ことばを素朴に発する

日曜日から広島に来ている。月曜日から木曜日まで二つの研修がそれぞれ二日間。出張で四日連続の研修というのは年に二、三度しかない。出張慣れしているが、夏場は想像以上に体力を消耗する。

関西圏以外での研修はたいてい前泊になる。日曜日は午前に大阪を発ち、昼過ぎにホテルにチェックインした。カツカレーを食べて早速向かった先はひろしま美術館。春からずっと楽しみにしていた美術展である。路面電車で行く手もあったが、35℃を超える猛暑。タクシーを利用した。会場前が渋滞していたので、運転手が美術館の手前で降りたほうがいいと言う。入り口まで100メートルちょっとの距離だったが、焦げつきそうな陽射しにすでに汗が吹き出る一歩手前だった。


さて、美術展は『芸術都市パリの100年展』で、日仏交流150年を記念しての開催。絵画にはいまいち興味がないという人でもよくご存知のルノワール、セザンヌ、ユトリロをはじめとする、パリにゆかりの画家たちの作品が相当数展示されている。じっくり見て回った後は膝から下がだるくなるありさま。そのくらい鑑賞に時間がかかった。

絵の話は作品を見せずして語ることはむずかしい。だから、見応えがあったということで終わることにする。しかし、アートよりももっとぼくの注意を喚起したのは素朴なことばだった。題名のことばでもなければ作品解説のことばでもない。それは、祖父に連れられてやって来ていた男の子が発したことばだ。

ピエール・オーギュスト・ルノワール(これがルノワールの正式名)の『ニニ・ロペスの肖像』という油絵を眺めていたちょうどその時、年格好8歳くらいの男の子がぼくの前に割って入った。そして、しばしその絵を睨んだかと思うと、こう祖父につぶやいた。

「絵具がこぼれて雑になっとるね」

勇気のいる作品評をケロリと言ってのけるこの子はなかなかのことばの使い手だ。ルノワール作品をそれほどひいきにしていないぼくは、ことばになる感想を浮かべていなかった。それだけにこの瞬間批評に反応してしまった。「こぼれる、雑……。なるほどなあ」と感嘆し、思わず口元が緩んでしまった。苦笑する祖父と目が合い、「そんなこと言ったらいけん」と孫を促して次の作品に移動した。

図録によれば、その肖像画の主役はルノワールお気に入りのモデルらしく、解説はさらにこう続く。「モデルの憂いを秘めた表情とポーズ、様々な色彩を反映する白い肌の取り合わせが、印象派時代のルノワールのテクニックを物語る」。

ルノワール大画伯の駆使した色彩感覚を「絵具がこぼれている」ととらえ、「印象派を代表するテクニック」を「雑になっとる」と言い放つ素直さ、純朴さ。下手な教訓を垂れたくはないが、イメージを見たまま感じたままストレートに発することを大人たちは忘れてしまっている。ルノワールだからいいのではなく、いいと感じるものがいいのである。

それにしても、やるじゃないか、広島の男の子。「雑になっとるね」ということばに大人びた古風を見た。絵が好きだろうけど、絵描きよりも評論家の適性があるかもしれない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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