夏だ豚肉だスタミナだ! ③トンカツ

肉料理はライスでもパンでも合うが、ライスのほうがより融和する。肉料理の中でも豚肉料理が一番ライスに合う。しょうが焼き定食とカツ丼は最たるもの。豚肉料理でライスとあまり相性が良くないのは唯一、しゃぶしゃぶだ。しゃぶしゃぶは好物だが、あまりご飯を欲しくならない。

ライスと相性がいい、それならいきなり豚肉を一緒にすればいい。そんな発想からカツ丼や豚丼が生まれたに違いない(帯広で食した豚丼は肉が何枚もライスの上に重ねられていた)。台湾の大衆定番「魯肉飯ルーローハン」も一種の豚丼だ。甘辛く煮込んだ豚バラに滲みた八角や五香粉が独特の味わいを生む。

魯肉飯(ルーローハン)

トンカツをさらにおいしく食べやすくする食材、それが卵である。卵をとじる調理法はユニークで応用範囲も広い。カツ丼がその代表。

ダブル卵カツ丼

ダブル卵カツ丼のダブル卵とは「卵2個づかい」のことらしいが、カツを卵1個でとじてご飯にのせ、その上に生卵をトッピングするカツ丼に出合ったこともある。

カツとじ

丼を食べたい時もあるが、最初から出汁がご飯に滲みているよりも、ご飯とカツを別に盛るカツとじ定食を注文することが多い。78分目まで食べたあたりで、カツとじとご飯をドッキングさせて、ミニカツ丼で〆ることができる。

トンカツ定食を注文すると、ほとんどの店ではご飯と味噌汁と付け合わせのキャベツがお替わり自由。若い頃はすべて2度お替りしていたが、今はお替りするならキャベツのみ。お替りするかどうか悩むのも面倒なので、お替りなしのトンカツ定食の店に行く。

定食のヒレカツ(ヘレカツ)

阿倍野区に引っ越してきたので、シニアならよく知っている老舗の「グリルМ」に久しぶりに入り、ヒレカツ定食を注文した。この店のイチオシはロールキャベツだ。20代の頃、店の近くの英会話学校で勤務していたので、ロールキャベツは何度か食べている。ヒレカツは初の実食。先入観のせいか、懐かしい昭和の味を思い出した。

豚肉料理について3回シリーズで書いた。酷暑の夏をバテずに過ごせているのは豚肉のおかげだと思うことにしている。なお、今日の昼は自宅でラムを炒めた。羊肉も夏にいい。

〈終〉

夏だ豚肉だスタミナだ! ②酢豚

豚肉は鶏肉よりもお値段高めだが、牛肉に比べるとおおむねリーズナブルだ。しかし昨今はブランド豚も出回るようになり、ビフカツに負けない高級なトンカツもちらほら見かける。子どもの頃は肉と言えば豚肉で、牛肉はハレの日の食材だった。それでも、外食でトンカツとなるとご馳走感があった。

中高生の頃はご褒美がグリルでの食事だった。人気はトンカツとトンテキ。トンテキもポークソテーも厚切りの豚肉をフライパンで焼く。味の濃いトンテキに対して、ポークソテーは塩コショウしてあっさりめのソースで仕上げる。父のひいきはポークチャップだった。こちらはソテーした豚肉をケチャップとウスターソースを合わせた甘酸っぱいソースをかけたもの。洋食のようだが、実は日本生まれの料理。

いつもトンテキを注文していたが、ある日、父の注文に次いで「ぼくもポークチャップ」と言ってみた。甘さと酸味とソースの濃さがライスによく合い、トンテキよりもよく食べるようになった。好きな中華料理は酢豚がダントツだが、あの頃の洋食ポークチャップの甘酸っぱさが酢豚につながっていると思う。今日の豚肉料理は酢豚づくし。

定番酢豚

スブタと言えば、広東の流れを汲むこの酢豚が定番。野菜は店や料理人によって変わるが、見ての通りのピーマン、タマネギ、ニンジンが標準。パイナップルやタケノコも具材として使われる。迷ったら酢豚、迷わなくても酢豚というほどランチタイムの中華料理店では人気ナンバーワン。昔、ライスをお替りして甘酢のあんをかけて食べる友人がいた。

ステーキ風厚切り黒酢酢豚

黒酢酢豚を注文したら、こんな分厚い一枚肉で出てきたことがある。肉以外には甘酢をやわらげるレモンのスライスがのっているのみ。この一品はフォークとナイフで食べる。面倒くさいが、酢豚の肉は小さいと頼りなく、大きいと食べにくい。それならお好みのサイズにカットして召し上がれということか。黒酢のパンチがとてもよく効いていた。

中国東北料理の満州酢豚

この酢豚に出合ってから、酢豚は豚肉だけを食べるもの、野菜は別になくてもいいものと思うようになった。薄切りの豚肉をカリッと揚げ、そこに透明の甘さあっさりのタレがかかっている。これは酢豚と言うよりも「豚天ぶたてん」に近い。この酢豚を出す店を45店知っているが、どこも半端ないボリュームを盛ってある。

〈続く〉

夏だ豚肉だスタミナだ! ①炒・焼・煮

暑い時期のスタミナ食材の象徴が土用の丑のうな丼、うな重。はたして本当にそうなのか。仮にそうだとしても、年に23度利用する店では上が3,600円、特上が5.200円。ひつまむしなら並が3,200円で特上が5,400円。高級店の割には比較的良心的な値段設定だが、スタミナ補給としては他の食材に比べてコスト高だ。

今年の鰻は昨年よりも買い求めやすいと聞いて、スーパーで大きめの良さそうな鹿児島産を買った。一尾使ってうな丼にすれば10分で完食してしまう。これではもったいないので、鰻を小さく長方形にカットし、硬めに炊いたご飯でひつまむしにした。小さな茶碗で一杯目は普通のうな丼。次に、大葉、ミョウガ、ネギを刻み、わさびを添えて二杯目。そして三杯目には肝吸いの出汁でお茶漬け風にいただいた。

大変満足したが、鰻料理にはうな丼かひつまむし以外の選択肢は多くない。夏だ、鰻だ、スタミナだ! と叫んで小躍りしても常食できるものでもない。と言うわけで、昔からずっと夏のスタミナ食には財布にやさしい豚肉を指名してきた。夏バテ予防のビタミンB1が他の肉類に比べて格段に豊富に含まれている。今夏も出番が多い。今日は豚肉を炒めたり焼いたり煮込んだりする料理のラインアップを紹介する。

豚肉のオーブン焼き

写真は食べやすくカットしたもの。焼く時は手のひらサイズほどの肉のままがいい。溶けだした脂と野菜がよく調和する。ハーブ塩だけのシンプルな味付けがオーブン料理に合う。なお、スペアリブの煮込みも夏向き。軟骨がやわらかくなるまで煮れば箸でもほぐせる。

ニラレバ炒め

ビジュアルで好き嫌いが分かれるが、このビジュアルこそが夏との闘いの力になってくれるのだ。「ニラレバ」とぼくは呼ぶが、ニラレバでもレバニラでも使う材料は同じ。レバーの新鮮度と味は店によってかなり違うからあちこちへ足を運んで試行錯誤するしかない。

三段バラと野菜炒め

中国東北料理の店のメニューの一品。キクラゲ、ピーマン、ニンジンとの組み合わせが絶妙で、見るからに栄養満点だ。この料理の前にすでに羊肉の串焼き10本と水餃子を食べている。この組み合わせだと飯類はいらない。

〈続く〉

引きこもらない生き方

一昨日の722日から来月初旬まが二十四節気の大暑。6月が過ごしやすかっただけに連日の大暑が心身にこたえる。かと言って、外気に触れないよう外出を控えてばかりいると心身がなまる。気象予報士の助言は拝聴するが、外出と同じく引きこもりの日々も危うい。

724日の今日、大阪は午前10時半現在で、まさかの35℃だった。昨日の午後には38℃超えだったが、今日もそうなるとの天気予報。そんな最高気温のピーク時にわざわざ外出はしない。しかし、昨日は午前に出て昼前に帰ってくるつもりが、用事が長引いて帰宅が午後2時半になった。不覚にも「灼熱災害」に巻き込まれたのである。

92歳まで長生きした中村天風は、晩年自宅にいる時も身体を動かしていた。弟子が訪問すると「おいちにー、おいちにー」と足踏みをしていたという。「先生、無理なさらないで」という弟子に、「生きていくつもりなら、これしきのことはしないといけない」と言い放ったとか。


命の危険にさらされないようにと、涼しいところでじっとして引きこもる。当面はそれでいいが、初秋の頃にコアラのように動かなかったツケが回ってくる。無理して出掛けることはないが、引きこもりのツケも回避したいので、たとえ不要不急でも半時間ほど歩くのをルーチンにしている。

一昨日はメトロとバスを乗り継いで定期の診察に行ってきた。昼に天丼を食べて帰宅。これで8,000歩強。冷水、日傘、日陰を探しての歩行は遅すぎず速すぎず。昨日はバスでショッピングへ。敢えて一つ遠くのバス停まで10分歩く。涼しいモールとデパート内は速足、帰途はメトロ。以上で8,000歩弱。帰宅後はストレッチで身体を動かす。歩数が少ない日は相撲の蹲踞そんきょ四股しこ踏みで補う。

毎日用事があって外出するわけではない。ほとんど歩かない日もある。そんな日は終日家にいるにしても、受動的ではなく能動的に引きこもるよう工夫する。食事の用意をする、ノートを書く、片付けをする。そうそう、テレビやYouTubeを漫然と観る時間をなるべく減らす。テレビの下に図録を並べるスペースを作った。図録を手にしてページを捲れば、テレビに安易に逃げないようになる。

引越から1ヵ月半

2ヵ月ぶりのブログ。今日から再開して、これまでと同じように週2回のペースで書こうと思う。

別宅として使うこともなく、10年近く空き家のまま放置していた築101年の古民家。8年前にキッチン、ダイニング、風呂などの水回りを改造。そして、さらなるリノベーションをして住もうと昨年9月に決断した。。大阪市内の移転だが、マンションから戸建て住宅地への引越し。環境適応するために、工事前も工事期間中も何度も足を運んできた。

親しくしてもらっている建築士と10数回の打ち合わせを重ね、3ヵ月の工期計画を立てて今年3月初旬に着工した。全体の構造は変えずに、古い家のよい所を維持して間取りを改め、断熱効果にすぐれた暮らしを目指した。数千冊の蔵書の大半は読書家の仲間に無償で譲り、一千冊弱だけ所蔵できるよう、1階と2階に本棚を作りつけた。

想定外のイラン情勢の緊張と暗雲。その影響で建築コストが高騰し、加えて資材が入手しづらくなって完了予定日後も作業が続き、「まあ、寝場所さえあれば……」という感じで当初の予定日に引越しを断行した。

最低限の衣食住に支障はなかったが、テレビアンテナとインターネット回線が間に合わなかった。

テレビアンテナは屋内用の間に合わせのものを回線サービス会社から借りた。ケーブルを床に這わせて窓際の感度のいい場所を探すも、電波が何度も途切れる。民放3局だけかろうじて映ったものの、衛星もNHKも見れない状態が10日以上続いた。

テレビがなくてもさほど困らないが、インターネットに接続できないと仕事に支障を来す。対策として、引越し前にスマホのデータ量を使い放題にできる格安モバイルに乗り換えた。そのモバイルをWi-Fiルーターとして使う「デザリング」でしのぐことにした。これでYouTubeもメールも何とかなったが、綱渡りの他力本願を痛感した。

引越後半月ほどダンボールが40函ほど開かずのままだった。ほとんどの家具類を誂えたので、収納庫にまだ間仕切りがなく、玄関に靴箱がなく、そして本棚の棚が間に合わなかった。本棚の棚が送られてきて、本の並べ方を考えて、ようやく本が収まった。


親族や友人からお祝いがてらお邪魔したいと申し出がある。しかし、靴箱のない玄関の体裁はまだ整っていない。何よりも、和の客室に設える予定の座卓と座椅子の見立てに迷っていて注文ができていない。小さな庭と外構は見積外だったので、今後何ヵ月もかけて自前で整備していく。ある種の闘いではあるが、楽しい闘いになるようにと願っている。

忘れたことと思い出すこと

人類には記憶しようとして工夫してきた歴史がある。記憶力はいいほうだったが、覚えたくないことまで記憶させられた学生時代はしんどい思い出ばかり。「コロンブスがアメリカ大陸を発見したのはいつか?」というような問題が出されるから、1492年を「いーよ、この国、コロンブス」というふうに語呂合わせで覚えることになった。年号を覚えることが歴史の学びだとは思えない。あの頃を思い出すたびに空しくなる。

学校の勉強と切り離して遊び心でやったことがあるのが「ワタナベ式記憶術」。その場に居合わせる誰かに、たとえば英単語を「1番何々、2番何々……」と読み上げてもらう。それらを順番に覚えていく。番号を言ってもらい対応する単語を答える。逆に単語を言ってもらって番号を告げる。ここで詳しくは書かないが、50くらいなら簡単に覚えられた。世界の都市名でもいいし、食材でも何でもいい。その技を披露すると、「記憶力の天才!」と驚嘆されたものである。

去る1月、伯母(父の姉)が享年102で亡くなった。葬儀に列席した一人がぼくを見つけて「私を覚えてますか?」と話しかけてきた。伯母の長女の旦那さんだとすぐにわかったので「もちろんです」と返事。伯母の夫のお通夜以来なので30年以上は経っている。ぼくが大学生の頃にわが家によく遊びに来ていたタクシー運転手だ。

「あの頃、個人タクシーの試験準備で勉強されてたのを覚えていますよ」と言ったら、「その節は大変お世話になりました」と旦那氏。何のことかわからない。ぼくよりも10歳以上年長の人をお世話した記憶がない。「え、お世話?」とぼくは首を傾げるばかり。

「個人タクシーの試験を受ける前に、テキストや問題のテープの吹き込みをしてもらいました。私ね、本を読むのが苦手。文字からだと覚えられないタイプでして、当時テープレコーダーで英語を勉強されていた勝志さんにお願いして吹き込んでもらい、運転中や休憩中にずっと聞いて覚えていました」。勝志さんとはぼくのことだが、出題されそうな箇所をぼくがテープに吹き込んだことは記憶にない。

後日、その頃のことをまさぐっているうちに少しずつ思い出し始めた。忘れてしまったことを自分一人で自力で思い出すことは容易ではないが、誰かと雑談したり昔話をしていると、相手の一言がきっかけになって記憶がよみがえる。そして「記憶は不思議だ」と思いながら、昨日の晩ご飯を思い出せない自分を笑う。十数秒かかったが無事思い出した。

旬の食材は「おまかせ」

蕎麦の名店に行ってきた。引っ越せばこのあたりには来なくなるから食べ納めのつもり。家近くなのに最近は足が遠のいていた。年越しそばを2回パスしていたから23年ぶりかもしれない。珍しく並ばずに入れた。さあ、何を注文するか……などと悩むことない。いつもざるそばだ。

食べ納めだから、少々贅沢に旬菜の天盛りざるそばを注文した。この店の天ぷらは手打そばにひけを取らない。メニューに旬菜の定番が書いてある。春にふさわしい次の8種が盛られる。

・ふきのとう
・菜の花
・こごみ
・芽キャベツ
・行者にんにく
・安納芋
・たらの芽
・姫人参

しかし「その日の仕入れにより食材が変わることがあります」と注釈が付いている。春の旬菜は食べ慣れないので、見た目だけでは名と実物が照合できない。いや、見た目だけではなく、口に入れても一致する自信がない。ざるそばより少し遅れて天盛りが運ばれた。

食べ始めてすぐに、定番にないレンコンとタケノコに気づく。さらに、舞茸とアスパラに出合う。この4種が加わって、定番のどの4種が外れたのか。詳しくないうえに衣に包まれているからよくわからない。おそるおそる口に入れて味を噛みしめて何となくわかってきた。

どうやら菜の花、こごみ、たらの芽、姫人参が入荷できなかったようだ。旬のものはある時とない時がある。旬の食材を使う料理やコースが基本「おまかせ」になるのはそのせいかもしれない。「あれを期待していたのに入っていないじゃないか」と難癖をつけない。好き嫌いがないのでおまかせして後悔することがない。

読書と感想文と書評

読書はよくしてきたが、苦痛の体験が多く、愉しさの思い出は少ないという印象がこびりついている。何がしかの枠組みを決めたり決められたりして読むのは辛かった。そう吐露するものの、やはり読書は知の啓発に役立ったと認めざるをえない。

本は読まないよりは読むほうがいい……強迫観念とまでは言わないが、本心からズレたそんな思いが心のどこかを支配していた。書く題材に行き詰まることさえなければ、読書に比べたら自分で何か書くほうがよほど愉しい。

今さらだが、読書とは何か? と問うてみる。『新明解国語辞典』でチェックした。

〔研究調査や受験勉強の時などと違って〕一時いっとき現実の世界を離れ、精神を未知の世界に遊ばせたり人生観を確固浮動のものたらしめたりするために、(時間の束縛を受けることなく)本を読むこと。

ほほう、こんなものなのか。上記の語釈は辞書の定義としてはやや偏向している。現実の世界にあっても本は読めるし、必ずしも精神や未知の世界と関わるものでもないだろう。この語釈を書いた人は「寝ころがって漫画本を見たり電車の中で週刊誌を読んだりすることは、本来の読書には含まれない」とも記している。もしそうなら、読書は大衆的ではなく、かなり崇高な世界に属すものということになる。

読書につきものの感想文。それを学生に課す先生が考えるほど、学生にとって意味あるものだろうか。小説を要約したり話のあらすじを書いたり感想を述べたりするとして、その感想文を読むのは先生だけである。仮に仲間とシェアしたり読書コンクールで発表したりしても、ネタバレのあらすじや一学生の感想を読んで何かの参考にしたいとは思わない。

ぼくは長年読書会を主宰してきたが、みんなが違う本を読み――感想を書くのではなく――抜き書きと書評を1枚でしたためて本を紹介するのを旨とした。感想だといいことばかり書くが、書評と呼べば批判的コメントも出てくる。

まあ、感想文でも書評でもいいが、本について書くべきたいせつなことは、あらすじではなく、抜き書きである。抽象的なあらすじは記憶に残りづらいが、さわりの抜き書きからは本の核心が窺える。後日抜き書きを読み返すと読書会の余韻がよみがえることがある。

語句の断章(77)「対義語」

対義語の同義語には反対語、反意語、反義語、対語などがある。「反」に違和感があるので、ずっと「対義語」を使ってきた。対義語なら2つの語句を同等に対置させることができる。意味が対峙するようなAB2語のそれぞれが対義語と呼ばれる。Aの対義語がBBの対義語がAという関係だ。

「長い」の対義語は「短い」。「長短」は対義語関係を示す。対義語の象徴的な漢字1文字どうしがくっついて熟語になることが多い。多少、高低、表裏、左右、開閉、父母、親子、山海、白黒、吉凶など。但し、1つの語の対義語が1つとはかぎらない。下記のように1つの語が23つの対義語を持つ場合もある。

対義語が複数になる場合を「正」と「主」で考えてみよう。

組織の順位や物事の段階を表す「正、副、準、次」がある。おおむね「正>副>準>次」とランク付けされる。この時、正の対義語が副、準、次の3つになる。正の補佐役としての「副」、正の下だが同等に近い場合の「準」、二番目という位置づけの「次」。これらは対義語だが、別名「二項対立」とも言われることがある。

副と次をくっつけた「副次(的)」という表現がある。主たるものに対して、従属したり付随したりする二次的なもののこと。急行の早さには劣るが、各停よりも速いという意味の準急。

正の対義語は他にもいろいろある。テーゼの正に対しては「反」(アンチテーゼ)、プラスの正に対しては「負」(マイナス)。あと、誤、邪もある。主の対義語も、客、従、助、副などと複数ある。最高責任者である主席に対して次席、おもてなしする主人に対して客人、主観に対して客観。主人と従者、主演と助演、主菜と副菜……。当然ながら、どの対義語を対照させるかによってニュアンスが変わる。

あっという間の1週間

📝 他人任せのサーバー移行
どんな作業が具体的におこなわれているのかほとんど知らない。先々週に「この先1週間はブログの更新ができない」と告げられた。書こうと思っても書けないのは別に苦痛ではないが、ブログを書かない1週間はあっという間に過ぎた。

📝 断捨離の手が止まる
5月に自宅とオフィスを同時に移転するので、2月から断捨離の日々。いつか終わるのだろうが、なかなか終わりが見えない。長年残しておいた雑誌を処分した。黙って捨てればいいのに、「ヌーベルガストロノミー」特集の記事を読んでしまう。料理の世界は「即効性」と長い時間考え抜かれた「構築性」で構成されると書いてある。前に読んだのを思い出した。

📝 貴重な隙間の時間
悠長に構えているわけではないが、稀に隙間の時間ができる。文を綴らない時は鉛筆画を描く。その前に画題を探す。イタリアの鐘楼や天満橋の夜景などスマホの写真を見る。夕食のワカサギの素揚げやワインのDMも候補に上がる。3本のワインボトルを選んだ。

📝 日本人向けのカレー?
インド・ネパールの店の日替わりカレーの具がタケノコだった。ほう、日本仕様の具材を思い切りよく使うものだと思った。ネパール人の店長に聞いたら、ネパールではタケノコはよく食べるらしい。知らなかった。

📝 咲き初めから散るまで
先週の土曜日だったか、公園の手前で見上げたら桜が芽吹こうとしていた。堅そうな芽が1週間もしないうちにやわらかい花びらに変化へんげする。やさしく咲いてははかなく散るの繰り返し。桜とはあまり相性がよくないが、人知の及ばない現象を思うと心身が神妙になる。