食べ物考――好奇心と奇食

ローカルな食材が世界を巡る時代になって久しい。たいていの食べたいものは手に入るようになり、居ながらにして世界の美食や珍味を堪能できる。もし国内で手に入らないなら、懐に余裕がある向きはご当地へ赴いてお目当ての好物にありつけばいい。

人間はどのようにしてある特定の食材を常食し、やがて嗜好するようになったのか……。和辻哲郎はその著『風土』で次のように書いている。

人間は獣肉と魚肉のいずれを欲するかにしたがって牧畜か漁業のいずれかを選んだというわけではない。風土的に牧畜か漁業かが決定されているゆえに、獣肉か魚肉かが欲せられるに至ったのである。同様に菜食か肉食かを決定したのもまた菜食主義者に見られるようなイデオロギーではなくて風土である。

大昔はこの通りだった。世界を見渡せば、今も一部の集落において和辻の指摘する風土の影響を強く受けて生きる種族がある。彼らは通販やふるさと納税を利用して遠方から目新しい食べ物を取り寄せることはない。地場の限られた旬の食材に依存し、風土の食性に縛られている。縛られていても、好き嫌いはしないし、狭食習性を嘆くわけでもない。


食わず嫌いとは、試しに食べもせずに、理由もなく食材や料理を嫌うこと。かつては生活風土の中では誰も食わず嫌いをしなかった。しかし、生活風土圏外で初めて見る珍しい食材を警戒し、手を出して口に入れて常食するまでには長い歳月を要した。人間は食わず嫌いを少しずつ克服して食性を広げて今に至っている。

しかし、どんなに飽食するようになっても、食べたくないものを食べない人たちはいるし、仮に何かが苦手でも、他に代替できる好物はいくらでもある。ぶつ切りにされてなおうごめくタコ、牛の脳みそ、昆虫やカエルは、わが国では食べ物の常識から外れた奇食と見なされる。他方、ある人たちが奇妙な食材として遠ざけるものを、別の人たちは違和感なく好む。

世界の4大食肉と言えば、生産量順に鶏肉、豚肉、牛肉、羊肉。若い頃から食事会の幹事によく指名されたが、羊肉を苦手とする者が一番多いため、あらかじめ大丈夫かどうかを確認するか、野暮なことは聞かずに黙って焼肉店にしていた。羊肉の食事会に誘う時は必ず人選して小人数で行くことにしている。「誘われたら行きますよ」というレベルでは不合格だ。

延辺朝鮮系やイスラム教徒系の中国人が経営する店では羊肉を使った料理が多い。写真は茹でた羊大骨ヤンダ―グーの盛り合わせ。二組に一組はこれを注文する。羊肉スープを取った後でも旨味と肉が少し残っていて、太い骨をつかんで香味タレに付けて骨回りの肉を少しずつ齧る。ストローを使って骨の中の髄を吸う。まったく奇食とは思わないし、格別にうまいわけでもないが、盛り皿のインパクトに目は好奇心で輝き、人は遊牧の民になる。

フルサービスとセルフサービス

ステーキ店で焼き加減を聞かれる。「お任せします」と言ってもいいし、好みの、たとえば「ミディアム」と言ってもいい。任せても好みを言っても、料理人がフルサービスでやってくれる。客はプロが焼くステーキを食べることに専念すればいい。

寿司店は高級な店でも回転寿司店でもフルサービスが基本。寿司めしを手に取ってネタを乗せて握るのは店の職人であり、客が寿司をセルフで握ることはない。客は「トロ」だの「イカ」だの「ウニ」だのと注文さえすれば、あとは懐と相談しながら食べればいい。

自宅でたこ焼きをしたり串カツを揚げたりはするが、店に入って自分でたこ焼きを作ったり串を揚げたりしたことはない。それが当たり前だと思っているが、少数派ではあるがセルフサービスのたこ焼き店や串揚げ店が存在する。セルフと言っても、出来上がったものを取ってくるのではなく、テーブルに備え付けの調理器具を使って自分で作るのである。

本来料理人に任せるべき調理の一部始終のうち、焼いたり揚げたりという、どちらかと言うと、微妙な作業を客自らセルフでおこなうとは、奇妙である。関西ではその奇妙な習慣が一部のお好み焼き店で続けられ今に至っている。客自らが個室で焼くセルフお好み焼きの名店が千日前にある。イラスト入りの指示書に従えば、下手に焼いてもまずまずの味に出来上がる。しかし、焼き慣れたプロに焼いてもらうほうがうまいに決まってる。

先日、『焼肉のことばかり考えてる人が考えてること』(松岡大悟著)というおもしろい本を見つけた。焼肉にはステーキよりも格段に高いエンターテインメント性があって、それが人々の心を惹きつけているという。しかし、と著者は言う。

「実は焼肉屋には、どえらく大きな落とし穴がある。それは肉を焼くという作業を、客自身が担当しなければならないということだ。」

ステーキ店との決定的な違いがこれである。ステーキは料理人が焼き、焼肉は客が自分で焼く。どんなに上質の肉でも下手に焼くとまずくなる。火加減や焼き時間は肉の部位によって変わる。裏返すタイミングも難しい。炭で焼くかガスで焼くかの技の使い分けも必要だ。

客は焼肉を食べに来ているのに、一番重要な「焼き」という調理を任される。調理に参画しても割引サービスはない。自前で焼き、焼き過ぎて焦がしても自己責任を負う。「こちら特上カルビです」と言って店側はテーブルに一皿を置くが、焼き過ぎに注意程度の指南しかしてくれない。試しに最初の一切れを焼いてくれることはあるが、後は任される。

にもかかわらず、焼肉店に通っては性懲りもなく自分で焼く。どんなに店側が上手に焼いてくれるとしても、ステーキのように厨房で焼いた肉が運ばれてくるのを望まない。自分で焼きたいのだ。何度も焼いているうちにコツをつかみ、部位によって焼き方も覚える。うまい焼肉への道は厳しく長いが、あの本に書いてある「遠火の強火」を焼きの基本として精進されることを願う。

晩餐会の「食性」

西洋料理のコースの主菜をいただく時に、あるシーンがいつも頭をよぎる。時は19世紀後半、デンマークはユトランドの辺境の村を舞台にした映画『バベットの晩餐会』の一コマ。あの物語の主菜は「うずらのフォアグラ詰めパイケース」という、贅沢でアヴァンギャルドな料理だった。

ヨーロッパでは野生の山鶉が食べられる。フランスでは解禁が11月、食卓にのぼるのは年に2ヵ月足らずと聞いた。産地ではこの希少食材を地元民は珍重する。好きだ嫌いだなどとは言わない。しかし、鶉の主菜は世界から様々な食性を持つ人たちが集まる晩餐会では規格外。わが国でも忘年会で鶉料理のメインが出てきたら、幹事失格の烙印を押されること間違いなし。

スウェーデンのノーベル賞の晩餐会では、主菜はたいてい鴨か仔羊である。わが国ではいずれも苦手な人が少なくない。世界標準では宗教的理由から豚肉や牛肉は出しづらい。また、伊勢エビや蟹などの甲殻類も禁忌食材とされる国々がある。もし世界からセレブが集う晩餐会に招待されたら、鴨か羊を覚悟しておかねばならない。


前日に琵琶湖で狩猟された野生の鴨を丸一羽もらったことがある。宅配されて梱包を解いて仰天しそうになった。いっさい手が入っていない状態で、例の色鮮やかな羽毛付きのマガモ(真鴨)だった。苦手なクチなら嫌がらせだと思うだろう。捌きと下ごしらえに苦しみ、かなり時間を要したが、鍋料理と炙りに仕上げて少し癖のある野趣に富んだ肉を堪能した。

「鴨がねぎ背負しょってくる」と言う時、あの鴨は鍋の食材を想定している。葱さえあれば、他に白菜や豆腐などの具材がなくても、鴨鍋は成立する。話は牛鍋になるが、池波正太郎は牛肉と葱だけのすき焼きが絶品と言った。葱の切り方にも注文がつく。斜め切りではなく、ぶつ切りにして縦置きにして煮る。

閑話休題――。稀にマガモが売られているのを見るが、安上がりに自宅で鴨料理をするならアイガモ(合鴨)だ。元を辿れば、アイガモは野生のマガモとアヒルを交雑交配した家禽。アヒルそのものがマガモを品種改良したものなので、アイガモもマガモに分類される。大阪でアイガモと言えば河内かわち鴨がブランド。2019年のG20大阪サミットで供された。

その河内鴨の料理を出してくれる店が、オフィスから23分の所に2店ある。どちらの店もランチメニューになっている。一方がアイガモの鴨なんば、他方がアイガモの丼とラーメン。後者がひいきで、表面だけ軽く炙った、ほぼ刺身状態のたたき丼が目当て。これまで10人くらい誘ったが、乗ってくれたのは2人のみ。鍋や蕎麦ならいいが、たたき丼の敬遠率は高い。

ランチのこと、町中華のこと

たわいもない外食談議の折に気づいたこと。粉もんのメッカ大阪の、歴史のある住宅街でありオフィス街でもあるのに、うどん店が一つ消え二つ消え、今では徒歩圏内にはない。チェーンの店ならあるが、昔ながらの麺類一式を扱ううどん屋が見当たらないのだ。

うどんはないが、蕎麦屋は有名店も含めて56店ある。カレーとラーメンは十数年前から超激戦区なので、それぞれ10店舗は下らない。粉もんのお好み焼きと焼きそばもカレーとラーメンに次いで多い。洋食店はまずまずあるが、和食処は減った。

ここ3年出張が減って、オフィスでの弁当や近くの店での食事が増えた。ランチタイムはたいてい一人で出る。即決できそうだが、自由度が高いと逆に迷う。そして、先週と先々週に食べたものを振り返っているうちに、迷った末に中華を選択することになる。

ところで、大衆的な町中華の原点は青少年時代の「若水」という店の中華そば一択。ラーメンではなく、中華そばという呼び方が習わしだった。今思えば「五香粉」の、八角と山椒と丁子ちょうじを混ぜたような焼豚かメンマの独特の香りを漂わせる中華そば。


中華のメニューは他のジャンルよりも圧倒的な種類を誇る。麺類や飯類はもちろん、スパイス料理や揚げ物・焼き物・煮物もある。店を中華に決めるのは簡単だが、入店してから迷い始める。日替わり4種、週替わり2種だけならいいが、中華料理店のメニューは昼夜の別がないので、メニューの定番料理は昼でも注文できる。選択肢が多すぎる。

ワンタンメンと半チャーハンのセット(焼売2個付き)
醤油ラーメンと半チャーハン

迷わないようにと、どの店でも麺と半チャーハンのセットにしようと決めたことがある。店によって味が変わるから飽きないだろうし、値段も700円~850円とお得感もある。しばらく続ければ麺と半チャーハンの食レポができるかもしれないとも思った。

週始めに2日連続注文した。月曜日に入った店では日替わりの海鮮XO醤炒めに心を奪われながらも半チャーハンセットを指名。火曜日の店では日替わりの酢豚定食を我慢して、この日も初心貫徹。2日にわたるこんな食べ比べは生涯初だ。月曜日の店のチャーハンは決して「半」ではなかった。ラーメンスープの味はだいぶ違ったが、どちらも味は濃厚だった。

3日目の水曜日。中華料理店に行きかけたが、和食店の店頭に並んでいる天ぷらと惣菜の弁当を買った。濃いスープの麺と、「半」とは言え少なからぬ量のチャーハンを3日連続狙い撃ちするほど麺とチャーハン好きではない。世の中には、ランチ処には、そして中華料理店には、毎日注文を変えてみたくなる料理がいろいろあるのだ。

夏は豚肉料理

中華の庶民的なスタミナ料理と言えば、豚肉のレバニラ炒め(ぼくは「ニラレバ」と言う)。レバニラは、酢豚定食や回鍋肉定食と並ぶ人気の豚肉料理だ。豚肉や豚ホルモンに夏野菜やニンニクの芽などを加えて炒めた定食は元気もりもりになりそうな気がする。

鰻もいいが懐にやさしくない。牛肉の焼肉やすき焼きもいいが連日というわけにはいかない。夏のスタミナ源はやっぱり豚肉がお手頃だ。レシピが豊富なので週に23度食べても飽きない。

7月末からランチで食べ歩きした豚肉料理8品を紹介する。なお、エピソードがあれば書くが、いちいち「うまい」というコメントは入れない。


レバニラ炒め

若い頃、夏場に街中華に入ったらレバニラ炒めか酢豚かだった(店が珉珉ならジンギスカン定食)。写真は最近たまに行く中華の店の一品だが、ニラが少なく見えるほどレバーがこれでもかというほど入っている。注文時に「ライス少なめ」と告げる。

焼豚とレアチャーシューの鶏・魚貝ラーメン

焼いたチャーシューとレアのチャーシューを使うラーメン店。チャーシューの切れ端も無料でトッピングしてくれる。豚肉は牛肉よりもスープとの相性がいい。

トンテキ

一度きりだが、厚切りトンテキと薄切りトンテキをそれぞれ200グラム注文したことがある。さすがにきつかったので、今は厚切りと薄切り合わせて300グラム、しかも年に1回で十分。焼き上がった肉を濃いめのソース鍋にどぼんと漬ける。揚げて煮込んだニンニクは好きなだけ盛ってくれる。

カツ丼

定番のカツ丼。所望すればカツとじとライスを別盛りにしてくれる。麺類一式の店の人気のご飯ものはカツ丼と親子丼。これにミニうどんかミニそばが付く。

生ハム

休日はたまに昼飲みする。たいてい白のスパークリング、それに生ハムを合わせる。ゆっくり噛みしめるように食べ、ハムのあとはパスタかピザをシェアしていただく。

月見焼豚丼

焼きとんの店の〆ご飯。焼豚の下に月見が隠れている。生卵を見るとテンションを上げてかき混ぜるお方がいるが、かき混ぜ過ぎると味がわからなくなる。箸で黄身を崩したら、黄身の流れにまかせてご飯と肉をいっしょに食べるのがいい。

満州風酢豚

普段食べる酢豚はライスと合うが、この酢豚はビールでいただく。さらっとさっぱりした甘みのあるたれが薄切りの肉にまつわりつく。街中華では出ないが、中国の延辺や東北の料理店ではメニューに出ている。

イベリコ豚のロースト

豚肉のローストは脂と赤身のバランスと焼き加減で味にかなりの変化が出る。イベリコ豚という語感と厚切りした断面の視覚が食味に大いに影響する。

夏はやっぱりカレー?

「夏はやっぱりカレー」と言われても、「夏はやっぱりアイスコーヒー」と同じく、特に違和感を覚えない。誰が言い出したか知らないが、暑さとスパイスは相性がいいようだ。では、「カレーと言えばやっぱり〇〇〇」と言い切れるカレーはあるか? 絞り切れないという点では「ない」と言うしかない。

ここ十数年、日本で独自に進化したスパイスカレー。あまり追いかけなかった。それよりも、近場でインド/ネパールカレーを中心に食べ歩いた。何しろ居住区と職場は関西有数のカレー激戦区なので、徒歩圏内でいろいろ賞味できてしまう。インド/ネパールだけでなく、パキスタンやスリランカやシンガポールもある。

ここ数年、ナンよりもライスの頻度が高くなった。よく行くネパールの店ではご飯たっぷりの「ダルバート」。もっとよく行く南インドの店では、土曜日は大盛りのかやくご飯「ビリヤニ」、そして最近の日曜日は「カレーはやっぱりミールス」と決めて店に入る。ダルバートもミールスも、また北インドのタ―リーも、味や盛り方のニュアンスが違うだけで、基本はライスとカレー数種類の定食である。

南インド料理の定食、ミールス
同じ店の別の日のミールス

ひいきにしている店のミールスは、ライスと8種類ほどのカレーの小皿を丸い大きな皿に乗せて出てくる。中央にはパラパラとしたバスマティライスを盛り、その上にパパドという豆の粉を薄く焼いたせんべい。バスマティはジャスミンライスのように香りがなく、カレーで煮込んだおかずとの相性がとてもいい。

小皿のカレーは日替わりでおかずが変わるが、定番はサンバル(豆と野菜の辛酸っぱいカレー)とラッサム(塩酸っぱいスープ)。あとは、ココナツカレーやダル(豆のカレー)やポテトの炒め物、ホルモン煮込みやカボチャなどの小皿もたまに出てくる。カレーとナンを注文すると、1種類か2種類のカレーに小さなライスが付いてくるのが一般的。ミールスなら、ふんだんに豆と野菜と肉を使った味の違うカレーが何種類も楽しめる。

インド/ネパール料理は、ご飯をたっぷり食べさせる。ミールスのいろいろな小皿はご飯をモリモリ食べる仕掛けなのではないかと思う今日この頃である。

焼きそばを食べ比べる

『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』というパロディ本がある。100人ほどの文豪の名文の一節をカップ焼きそばをテーマとして創作した一冊。たとえばシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』のあの有名なシーンが次のように化けている。

ああ、ロミオ。あなたはどうしてロミオなの? バラは名前を捨てても、その香りは美しいまま。
インスタントになっても、焼きそばは美味しいまま。
ロミオ、その名前を捨てて。私に顔を見せて。蓋を開けたら麺が見えるように!

こんな具合に名作のパロディが書かれる。佳作とそうでないものが半々というところか。カップ焼きそばがパロディになるのは、カップ焼きそばの本質に愉快があるからだ。鉄板で調理する焼きそばはB級グルメなどと言われるが、カップごときに負けるわけにはいかない。それどころか、うまさに唸ることも稀ではない。

時々ぶらぶら歩く商店街に「ヤキソバ研究所」なる醤油焼きそばの専門店がある。入店体験なし。興味がないわけではないが、近くを通る時はいつもランチの後。ともあれ、焼きそばは立派に研究対象になり、その成果が商いになることの証明である。


焼きそばの研究家や通などとは思わないが、焼きそばは好きであり、好きと言うかぎりは数をこなしており、平均すると週一ペースになるかもしれない。これまた好物のパスタといい勝負である。と言うわけで、今年になって食べた焼きそばをレビューしてみる。

定番のソース焼きそば

具は豚肉とキャベツのみ。具の種類は少なめがおすすめ。卓上のソースを好みに応じて足す。焼きそばとご飯をいっしょに食べるかどうかという論争があるが、好きにすればいい。

上海焼きそば

ソース焼きそばに比べて具が多い。そばをベースにしたあっさり系の野菜炒めという感じ。上海焼きそばと香港焼きそばは見た目よく似ている。色合いと味は香港のほうがやや濃い。

西安クミン焼きそば

行きつけだった店では「西安シーアン焼きうどん」と呼んでいた。これでもかとばかりにクミンと唐辛子をまぶしてある。ご飯に合う。この店、残念なことに移転してしまった。

タイの焼きそば、パッタイ

カオマンガイで使う鶏肉とモヤシを炒める。生野菜が添えられ、唐辛子と砕いたピーナツがかかっている。日本米だと合わないが、タイ米との相性はかなりすぐれている。

タイの醤油焼きそば、パットシ―ユー

パッタイに青菜が加わり、見た目も味も濃くなっている。上海も香港もこのパットシーユーも醤油味が違う。組み合わせる調味料によって醤油の味変が生じるのだろう。

モンゴルの羊肉焼きそば、ツォイピン

珍しい羊肉の焼きそば。割と辛めに作られている。羊を敬遠する人は多いが、牛肉焼きそばよりはかなりおいしい(牛肉は焼きそばの具としてはイマイチである)。

リングイーネの創作焼きそば

リングイーネという稲庭うどんに似たパスタを使う、わが家の創作焼きそば。茹で残ったリングイーネを好みのキノコと炒め、醤油を数滴たらす。刻み海苔と大葉をまぶす。

バスク風イカ墨めしを作る

数万年から十数万年前の「しゅつアフリカ」以来、ホモサピエンスは世界に拡散し多様な進化を遂げて今日に至る。定着した土地の環境に適応し、調達した食料を加工して腹を満たした。農業と牧畜を発明して食材を生産し、長い歳月をかけて様々な料理の方法を編み出してきた。ありとあらゆるうまいものはすでに実現している。

一品料理から和菓子や洋菓子に至るまで、インスタ映えとか何とか言って、見たことも味わったこともない変わり種の一品を作ってはみても、めったなことではこれまでのうまさを超えるものに出合わない。昔から今に引き継がれて受け入れられている、スタンダードな料理のほとんどはこれ以上ない完成域に達しているのではないか。

ただ一握りの料理人によって限られた場でしか供されない料理がある。また、うまい料理でも日常的に食すものとめったに口に入らないものがある。たとえば、バスク地方のビルバオやサンセバスチャンを旅した食いしん坊の知人は「初めてのうまさ」と言う。街々に数えきれないほどの美食倶楽部があり、アマチュアが作るシンプルな料理が魅力らしい。


細かくみじん切りしたタマネギをオリーブオイルで炒め、イカの切り身を入れて塩を少々加える。次いで完熟トマトでなじませたら、イタリア産の米、カルナローリを投入。そこに米と同分量のイカ墨たっぷりの魚貝スープを加える。焦がさぬよう火の用心しながら、弱火で15分。火を止め蓋をして蒸すこと5分。「バスク風イカ墨めし」が出来上がる。

一年か二年に一度だけ作り、自画自賛しながら食べる。タマネギとトマトは溶け、見た目は米とイカだけの料理。以前テレビで知った、バスク地方の美食倶楽部を真似た一品だ。レシピとしてはリゾットに準じるが、米を硬めに調理するとパエリアの食感に近くなる。具だくさんにすると米のうまさが半減する。パスタ料理も具材が少ないほうが麺がおいしい。

デリケートな火加減とテキトーな手順の調和によって少ない食材でご馳走を作る。寿司に日本酒を合わせるように、このイカ墨めしには白ワインか発泡酒を合わせる(と言うか、それ以外の選択肢が思い浮かばない)。米を主食一点張りで捉えずに、食材の一つとして工夫すれば酒に合う米料理が生まれる。

連休は近場で食べ歩き

連休中の大阪は、キタもミナミも観光客で溢れかえり、繁華街は思うように歩けなかった。キタとミナミの中間に住んでいる。それぞれの中心街へはメトロで2駅だが、急ぎでなければたいてい歩く。半時間以内で行ける。観光客が並ぶ店を避けて、近場の食事処を一日に一店訪ねてみた。


人気店のようだが、たまたま二階の席が空いていた。自宅から徒歩10分と近いが、初入店。和洋数種類のランチメニューがある。店のしつらえも名前も和風なので、日替わりの和定食を指名した。この種の「いろんなおかずをちょっとずつ」という盛り付けは女性好みのはやりなのだろう。合格点のおいしさだが、当世、どこにでもありそうなランチだ。

自宅から徒歩5分。お気に入りのピザとパスタの店だ。その割には年にランチ3回、ディナー1回程度。コロナだったのでやむをえない。毎日4種類のピザを用意している。定番の「マルゲリータ(写真)」かチーズ4種トッピングの「クワトロフォルマッジ」のどちらかを注文する。昼前から20人以上並ぶ超人気の蕎麦屋が近くにある。ひいきにしている店だが、小一時間待って2,000円の天ざる定食なら、待たずに済み、1,000円でサラダとドリンクの付くピザにする。

いわゆる一般的な色とりどりの酢豚とは違う、満州酢豚。これをメニューに載せている中華料理店は多くない。薄切りの豚肉にささやかに千切りの野菜が添えてある程度で、とにかく大量の豚肉をいただくのがコンセプト。醤油を使わない、透明の甘酢液をかけてある。周りは食べたこともなく名前すら知らない人ばかり。この酢豚を食べないのは人生の一大機会損失だと思う。これまで4店で食べたが、それぞれ微妙に食感と味が違う。

カウンターだけの店。旬の魚を料理する。鰻丼、まぐろ丼、穴子/野菜天丼など丼が売り。時々ブランド牛のステーキも出すが、少考せずに、漬け丼か煮付けを選ぶ。この日の海鮮漬け丼は、まぐろの中トロ、カツオのたたき、ヒラメ、天然真鯛、剣先イカ。複数の魚を盛った漬け丼は、名前と食材を照合させながら食べるのが作法。カツオとイカとヒラメをいっしょに頬張ってはいけない。

たこ焼きをテイクアウトしてみた。何年ぶりかわからない。聞くところによれば、最近では8個で730円というのがあるらしい。B級どころか高級食である。9個で450円という店がある。これが相場らしい。この店、焼いたのはいいが、思い通りに客が来ず、売れ残ったたこ焼きを100円引きの350円で売っている。容器に入っているので端っこのほうが変形している。当然めているが、「アウトレットコーナー」という立て札に笑わされ、つい買ってしまった。

牡蠣食気考

先月、すでに旬が終わった。それなのに、今頃になって『牡蠣食気考』と題して、食べ足りなかった牡蠣の話をするとは未練がましい。

牡蠣食気考は「かき/くいけ/こう」と読めるが、ついでに語呂よく「かきくけこ」と収めたい。何でもかんでも好き嫌いせずに食べる気満々、牡蠣ならなおさらのこと、一目散で食い気に走る。

牡蠣の季節が始まる晩秋になると、いつも「昨年はあまり食べた記憶がない。今シーズンは食べるぞ!」と決意し宣言する。その割には年内と1月はせいぜい一、二食程度で、あまりガツガツしない。プランクトンが豊富になる2月から牡蠣はいっそうおいしくなる。牡蠣の旬を2月初旬から3月中旬に定めて集中摂取するのだ。しかし、牡蠣と同等においしい食材に恵まれる年は牡蠣を食べ損ねてしまい、気がつけば季節は春になっている。

ぼくの集中摂取などせいぜい1ダース、たかが知れている。中世フランスのアンリ4世は一度に20ダース食べたという。ローマ時代の軍人アルビヌスはその倍の500個を食した。これで驚いてはいけない。そんな数は可愛いもの。同じくローマ時代の大食漢ヴィテリウス帝は一度に100ダース、なんと1,200個の生牡蠣を平らげたという記録を残している。

カキフライ20個は無理でも、レモンを絞るか塩でつるりと味わえる生牡蠣なら20個はいけそうだ。

「サカナは外国人と日本人では食べ方が異なるが、牡蠣だけは万国共通で生を食べる。大げさのようだが全世界の人々が牡蠣の旨さを知っているからだろう」
(岩満重孝『百魚歳時記』)。

広い世界、広い日本に有数の牡蠣の産地がある。牡蠣はどこの産地が一番うまいかなどと論じても意味がない。牡蠣について言えば、旬がうまいと言えば事足りる。あとは人それぞれの好みだ。地元の人たちは地場がうまいと思っている。日本の生牡蠣はおおむね実入りがよく厚みがあるが、パリで何度か食べた生牡蠣は薄っぺらい。それが彼らの舌に合うし、口に入れてみればわかるが、生食にもってこいの味とサイズなのだ。

パリはバスティーユのマルシェ(2011年11月中旬)。牡蠣1個1.6ユーロと書いてある。当時は円高で1ユーロ105円だった。1個168円くらい。

フランスではカキフライという食べ方をしない。ほぼオイスターレモンである。機会損失だと思うが、生牡蠣で十分なのだろう。しかし、牡蠣は食材として万能。焼いたりグラタンにしたり蒸したり刺身にしたりと、あの手この手で料理を工夫すれば、巨漢の大食いヴィテリウス帝には及ばなくても、2ダースくらいなら問題ない。終わりに、自作の牡蠣料理のいくつかを紹介しておく。

オリーブオイルで煮た牡蠣のコンフィ。
殻付き牡蠣のポン酢。
加熱用牡蠣のニンニクとトウガラシのマリネ。パスタに使う。
実入りのいい牡蠣めし。