土佐料理店の観察日記

高知への出張は毎年23回、十数年続いた。一昨年手を引き、土佐料理とも縁がなくなっていた。徒歩圏内に土佐料理の専門店があると聞いた。夕方に出掛けるエリアではないので、午後5時から営業のこの店に気がつかなかった。戻りガツオ気分の先月中旬に行ってみた。

土佐・・料理店の観察日記・・、略して『土佐日記』。料理、客の様子などを綴ってみる。


まずは瓶ビール。注文したのは赤星だったが、出て来たのはスーパードライ。これは小さな残念ポイントだ。たたきは本場同様の藁焼き。予定通り戻りガツオの塩たたきを注文。ニンニクのスライスの代わりに「ぬた」を乗せる。続いてブリの刺身、ハランボ(カツオのトロ)、アオサ海苔の天ぷら、ウツボの唐揚げ、シュウマイ。〆に土佐巻き。注文過多。

1カ月後、午後5時半に予約して行く。すでに席の半数が埋まっていた。注文した赤星が注文通りに出てきた。グラスに注ぎ一口、お通しを口に運ぶ。斜め後ろに欧米風の中年カップルがいる。アオサの天ぷらを食べている。大丈夫? などという心配は無料。昔と違って、観光客はぼくら以上によく調べている。

この日は、お通しを除いて3品と決めていた。カツオのたたきと他の料理を天秤にかけながら料理を選択。第1回戦は「カツオのたたきvsブリ刺し」。ブリ刺しは前回も賞味し、この日も「これからが旬だ」と自分に言い聞かせた。結果、ブリの勝ち。こんなに贅沢にカットしていいのかと思うほどの厚みだった。

2回戦は「負けたカツオのたたきvsハランボの炙り」。カツオ対決だが、経験値の豊富なカツオのたたきに比べると、まだ数回しか実食していないハランボに食指が動いて、カツオのたたきは2連敗。

第3回戦は「連敗中のカツオのたたきvsウツボのたたき」。たたき合いするまでもなく、ウツボに軍配を上げた。こうして、食べ慣れたカツオのたたきはわが偏見によって3連敗し、この日はお呼びがかからなかった。

カウンターの角の一人客の女性は、メニューを見ては一品を注文し、そのつど違う日本酒を合わせる。ぼくが来店する前からいたので、少なくとも5種類の料理に5種類の日本酒を合わせたと思われる。箸運びとグラスの手さばきがこなれている。逞しい。

昼に過食していたので、ぼくはここでお勘定の合図。左手に座っていた若い英語圏のカップルと目が合う。ブリの藁焼きを指差して「ベリーグッド」と、(店主でもない)ぼくに言う。「それはグッドチョイスだ」とぼくも言う。「その種の魚を食べる観光客はあまり見かけない」と言ったら、「彼女はカリフォルニア出身なので魚貝が好きなんだ」と彼氏が言う。この二人も和食の事前調査が万全だったようである。

年内にもう一度来てみようと思う。他の好敵手である四万十ポークや地鶏の土佐ジローとの勝負にカツオのたたきは勝利できるだろうか。

イカとタコの食べ物考

『物語 食の文化 美味い話、味な知識』(北岡正三郎著)に次のくだりがある。(㊟ルビは岡野)

イカ(烏賊)は味が淡く甘味があり、脂気が少なくさっぱりしている。(……)イカはま、煮る、揚げる、焼く、漬ける、干す、いぶす、裂くなどあらゆる調理に向く。(……)イカは鮮度落ちが早いので、生食はごく最近まで水揚げ地近くに限られていたが、今は山奥でもいかそうめんが膳に上る。タコ(蛸)は欧米では悪魔の魚として食べないといわれるが、イタリア南部、ギリシア、スペインなどでは食べる。(……)

一部省略したが、イカとタコの記述する視点が異なっており、しかもイカのほうがタコよりも詳しい。勝手な解釈をするなら、タコに対するイカの優位性を感じさせる。ところで、イタリアでもスペインでもイカ料理は食べたが、タコ料理は食べていない。テレビでも見たし人からも聞いたが、ポルトガルのタコ料理がかなりうまいらしい。

本やインターネットの料理レシピを調べると、イカとタコを同時に・・・使う料理がおびただしく紹介されていて、正直驚いた。二つの具材を一緒に炊き込んだり、カルパッチョにしたり、揚げたり、アヒージョやパエリアにしたり……と何十ものレシピが出てくる。どのレシピも強引に併せている印象を受けた。

経験不足だと思うが、イカとタコが同じ器に盛られるのはチラシ寿司かにぎりの盛り合わせしか知らない。イカとタコは「対立」の関係ではないが、かと言って「協調」の関係でもないような気がする。イカとタコは対立も協調も相互補完もせず、優劣を競うこともなく、それぞれが独立性を保っている。たこ焼きのタコをイカでは代替できないし、イカソーメンが売り切れてもタコソーメンでは補えない。イカはイカであり、タコはタコであり、それぞれ固有の存在である。

イカは好物だが、タコも互角。これまで食べてきた料理を思い浮かべて列挙してみた。

【イカ料理】 関西風イカ焼き(チヂミに近い);いか飯;イカリング/フリット/イカ天;塩辛;イカと大根/里芋の煮もの;イカソーメン;活きづくり;イカ墨パスタ;カラマーリ(ガーリック風味の唐揚げ);スルメ/燻製;刺身/にぎり;カルパッチョ;イカとセロリの中華炒め、etc.
【タコ料理】 たこ焼き;ぶつ切り炒め/
ゆでダコの辛味炒め;おでん;たこ飯;カルパッチョ;唐揚げ;タコ酢;マリネ;パエリア;たこ煎餅;刺身/にぎり;サンナッチ(韓国料理のおどり食い)、etc.

どちらも魚でも貝でもなく、個性的な軟体動物なので料理に一部共通点はある。しかし、イカをタコに、タコをイカに変えると違う料理になってしまう。

盆休みの間に、イカならでは料理、タコならではの一品を食す機会があった。それぞれが食材の特徴をかなり上手に引き出した海鮮料理だと思う。

イカと野菜の葱油炒め(中華料理)
薄切り水ダコのカルパッチョ(イタリア料理)

旧盆の仕事とランチ処探し

当社の得意先もそうだが、大企業の多くは810日㈯から18日㈰まで9連休を取っている。これに有給休暇を組み合わせれば12連続や半月ほども休みが取れる。海外へ出るなら長期休暇はありがたい。実際、スタッフが大勢いた頃は、春や秋に2年に一度のペースで半月ほど休ませてもらっていた。

遠出の予定を立てないので、夏場に長期で休むのは苦手だ。飛び石のほうがありがたい。今年も2日休んで、3日出て、3日休むという具合。出社の3日が13日~15日のドンピシャの旧盆になる。創業以来30有余年、夏は旅に出ていない。大勢の旅行客に出くわすのを避けて、旧盆の時期はなるべく仕事をするように調整してきた。

この時期、オフィス周辺は人が激減する。オフィスには電話がかからない、メールが来ない。フレックスタイムにしているので、一人の時もある。仕事の合間に読書したり文章をしたためたり、モールで買物をしたり、リラックスして瞑想したりと、マイペースな時間を謳歌する。

旧盆時の出社には一つの悩み事がある。行きつけの食事処が軒並み休みを取るのである。コンビニ弁当は買わない主義なので、営業している店を近場で探す。めったに行かない店でも一見でもやむをえない。今日もどこで食べるかと心当たりをイメージしていたら、炎天下を歩かずに済む隣のビルのラーメンが浮かんだ。

新規オープンしてから早や2年の人気店だが、入店はわずか2回。開店の11時半前に行けば、すでに7人が入店していた。定員11席の10番目。昨日か一昨日かにユーチューバーが発信して、少しバズったらしく、正午頃には店の前に10人くらい並んでいた。

ニンニクと背脂と鷹の爪がふんだんに入った濃厚スープ。さすがに最近はこの種のラーメンは控えているが、この店オリジナルの太い縮れ麵は評価できる。「無料のモヤシ増しされますか?」 何も考えずにハイとうなずく。注文後の待ち時間と食事時間合わせて35分。ラーメン1杯にしては結構時間がかかった。4コマ漫画風に紹介する。

約15分待って運ばれてきた。ようやく実食スタート。
モヤシをさばくのに5分、麺に到達。スープの全貌は見えない。
さらに5分食べ続ける。麺と具にからむ濃厚スープ。3口ほど飲む。
穴あきレンゲで具を平らげる。危険な濃厚スープはほとんど残す。

スタミナ料理の実効と気休め

体力に自信のない時にスタミナ料理は逆効果だと聞いたことがある。夏バテ防止を期待してスタミナ料理を食べても、疲れている時は胃腸も弱っているから即効回復は望めない。元気だからこそ、スタミナ料理をおいしく食べて上手に消化して効果が実感できる。

スタミナ料理とは何か? いくつもの説があるが、鰻や豚キムチやレバーのような、タンパク質、鉄、ビタミンB1/B2などの栄養素を含む料理というのが一般的。しかし、スタミナ料理と元気の因果関係はわからない。スタミナが実際につく人とつかない人がいるし、効いてはいないけれど気休めになっている場合もある。スタミナ料理を検証してみたい。


🥢 鰻丼や鰻重は「土用の丑」という語感効果で、スタミナ料理の象徴になり古典と位置づけられた。しかし、夏バテ防止や精をつけようと期待して食べるには高級過ぎる。鰻丼や鰻重は、滅多に口にしないのがよく、素直に「うまい!」と唸っていただくのがいい。お値段が高いほどうまさが増して元気になるように感じるのは錯覚である。

🥢 これでもかとばかりに鷹の爪、おろしニンニク、背脂、ネギが投入された中華そば。疑う余地のない男飯おとこめしで、早食いの客が多い。香ばしさと辛さと脂の複合スープは50メートル先の角を曲がった時点で強く匂ってくる。平らげた者はスタミナがついたと満足するが、そんなにすぐには効かない。確かなことは、ニンニク臭が翌日の昼頃まで残ることだ。

🥢 焼肉店の一番の推しはカルビということになっている。焼肉通は初めて入る店では必ずカルビを注文して品定めをするらしい。隠し包丁を巧みに入れたカルビが出てくるだけで、焼く前から味のイメージが湧き始める。とは言え、牛と豚と羊と鶏を比較すれば牛肉は人気一番で一番値も張るだろうが、スタミナ一番かどうかは検証できていない。

🥢 餃子は、ホルモンと並んで、人気のある元祖スタミナ食である。鰻が「古典」なら、餃子は親しみやすい「庶民」である。テイクアウトして自宅で焼いても十分うまい。庶民的な町中華で学生の頃からよく食べた。メインの一品だけで物足りないと思えば、必ず餃子を一、二人前追加した。瓶ビールでやるイーガーコーテルは真夏に負けない。

デザートと飲み物

エスプレッソドッピオ

ブログで使った写真を整理していたら、街角、本、風景、料理、図/イラストの他ではコーヒー(特にエスプレッソ)の写真が多いことに気づいた。コーヒーとデザートが並ぶ写真がなくはないが、そもそも食後にデザートをあまり口にしないからコーヒーと菓子の相性を意識した記憶はない。和菓子ならお茶、洋菓子ならコーヒーという、条件反射的なペアリングをする程度だ。

ビスコッティ

イタリア旅行中でもエスプレッソに合わせたデザートはめったに注文しなかった。例外はフィレンツェのビスコッティ。エスプレッソを注文したら付いていた。棒状に延ばして焼いた生地を、いったんカットしてからもう一度オーブンで焼く、やや硬いビスケット。ビスコッティの「ビスは2、コッティは焼いた」。つまり「2度焼き」という意味。別のレストランでは食後の甘口のデザートワインに付けてくれた。ワインに浸してやわらかくして食べる。

ローマではエスプレッソにティラミスを合わせた。日本のティラミスとの違いを知りたくて注文した。甘すぎる、濃すぎるというしかない。ところが、砂糖を入れてかき混ぜたエスプレッソの甘味とよく合うから不思議だ。エスプレッソとティラミスも、デザートワインとビスコッティも、互いに補完し合う関係ではなく、似たものどうしの組み合わせ。濃い味と濃い味、甘い味と甘い味という同類合わせが本来のペアリングなのである。

あっさりしたクッキーに紅茶、濃厚なチーズケーキに濃いコーヒーが合う。茶菓子があっさりだから飲み物を濃くするとか、苦いチョコレートだから薄いコーヒーというのでは逆効果。ワインのペアリングと同じことだ。濃厚でスパイシーな赤ワインには肉、さわやかな白ワインには淡泊な白身魚という具合。

チョコレートケーキと赤ワイン

ミルフィーユ状の濃くて甘いチョコレートケーキを買って帰る。普段なら濃いコーヒーだが、赤ワインを合わせることにした。どちらも濃厚であり、ポリフェノールを含んでおり、苦みと渋みが拮抗する。似たものどうしである。問題はどの赤ワインを合わせるかだ。赤ワインは30本ほど買い置きしてあるが、何本も抜栓して試飲するわけにはいかない。

直感で、以前何度か飲んだイタリアはプーリア州のネグロアマーロの1本を選ぶ。果実味が豊かで、カシスやカラメルの香りが立ち上がり、チョコレートの甘苦さと好勝負できそうな渋いタンニンの濃厚な赤ワイン。想像通りのペアリングになったと思うが、他のワインを試していないから、どの程度のペアリングだったかはわからない。ワインだけ楽しむ分にはいいが、料理とのペアリングに凝り始めると浪費する。

魚介料理ウィーク

肉料理に肉の名がつくように、魚介料理には魚介の名がつく。ところが、牛・豚・鶏などの肉類と違って、魚介の名にはローカル色が強く出る。クロダイをチヌと呼ぶ土地があり、ブリは大きさや地域によって、ワカシ、イナダ、ワラサなどと呼び名が変わる。広島県の備北で食べられるワニの刺身は、あの爬虫類のワニではなく、サメやフカのことである。水産国だけに魚介類の語彙は豊富だ。

特に意図したわけではなく、単なるめぐり合わせで先週は魚介料理を食した一週間になった。どれも予算1,000円以下のお手軽ランチ。

🥢 カサゴの唐揚げ

カサゴが売られていたので買い求め唐揚げにした。この魚にはガシラという別名がある。グロテスクな魚で頭部の特徴が際立っている。見た目と違って白身は上品。しっかり揚げても太い骨ごとガッツリというわけにはいかない。ご飯のおかずにするなら煮付けがまさる。

🥢 イカと野菜のXOジャン炒め

イカは万能の食材である。真剣に向き合えば、料理のレパートリーが広がる。イカは好物だが、稀にしか食べない中華料理のイカが好み。日替わりが「イカとブロッコリー」や「イカのXO醤炒め」などと知れば、躊躇なく指名する。中華ならではの包丁の入れ方が美しい。

🥢 海鮮丼

若い頃のワクワクしたご馳走感はなくなったが、海鮮丼にネタがいろいろ乗っているだけでいい店だと評価してあげたい。海鮮丼のご飯が「白飯か酢飯か」という目立たない論争があるそうだが、別にこだわらない。海鮮丼は醤油とわさびの使い方が厄介である。

🥢 チュクミポックム 

韓国料理はいろいろと食べてきたが、これは初。イイダコの辛味炒めである。覚えにくい名前なので撮った写真に注釈をつけておいた。イイダコはさほど安い食材ではないのに、5匹も盛られていた。ところで、魚介とは「魚と貝」なので、先のイカもこのイイダコも、正しく言うと、魚介ではない。しかし、精度を期すまでもなく、どんなものが魚介、海鮮、シーフードの食材であるかは、供する人と食する人どうしはよくわかっている。

お値段以上の珍味佳肴

なかなか口に入らない食材や料理と旨いさかなのご馳走をどう言えばいいか。数年前まで、勉強会の後に自炊する食事会を「美食倶楽部」と呼んでいた。美食には贅沢感が強く出るので、そう呼びながらもしっくりきていなかった。耳慣れないが、四字熟語の珍味佳肴ちんみかこう」がぴったりの表現だと知り、気に入っている。

グルメや絶品を強調しなくてもいい。また、料理に高級食材を使う必要もない。おいしいご馳走は人それぞれだが、「安くておいしい」がご馳走の基本だと思っている。そもそも料理単品の力で舌鼓が打てるわけではない。季節感や旬の素材や酒とペアリングしてこそ食は愉しさを増す。今年2月にいただいた秀逸コスパの料理をまとめてみた。


🥢 牡蠣フライの「かつとじ」

牡蠣フライはマヨネーズかタルタルソースで食べるのが相場だが、親子丼のアタマ・・・のようにとじると別の料理になる。ご飯に乗せず、ご飯と別のかつとじがいい。これが主菜の750円の定食で、他に具だくさんの味噌汁・小鉢2品・ライスが付く

🥢 鮪のカマ焼き

鮪は頭部がうまい。頬肉、目玉、脳天、カマにはそれぞれ独特の食感がある。夕方に値引きシールが貼られて250円になったカマを焼いてみた。まるで牛カルビの焼肉だ。珍味と言うにはありふれた部位だが、ステーキに見立てて焼けば赤ワインに合う佳肴になる。

🤌 有頭エビの串揚げ

頭が有ると無しではエビはかなり違って見える。頭のないのは食べやすいが旨味が物足りない。頭に旨味のほとんどがあるエビは有頭で料理してこそ値打ちがある。そして頭も丸かじりする。やや大ぶりの有頭エビの串揚げ、 1350円。オプションでアスパラガスを添える。

🤌 鯛皮の素揚げ(鯛皮せんべい)

鯛皮のにぎりはポン酢を垂らしてよく食べるが、この素揚げは二度目の珍味である。左手にはハイボール、右手の親指と人差し指で鯛皮をつまむ。薄塩の味付け。ウロコ取りがあるので自分で調理するのは大変だが、店なら300円で食べられる。

🍴 牛肉スジとキノコのトマトソースパスタ

牛肉のスジをやわらかく煮込み、大きめにゴロゴロっと盛り付ける。サラダとパンとエスプレッソが付いて950円。牛ミンチのボロネーゼに比べて遜色なく、むしろ野性味と迫力で上回る。

🥢 播州百日どりの肝と心臓のコンフィ

ブロイラーの倍近くの日数をかけて育てるだけあって内臓は濃厚な味わい。オリーブオイルでほどよく低温加熱してオイル漬けしたまま保存する。濃厚で重い赤ワインが合う。これも400円くらいで出してくれる。調理が簡単なので、新鮮な肝と心臓が手に入れば自炊可能。

🥢 数の子のくずれ・・・とワカメの和え物

カステラの端っこ、黒毛和牛の切り落としに存在意義があるように、数の子のくずれにも出番がある。いや、くずれていない数の子には向いていない。無理にくずしたのではなく、取り扱い中にくずれたものがこの料理に抜擢される。たっぷり盛って450円。

食べ物考――好奇心と奇食

ローカルな食材が世界を巡る時代になって久しい。たいていの食べたいものは手に入るようになり、居ながらにして世界の美食や珍味を堪能できる。もし国内で手に入らないなら、懐に余裕がある向きはご当地へ赴いてお目当ての好物にありつけばいい。

人間はどのようにしてある特定の食材を常食し、やがて嗜好するようになったのか……。和辻哲郎はその著『風土』で次のように書いている。

人間は獣肉と魚肉のいずれを欲するかにしたがって牧畜か漁業のいずれかを選んだというわけではない。風土的に牧畜か漁業かが決定されているゆえに、獣肉か魚肉かが欲せられるに至ったのである。同様に菜食か肉食かを決定したのもまた菜食主義者に見られるようなイデオロギーではなくて風土である。

大昔はこの通りだった。世界を見渡せば、今も一部の集落において和辻の指摘する風土の影響を強く受けて生きる種族がある。彼らは通販やふるさと納税を利用して遠方から目新しい食べ物を取り寄せることはない。地場の限られた旬の食材に依存し、風土の食性に縛られている。縛られていても、好き嫌いはしないし、狭食習性を嘆くわけでもない。


食わず嫌いとは、試しに食べもせずに、理由もなく食材や料理を嫌うこと。かつては生活風土の中では誰も食わず嫌いをしなかった。しかし、生活風土圏外で初めて見る珍しい食材を警戒し、手を出して口に入れて常食するまでには長い歳月を要した。人間は食わず嫌いを少しずつ克服して食性を広げて今に至っている。

しかし、どんなに飽食するようになっても、食べたくないものを食べない人たちはいるし、仮に何かが苦手でも、他に代替できる好物はいくらでもある。ぶつ切りにされてなおうごめくタコ、牛の脳みそ、昆虫やカエルは、わが国では食べ物の常識から外れた奇食と見なされる。他方、ある人たちが奇妙な食材として遠ざけるものを、別の人たちは違和感なく好む。

世界の4大食肉と言えば、生産量順に鶏肉、豚肉、牛肉、羊肉。若い頃から食事会の幹事によく指名されたが、羊肉を苦手とする者が一番多いため、あらかじめ大丈夫かどうかを確認するか、野暮なことは聞かずに黙って焼肉店にしていた。羊肉の食事会に誘う時は必ず人選して小人数で行くことにしている。「誘われたら行きますよ」というレベルでは不合格だ。

延辺朝鮮系やイスラム教徒系の中国人が経営する店では羊肉を使った料理が多い。写真は茹でた羊大骨ヤンダ―グーの盛り合わせ。二組に一組はこれを注文する。羊肉スープを取った後でも旨味と肉が少し残っていて、太い骨をつかんで香味タレに付けて骨回りの肉を少しずつ齧る。ストローを使って骨の中の髄を吸う。まったく奇食とは思わないし、格別にうまいわけでもないが、盛り皿のインパクトに目は好奇心で輝き、人は遊牧の民になる。

フルサービスとセルフサービス

ステーキ店で焼き加減を聞かれる。「お任せします」と言ってもいいし、好みの、たとえば「ミディアム」と言ってもいい。任せても好みを言っても、料理人がフルサービスでやってくれる。客はプロが焼くステーキを食べることに専念すればいい。

寿司店は高級な店でも回転寿司店でもフルサービスが基本。寿司めしを手に取ってネタを乗せて握るのは店の職人であり、客が寿司をセルフで握ることはない。客は「トロ」だの「イカ」だの「ウニ」だのと注文さえすれば、あとは懐と相談しながら食べればいい。

自宅でたこ焼きをしたり串カツを揚げたりはするが、店に入って自分でたこ焼きを作ったり串を揚げたりしたことはない。それが当たり前だと思っているが、少数派ではあるがセルフサービスのたこ焼き店や串揚げ店が存在する。セルフと言っても、出来上がったものを取ってくるのではなく、テーブルに備え付けの調理器具を使って自分で作るのである。

本来料理人に任せるべき調理の一部始終のうち、焼いたり揚げたりという、どちらかと言うと、微妙な作業を客自らセルフでおこなうとは、奇妙である。関西ではその奇妙な習慣が一部のお好み焼き店で続けられ今に至っている。客自らが個室で焼くセルフお好み焼きの名店が千日前にある。イラスト入りの指示書に従えば、下手に焼いてもまずまずの味に出来上がる。しかし、焼き慣れたプロに焼いてもらうほうがうまいに決まってる。

先日、『焼肉のことばかり考えてる人が考えてること』(松岡大悟著)というおもしろい本を見つけた。焼肉にはステーキよりも格段に高いエンターテインメント性があって、それが人々の心を惹きつけているという。しかし、と著者は言う。

「実は焼肉屋には、どえらく大きな落とし穴がある。それは肉を焼くという作業を、客自身が担当しなければならないということだ。」

ステーキ店との決定的な違いがこれである。ステーキは料理人が焼き、焼肉は客が自分で焼く。どんなに上質の肉でも下手に焼くとまずくなる。火加減や焼き時間は肉の部位によって変わる。裏返すタイミングも難しい。炭で焼くかガスで焼くかの技の使い分けも必要だ。

客は焼肉を食べに来ているのに、一番重要な「焼き」という調理を任される。調理に参画しても割引サービスはない。自前で焼き、焼き過ぎて焦がしても自己責任を負う。「こちら特上カルビです」と言って店側はテーブルに一皿を置くが、焼き過ぎに注意程度の指南しかしてくれない。試しに最初の一切れを焼いてくれることはあるが、後は任される。

にもかかわらず、焼肉店に通っては性懲りもなく自分で焼く。どんなに店側が上手に焼いてくれるとしても、ステーキのように厨房で焼いた肉が運ばれてくるのを望まない。自分で焼きたいのだ。何度も焼いているうちにコツをつかみ、部位によって焼き方も覚える。うまい焼肉への道は厳しく長いが、あの本に書いてある「遠火の強火」を焼きの基本として精進されることを願う。

晩餐会の「食性」

西洋料理のコースの主菜をいただく時に、あるシーンがいつも頭をよぎる。時は19世紀後半、デンマークはユトランドの辺境の村を舞台にした映画『バベットの晩餐会』の一コマ。あの物語の主菜は「うずらのフォアグラ詰めパイケース」という、贅沢でアヴァンギャルドな料理だった。

ヨーロッパでは野生の山鶉が食べられる。フランスでは解禁が11月、食卓にのぼるのは年に2ヵ月足らずと聞いた。産地ではこの希少食材を地元民は珍重する。好きだ嫌いだなどとは言わない。しかし、鶉の主菜は世界から様々な食性を持つ人たちが集まる晩餐会では規格外。わが国でも忘年会で鶉料理のメインが出てきたら、幹事失格の烙印を押されること間違いなし。

スウェーデンのノーベル賞の晩餐会では、主菜はたいてい鴨か仔羊である。わが国ではいずれも苦手な人が少なくない。世界標準では宗教的理由から豚肉や牛肉は出しづらい。また、伊勢エビや蟹などの甲殻類も禁忌食材とされる国々がある。もし世界からセレブが集う晩餐会に招待されたら、鴨か羊を覚悟しておかねばならない。


前日に琵琶湖で狩猟された野生の鴨を丸一羽もらったことがある。宅配されて梱包を解いて仰天しそうになった。いっさい手が入っていない状態で、例の色鮮やかな羽毛付きのマガモ(真鴨)だった。苦手なクチなら嫌がらせだと思うだろう。捌きと下ごしらえに苦しみ、かなり時間を要したが、鍋料理と炙りに仕上げて少し癖のある野趣に富んだ肉を堪能した。

「鴨がねぎ背負しょってくる」と言う時、あの鴨は鍋の食材を想定している。葱さえあれば、他に白菜や豆腐などの具材がなくても、鴨鍋は成立する。話は牛鍋になるが、池波正太郎は牛肉と葱だけのすき焼きが絶品と言った。葱の切り方にも注文がつく。斜め切りではなく、ぶつ切りにして縦置きにして煮る。

閑話休題――。稀にマガモが売られているのを見るが、安上がりに自宅で鴨料理をするならアイガモ(合鴨)だ。元を辿れば、アイガモは野生のマガモとアヒルを交雑交配した家禽。アヒルそのものがマガモを品種改良したものなので、アイガモもマガモに分類される。大阪でアイガモと言えば河内かわち鴨がブランド。2019年のG20大阪サミットで供された。

その河内鴨の料理を出してくれる店が、オフィスから23分の所に2店ある。どちらの店もランチメニューになっている。一方がアイガモの鴨なんば、他方がアイガモの丼とラーメン。後者がひいきで、表面だけ軽く炙った、ほぼ刺身状態のたたき丼が目当て。これまで10人くらい誘ったが、乗ってくれたのは2人のみ。鍋や蕎麦ならいいが、たたき丼の敬遠率は高い。