とても滑稽な台詞

もうギャグとしか言いようがない。どうしようもなく滑稽なのである。あまりにも滑稽なので、もはや笑うことすらできない。油断すると呆れることも忘れる。いや、下手をすると息をするのも忘れてしまいそうだ。何とも言えない感情に襲われて、ただただ冷ややかに「こ、っ、け、い」とつぶやくしかなかった。

政治家という職業人の舌がすべることに関しては、あまり気にならない。勢い余っての失言や無知ゆえの失言や厚顔ゆえの失言は、ギャグにもならず滑稽とも形容できない。気にならないというよりも、強いアテンションの対象にならないというのが当たっている。ある意味で、政治家という職業人に失言はとてもよくお似合いだから、不自然なミスマッチとは思えないのである。

 政治家の〈話しことばパロール〉は独自の体系をもつ。つい昨日まで普段着のことばで喋っていたあの人もこの人も、まさかあなたは絶対に言わないだろうというその人も、政治家になったその日から「~してまいりたいと存じます」と、言語ギアをセピア色した前時代バージョンへと切り替える。そして、誰かの不可解な発言や納得のいかない対応を取り上げて、ついに彼らは、「いかがなものか?」という常套句の常習者になる。


職業とパロールは密接な位置関係にある。ナニワ商人の「まいど!」やサムライの「拙者」と同じくらい、政治家の「いかがなものか?」が定着してしまった。これほどではないが、政権奪取を目指す側の前党首の「なんとしてでも」というのも、あの人にはよく合っていたような気がする。しかし、真性のどうしようもない滑稽は、似合ってるとか似合ってないという次元を超越する。

ユーモアセンスがあっておもしろい知人の男性が、ある会合の開会の冒頭で大真面目に式次第を読み上げたとしたら、それが、「まさか!?」と同時に湧き起こる「どうしようもない滑稽」である。あるいは、ぼくをよく知る人たちが、ぼくの「ただいまご紹介いただきました岡野と申します」を聞いて、「まさか!?」と耳を疑い、「どうしようもない滑稽」を感じるだろう。残念ながら、この種のパロールがぼくの口からこぼれることは絶対にない!

さて、冒頭の話に戻ろう。政権党の重鎮が発した「男の花道を飾る」というパロールのことだ。一瞬、ぼくは清原だと思ってしまったくらいである。前の前の前の首相時代に「劇場」とよく形容されたが、政治の舞台は時代劇色だとかねてから思っていた。だが、「男の花道を飾る」と聞けば、出し物は時代劇から演歌ショーに変わったと考えざるをえない。いやはや、盛夏を迎えて、連日暑苦しい演歌を聴かねばならないのか。はたして新曲は聴けるのか。音程は大丈夫なのか。えっ、そんなデュエットあり? まさか! どうしようもない滑稽だけは勘弁願いたい。