取捨選択と向き合う

5月に今のオフィスを退去する。また、6月には自宅の引越しも控えている。年明けから毎日、仕事時間の約半分と自宅での約2時間を、モノ、書類、本の取捨選択に費やしている。所有物の要不要の判断だけなら楽勝だが、取り扱い注意の機密書類やデータが膨大で時間がかかる。手書きのものは、不要と判断した後もノスタルジーや執着が絡んできて逡巡する。

書類や企画書は当初シュレッダーだけで処分していたが、完了予定日から逆算すると間に合いそうにない。しかし、ある時点からスピードアップし始めた。機密情報は取引のある運送会社の書類溶解サービスを利用することにした。段ボール12,000円ほどするが、シュレッダーのような手間はない。年賀状や経理資料や企画書などを箱に詰めて引き渡せば済む。

問題は要不要判断中のノスタルジーとの闘いだ。残すか、捨てるかの岐路でそのつど手を止めていたが、ある日、残したいと強く思うものから潔く捨て始めることにした。高校時代から書き綴ってきた愛着のある日記や文章の類、写真アルバム、表彰状や通信簿の類、著書の下書き原稿、両親の形見などをすべて処分した。あれほど後生大事にしてきたものを捨てたのだから、他のものは推して知るべし。断捨離は加速した。

仕事関係や海外旅行の写真はiCloudに保存し、iPhoneiPadWindowsで同期・共有しバックアップ。紙の資料や講演・研修テキストはすべて廃棄した。未公開のアイデアノート数10冊はかさばるが保持する。書き写したりスキャンするほうが面倒だから。自宅には趣味の道具類がおびただしい。しかし、時間のできるこれからは出番が増えそうだから残す。

最後の最後まで悩み苦しみそうなのが、付き合いが一番長い本になるだろう。読んだ本は処分しやすいという考え方があるが、ぼくの場合は読んだ本の方が多く残り、未読の本ほど処分対象になりそうな気がする。数千冊の蔵書のうち、引っ越し先に移動するのは約500冊と決めている。これからの2ヵ月はかなり厳しい取捨選択に向き合うことになる。

処分対象になる本にもいいものがかなりあるし、他人には役に立つかもしれない。3月頃に友人知人に案内して希望者には無償で提供するつもりだ。

大がかりな断捨離を控えて、昨年暮れに「今後1年間は本と文房具は新たに買わない」と一大決心した。一方で処分しつつ、他方で買い足すのはナンセンスきわまりない。これからしばらくの間は、文具店を冷やかし本屋で立ち読みすることになりそうだ。

ふと考えたり思い出したり気づいたり

仕事中や散歩中、ぼんやりしたり腕組みしたりしている時、あるいは図録を繰ったり音楽を聴くともなく聞いている時に、関係のないことをふと考えたり思い出したり気づいたりする。年末から今日までの、そんな諸々を振り返ってメモしてみた。

📝 自宅の電波時計は遅れ気味、オフィスの電波時計は進み気味。

📝 ふと考えた、「明日の、遠くの問題解決よりも、今日の、近くの問題解決」。

📝 二十世紀以外に知っている梨の名前には「水」が付いている:幸水こうすい豊水ほうすい南水なんすい

📝 ライチの味がする、アルザス地方の白ワイン品種「ゲヴュルツトラミネール」。飲んだのはだいぶ前のはずなのにふと思い出した。覚えようとしてもすぐに忘れる名前だが、正確に再現できたのはどういうわけか。Googleフォトで「ワイン」を検索したら、2013年に飲んだ北イタリアのワインの写真が割と簡単に見つかった。

📝 マイナスイオン効果の信憑性や科学的根拠について、その後どんなことが議論されているのだろうか?

📝 ふと気づいた、昨年末にオープンした店の、店名の下の“Since 2025”。ずっと先になってから入れるほうがいい。

📝 「徒弟とてい」を「従弟いとこ」と読んだあの時。「相模さがみ」をあやうく「相撲すもう」と読みそうになったこともある。

📝 年賀状じまいをしたが、年賀状は相変わらず数十通届く。そうそう、昨年の1通に「早々の賀状ありがとうございました」というのがあった。ぼくは出してないって。

📝    「読書はインプットではなく、アウトプットです。本に書かれていることを理解するには自分の知識が必要。その知識を参照する行為はアウトプットなのです」と講演で話したことを思い出した。読書が単純なインプット行為なら、読書で苦しむことはないはず。

雑談「おもしろい、愉快、幸せ」

何をしている時が楽しいか、おもしろいって何か、おもしろい・愉快に理由はあるか……来客とのそんなこんなの雑談の一コマ。


あることに心を惹かれる。そんな時間が続き、そのことをおもしろがり、楽しいと感じている。おもしろければ楽しい。逆に、満たされず不愉快に感じるならおもしろくない。おもしろくなければ楽しくない。表現の堂々巡りに陥りそうだ。

にもかかわらず、そんな――どうでもよさそうな――お喋りを延々と続けられるのはおもしろいからだ。では、おもしろいを愉快に変えたらどんなニュアンスの違いが出るのか。ここで『新明解国語辞典』で『愉快」を引いてみた。

そのものの持つおおらかさ・おもしろさ・楽しさが、日常たまったストレス、わだかまりや憂うつなどを一時忘れさせ、しばらくの間伸びやかで満ち足りた気分にさせる様子……

ことばの定義をするのが辞書の仕事だが、あることばを別のことばで説明するには限界がある。結局、愉快とは不愉快を忘れるご機嫌な状態ということか。ずっと楽しいと言うよりも、一時的に楽しむのが愉快の本質かもしれない。

4色ボールペンをもらったことがある。自分では2色ボールペンでさえ買ったことがないが、せっかくなので4色ボールペンを何日間か使ってみた。使いこなそうとは微塵も思わなかった。色分けして文字を書いたり線を引いたりする必要性を感じない。使っていて楽しくない。幸せを感じない。こんなボールペンを便利だと思う人の気が知れない。

どんな些事であれ、小さな学び事であれ、何かを知ることに夢中になる。それは理屈ではなく、おもしろいからだ。おもしろいから散歩する、おもしろそうだから珍味佳肴を食べてみる、おもしろいから本を読み、おもしろいから旅に出る。かつてはおもしろかったけれどおもしろくなくなってきたら、もう夢中にはならない。

「人生の究極は幸福だ」とアリストテレスが言った。日々を楽しみ、愉快に過ごせれば幸せなのである。何事であれ、おもしろがっていれば多幸感に包まれる。使命感も事を続けていく力にはなるが、負担を感じるようなら幸福には到らない。

幸福と同様に、おもしろいとか愉快とかは、それ以上分解もできず理由も説明も必要とせず、生活の素地になっているような気がする。

最後の晩餐のこと

ミラノのサンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会内の修道院食堂に描かれた壁画。それがレオナルド・ダ・ヴィンチ作『最後の晩餐』である。大がかりな修復が完了したのが1999年。その7年後の2006年秋、「パリ→ミラノ→ヴェネツィア」の旅程を組んで出掛けた。飛行機の旅券とホテルの予約以外は行き当たりばったりの合計12泊の旅。

パリでは競馬の最高峰とされる凱旋門賞を観戦した。目的ではなかったが日本馬ディープインパクトが出走するので「これも何かの縁」とばかりにロンシャン競馬場に出掛けた。パリ滞在中は知人と会ったり美術館に行ったりとすぐに予定は詰まった。

他方、ミラノでの行動は、西北西へ列車で45分ほどのベルガモの訪問以外は計画無し。朝起きて街中を散歩したり地下鉄や路面電車で移動したり、行き当たりばったり。ミラノの3日目、もしかして要予約の『最後の晩餐』の鑑賞にキャンセルが出ているかもしれないと厚かましくも教会を目指した。もちろん予約無しで入館できるはずがなかった。来たついでなので、近くの「レオナルド・ダ・ヴィンチ記念国立科学技術博物館」へ行く。人が少ない。絵画の展示はないが、それ以外のダ・ヴィンチのマルチタレントぶりの展示を堪能した。


『最後の晩餐』にはキリストと弟子である十二使徒との共食シーンが描かれている。イタリア語では“L’Ultima Cena”(ルルティマ・チェーナ)という。日本語の晩餐にはフォーマルな響きがあるが、イタリア語のcenaチェーナは普段の夕食にも使うので重厚さや高尚感はない。

ずいぶん前になるが、「私の最後の晩餐」というようなテレビの企画番組が何度か放送された。よく食べてきた好物を最後の晩餐に選ぶ人と、食べたくても高級だったり手に入りにくかったりして逃してきた料理を選ぶ人がいる。人生で一番おいしいと思ったものを最後の食事に指名するとはかぎらず、おにぎりやお茶漬けだったりするかもしれない。

壁画の写真を見ても最後の晩餐の料理がよくわからない。修復後に専門家が鑑定したところ、食卓には魚料理、オレンジ(またはレモン)、赤ワイン、パンが確認された。魚は鰻のグリルという説もある。ちなみにキリスト教の「過越祭すぎこしのまつり」の定番メニュー、仔羊のローストは描かれていない。

鑑賞機会を失ったから愚痴を言うのではないが、最後の晩餐にはどうもなじめない。最後にも晩餐にも引っ掛かる。と言うわけで、次のようなことをつぶやいている。

本当に最後になるかどうかもわからないのに、最後と言うのはおかしいではないか。社交界や高級ホテルのフルコースとは縁遠く、夕飯を晩餐と呼ぶのに抵抗がある。晩餐を晩ご飯に言い換えるべきだ。みんな、晩餐と言うのは今夜でやめよう。そう、これが『最後の晩餐』。明日からは自宅のご飯もあの名画も『晩ご飯』と呼ぼう」

ジョークの背景知識

こんなジョークがある。

「ゾウはどうして大きくて、灰色で、シワだらけなの?」
「小さくて、白くて、丸かったらアスピリン錠になっちゃうからさ」

面白さの度合は人それそれだとしても、「アスピリン錠」を知らないし見たこともなければこれがなぜジョークになるのかわからない。ドタバタ喜劇やダジャレやことば遊びは背景知識がなくても笑えるが、背景知識がないと笑えないジョークがある。

その日、天国では門番の聖ペドロに急用ができて休んだ。気のいいイエスが自ら申し出て門番を務めることになった。
昼下がり、門をノックする音が聞こえた。イエスが開けると、そこによぼよぼの老人が佇んでいた。老人は言った。
「門番さま、聞いてください。私は老いぼれた大工です。私には一人の息子がいました。とても可愛がっていました。でも、ある日どこかへ行ってしまったのです。ええ、世界中を探して回りましたよ。どこに行っても、みんな息子のことを人づてには聞いたことがあると言ってくれました。でも、実際には見たことがないと言うのです。どうか教えてください。もしかして私の息子はここにいるのではないでしょうか?」
この話を聞いていた門番役のイエスの目から涙が溢れ出した。イエスは急に両手を広げて叫んだ。
「お父さん! 私が息子です。会いたかった!」
「ああ、やっぱりここにいたのか……」
イエスを抱きしめて老人も叫んだ。
「ピノキオ!」

イエスの父もピノキオを作って人間に育てたゼペットじいさんも大工。イエスの父はヨセフ。ゼペットはジュゼッペの愛称で、遡れば聖書のヨセフと同じ名前。イエスの父はイエスが12歳の時に離れ離れになった。いろんな誘いに惑わされてピノキオも行方不明になる。イエスとピノキオには共通点がある。

最初このジョークを英語で読んだが、「大工の息子」というタイトルがついていた。プロットにとって必須ではない。むしろ「父と息子の再会」または「息子をたずねて世界の旅」のほうがいいかもしれない。父のヨセフという名を重視するならジョークを大幅に書き換える必要がある。

人形から人間になった息子を探しに天国までやって来た父親……その父親の話を涙ながらに聞いたイエスは12歳で生き別れた父親のヨセフだと思い、「お父さん!」と叫ぶ……お父さんと叫ばれれば、ゼペットじいさんは叫んだ相手をピノキオだと思うのは当然……という次第でオチがついたのだが、背景知識がないとチンプンカンプンだ。

このジョークを披露すると、3分の1の人が笑い、3分の1の人がポカンとし、そして残りの3分の1が見栄で分かった振りをして小さく笑う。

道を聞く、道を聞かれる

目的地への道順がわからない時、以前は駅員、店のスタッフ、通りがかりの人らに聞いたものだ。道を聞く時は目的地を告げる。尋ねた相手がその場所に不案内の場合は別の人に聞く。ホテルのフロント係は目的地を知らなくてもとことん調べてくれる。地図上に線で道順を記してくれたりもする。

スマホで簡単に地図と経路がチェックできる今、道を聞くことはめったにない。しかし、誰かに道を聞かれるのは相変わらずよくある。外国からの観光客、スマホを持たないシニアに道を聞かれる。先日は韓国人旅行者が、スマホでチェックしても行き先が出てこないと言って場所を聞いてきた。オークション会場だったが、無事に突き止めてあげた。

学生時代、奈良にはどう行けばいいかと海外からの旅行者に聞かれたことがある。イタリアのご婦人二人。一緒にいた先輩が「連れて行ってあげよう」とぼくの同意も得ずに申し出た。近鉄奈良線で奈良までお連れした。行き帰りで2時間のボランティア。以来、同行する道案内はやめた。「○○ホテルに行きたい」という旅行者には、タクシーをすすめ、地下鉄なら最寄駅を伝える。

「どこどこまで歩いて行きたい」と道を聞かれるのが困る。一昨日のシニアのご婦人がそうだった。キャスター付きのショッピングカートを引きながら、こちらに近づいてきた。

「ちょっとよろしいでしょうか。この近くにホームセンターはありませんか?」
「すみません、他所から来ている者で、この辺りは不案内なんです」
困った表情をするので、スマホで調べてあげた。
2店舗ありますね。ほら、ここが現在地で、近い方のホームセンターはここから歩いて20分です」
「ありがとうございます」
「今が一番暑い時間帯ですよ。タクシーを拾われたらどうですか?」
「いえいえ、ここまですでに半時間歩いてきましたから、大丈夫です」
何が何でも歩く気満々のようなので、もう一度スマホの画面を見せて、ここを真っすぐ行って二つ目の角を左折して、また真っすぐ行って川を渡り……と懇切丁寧に目的地まで示した。

ぼくよりも年配なので、さらに歩き続けるのはどうかと案じたが、去って行く後ろ姿は矍鑠かくしゃくとしており、今風に言えば「アクティブシニア」の典型のように思えた。求めたものを無事に買えただろうか。

開店/閉店や建設/解体が目まぐるしい現在、地元民ですら最新情報には疎くなっている。他人に何かを聞けば時間も取るし、手を煩わせることになる。自力で調べるにはやっぱりスマホも持たねばならない。他力に頼るのは百円ショップのみで、求める品を自分で探すことはせず、いきなり商品の棚を店員に聞く。早くて精度が高いからだ。

酷暑の夏をどう乗り切るか?

先週、大阪市で最高気温が31℃にとどまった日が1日だけあった。連日35℃超が続く日々にあって31℃は想定外の気温だ。その日の深夜から朝方にかけてはエアコンを切り、少し窓を開けて外気を取り入れた。微かに風も感じられて心地よかった。しかし、敬老の日の昨日は再び35℃に戻った。あの日の31℃の体験があだとなり、ぐったりした。

フレイル予防についてはコラムを書いたことがあるが、夏場の健康法については詳しくない。何とか書けそうなのは夏にひたすら耐える日常の過ごし方くらい。今年の夏バテの象徴は「蓄積型熱中症」だと専門家が言う。熱にやられた身体が翌日に回復せず、じわじわとボディブローが効いてくる疲れだ。そんな疲れに苦しまないための『私家版「酷暑の夏を乗り切る7カ条」』をここに記す。

1. 気温が高くて陽射しが強かろうが、息苦しくなるほど蒸し暑かろうが、少なくとも6,000歩、できれば1万歩超を歩くように心掛ける。天然のサウナだと思えば何とか耐えられる。

2. ほぼ毎日半時間~小1時間、ストレッチに励む。歩行不足を補うために股関節を緩めてから下半身筋トレをおこなう。ついでに腕立て伏せを30回ほど。

3. 乳酸菌飲料と一緒にビタミンB類、ビタミンC、マルチミネラルのサプリメントを摂取する。納豆、オクラなどのネバネバ系も意識して食べる。

4. 夏場に本を読んだり考えごとしたりするのは苦痛だが、脳が白旗を上げるまでは何とか頑張る。本は1冊を読もうなどとは思わず、飽きないように適当に拾い読みする。

5. 考えなくても趣味としてできることをやってみる。ワインを飲んだらイラストを速描して色をつける。旅の写真を見てスケッチをする。脳が発熱しないので暑さを忘れられる。

この夏だけで12cm×12cmの小さなスケッチ帳(80枚)を1冊使い切った。

6. シャワーだけでなく、なるべく40℃前後の風呂に入るようにする。クナイプの入浴剤を入れて深く鼻呼吸する。風呂の時だけでなく、常に深い腹式呼吸を意識する。

7. 肉類と夏野菜とスパイス料理を毎日食べる(鰻よりも確実に元気になれる)。冷たい素麺やざる蕎麦に安易に逃げない。今年の夏は冷たい麺類ではたぶん乗り切れなかった。

大した7カ条ではないが、日々仕事をこなしながらルーチンにするのは容易ではない。容易ではないが、せめてこのくらいのことをしないと地球温暖化時代の夏は乗り切れない。

酷暑の街歩き

わずかな凸凹の道でもつんのめることがある。たいてい左足の着地時に起こる。よそ見歩きして油断すると危ない。年寄りだけではない。先日、前を歩いていた若者もつんのめっていた。暑さでやられている時の足取りの重い歩行は要注意だ。

階段の2段上がりができると思っていたら、いつの間にかできなくなっている。やろうと思えばできるが、無理は禁物。身体の動きに関して言うと、昨年までできていたことが今年しづらくなっていることに気づく。日々平均8,000歩ほど歩き、フィットネスを小1時間しているにもかかわらず。

できると思っていることができないのは身体の動きでは実感できる。実感して少々落胆する。同じことが脳でも起こっているはずだが、脳の場合、あることを思い出せない時に「あれは何だったかなあ」と苦笑いで済ませてしまう。ところが、脳の働きが階段2段上がりができなくなるような状態になっているかもしれないのだ。そう思うとぞっとする。

不要不急で外出するな、自宅にいるなら24時間ずっと部屋を冷やせ、水分はこまめに補給せよなどの熱中症対策には耳を傾けるが、はたして涼しい自宅に閉じこもって水分ばかり補給していてよいものか。熱中症予防と引き換えに運動不足や感覚障害や胃弱症状に悩まされそうな気がする。と言うわけで、酷暑でも欠かさず最低2時間は外出するようにしている。

メトロの最寄駅まで歩き、数駅――場合によっては10駅以上――向こうの、あまり馴染みのない駅で降りる。行き当たりばったりもあるが、大阪メトロが配布しているリーフレットを事前に読んでおく。日傘を差して、なるべく日陰を求めて歩き、旧跡や神社仏閣を訪ねる。メトロで行って歩き、メトロで帰ってくる。ランチを兼ねて外出すれば所要34時間。金曜日の歩数は15,000。辛いほど暑かったが、夕方の42℃の風呂が心地よかった。

土曜日の昨日はメトロを使わずに近場を歩いて8,000歩。地下街や商業施設の地下通路を利用して暑さをしのぐ。古本屋、カフェ、文具店に入り、あまり歩かない通りに足を踏み入れる。碑や看板や建物の写真を撮る。今日は午後3時現在、まだ外に出ていないが、身体に渇を入れるために夕方に外出する。焼肉を考えているが、写真のホルモン店ではない。

ブログ、2,000回という通過点

本ブログ、“Okano Note”は今日のこの投稿で2,000回を数える。何かシャレたことを書いてみようと思ったが、平凡に172,000回の雑感を綴ることにする。

2,000回の一つ前に1,999回があり、2,000回の一つ後ろに2,001回がある。こうして見ると、2.000回が他の回と同じく一つの通過点であることがわかる。どういうわけか、1,000回や2,000回を区切りにしようとするのが人の常。しかし、「ちょうど100」と言うのもあれば、「ちょうど257」と言うのもある。

「ちょうど」というのは人間界で人間が作り出している。誕生日が1225日の人が買物をして1万円札を渡した。お釣りが1225円だったら、ぴったりちょうど感を覚える。ただそれだけのことだ。ブログの2,000回は数えていたのではない。投稿一覧に投稿回数が出るから知っただけのこと。

徒然なるままに文を綴るにしても、動機も無しに週2回ペースで続けることはできない。動機の内容が同じだと来る日も来る日もよく似たことを書かざるをえない。飽きないように長く続けるには多様な動機がいる。多様な動機が多様なテーマのヒントを授けてくれる。

サービス精神のつもりでも説明が過剰になると嫌がられる。親切心で綴っても、小難しい文を読む他者には迷惑なことがある。饒舌に要注意だ。しかし、思いつきの短文を適当に書いてけろりとしているわけにはいかない。公開とは責任を負うことなのだから。

「継続は力なり」と言うけれども、何の力なのかが明らかにされない。ずっと続ければいったいどうなるのか……継続は力なりの「力」は、続けるという力である。つまり「継続は継続する力をもたらす」の意。そう、この言い回しは同語反復トートロジーにほかならない。

書いた文章を照れもせずに抜け抜けと公開しているわけではない。自分の書いたものを他人様ひとさまにお読みいただくのは、内心うれしくもあり、また自信にもつながるのだが、内実の心境としては少々気が引ける。17年経った今も少々恥ずかしい気持に変わりはない。書いたり話したりすることには照れがつきまとう。

これからも、考えることや気づいたこと、その他諸々の見聞を――書かないよりは書いておくほうがいいと判断して――公開していこうと思う。衒学に走らず、また自己陶酔に陥らないように気をつけて。

2025年6月のエピソード写真

今年の6月、月末は厳しくなったが、例年に比べると、特に朝夕ははまずまず過ごしやすかった。あっと言う間に過ぎた。わざわざ書きとめるほどの話ではないが、写真を見ながら振り返ってみた。


先週、本ブログ『語句の断章』で「阿漕あこぎ」を取り上げた。阿は曲がり角、ご機嫌とり、親しみを込めた呼称を意味する多義語。白川静がどんなふうに語源を探ったのか。辞書を開いた。だけに一番最初に出てくるだろうと思いきや、収録されていなかった。

事務所からの帰り道、道路工事が長引いている場所がある。ここを歩くたびに、この水道の記号が目に入り、コテ(ヘラ)を連想してお好み焼きを食べたくなる。


かなり巧妙な手口でリュックサックの中の、財布は盗られず、財布の中のクレジットカードだけが抜かれた。利用内容の確認メールが入って気づいた。「利用に覚えがない」をクリックしてカードを無効化し、再発行を申請。インドルピーの通貨で30万円ほど使おうとしたようだ。被害の有無に関わらず、こういう事案は警察に届ける。

蕎麦の有名店で修業した料理人が独立して店をオープンした。行ってみた。いい仕事をしている。二八の硬い蕎麦が自分に合う。それはそうと、天ぷら付きざるそばはすっかり高級料理の仲間になった。

夏に日傘を差すようになって3年目。朝に東に向かい、夕方は西に向かう。片道123分だが、もう手放せなくなった。但し、暑さしのぎの代償として視野は狭くなる。

眼科が処方した2種類の目薬のうち1つが品切れだった。「明日なら入ります」とのことで、翌日調剤薬局を再び訪ねた。自宅に帰るともらったはずの薬がない。あちこちを探し、翌日に事務所でも調べ尽くした。ない。また薬局へ。手渡したと確信した調剤薬局、たしかに受け取ったと思ったぼく。結局、薬局に置いてあった。
代金を払い終えたのに商品を受け取らずにその場を離れることが、時々ある。そして残された商品に気づかない店員も、時々いる。