抜き書き録〈テーマ:食のエピソード③〉

食べることに関心が薄れたり本を読まなくなったりする同世代に「危なっかしさ」を見る。シニアと呼ばれるようになってから、より一層食事に好奇心を掻き立て、これまで同様に本を読み話をすることに励んできた。本から食のエピソードを抜き書きするというのは、シニア時代を生き抜く負荷の少ない一石二鳥の方法だと思っている。


📖 『食卓のつぶやき』(池波正太郎)/  朝食

いまの世の中は、物べて、固有の匂いというものが消えてしまった、かのように思われる。(……)むかし、男たちの朝の目ざめは、味噌汁の匂いから始まった。
味噌ばかりではない。野菜も卵も豆腐も、醤油も納豆も焼き海苔も、それぞれに個性的な香りをはなち、そうした、もろもろの食物が朝の膳に渾然こんぜんとした〔朝のムード〕をかもし出していた。

味噌汁は定食屋で補充するか、時々夕飯でいただく程度。コーンフレークはたまに食べるが、残念なことに香ってくる匂いがない。トーストと目玉焼きからは匂いは漂うが、同時に淹れるコーヒーの香りが優勢。味噌汁の朝食をよく知っている身としては、コーヒーが香る朝食はまったく別物で簡素に見える。しかし、コーヒーとトーストと目玉焼きの朝食は意外に手間暇がかかる。味噌汁に比べて手抜きとは言えないのである。

📖 『奇食珍食』(小泉武夫)/  軟体動物・腔腸動物

(……)貝類だけは活きの良いもの以外、生で食べてはならない。(……)だからあわび栄螺さざえ牡蠣かき、赤貝など生きているものはまず例外なく生食。少し鮮度が落ちれば煮るか炒めることにしよう。

生の貝を嫌がる人は少なくない。磯臭いのとヌルヌル感がダメらしい。ホタテなどは寿司でも刺身でもうまいが、もちろん炙っても煮ても揚げてもいい。しかし、新鮮ならまずは生で食べてみたい。
テレビ番組で鹿児島自慢の二枚貝の「月日貝」が紹介されていた。大阪では口に入らないと思っていたところ、先週末に市場で見つけてしまったのである。「刺身で食べて! ヒモとキモは焼いてもおいしい」という威勢のいいオバサンの助言にしたがう。蓋を開けて、包丁を入れずにそのまま一口で食べた。ホタテよりも甘味が濃い。

📖 『ざんねんな食べ物事典』(東海林さだお)/  老人とおでん

大暑一過。と思ったらたちまち木枯らし一陣。
ということになると一挙おでん。時の過ぎること疾風のごとし。(……)
ついこないだガリガリ君をかじっていたと思ったら今はコンニャクをアヂアヂなんて言いながらかじっている。
というわけで、早速おでん屋のノレンをくぐる。店内はおでんの湯気モーモー。
客のほぼ八割が五十代。男性。

おでん屋はかなりごぶさたしているし、居酒屋でもおでんを注文することはない。おでんは自家製になって久しい。オフィスの近くに屋台風のおでん屋があったので、よく通った。五十代ではなく、三十代から。熱燗はおでん屋で覚えた。すずかアルミ製の「ちろり」(関西では「酒たんぽ」)からコップに注いで飲んだのも最初はおでん屋だった。

抜き書き録〈テーマ:食のエピソード②〉

一昨日に続いて食がテーマ「昔からある和の食材」にまつわるエピソードを抜き書きした。


📖 『魚味礼讃』(関谷文吉)/  紫式部はイワシ好き

身分の卑しい者が食べる魚だから「イヤシイ転じてイワシ」とか、大きい魚のエサになる弱い魚だから「ヨワシ転じてイワシ」とか言われる。たくさん獲れるから安っぽく感じ、平安時代の昔からイワシは下賤の食べ物とされてきたそうだ。ところが、紫式部がイワシ好きだったと知って、庶民は俄然心強くなる。

イワシは臭くてたまりません。「無下に賤しきものを好み給ふものかな」と叱責する亭主の藤原宣孝に対し、
 日の本にはやらせ給ふ岩清水まゐらぬ人はあらじとぞ思ふ
日本人であれば岩清水八幡に詣らない人はいないのと同じように、イワシも日本人なら食べない人はいないとやりかえしたそうです。

獲れたてをぜひご賞味あれと、セレブな光る君たちにも光るイワシを食べさせて「うまい!」と言わせたのだろうか。

📖 『駒形どぜう噺』(五代目越後屋助七)/  思い出の作家

好きよりも嫌いが多いのが「どぜう料理」。複数人の集まりには向かない。どぜう汁、どぜうの柳川は何度か食べているが、たいてい一人。残念ながら、名店駒形どぜうでどぜう鍋を賞味したことはない。味のほどはわからないが、通の有名人が駒形を語ったり綴ったりしているのを知って、想像を掻き立てられる。駒形どぜうを贔屓にしていた詩人サトウ・ハチローの詩が残っている。

(……)
むぞうさにおとうしと徳利を
おいて行く女の子の
くるめがすりが目にしみる

くつくつ煮えはじめたどじょう鍋と
酒の酔いが
すぎし日の悔恨と郷愁を
かわりばんこに こみあげさせる

はしでつまんだ どじょうのヒゲを
むねの中でかぞえるわびしさ
誰かがつくった ざれ句が唇からもれた
――きみはいま 駒形あたり どじょう汁……

📖 『そば通ものしり読本』(多田鉄之助)/  瓦版流行歌とそば

すでに消えた昔の風習はおびただしいが、年越しそばは今も廃れていない。明治20年頃までは、年越しの夕方に「御厄払いしましょう、厄落とし」と言いながらやって来る職業があったそうだ。家に招いて厄を落としてもらい、銭と餅の礼をした。早口で愉快な口上を述べたら、「西の海とは思えども、この厄払いがひっ捕らえ、東の川さらり」という決まり文句で終わる。厄払いの文句の型を模して綴られたのが次の「蕎麦づくし」。

    蕎麦づくし
アアらめでたいな――、またあら玉の新そばに、御祝儀めでたき手打そば、親子なんばん仲もよく、めうとはちんちんかもそばで、くれるとすぐにねぎなんばん、上から夜着をぶつかけそば、たがひにあせをしつぽくそば、てんとたまらぬ天ぷらそば、かけかけさんへあんかけの そのごりやくはあられそば、やがてお産みの玉子とじ、あつもりおいてそだてあげ、てふよ花まきもてはやし、かかるめでたきおりからに、あくまうどんがとんで出、やくみからみをぬかすなら大こんおろしでおろしつけ、したじの中へさらりさらり。

艶話つやばなしを巧みに匂わせながら、親子南蛮、鴨蕎麦、葱南蛮、ぶっかけ蕎麦、卓袱しっぽく蕎麦、天麩羅蕎麦、かけ、餡かけ、あられ蕎麦、玉子とじ、熱盛あつもり、花巻の12種の蕎麦を仕込んである。温かい蕎麦ばかりで、ざるがないのが物足りない。

抜き書き録〈テーマ:食のエピソード①〉

暑い夏は読書欲が消えるが、食材・料理に関する本なら少しは読める。抜き書きが溜まってきたので何回かに分けて書こうと思う。今は文庫本で出ている本だが、最初に刊行されてから3040年経っている。読んでいて現代とのズレを感じる文章もあるが、食に関しては決してマイナスにならない。


📖 『粗食派の饗宴』(大河内昭爾)/  「ハヤシライス」

丸善の創設者早矢仕はやし有的ゆうてきが、横浜に店のあったころ従業員の昼ご飯に、ご飯とおかずが一皿ですむハヤシライスを考えだしたという説(……)
コマ切れ肉を、ハッシュと言い、転じて肉と野菜の煮込みをハッシュというので、ハヤシライスはそのハッシュドビーフライスがなまったとするのが一方の説。

料理名の由来には諸説があるもの。初見の説がもっともらしく思えるが、おもしろそうな説に与したいのが人情だ。ハッシュドビーフライスがハヤシライスに転じたという説が真説っぽくも、あまり驚かない。「ハヤシさん」が最初に作ったからハヤシライスという、ウソっぽい説のほうが楽しい。

📖 『たべもの芳名録』(神吉拓郎)/   「牡蠣かき喰う客」

軍手をはめた手で、殻をしっかりつかみ、カネのへらを殻の間に差し込んで、ぐいとやる(……)馴れないうちは、ただ力むだけで、殻はこなごなになるし、それが貝の身にくっついて、食べるときに、やたら、ぷっぷっと破片を吐き出すという面倒なことをしなければならない。

牡蠣好きでも自分で殻を開ける人は少ない。十年程前、勉強会の食事用に100個以上の殻付き牡蠣の提供を受けたことがある。殻剥きは最初の56個は苦労するが、殻の形から貝柱の位置がわかるようになり、そこにナイフが入れば、力を入れなくても殻が外れる。牡蠣は殻付きのものを自分で調理して生食するに限る。なお、長引く暑さのせいで、今年の牡蠣は今のところあまりよくない。

 

📖 『むかしの味』(池波正太郎)

いつしか、私たちは、ビル群の谷間へ埋め込まれたような、おはつ天神の境内へ足を踏み入れていた。
「あ、そうだ。まだ残ってますよ、残ってますよ」
と、友だちが叫ぶようにいい、私の腕をつかんで、境内の一隅へ連れて行った。
「ふうむ。残っているねぇ……」
七、八人も入れば一杯になってしまう小さな店〔ひこ〕が、まさに、むかしのままに残っていた。

どうです、入りましょうか? と聞かれて、池波は「いうまでもない」と即答した。この店、話には聞いたことがある、焼売の店。数年前に店じまいしたようだ。冬の夜更けのお初天神で熱々の焼売はうまいに違いない。焼売を注文すると、豚の骨髄から取った白濁スープが出たらしい。

抜き書き録〈テーマ:おもしろい〉

本棚に入れたままだったのが2冊、最近古本市で買ったのが1冊。仕事もあるので隅々まで丁寧に読む時間はない。ジャンルは違うし大笑いするわけではないが、いずれも「おもしろい」。3冊共通のテーマにふさわしい。


📖『ぜんまい屋の葉書』(金田理恵)

おみくじは人がつくります。
それを人が引きます。
その時神さまどっこいしょと乗り出します。
「あんたはこれ引きなさい。中吉かい、またおいで。」

著者が年賀状や暑中見舞いを出しているかどうか知らない。しかし、上記のような小話や季節の挨拶や視点を毎月葉書にして、活版印刷で一枚ずつ印刷して知人に送っている(それらを本にした)。活版印刷の味を生かしたイラストや柄模様も添える。文章がおもしろい。わがブログもそろそろ「おもしろい」に特化する時かもしれない。


📖『ことばの国』(清水義範)

『永遠のジャック&ベティ』で知られる著者の本は何冊か持っている。一冊も完読していないが、気ままにページを繰れるエッセイや小説なのでちょっと空いた時間に読むにはありがたい。
ことわざパロディに20ページほど割いている。創作ことわざに手を染めたことがあるので、ぼくのツボである。本書の「二兎を追う者は目がいい」はまずまずだが、鬼奴の「二兎追う者はウサギ好き」には及ばない。「餅は餅屋」のパロディがバカらしくておもしろい。

餅は餅や
そんなこともわからんのか。餅をバームクーヘンだとでも思ってるのか。アホ。
〔使用例〕
「だから、餅は餅や。まだわからんのか」


📖『街に煙突があったころ』(清水 潔)

1988年発行の本なので、それ以前の風俗史である。つまり、今から見れば40年、50年、時にはもっと昔の昭和まで遡る。四十いくつかの「もの」「ファッション」「慣習」の中から、タイトルになった煙突を差し置いて栄養ドリンクを抜き書きする。

「リポビタンD」(大正製薬)。昭和三十七年四月に登場し、それまでのアンプル剤の病的なイメージを破る(……)ビン詰は、十分世間の注目を引いた。
小さな巨人、オロナミン(大塚製薬)が発売されたのが昭和四十年。リポDは認可を受けた「医薬品」だが、オロナミンは(……)医薬品から外された。

一見残念な扱いを受けたように見えるが、これが幸いした。清涼飲料だからオロナミンは薬局以外でも取り扱え、販路はリポビタンの5倍になったのである。

リポビタンD、オロナミン、アリナミン、グロモント、ユンケル、タフマン、リアルゴールドなど、錚々たる顔ぶれのドリンク剤。ネーミングが力強い。勢い余って昭和の終わりには大丸東京店にドリンク剤専用バーまでできた。ドリンク剤小史はおもしろい。

抜き書き録〈テーマ:野菜〉

「キノコは菌類で、ジャガイモはイモ類、野菜に含めるのは変だ」と言う人がいるし、そういう説もある。「メロンもイチゴも果物」という分類にも異論が出る。穀物・肉・魚・野菜と大雑把に分けるなら、キノコやイモやスイカやイチゴは生鮮野菜のグループに入る。

7月と8月、暑さに負けないようにしっかり夏野菜を食べた。野菜に関する本も読んでみた。

📖 『身近な野菜のなるほど観察録』(稲垣栄洋著)

主題は「野菜だって生きている」。「野菜が植物であり、生命ある存在であることは誰もが知っていること」と著者は言う。本書では次の43種類の野菜が紹介されている。

キャベツ、レタス、タマネギ、エンドウ、ソラマメ、アスパラガス、タケノコ、ゴボウ、カボチャ、シソ、エダマメ、ナス、トウモロコシ、トマト、ピーマン、トウガラシ、メロン、スイカ、キュウリ、ニガウリ、オクラ、ショウガ、ミョウガ、ネギ、ニラ、ラッキョウ、ニンニク、ラッカセイ、シイタケ、サトイモ、ジャガイモ、サツマイモ、ヤマノイモ、レンコン、イチゴ、カリフラワー/ブロッコリー、ダイコン、カブ、パセリ、ワサビ、ニンジン、ホウレンソウ、ハクサイ

野菜を広義で捉えているので、メロンもスイカもイチゴも、また、シイタケもイモ類も収まっている。このリストから「マイベスト10」が選べるかどうか試してみた。悩みに悩んで選んだが、18種類が残り、それ以上絞れない。ベスト10ではなく、「よく常食している10種」にしてみたら、何とか選べた。キャベツ、タマネギ、トマト、ピーマン、トウガラシ、ニンニク、ネギ、シイタケ、ブロッコリー、ニンジン。汎用性と出番ではタマネギが一番かもしれない。その項には次のように書いてある。

タマネギ|玉葱たまねぎ ユリ科
涙なしには語れない

📖 『食ことわざ百科』(永山久夫著)

野菜だけでなく、食材全般について書かれている。米や餅、大豆、魚、茶についての記述が豊富だ。

「野菜」の本来の意味は、「野」と「草」と「る」からなっているのをみてもわかるように、「野」の「草」を「摘む」ことである。(……)日本の「おかず」は、古くから”野のもの”の比重が、たいへんに大きかった。

わが「岡野」の姓は、丘に登って木の実やキノコを採り、野に出ては野菜を摘んだことに由来するに違いない。野菜のことわざでおもしろいのが一つあった。

ねぎは人影でもきらう

「ネギは日当たりのよい畑でないと生育しない。ネギは、少しの日かげもきらう」らしい。このことわざが正しいなら、ベランダの日陰で育てられるネギは気の毒だ。

📖 『イタリアに学ぶ医食同源』(横山淳一著)

イタリアに行き始めた頃は、麦と肉が中心で野菜控えめな偏食民という印象をイタリア人に抱いた。何度も訪れているうちに、そうではないことに気づいた。どんな料理にもよくトマトを使い、ミネストローネにはいろんな野菜をたっぷり入れる。肉料理ではハーブの出番が多く、ポテトやホウレンソウもよく付け合わせる。決してパスタとピザだけではない。もちろん、ワインを忘れてはいけない。

伝統的な郷土料理には、その風土で育ったワインがよき伴侶になる。したがって、トラットリアはもちろん、リストランテにもソムリエは原則としていない。気の利いたカメリエーレ(給仕人)がいれば必要もない。

地産地消を徹底している。ワインは、かつては水の代わりであり、今ではジュースである。食中酒としてのワインは野菜の一種として見立てることができる。

抜き書き録〈テーマ:夏の歳時記)

📖 『日常の極楽』(玉村豊男)

樹木が減ると、そのあたりは涼しさが減る。
そしてそこにコンクリートの建物でも建てられれば、ますますあたりには熱が漂い停滞することになってしまう。いわゆる、「都市気温」(……)

「地球温暖化」のせいで暑いとぼやいても現実味がない。地球温暖化という概念が大き過ぎるのだ。今住む街の昔と今を比べれば、街の「構造」が変わっていることに気づく。今日のような午前10時で33℃なら、公園沿いの木陰を歩けば34℃は低く感じる。アスファルトのない公園の中の木陰ならしばらくベンチに座っていても耐えられる。今日の午後2時に大阪の気温は38℃に達するらしいが、都市気温的に言えば、これは40℃超えを意味する。体感は優に45℃超えかもしれない。

📖 『最近日本語歳時記』(稲垣吉彦)

山梨県から静岡県へ抜けて太平洋にそそぐ富士川は、山梨県では「フジワ」で、静岡県に入ると「フジカワ」になる。「ガワ」が「カワ」へ、下流にいくと濁音が清音に、水質と反対に地元での発音が変わる。実際には、川をはさんで右岸と左岸で「カワ」「ガワ」が交錯して、そう簡単に割り切れないらしいが。

身近なところでは、上流の瀬田川と宇治川は「ガワ」、その水系を受け継ぐ、淀川は大阪湾に近づいても「ガワ」と濁り、「ヨドカワ」にはならない。

近くを流れる旧淀川の大川は「オオカワ」。海を控えているからと納得しかけたが、その大川から大阪湾に向かって分岐する堂島川も土佐堀川も「ガワ」だ。下流に行くにしたがって「ガワからカワ」という説にはもしかすると例外が多いのではないか。ともあれ、川が夏の風物詩に割り振られることに異論はない。

📖 『歳時記百話――季を生きる(高橋睦郎)

わが国の歳時記を陰翳いんえいぶかくしている重要な一つに忌日がある。俳諧、和歌、文芸、芸術、芸能をはじめ、さまざまな分野に業績のある、かの世の先人たちへの献句によって、その忌をしゅうし、徳をたたえ、魂をしずめ、自分の仕事や生活への加護を願うのが起こりだろう。

すでに実家はなく――いや、実家という概念すらほぼなく、ゆえに帰省や盆というものが世間一般に比べてきわめて希薄だった。
終戦記念日を言い換えた終戦忌、原爆忌などの忌日は、体験者が世を去ってやがて人々の記憶から消える。聞いた話もやがて忘れる。個人や小集団で伝承するのはたやすくない。だから、国や地方自治体に仕切られるのはどうかと思うが、やっぱり年に一度の忌日の式典を国や地方自治体に催し続けてもらう必要がある。

抜き書き録〈テーマ:つもり〉

📖 『悪の引用句辞典』(鹿島 茂)

……「できると思っていたこと」と「実際にできたこと」の巨大な落差に絶望的にならざるを得なかった……

人は安易に「できると目論み、できると広言する」。言うこととできることの埋まらない距離を何度も経験しながら、また同じことを繰り返す。面倒なことをするものだ。「わかっていることや語ること」と「おこなうこと」を同じにしてしまえばいいだけの話。有言実行や知合合一のほうがうんと楽なのに。

📖 『サピエンス全史 (下)』(ユヴァル・ノア・ハラリ)

近代科学は「私たちは知らない」という意味の“ignoramus”というラテン語の戒めに基づいている。近代科学は、私たちがすべてを知っているわけではないという前提に立つ。

では、「私たちは知っている」と確信・・している場合はどうか。それは今知っているということであるから、将来、新しい事実が確信を覆すことがありうる。近代科学は基本的には異議申し立てによって成り立っており、知識の誤りを指摘し指摘されることを前提としている。今知っていることは、やがては「知っているつもりだった」と振り返ることになる。

📖 『知っているつもり  無知の科学』(スティーブン・スローマン/フィリップ・ファーンバック)

……私たちは自分の知識を過大評価する。つまり自分で思っているより無知なのだ。

「ファスナーはどのような仕組みで動くのか、できるだけ詳細に説明せよ」と言われて、説明しようとしているうちに、思っているほどわかっていなことを知る。日常的によく接しているものについてほとんど知らないのである。自転車もそんな一つ。本書の表紙の帯には次の図と文がある。


絵の巧拙は別として、正答率50%とは、みんな想像以上に「知っている」と感心。しかし、苦し紛れに適当な絵を描くと、「ボーっと生きてんじゃねーよ!」とチコちゃんに叱られることになる。「あまり自転車に乗らない」とか「自転車を持っていない」とか言い訳するのは見苦しい。実際に何度も見て記憶してきたはずのイメージは、チェーンやペダルということばに比べて曖昧だということがわかる。

抜き書き録〈テーマ:芸術の元気〉

ある一冊の本を昨日オフィスで探したが、書棚のどこにもない。以前にもこんなことがあった。誰かが持ち帰ったのかもしれないと性悪説的に推理し、しかし、いつか返しにくるだろうと性善説的に考えようとした。かれこれ45年になるが、その本はまだ見当たらない。昨日探そうとした本も見つからなかったが、しっかり探す前に棟方志功の本に再会してしまった。これは10年以上前に読んで読書会で取り上げた一冊だ。

📖  『わだばゴッホになる』(棟方志功)

わたくしは、五十年も板画をやっていますが、摺るのが大切です。黒々に摺ればいいというものではない。印刷ではないのだから。人間の魂が紙に乗り移らなければ、摺るとはいえないのです。板画は呼吸しているのだから、墨の密度の中に息づかいがないとだめなのです。妙(白)と黛(黒)の呼吸なのです。わたくしはそれを板画の命伏いのちぶせと言っています。

棟方志功は、一般的な「版画」とは書かずに、敢えて「板画・・」と書く。野性的な手触りと彫りの強さが文字から伝わってくる。もう四半世紀になると思うが、たまたま出張先で開催中の棟方志功展に足を運んだ。体調はかんばしくなかったが、会場を後にしてから心身の調子が変わった。とても不思議な感覚だった。

棟方の代表作の一つが『釈迦十大弟子』。1955年にサンパウロ国際美術展で最高賞、ベニス・ビエンナーレで世界版画最優秀賞を受賞した作品。十人弟子が題材だが、文殊と普賢を配して十二の像を「六曲一双ろっきょくいっそう」*の屏風に仕立てている。

*屏風が六つの画面でできているので「六曲」(屏風は六曲が多い)。「そう」は二作の絵図がペアで作品になる。六曲一双とは、六曲の屏風が二点で一組を構成しているという意味。

この釈迦十大弟子には、偶然と言って済ませられない奇跡的なエピソードがある。構図などの作意は一切なく、棟方はただ一心不乱に彫った。そして、出来上がってから気がつけば、六人が右を向き、残りの六人が左を向いている。衣の具合も彫った顔立ちや姿勢も想像の賜物だったが、後日辞典にあたってみると、そこに紹介されている仏像に恐ろしいほどまでにそっくりなのであった。

抜き書き録〈テーマ:ありよう〉

📖 『禅語録』抄録版

握ればこぶし、開けばてのひら

握ると怒りになり、開くと心が通じる。指と掌の形によって意味が反対になる。グー、チョキ、パーと役割が変化するのも同じ。同じ指と掌なのに勝ったり負けたり引き分けたりの結果が生まれる。

水は方円の器に随う。水は器という対象に応じて形を変える。ものの本質は一定した不変のものではない。視座によってものは違って見える。実は、違って見えるのはものの本質ではなく、見る者の心の、精神の、ことばのありようを反映する。

📖 『ゲーテ格言集』

当為とういと意欲があるが、能力がない。
当為と能力があるが、意欲がない。
意欲と能力があるが、当為がない。

㊟ 当為はドイツ語のSollenゾルレンの訳。「なすべきこと」(時に「あるべきこと」)という意味に近い。自分が持つテーマ/生きがいと考えればいい。

なすべきことを成す気は満々だが、残念ながらそんな能力がない。なすべきことを成す能力があるが、一丁やってやろうという気分ではない。やる気も能力も十分にあるが、成すべきことが何かを知らない。人が何事かを成すには、当為と意欲と能力の3点セットが欠かせないわけだが、3つに分けているあいだはうまくいかないような気がする。

📖 『ここにないもの 新哲学対話』(野矢茂樹著)

「何かをことばで言い表わすと、そこには何か言い表わしきれないもどかしさみたいなものがつきまとうことがある」
「そのもどかしさっていうのは、そこまでことばで言い表わしたからこそ、姿を現したものなわけだ」

特別な工夫も努力もしていないのに、何かを思いついたり、その思いつきをことばで言い表わせたりすることがある。「ラッキー!」などと言って喜ぶが、実は、そんな単純なものではない。何もしていなかったら、何も現れてきたりしないのだ。自覚はないのかもしれないが、どこかで苦心していたはずである。今のありようが別のありように転じたことを偶然などと思ってはいけない。「わからないこと」が「わかる」ようになるのは、考えることとことばにすることのもどかしさを越えたからである。

古本よもやま話

古道具や古着や古本には、かつて売られた定価よりも高値がついているものがある。手に入りにくくて希少であり、それを欲しがる人が多ければ高額になる。古物市場では〈需要>供給〉なら値段が上がり、〈供給>需要〉なら値段が下がる。後者の、値段が下がる場合にいいものが稀にあり、それを「掘出し物」と呼ぶ。

古本屋で手に入れたい本が見つかれば――見つからなくても同じジャンルでよさそうなものがあれば――たいてい買うようにしている。あまり迷わない。基本500円以下の安いものをいろいろ漁っているうちに掘出し物に出合う。稀覯本きこうぼん蒐集マニアではないので、高値のついているものはよほど欲しくてもめったに買わない。

夏目漱石の『心』『道草』『明暗』の3冊セットの復刻版(函入り)を岩波書店が創業70周年事業として41年前に発行した。これを見つけて買ったのがたぶん20年位前で、定価のない非売品である。文字通りpricelessプライスレスだが、古本屋がつけた値段プライス500円。この数字が高いか安いかは判断不能。価値のほどは読者が実感すればいい。


十代半ばから本は自分の小遣いで買うようになった。図書館で本を借りたのは小学生の頃までだ。十代の頃は古本を買わなかったし、古本を遠ざけていた。古書店で売られている本はどれも瑕疵や汚れがあって不潔そうだった。赤インクか血液かわからないような滲みのあるページを触った後に、その手で菓子はつまみづらかった。

比較的新品に近いと思って買ったものの、ページを繰ると意味不明な書き込みや傍線を見つけることがある。この本の前の読者が目を付けた「重点箇所」が刷り込まれるようで嫌だった。今では普通に古本を買うが、なるべくそういうシルシのないものを選ぶようにしている。新品同様の古本でも誰かが売り誰かが読んだはずだから、古本を読めば誰か知らない他人の指紋をなぞっていることになる。以前ほど神経質にはならない。


ずいぶん前に『芭蕉全句集』の単行本を300円で手に入れた。昭和51年(1976年)3月発行の初版本で、発売当時の値段は1,200円。作句年代順に配列され、一句ずつ丁寧な注釈が付いている。今は角川ソフィア文庫から現代語訳付きで出ているが、初版の単行本サイズの雰囲気には及ばない。よく精査して偽作や誤伝を除くと、芭蕉の生涯の句は976だそうである。固有名詞や季語さえわかればスイスイと読める。

ところで、先月頂戴した大島幸男氏の第一句集『雪解』に収められた作品は384。芭蕉の作品の約4割だが、芭蕉全句集の数倍以上の時間を費やして一巡目の味読(分析?)を終えた。秀句も多いが、風流な語彙と異文化に攻められて苦戦した。この半月は記録的によく辞書を引いたと思う。今日から二巡目に入ったが、慣れのせいか心持ち軽く感じている。