アッシジのフランチェスコ

Assisi (19).JPGのサムネール画像
教会の広場を包む回廊の一部。

アッシジはローマから北へ列車で2時間前後の所に位置する。ウンブリア州ペルージャ県のコムーネ。コムーネというのは地方行政体で、イタリア独特の概念である。大都市ローマもコムーネなら、人口約25000人のここアッシジもコムーネと呼ばれる。「サンフランチェスコ聖堂と関連遺跡群」は2000年に世界遺産に登録された。その翌年の3月にこの聖地を訪れる機会があった。

修復工事以外に目立った開発が一切ありえない土地柄。緑溢れる平野を抜けた丘陵地帯の小村、その自然の一部を建物が借りている風情である。かなり辺鄙な印象を受ける。だからこそ、聖地と呼ぶにふさわしいと言えるのだろう。コムーネ広場からほどよい距離を歩くと、聖人フランチェスコゆかりのサンフランチェスコ聖堂に着く。聖人はここアッシジで生まれた。


ところで、十数年前にタイムスリップしたのはほかでもない。新ローマ法王フランチェスコ1世の名が、アッシジの聖人フランチェスコにちなむと聞いたからだ。ローマ法王の名として「1世」がつくのだから、歴史と伝統の名跡ではない。それでも、フランチェスコはイタリア男性に多い名前で親しみやすい。アッシジの守護聖人でありイタリアの国の守護聖人でもあるフランチェスコ(1182?-1226年)は裕福な家庭に生まれた。若い頃に放蕩三昧したあげく、神の声を聞いて聖職への道についたと言われる。

聖堂で希少なフレスコ画を見た後、フランチェスコの墓のある地下室へ入った。過酷な修道生活の日々が浮かんでくる。キリスト教や聖書についてまったく無知ではないが、信仰者でないぼくでも敬虔にならざるをえなかった。質素だが、どこまでも続きそうな錯覚に包まれて、教会の回廊をゆっくりと歩いた。

凹凸感、またはアナログな手触り

Fortunaの鍵 blog.jpgここ最近宿泊した国内のホテルでは、ドアの鍵はすべて「カードキー」だった。薄っぺらな磁気タイプのポイントカードのようなものが多い。連泊するときも外出するときも、いちいち預けない。「どうぞお持ちくださって結構です」とフロントの方もおっしゃる。

 カードは何の変哲もないが、ホテルによってドアの開け方が微妙に違う。差し込んですぐに抜けば小さなランプが緑に変わるのもあれば、少し厚みのあるものはIC改札のようにワンタッチする。タイミングがずれるとランプは赤くなり、ドアは開かない。
 
もちろん、鍵穴にキーを差し込む「従来型」でも、右に回すか左に回すか戸惑うことがある。ヨーロッパのホテルなどでは、差し込みの加減がむずかしく、しかも二回転させないといけない鍵もある。フロントでは旅人に鍵を渡すだけで、説明などしてくれない。連泊して三日目くらいにやっと慣れるというケースも稀ではない。
 

 20043月、ローマからフィレンツェに移動する際にペルージャで途中下車して一泊した。建物はたしか1516世紀のもので、増築を重ねてきたため迷路のような構造になっていた。ホテルは Fortuna(フォルトゥーナ)、写真は部屋の鍵である。凹凸があってずっしりと重く、出掛けるたびにフロントに預けた。
 
ホテルの頭文字“F”をモチーフにして、幸運の女神があしらわれている。ラテン語フォルトゥーナに相当するのがギリシアの女神テュケである。何という凝りようだろう。しかし、凝るだけの価値はある。薄っぺらなカードキーを通して刻まれる宿の思い出はやっぱり薄っぺらなのに対し、手のひらに凹凸が伝わるこの鍵で開け閉めしたドア、そして部屋のレイアウト、窓外に広がる田園風景は十年近く経った今もなお鮮明なのである。
 
古風と言われかねないが、アナログ感覚への未練は捨て切れない。記憶は脳だけでなく手のひらにも刻まれる。手で直接触れるものは、万年筆であれ文具であれ、重みがあるのがいい。刻々と時は過ぎていくが、のっぺらぼうに過ぎさせてしまうのか、その時その場かぎりの手応えを感じるのか……この差は決して小さくはないと思っている。

食べる=生きる

食 無題.jpgここにある8冊と他に数冊をまとめてデスクの下に置いてある。ここ一ヵ月ほど、息抜きに適当な一冊を手に取り、適当にページを繰り、好奇心のおもむくままに読んでいる。食べることに関する話に興味が尽きることはない。

自分のことを食道楽やグルメとは思わないが、食べることはかなり好きである。だから自制を忘れると、またたく間に3キログラムほど増えてしまう。昨年11月下旬にバルセロナとパリに滞在した折、高級ではないが、日本だとばかばかしいほど高値で買う気もしない肉や魚貝やチーズを好きなだけ買って食べた。朝も昼も夜も度を忘れて貪ったが、体調はすこぶる順調であった。しかし、帰国後もその習慣が3月頃まで続き体重がいっこうに減らない。そのことを大いに反省した。偉ぶるつもりはないが、反省するとすぐに生活習慣を変革するのがぼくの流儀だ。
ちゃんと仕事をしたご褒美としてご馳走を食べているので、無為徒食などとは思わない。しかし、食べているという現実が生きているという実感になかなかつながらないのも事実である。日々流されると、食べることと生きることが切り離されていく。食べるために生きているのか、それとも生きるために食べているのか……こんなとりとめのない問いすらしなくなる。

人は食べるために生きているのではなく、生きるために食べているのでもない。「食べることと生きることは手段と目的の関係ではないのだ」と何度も自分に言い聞かせる。これでは不十分なので、「食べるとは生きることである」と極論することにした。そして、ついでに「○○とは生きること」という命題と、その逆の「生きるとは○○」を標榜することにした。「食べるとは生きること」と、その逆の「生きるとは食べること」は、ぼくの内では矛盾しない。
さらについでに、「コミュニケーションは生きること」と「生きるとはコミュニケーションすること」や、「考えるとは生きること」と「生きるとは考えること」にまで敷衍してみた。するとどうだろう、日々の食べる、聴く話す(読む書く)、考えるという営みが生命の環境適応行動としてとらえることができるようになったのである。遅まきながら。
食べることに話を戻す。人類の歴史を仮に500万年とすれば、最初の499万年間、人は自然に存在するものを口に入れてきた。自然を切り取って食べることと生きることは完全にイコールだった。手段も目的もなければ、いずれが他方の上位などということもなかった。しかし、農耕や牧畜などの「非自然的食糧調達」の方法を身につけたこの直近の1万年で、食べることが生きることを凌いでしまったのである。だからと言って、逆転させることはなく、日々「食べる=生きる」という意識を新たにするだけで、忘れかけた幸福感が甦ってくる。

ある日曜日の半日

久々に日曜日の「磁場」が動いたような気がした。午前10時から午後3時頃までの半日外出しただけで、ともすれば無為に過ぎてしまう休日が有意義な――しかし即興的な――時間割で彩られた。


キャンドルライト web.jpg

中之島バラ園に足を運んでみた。自宅から徒歩20分。詰めかけた人たちで賑わっているものの、まったく混雑感はなく気分爽快である。この一枚は「キャンドルライト」と命名された薔薇。咲き誇る花もいいが、脇役の蕾が主をいっそう引き立てる。明日は自分が主役になるのだろう。
三脚で赤い薔薇を撮影する年配の男性。「マニュアル調整ですね?」と聞く。まずまずのデジタルカメラを持っているが、最近はオート一辺倒。「クローズアップで撮ってもつまらないから、川面の光をうまく取り入れたいと思っているんですよ」と丁寧に答えてくれた。

Robinson店内 web.jpgバラ園を後にして、腹ごしらえに入ったレストランで落ち着くことにした。何度か来ているが、ここは危険な店である。なにしろ自家製の数種類のパンが食べ放題なのである。手を挙げて所望するまでもなく、頻繁に巡回してくる。これが過食を促す。しばしダイエットの身であることを忘れてしまった。

2012.5.20 吠えるライオン(北浜) web.jpg続いて北方面へ。難波橋なにわばしを歩き渡ると北詰に咆哮するライオン像。高速道路の下、ビル群を背にして大きく口を開けている。何度も通った橋だが、久々に立ち止まってじっくり見つめてみた。このライオンに羽根はないが、ヴェネツィアはサンマルコ広場の獅子像と重なる。

カメの水入れ替え中 路上で web.jpgさて、ここからいつもの古書店まではほんの15分。ぶらぶらと歩いていけば、とある家の前でご主人がカメの水槽を大掃除していた。その間、青いバケツで待機させられている。カメラを向けると、これがまた非常に人懐こく、背伸びをしてくるのである。ご主人いわく、「もう相当歳を取ってますよ」。


古書店では掘り出し物の本を78冊買った。オフィスにもカフェにも寄り、小物の店にも寄って帰宅する。綴ればキリがないほど中身の濃い、正午をはさんだ5時間であった。

時刻表からの自由

あらかじめ時刻を決めることによって、どれだけ助かっていることか。予定通りに日々の仕事がはかどるし約束も守れる。

特急や飛行機が定刻から1時間も2時間も遅れるようでは困る。いや、もっと困るのは、予定の時刻よりも早く出発されることだ。これでは間に合いようがない。

しかし、敢えて限定的に異論を唱えてみたい。日常的な小さな時刻の決まりごとにはもっと鷹揚であってもいいではないか。いや、1時間に5分から15分の頻度で発着するような公共交通機関に時刻表などいらないのではないか。時間は重要である。しかし、時間を細かく刻んだ「時刻」はスローライフを遠ざけ、心の平安を奪いかねない。


いつぞや「カフェと舗道と地下鉄メトロがパリ名物」という話を書いた。パリのメトロはとても便利である。なにしろ、数百メートルに一駅あって、網の目のように走り、慣れてしまえば乗り継ぎがとても簡単だからだ。駅のホームはパターン化されておらず、タイルもデザインもすべて違う。これまた慣れてしまえば、駅名の表示を見なくても、ここが何駅だと言い当てられるようになる。

パリのメトロに時刻表はない。「あと何分で電車が来る」という表示は出る。それで十分である。さらに、バスにも時刻表がない。バス停でも「あと何分で到着」という表示が出る。ぼくの経験ではよく待っても最長10分前後である。実を言うと、ぼくは国内外を問わず、バスが気に入っている。地下鉄以上にである。なぜなら、バスなら街の光景が見えるからだ。観光客はバスに乗るほうがいい。

日本では、地下鉄のダイヤを分刻みにした代償として、バスの運行が都会でも1時間に12本というルートが増えた。残念なことである。時刻表などいらないから、せめて15分に1本ほど同じ路線をぐるぐる走らせてもらえればありがたい。

metro (Paris) web.jpg
パリのメトロの入口。
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バスの始発の停留所。

石畳を歩くように

年末年始、別に慌ただしくもなかったが、気がつけば、流れに棹差すように時が過ぎていた。昨年の11月中下旬にはパリにいたのに、それが何だかはるか過去の出来事のように思えてくる。写真もろくに整理しないまま、ゆっくりと振り返る暇もなく今日に至った。

かと言って、別に重苦しい日々を送っていたわけでもない。ただ、いつになく、少々苛立つ場面に出くわす。何に対してかはよくわからないが、もどかしい。駅の階段を二段ずつ上がろうとしている割には足が上がっていないという感じ。

時間にも「ゆったり時間」と「急かされる時間」がある。おもしろいことに、前者の時ほどいい仕事が手際よくできる。後者のリズムに入ると「あれもこれも感覚」が襲ってきて、事が前に進まない。

こんな時、地を踏みしめるようにゆったりと「仕事の中を歩く」のがいい。靴底から地面の凹凸が伝わってくるように。たとえばそれが石畳なら、そこから街のメッセージを汲み取るように。歩いてこそ伝わってくるものがある。走ってばかりいては重要なものを見逃してしまう。と言うわけで、やり慣れた仕事、見慣れた光景や風情にもよく目配りして歩こうと思う。実際、昨日と一昨日はそうして街歩きでくつろいだ。

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2011年11月21日。昼前から黄昏時までブリュッセルの街をくまなく歩き続けた。車や電車やバスでは感知できない「地場」を足の裏で時々思い出す。 

アートによる知への誘い

ピカソやモーツァルトだけにアートを感じてすまし顔していては鈍感である。アートはそこらじゅうに潜んでいる。たとえば、テレビで『世界街歩き――シエナ』を見ていて、街の城壁に、坂のある広場に、コントラーダ(地区)のいもむしの図柄に五感が反応した。その街の詳細が記憶の中で蘇ったのは、まったく無知ではなく、二度訪れたことがあるからだ。海外に出掛けるというのは〈ハレ〉の行動だから、経験は強く記憶され懐かしくも機敏に再生される。

いま、芸術ではなくアートと呼んでいるのは、術の外へと目を見開き、ハレのみならず〈ケ〉にも敏感になりたい気分だからである。たしかに、アートへの覚醒は、術とは無縁の日常茶飯事でもつねに起こる。感覚を研ぎ澄まして日常を暮らしていたら、朝の空気に、青空の雲に、民家の壁の汚れた模様に感応することがある。パスタの旬の具材、菜の花にさえアートへのアンテナがプルプルと反応する。

物語を追いすぎると表現やアートが見えず、表現やアートを追うと物語を見失ってしまったりすることがある。ぼくの場合、たとえば映画などがその典型になる。映画観賞は小説を読むほどのキャリアを積んでこなかったので、統合的に愉しむ器用さを持ち合わせていない。しかし、物語を必死に追っていても、アートが一緒に伴走してくれる映画もある。『ニューシネマパラダイス』がそうだったし、最近観た作品では『英国王のスピーチ』がそうだった。


ロゴスとパトス、あるいは理性と感性を対立や背反の概念としてとらえる習性が世間にまだ根強い。だいぶ見方が偏っているし、ステレオタイプでもある。もう口はばったいことは言わないようにしているが、人はロゴス派やパトス派のいずれかの単色だけに染まるほど単純にできてはいないのである。「私は感性人間です」という知人が少なくないが、そもそも人類にそんなカテゴリーなどない。知情意それぞれの成分配合は異なるだろうが、誰もが理性的でもあり感性的でもあり、あと一つ付け足せば、良識的でもあるのだ。

かつては本を読んだり話を聞いたりして刺激を受け、アートに入っていった。ぼくの場合、ベートーベンの伝記を読んでクラシック音楽へ、抽象画の話を聞かされてミロやカンディンスキーへ、古代史を読んで明日香散策へという具合に。ファーブルを読んでから昆虫好きになるのも同じだろう。だいたい学校はそんなふうに知識を手ほどきしてくれているのである。ところが、今では逆である。たまたま美術館に行ったり小さな旅に出掛けたりして、それがきっかけになって好奇心から本を読むことが多い。

本を読んだからといってアートに赴くとはかぎらない。怠け者がそんなふうになるはずがない。しかし、アートに触れ合ってから本を読むのはさほどむずかしくない。こちらのほうが流れがスムーズである。この半月で『大英博物館古代ギリシャ展』『法然――生涯と美術』『パウル・クレー――おわらないアトリエ』を観てきた。またしてもギリシア文明やギリシア神話の本を本棚から取り出したし、お気に入りのクレーの画集をめくったりしている。本棚に『選択せんちゃく本願念仏集』はあるが、読んでおらず、法然についてはほとんど知らない。この機会に少し勉強しようと思う。「思い立ったが吉日」とよく言うが、先に動いて鑑賞して感じ入ってきているから、このことばには誘導力がある。

コンメディア・デッラルテ

金曜日にやっと雪らしい雪が降った。京都や奈良や兵庫で降っても、大阪市内ではまず降らない。ちらちらすることはあっても、めったに積もらない。その雪がわずかだが屋根や路面を覆った。いつもの散歩道を辿れば、高さ30センチメートルほどのミニ雪だるまが道路に面して一つ、公園の中にもう一つ、置かれていた。静かな正午前、雪はまだふぅわりと降っていた。

明けて土曜日。この日も雪模様との情報があったが、空気は前日と同じくらい冷たいものの、雪は降らなかった。先月マークしていた映画は、交通の便が悪い一館を除き近畿一円ではすでに上映が終了していた。これを吉とする。なぜなら、同じくチェックしていたのに、すっかり忘れていた「公演」を思い出したからだ。運良く気づいたのはいいが、それがまさに当日。大阪能楽会館に問い合わせ、チケットがあるのを確認して足早に出掛けた。『狂言 対 伊太利亜いたりあ仮面劇』がタイトル。開場を待つ数分間のうちに雨風が強く吹き始めた。

狂言は何度か観劇しているし本も少々読んでいる。趣味に合うのでもう少し親しんでみようと日頃から思っているが、ままならない。狂言のいいところは、あらすじを知っていても楽しめるし、知らなくてもそれなりにシナリオが類推できる点だ。しかも、650年の長い歴史がありながら、話しことばにほとんど違和感がないのがいい。現代流に言えば、笑いのショートコントだろうか。しかし、道具による実際的な場面の演出がない。つまり、演じられる舞台は抽象的な空間であり、その空間の中に観客は自分なりに状況を想像する。感じ方が一様でないのが、これまた楽しい。


狂言の舞台にイタリア伝統の仮面劇が融合する。そんな新しい劇の形を観た。『はらきれず』は狂言の『鎌腹』を翻案化した夫婦喧嘩もの。頼りない夫に扮して演じたのはイタリア人俳優、「わわしい(ガミガミとうるさい)妻」の役には日本人女性。これに狂言師の小笠原匡が夫の友人で絡む話。狂言ではなく、「コンメディア・デッラルテ(Commedia dell’arte)」の手法で演出した新作である。

Masks for commedia dell'arte.JPGコンメディア・デッラルテは16世紀半ばにイタリアで興った即興喜劇である。舞台は狂言同様に簡素で、4m×3m程度とさらに空間が狭い。筋書きには定型があり所作がコミカルという点で狂言によく似ているが、強いアドリブ性で観衆を楽しませるのが特徴のようだ。狂言でも仮面を使うが常時ではない。むしろ素顔の演目のほうが多い。これに対して、コンメディア・デッラルテは仮面劇と言われるだけあって、ほとんど仮面を被っている。仮面は顔をすっぽり包むものではなく、鼻から上の半仮面だ。太郎冠者や翁のような登場人物がいる。たとえばアルレッキーノは召し使い、パンタローネは年老いた商人という具合。それぞれに仮面の体裁が決まっている。

この劇を観てイタリア民族音楽を思い出した。もう78年前になるだろうか、「タランテッラ(Tarantella)」というナポリ発祥の舞曲の大阪でのコンサートだ。マンドリンやタンバリンを結構速いテンポで奏で、スカッチャと呼ばれる口琴も使う。タンバリン奏者の手のひらと指先づかいのテクニックに魅了され、初めて聴いたにもかかわらず、中世の南イタリアが目の前に浮かんできたのを覚えている。

イタリア仮面劇とイタリア民族音楽。それに狂言も加えよう。これらに共通するのは、素朴で演出控え目。だからこそ、イマジネーションが刺激されるのだろう。

イタリア料理とワインと・・・

『イタリア紀行』と題して雑文エッセイを54回にわたって書いた時期がある。本ブログに長く付き合っていただいた読者なら記憶に残っていると思う。先ほど調べたら、最終回は2009年の9月だった。つまり、1年と4ヵ月経ったことになる。ヨーロッパに最後に旅したのが2008年の2月~3月。まもなく3年になろうとしている。

めっきりイタリア離れをしている今日この頃だが、年が開けてから集中的にNHKハイビジョンのイタリア特集を観る機会があった。毎日、複数の番組が数時間から十時間くらいにわたって放映された。すべてイタリアにちなむものだ。再放送もいくらかあったものの、初めての番組も楽しむことができた。こんなきっかけからイタリア語の本を開けたり久々に音読したり。会話をしてみたら、おそらくだいぶなまっているに違いない。

無性にイタリア料理を食べたくなった。よく食べてはいるが、ランチでパスタばかり。ディナーとしてゆっくり食べてみたくなったのだ。国内のイタリア料理店はどこも本場水準、いや、むしろ凌ぐレベルに達してきたから、近場でも十分に堪能できる。だが、午後8時に予約を取り、午後7時に仕事を終えて大阪から芦屋まで出掛けた。もう何年も前からその店のことを聞いていたのだが、なかなか縁がなかった。遠戚がオーナーシェフをしている、夜しか営業していないトラットリア(trattoria)。小ぢんまりとして肩肘張らない料理店のことをそう呼ぶ。


少々遠出になるとは言え、寒さや歳にかこつけて邪魔臭がってはいけない。もっと早くこの店に来るべきだったと反省させられたのだ。良質の味と良心的サービスにはまずまずの知覚を持ち合わせているつもり。だが、上には上があるものである。この店は元バールだったが、常連客に薦められて本格的料理を手掛けるようになったらしい。

数種類のおかずを盛り合わせた前菜、ボローニャ風ラグーソースのタリアテッレ(平打ち生パスタ)、それにボリュームたっぷりのオッソブーコ(骨髄の入った仔牛の骨付き脛肉の煮込み)。これにエスプレッソが付いて、さあいくら? とクイズに出したくなるほど、とにかく旨くてリーズナブルなのである。ワインは好きだがたくさんは飲めない。それでもお気に入りの赤ワイン、モンテプルチアーノ・ダブルッツォをグラスになみなみ3杯。

仕事の絡みもあって、風土から見たヨーロッパの小麦・牧畜と日本の稲作・漁業について再学習している。和辻哲郎の『風土』にこうある。

「食物の生産に最も関係の深いのは風土である。人間は獣肉と魚肉のいずれを欲するかに従って牧畜か漁業かのいずれかを選んだというわけではない。風土的に牧畜か漁業かが決定せられているゆえに、獣肉か魚肉かが欲せられるに至ったのである。」

ちなみに、小麦と米の選択にも同じことが言える。

この説に大きくうなずく。そして、はるか遠くのイタリア風土が育んだパスタと肉を頬張った翌日に、米と魚を融合した食文化の最たる寿司を堪能しようとする日本人の貪欲を思う。ぼくたちの食習慣から風土の固有性が失われて久しい。地産地消的に言えば、これほどルール違反をしている民族も珍しい。それでも、その節操の無さは異文化受容の柔軟性とつながっている。日本人は間違いなく世界一の美食家であり食性が広いのである。願わくば、スローフード発祥のイタリアに見習って、もう少しだけ食事に時間をかけてみたい。

モノクロ映画と陶芸

《五感な街・アート・スローライフ》のカテゴリに関連するテーマを三ヵ月近く取り上げていない。必ずしもアートに無縁の日々ばかりではないが、これまでそうしてきたように、このカテゴリではできれば写真を入れたいと思う。ところが、掲載したくても写真がない。カメラが壊れたわけではない。秋が深まってからは手ぶらで出掛けていることに気づいた。光景や体験をカメラに収める余裕がなくなったのか、それともしっかり即時的にマインドで取り込めるようになったのか。後者であってほしいが、単に持ち運びが億劫になっただけかもしれない。

年に四回のハッピーマンデー。正月が明けて三日ほど働いたら、いきなり最初の三連休がやってくる。新年早々にこんなに心身を緩めていいのかと一抹の不安を覚える。少なすぎると愚痴をこぼすが、大型連休や三日働いて三日休みなどというのはご褒美過剰ではないか。若い頃はきつい職場にいたので休みを歓迎した口だったが、今では休日にも少々仕事を入れる。そのほうが「衰脳化防止」には効くような気がしている。とか何とか言いながら、新年最初のせっかくのハッピーマンデーだ、遠慮なく活用することにした。現金なものである。


ドイツ映画(2009年)『白いリボン』を観た。ドイツ・オーストリア・フランス・イタリアの合作である。モノクロ映像のせいか、あるいは時代考証がよくできているせいか、20世紀初頭の、第一次世界大戦前夜のドイツの小村の空気や人間関係、階級社会の生活がよく描かれていた。生真面目だが陰湿、虚勢や強がりに生きつつも徐々に心のどこかが疲弊していく。悪しき、そして捨てがたき封建制度。禁欲的日々には誇りと鬱憤が重なり合う。随所に〈二項対立〉を見て取った。二項対立なのに、どこかで妙に折り合っているような不思議な共同体の姿……この頃からドイツの歯車が狂い始めていった。映画評論は苦手なので、これ以上立ち入らないでおこう。

Lucie Rie 図録.jpg

翌日、大阪市立東洋陶磁美術館に赴いて『ルーシー・リー陶芸展』を見た。中央公会堂のすぐそば、ぼくのお気に入り散歩コースの途上にある。自宅から歩いて半時間、少々寒い昼前だったが、会場を後にする時には気分がとても浄化されて、逆に温まって帰ってきた。

単独展になると世界に散らばっている陶芸品を一堂に集める。そんな機会はめったにあるものではない。どちらかと言うと、陶芸は疎いジャンルなのだが、とてもわかりやすい作品群であった。上品であり形状も色も清廉なセンスなのである。写真は図録の表紙。日本商工会議所会頭賞を受賞しているらしく、とてもいい出来映えのカタログだ。

妙なもので、いい器を見た直後の一週間は食事処の食器にも目が向くものである。アートは居心地の良し悪しがはっきりするものだが、遠ざけ気味の名作を時折り鑑賞しておくことは、日々の感受性に少しは役に立つものである。もちろん、仕事の仕上げにあたってもう少し凝ってみようと意識が働いてくる。さて、週末はどんなアートスポットに出掛けるか、文章を書いているうちに少々愉しみになってきた。