背の高い人と背の低い人

最初のオリンピックの記憶は1960年のローマ大会である。その4年後の1960年の東京大会はしっかり見た。日本人選手の金メダリストが全員言えるほど今もいろいろ記憶している。学校でサブノートのような五輪ガイドが販売され、それをいつも手元に置いていた。競技/種目別の金銀銅のメダリストとその国名を書き込めるようになっていた。

さて、パリ五輪もいよいよ最終盤となった。よほどのことがないかぎり、深夜に五輪観戦しないと決めていたので、テレビを見るのは夕方から零時までだ。

スポーツを見ていていつも思うのだが、柔道・レスリング・ボクシングのように体重別に階級が分かれる競技はあるが、身長別に階級を分ける競技はない。身長に関しては誰もが無差別級で闘うことになる。体重差は競技に影響するが、身長差は関係ないという見立てだ。

下記は競技別男子の平均身長である。

プロ野球選手(日本):   179cm
バスケット(世界):    192cm
サッカー代表(日本代表): 178cm
バレーボール(日本代表): 190cm

ちなみにMLBドジャースの大谷翔平は193cm。バスケット日本代表のホーキンソンは208cm。その横に体操で金3個の岡慎之介(155cm)を並べると、倍も違わないけれど、倍以上違うように見えるはず。6月に心斎橋を歩いていたら、バレー日本代表の山内晶大を見掛けたが、204cmがどれだけ目立つ存在か思い知った。

周囲に200cm越えの「日常的存在」はいなかったし、今もいない。学生野球をしていた遠戚が一番の高身長で、たぶん185cmだった。

先週末、レストランで食事を終えようとしていた時、グループが入店してきた。一人が店内を見渡すが席はない。すかさず立ち上がって「もう出ますから、どうぞ」と声を掛けた。後に続いていた中に巨人がいた。「なかなかこんな人には会えない」とつぶやいたら、グループみんなが微笑んだ。「デカいねぇ、何かスポーツやってた?」と月並みに問えば、「バスケットです」と想定内の答え。「今は会社員」と言う。「あ、そう、背が高いだけの会社員?」と、もうちょっとで言いそうになった。

昔、関東に玉川カルテットという浪曲漫才があった。メンバーの一人が身長145cm。浪曲調で「♪ 金もいらなきゃ女もいらぬ わたしゃ も少し背が欲しい」と歌った。身長が売買できるなら、ただ背が高いだけの会社員の25cmを浪曲師に売れば、175cmの会社員と170cmの浪曲師としてハッピーになれるだろうか。

背の高い人はみんな頭をよくぶつける。もう一つ、うんざりするのは「何かスポーツやってた?」と尋ねられることらしい。あの200cmの会社員はうんざり顔をしなかった。聞かれるのを喜びとする人がいても不思議ではない。

文房具の過剰

どれだけの歳月が人生に残されているか知らないが、毎日必死に文字を書き綴っても使い切れないほどの筆記具が自宅と職場に溢れている。筆記具とその周辺の道具、つまり各種文房具を備えていると言うよりも、無駄に過剰に置かれているというさまである。

今の時代、PCかスマホ1台があれば、一応何がしかの文を作れる。機器がなくても、1本の筆記具と1枚の紙があれば手書きもできる。

かつては文をしたためるには筆、すずり、墨、紙の「文房四宝ぶんぼうしほう」が必需品だった。正確に言えば、水を入れておく水滴も必要。水滴から硯に水を注いで墨をすり、筆を手に取って墨汁を吸わせて紙に筆を運ぶ。時間を十分にかけて気息を整えて文字を書く。書道具に贅沢に凝ったのもうなずける。能筆の凝り性は水にもこだわり、わざわざ湧水を汲みに行った。

「万年筆を愛用している」などと言ってはみるが、休みの日にも職場に置いたままで、ペンケースに入れて自宅に持ち帰ることはほとんどない。たまに持ち帰るが、ペンケースから取り出して一筆することはめったにない。「この週末こそ万年筆で書くぞ」と自らを鼓舞しても、水性ボールペンで済ませてしまう。

これだけの筆記具を手元に置いて、いったいどうするつもりなのか……どう見ても過剰である。文案づくりやコラムを書くのは仕事の一つではあるけれども、手書き経由でなく、いきなりキーボードを叩いて文章を作っているではないか……。

ところで、文房具の文房とは元々「書斎」の意味だった。書斎でものを書くために揃えた道具が文房具である。いつの間にか、文房具は書くことから周辺に広がり、ホッチキスや定規や付箋紙やクリップなども仲間に加えるようになった。それでもなお、ペンとインク、シャープペンシルと芯(念のために消しゴム)、ノート・紙が書くことの基本だ。

以前に手書きメモしたことを以上のようにPCでブログを書いて編集した。出番のなかった筆記を横目に見ながら、しばらくは絶対に筆記具を買わないぞと決意している。

ホールスタッフとの会話

ジョークⅠ 3人の客に対応するボーイの件』

ボーイ 「ご注文は何になさいますか?」
A  「私は紅茶」
B 「ぼくはレモンティーで」
C 「私も紅茶。カップはよく洗ってね」
(しばらくして、ボーイが紅茶をテーブルへ運ぶ)
ボーイ 「レモンティーのお客様、どうぞ。あと紅茶お二つですね。よく洗ったカップはどちら様でしたか?」

ジョークⅡ 『スープで虫が溺れていた件」

(ウェイター、客がスープに手を付けないのに気づく)
ウェイター 「どうなさいました? お気に召しませんか?」
紳士風の客 「いいえ」
ウェイター 「少し熱すぎましたか?」
紳士風の客 「いいえ。大丈夫です」
ウェイター 「では、どうしてお召し上がりにならないのですか?」
紳士風の客 「虫が浮かんでいて、スープの中で溺れかけているんですよ」
ウェイター 「虫の救助でしたか……小さめの浮き輪があるか、すぐに探してきます」

実話 『虫がビールに墜落した件』

昨日の昼、寿司屋で。サッポロラガー(赤星)の大瓶とグラス2個。グラスにビールを注ぐ。虫が飛んでくる。手でよけたが、ビール好きだったのか、一方のグラスの泡の上に墜落した。ホール担当の若い女性に声を掛ける。

「グラスに虫が入ったよ、ほら」
「最初から入っていましたか?」
「いやいや、ビールを注いでいたら飛んできた」
「では交換します」と言って、虫入りのグラスだけを引き下げようとする。
「ちょっと待って、違う違う。グラスだけ引き下げて交換したら、飲む前から1杯損したことになる」
ホール担当、ポカンとしている。
「ハエが飛んできてにぎり寿司に止まったら、にぎり寿司を交換してくれるよね? それともハエを追い払うだけ?」
まだポカンとして黙っている。
「虫はあなたの責任じゃない。もちろんぼくの責任でもない。お店の責任だから……」と言い掛けたら、やっと飲み込めたらしく、「新しいグラスと新しい瓶ビールをお持ちします」と言った。唯一の解決法なので、「そう来なくっちゃ!」とは言わなかった。クレーマーにならずに済んで一件落着。

目指した馴染みの寿司屋が臨時休業。ピンチヒッターに指名した一見の店だった。ジョークにしようと思ったが、ホールスタッフあるある、異物混入事象あるある、飲み込みの悪さあるあるの三拍子が揃うと笑い話にはしづらい。

無償の鑑賞は一味違う

大阪城天守閣、天王寺動物園、慶沢園、大阪城西の丸庭園、城北菖蒲園、長居植物園、大阪市立美術館、大阪市立科学館、自然史博物館、東洋陶磁美術館、大阪歴史博物館、大阪市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」、咲くやこの花館

大阪市内に住むシニアは上記の市立の文化施設に無料で入場できる。常設展だけでなく企画展や特別展へも優待されるのはありがたい。都合よく、大阪城天守閣、大阪市立科学館、東洋陶磁美術館、大阪歴史博物館、大阪くらしの今昔館は拙宅から徒歩圏内にある。

先週、大阪くらしの今昔館の企画展『春夏秋冬 花鳥風月に遊ぶ』を見てきた。


印象的だった『四季図屏風』は寛政7年生まれの大阪の画人、玉手棠洲たまてとうしゅうの作。 右隻うせきは右端の第一扇「梅に鶯」から第六扇「瀑布ばくふ」まで、左隻は右端の第一扇「蓮とカワセミ」から第六扇「きじと鷹」まで。他に、七五三や盆踊りなどの歳時を絵に現した作品など、風流の学びになった。

その鑑賞と前後して、オフィスのポストに書籍が入っていた。俳人、大島幸男先生からの献本である。雪解は、ゆきどけではなく、「ゆきげ」と読む。ご本人やお仲間の評にあまり詳しくないが、かねがね難解な句を作る人だと思っていた。じっくり読んでいるのでまだ読了していないが、ユニークな着眼と豊富な語彙が相まり、純文学の香りのする知的な句が並ぶ。ルビを振っておいてほしい表現がどんどん出てくる。

これが第一句集とは……力量からすれば、すでに第七句集くらい上梓していてもいいほどなのに。ご本人は「トイレにでも置いて少しずつお読みください」とおっしゃるが、そんな軽い作品集ではない。お祝いとして倍返しの食事をご馳走するつもりだが、句の話などせずに、くだらない雑談ばかりしそうな予感がする。

今週書店に立ち寄れば、無料の本が置いてあった。どちらも講談社のもので、現代新書と理系のブルーバックスの図書ガイドだ。ブルーバックスは興味深いテーマが多く、今も本棚に数10冊保管してある。現代新書は岩波新書と中公新書の次によく読んだ。このPRを兼ねた無料の2冊が、見事な読み物になっている。一気に読んだ。

久しぶりにかつて自治都市だった平野郷あたりを散策した。メトロの平野駅で下車するのは初めてだ。何となくかつての面影があるのに、商店街は閑散としている。大阪24区で一番人口の多い区だとはとても思えない。全興寺という寺の前に出て境内に入ると、古い民家が一軒あり、「小さな駄菓子屋さん博物館」の看板。いわゆるよくある昭和レトロの展示だが、懐かしい。後で調べたら、聖徳太子が建てた寺だとわかった。

ワインに関するモノローグ(後編)

🍷 ワインそのものへの関心よりも、料理とワインの相性への関心のほうが強い。ワインを飲むのは少量で決して痛飲しない。ワインの本を読んで知識を仕入れると、ワイン専門店やデパートのワイン売場に行き、試飲してソムリエの話を聞く。3種くらい試飲すると、よほど口に合わないかぎり、お礼の意味で1本買う。

🍷 『ヨーロッパワイン美食道中』という本に次のくだりがある。

「味覚的に合うということは、いったいどういうことなのだろうか。いまある料理を一口食べて噛みながら、口の中にワインを含んで混ぜてみる。よく合ったときは大変おいしく、料理もワインも一段とうまく感じ、食欲も増進してくるだろう。」

この本はワインの適温に応じた冷旨系、中間系、温旨系の分類についても言及している。ワインと料理のペアリングよりも、ワインの個性に応じた適温を整えるほうが難しい。ワインの保存に関してはこれまで無頓着で、自宅の冷暗所に置きっ放し。冷暗所と言っても夏場は30℃を越える。専門家の話を総合して、遅まきながらワインセラーが必需品だと気づき、今年の夏場に備えて検討しているところだ。

🍷 以前はワインショップからアウトレットセールの案内が届くたびに覗きに行った。訳ありワインが所狭しと並べられ、たとえば定価1万円の訳ありワインが4,000円程で売られる。訳ありのほとんどが汚れや剥がれなどのラベルの瑕疵かしであって、ワイン自体に問題はない。ある日「これは絶対お買い得!」と勧められたのがブルゴーニュのピノノワール種の格上。フランス語で「エチケット」と呼ばれるラベルには次の情報が記されている。

2011 HarmandアルマンGeoffroyジョフロワ
GevreyジュヴレChambertinシャンベルタン 1er CRUプルミエクリュ LA BOSSIEREラボシエール monopoleモノポール
(ヴィンテージ2011年
、生産者アルマンジョフロワ、ジュヴレシャンベルタン村1級畑ラボシエール専売)

ソムリエによれば定価はたしか12,000円。それを60%OFFで買い、飲み頃はもっと先と考えて7年間置いていた。ワインセラーがないから、ほとんど適温コントロールをせずに猛暑の夏を7回過ごした。著しく劣化して死んだも同然かもしれない。先週、手遅れだと承知の上で冷蔵庫の野菜室に入れ、翌日に常温に戻して抜栓した。コルクの傷みなし。香りに異変なし。ピノノワールなのに重厚で微かな甘さと酸がほどよく調和している。三夜連続グラス1杯飲んだ。二日目と三日目は味変して旨味も増したような気がする。この味は熟成が進んだものなのか、やっぱり温度の影響を受けて本来の味でなくなっているのか……状態のいいものと比較するすべはない。比較するなら同じものをもう1本買い求めるしかない。

🍷 2011年ヴィンテージが日本のサイトでは出てこない。どうやら希少になっているらしい。さらに調べたが2011年がなかなかヒットしない。しばらくしてフランス人評論家のサイトでやっと見つけた。現在の価格も記されていた。数字を見て驚いた。な、なんと59,759円! 国内サイトでは2018年ヴィンテージで15,000円くらいなので、何かの間違いかもしれない。いや、きっと間違いだろう。しかし、たとえ間違いだとしても、この金額を一度見てしまうと「ワインは変わる」。ワインとは、瓶からグラスに注いで香りと味を愉しむものだけにあらず、同時に観念であり相場でもある。

ワインに関するモノローグ(前編)

🍷 饒舌に蘊蓄を傾けるワインの愛好者たちがよく槍玉に上がる。「美味しいものを知識や情報でとらえるな」という見解ゆえの批判もある。そもそも何かを嗜んだり何かに凝ったりすると、程度の差こそあれ「オタク化」する。ラーメンやサッカーや鉄道に詳しいアマチュアは批判されないが、ワインになると冷たい目で見られる。俗物スノッブだと見られてしまうのかもしれない。

🍷 ワインの名前、ブドウの品種、香りと味、シャトーやヴィンテージなどのワイン特有の用語が「ウザい」? もしそうならば、焼肉の肉の部位も焼き方も、神戸牛だの松阪牛だの佐賀牛だのという名称も同じことではないか。焼肉なら少しはわかるが、ワインはほとんどわからない向きが、焼肉の蘊蓄なら許容できるが、ワインの蘊蓄に対して偏見を持つだけの話だと思われる。

🍷 店で出される肉料理にどんな肉が使われてどのように調理されたか、値段がいくらかはせめて知っておきたい。「この肉は?」「さあ」というやり取りだけでは肉を口に運べない。名称と食材と値段不明の料理を食べるには勇気がいるのだ。そして、料理の名称と食材と値段の情報を知りたいという延長線上で蘊蓄を傾ける習慣が少しずつ身についていく。ワインは知識があるほうが愉しみが深まり、料理が美味しくなるという実感がある。

🍷 最近嗜み始めたと聞き、ワインを見つくろって弟に12本送った。弟夫婦は毎晩2人で缶ビール78本と焼酎を飲んでいるが、それを維持したままでワインも11本ペースで空ける酒豪である。自宅に送った12本は20日ほどで飲み干し、その後は自分でもいろいろと勉強して、ボルドーのメドックだのチリのカベルネ・ソーヴィニヨンだのと言い、ぼくよりも先にワインセラーを備えるようになった。

🍷 酒は弱くもなく強くもなく、毎日飲むわけでもないが、わが家にはかなりの本数のワイン、焼酎、ウイスキー、日本酒が揃っている。料理に合わせて適量をいただく。特に、ワインは週に23日程度でグラス2杯まで。いろんな種類のワインを飲みたい口なので、買うペースに消費が追いつかず、増えるばかり。オフィスを借りているテナントビルの1階にイタリアワイン専門のショップが10年前にできてからは、毎月5本ペースで買うようになり、数年後には自宅とオフィスで合計30本ほど蓄えていた。

🍷 アルコールと料理は発酵や醸造に深く関わる化学ケミストリーだと思う。ワインも化学の賜物だ。香りも味覚も成分もどれもがそう。加えて、温度、湿度、色、グラスなどの理系的要素と関わる。何も知らないまま単なるアルコールの一種と思っていた頃に比べたら少しはわかるようになった。高校時代に苦手だった化学のお陰である。

〈後編に続く〉

乗合エレベーター

路線バスとは言うが、同じ意味の「乗合のりあいバス」はほとんど耳にしなくなった。路線バスには不特定多数の人たちが乗り合わせるのが当たり前。たまたま自分一人ということはあるが、団体貸切でないかぎり、いずれどこかのバス停で誰かが乗ってくる。そのことを承知しているから、わざわざ乗合バスと言わなくてもいい。

丁寧に言うのなら、エレベーターも「乗合エレベーター」である。たまたま独占状態で昇降することがあっても、それは貸切を意味しない。途中で乗ってくる人を拒否することはできない。バスと同様に、エレベーターではつねに誰かと乗り合わせることを承知している。

エレベーターの語源を知ったら、エレベーターが元の意味とかけ離れていることがわかる。英語の“elevator”は動詞“elevate”から派生したが、持ち上げるとか高めるという意味。「上がると昇る」ということであって、「下ると降りる」という意味はない。素直に原義に従えば、エレベーターは昇りっぱなしの装置ということだ。

現在、マンションの8階に住んでいて、引きこもり症候群とは無縁なので毎日外出する。バスや車や電車や地下鉄に乗らない日があっても、外出するかぎりエレベーターで乗り降りする。以前5階に住んでいた時は、もっと若かったし、非常階段も使うことが多かったが、今はエレベーターがないと困る。オフィスは5階。朝の出社時はほぼエレベーターを使う。

昨日の朝の出社時のことである。オフィスビルに入ったぼくを見て、7メートル向こうにあるエレベーターに乗った人が、閉じかけたドアをわざわざ開いて待ってくれていた。親切なお節介である。エレベータ―に乗る前に郵便受けをチェックしたいし、パネルでセキュリティを解除しないといけない。開くボタンを押して待たれると焦るのだ。そこで、「どうぞお構いなく。先に行ってください」と告げることになる。この一件はエレベーターが「乗合エレベーター」であることを示している。

エレベータ―は「有事的な移動手段」と見なされている。何人かが乗り合わせるボートと同じで、協調性を欠いてはいけない「乗物」である。男女がいる時、ボートに女性を先に乗せてはいけない。男性が先に揺れているボートに乗り込んで、安全を確かめてから女性が続く。降りる時は先に女性が降りる。エレベーターのマナーも同じ。降りる時はレディファーストだが、乗る時は男性が先なのである。

海外旅行と為替相場

日本を発つ前に換金し過ぎたために、使い切らずに持ち帰ったユーロ紙幣が引き出しに入っている。円高ユーロ安の201111月の換金だから、円安ユーロ高の今は1.5倍の価値になっている。

先月、リーフレットやチケット類を適当に入れていたファイルにバルセロナのサグラダファミリアの入場券を見つけた。201111月にバルセロナとパリに旅した時のもの。ペア入場料は23ユーロ。円高ユーロ安のおかげでバルセロナのホテルもパリのアパートもお得感いっぱいだった。入場したこの日は20111115日、為替相場は1ユーロ105円。換算すると2,415円である。

打って変わって円安ユーロ高が続く昨今だ。202429日の今日、1ユーロは161円。サグラダファミリアのペア入場料は前より3ユーロ値上げされて26ユーロ。なんと入場料は4,186円に。もちろん、この驚きの感覚は現地に住む人にはない。日本から行って為替相場上で計算するゆえの驚きだ。



20096月、サンフランシスコとロサンゼルスに滞在していた。ロサンゼルスでは郊外の従妹の家で1週間過ごした。大谷翔平の移籍したドジャースの本拠地ドジャースタジアムのチケットを従妹が手配してくれて観戦に出掛けた。

料金がとても安いと感じた。なにしろ当時は1ドル91円と、考えられないほどの円高ドル安だったから。今日のドルははどうなっているか。1ドル149円である。ぼくの旅した頃と比較すると1ドルが58円高くなっている。

円高時のいい時にヨーロッパやアメリカに旅した人なら、円安の今は出掛けづらいだろう。幸いなことに、安い時にユーロを買っておいたので、まずまずの差益が出ている。その差益がなくならないうちに旅程を組むのも一案だと考える今日この頃。

現地では以前も今もコーヒーは1ユーロかそこらなのに、「前は110円だったのに今は160円か」などと旅人は失望する。旅に出るたびに通貨を「翻訳」しては感じる、実に不思議な為替相場のマジック。

シニアたちの日々

シニアの生活や社会との関わりについてコラムを依頼されることがある。何度書いても「シニア」ということばはしっくりこないが、それに替えて老人や高齢者と書くわけにもいかない。

ヘルマン・ヘッセに『老年の価値』という本があるが、老年・老齢・老境が頻出し、人を指す時は「老人」の一択である(翻訳本なので、「老人と訳されている」と言うべきか)。肯定的な存在として老人が語られる。たとえば次の一文。

「老年は、私たちの生涯のひとつの段階であり、ほかのすべての段階と同じように、その特有の顔、特有の雰囲気と温度、特有の喜びと苦悩をもつ」

「老いてゆく中で」という一篇の詩では、「若さを保つことや善をなすことはやさしい」が、「心臓の鼓動が衰えてもなおほほ笑むこと」を学ぶべきだと綴る。シニアの一人であるぼくは、今朝階段を上り下りした後に大きく深呼吸したが、たぶん疲れた表情をあらわにしていたはずだ。修行が足りない。

自分がすでに十分シニアなのに、他のシニアを「自分より・・シニア」として見ることがある。たぶん自分もそんなふうに見られているのだろう。商店街やスーパーで高齢化しつつある客層を見て、その中に自分が紛れる時、自他のシニア度を比較していることに気づく。まだまだ修行が足りない。

昨日、午前10時に開店するスーパーに行った。こんな時間に来るのは初めてだ。まだ5分前なのに、すでに店は開いていた。少なからぬ、見た目一人暮らしのシニアがすでに熱心に品定めをしていた。狩猟民のように見えて頼もしい光景だった。寒い外で待たせるのは気の毒だと、早めに開店する店の配慮がやさしい。

先日、焼酎のお湯割り用グラスのいいのを見つけた。値が張る。以前なら「これで飲めば普通の焼酎がうまくなる」と考えたものだが、今は「自分の家飲みグラスじゃないか。酒に酔わずにナルシズムに酔ってどうする」と言い聞かせる。そして、グラスの値段に相当する900ml焼酎を3本買う。迷わずに、体裁よりも実を取る。

平均的シニアは日々をやりくりして暮らし、行動やシーンごとに細やかに考えて対応する。シニアを一言で語ろうとしてはいけないが、敢えて一文にするなら、シニアは案外「合理性を重んじて生きている」。

見たこと、聞いた話

インド人? ネパール人? パキスタン人? スリランカ人?……顔や体躯を一目見ただけでは区別がつかない。彼らをまとめてぼくは「インド人らしき・・・人」と呼ぶ。大阪のインド料理店で働いているのはパキスタンやネパール系の人が多いと聞いたことがある。店で「あなたは何人ですか?」と聞いて確かめていないので、真偽はわからない。

近くのインド・ネパール料理店の店長はネパール人。自らそう名乗った。かなり食べ慣れたのでインド料理とネパール料理とスリランカ料理の違いがある程度わかるような気がするが、違いを説明するのは難しい。どの店に入ってもいろいろと尋ねるが、答えもいろいろ。一口に日本料理と言ってもいろいろあるのと同じ。

ぼくの住む街ではインド人らしき人とよく出会う。ステレオタイプな印象になるが、女性は小柄でさっさと速足で歩く。男性は細身で髭を生やしていて、たいてい自転車を漕いでいる。そして、イヤホンをして電話をしている。何だかんだと早口で割と大声で喋っている。


同じマンションに数年前までインド人A氏が奥さんと住んでいた。夫婦二人暮らしだが、よく友人が遊びに来て食事をしていた。A氏の5階からぼくの8階まで香ばしいスパイスの匂いが上がってきて、誘ってくれないかなあと願ったものだ。男の子と女の子がいて、インドで学校に通っている。つまり、両親とは別居。長期休暇になると日本で両親と暮らす。

A氏とはエレベーター、エントランス、道でよく会い、会えば英語と大阪弁で話を交わした。「先週テレビで見ましたよ」とぼく。「あ、見てた? そう、神戸の教会やね」とA氏。インド人のシーク教徒が礼拝する教会とのことだった。ちなみに、A氏はいつもターバンをしていて濃くて長い髭をたくわえている。

A氏によると、ターバンを巻く男性はシーク教徒のみで、髪も生涯切らず、髭も伸ばすばかりでまったく剃らない。シーク教徒は人口の2パーセントにも満たないのだから、ターバン組は少数派なのだ。日本人の抱くインド人の風貌のイメージは固定観念だった。「インド人と言えば、ターバン」などと言うと、ほとんどのインド人がびっくりする。

A氏の奥さんは、いつ見てもエコバッグからはみ出るほどのニンジンを買い込んでいた。インド料理にニンジン? といぶかったものだが、後年、スパイスの効いたアチャールという漬物だと知る。味こそ違うが、インド料理でもネパール料理でもスリランカ料理でも添えられたり小さな壺に入れてテーブルに置いてあったりする。インド人らしき人たちはみなアチャールを食べる。ぼくにとってもアチャールは福神漬けのような存在になった。