漁港の街を歩く

隣県の和歌山に出掛けた。7年ぶりになるが、その時は仕事だった。今回は和歌山市の漁港の風景を眺めようと思い立った次第。

ところで、海際の入江に続く急峻な丘に集落ができ、世界一美しい海岸の街と称されて世界遺産になったのが南イタリアのアマルフィ。2002年にナポリとカプリを訪れる機会があった。残念ながら、長距離バスはソレントから内陸を走ってプーリア州に向かったため、ソレントの先の海に面した街、ポジターノとアマルフィを眺めるチャンスに恵まれなかった。

アマルフィ(イタリア/カンパーニャ州)

和歌山市のホームページで「日本のアマルフィ」と形容されていた漁港を知る。雑賀崎がそれ。「さいかざき」と読む。メトロ→JR快速で和歌山駅へ、そこから巡回バスに乗り換えて雑賀崎まで、自宅からの所要2時間半。街歩きの歩数は約15,000歩と大したことはないが、復路は1時間か2時間に1本のバスに合わせるのに少々苦労した。

雑賀崎の地形は写真で見るアマルフィに似ている。住居が肩を寄せ合うような密度の高い集落、急な坂、狭い路地と階段、高台からの桟橋と港の眺望。雑賀崎にはアマルフィのような優雅さはないが、漁村の日常生活と素朴な風情が感じられた。

よく知られた山部赤人やまべのあかひと万葉秀歌がある。

若の浦に潮満ち来れば潟を無み葦辺をさして鶴鳴き渡る
(わかのうらに しほみちくれば かたをなみ あしへをさして たづなきわたる)

雑賀崎はその和歌浦わかのうら景勝地の一角を占める。雑賀崎を詠んだ、藤原卿ふじわらのまえつきみの一首も万葉集にある。

紀伊の国の雑賀の浦に出で見れば海人の燈火波の間ゆ見ゆ
(きのくにの さひかのうらに いでみれば あまのともしび なみのまゆみゆ)

昼間なのであいにく漁師の燈火も小さな漁船も波間ごしに見えなかった。高台の沖見の里まで坂を上って眺望し、海辺からの住居群の景観を撮り収めた。

細い坂道を上り切れば集落と海の眺望が開けた。
ブラタモリだったら岩肌を見てウンチクが語られたはず。
小1時間かけて隣町の和歌浦のバス停を目指す。

食事処を探したが、魚料理のメニューが見当たらない。漁港で獲れたての魚が買えると書いてあったが、朝に出た船が戻ってくるのはおおむね午後3時。そんなには待てない。魚料理を楽しみにしていたのに、エーゲ海料理の店で豚肉のスペアリブを食べることとなった。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

「漁港の街を歩く」への4件のフィードバック

  1. ご無沙汰しております。
    さいたま市の橋本です。
    今回、「漁港の街を歩く」を読ませていただいて、初めて南イタリアのナポリ、ポンペイなどを訪ねた40年近く前のことを思い出しました。

    当時、1987年から1990年と日本の格付機関へ出向していましたが、その間イタリア共和国とイタリアの銀行の債券格付けをやってきました。
    そのため銀行の信用度調査だけでなく、トリノ、ミラノ、ローマ、ナポリ、パレルモなどイタリア国内の主要な都市も調査の対象として訪問しました。

    当時はまだ南北問題などが議論されることも多かったですが、比較的平坦で肥沃な土地がある北部に比べ、南部は切り立った崖や石灰岩が多く、工業化には難しかったのかなとの印象も持っていました。

    しかし風景の美しさと料理の旨さで南部が好きになりました。
    まだ英語がさほど通じなかったころなので、地元のレストランへ行くと手足とジェスチャーで注文したことを覚えています。
    ナポリ、ソレントなどでは海の美しさと食べ物に酔いしれていました。
    アマルフィに行けていないのが心残りです。

    写真を拝見すると、雑賀崎は確かにアマルフィを思わせるところがありますね。海まで続く急な斜面に白い家屋が立ち並んでいる点は美しいです。雑賀崎とは、安土桃山時代に信長や秀吉と戦った鉄砲隊の雑賀孫一の出身地でしょうか。歴史のことも少し思い出しました。

    楽しく拝読させていただき有難うございました。

  2. 変わらずお元気でしょうか?
    5月のOB会は欠席のようですが、また初夏か秋にワインの宴ができればと思っています(リーズナブルで濃く旨のイタリアワインをかなり揃えています)。
    50歳前にイタリア語の独習を始めて、まずまず使いこなせるようになり、その頃からイタリアによく出掛けるようになりました。イタリアには6度、約25都市を巡りました。個人旅行なので主に列車とバスの旅。ツアーと違ってハプニングも多かったですが、いろんな経験ができました。

    イタリア語をラジオ講座で聴いていた頃、講師がポジターノを絶賛していたので、南イタリアに行ってみようと思った次第です。関空からミラノでトランジットしてナポリへ。ナポリ1泊、カプリ島2泊して、ソレント経由でレッチェへ。南の方がパスタもピザもおいしいという印象があります。

    行き損ねているのがトリノ、ジェノバ、シチリアですが、もし再訪の機会があるなら、やっぱりトスカーナ州になるだろうと思います。今年あたり久しぶりに出掛けようと思っていますが、この歳になって度々出掛けるのも難しいので、訪問地の組み合わせに悩みそうです。

    雑賀崎の人たちは屈強だったようで、傭兵隊ないしは海賊的な感じだったのでは。

    70年大阪万博には17回足を運んでいますが、もうそんなに興味は湧きません。それでも一度は行ってみようと思います。

  3. 返信ありがとうございます。
    50歳前にイタリア語の独習を始められたのは凄いの一言に尽きます。
    そして、まずまず使えるレベルに達したというのはもっと凄いです。
    昨年のESS OB会のあとでみんなで行ったカラオケで、イタリア語の歌を
    披露されたのを覚えています。

    トスカーナ地方には、もちろんいいワインがあるようですが、歴史ある銀行(シエナ銀行)があり、15世紀に創設された世界で最も古い銀行と言われています。

    5月のOB会は所要で欠席しますが、「ワイン・テイスティング」には是非参加させていただきたいと考えています。
    どうぞ宜しくお願いいたします。

  4. 2007年、4度目のイタリアの旅をしました。ルフトハンザでフランクフルト経由フィレンツェ行き。フィレンツェを拠点としてトスカーナの街々を日帰りで旅しました。

    フィレンツェではアルノ川左岸のアパートで3泊、シニョリーア広場に面した16世紀築のホテルに4泊。後者は通常1泊200ユーロですが、ややオフピークシーズンだったので少々辛抱強くメールでやりとりして80ユーロにしてもらいました。

    『ライフ・イズ・ビューティフル』の舞台となったアレッツォ、塔の街サンジミニャーノ、ルッカ、そしてシエナ。トスカーナの中でもシエナはワインの銘醸地で、最近買ったワインもラベルを見たらシエナに近いポッジボンシ産でした。

    シエナのカンポ広場がお気に入りでその年は2度目でした。名物行事の「パリオ」の名のバールで2時間くらい粘って、行き交う人々とシエナカラーの塔をぼんやりと眺めて時間を過ごしました。あのひとときが本当の「ぼんやり時間」だと今も思っています。

    また、過去・現在・未来の小さな話題について雑談できればと思います。

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