あっという間の1週間

📝 他人任せのサーバー移行
どんな作業が具体的におこなわれているのかほとんど知らない。先々週に「この先1週間はブログの更新ができない」と告げられた。書こうと思っても書けないのは別に苦痛ではないが、ブログを書かない1週間はあっという間に過ぎた。

📝 断捨離の手が止まる
5月に自宅とオフィスを同時に移転するので、2月から断捨離の日々。いつか終わるのだろうが、なかなか終わりが見えない。長年残しておいた雑誌を処分した。黙って捨てればいいのに、「ヌーベルガストロノミー」特集の記事を読んでしまう。料理の世界は「即効性」と長い時間考え抜かれた「構築性」で構成されると書いてある。前に読んだのを思い出した。

📝 貴重な隙間の時間
悠長に構えているわけではないが、稀に隙間の時間ができる。文を綴らない時は鉛筆画を描く。その前に画題を探す。イタリアの鐘楼や天満橋の夜景などスマホの写真を見る。夕食のワカサギの素揚げやワインのDMも候補に上がる。3本のワインボトルを選んだ。

📝 日本人向けのカレー?
インド・ネパールの店の日替わりカレーの具がタケノコだった。ほう、日本仕様の具材を思い切りよく使うものだと思った。ネパール人の店長に聞いたら、ネパールではタケノコはよく食べるらしい。知らなかった。

📝 咲き初めから散るまで
先週の土曜日だったか、公園の手前で見上げたら桜が芽吹こうとしていた。堅そうな芽が1週間もしないうちにやわらかい花びらに変化へんげする。やさしく咲いてははかなく散るの繰り返し。桜とはあまり相性がよくないが、人知の及ばない現象を思うと心身が神妙になる。

単色スケッチをAIが着彩したら……

30数年前、古い映画のマスターフィルムをデジタル技術で高画質に修復して作り直せるようになった。デジタルリマスターという。色彩が再補正されて鮮やかによみがえる。近年は4K解像度に対応するリマスターが主流になり、今ではAIによる自動化でさらに飛躍的に解像度が高まった。

あまり詳しくないが、アニメやイラストの専門AIに任せれば、人の手になる線画と下塗りをベースに着彩してくれる。ぼくのようなアマチュアは、拙い絵を描くにしても自分でスケッチやデッサンをして自分で色を塗りたいと思う。特に透明水彩画は、着彩で台無しにしてしまうこともよくあるが、それも絵画というアートだと割り切っている。

どこの街だったか思い出せないが、イタリア旅行中にスケッチした1枚の絵が残っている。この単色のペン画を示して「この絵を着色して」とAIに指示した。それ以外は、建築様式も時代も希望の色も一切情報を提供していない。30秒もしないうちにAIはリマスターしてみせた。それがこの絵だ。

濃淡や陰影の仕上げがよく出来ているので驚いた。基本はぼくのスケッチの線を生かしながら、バーントシェンナとバーントアンバーの2色を基調にして左手の建物の窓枠を造作している。少し赤みがかった空色も建物の色と合っている。

ならばとばかりに、もうひとつお願いすることにした。パリはモンマルトルで撮った写真を元にしてスケッチした1枚。空と通りに軽く色をつけたままで放っておいた絵。

AIには「この絵を水彩画風に着色して」とだけ指示した。実際にこの目で見た街の光景がかなり写実的かつ物語性を感じさせるかのように現れた。

何という創造力、いや想像力だろう。あまりディテールに関心のないわがラフスケッチをかなりリアルに表現しているではないか。AIとの共作アートに原作者の痕跡を残すのは難しいかもしれない……この絵を見てそう思った次第。

レトロな麺処の品書き

体験的記憶に残る昔のノスタルジックな雰囲気を懐かしむ時、「レトロな」という表現を使う。ぼくの世代ではレトロと言えば平成ではなく、昭和である。戦前も昭和だったが、体験的記憶となると昭和30年代。そこからいつまでをレトロとするか、それは人それぞれだ。

あまり歩かない方向に5分、年季の入った麺処に初入店した。調理場に白髪の後期(?)高齢者の店主がいるのみで、ワンオペ店のように見えた。注文を聞いてお茶を出す。ほとんどの品書きがセットなので、調理場には出汁の鍋、茹で湯の鍋、飯物めしものの具鍋など数種類の鍋に火が入っている。

この店のそばは、つなぎを使わないそば粉だけの生蕎麦きそばではない。生蕎麦の茹で時間は長くなるので忙しいランチタイムには向かない。細くて白い更科のなまそばである。早ければ2分未満で茹で上がる。食べ終わる頃には麺が延びてゆるくなる。

ワンオペにしてはちょっと品書きが多過ぎはしないか。しかも、大半が飯物と麺のセットだ。客が10人も入ると手際よくさばけるのかと心配してしまう。この店のセットは、麺処の常で、丼が普通サイズでそれに小さなそばかうどんが付く。麺は温でも冷でもよい。

しかし、この店は丼ものも麺も小さめの「ミニ・ミニセット」も出す。ハイカラ丼、玉子丼、木の葉丼、他人丼、親子丼、カツ丼の各種飯物もミニサイズだ。親子丼と温かいそばのセットを注文した。後から来た客のほとんどがこのミニ・ミニセットを指名していた。

どう見てもミニとミニの組み合わせに見えない。どちらもほぼレギュラーだ。それに、かけそばのはずの麺がほとんどわかめそばである。サイズはレギュラー、料金がミニ、レトロで良心的な店。食事を終える頃、常連と店主のやりとりが聞こえた。相方が体調が悪くて休みとか。普段は夫婦二人で切り盛りしている店なのである。

後日再訪。テキパキと注文を取って配膳する相方と調理に専念する店主。客さばきと手さばきがお見事だった。この日も飯物は親子丼。麺がゆるいそばは好まないので、温かいうどんにした。そばが売りのはずだが、うどんのほうがうまいと正直な感想。前回は店主一人だったから、そばを茹で過ぎたのだろうと斟酌しんしゃくすることにした。

シニアたちの晩餐会

数年前から、オフィスの読書室に手製の料理を持ち込んでワインの飲み比べテイスティングの会をしている。大学の24学年の後輩たちがメンバー。集まるのは56名だが、用意するワインは4種類。シニアにしてはグラス4杯はやや飲み過ぎかもしれない。

13ヵ月ほどが開いた。「3月あたりどうですか?」と、ワイン会主宰のぼくに声が掛かった。「オフィス退出の準備で忙しい状況なので、ワインをセレクトしたり手料理を準備したりするのは難しいが、イタリアンかフレンチでの外食ワイン会なら」と告げた。

店と料理で悩んでいたが、コロナ前までよく利用していた近場のレストランを思い出す。フレンチ主体の欧風料理の店、灯台下暗しだった。無理を言って定休日に開けてもらい、一昨晩地元大阪と神戸がそれぞれ2人、名古屋と東京から各1人の6人が集まった。32席ある店を6人で貸し切るという厚かましい贅沢ぶり。


すべてシェフにお任せした。ワインは、発泡酒がスペインのカヴァ、1本目の赤はドイツのピノノワール、白はフランスのシャルドネ、2本目の赤はフランスのメルロー。以上4種。アミューズ、前菜の盛り合わせ、スープ、魚料理、デザート、エスプレッソのコースで、2時間半を越す晩餐会になった。

フランス料理の名称は長い。食材名と調理法と(場合によっては)産地までが含まれる。説明や薀蓄が必須であるが、傾聴しても覚えることは容易ではない。特に、料理の写真を撮って安心し、そして歳のせいもあって、料理の名前がおろそかになる。二晩過ぎた今日、記憶を辿った。だいたい覚えているが、あやふやな点はAIに写真を見せて類推してもらった。

フォアグラのブリュレ アミューズにフォアグラとは驚いた。表面を加熱してキャラメルを焦がし、バターに見立てたフォアグラを熱々のシナモントーストに塗る。
オードブルヴァリエ ムース仕立ての半熟卵(中央)、その上から右回りに、鰯のエスカベッシュ、鯖のエスカベッシュ、キングサーモン、和牛・鴨・鶏のロースト、四万十豚のハム見立て。
チュイル・ド・フロマージュ(カリカリチーズ)と鯛のすり身と大根のアッサンブラージュ、蛸のラグーソース添え
デザートの盛り合わせ クレームブリュレ(焼きプリン)、ストロベリーのジェラート、ガトー・オ・ショコラ

語句の断章(76)「動詞」

動詞は活用で分類できる。また、種別で見ると自動詞、他動詞、可能動詞、補助動詞などと分けられる。

このような文法的な知識が優勢になると、動詞は味気ない品詞になる。対して、日々の自らのおこない、取り巻く場の様子と変わりようなどを素朴な自然体で見ると、生活の中で生き生きとしている動詞が浮き上がってくる。

〈例文〉
6時半に起きる・・・。起きることを前提にして前夜に寝る・・、そして眠る・・。起きて空腹を覚える・・・と、朝食を食べる・・・。その前にトイレに行く・・、身体を動かす・・・、顔を洗う・・などの動作がある・・かもしれない。そして家を出る・・歩く・・、電車の中で立つ・・。喫茶店に入る・・座る・・、コーヒーを飲む・・。あるいは、働く・・、誰かに会う・・、弁当を買う・・……こうして半日が過ぎる・・・。過ぎ方は日によって異なる・・・

動詞の大半が人の動作を表す。上記の例文中の、起きる、寝る、眠る、食べる、行く、動かす、洗う、出る、歩く、立つ、入る、座る、飲む、働く、会う、買うが「動作」の動詞である。思いつくまま挙げると、話す、回す、開く、閉じる、運ぶ、着る、脱ぐ、駆ける、描く、取る、叩くなどいろいろある。動作の動詞は枚挙にいとまがない。

上記例文の20の動詞のうち、動作とは別の性質を持つ動詞が4つある。覚える、ある、過ぎる、異なるの4つだ。覚えると異なるは「状態」を表す。見える、感じる、聞こえる、違う、優るなどがこのグループに入る。あるは「存在」を表す(いるも存在)。過ぎるは「作用」を表す。燃える、流れる、落ちる、効く、揺れる、弾むなども何かの結果で作用する動詞である。

人は動詞とともに生きている。いや、動詞的に生きている。人が生きているかぎり、人は動いている。人が動作するとそこから別の作用が生まれる。ボールを壁に投げれば跳ね返ってくるように。動いている人は存在しているし、存在している人は、目立って動いていなくても、何らかの状態にあって感覚し分別している。

名詞や形容詞は人の個性を色付けするが、動詞は分け隔てなくどんな人にも当てはまる。

近場のぶらり街歩き

5月末に引越しを控えているが、今住むこの街に住んで20年になる。古代の難波宮なにわのみや、近世の大阪城と城下町、商売の栄えた船場せんば大大阪だいおおさか時代の名建築地区……など、長い歴史の背景がある市内の歴史地区。すべて自宅から徒歩圏内。昨日の日曜日、久しぶりに歩いてきた。

3月に入ったばかりなのに4月上旬の気候だと気象予報士が言うから、軽装で午前10時頃に家を出たら肌寒いではないか。陽当たりのいい道を選んで早足で歩く。とりあえず大阪城公園から梅林を目指す。ところが、NHK大阪放送局のアトリウムを横切ろうとしたら、人でいっぱい。朝の連続ドラマ『ばけばけ』のセットや小道具が展示されている。最終日だと知って、これも何かの縁とばかりに長い列に並んだ。人だかりの割にはほとんど待たなかった。

長屋のセットの時代考証がすぐれている。6人家族で建付けの悪い一間で暮らしていたことに啞然とする。滞在時間は15分ほどだったが、想定外の見学を楽しんだ。さあ先を急ごうと思った直後、NHKに隣接する大阪歴史博物館のポスターが目に入る。特集展示『郷土玩具が好き』がそれ。大阪市民シニアは無料ゆえ、躊躇する余地なし。入館する。

滑稽な細工がおもしろい。「おかいこ虎」という。その名の通りカイコの繭で作られた玩具だ。大正から昭和にかけての作品で、山梨県の養蚕地の郷土玩具。ちなみに、繭という字を凝視してあらためて漢字のパーツの組み合わせに感心した。

地元大阪の作品が最後の方で出てきた。玩具ではなく、引札ひきふだ。チラシである。石鹸と書いていなかったら「志やぼん」がシャポンだとわからなかったかもしれない。石鹸は江戸時代にわが国に伝来していたが、舶来品だけに高額。女性憧れの化粧品だった。1872年に国産品が作られた。浪花石鹸もその一つ。

特別企画展の『河内源氏と壷井八幡宮』にも興味津々だったが、ざっと見て博物館を出る。梅林への道すがら、団体の観光客が少ないことに気づく。旅はグループではなく、一人か二、三人がいい。気に入った所をマイペースで見るに限る。

梅の咲きようは満開に近かったように思う。昨年は来ていないが、一昨年までは少々下品なほど目立つ品種の名称札が幹に貼り付けられていた。今年は、目立たないように枝に小さな名札を吊るしてあった。表示が観賞を妨げないようにと工夫がされている。

キーマカレーとブラウンカレーの2種とナンのインド料理を食べて帰ってきた。およそ15,000歩。ちょうどいい街歩きと予想外に良かった立ち寄り。