句読を切る

もう35年程前の話。夜遅くに電話が鳴った。拙宅であることの確認の後に、神戸市の何とか警察署だと名乗った。いまキム・モンタナというアメリカ人がいる、もめごとがあった、夜も更けたので帰らせるわけにはいかない、聞けばあなたが身元保証人だと言う、それは間違いないか……」というような内容だった。

当時のぼくは勤め人で、海外広報の会社の国際部マネジャーをしていた。英文コピーを書くネイティブライターが数人いて、一応ぼくの部下だった。カリフォルニア州出身のキム・モンタナはその一人である。コワモテだが根はやさしい男で、広告文はあまり上手でなかったが、技術系企業のプロフィールになるといい文章を書いた。身元保証人ではなかったが、そういうことにして、翌日にひとまず解放するようにお願いした。

段落パラグラフのことで議論したことを覚えている。第一段落と第二段落は同じテーマを扱っているから一つの段落にすべきだと指摘したところ、彼は「それだと長すぎる」と言った。いやいや、段落は長いとか短いとかの見た目で決めるものではないと言えば、彼は「ちょっと長いぞと思ったら、息継ぎのつもりで変えればいいのさ。それが段落」とすまし顔をした。


あまりよく知らないことを聞かれると、ネイティブはプライドゆえかつい屁理屈を言うものだ。あの時、ピリオドとコンマはどうなんだ? と追い打ちをかけたら、それも息継ぎだと言ったかもしれない。しかし、後日、広辞苑で句読点(マルとテン)の説明を見て驚いた。「句は文の切れ目、読は文中の切れ目で、読みやすいように息を休める所・・・・・・」と書いてあったのだ。まるでキム・モンタナではないか。

あの「。」と「、」を句読点と呼ぶのを知ってからしばらく、どう考えても句点のほうが「、」で読点が「。」と思えてしかたなかった。文章の句だから途中に「、」を付け、読は読み終わりなので「。」を打つ。そのほうが「らしい」のではないか。ところで、句読点と言えば「付ける」か「打つ」だが、単に句読と言うなら「切る」である。句読を切るという言い方をしてみると、単なる息休めではなく、文に対する何らかの意思を感じる。息苦しくなったから、適当に「、」を打っているのではない。

田辺聖子のエッセイに「話はえんえんと続く、句読点もないままに」というくだりがあった。悪文ほど句読点が少ない傾向があるが、かつての古文などはそんなもの関係なく延々と書き綴ったのである。西洋の哲学者には数ページにわたって段落を変えずに書くスタミナ思考の猛者がいる。切るに切れないほど一本の線でものを考えているに違いない。

特に息苦しくなって息を継ぎたくなったわけではないが、これ以上続けるだけのネタもないので、ここで句点を打つことにする。

まいど! 二字熟語遊び

外出自粛してテレワークを! と言われるが、4月は一日たりとも休まず出社した。宣言に逆らっているわけではない。

理由は三つある。一つ目、幸いなことに間断なく仕事を受注している。二つ目、自宅からオフィスまで徒歩なら10分、自転車だと5分。電車通勤の密と無縁。三つ目、オフィスの仕事インフラに比べて、自宅には廃棄予定のWindows7のノートパソコンとのろまなプリンターのみ。在宅では仕事がままならない。

なお、得意先の発注担当者がテレワークゆえ、仕事がスムーズに運ばない。途切れて隙間の時間が生まれる。そんな時間には本を読んだりブログを書いたりしている。

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【実名と名実】
(例)「実名」とは名のことであるが、「名実」は名と実から出来ている。だから「名実ともに」と言うことが多い。

仮名や偽名と二項対立の関係にあるのが実名。実名が名のことだからと言って、太郎や花子だけでは困る。実際の姓と名でなければならない。なお、「名実ともに」と言う時の名を匿名にすると値打ちがなくなる。

【身分と分身】
(例)社会の約束事に基づいて必要書類を取りまとめてどうにかこうにか「身分」を証明することができた。しかし、各種書類が自分の「分身」だとはとても思えない。

人間は身分や地位が高くなると足元が滑りやすいとタキトゥスが言った。その人間が分身の術を会得したなら、分身の方の身分や地位を低めにして、共倒れにならないように保険をかけておくのがよい。

【線路と路線】
(例)廃線でないかぎり、「線路」があれば「路線」の名前がついているはず。しかし、路線の名があっても、必ずしも線路が通っているとはかぎらない。

わが街ではメトロとバスの路線の重複を是正するために、バスの路線がかなり減らされた。バス路線を減らすのは簡単だ。バスを走らせなければ路線は廃止できる。

【類比と比類】
(例)筆を誤る弘法と木から落ちる猿は「類比」の関係を成すが、弘法大師は「比類」なき固有の存在なのに対して、猿のほうは特にこの猿でなければならないというわけではない。

一方が固有名詞で、他方が普通名詞なので、正確に言うと、ぴったりの類比ではない。「弘法も筆の誤り」に対しては、「忠犬ハチ公も飼い主を忘れる」というレベルの類比にする必要がある。

【空虚と虚空こくう
(例)いずれも何もない状態なのだが、「空虚」は価値や拠り所など心に関わり、「虚空」は物質や空間に関わる。

色も形も何もない空間を想像するのは難しい。しかも、それが久遠くおんに続くとなれば何がなんだかわけがわからなくなる。では、存在する中身や価値なら想像できるのか。こう問われると、それも心もとない。


シリーズ〈二字熟語で遊ぶ〉は二字の漢字「AB」を「BA」としても別の漢字が成立する熟語遊び。大きく意味が変わらない場合もあれば、まったく異なった意味になる場合がある。その類似と差異を例文によってあぶり出して寸評しようという試み。なお、熟語なので固有名詞は除外。

徒然なるままに二字熟語遊び

【出発と発出はっしゅつ
(例)緊急事態宣言が「発出」された。耳慣れない用語だが、これが事案終息への「出発」になることを願う。

『新明解』にも手元の類語辞典にも発出という見出しはない。別の辞書には類語として出発が挙がっているが、「緊急事態宣言を出発」と言い換えるには抵抗がある。よくわからないけれど、発令でもなく命令でもなく発布でもないから、発出なのだろう。

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【作家と家作かさく
(例)ベストセラーで売れっ子になった「作家」には、書けなくなった時に備えて「家作」の一つや二つを所有している人がいるらしい。

家作ということばを知ったのはバンカースに興じた小学校低学年の頃だった。給料を蓄えて土地を買い、その土地に家を建てる。そのマス目に入った他のプレイヤーから家賃をもらう。当時のバンカースはある種の不動産ゲームだった。

【野外と外野】
(例)かつてはすべて「野外」でおこなわれていた野球。今では球場の半数以上が屋内ドームになったから、「外野」の守備に就いても空は見えない。

野外スポーツには自然現象に左右される妙味があった。外野手は風に悩まされながら捕球をするのが当たり前だったのだが、ドーム野球になってからは外野フライ捕球時のスリルが半減した。

【温室と室温】
(例)「温室」の温は、温度の温ではなく、あたたかいを意味する。これに対して、「室温」の温は、あたたかいの温ではなく、温度の省略である。

植物園の「温室」に入ると、真冬なのに大汗をかくことがある。熱帯ゾーンの温室では温度も湿度も年中一定だが、わが家の「室温」は年中変化する。

【陸上と上陸】
(例)「陸上」のある地点から別の地点に移動しても、「上陸」などとは言わない。上陸と言うかぎり、空か海から目指す陸地に到達するのである(参考:「ノルマンディー上陸作戦」)。

陸上の動物の起源は海という説が有力だ。好奇心のある動物が海から上陸して陸上に棲みついた。したがって、正確に言えば、海の動物はまず上陸動物になり、その後定着して陸上動物になったのである。陸上動物になった人間は夏になると海で泳ぎ、疲れたら上陸して陸上動物に戻る。


シリーズ〈二字熟語で遊ぶ〉は二字の漢字「AB」を「BA」としても別の漢字が成立する熟語遊び。大きく意味が変わらない場合もあれば、まったく異なった意味になる場合がある。その類似と差異を例文によってあぶり出して寸評しようという試み。なお、熟語なので固有名詞は除外。

午後二時の二字熟語遊び

どなたとも連絡が取りづらい今日この頃、仕事は間断なく流れてくれない。必然、時間ができる。時間のちょっとした隙間に駄文を綴って息抜きをする。息抜きで書く文章なので押しつけるつもりはない。午後二時にコーヒーを飲みながら……。

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数多あまたと多数】
(例)昔は「引く手『数多』」という言い回しをする年配者もいたが、いかにも古風である。最近の若者は「多数」、多くの、いっぱい、たくさんで済ませる。

『万葉集』に「鷹はしもあまた・・・あれども……」という長歌がある。「鷹にかぎれば多数・・いるが……」と現代語に訳すと雰囲気が出ない。数多をそのまま使って「鷹こそ数多かずおおくいるが……」とするほうがいくぶんこなれるかもしれない。

【色気と気色けしき
(例)「色気」は人の性的魅力に使われるが、「気色」は風景や気配の様子を表す。「気色だつ」とか「気色ばむ」と言ってもなかなか通じなくなった。

気色を「けしき」と読めない人が少なくない。また、「けしきの漢字が間違っていますよ。ではなくですよ。そう、景色」などと節介を焼いて平気である。

【学力と力学】
(例)「学力」は純然たる本人の実力だと思うむきもあるが、オトナ世界ではそこにも「力学」が働くことが稀ではない。

力学には様々な変種がある。学閥と派閥、贔屓、脅しや威喝……。最近とみに注目されるようになった忖度も力学の一つと見なされる。

【実現と現実】
(例)夢が「実現」することはめったにないが、「現実」だと信じていたことが夢まぼろしだと気づくことはよくある。

現実とは何かを考える上で、対義語である「理想」「虚構」「架空」の理解は絶対である。人は、理想や虚構や架空ではない現実に直面する。そして、気に入らなければ現実逃避する。しかし、実現は動的な変化を示す。誰もが実現機会に恵まれるとはかぎらない。

【取引と引取】
(例)荷物などの「引取」の代理をしてくれるという条件付きで、御社との「取引」を前向きに検討したい。

うまく行かない取引もあるが、本来は利益を生むための積極的な手段である。他方、引取はややネガティブだ。要らなくなったものや厄介なものなら、下取とほぼ同じ意味になる。しつこい人なら、早々にお引取いただきたくなる。


シリーズ〈二字熟語で遊ぶ〉は二字の漢字「AB」を「BA」としても別の漢字が成立する熟語遊び。大きく意味が変わらない場合もあれば、まったく異なった意味になる場合がある。その類似と差異を例文によってあぶり出して寸評しようという試み。なお、熟語なので固有名詞は除外。

表現のトッピング

本業として企画を生業なりわいとしている。企画は料理に似ているとつくづく思う。シェフや板前は料理の名称、素材、体裁、レシピを調理に先立って考える。その「設計図」を一皿に仕上げる。企画もそうだが、料理も「初めにコンセプトありき」。

いま作っている料理が何だかわからないなどということはありえない。中華料理人が酢豚か青椒肉絲かわからぬまま調理しているはずはないのである。昨日仕上げた企画のコンセプトづくりで四苦八苦したが、少なくとも何を創案してまとめようとしていたかはわかっていた。


想定した出来上がりの一皿を巧みに表現するのか、それともレシピづくりの時点で表現を捻り出して料理に反映するのか……。食される前に差異化しようとすれば、どうしても表現に頼らざるをえない。凝り始めると表現がどんどんトッピングされて、料理の名称は長くなる。フランス料理などはその典型だ。

昔は「親子丼」と言えば済んだ。しかし、独自性を出そうとすればそれでは足りない。素材の産地や品種による特徴づくりが欠かせなくなる。「〇〇産の地玉子を使った△△鶏のもも肉と魚沼産こしひかりの親子丼」という具合になる。必要ならネギの名称も詳しく。

ある日のビストロの料理名。

「琵琶湖のマガモの胸肉のロースト、シャンピニオンとアスパラガスのソテー添え、黒トリュフの赤ワインソース……」。

長い、長すぎる。しかし、その気になれば、もっと表現をトッピングできる。こんな具合に。

「琵琶湖のマガモの胸肉のロースト、フランス産シャンピニオンと北海道の朝摘みアスパラガスの青森県産ガーリックソテー添え、イタリア・ピエモンテ州の黒トリュフの赤ワインソース……」。

残念なことに、大仰な料理名に感動して食べ始めても、舌のほうが表現に見合った味を峻別するわけではない。

とまらない二字熟語遊び

数年前に『二字熟語で遊ぶ』を書いた。いくらでも思いつくので、その後に『続・二字熟語で遊ぶ』『二字熟語遊び、再び』を続けた。

今月に入って久しぶりに再開した。『久々の二字熟語遊び』『もっと二字熟語遊び』『今日も二字熟語遊び』と書いて、二字熟語で遊ぶのはさほど難しくないが、タイトルのほうが悩ましいことに気づいた。かっぱえびせんを食べながら書いた前回が『やめられない二字熟語遊び』。自然な流れとして、今回は『とまらない二字熟語遊び』になった。次のタイトルをどうするかは4月に入ってから考えることにする。

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【川柳と柳川】
(例)その日は「川柳」の会でどう足掻いてもいい句ができなかった。小腹も減ったので熱燗で「柳川」を食って帰った。

柳川を食ったと言っても、人を食ったのではない。泥鰌どぜうの柳川鍋を食ったのである。柳川の食材は泥鰌に限らない。ゴボウと煮て卵とじにすれば、穴子でもシラスでも柳川風になる。鰻の頭なら半助だ。

【万一と一万】
(例)財布の中に数千円はあるのだけど、「万一」足りなかったら恥なので、悪いけど「一万」ほど貸してくれないか?

万一というのは、文字通り「万に一つ」であり、ほぼありえない時に使う。ほぼありえない場合に備えて貸してほしいとは……。しかも、万一の備えが一万なら、それこそ恥だ。「万一のいざという時のために100万ほど用意しておこう」なら釣り合いが取れる。

【過大と大過】
(例)「大過」なく定年まで勤めることができました。胸を張るような功績がないにもかかわらず、「過大」な評価をいただいたことに感謝申し上げます。

最近の若者は「過分なお言葉」などという表現を使って謙遜するのだろうか。過大評価されると申し訳なく思い、過小評価されては不満を漏らすのが人の常。過大と過小の差はかなり隔たっているが、両者の分け目は微妙である。

【出演と演出】
(例)あのドラマに「出演」していたキャストに一流はほとんどいなかったが、すぐれた「演出」のお陰で一流の作品に仕上がった。

一流か二流かはともかく、出演者がいなければドラマは成立しない。しかし、ドキュメンタリーにとって人間は不要不急である。構成・語り・音楽などの演出だけでいい番組ができる。

【間食と食間】
(例)その昔、うちの婆さんは3時のおやつを「間食」しながら薬を飲んでいたよ。そういう薬の飲み方が「食間」だと思っていたらしい。

ランチと夕食の間に間食してしまうと、食間の薬を飲むタイミングを逸してしまう。そもそも食間というのは曖昧に過ぎる。食前も食後もある意味で食間なのだから。食間を食事と食事のちょうど真ん中などと馬鹿正直に考えると、夕食と朝食の食間は深夜1時になりかねない。そうではない。食後23時間かそこらで胃が空っぽになるから、夕食後の食間の薬は10時頃に飲めばいいのである。


シリーズ〈二字熟語で遊ぶ〉は、二字の漢字「AB」を「BA」としても別の漢字が成立する熟語遊び。大きく意味が変わらない場合もあれば、まったく異なった意味になる場合がある。その差異を例文によってあぶり出して寸評しようという試み。なお、熟語なので固有名詞は除外。

やめられない二字熟語遊び

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【大盛と盛大】
(例)自分へのご褒美にカツカレーを200円アップの「大盛」にして「盛大」なランチを楽しんだ。

大盛カツカレーごときでランチは盛大にならない。
「盛大な打ち上げをします」と誘われて宴会に行ったが、品数が少なく、大皿に盛りに盛った料理ばかりでがっかりしたことがある。大盛は量的な表現であり、盛大には質的な要素が求められる。

【写実と実写】
(例)対象をあたかも実物のように描くのが「写実」。他方、対象そのものをありのままに記録したり再現したりすれば「実写」になる。

人物を写実的に描いていた19世紀前半、写真という実写の技術が生まれた。実写できるなら写実に出番はない。と言うわけで、人物画は写実主義から印象主義に移ったという背景がある。なお、写実が滅んだわけではない。今も〈スーパーリアリズム〉が頑張っている。

【行水と水行すいぎょう
(例)たらいに半分程のささやかな湯や水の「行水」は夏の風物詩。他方、大量の凍るような水で身を清めんとして我慢するのが真冬の「水行」。

家風呂のなかった時代、毎晩銭湯に行くわけにもいかず、行水で済ますことがあった。今や自宅には風呂がある。面倒な時はシャワーを浴びる。真冬でも水シャワーにして水行の真似をするようになって十数年、風邪を引かなくなった。因果関係は不明である。

【移転と転移】
(例)腫瘍細胞が
原発のXの場所と違うY「転移」していることがわかり、近所の乙病院から遠方の甲病院に「移転」することになった。

Yに転移してもXの病変が消えたわけではない。しかし、市役所に転出願いを出して移転したら、現住所が変わる。新旧の両方の住所を二重登録できないのである。

【中心と心中】
(例)近松門左衛門の『曾根崎心中』で「心中」を遂げたお初と徳兵衛は、言うまでもなく、作品の「中心」人物であった。

舞台は元禄時代、現在の大阪の中心地、梅田。露天神社の森での情死である。お初の名を取って、今ではお初神社と呼ばれる。当時の大坂・・の中心は船場。露店神社の森は街はずれだった。


シリーズ〈二字熟語で遊ぶ〉は、二字の漢字「AB」を「BA」としても別の漢字が成立する熟語遊び。大きく意味が変わらない場合もあれば、まったく異なった意味になる場合がある。その差異を例文によってあぶり出して寸評しようという試み。なお、熟語なので固有名詞は除外。

今日も二字熟語で遊ぶ

シリーズ〈二字熟語で遊ぶ〉は、二字の漢字「AB」を「BA」としても別の漢字が成立する熟語遊び。大きく意味が変わらない場合もあれば、まったく異なった意味になる場合がある。その差異を例文によってあぶり出して寸評しようという試み。なお、熟語なので固有名詞は除外。

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石庭せきてい庭石にわいし
(例)「庭石」と呼ばれても、必ずしも庭に置かれているわけではない。他方、「石庭」に石は欠かせない。石の配置なくしてはていを成さない。

枯山水の石庭は庭なのに、そこに庭木はなく、石と岩と砂で造園されている。石庭からは禅を連想する。庭石と言えば、父がどこかの川岸から持ち帰った一塊を思い出す。置き場に困って、実家の玄関前に今もある。

【栄光と光栄】
(例)幸いにして、決勝戦で勝利の「栄光」に輝けたことをとても「光栄」に存じます。

栄光も光栄もほとんど同じ意味じゃないかと指摘する人がいる。そうではない。他の表現との相性があるのだ。栄光の誉れとは言うが、光栄の誉れとは言わない。光栄の極みか光栄の至りである。栄光の架け橋はあるが、光栄の架け橋はない。「栄光に存じます」はなく、「存じます」と言うなら光栄だ。栄光には他者が関わるが、光栄は自分がそう思っているだけである。

【部局と局部】
(例)以前、ある「部局」のお偉いさんが、女子寮の前で「局部」を露出して逮捕された事件があったね。あれ、どこの省庁だったっけ?

局部とは全体の中の一部を示す、何の変哲もないことばだが、部局長クラスを登場させた瞬間、それはもう特別な“陰の部分”を意味するようになる。陰の部分とは、そう、あの部分である。

色男いろおとこ男色だんしょく
(例)ルネサンス時代の画家たち。ラファエロ・サンティは「色男」で、よくモテた。一方、レオナルド・ダ・ヴィンチも美男子だったが、「男色」の人であった。

今ならイケメンと呼ぶ男性を、昭和の年配者らは色男と言っていた。色男必ずしも男色ではないが、ギリシア時代は男色が当たり前で、特に少年愛に溺れた男どもが多かった。ソ、ソ、ソクラテスもプラトンもそうだったらしい。少年への精神愛は“プラトニック”。これはプラトン由来である。

【蜂蜜と蜜蜂】
(例)「蜂蜜」は英語で”honeyハニー“。逆さ読みしてニーハとしても「蜜蜂」に変化しない。蜜蜂は”beeビー“だから。

日本語(と言うか、漢字)は、こうして二字熟語の遊びができるように、同じ漢字を使って「作られるもの」と「作る側」を表現できる。【牛乳と乳牛】もしかり。

もっと二字熟語遊び

シリーズ〈二字熟語で遊ぶ〉は、二字の漢字「AB」を「BA」としても別の漢字が成立する熟語遊び。大きく意味が変わらない場合もあれば、まったく異なった意味になる場合がある。その差異を例文によってあぶり出して寸評しようという試み。なお、熟語なので固有名詞は除外。

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【内室と室内】
(例)他人様ひとさまの「内室」についてとやかく言う立場ではないが、ずっと「室内」で過ごされているとしたらお気の毒だ。

内室と言うと、大きな屋敷内のずっとずっと奥の方の部屋を想像してしまう。かつての奥方はあまり外へ出ずに引きこもっていたのだろうか。室内というのは妙な空間で、ずっといるとストレスがたまるが、ほどよい時間ならとても居心地がよい。

【品名と名品】
(例)日本刀と言ってしまうと単なる「品名」になるが、正宗と呼んだ瞬間、「名品」の誉れ高いブランドに変わる。

「ピカソの絵画」ではなく、「ピカソの『ゲルニカ』」と言えば、モノがアートに昇華する。普通名詞の品名では、それが何であるかを特定できない。固有名詞の名品だからこそ他とは違うアイデンティティがはっきりする。

【席次と次席】
(例)学校時代の「席次」はずっと首席だったが、社会に出てからは職場でも儀式でも「次席」にすら就いたことがないんだよ。

このようなキャリアを辿った知人がいた。小学校入学から東京大学法学部を首席卒業し大手銀行で課長に昇進するまで、誰の後塵も拝したことのない超エリートだった。しかし、四十過ぎを境にして坂を転がり始めた。
ぼくらの世代の高校時代、学年席次の上位50人が貼り出されたものである。500人中の50番だから優秀なのだが、50番だといじられることもあった。

【数字と字数】
(例)パスワード設定にあたっては、アルファベットと「数字」で8桁以上の「字数」にしてください。

銀行のATMの暗証番号は今も数字4桁で、脆弱ながらも覚えやすくて便利だ。アルファベットと数字を組み合わせて、ID15字、パスワードが12字で入るアプリを使っているが、いつも手帳に挟んだメモをカンニングしている。

【太極と極太ごくぶと
(例)「太極」拳の教室の申込用紙の横に置いてあったサインペンは「極太」で、とても書きにくかった。

太極とは、その字の通り「太い極」で、あらゆるものの存在の根元のこと。握りもペン先も極太の筆記具はコントロールしがたく、画数の多い漢字だと線が重なって文字が判読しづらくなる。

久々の二字熟語遊び

シリーズ〈二字熟語で遊ぶ〉は、二字の漢字「AB」を「BA」としても別の漢字が成立する熟語遊び。大きく意味が変わらない場合もあれば、まったく異なった意味になる場合がある。その差異を例文によってあぶり出して寸評しようという試み。

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『二字熟語で遊ぶ』『続・二字熟語を遊ぶ』『二字熟語を遊ぶ、再び』と題して掲載したが、在庫が増えてきたので、久々に復活しようと思う。

【野分と分野】
(例)その昔、台風は「野分」(のわき/のわけ)と呼ばれていた。現在の気象予報の「分野」では台風と言っている。

野分は強風が野の草を吹き分ける様子を見事に描写している。ところで、台風を野分1号、野分2号などと告げたら、のんびりしてしまって、まったく危機感を感じなくなるだろう。

【日当と当日】
(例)出張に伴う費用は「日当」で計算しますが、そのつど「当日」払いはしません(経理担当)。

サラリーマン時代、出張が一週間にわたっても費用を立て替えるのが常で、精算は後日になることが多かった。申請漏れすると自腹を切ることになる。日当は前もって仮払してもらうにかぎる。

【名人と人名】
(例)世界「人名」辞典をひも解いても、必ずしもわが国の「名人」の名が見出し語で出てくるとはかぎらない。

世界を対象にした人名辞典にわが国の将棋や囲碁の名人も宮大工の名人棟梁も見当たらないが、水タバコ長時間喫煙記録保持者のトルコ人は収録されるかもしれない。それが名人に値する功績かどうかはともかく。

【球速と速球】
(例)「速球」を投げ込んだつもりだったが、軽々とレフトスタンドに運ばれてしまった。思ったほど「球速」が出ていなかったようだ。

速球にもいろいろな球速がある。剛速球の投手は150km以上出すだろうが、120kmの速球でのらりくらりという技巧派もいる。急がば回れなどと言うが、一般的には速いほうが遅いよりも褒められる。

【高座と座高】
(例)おれを見て観客が「座高」が高いと言ったけれど、「高座」に座れば誰だって座高が高く見えるのだ。

高座で噺家が一席披露している位置は、想像以上に高いのである。前列に陣取ると、まるで1階から2階を見上げるような感じになる。大袈裟ではない、実際に寄席へ足を運んでみればわかる。