移り変わると言えば、雲だ。風の強い日の雲は変幻自在に形を変えて流れて行く。空の青と白とグレーも刻々と混色する。雲は詩人たちにふんだんに題材を提供し、詩人は題材を熟成させて作品を書く。散歩人は雲を見上げてスマホを構えて撮る。散歩人は記録を急ぐ。
定食メニューを手書きで店頭に掲げる中華料理店。先日、メニュー以外の別の貼紙がしてあった。こんな時はだいたい閉店か休業の告知だが、そうではなかった。「750円の定食は〇月〇日から一律850円とさせていただきます」。価格の移り変わりだった。
昨年まで空地だった所にマンションが建つ。2年前まで店舗だった所がホテルに変身する。役所で人口の推移を聞くまでもなく、近所のスーパーマーケットに行けばわが街の人口増がわかる。外国人観光客はどこにでもいる。住宅街の小さなお好み焼き店にもやって来る。
表札の「▢▢想太郎」の文字。高齢になってデイサービスのお迎えを自宅前で待つ、おそらくその名の世帯主。ほぼ毎日通る道だが、裏手はほとんど知らない。そのほとんど知らない自宅兼商業ビルの建物の裏手に古着屋ができていた。タイムスリップのような唐突感。
情報をどこから得ているか? ある人は「読書」だと言う。別の人は「人」だと言う。人というのは人間関係であり雑談や対話のことなのだろう。また別の人は「YouTube」だと言う。新聞やテレビは魅力的な情報としては力不足なのか。
人は必ずどこかの街に暮らしていて、その街が発信する情報を身近に得ている。日々の暮らしの中で目撃するシーンは微妙に移り変わり、ホットな街角情報を提供し続ける。さっき少し歩いてきたが、都会の移り変わりのスピードは1ヵ月前のシーンさえ陳腐化してしまう。