語句の断章(76)「動詞」

動詞は活用で分類できる。また、種別で見ると自動詞、他動詞、可能動詞、補助動詞などと分けられる。

このような文法的な知識が優勢になると、動詞は味気ない品詞になる。対して、日々の自らのおこない、取り巻く場の様子と変わりようなどを素朴な自然体で見ると、生活の中で生き生きとしている動詞が浮き上がってくる。

〈例文〉
6時半に起きる・・・。起きることを前提にして前夜に寝る・・、そして眠る・・。起きて空腹を覚える・・・と、朝食を食べる・・・。その前にトイレに行く・・、身体を動かす・・・、顔を洗う・・などの動作がある・・かもしれない。そして家を出る・・歩く・・、電車の中で立つ・・。喫茶店に入る・・座る・・、コーヒーを飲む・・。あるいは、働く・・、誰かに会う・・、弁当を買う・・……こうして半日が過ぎる・・・。過ぎ方は日によって異なる・・・

動詞の大半が人の動作を表す。上記の例文中の、起きる、寝る、眠る、食べる、行く、動かす、洗う、出る、歩く、立つ、入る、座る、飲む、働く、会う、買うが「動作」の動詞である。思いつくまま挙げると、話す、回す、開く、閉じる、運ぶ、着る、脱ぐ、駆ける、描く、取る、叩くなどいろいろある。動作の動詞は枚挙にいとまがない。

上記例文の20の動詞のうち、動作とは別の性質を持つ動詞が4つある。覚える、ある、過ぎる、異なるの4つだ。覚えると異なるは「状態」を表す。見える、感じる、聞こえる、違う、優るなどがこのグループに入る。あるは「存在」を表す(いるも存在)。過ぎるは「作用」を表す。燃える、流れる、落ちる、効く、揺れる、弾むなども何かの結果で作用する動詞である。

人は動詞とともに生きている。いや、動詞的に生きている。人が生きているかぎり、人は動いている。人が動作するとそこから別の作用が生まれる。ボールを壁に投げれば跳ね返ってくるように。動いている人は存在しているし、存在している人は、目立って動いていなくても、何らかの状態にあって感覚し分別している。

名詞や形容詞は人の個性を色付けするが、動詞は分け隔てなくどんな人にも当てはまる。

語句の断章(75)「見立て」

15年前のこと。当社のスタッフだったアメリカ人アルフレッド・ハフトの名をインターネットで見つけた。世界を視野に入れれば同姓同名の男性はいくらでもいるはず。しかし、さほど時間を要さずに、彼が大英博物館の日本担当学芸員であることを突き止めた。当社に勤務していたのは30年近く前だが、写真を見てすぐにわかったのである。

彼の著書に“Aesthetic Strategies of the Floating World”(「浮世の美的戦略」)という本がある。その副題がMitate, Yatsushi, and Fūryū in Early Modern Japanese Popular Culture”。研究テーマが「見立て、やつし、風流」だと知って彼らしいと思った。当社を離れてから、学者を目指して見立てを研究していたことに驚いた。

見立てとは判断や鑑定の意である。「そのネクタイ、センスがいいですね。ご自分で買われたのですか?」「いえいえ、妻の見立てですよ」というふうに使う。医者の見立てと言えば診断のことになる。

見立ては多義語で、「なぞらえる、仮定する、見なす」という意味もある。白洲しらすに岩を置いて島に見立てれば風流な趣の庭になる。一見無関係な2つの対象を並置すると、機知に富んだ新しい意味が生まれやすい。射撃訓練で実際の人を撃つわけにはいかない。そこで、立ち木を人に見立てるのである。

見立ての身近な例に盆景がある。凝り性の父は正月が近づいてくると盆の上に土、砂、石、苔、小さな盆栽を使って、風景や山水、庭園を写実的に縮小して創作していた。「Aを無関係なBになぞらえる」のは西洋のアナロジー(類比)に似ている。観察眼と遊び心に裏打ちされてこその見立てである。

映画で英語を勉強した頃

移転に向けてまだまだ断捨離が続く。パソコン時代のはるか前に手書きで綴った文章の量がおびただしい。ワープロ時代に入ってからもいろいろ書いたが、書いたことを忘れてしまっている。この先しばらく、そんな再発見の雑文に筆を入れて本ブログに転載しようと思う。


“Love Story”(邦題『ある愛のうた』)の中で使われた一つの単語を巡って19903月に書いた小文がある。

「ケア(care)」ということばはすっかり日本語として定着した。たとえば、「ケア・サービス」と言えば、英語を知らない人でも介護や家事サービスのことだとわかる。

日本語に外来語が増えつつあることには寛容だが、ある言語から別の言語に単語を移行する場合に、どうしても元のことばの厚みが削ぎ落とされてしまう。英語のcareには、①心配、気苦労、②世話、看護、保護、③注意、心遣い、④一時預かり、保管、⑤関心事、注意すべきこと、などの意味がある。

映画“Love Story”の中で使われた何気ない“I care.”という表現が印象に残っている。日本語の字幕は「愛してるわ」だった。「愛してる」は、日本人の愛情表現としては馴染みにくい。そもそも“love”が「愛している」で言い得ているとも思えない。さて、この映画では、ピアニストを目指すインテリな女性ジェニーと大富豪の御曹司オリバーが出会う。

貧しい移民の娘ジェニーは身分の違いを気にしてオリバーの誘いを警戒する。オリバーはジェニーに“You don’t care me!”(ぼくのこと、愛してないんだ!)と叫ぶ。世話、看護、保護というケア(care)が、この映画の一場面で使われると愛情表現寄りになる。英語圏の人たちは“I love you”を連発すると思いがちだが、“I care you”は親近感もあり頻度も高い。

日本語の「世話、看護、保護」という意味のケアと、愛していると翻訳される“love”の間に接点は見い出しにくい。前者は物質的現象と捉えられやすく、後者は多くの場合、男女間の恋愛感情と限定されがちだ。この映画の“care”には何かを大切に思う、押し付けがましくない優しさが感じられる。ケア・サービスという日本語もそんなニュアンスを漂わせるようになるはずである。

語句の断章(74)手ぐすね引く

「手ぐすね引く」という慣用句はよく知られている。「十分な用意をして機会が来るのを待ち受ける」という意味も何となくわかるし、時々使うこともある。そのくせに、手ぐすねの「くすね」のことはよく知らない。

弓の使い手が手ぐすね引く様子など実際に見ることはめったにない。そこでAI“Google Gemini”に指示してモノクロのイラストを描いてもらうことにした。何度も指示を変えて出来上がったのが下図である。


弓と矢じりの少し下が交叉するところを左手で摑み、右手でおそらく「くすね」を弦に塗っているらしい。「らしい」とは変だが、そういうシーンを描いてほしいと指示したから、おそらくそうなのだろう。

くすねとは漢字で「薬煉」と書く。松脂まつやにを油で煮てった粘着剤だ。これを手に取って弓の弦に塗って弦を補強するのである。このことを「手ぐすね引く」と言い、十分な準備をして待つという意味になる。

AIのお陰で、時は戦国時代の差し迫る合戦を控えた場面、用意周到な態勢で敵を待ち構える鎧武者を浮かべることができる。「手ぐすね」というものがあるのではなかった。また、「手ぐすね引く」の引くは弓を引く動作のことではなかった。「手でくすねを塗る」ことだった。引くとは塗るの意なのである。

こういう背景を知ってしまうと、「手ぐすね引く」という慣用句を使おうとしても慎重にならざるをえない。実感がないし、別の代替表現でも何とかなるからだ。たとえば「包丁をよく研いで食材を待つ。これなら体験があって実感が湧く。実感とことばがつながっている。

読書中に意識が漢字に向く

何が書いてあるか、その中身を理解しようとして本を読む。そういうふうに読み進めていくものの、ある時点で意識が漢字のほうに向き始める。中身そっちのけで、漢字の読みや意味や書けるかどうかを気にしている。漢文の本を読まされているような感じだ。そんな本は例外なのだが、たまに出くわす。


『悪の引用句辞典』(鹿島茂)がそんな本だった。最初は2013年に読んでメモも取っていた。本の内容の引用よりも漢字の抜き書きのほうが圧倒的に多い。

ほとんどの熟語の意味がわかるか類推できる。そして読めるが、いざとなると書けそうにない。別に書けなくても困らないが、何度も出合った漢字なのにこの歳になってまだ手書きできないのは少々悔しい。

軋轢 「あつれき」と読めるし意味もわかっているが、よく見たら「轢」のつくりが思っているのとは違っていた。

髣髴 前後関係から「ほうふつ」と思ったが、よく知っている「彷彿」ではない。実は、同じ読みで同じ意味。それなら彷彿でいいのではないか。

揶揄 「やゆ」と読めるし漢字も意味も知っているが、いつも「揄」の前に一呼吸して思い出さねばならない。

改竄 新聞では「改ざん」と書かれるので、いつまでたっても「竄」が覚えられない。つまり漢字の「ねずみ」が書けないということだ。

桎梏 以前覚えたので「しっこく」と読めるが、使うことがないので「手かせ足かせ」という意味がおぼろげになっている。しかも「梏」のつくりが「告」ではない。

旱魃 「かんばつ」と読めるし話しことばでは使うが、書くことはない。ゆえに「見てわかるが、書くのに苦労する」典型。

以下足早に。

拳々服膺 「けんけんふくよう」。心に銘記して忘れないこと。覚えようとは思わない。
宿痾 「しゅくあ」。長患いの病気や持病。使えたとしてもほとんどの人に通じない。
難詰 「なんきつ」。非難のこと。覚えやすいが、はたしてこの熟語に出番はあるか。
放擲 「ほうてき」。捨てること。擲が読めない、書けない。
贅沢 「ぜいたく」。頻出語なので読める人は多いが、贅の字の左上がややこしい。
一瀉千里 「いっしゃせんり」。物事が一気に進むこと。瀉は下痢の薬で見た記憶がある。
顰蹙 「ひんしゅく」。難解な字なのに認識はできる。しかし覚える気が起こらない。


これほどいちいち漢字に引っ掛かった本は珍しい。とは言え、本書はおもしろかったので、その後も何度か読み返した。そうしているうちに、副反応を起こした漢字にもなじんで違和感もだいぶましになった。

語句の断章(73)版

20代後半に転職して広告・販促関係の仕事に就いた。最初は印刷会社が使う専門用語に戸惑った。自分が書いた文章にデザイン要素がレイアウトされて「版下」ができる。その版下が何のことかわからなかった。

版下とは写真製版用の原稿のことで、それを撮影して印刷の原板が作られる。先に用語が入ってくるから戸惑う。印刷会社の現場を見て説明を受ければさほど難しくない。なお、写真がなかった時代は絵を描き文字を書いた紙を反転して版木に貼り付けていたから、今に比べると手間がかかっている。

版と言えば版元、大河ドラマ『べらぼう』の蔦屋重三郎を連想する。あの作品は江戸時代中後期の出版社の仕事と時々の社会風俗を描いている。当時の版とは文字を書いたり絵を描いたりする板のことで、それに紙を合わせて刷った。

売れる本は同じ版を使って印刷部数を増やす。これを「版を重ねる」などという。重版出来も最初は読めなかった。「じゅうはんしゅったい」と読む。

本の奥付には「初版発行(第一刷発行)」や「第15刷発行」と記されており、辞書などは表紙にも「第五版」などと書かれている。英語ではversionバージョンeditionエディションという用語が版のことを指す。

印刷や版画では技法のことを版という。おなじみの凸版、凹版、平版、木版、活版などが代表的。数年前にインクや紙の展示会に行った際に、印刷会社のショップカードをもらった。活版印刷された厚紙だ。凹凸感と質感の手触りが何とも言えず、今も捨てずに取ってある。活字だから活版、文字を使わず絵柄だけでも活版。紙の上で活きている。

AIの認識/判別能力を試す

高度で非日常的なAIの能力ではなく、AIの身近な基本的能力――たとえば翻訳・認識・情報などの能力――を遊び半分で試すことがある。きっかけは数年前のテレビコマーシャル。“Open House”を「オープンハウス」と英語読みせずに、「オペンホウセ」とローマ字で音声入力したらAI“Open House”と文字化してみせたシーンが印象に残っている。

上記の例に倣ってLouis Vuittonルイヴィトンも「ロウイスヴイトン」と音声入力したら正しく認識した。ならばとばかりに、次に「ベアウジョライス ノウヴェアウ」と(音声ではなく)カタカナで入力してみた。はたしてAIはこのカタカナを認識して、それが何かを類推できたか? AIは次のように答えた。

「フランスのワインである“Beaujolais Nouveau”ージョレ・ヌーヴォー)を指していると思われる」

「産地がブルゴーニュ地方南部のボージョレ地区」という基本概要の紹介は当然として、さらに、「カタカナで表わすと、ボージョレ・ヌーヴォー、ボジョレー・ヌーボー、ボジョレ・ヌ―ヴォなどの様々な『表記の揺れ』がある」とかなり親切な説明まで加えた。

先日、御堂筋の本町駅近くにある、浄土真宗本願寺派の施設「北御堂ミュージアム」を見学していた。大きな年表展示の方にいた男性が、突然、「親鸞聖人と蓮如上人、どっちが偉いか?」とスマホに向かって喋った。

親鸞聖人
蓮如上人

「この近くで、ランチタイムに焼肉が食べられるおすすめの店は?」というような問いに対してはAIは即答する。しかし、2人の歴史的人物の偉さの比較は得意ではない。いや、この種の問に対しては無難に「どちらにもそれぞれ固有の偉さがある」などと模範解答で返すのが常である。スマホに尋ねたあの男性、期待する答えは得られなかったに違いない。

語句の断章(72)役不足

役不足の意味を「自分の能力に対して役目が重すぎる」と思っている人が半数以上いる(文化庁の調査)。今も「本日、司会を仰せつかりました○○でございます。役不足を承知の上で精一杯務めさせていただきます」などと使い方を誤るシーンに時々出くわす。

役不足は「割り当てられた役目が軽すぎる」という意味。ところが、上記の司会担当者は、自分の能力不足を謙遜するような言い方をしている。用例を挙げて正誤を示せば、「役不足ながら与えられた任を全うします」は誤った使い方、「もう少し実力に見合ったポジションに就きたい。この仕事は役不足だと彼は不満を口にした」は正しい使い方である。

役不足と力不足を対義語の関係として覚えておけば、混乱することなく使い分けできると思われる。

演出家 「今度の作品ね、ベテランの君には役不足で申し訳ないけど、通行人をやってくれないか?」
俳優 「通行人はやったことがないんですよ。役不足? とんでもない。ぼくにできるかなあ……力不足だと思いますが、それでよければ」

言いにくいことをズバッと言った演出家に対して、オトナの対応をした俳優。このシーンが脚本になればおもしろいし、役不足と力不足の意味もしっかり理解できるはず。役不足と言うだけあって、元は俳優や役者が役柄・役割に不満を持つことが由来だ。

高学歴にして面接でも好印象、入社試験の結果も上々だったので採用決定。しかし、しばらくして力不足が露呈した。「あの人、ほんとにトーダイ卒?」と配属先の誰もが首を傾げた。しかし、採用された彼以上に力不足とされたのが人事部長だった。人事部長は常々「オレは営業部長向き。人事部長なんて役不足だ」と言っていた。

水もしたたる二字熟語遊び

 上水 じょうすい 水上 すいじょう

(例)「上水は上クラスのきれいな飲料水だが、水上は上クラスの飲料水のことではない。

上水は上水道の略で、くだを通して届けられる飲料用の水。対義語は「汚水」である。上水と言えば玉川上水を連想し、玉川上水と言えば太宰治を連想する。1948年、太宰は愛人と玉川上水で入水じゅすいした。このことを知ってから上水のイメージが悪くなった。
水上は水の上ではなく、水面に近い水中を意味する。水上を「みずがみ」と読む医者にかかったことがある。また、「みなかみ」と読むと
川の源流の古風な表現になる。

 水分 すいぶん 分水 ぶんすい

(例)「果物の大半はかなりの量の水分を含んでいる。多いからと言って、ジュース用と他の用途に分けても分水とは言わない。

今時の料理評論家は「水分を含んでいる」と普通におっしゃるが、昔は「水気みずけが多い」と言ったものだ。水気は水分量の多さを示すことばであり、水っぽいや水くさいなどのように「まずい」という意味ではない。
分水から派生した分水嶺ぶんすいれいは文学やエッセイのタイトルにもなる粋な表現。雨水が異なる川に流れていく山の尾根の境界のことをそう呼ぶ。

分水嶺

 水深 すいしん 深水 しんすい

(例)「水深200メートル以上の所に棲息するのが深海魚。言うまでもなく、そこは深水地帯である。

海面や湖面から水中の底までの深さが水深。世界最長の推進はマリアナ海溝にあって、水深は1万メートル超。この深さと比較したら、ぼくの好物のアンコウのいる500メートルの深海は浅瀬みたいなものだ。
深水は、「しんすい」と読めば水中の深い所を意味する。しかし、「ふかみず」と読めば「切り花を長持ちさせる方法の一つ」だと、デジタル大辞泉に書いてある。手元の主だった56冊の辞書には出ていない。なお、「ふかみ」と読む苗字の先輩がいた。


〈二字熟語遊び〉は、漢字「AB」を「BA」と字順逆転しても意味のある別の熟語ができる熟語遊び。例文によって二つの熟語の類似と差異を炙り出して寸評しようという試み。大きく意味が変わらない場合もあれば、まったく異なった意味になることもある。熟語なので固有名詞は除外する。

ひとことコレクション(2025/10)

🖊 「自然に学べ。自然の中にこそ最高の形が存在する」(アントニ・ガウディ)

🖊 「風景画の中で僕が重んじるのは構図だ」(ベルナール・ビュフェ)


🖊 「週替わりはうどんですか? そばですか?」(麺屋のおかみさん)

🖊 「鶏皮はタレですか? 塩ですか?」(焼鳥屋のホール担当)


🖊 「10年以上使っていたら、キーホルダーから文字が消えた」

🖊 「秋来ぬと目にはさやかに見えねども、朝と夜はちょっと冷える」

🖊 「1,500円のクーポンが付与されました。知らんけど」

🖊 「パリで拾った14年物の熟成落葉。1枚だけ残っていた」


🖊 「茶はせんとうとしとす」(上田秋成)

🖊 「片付けは過去への執着からあなたを解放する」(美輪明宏/YouTube


🖊 「蓄積型・・・熱中症……新語だが流行語ではない」

🖊 「リチウムバッテリーがあるなら火の用心」