抜き書き録〈テーマ:絵画〉

芸術の季節と言えば、通り相場は「芸術の秋」だが、たとえば「美術の春」があっても不思議ではない。春にどこかに出掛けて風景を眺めたり街中でたまたま展覧会の前を通り過ぎたりする時、美術の春を想う。春に目に入ってくる対象は明るい水彩画のモチーフになる。

ゴールデンウィークは近場に出掛けてよく歩いたが、どこの美術館も要予約。行き当たりばったりでは入館できない。と言うわけで、絵画に関する本で美術不足を補った。もっぱら鑑賞側の愛好家だが、久しぶりに絵筆をとってみようという気になっている。


🖌 読書画録どくしょがろく(安野光雅)

いわゆる画家が、自分を芸術家だと信ずるために、看板絵などを軽く見ることのすくなくなかったそんな時代に、場末の風俗や、安花火や、果物屋の店頭に、時代に先んじて美しさを発見し、
――つまりはの重さなんだな――
といわしめる一の檸檬を絵にしたのである。

画家である安野は梶井基次郎の小説『檸檬』を読んで、この作品を絵だと思ったと言う。小説の読後の感覚と絵画鑑賞の感覚に同等の感動を覚えたのだ。本書の表紙は安野自ら描いた京都三条と麩屋町ふやちょうの交差するところ。すぐ近くに丸善があった。当時、『檸檬』を読んでその余韻を求めてやって来た人が多かったはずと安野は思う。

🖌 『絵はだれでも描ける』(谷川晃一)

(……)上手な絵だけが絵画ではないし、上手ということがそのまま見る者を感動させるとはかぎらない。むしろ上手に描くことによって真の魂の創造的表現力が失われることもめずらしくないのである。
ここでいう「創造的」とは何か。(……)「創造美術教育」のリーダー的存在であった久保貞次郎は(……)創造的である作品の特徴を次のように分類している。
1、概念的でない。
2、確固として自信にあふれている。
3、生き生きとして躍動的。
4、新鮮、自由。
5、迫力があるか、または幸福な感情にあふれている。

上手でなくても絵の好きな児童が描く創造的な絵はおおむね上記の5つの特徴を満たしている。他人に認められるモチーフや技を過剰に意識し始めると条件からズレてくる。モチーフについては次の一冊が参考になる。

🖌 『千住博の美術の授業  絵を描く悦び』(千住博)

画家の場合、モチーフとの出合いは一生を左右します。だから私は、モチーフは自分で得たものではなくて、「与えられたもの」だと思うのです。従って、少し描いて飽きた、とか、一枚描いたらもう繰り返し描かない、などというのではなく、何枚でも何枚でも描くのです。

イタリアのボローニャに旅した折り、市庁舎内でジョルジョ・モランディの常設作品展をじっくりと見た。モランディは主に卓上静物というテーマに生涯取り組み、同じような作品を次から次へと生み出した。しかも晩年はボローニャから外には出ずアトリエに閉じこもって創作を続けた。どれも似たり寄ったりで、あまり好みの筆遣いではなかったが、記念に101セットの絵はがきを買った。買った当時よりも今のほうが気に入っている。モチーフに憑りつかれてこそ生まれる画風の個性なのだろうか。

抜き書き録〈テーマ:短編小説〉

小説の抜き書きをすることはめったにないが、今回は短編小説の「つかみ」と「結び」に注目してみた。長編とは違って、短編ではつかみで緩むことは許されないし、だらだらと物語を結ぶわけにもいかない。『教科書名短編――人間の情景』(中公文庫)所収の作品からつかみと結びをいくつか取り上げる。

📖 つづみくらべ」   山本周五郎

 庭さきに暖かい小春日の光があふれていた。おおかたは枯れたまがきの菊のなかにもう小さくしか咲けなくなった花が一輪だけ、茶色に縮れた枯葉のあいだから、あざやかに白いはなびらをつつましくのぞかせていた。

庭や花に不案内な者でも――そして、たとえ文字から想起するイメージが鮮明でなくても――姿と色が情景として浮かび上がるような気がする。庭の全体や他の花は見えてこない。しかし、文字が紡いだところだけははっきりと見える。次の文が続いて音も聞こえてくる。

 お留伊るい小鼓こつづみを打っていた。

この一文が、作品の中身のほとんどをジャンプして、下記の結びの3行につながっている。

 「いィやあ――
こう・・として、鼓は、よく澄んだ、荘厳でさえある音色を部屋いっぱいに反響させた。……お留伊は「男舞」の曲を打ちはじめた。

こう・・として澄む」とは、耳を澄ますの意。中学の国語教科書にしてはハイレベルだ。指導する教師も大変に違いない。

📖 前野良沢まえのりょうたく   吉村 昭

 入口の戸をたたく音がしている。
書見台と対していた前野良沢まえのりょうたくは、医書からをはなした。淡いで文字を追っていたかれの目は充血している。

戸をたたく音と部屋とが対比される。ほぼ闇のような空間の沈黙が破られ、人物のただならぬ集中が途切れる。抽象語がない。いきなりの抽象語はつかみに向かない。

📖 「高瀬舟たかせぶね」    森 鴎外

 次第にふけて行くおぼに、沈黙の人二人を載せた高瀬舟は、黒い水のおもてをすべって行った。

森鴎外には叙述的な書き出しが多い印象があるが、それだけにここぞという時の叙情が光る。この短編の結びで音は聞こえないが、動きとともに色の変化が見える。水面に朧月の色が少し滲みているはず。


錚々たる作家の手になる12の短編から、選んだのはわずかにつかみが2つ、結びが2つ。表現候補がおびただしいだけに、物語の劈頭へきとう掉尾ちょうびは悩ましい。

本と書架の風景

著名人のエッセイを収録した『書斎の宇宙』(高橋輝次 編)は、書斎、机と机の周辺、原稿用紙や筆記具についてのこだわりと思い出と葛藤を語るアンソロジー。机上についての話がおもしろい。木山捷平は「机の上」と題した小文の冒頭で「本日只今現在、私の机の上にあるものを、無作為列記法によって右から順々に記述する」と宣して、すべてを書き尽くす。

机の上の目に入るものを枚挙するのは簡単だと思ったが、実際にやってみると、机上には雑多なものがおびただしいことに気づく。根気が続かないし、やっているうちにバカらしくなって断念した。同じ章の「机上風景」では井伏鱒二は眼鏡、灰皿、硯箱、文鎮、ペンを取り上げる。これだけなら、ざっと見渡せばいいからできそうだ。

机上風景があるのだから、書架風景もある。本と本棚についてはキャリアだけは長いので少しは語ることができる。20183月にオフィスをリフォームしようと思い立ち、ついでに読書室を設けることにした。以前からオフィスにあった数千冊から3,000冊ほどセレクトし、そこに自宅の蔵書約5,000冊を合わせて所蔵することにした。同年6月に開設。


開設してから今年の6月で丸7年になる。新たに購入したり寄贈を受けたりして所蔵図書は増え続け、別室の2室の書架にも合わせて1,000冊以上保管している。気がつけば、ほぼ空っぽになった自宅の書斎でも再び1,000冊程度の蔵書状態になっている。本をどうするかという問題は永遠に解決することなく、それどころか、年々深刻化する。

自然の風景を眺めればストレスが消え去るように、書架風景も煩わしい本の増殖問題をしばし忘れさせてくれる。本と自分、自分と本棚の間には距離がある。絶妙の距離感を覚える時、本をよく読み、本棚に頻繁に手を伸ばすようになる。一度遠ざかってしまうと、読書室で本棚を眺めることもなくなり、読書も億劫になる。

本を読まなかったわけではないが、この1年はおそらく今世紀で最も本と本棚との縁が薄かったように思う。最近ようやくその気・・・になってきた。本を買ってすぐに読まず、ひとまず本棚に入れる……狙いもなく適当に未読本や既読本を本棚から取り出す……読んだ本を本棚に戻す……本に触らずに背表紙を眺める……こういう行動はその気になった時に現れる。

古本屋の店頭で

昭和な雰囲気漂う古書店。奥の方には専門書や古文書も多数揃える本格派だ。手の届かない高い棚に手の届かない高額稀覯本が並んでいる。対して、通路側の店頭には1,000円未満の単行本、200円未満の文庫本が並べられ、一部は雑に積まれている。週替わりであの手この手の店頭セールをおこなう。

この店だけでなく、あの手この手に乗せられて本を買い過ぎた。生涯買った本は1万冊を下らないが、読みたくて手に入れたものばかりではない。本を買うか買わないかに悩んだら、たいてい買ってきた。安価な古本は特にそう。どんな本にも目を通すが、熟読するのは半数。読書家と思われているが、そうではない。実は「買書家」なのである。

先週その店の前を通りかかると、単行本1200円セールの日だった。1200円だが、3冊買うと500円という、よくある設定。以前は黙って無理やり3冊選んでいたし、時には3の倍数の6冊や9冊を買っていた。2冊は決まった、しかしよさそうなあと1冊が見つからない。2400円でもいいのに、3500円にしたくなる心理が働く。

こんなふうにして読まない本もどんどん増えていったが、読書にも飽きてきたし置き場にも困るようになり、最近は少数精鋭主義で本を選ぶようにしている。どの店のどんな魅力的なセールであっても、買うのは1冊と決める。「ついでの本」に惑わされず、お金を使わない。

と言うわけで、その日手に入れた「この1冊」は『私の死亡記事』。文藝春秋が企画して依頼状を出したら、各界著名人102名が了承して執筆したという。あいうえお順に並ぶので阿川弘之の次に娘の阿川佐和子が続く。他に高峰秀子、田辺聖子、筒井康隆、細川護熙、横尾忠則……。トリは昨年亡くなった渡邉恒雄だ。

自分の死亡記事は存命中でないと書けない。2000年発行なので、執筆した102人は当時は元気だった(少なくとも文章を書けた)。あれから25年、生きている執筆者は少数派になった。編集部が余計な注文をつけるまでもなく、錚々たる書き手はユーモアを心得て書いている。略歴のまとめ方、死亡の原因、年月、享年など工夫があっておもしろい。

「原宿族の若者らと乱闘になり、全身打撲、内臓破裂で死去、九十六歳」(筒井康隆)
「香港の南昌地区にある永安老人病院で死亡した日本人女性が、二十年前に失踪した作家の桐野夏生さん(七十四歳)とわかり、周囲を驚かせている」(桐野夏生)
「自宅庭のハシゴより転落し、外傷性脳内出血のため死去、九十四歳」(渡邉恒雄)

「私儀、今から丁度一年前に死去致しました。死因は薬物による自殺であります。銃器を使用するのが念願だったのですが、当てにしていた二人の人間とも、一人は焼身自殺、もう一人は胃癌で亡くなり、やむなく薬物にしました」。こう綴り始めたのは評論家の西部邁。この死亡記事を書いた18年後、実際に薬物を口にして入水自殺した。合掌。

抜き書き録〈テーマ:ヨーロッパ〉

ヨーロッパに関する蔵書が100冊以上ある。何度も読み返している本もあれば、買ったままの未読本もある。ヨーロッパへの関心は思想や中世がきっかけだった。やがて、街、料理、芸術・文化、建築について書かれたくだりを拾い読みするようになった。訪れた街の記述に出合うと、感覚や記憶が一気に呼び覚まされる。


📖 『ふだん着のヨーロッパ史――生活・民俗・社会』(井上泰男)

西欧農村と関係の深い野生の動物としては、鹿のほかに、狐、穴熊、雉子きじ、野兎、蜜蜂などがあり、それらは二十世紀のはじめごろまで、特別に注意を惹かないほどたくさん棲んでいた。

古代からケルト人やゲルマン人の祭りの行事に縁のあった動物は鹿である。人々は「豊」を祈って歩き踊り、一部の人たちは鹿の頭部の剥製をかぶっていた。肉食を好むから必然狩猟の儀式。日本に残る儀式は農がらみで、祈っているのは穀物の「豊穣」である。なお、いろんな野生動物を食してきたジビエ料理家に尋ねたら「美味の筆頭は断然穴熊」と言った。

📖 『ヨーロッパの風景――山の花・文化の華紀行』(福山孔市良)

ブリュッセルはベルギーの首都である。(……)ブリュッセルの町にはグラン・プラスと呼ばれる美しい広場があり、ここがすべての中心点である。この広場はギルドハウスに囲まれた110メートル×70メートルの方形広場で、南側には1315世紀に建てられた市庁舎があり、(……)

ナポレオンはヴェネツィアのサンマルコ広場が世界一美しい広場だと言った。ヴィクトル・ユーゴーが世界一美しい広場と讃えたのはブリュッセルのグラン・プラス広場。パリ滞在時、日帰りでブリュッセルを訪れたことがある。サンマルコとグラン・プラス、甲乙つけがたいが、夕暮れ時の市庁舎の美しさを加味すればグラン・プラスに軍配を上げたい。

📖 『ヨーロッパの街から村へ(画:安野光雅)

カンポ広場[シエナ イタリア]

本書は絵はがき20枚を綴じた文庫本である。通常の文庫本のサイズで、見た目の体裁も文庫本である。ただ、絵はがきとして使われることも想定しているので、文章は一行もなく、はがきの裏面に場所の名称と街と国名だけが記されている。
この本でも広場に目が行った。二度訪ね、エスプレッソを飲みながら約2時間過ごしたカンポ広場は、グラン・プラスとサンマルコよりも気に入っている。

 

📖 『遥かなヨーロッパ』(柴田俊治)

これがパリだといえる看板通りといわれると月並みだがやはりシャンゼリゼになる。
シャンゼリゼがいかにも豪華、壮麗なアベニューにみえる一つの秘密は、全長約2キロのこの大通りが、コンコルド広場から凱旋門まで、歩いても気がつかないほどのわずかな勾配で上りになっているところにあると思う。

二度往復しているが、わずかな勾配にはまったく気づかなかった。坂ならわかったはず。しかし、凱旋門の端に立てば「真っすぐに延びる大通りの全部が見通せる」と著者は言う。通りの車、並木、人の群れ、カフェ、建物が弓の弦の上に乗ったようにせりあがって見えるそうだ。ところで、何度覚えても“Champs-Élysées”の綴りはすぐに忘れてしまう。

抜き書き録〈テーマ:調味〉

「調味」というテーマの本を読んだわけではない。仕事の合間に年明けからエッセイ集や詩歌集や軽いプチ哲学を読み、いつものように抜き書きしていたら、調味でつながった次第。


📖 『こんがりパン おいしい文藝ぶんげい

幸福そのものだ、と思う食べ物に、フレンチトーストがある。ミルクと卵にひたしたパンを、バターをとかしたフライパンで焦げバター色に焼き、焼きたてに砂糖をふって食べる。熱くて、ふわっとしていて、ところどころ香ばしく、心から甘い。
(「フレンチトースト」江國香織)

幸福そのものとまでは思わないが、たまに衝動的に作って食べる自家製のフレンチトーストはおいしい。著者が言う通り、香ばしくて甘いというおいしさだ。父はモーニングのトーストにグラニュー糖をまんべんなく上手にまぶして食べていた。甘いものを敬遠する人でもフレンチトーストだけはおいしいと思うはずである。

📖 『ベスト・エッセイ2016

居酒屋での会話。店員「焼き鳥はタレと塩とどちらになさいますか?」 友人A「…」、友人B「…」、私「…、じゃ、塩で」、友人AB「塩で」。白状すれば、タレのほうが美味おいしいと私は思っている。けれども、店員にたずねられて即座に元気よく「タレ!」と返答するのが何となく気恥ずかしい。
(「タレと塩」松木武彦)

30代の頃によく通った焼き鳥店の店主も「皮はタレですか、塩ですか?」といちいち聞いてきた。しかし、もし一択なら焼き鳥はすべて、塩ではなく、タレがいい。最近、焼肉でも塩が通みたいになってしまったが、断然タレのほうがおいしい。肉に合うタレを調味してこそ焼肉店の面目躍如ではないか。何よりもタレで食べる焼肉はライスに合う。

📖 『尾崎放哉句集』

煮凝や彷彿として物の味

暖かき灯にかざす新海苔の青さ

一つ目の句は五七五時代、二つ目は自由律以後の句。一句目の「煮凝にこごり」は視覚的で、ありありと想像するほどに固形物が視覚から味覚に変わる。にこごりはあまり強い匂いを放たないが、味はしっかりしている。
味付け海苔をよく食べた時期があった。しかし、新鮮な海苔なら醤油も甘みもいらない。先日アンコウ鍋の〆を
雑炊にしたが、塩で味を調ととのえずに、海苔を小さく割いて添えた。海苔の調味のワザは見事だった。

生卵こつくり呑んだ

これも放哉の句だが、生卵を割ってそのまま呑むなら余計な味付けはいらない。卵そのものがすでに味を調えてくれている。

抜き書き録〈テーマ:食のエピソード③〉

食べることに関心が薄れたり本を読まなくなったりする同世代に「危なっかしさ」を見る。シニアと呼ばれるようになってから、より一層食事に好奇心を掻き立て、これまで同様に本を読み話をすることに励んできた。本から食のエピソードを抜き書きするというのは、シニア時代を生き抜く負荷の少ない一石二鳥の方法だと思っている。


📖 『食卓のつぶやき』(池波正太郎)/  朝食

いまの世の中は、物べて、固有の匂いというものが消えてしまった、かのように思われる。(……)むかし、男たちの朝の目ざめは、味噌汁の匂いから始まった。
味噌ばかりではない。野菜も卵も豆腐も、醤油も納豆も焼き海苔も、それぞれに個性的な香りをはなち、そうした、もろもろの食物が朝の膳に渾然こんぜんとした〔朝のムード〕をかもし出していた。

味噌汁は定食屋で補充するか、時々夕飯でいただく程度。コーンフレークはたまに食べるが、残念なことに香ってくる匂いがない。トーストと目玉焼きからは匂いは漂うが、同時に淹れるコーヒーの香りが優勢。味噌汁の朝食をよく知っている身としては、コーヒーが香る朝食はまったく別物で簡素に見える。しかし、コーヒーとトーストと目玉焼きの朝食は意外に手間暇がかかる。味噌汁に比べて手抜きとは言えないのである。

📖 『奇食珍食』(小泉武夫)/  軟体動物・腔腸動物

(……)貝類だけは活きの良いもの以外、生で食べてはならない。(……)だからあわび栄螺さざえ牡蠣かき、赤貝など生きているものはまず例外なく生食。少し鮮度が落ちれば煮るか炒めることにしよう。

生の貝を嫌がる人は少なくない。磯臭いのとヌルヌル感がダメらしい。ホタテなどは寿司でも刺身でもうまいが、もちろん炙っても煮ても揚げてもいい。しかし、新鮮ならまずは生で食べてみたい。
テレビ番組で鹿児島自慢の二枚貝の「月日貝」が紹介されていた。大阪では口に入らないと思っていたところ、先週末に市場で見つけてしまったのである。「刺身で食べて! ヒモとキモは焼いてもおいしい」という威勢のいいオバサンの助言にしたがう。蓋を開けて、包丁を入れずにそのまま一口で食べた。ホタテよりも甘味が濃い。

📖 『ざんねんな食べ物事典』(東海林さだお)/  老人とおでん

大暑一過。と思ったらたちまち木枯らし一陣。
ということになると一挙おでん。時の過ぎること疾風のごとし。(……)
ついこないだガリガリ君をかじっていたと思ったら今はコンニャクをアヂアヂなんて言いながらかじっている。
というわけで、早速おでん屋のノレンをくぐる。店内はおでんの湯気モーモー。
客のほぼ八割が五十代。男性。

おでん屋はかなりごぶさたしているし、居酒屋でもおでんを注文することはない。おでんは自家製になって久しい。オフィスの近くに屋台風のおでん屋があったので、よく通った。五十代ではなく、三十代から。熱燗はおでん屋で覚えた。すずかアルミ製の「ちろり」(関西では「酒たんぽ」)からコップに注いで飲んだのも最初はおでん屋だった。

抜き書き録〈テーマ:食のエピソード②〉

一昨日に続いて食がテーマ「昔からある和の食材」にまつわるエピソードを抜き書きした。


📖 『魚味礼讃』(関谷文吉)/  紫式部はイワシ好き

身分の卑しい者が食べる魚だから「イヤシイ転じてイワシ」とか、大きい魚のエサになる弱い魚だから「ヨワシ転じてイワシ」とか言われる。たくさん獲れるから安っぽく感じ、平安時代の昔からイワシは下賤の食べ物とされてきたそうだ。ところが、紫式部がイワシ好きだったと知って、庶民は俄然心強くなる。

イワシは臭くてたまりません。「無下に賤しきものを好み給ふものかな」と叱責する亭主の藤原宣孝に対し、
 日の本にはやらせ給ふ岩清水まゐらぬ人はあらじとぞ思ふ
日本人であれば岩清水八幡に詣らない人はいないのと同じように、イワシも日本人なら食べない人はいないとやりかえしたそうです。

獲れたてをぜひご賞味あれと、セレブな光る君たちにも光るイワシを食べさせて「うまい!」と言わせたのだろうか。

📖 『駒形どぜう噺』(五代目越後屋助七)/  思い出の作家

好きよりも嫌いが多いのが「どぜう料理」。複数人の集まりには向かない。どぜう汁、どぜうの柳川は何度か食べているが、たいてい一人。残念ながら、名店駒形どぜうでどぜう鍋を賞味したことはない。味のほどはわからないが、通の有名人が駒形を語ったり綴ったりしているのを知って、想像を掻き立てられる。駒形どぜうを贔屓にしていた詩人サトウ・ハチローの詩が残っている。

(……)
むぞうさにおとうしと徳利を
おいて行く女の子の
くるめがすりが目にしみる

くつくつ煮えはじめたどじょう鍋と
酒の酔いが
すぎし日の悔恨と郷愁を
かわりばんこに こみあげさせる

はしでつまんだ どじょうのヒゲを
むねの中でかぞえるわびしさ
誰かがつくった ざれ句が唇からもれた
――きみはいま 駒形あたり どじょう汁……

📖 『そば通ものしり読本』(多田鉄之助)/  瓦版流行歌とそば

すでに消えた昔の風習はおびただしいが、年越しそばは今も廃れていない。明治20年頃までは、年越しの夕方に「御厄払いしましょう、厄落とし」と言いながらやって来る職業があったそうだ。家に招いて厄を落としてもらい、銭と餅の礼をした。早口で愉快な口上を述べたら、「西の海とは思えども、この厄払いがひっ捕らえ、東の川さらり」という決まり文句で終わる。厄払いの文句の型を模して綴られたのが次の「蕎麦づくし」。

    蕎麦づくし
アアらめでたいな――、またあら玉の新そばに、御祝儀めでたき手打そば、親子なんばん仲もよく、めうとはちんちんかもそばで、くれるとすぐにねぎなんばん、上から夜着をぶつかけそば、たがひにあせをしつぽくそば、てんとたまらぬ天ぷらそば、かけかけさんへあんかけの そのごりやくはあられそば、やがてお産みの玉子とじ、あつもりおいてそだてあげ、てふよ花まきもてはやし、かかるめでたきおりからに、あくまうどんがとんで出、やくみからみをぬかすなら大こんおろしでおろしつけ、したじの中へさらりさらり。

艶話つやばなしを巧みに匂わせながら、親子南蛮、鴨蕎麦、葱南蛮、ぶっかけ蕎麦、卓袱しっぽく蕎麦、天麩羅蕎麦、かけ、餡かけ、あられ蕎麦、玉子とじ、熱盛あつもり、花巻の12種の蕎麦を仕込んである。温かい蕎麦ばかりで、ざるがないのが物足りない。

抜き書き録〈テーマ:食のエピソード①〉

暑い夏は読書欲が消えるが、食材・料理に関する本なら少しは読める。抜き書きが溜まってきたので何回かに分けて書こうと思う。今は文庫本で出ている本だが、最初に刊行されてから3040年経っている。読んでいて現代とのズレを感じる文章もあるが、食に関しては決してマイナスにならない。


📖 『粗食派の饗宴』(大河内昭爾)/  「ハヤシライス」

丸善の創設者早矢仕はやし有的ゆうてきが、横浜に店のあったころ従業員の昼ご飯に、ご飯とおかずが一皿ですむハヤシライスを考えだしたという説(……)
コマ切れ肉を、ハッシュと言い、転じて肉と野菜の煮込みをハッシュというので、ハヤシライスはそのハッシュドビーフライスがなまったとするのが一方の説。

料理名の由来には諸説があるもの。初見の説がもっともらしく思えるが、おもしろそうな説に与したいのが人情だ。ハッシュドビーフライスがハヤシライスに転じたという説が真説っぽくも、あまり驚かない。「ハヤシさん」が最初に作ったからハヤシライスという、ウソっぽい説のほうが楽しい。

📖 『たべもの芳名録』(神吉拓郎)/   「牡蠣かき喰う客」

軍手をはめた手で、殻をしっかりつかみ、カネのへらを殻の間に差し込んで、ぐいとやる(……)馴れないうちは、ただ力むだけで、殻はこなごなになるし、それが貝の身にくっついて、食べるときに、やたら、ぷっぷっと破片を吐き出すという面倒なことをしなければならない。

牡蠣好きでも自分で殻を開ける人は少ない。十年程前、勉強会の食事用に100個以上の殻付き牡蠣の提供を受けたことがある。殻剥きは最初の56個は苦労するが、殻の形から貝柱の位置がわかるようになり、そこにナイフが入れば、力を入れなくても殻が外れる。牡蠣は殻付きのものを自分で調理して生食するに限る。なお、長引く暑さのせいで、今年の牡蠣は今のところあまりよくない。

 

📖 『むかしの味』(池波正太郎)

いつしか、私たちは、ビル群の谷間へ埋め込まれたような、おはつ天神の境内へ足を踏み入れていた。
「あ、そうだ。まだ残ってますよ、残ってますよ」
と、友だちが叫ぶようにいい、私の腕をつかんで、境内の一隅へ連れて行った。
「ふうむ。残っているねぇ……」
七、八人も入れば一杯になってしまう小さな店〔ひこ〕が、まさに、むかしのままに残っていた。

どうです、入りましょうか? と聞かれて、池波は「いうまでもない」と即答した。この店、話には聞いたことがある、焼売の店。数年前に店じまいしたようだ。冬の夜更けのお初天神で熱々の焼売はうまいに違いない。焼売を注文すると、豚の骨髄から取った白濁スープが出たらしい。

抜き書き録〈テーマ:おもしろい〉

本棚に入れたままだったのが2冊、最近古本市で買ったのが1冊。仕事もあるので隅々まで丁寧に読む時間はない。ジャンルは違うし大笑いするわけではないが、いずれも「おもしろい」。3冊共通のテーマにふさわしい。


📖『ぜんまい屋の葉書』(金田理恵)

おみくじは人がつくります。
それを人が引きます。
その時神さまどっこいしょと乗り出します。
「あんたはこれ引きなさい。中吉かい、またおいで。」

著者が年賀状や暑中見舞いを出しているかどうか知らない。しかし、上記のような小話や季節の挨拶や視点を毎月葉書にして、活版印刷で一枚ずつ印刷して知人に送っている(それらを本にした)。活版印刷の味を生かしたイラストや柄模様も添える。文章がおもしろい。わがブログもそろそろ「おもしろい」に特化する時かもしれない。


📖『ことばの国』(清水義範)

『永遠のジャック&ベティ』で知られる著者の本は何冊か持っている。一冊も完読していないが、気ままにページを繰れるエッセイや小説なのでちょっと空いた時間に読むにはありがたい。
ことわざパロディに20ページほど割いている。創作ことわざに手を染めたことがあるので、ぼくのツボである。本書の「二兎を追う者は目がいい」はまずまずだが、鬼奴の「二兎追う者はウサギ好き」には及ばない。「餅は餅屋」のパロディがバカらしくておもしろい。

餅は餅や
そんなこともわからんのか。餅をバームクーヘンだとでも思ってるのか。アホ。
〔使用例〕
「だから、餅は餅や。まだわからんのか」


📖『街に煙突があったころ』(清水 潔)

1988年発行の本なので、それ以前の風俗史である。つまり、今から見れば40年、50年、時にはもっと昔の昭和まで遡る。四十いくつかの「もの」「ファッション」「慣習」の中から、タイトルになった煙突を差し置いて栄養ドリンクを抜き書きする。

「リポビタンD」(大正製薬)。昭和三十七年四月に登場し、それまでのアンプル剤の病的なイメージを破る(……)ビン詰は、十分世間の注目を引いた。
小さな巨人、オロナミン(大塚製薬)が発売されたのが昭和四十年。リポDは認可を受けた「医薬品」だが、オロナミンは(……)医薬品から外された。

一見残念な扱いを受けたように見えるが、これが幸いした。清涼飲料だからオロナミンは薬局以外でも取り扱え、販路はリポビタンの5倍になったのである。

リポビタンD、オロナミン、アリナミン、グロモント、ユンケル、タフマン、リアルゴールドなど、錚々たる顔ぶれのドリンク剤。ネーミングが力強い。勢い余って昭和の終わりには大丸東京店にドリンク剤専用バーまでできた。ドリンク剤小史はおもしろい。