ブログ、2,000回という通過点

本ブログ、“Okano Note”は今日のこの投稿で2,000回を数える。何かシャレたことを書いてみようと思ったが、平凡に172,000回の雑感を綴ることにする。

2,000回の一つ前に1,999回があり、2,000回の一つ後ろに2,001回がある。こうして見ると、2.000回が他の回と同じく一つの通過点であることがわかる。どういうわけか、1,000回や2,000回を区切りにしようとするのが人の常。しかし、「ちょうど100」と言うのもあれば、「ちょうど257」と言うのもある。

「ちょうど」というのは人間界で人間が作り出している。誕生日が1225日の人が買物をして1万円札を渡した。お釣りが1225円だったら、ぴったりちょうど感を覚える。ただそれだけのことだ。ブログの2,000回は数えていたのではない。投稿一覧に投稿回数が出るから知っただけのこと。

徒然なるままに文を綴るにしても、動機も無しに週2回ペースで続けることはできない。動機の内容が同じだと来る日も来る日もよく似たことを書かざるをえない。飽きないように長く続けるには多様な動機がいる。多様な動機が多様なテーマのヒントを授けてくれる。

サービス精神のつもりでも説明が過剰になると嫌がられる。親切心で綴っても、小難しい文を読む他者には迷惑なことがある。饒舌に要注意だ。しかし、思いつきの短文を適当に書いてけろりとしているわけにはいかない。公開とは責任を負うことなのだから。

「継続は力なり」と言うけれども、何の力なのかが明らかにされない。ずっと続ければいったいどうなるのか……継続は力なりの「力」は、続けるという力である。つまり「継続は継続する力をもたらす」の意。そう、この言い回しは同語反復トートロジーにほかならない。

書いた文章を照れもせずに抜け抜けと公開しているわけではない。自分の書いたものを他人様ひとさまにお読みいただくのは、内心うれしくもあり、また自信にもつながるのだが、内実の心境としては少々気が引ける。17年経った今も少々恥ずかしい気持に変わりはない。書いたり話したりすることには照れがつきまとう。

これからも、考えることや気づいたこと、その他諸々の見聞を――書かないよりは書いておくほうがいいと判断して――公開していこうと思う。衒学に走らず、また自己陶酔に陥らないように気をつけて。

2025年6月のエピソード写真

今年の6月、月末は厳しくなったが、例年に比べると、特に朝夕ははまずまず過ごしやすかった。あっと言う間に過ぎた。わざわざ書きとめるほどの話ではないが、写真を見ながら振り返ってみた。


先週、本ブログ『語句の断章』で「阿漕あこぎ」を取り上げた。阿は曲がり角、ご機嫌とり、親しみを込めた呼称を意味する多義語。白川静がどんなふうに語源を探ったのか。辞書を開いた。だけに一番最初に出てくるだろうと思いきや、収録されていなかった。

事務所からの帰り道、道路工事が長引いている場所がある。ここを歩くたびに、この水道の記号が目に入り、コテ(ヘラ)を連想してお好み焼きを食べたくなる。


かなり巧妙な手口でリュックサックの中の、財布は盗られず、財布の中のクレジットカードだけが抜かれた。利用内容の確認メールが入って気づいた。「利用に覚えがない」をクリックしてカードを無効化し、再発行を申請。インドルピーの通貨で30万円ほど使おうとしたようだ。被害の有無に関わらず、こういう事案は警察に届ける。

蕎麦の有名店で修業した料理人が独立して店をオープンした。行ってみた。いい仕事をしている。二八の硬い蕎麦が自分に合う。それはそうと、天ぷら付きざるそばはすっかり高級料理の仲間になった。

夏に日傘を差すようになって3年目。朝に東に向かい、夕方は西に向かう。片道123分だが、もう手放せなくなった。但し、暑さしのぎの代償として視野は狭くなる。

眼科が処方した2種類の目薬のうち1つが品切れだった。「明日なら入ります」とのことで、翌日調剤薬局を再び訪ねた。自宅に帰るともらったはずの薬がない。あちこちを探し、翌日に事務所でも調べ尽くした。ない。また薬局へ。手渡したと確信した調剤薬局、たしかに受け取ったと思ったぼく。結局、薬局に置いてあった。
代金を払い終えたのに商品を受け取らずにその場を離れることが、時々ある。そして残された商品に気づかない店員も、時々いる。

あの日から17年が過ぎた……

今日のこのブログの記事から3スリー2ツー1ワンとカウントダウンしていくと、来月初めに投稿2,000回の節目を刻むことになる(つまり、今日が1998回目の投稿)。第一号は200865日、『新しい発想に「異種情報」と「一種情報」』という記事。文章量は控えめな616文字だった。

何度か12ヵ月の空白もあったが、挫折せずに何とかここまで来れた。約17年間、年平均117投稿、おおむね週2回ペースを続けてきた。本業の企画と並行して、30代後半から講演・研修を始めたが、こちらは10年前にすでに2,000回に到達した。その時、ブログもひとまず2,000回を目指そうという励みを得た。

何か一つのテーマについて深く書くほどの専門分野は持たないが、何でもありなら割と器用に書ける自信はあった。いろいろ企画して書くこともあるが、基本は普段の手書きノートから適宜ネタを拾っている。最初の頃と同様、今も大きなブログテーマはないが、一応下記のカテゴリーを念頭に文章を書くようにしている。

▢ことばカフェ ▢アイディエーターの発想 ▢Eats Journal ▢Items ▢エピソード ▢世相批評 ▢オムニバス ▢五感な街・アート・スローライフ ▢創作小劇場 ▢Memorandum at Random ▢名言インスピレーション ▢思考の断章 ▢温故知新▢本棚と読書 ▢風物詩


実は、今日は途中まで次の文を綴っていた。

風景や花を見る。見て何かを語る。その時、自発的に感じて語るのか……あるいは、その対象に分け入って対象の「声」に反応して語るのか……。ものの見方や語りは、やれ前者だ、いや後者だと、主張は二分されるだろうが、そこに結論があるはずもない。どっちもあるのだ。

ここまで書いて、そうだ、わがブログは結論が出ないことやどっちがいいかわからないことを書いてきた、とふと思ったのである。そしてチェックしてみたら、あと3投稿で2,000回に達することがわかった。

ところで、昼にチキンカレーを食べてきた。カレーは週に1回も食べないが、仮にそのペースで2,000食目に到達するには40年かかる。17年で2,000回のブログ投稿を自賛するつもりはないが、カレーと比較してみれば、まずまず「スパイシーな・・・・・・記録」と言えるかもしれない。

インド料理店の看板に思う


通りの角に立つ看板に気づいただけで、店は見ていない。当然入店していない。

「パキスタン人が経営する本格パキスタン料理」の店に時々行く。「ネパール人が経営するインド/ネパール料理」の店にも行く。しかし、インド料理と銘打った店で本格的なインド料理を食べてきたという自信はない。

あくまでも一説だが、あるカレー通が言うには、かつてインド人が料理するインド料理は本格的であり、シェフは日本人の舌に合わせる妥協はしなかったらしい。ところが、ネパール人が経営するインド料理店では、本格インド料理にこだわろうとせず、日本人好みの味付けをして人気店になった。現在、日本にあるインド料理店と呼ばれる店を経営し、そこで働いているのはほとんどがネパール人と言われている。

ネパール人の店ではネパール料理も出していたはずだが、表看板をインド料理とするほうがわかりやすい。それが、やがて「インド/ネパール料理」と併記されるようになり、今では主客転倒して「ネパール/インド料理」という看板を掲げる店も目立つようになった。

ネパール料理、インド料理、スリランカ料理、パキスタン料理、そしてアラブ料理など、いろいろ食べてきたし、本も読んできた。インド料理を専門に研究してきた日本人の著書が紹介している料理に、見覚えのあるものは少なく、ほとんどが初見である。つまり、ここ何十年、ぼくたちが食べてきたインド料理はたぶん本場ならではの本格ではなく、日本風のインドカレーっぽい料理だったかもしれない。

定食メニューの最初に「ダルバート」があれば、それは間違いなくネパール料理であり、おそらくネパール人が作っている。「ネパール人シェフが作る本格ネパール料理」は大いにありうる。

ネパールの国民食、ダルバート


飲食業界がグローバル化して、居酒屋の厨房を仕切っているのがアジア人という店が増えている。四半世紀前に東京で「イラン人(らしき人)が握る寿司屋」に少し戸惑ったが、今はどの国の人が何料理を作っても不思議でも怪しくもない時代になった。とは言うものの、「インド人シェフが作る本格日本料理」という看板には依然として少し違和感を覚える。

偏見かもしれないし器用さゆえかもしれないが、日本人シェフなら何料理でも本格的に作ってしまうはず。「日本人シェフが作る本格フレンチ」も「日本人シェフが作る本格中華」も当たり前になって久しい。

待つ覚悟をして列に並ぶ

自称「待たない男」のぼくが、ランチ処で順番を待った。年に1回なら待つこともあるが、先週だけで2度も待った。スリランカカレーの店内での15分待ちは大したことはなかったが、海鮮料理の列には店外で40分並んだ。食事処の待ち時間の新記録になった。


「半時間待つ」と「半時間待たされる」は同義語。しかし、「待つ」には覚悟がある。待つに値する見返りが期待できるからこその覚悟だ。

「待つ」と言えば、サミュエル・ベケットの不条理戯曲『ゴドーを待ちながら』を思い出す。2人のホームレスが存在不詳のゴドーをずっと待つ。ゴドーは第1幕で現れず、焦れた観客は第2幕に期待するが、ゴドーは劇中でついに現れない。

「待つ」と言えば、あみんが歌った『待つわ』も思い出す。あの曲の「私」も、願いが叶えられるかどうかもわからないのに、かなり辛抱強く待つ。

♪ 私 待つわ いつまでも待つわ
たとえあなたが ふり向いて くれなくても
待つわ(待つわ) いつまでも待つわ (……)

いつまで待つのか? 「他の誰かに あなたがふられる日まで」だから、未来永劫、他力本願で待つのである。



さて、先週の海鮮料理の話に戻る。午前11時の開店時間に行けば、すでに50人ほど並んでいる。誘導されたのは列の最後尾。席数が450もある店なのに1巡目で入れなかった。ところが、ぼくの後ろに新たにできた50人ほどの列を見てほっとした。入店までの40分を長く感じなかった。待つには待ったが、着席して注文してから2分後に食事にありつけたのである。

世界名言格言辞典で「待つ」の項を引いたら、フランスの人文主義者フランソワ・ラブレーの「待つことのできる者にはすべてがうまくいく」が出てきた。待ち続けてチャンスに恵まれなかった例を多数知っているので、これはにわかに信じがたい。

しかし、次のフランスの格言、「落ち着いて待つ者は待ちあぐむことがない」が、まさに海鮮料理店での順番待ちに当てはまった。あの時のぼくは待ち人としては珍しく落ち着いていた。目当ての料理はカツオとハランボのたたきだった。藁焼きの香しい匂いが精神を浄化したように思われる。

夢に現れた駅

夢は唐突に始まり、話が飛躍して場面もころころ変わるもの。本来終わってはいけないところで突然終わって目が覚める。論理がでたらめでイメージもあいまい。と思いきや、妙に筋が通っているところがあり、ある場面のディテールが異様なまでに精細に描かれたりする。



その夢はぼくが駅舎に近づく場面から始まった。この場面に既視感デジャブを覚えたが、初めてかもしれない。寄棟よせむね屋根の複数の建物から成る、ちょっと古びた木造の駅舎だ。ホームは4番線ほどありそうに見えた。周辺の風景ははっきり見えなかったが、夕暮れ時の昔ながらの街の郊外のような雰囲気に思えた。

ところで、夢から覚めてすぐにフィリップ・K・ディックの『地図にない町』を思い出した。あの短編の冒頭では、定期券を求める乗客の小男が行き先を「メイコン・ハイツ」と告げる。しかし、窓口の駅員はそんな名前の駅も町も知らないと言う。しかも地図にも載っていない……。

夢に現れた駅の名はわからない。しかし、ここにやってきたのは家に帰るためだ。昨日ぼくは(おそらく)仕事か何かの用事でこの街を訪れ1泊した。そして夕方の今、この駅で復路の切符を買い求めようとしている。どこへ帰るかは当然わかっている。急行で2時間半の所がわが家の最寄駅だ。

窓口で行き先の駅名を告げて次の急行に乗りたいと言った。駅員は怪訝な顔をして首を傾げ、別の駅員の所に歩み寄り、小声で何かを確認している。戻って来た駅員は「本日の急行は終わりました。次の急行は明朝の午前330分になります。それでよろしいですか?」と言う。

「ちょっと待ってください。昨日の往路の時刻表では急行は1時間に1本か2本はありましたよ。復路だって同じことでしょう。満席ということですか?」とぼく。「満席も空席も関係なく、とにかく急行は明日の午前330分までありません」と駅員。

何かがおかしい。しかし、冷静に考えることにした。乗り継ぎや遠回りでもいい、目的の駅にさえ着けばいい……そして言った、「同じ行き先の別路線の急行なら他にあるでしょう。ちょっと調べてください」。駅員は不機嫌な表情をあらわにして、窓口を去り、ドアの向こうに消えた。10分、20分、30分……待てども駅員は戻ってこない。さらに時間が過ぎていく……。

ここで夢から醒めた。動悸が少し早くなっている。時刻は午前6時。夢の中で午前330分の急行に乗っていたら、ちょうど駅に到着した時間だ。夢の中で列車に乗り損ねた時の動揺は、現実の体験以上に大きく激しい。

ことばとモノの光景

🔃

行きつけの店の担々麺には半端ない量の肉味噌が入っている。麵を食べた後に、肉味噌の肉と鷹の爪とスープが鉢の底に残る。ミンチ肉を残すのはもったいない。だが、食べ切ろうとしてレンゲを使えばスープも鷹の爪も一緒にすくってしまう。
ある日、穴あきレンゲがテーブルに備えられていた。そうそう、これがいい……と思ったが、穴あきレンゲでもミンチ肉と鷹の爪は同居する。結局、レンゲに残った肉を口に運ぶには
箸で鷹の爪を取り除くことになる。スープがない分、穴なしレンゲよりも多少は食べやすいが、肉と鷹の爪を分別できるレンゲは開発されるだろうか。

🔃

「安っ!」と言うと、料理の値打ちが下がるので、「真心のこもりし御膳春盛り」などと五七五でつぶやくようにしている。
「夢を信じた若き頃 今を信じて生きる日々」などと
七五調でつぶやくと、深刻な話もリズムを得て軽やかになる。

🔃

「雲と空」と「空と雲」。どっちでも同じだろうと思ったが、書いてみたら違って見える。
雲と言うと、言外に空を感じる。だから「雲と空」と言わなくても「雲」とだけ言えばいい時がある。
他方、空と言うだけでは、雲のことは思い浮かばない。だから雲のことも言いたいのなら「空と雲」と言わねばならない。

🔃

大きな虹が出た。みんなが見上げた。鈍感な人も視野の狭い人もみんな見上げたはず。大きな虹は人々を分け隔てなく包容する。
虹が出ていなくても、時々空を見上げてみるものだ。空を見上げるのを忘れたら、目を閉じて空を想う。それを「空想」と言う。

🔃

風景や花を見る。見て何かを語る。対象と距離をおいて感じようとするから語れるのか、それとも、対象に分け入って交わろうとするから語れるのか。
ものの見方や語りは、やれ前者だ、いや後者だと、主張は二分されるが、白黒がつく話ではない。どちらもあるかもしれないし、どちらでもないかもしれない。

🔃

晩ご飯よもやま話

広報や広告に従事していた30代の数年間、よく働きよく食べていた。夜の食事が深夜になることも、昼食抜きで12時間連続仕事することも稀ではなかった。振り返ればあの頃は体力はあったが、体調には波があった。体調は加齢した今のほうが断然よい。

夜遅く食べない、夜に過食しないことを心掛けただけで、体調がみるみる改善したのである。昼に麺やライスを少々盛っても心配ない。その程度のカロリーオーバーは午後の頭脳労働で帳消しにできる。体調維持の鍵を握るのは「夜をどう食べるか」なのだ。

最近は夜の外食を控えているが、先週末にスペイン料理店に行った。5時半に入店し、小さなピンチョスのおつまみにグラスビール。生ハムとトリッパの煮込みに赤ワインを合わせる。〆は魚貝のパエリア。7時過ぎに会計を済ませて、あてもなく遠回りして歩く。自宅近くのホテルのカフェでエスプレッソを引っかける。8時頃に帰宅。とても健康的である。

バルセロナへの旅を思い出した。ガウディやサグラダファミリアの記憶と同程度に、バルやレストランでの食事が強く印象に残っている。生ハムやエスカルゴや肉料理もさることながら、彼の地の人々の食事時刻と食事時間の習慣にはたまげた。

知人に紹介してもらったレストランに電話してカタコトのスペイン語で予約した。「7時に2人」と言えば「ノー」と言われた。ダメなのは人数ではなく時刻だった。店の開店時刻は8時。散歩で時間を潰して店に行った。一番乗りだった。夜の10時までに入店したのは他に1組のみ。

ところが、食べ終わる頃から老若男女の客が三々五々グループでやって来て、あっと言う間にほぼ満員になった。彼らの食事風景を見届けるまでもなく想像はつく。ラストオーダーの時間は守られず、当然のことながら日をまたいだ晩ご飯になったに違いない。客に妊婦も子どももいたので、こういう習慣をスローライフとかスローフードとは言いづらい。

ここ十数年、付き合いを除けば自分のペースで仕事と食事ができるようになった。午前9時から午後5時まで働き、朝食は8時までに済ませ、夕食もなるべく8時までに終えるのを理想としている。

英語で朝食のことを”breakfastブレックファスト“と言う。意味は「断食を破る」だ。晩ご飯を夜の7時に終えて翌朝の7時に朝食を摂れば、12時間断食したことになる。長い時間のようだが、睡眠時間が含まれるから空腹感で苦しまずにいられる。夜更かしして晩ご飯を食べていると、胃の休まる暇がない。これが体調不良の原因の一つだったのである。

旬外れてテンション下がる

何人かで集まって、別れ際に「今度また会おう」と言い合う。人によって「今度」は違う。近々ではないが、そんなに先のことでもないはず。しかし、集まった全員が誰かが音頭を取るだろうと思い、結局誰からも何も言って来ず、気づけば数年経っていて「今度の旬」も終わっている。「今度また会おう」と言い交わした時のテンションは微塵もない。

オフィスの隣りの中華そばの店がバズってからまもなく1ヵ月、その勢いが止まらない。隣りだから、待ち人がまだ少ない開店前に行こうと思えば行けるし、列が消えかけた頃に行けばいい。なのに、バズってから一度も行っていない。テンションは上がりも下がりもしない。バズった期間限定のラーメンはぼくにとって旬ではなく、したがって旬外れもない。

中華そばを目指して遠方からやって来る。休暇を取ってやって来る人もいる。12席ほどしかない小さな店に午前1115分頃から並び始め、ずっと30人くらいの人が待ち続け、午後3時過ぎくらいにようやく並ばずに入れる。わざわざ来る人にとっては今が旬。食べたい、食べ逃したくない、並んでもいい……テンションが上がりっ放しなのだ。

この冬、牡蠣料理に合わせるためにちょっといい白ワインを買った。ところが、昨年末から2月下旬に至るまで、出掛けるたびにあちこちの市場を覗いたが、いい牡蠣に出合わなかった。今の気分は「別にあの白ワインに合わせなくてもいいか」。牡蠣の本当にうまい旬は3月だからまだチャンスはあるが、1ヵ月前に比べて何が何でもという感じではない。


2024116日、激戦州で勝利したドナルド・トランプの当選が確実になった。そして今年120日に大統領就任式がおこなわれた。周知の通り、就任後から言いたい放題、したい放題である。カリフォルニア州在住の従妹とその主人は6年前に来日した時に、1期目のドナルド・トランプを猛批判し、ぼくを目の前にして大いに嘆いていた。

昨年の大統領選直後、さぞかし落ち込んでいるだろうと思って「トランプが勝ったね」とメールしたら、トランプのポスターが貼ってある部屋の写真が送られてきた。民主党バイデンを支持していた従妹ファミリーは共和党トランプに「転向」していたのである。仰天した。バイデン政権に失望し、あのドナルド・トランプに賭けたのだった。

1月中旬に『アプレンティス――ドナルド・トランプの創り方』が上映されることを知った。しかも、よく行く映画館3館での上映。これこそ今見ておくべきシネマだとテンションが上がったが、時間が取れなかった。先々週、予約しようとしたら、大阪市内の上映は終わっていた。不人気だったと思われる(それに、題名のアプレンティスが分かりづらい)。

上映の終わった映画館に代わって、大阪府では郊外の1館のみが上映している。見るなら今と思っていたのに、乗り換えなしの電車で半時間の映画館が遠い、遠すぎる。就任後の大統領令のおびただしい署名、発言の数々を見聞きしているうちに、この映画は旬ではなくなった。代わって、『実録ドナルド・トランプ劇場』のロードショーが今の旬である。

見切り品棚のバナナ

「あんた、おばあちゃんが働いているとこで、アルバイトせえへんか?」 

予備校にも行かず浪人をしていたある日、母方の祖母から電話があった。祖母は働き者で、4人の娘と2人の息子が独立し結婚した後もずっと、お金に困っていなくても働きに出たり内職をしたりしていた。その時の仕事場はバナナに特化した青果卸売の荷受け倉庫。祖母は社員のまかないを作り掃除や洗濯をしていた。

ぼくらの世代が青少年の頃、バナナはまだ高級品。そう簡単に口に入らなかったし、病院のお見舞いの定番だった。おやつにバナナが食べられる生活に憧れていた。もしかして食べさせてくれるのではないか……バイト料を聞くこともなく、二つ返事で仕事を受けた。

港から倉庫の前にひっきりなしにトラックが着く。多くがフィリピンとエクアドルのバナナで、小量だが小ぶりな台湾バナナもあった。すべてのバナナが「青い」(正確には「緑っぽい」)。バナナは黄色だと思っていたから、最初は驚いた。バナナは未成熟の青いままで収穫され、貨物船の中で熟成がやや進み、青果卸の倉庫で黄色くなって小売店に出荷される。

バナナが房ごと入ったずっしりと重いケースを低温の倉庫に運び入れる。先に熟成が進んだバナナを取り出しやすいように配置を指示された。テキパキしないと、作業時間が長引いて身体が冷える。食べ放題ではないが、見た目傷んでいるのは食べてもいいと言われていた。傷んでいないのに、甘くておいしそうな台湾バナナを時々つまみ食いした。毎日10本は食べていたと思う。



スーパーの見切り品の棚に季節の果物や野菜が置かれる。そのスーパーでは「おつとめ品」と呼ぶ。桃や柿や梨は旬の時だけ並ぶが、バナナは見切り品棚で一年中常連だ。バナナを見るたびに、将来を案じながらもバナナにありつけていたあの頃を思い出す。

スーパーに買物に来た客は、少々ワケありだが、賞味も消費にも問題ない商品を安く買える。店は、食品ロスを減らし、仕入れコストを回収して何とか赤字にならずに済む。あの見切り品棚は「三方よし」の理念に適っている。熟成を過ぎて黒ずみ始めたバナナが理念の象徴だ。

見切られたバナナ。ちょうどあの感じのバナナを低温倉庫の中で食べていた。見切り品とかワケアリなどと思ったことは一度もない。アルバイト時代と違って、バナナは安価な果物になった。しかし、わが若かりし頃の記憶のバナナは今もなお高級品であり続けている。傷まなくても少々傷んでも、バナナは偉ぶらずに人に寄り添ってくれている。