自称「待たない男」のぼくが、ランチ処で順番を待った。年に1回なら待つこともあるが、先週だけで2度も待った。スリランカカレーの店内での15分待ちは大したことはなかったが、海鮮料理の列には店外で40分並んだ。食事処の待ち時間の新記録になった。
「半時間待つ」と「半時間待たされる」は同義語。しかし、「待つ」には覚悟がある。待つに値する見返りが期待できるからこその覚悟だ。
「待つ」と言えば、サミュエル・ベケットの不条理戯曲『ゴドーを待ちながら』を思い出す。2人のホームレスが存在不詳のゴドーをずっと待つ。ゴドーは第1幕で現れず、焦れた観客は第2幕に期待するが、ゴドーは劇中でついに現れない。
「待つ」と言えば、あみんが歌った『待つわ』も思い出す。あの曲の「私」も、願いが叶えられるかどうかもわからないのに、かなり辛抱強く待つ。
♪ 私 待つわ いつまでも待つわ
たとえあなたが ふり向いて くれなくても
待つわ(待つわ) いつまでも待つわ (……)
いつまで待つのか? 「他の誰かに あなたがふられる日まで」だから、未来永劫、他力本願で待つのである。
さて、先週の海鮮料理の話に戻る。午前11時の開店時間に行けば、すでに50人ほど並んでいる。誘導されたのは列の最後尾。席数が4、50もある店なのに1巡目で入れなかった。ところが、ぼくの後ろに新たにできた50人ほどの列を見てほっとした。入店までの40分を長く感じなかった。待つには待ったが、着席して注文してから2分後に食事にありつけたのである。
世界名言格言辞典で「待つ」の項を引いたら、フランスの人文主義者フランソワ・ラブレーの「待つことのできる者にはすべてがうまくいく」が出てきた。待ち続けてチャンスに恵まれなかった例を多数知っているので、これはにわかに信じがたい。
しかし、次のフランスの格言、「落ち着いて待つ者は待ちあぐむことがない」が、まさに海鮮料理店での順番待ちに当てはまった。あの時のぼくは待ち人としては珍しく落ち着いていた。目当ての料理はカツオとハランボのたたきだった。藁焼きの香しい匂いが精神を浄化したように思われる。