招かれざるバージョンアップ

バージョンアップの恩恵にいろいろと浴してきたから、ことさらその便宜に意見するのを少々はばかってしまう。コンピュータソフトの改訂を重ねる意に用いたのがバージョンアップの始まりだが、今では広くどんなことにも使われる。ぼくの場合、テキストや講座のバージョンアップという使い方をする。「あの店はランチをバージョンアップしたね」などと時たま耳にする。言うまでもなく、改訂、つまり改め直すのはよい方向への変革である。ランチのバージョンアップと言う時、それはうまくなったか分量が増えたかのどちらかを意味する。

いかにも英語らしく響くが、「バージョンアップ」という語は、固有名詞化したものはいざ知らず、英語にはない和製語である。一般的な英語表現は「アップグレード(upgrade)」である。それにしても、バージョンアップということばは、何かしらよりよいものに変わっていきそうな予感を秘めている。どこの誰が太鼓判を押したのか知らないが、そこはかとなく権威の雰囲気を醸し出している。このことばのマジカル効果はなかなかのものである。

IT関連の知人友人もいて話をいろいろと聞くが、どちらかと言えば、ぼくは最新ソフト情報には疎い。それでも、仕事柄、現状機能はそれなりに使いこなしている。講師業を営んでから二十年以上になるが、当初は手書きのレジュメを配付していた。次いでOHPの時代に入り、ワープロ専用機でテキストを編集し、OHPシートでも活字を使うようになった。およそ十年ほど前から研修施設内にもPC用のプロジェクターが設置されるようになり、半数以上の講師は徐々にパワーポイントによるプレゼンテーションをおこなうようになった。ぼくはしばらく様子を見ていて、ギリギリまでOHPを使っていた。OHPをパワーポイントに切り替えるのに少し手間取ったが、6年くらい前からパワーポイントで講義している。


ところが、研修施設の受講生が実習で使うPCにはバージョン2007が搭載されている。講義では持参のノートパソコンを使うから問題はない。しかし、研修指導するときに、受講生が使っているパワーポイントをうまく扱えないのである。使い慣れた機能に辿り着くための「入口」がだいぶ違っていて、即座に見つからない。ちなみに、キャリアが浅い割には、ぼくのパワーポイント技術を若い受講生たちが認めてくれている。受講生にはパワーポイント経験のない人たちが半数以上いて、発表の助言やサポートをするのだが、その時に2007で速やかに指導してあげることができないのである。

おそらくあと何年かの現役生活をぼくは2003で凌いでいきそうな気がしている。一念発起して奮い立てば新しいソフトに挑戦できるとは思うが、仕事が遅々として進まない状況に妥協できるかどうか。携帯電話についても同じことが言える。スマートフォンなどの新しい機器には好奇心があるほうなのだが、この齢にしてあまり新しいものへの志向性が強いのも困りものなのだ。新ソフトとぼくが慣れ親しんでいる旧ソフトとの間にややこしくない互換性があるかぎり、ソフト保守主義を貫こうと覚悟を決めている。 

ふと、この道はいつか来た道ではないかと考える。自由に温度設定してカスタマイズできる冷蔵庫のフリールームを使っていない。洗濯機の乾燥機能はここのところ稼動していない。携帯電話もテレビもハードディスクも大半の機能を活用していない。新機能や高機能が謳われるたびにぼくたちは心惹かれて手に入れるのだが、おそらく大半の消費者は必要最低限の機能を使うに止まっている。どんなにときめくバージョンアップ機能であれ、一日24時間で使えるものには限度があるのだ。

さらにふと想い起こす。良かれと思ってテキストや講義内容をバージョンアップしたら、主催者側から文句を言われたことがある。同年度に同一研修希望者が多い時は、たとえば7月と12月などの二回にグループを分けて実施する。7月に実施して振り返り、わかりにくそうだったことを改め新しい事例に差し替えたりする。12月に実施する研修では20パーセント程度バージョンアップしていたりする。「受講内容が変わると均一教育にならないから、勝手に変えてもらっては困る」というわけだ。

「昨年のものをバージョンアップしようと思っているのだが……」と申し出ても、「昨年と同じで結構」と返されるケースが二回に一回。先方にも三年計画などがあって、同一テーマ、同一研修、同一内容などの趣旨がある。バージョンアップがいつでもどこでも歓迎されるわけではないのである。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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