三十八歳の頃、知人のY助教授から「大学で特別講義をやってみないか?」と声が掛かった。二十代の頃は語学学校で英語を教えていたし、三十六で創業してからも本業以外に講演や研修もこなしていた。だから、場所が大学に変わっても同じことだと軽く考えてオーケーした。全部でたったの3講、プレッシャーなどまったくなかったし、ネタを特別に仕込む必要もなかった。
テーマは『広告論』。言うまでもなく、大学側はアカデミックな内容を期待してなどいなかった。海外広報が専門の在野の経営者におもしろい切り口で話してもらおうという動機だったと思う。その大学は女子短期大学だった。受講生のほとんどが文学部在籍だと聞いた。
第1講の前日、「駅まで迎えに行く。駅ビルのどこかでランチでも」とY助教授から連絡があった。快くお受けして、ちょっと洒落たグリルで洋食をいただいた。コーヒーを飲みながら話し込んでいるうちに、時間が気になってきたのでY助教授に「そろそろですね」と聞いた。「まだまだ。ほんの5分で行けるし、タクシーなんていくらでもある」と平然としている。先に書いておくと、ぼくは自己都合による遅刻・キャンセルはこれまでゼロである。二千回以上全国で講演・研修してきたので、ゼロは自慢させてもらっていいと思う。
ランチをして外へ出ると小雨が降っていた。タクシー乗り場に行くと、タクシーはなく、タクシーを待つ人が十数人並んでいた。講義開始まで20分ほど。Y助教授は「おっ、並んでるなあ」と微笑み、「タクシーはどんどん来るから大丈夫」とまだ楽観的である。しかし、彼は間違っていた。タクシーに乗った時点で講義開始時刻を少々過ぎていた。「私の責任」とY助教授が講義の冒頭で謝罪してくれたのでぼくの過失にはならなかったが、少々肩身の狭い出だしになった。受講生は明らかに遅刻した外部講師を見下しているようであった。軽いジョークが出にくかったし、女子たちのノリもいま一つだった。
「Yさん。あまり受けなかったですね。半数くらいが枝毛を触っているのがよく見えました」と、反省を込めて講義後につぶやいた。「岡野さん、枝毛はいつも触ってるから心配なく」と励まされた。それなら今度は枝毛を触る暇もないほど楽しませてやるかとリベンジを誓った。
帰路、秘策を練った。理屈の広告ではなく、体験体感できる広告の話……実際に何かさせてみよう……キャーキャーと喜ぶようなテーマ……枝毛を触ってなどいられないほど集中する作業……こんなことを考えているうちに、「イチゴ」という逆転ホームランの第2講の構想が浮かんだ。
【後編に続く】