金曜日にやっと雪らしい雪が降った。京都や奈良や兵庫で降っても、大阪市内ではまず降らない。ちらちらすることはあっても、めったに積もらない。その雪がわずかだが屋根や路面を覆った。いつもの散歩道を辿れば、高さ30センチメートルほどのミニ雪だるまが道路に面して一つ、公園の中にもう一つ、置かれていた。静かな正午前、雪はまだふぅわりと降っていた。
明けて土曜日。この日も雪模様との情報があったが、空気は前日と同じくらい冷たいものの、雪は降らなかった。先月マークしていた映画は、交通の便が悪い一館を除き近畿一円ではすでに上映が終了していた。これを吉とする。なぜなら、同じくチェックしていたのに、すっかり忘れていた「公演」を思い出したからだ。運良く気づいたのはいいが、それがまさに当日。大阪能楽会館に問い合わせ、チケットがあるのを確認して足早に出掛けた。『狂言 対 伊太利亜仮面劇』がタイトル。開場を待つ数分間のうちに雨風が強く吹き始めた。
狂言は何度か観劇しているし本も少々読んでいる。趣味に合うのでもう少し親しんでみようと日頃から思っているが、ままならない。狂言のいいところは、あらすじを知っていても楽しめるし、知らなくてもそれなりにシナリオが類推できる点だ。しかも、650年の長い歴史がありながら、話しことばにほとんど違和感がないのがいい。現代流に言えば、笑いのショートコントだろうか。しかし、道具による実際的な場面の演出がない。つまり、演じられる舞台は抽象的な空間であり、その空間の中に観客は自分なりに状況を想像する。感じ方が一様でないのが、これまた楽しい。
狂言の舞台にイタリア伝統の仮面劇が融合する。そんな新しい劇の形を観た。『はらきれず』は狂言の『鎌腹』を翻案化した夫婦喧嘩もの。頼りない夫に扮して演じたのはイタリア人俳優、「わわしい(ガミガミとうるさい)妻」の役には日本人女性。これに狂言師の小笠原匡が夫の友人で絡む話。狂言ではなく、「コンメディア・デッラルテ(Commedia dell’arte)」の手法で演出した新作である。
コンメディア・デッラルテは16世紀半ばにイタリアで興った即興喜劇である。舞台は狂言同様に簡素で、4m×3m程度とさらに空間が狭い。筋書きには定型があり所作がコミカルという点で狂言によく似ているが、強いアドリブ性で観衆を楽しませるのが特徴のようだ。狂言でも仮面を使うが常時ではない。むしろ素顔の演目のほうが多い。これに対して、コンメディア・デッラルテは仮面劇と言われるだけあって、ほとんど仮面を被っている。仮面は顔をすっぽり包むものではなく、鼻から上の半仮面だ。太郎冠者や翁のような登場人物がいる。たとえばアルレッキーノは召し使い、パンタローネは年老いた商人という具合。それぞれに仮面の体裁が決まっている。
この劇を観てイタリア民族音楽を思い出した。もう7、8年前になるだろうか、「タランテッラ(Tarantella)」というナポリ発祥の舞曲の大阪でのコンサートだ。マンドリンやタンバリンを結構速いテンポで奏で、スカッチャと呼ばれる口琴も使う。タンバリン奏者の手のひらと指先づかいのテクニックに魅了され、初めて聴いたにもかかわらず、中世の南イタリアが目の前に浮かんできたのを覚えている。
イタリア仮面劇とイタリア民族音楽。それに狂言も加えよう。これらに共通するのは、素朴で演出控え目。だからこそ、イマジネーションが刺激されるのだろう。