩りもいいが、それぞれの花の色・形と名前の響きとの似合いをチェックするのもおもしろい。

花を愛でたら幹や枝にも目を配る。通りへ出て造形っぽい街路樹を眺める。何十年も街歩きして見慣れているはずなのに、これまで気づかなかった何かに気づく。と言うわけで、今年の1月、2月は例年に比べて寒いが、なるべく冬ごもらないで外に出る。自宅にいるよりは気づきも発見も多い。

住みやすい街、十人十色

以前、ぼくの居住する大阪市中央区が欧米のある雑誌が企画した「訪れたい街のベスト10」にランクインしたことがある。悪い気はしない。しかし、何の意味もない。総じて言えば、訪れたい街や住みやすい街ランキングほどつまらないものはない。幸福度ランキングもしかり。どこに住みたいか、どこに行きたいか、どの街で幸せを感じるか……そんなことは自分で決めるものだ。

住みやすい街は自分自身の尺度でイメージする以外にない。専門家の評にも一般論にも出番はない。個人の意見あるのみ。その意見と違った意見があって当然である。賛成反対もあっていい。しかし、正しい間違いはない。

ここに書く、ぼくのイメージする住みやすい街は「コンパクトシティ」であり、その街に見合った「コンパクトな暮らし方」を理想としている。行政のそんな街づくり計画が遅々としていて、今のところ満足するレベルではないにしても、一足先に自らそういうスタイルをこつこつと実践していけばいいと思っている。

シティという都市の概念は生活の基本ステージである。暮らしに目を向けずに発展や効率を重視するとシティは消滅する。大阪市をなくして大阪都にするという都構想にぼくが反対した理由である。かつての古代や中世の都市国家がそうであったように、暮らしと発展を両立させるのがシティだ。コンパクトシティは人に寄り添う、高密度で多機能な街のカタチにほかならない。


機動力を失わずにコンパクトに生きるにはモノを持ち過ぎてはいけない。必然、公共的な便宜の充実を求めることになる。商業施設、病院、公園、広場、学校、図書館、美術館、駅、余暇などのサービスに近いのが理想だ。中心街は持続可能な再生と活性化を目指し、生活利便性にすぐれた複合的で多機能的な整備がおこなわれる。

地域が繫栄するからこそのコンパクトシティなのである。リッチでゴージャスな生活の質など求めない。スローフードとスローライフを基本とした質素な質に充足する。時には車に依存することもあるが、車は所有しない。街は車の乗り入れを制限して、通行人とコミュニティで暮らす人々を優先する。場から場へと軽快に動ける生活行動を促す。これらは高齢者が元気に暮らせる条件でもある。自然の風景など街にないものを求めるなら旅をすれば済む。

シティとライフは写像関係にある。コンパクトシティの市民として生きる意識と、コンパクトライフを生活者として送る現実は表裏一体。人生観や生活哲学も一本筋が通る。街を家の周縁としてとらえる生き方である。ぼくの場合、職住が近接し、3路線のメトロ駅まで徒歩5分、たいていのことは徒歩圏内でできる。シニアになってよりいっそうコンパクトシティでの住みやすさがわかるようになった。

日々の街歩き

当世のシニア世代は運動したり、学びに励んだり、芸術文化を楽しんだりと、趣味が多彩になった。『東京フィフティ・アップBOOK』という、東京都が昨年作成した冊子を見ると、趣味は細分化され、ドールハウス、健康麻雀、フラダンス、太極拳、ステンドグラス、チェロ、ピアノなど多岐にわたって紹介されている。

この冊子、これから高齢期を迎える50代・60代向けに、仕事や趣味、社会貢献活動などのライフプランに役立つヒントを網羅している。冊子と言うものの、200ページを越える「大作」だ。活動や目的がある程度はっきりしている趣味が多い。暇つぶしに何となくやっているような趣味では長続きしないのだろうか。

先日ある人とちょっとしたやりとりをした。「生涯で一度も車を所有したことがない。ゴルフもしない。一度マンションを買ったがすでに売却して、今は賃貸暮らし。大金を使ったことがない。以前は絵を描いたり語学を独学したり印を彫ったりしたけれど、今はしていない」とぼくが言ったら、「じゃあ、趣味は何ですか?」と聞かれてちょっと困った。読書や旅行は趣味とは思っていない。食べることへの好奇心は旺盛だが、これもまた趣味ではない。少考した後にこうつぶやいた、「散歩かなあ」。そう、散歩だ。散歩からお気に入りの諸々が派生している。


「お出掛けですか?」
「気まぐれな散歩です」
「どちらまで?」
「さあ……」 

気のない返事で申し訳ないが、明確に説明できたら散歩ではなくなる。健康や体力を意識する歩行動作ではない。山道を歩けばウォーキングとかトレッキングとかハイキングになる。山道は散歩には向かない。散歩に適した道は息を上げてまで頑張らなくてもいい道であって、あてもなくそぞろ歩きできる街中にある。

ぼくにとって散歩は街歩き。歩きながら街角や街並みの様子や雰囲気を窺いながら体感する。ペーパー上で得る知識とは一線を画す身体的体験である。行き先や道順などを特に決めていないから、行き当たりばったりの寄り道にほかならない。不覚にも「あて」が見つかってしまうことが稀にあるが、意に介せずにそこへ向かう。街歩きに想定外はつきものだと割り切っている。

どこの国のか忘れたが、「歩いて渡った者が川を知っている」という諺があった。百聞は一見にしかず、百見しても一触にしかずの意味。つまり、川のことをいくら見聞きしても、自分の足で川の浅瀬を一度歩くのに及ばない。しかし、少しでも歩けば川底の凹凸、水の冷たさを体感する。

散歩もまた、空気や色合いや凹凸に触れて街を探っている。散歩前に散歩の効果を期待するべきではないが、散歩後に勝手についてくるおまけを否定することはない。おまけには健脚、ひらめき、気分転換、新たな発見などがある。机に向かって悶々として得られる成果とはまったく違うおまけだ。散歩好きの古今東西の偉人らも異口同音にそう言っている。

まったくあてもなく川沿いをそぞろ歩きした10年前、「体感記憶」が昨日のことのように甦る(パリ、サンマルタン運河)。

充ち満ちている秋

仕事の合間に、仕事とは無関係に辞書・辞典・事典を時々引っ張り出す。書架一本に百冊ほど収めてある。その書棚には歳時記の類も置いてあって、季節や月の変わり目に金田一春彦の『ことばの歳時記』も拾い読む。愛読し始めてから30年以上経つ。この本には今時の風物の話は出てこない。

1118日の今日のことばは「落花生らっかせい」。南京豆やピーナッツとも呼ばれるが、落花生と言えば殻付きのものを指す。今年は10月中旬から今月上旬までなま落花生をよく見かけたので、そのつど買い求め茹でて食べた。落花生だけではない。豊穣の季節だけに八百屋や果物店には多彩な食材が並ぶ。つい買い過ぎる。

ところで、秋にもの悲しくうら寂しいという印象を抱くのはなぜだろう。冬を控えた晩秋にペーソスを覚えた遠い昔の詩人歌人らがそんなふうに秋を脚色したからだと睨んでいる。もの悲しくてうら寂しい詩や歌が有名になったために、ぼくたちは実際の季節感とは異なるイメージを刷り込まれてしまったのではないか。


年号「令和」の考案者と言われ、万葉集研究で著名な中西進に『美しい日本語の風景』という歳時記的な本がある。その「あき」の章は次の文章で始まる。

「あき」とは、十分満足する意味の「飽き」と同語だと思われる。(……)この季節が収穫の豊かさと直結していることは、いうまでもない。(……)稔りの秋には野山にさまざまな色どりがあふれる。

「飽き」という表現はネガティブに響くが、飽きに至るのは「もう十分に満たされている」からである。豊かさにもほどがあると言いたくなるほど、秋は充ち満ちていて、一年で一番恵まれた季節なのだ。にもかかわらず、「夜寒よさむ」や「夜長よなが」のようなことばが気分を内向きにさせる。空は天高く晴れわたっているというのに。

降りしきる落葉がもの悲しいのではない。枯葉の絨毯がうら寂しいのではない。あくまでも見方、感じ方次第だ。落葉でさえ豊穣である。大量に積もった落葉を踏みしめて散策するたびに、実にいい季節だと思う。いにしえびとは、たき火にしたり発酵させて腐葉土にしたりした。秋の恵みの枯葉にエネルギーを感じ取った。

生落花生を茹でたいた大量の殻は、何の配慮もせずに捨てたが、あれも堆肥や動物の餌としてリサイクルできるらしい。秋が残すもので冬を過ごす。はやりのことばを使えば「SDGs (エスディージーズ)の秋」である。

地名と書名と人名めぐり

オフィスの近くを旧淀川の上流、「大川」が流れている。大川は、大阪湾に向かって出世魚のように堂島川、安治川と名前を変える。大川の左岸に八軒家浜の船着場がある。かつて京都から船で織物や海産物が運ばれてきた。熊野街道はここを起点として南へ走る。八軒屋浜は現在観光用の船着場になっている。船着場の東に天満橋、西に天神橋が架かっている。二つの橋の間は約500メートル。右岸にも左岸にも遊歩道がある。

八軒屋浜の対岸風景。右下に天満橋の一部、左端手前に天神橋が見える。川岸の緑のゾーンは南天満公園を含む遊歩道。

地名は全国区になると固有性を失って一般名詞化してしまう。つまり、場と名が一致する。一方、当該地域以外ではあまり知られていないローカルな地名は依然として固有性を保つ。土地に馴染みがないとローカル地名は文章の中で煩わしく、冒頭の段落で書いたように頻繁に出てくると退屈このうえない。たとえばフランスの片田舎の町や村の名、登場人物がおびただしい西洋小説を読むには覚悟がいる。

不案内な人は天橋と天橋を間違う。橋が現存しているから橋の名ではあるが、いずれも橋周辺に広がる街の呼び名になっている。天神橋は天神橋と変化して一丁目から六丁目まで南北におよそ2キロメートルの地域を形成しているから、行き場所の住所を勘違いすると厄介である。一方、メトロの天満橋駅はJRの天満駅と間違われる。JR天満駅はややこしいことに天神橋筋四丁目に近く、天満橋から歩くと半時間近くもかかってしまう。


仕事が一段落した昨日の昼前、オフィスのある天満橋から(橋を渡らずに)天神橋へ向かい、その橋を渡った。天神橋 渡てんじんばしわたる? まるで演歌歌手のようだ。橋を渡り終えて天神橋筋の商店街に入る。三丁目あたりにひいきにしている天牛書店がある。戦前は日本橋にっぽんばし、戦後はしばらく道頓堀にあった古書店で、当時は織田作之助、折口信夫しのぶ、藤沢桓夫たけおらが足繁く通った。織田作之助の『夫婦善哉』にも登場する老舗だ。

オフィスから歩けば約20分。本の過剰買いをしないように最近は一、二カ月に一度しか来ない。しかし、来れば数冊買ってしまう。店頭に五木寛之と塩野七生の対談本を見つける。何度か読んだガルシア・マルケスの『百年の孤独』の新版を最近買っていたので、その縁で関連書を一冊。さらに一冊、ついでにもう一冊……という具合で、気がつけば諸々もろもろ。書名は本を選ぶ重要な条件の一つ。ところで、初めて塩野の本を手に取った時、七生を「ななみ」と読めなかった。

オフィスへの帰途、大川の北側の右岸を歩いた。桜の名所の散歩道が、季節が変わって葉が色づき始めている。ちらほら落ちている枯葉を見ると「♪枯葉よ~」のあのメロディが自動再生される。日本語の歌詞はうろ覚え、当然フランス語の歌詞も覚えていない。それでも、イブ・モンタンのあの声が聞こえてくるから不思議である。

シンプルな美しさ

美や美意識は十人十色で、あれは好きだがこれは嫌いと言いたい放題するのが許される。それなのに、「美とは何か」と問い、十全十美的な本質を追究しようとする人が絶えないのはなぜ? 仮に美の根源があるにしても、すでに美はそこから多様に派生した姿になっているはず。いや、だからこそ、本質を知りたいのか。

たった一つのユニバーサルな美はありえないから、「美とは何々である」と言い切ることはできない。しかし、レオナルド・ダ・ヴィンチは「簡潔性は究極の洗練」だと確信した。たしかに、一目で読み解けない煩雑さよりはシンプルな見え方のほうに心は動く。但し、こうして天才の言を引用することはできても自論として発展させるとなると凡人には荷が重い。それでも、「美とはシンプルである」とは言えなくても、「シンプルな美」について語ることはできる。

構成する要素が多く――ゆえに情報が増えると――誤認識が生じやすくなる。要素が少ないほうがシンプルに伝わりやすい。大胆に省略しながらも要点を押さえるピクトグラムやアイコンが典型的な例で、ユニバーサルな価値を秘めている。ピクトグラムもアイコンも誤情報を発信することがあるが、簡潔ゆえに習慣化しやすく、一つの意味媒体として定着しやすい。


日本画家の上村松園は能楽の装束の華麗さを「沈んだ美しさ」と言う。沈んでいるというのは抑制であり、簡潔を基調とするの意だと思われる。『簡潔の美』という小文には次のように書かれている。

舞台に用いられる道具、それが船であろうが、輿こし、車であろうが、如何に小さなものでも、至極簡単であって要領を得ています。これは物の簡単さを押詰めて押詰めて行ける所まで押詰めて簡単にしたものですが、それでいて立派に物そのものを活かして、ちゃんと要領を得させています。ここに至れり尽くされた馴致と洗練とがあらわれていると思います。

能楽の話ではあるが、他の芸術や伝統芸能でも、あるいはそこから派生し分化した様々な流派でも同じことが言えそうである。シンプルな美しさ――上村松園の「簡潔の美」――は、散歩中に目を向けた川面に、地に映った樹木の翳に、街中のタワーマンションの直線に現われ、日々の生活の平凡な光景の中でも浮かび上がってくる。

無駄が排除されて簡潔になればわかりやすくなる。わかりやすさは美の感知にとって欠かすことができない。「美しきものはすべてシンプルである」とは決して断言できないが、「シンプルな美しさ」なら身近に感じることができるし、迷ったらひとまずシンプルにしておくというのは一つの知恵になるだろう。

小さな愉しみの繰り返し

一つの大きな愉しみを取るか、複数の小さな愉しみを取るか。食事や集いや旅行ごとに楽しみ方は変わる。仮に旅だとしよう。長い旅程をしっかり組んで数年に一度遠くへ旅行する愉しみがあり、他方、週末の街歩きや、思い立った日に日帰りか一泊で近郊へ出掛ける愉しみがある。

年に何度も一泊や二泊の旅をするくらいなら、数年に一度海外に出て滞在地を一、二カ所に絞って過ごしたいとずっと思っていた。願いが叶って、2004年から2011年の間には、数年に一度どころか、6度もヨーロッパに出掛けた。いずれも約半月の旅である。2011年の旅ではバルセロナのホテルに4連泊、パリに移動してアパートに11連泊した。目論んだ愉しみは「広く浅い観光」ではなく「狭く深い生活」だった。

しかし、この10年、計画した海外への旅はことごとく実現しなかった。旅行予定月に飛び石出張が23件入ると半月の旅程が組めなくなる。そんなケースが何度かあった。また、親族が病気を患ったため仕事以外で長期間留守にしづらくなった。昨年の春はチャンスだったのだが、新型コロナで渡航不可となった。この調子だと来年も難しいかもしれない。


来年を待ちわびても、たとえば腰痛が出ると海外の旅はきつい。残された人生もどんどん短くなっていく。計画や準備という種まきをしても予定通りに刈り取れる保証がない。と言うわけで、今は考え方がだいぶ変わった。ずいぶん先のたった一つの大きな愉しみよりも、〈今・ここ〉の小さな愉しみのカードをいつも手元に置いて小まめに切り出すようになった。

「愉しみ」というのは充足感を味わえることで、そういう機会や対象や場所を自ら進んで求めることだ。それならいくらでもある。近すぎて気づかないだけの話である。当面の愉しみは刹那的かもしれないし、心底求める愉しみの姑息な代案と言えなくもないが、いくつかの小さな愉しみを繰り返しているうちに、近場の街歩きでいろんなものが見えてきた。オフィス街の工事現場沿いの通りもまんざら捨てたものではない。

知らない美術館や古い建造物はいくらでもある。食事処や文具店、雑貨店などは際限がない。同じ場所へ行くにしても、通りや道の組み合わせは何十とある。小さな愉しみは自らが能動的にならなければ味わえないのだと強がってみせる。しかし、年初にパスポートをさらに10年更新したことだし、大きな愉しみのチャンスが巡ってくるのを一応心待ちにはしている。

みずみずしい緑

オフィスに30鉢ほどある観葉植物が気温の上昇と明るい陽射しに反応している。とりわけ窓際のアマゾンオリーブとベンジャミンの新芽と若葉がさわやかだ。

五月下旬から六月中旬のこの季節、梅雨の中休みの頃の緑が特に映える。深い緑、濃い緑、薄い緑、黄緑……よりどりみどり。もちろん、わざわざ選りすぐって見取るには及ばない。散歩していれば勝手に目に入ってくる。

ずいぶん昔、緑色は「あお」と呼ばれていた。青が緑よりも概念上優勢だったのだ。今もなお、緑の信号を青と呼ぶのはその名残である。青のうち、みずみずしい新芽や若葉を特に「みどり」と呼ぶようになって、緑色が常用されるようになった。みどりは「みずみずしい」を語源とするという説もある。


手元にある本には、37色の緑色系の日本の伝統色が紹介されている。そのうちから、萌葱もえぎ色、若緑、青磁せいじ色、青緑の4色を選んで、比較してみた。

色を区別するには色の数だけの名前が必要になる。自然界の中から色を取り出していちいち名付けたに違いない。昆虫や植物採集のようで、並大抵の根気ではない。ところで、すべての色は〈RGB(赤/緑/青)〉の原色でデジタル的に再現できる。

萌葱色 R:10  G:109  B:77
若緑  R:167   G:211  B:152
青磁色 R:104   G:183  B:161
青緑  R:0    G:164  B:141

緑色の系統だから当然G(緑)が強いが、B(青)もかなり強く関わっている。ここにR(赤)が加わって豊富なバリエーションが生まれる。別の伝統色の色見本には82色の緑があり、それぞれに名前が付いている。よくもネタ切れしないものだと感心する。

RGBの数値を小まめに変えて組み合わせれば、緑系統をさらに細かく数百以上再現できるはず。よく似た色が出てくるが、並べて比較してみると肉眼でも十分に差異が認識できる。われらがまなこも大したものだ。この季節、外に出てデリケートな緑を存分に楽しみたい。