プロ顔負けの健康談義

会読会が開かれる土曜日の午後、少し自宅を早く出て会場の二駅手前で地下鉄を降りた。古本探しのためである。二駅の区間を歩くというと驚かれるが、さほどでもない。ふだんの休みの日には自宅からこのあたり、さらにはもっと遠方まで歩くことがあるので、45駅分の距離を往復していることになる。古本屋でいい本を二冊見つけた。まだ時間がある。ぶらぶらと会場近くまで歩き、以前何度か来たことのある喫茶店に入った。自家焙煎の豆なので、ここのアイスコーヒーはコクがあって味わい深い。買いたての本を少し読み始めた。

ぼくの左手、テーブルを二つほど置いて一人の女性客がいる。男性が店に入ってきて、先に来てタバコをふかしているその中年女性の前に座った。その後の会話でわかったのだが、夫婦である。いま「その後の会話」と書いたが、別に聞き耳を立てていたわけではない。ぼくが手に取っている本の内容よりも、ご両人の展開のほうがずっとテンポよく、しかも遠慮や抑制もほとんどなく談義を進めていくので、こっちは読書どころではなくなったのである。

夫がコーヒーを注文し、まもなく会話が始まった(妻の前には一冊の本が置かれている。会話の流れから、それは健康に関する本に間違いない)。妻のほうが切り出した。「やっぱり、水。水が決め手」。「水を向ける」とはよくできた表現だとつくづく思った。この妻の一言が「誘い水」になって、健康談義は縦横無尽に広がった。もしかしてこの二人は夫婦などではなく、医師とサプリメントの専門家なのではないかと疑ってしまう始末だった。


塩の話。かつて天然の粗塩を使ってきたのに、日本人が戦後摂取してきた塩はダメ。食塩の主成分である塩化ナトリウムがよくなかった。次いで硬水の話。さらにはマグネシウムの話。死にそうになっている金魚を起死回生で元気にさせる話。やがて「血管学」に至っては、もはや聞きかじりというレベルを超えた専門性を帯びている。この二人はつい最近何かのきっかけで健康に関心を抱いたのではなく、相当年季が入っていると見た。なお、二人ともあまり健康そうには見えない。

そう言えば、昔そんな人が一人いた。ある得意先での企画会議。会議がずっと続き、昼食休憩の時間も惜しいのでコンビニで弁当を買ってきた。ところが、話を続けながらも、一人だけ弁当に箸をつけない人がいる。外部スタッフの彼は、「この弁当の添加物はよくない」と言った。「健康のためですから」とも付け加えた。「健康のためなら死んでもいい」というギャグを思い出す。手段と目的が混同し、本末転倒を招いてしまう何かが「健康問題」には潜んでいる。なお、この彼も健康とはほど遠く、いかにも病的に映った。

さて、喫茶店の談義はさらに熱を帯びる。時々妻がテーブルに置かれた本を手にしてペラペラめくる。同意したり反論したりしながら、どうやら二人が落ち着いた先――健康の決め手――は硬水のようである。こういう会話の流れは何かに似ている。しばらく考えて、わかった。競馬談義にそっくりなのである。あの馬だ、この馬だと議論し、専門的なデータを交換し、やがて二人はある馬を本命に指名する。めでたし、めでたし。ところで、「健康志向の強い人間はユーモア精神に乏しい」というのがぼくの確信である。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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