大阪市中央区の東西の真ん中、南北の北端に天満橋がある。ここにオフィスを構えて35年、「このエリアなら隅々まで勝手知ったる……」と言いたいところだが、そうはいかない。未踏の地もあれば、更地になって様子がわからない一画も少なくない。
先週ワインを嗜む食事会を催した。大学の後輩5人が参集。飲み食いしてハイおしまいではもったいない。大阪にあまり詳しくない遠来の3人と午後の早い時間に近場を散策することにした。天守閣まで足を延ばすと時間が足りなくなるので、城の西側の外堀までに区切って一巡り。それが下図のルートである。
① 起点:釣鐘町1丁目のオフィスを出発。
② 谷町1丁目の交差点。ここから東方向に比較的大きく天守閣が見える。大きく見えるのは直線距離ゆえ。10分ほどで行けそうに見えるが、実際は大手門を通って迂回するので半時間かかる。
交差点から北へ下る「大きな坂」が大阪の由来と言われる。マユツバっぽいが、どうやら本当らしい。
③ 昆布店のある場所が八軒屋浜の船着場跡であり、このあたりから熊野街道が始まる。立派な無料の冊子が置いてある。
④ 道路を北に渡れば大川。ここが現在の八軒屋浜で観光船の発着場になっている。
⑤ 土佐堀通りを東へ少し歩くと、6カ月前に開業したヒルトン大阪城が現れる。歩道橋に上がると左方向に天守閣が姿を見せている。コテコテではなく、凛とした大阪城を眺められる数少ない絶景ポイントの一つだ。
⑥ 大手門。門をくぐれば、正面に城内ベスト10に入る3つの巨石がある。
⑦ 大手門から南へ、堀の角あたりが六番櫓の堀向かい。秋が深まる晴天の日には空と紅葉のコントラストが美しい。
⑧ まずまず広い公園になっている難波宮跡。一時的に大阪に都があったことを知らない大阪人がかなり多い。
⑨ 谷町筋に出ると、気づかずに通り過ぎてしまうような碑が建っている。井原西鶴終焉の地。もちろん、西鶴がここで交通事故に遭って死んだのではない。道路向かいの鎗屋町の自宅で亡くなったのである。
⑩ 福沢諭吉が学んだ適塾には大村益次郎も在籍していた。その大村の寓居跡は現在クリニック。大村も医者だったので、クリニックは子孫筋かもしれない。
⑪ 町名になっている釣鐘。かつて釣鐘屋敷があった。現在、コンピュータ制御によって午前8時、正午、日没の3回鐘が鳴って時刻を告げる。ここにも無料の小冊子が備えてある。
① 終点:200メートル北上して起点に戻った。
私は大阪生まれの大阪育ちですが、大阪を離れて40年以上になります。大阪市内は仕事でも7年いたのでよくわかっていると思っていましたが、今回天満橋を起点に散策して岡野氏から説明を受けると、いかに自分が大阪を知らなかったのかと嘆かわしくも感じました。
案内いただいたルートをもう一度地図で辿ってみました。大阪を知る上で意義のある沢山のスポットを1時間余りのやや駆け足でしたが訪ねられ、また天気がよかったこともあり、普段とは違う新鮮な気持ちになりました。
また次回も参加し天神橋から中之島方面も行ってみたいと思います。
今回はどうも有難うございました。
橋本さん、おはようございます。例の地図の10から11へのルート。11から真っすぐ下に行く道が熊野街道です。真っすぐ上に行くと4の八軒屋浜です。京都を船で出てこの浜に着いて、たぶん宿に泊まって翌日に街道を住吉大社方面へ歩いて熊野詣のスタートを切ったのでしょう。
天神橋から西方面は中之島で堂島川と土佐堀川に分かれます。その分岐点界隈は名所がいろいろあります。先日のルートは速足で1時間半、中之島ルートは昼食も入れて3時間はいるでしょう。みんなで集まる時はもちろん、何かのついでで来阪機会があればお知らせください。
昨日、大阪城内六番櫓と二の丸の外堀端を歩いて森ノ宮まで行き、真田山経由で7kmの散歩をしてきました。あの日から11日、堀端の風景は秋色を濃くしていました。今月末までが見ごろかもしれません。外国と勘違いするほど、人種のるつぼを思わせる観光客でにぎわっていました。