ローカルな食材が世界を巡る時代になって久しい。たいていの食べたいものは手に入るようになり、居ながらにして世界の美食や珍味を堪能できる。もし国内で手に入らないなら、懐に余裕がある向きはご当地へ赴いてお目当ての好物にありつけばいい。
人間はどのようにしてある特定の食材を常食し、やがて嗜好するようになったのか……。和辻哲郎はその著『風土』で次のように書いている。
人間は獣肉と魚肉のいずれを欲するかにしたがって牧畜か漁業のいずれかを選んだというわけではない。風土的に牧畜か漁業かが決定されているゆえに、獣肉か魚肉かが欲せられるに至ったのである。同様に菜食か肉食かを決定したのもまた菜食主義者に見られるようなイデオロギーではなくて風土である。
大昔はこの通りだった。世界を見渡せば、今も一部の集落において和辻の指摘する風土の影響を強く受けて生きる種族がある。彼らは通販やふるさと納税を利用して遠方から目新しい食べ物を取り寄せることはない。地場の限られた旬の食材に依存し、風土の食性に縛られている。縛られていても、好き嫌いはしないし、狭食習性を嘆くわけでもない。
食わず嫌いとは、試しに食べもせずに、理由もなく食材や料理を嫌うこと。かつては生活風土の中では誰も食わず嫌いをしなかった。しかし、生活風土圏外で初めて見る珍しい食材を警戒し、手を出して口に入れて常食するまでには長い歳月を要した。人間は食わず嫌いを少しずつ克服して食性を広げて今に至っている。
しかし、どんなに飽食するようになっても、食べたくないものを食べない人たちはいるし、仮に何かが苦手でも、他に代替できる好物はいくらでもある。ぶつ切りにされてなお蠢くタコ、牛の脳みそ、昆虫やカエルは、わが国では食べ物の常識から外れた奇食と見なされる。他方、ある人たちが奇妙な食材として遠ざけるものを、別の人たちは違和感なく好む。
世界の4大食肉と言えば、生産量順に鶏肉、豚肉、牛肉、羊肉。若い頃から食事会の幹事によく指名されたが、羊肉を苦手とする者が一番多いため、あらかじめ大丈夫かどうかを確認するか、野暮なことは聞かずに黙って焼肉店にしていた。羊肉の食事会に誘う時は必ず人選して小人数で行くことにしている。「誘われたら行きますよ」というレベルでは不合格だ。
延辺朝鮮系やイスラム教徒系の中国人が経営する店では羊肉を使った料理が多い。写真は茹でた羊大骨の盛り合わせ。二組に一組はこれを注文する。羊肉スープを取った後でも旨味と肉が少し残っていて、太い骨をつかんで香味タレに付けて骨回りの肉を少しずつ齧る。ストローを使って骨の中の髄を吸う。まったく奇食とは思わないし、格別にうまいわけでもないが、盛り皿のインパクトに目は好奇心で輝き、人は遊牧の民になる。