イタリア紀行22 「文脈が見づらい都市」

ミラノⅠ

パリからミラノのマルペンサ空港に着いたのは2006104日。その四年半前、この空港で退屈な時間を過ごした。その時はナポリへの乗り継ぎのため、便を待つこと4時間。もちろん、空港からは一歩も外に出ていない。だから、ミラノの市街へ入るのは五年半ぶりだった。

初めてミラノに滞在した2001年、置引きに遭った。宿泊したホテルは貧弱、行く先々での食事はまずかった。街のそこかしこに目立つ大胆な落書き。これが新旧アートの誉れ高きミラノか……と溜息をつき落胆した。そんなマイナスの印象が依然残っていたので、ミラノはパスして、パリからヴェネツィアに直行する計画だった。しかし、ミラノに滞在しようと心変わりし、インターネットでホテルを4連泊予約した。ミラノを拠点にすればジェノバ、トリノ、ベルガモへの一日旅行が楽になるという思惑ゆえである。しかし、ベルガモとスイスのルガーノには足を運んだが、ジェノバとトリノへのチャンスはなかった。

七年前の芳しくない思い出の続編を目の当たりにした。マルペンサ空港からリムジンバスでミラノ中央駅に着いた。乗客が全員まだ席についているのに、バスの側面の扉が早々と開く。突然、バスの停車場で待機していた不審な男が走り気味に近づき、旅行鞄の一つを持ち逃げしたのだ。そのラゲージが自分のものだと気づいた乗客が「あいつを捕まえてくれ!」と叫ぶ。運転手の遅々とした反応(泥棒と仲間だと思われてもしかたがない)。乗客が追い通行人も加勢したかに見えたが、視界から消えた。うかうかしていると自分のラゲージも危ない。ミラノはいきなり旅人を疲れさせる。

中央駅そばの地下鉄駅から三つ目がホテルへの最寄り駅だ。嫌な予感がしたので地下鉄をやめて路面電車でブエノスアイレス大通りへ向かった。そこで降り、地図を頼りに夕闇迫る見知らぬエリアをホテルに向かった。ホテルにチェックインして荷物をほどいてやっと動悸が治まる。気が付けば、異様なほどの空腹。服も着替えずに外に出た。ホテルの目の前にグレードの高そうなレストラン。ここは明日の楽しみにしておこうと思い、とりあえず下町の裏道を歩くことにした。

いくつかの店を品定めしたあと、家族経営っぽい庶民的なピザ屋を見つけた。大阪の庶民的なお好み焼店の雰囲気だ。その店の食事、数え切れないほど食べてきたイタリアン食事史上で最低だった。半焼けのような分厚い生地のピザ。作り置きしていて温めなおしたスパゲティ。ミラノの隠れた名物であるはずのライスコロッケは大味。呆れるほどの雑な味だったが、懐かしいモノクロのイタリア映画のシーンと登場人物で重ね合わせて、愉快がることにした。そうでもしないと、これからの45日が呪われるような気がしたのである。

ゴシックの最高傑作ドゥオーモと最後の晩餐に象徴される歴史的遺産。ミラノ・ファッションに代表されるトレンディーな流行発信基地。そこにぼくの体験を織り込んでみると、街の文脈がまったく見えなくなってしまう。ミラノとはいったい何なのか? 奇をてらわず、凡庸な旅人になって定番観光に徹しようと決意した。その出発点に選んだのが、ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世のガッレリアである。ホテルから地下鉄1号線で4駅目にドゥオーモがある。

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広場北側の入口からスカラ座までが「ガッレリア」。カフェ、レストラン、商店が立ち並ぶ観光客に人気のアーケード。
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ガッレリアからスタートしたこの日、方々を散策してドゥオーモ広場に戻ると大勢の若者で異様な賑わい。建物のバルコニーに現れたイケメンのタレントがお目当てだった。
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アーケードは1877年に完成。ガラス天井の広い空間。
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手の込んだタイルとモザイクを贅沢に使ったアーケードの舗道。
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華麗なモザイク床を土足で歩き放題。ショッピングせずに、歩くだけで贅沢な気分になれる。
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高級ブランド店は少し離れた通りにおびただしいが、ここにはプラダ本店が鎮座。
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ガッレリアを出るとオペラの殿堂「スカラ座」。第二次世界大戦後に建て直されたので新しい。パリのオペラ座に比べてみると、かなり質素な印象を受ける。

イタリア紀行21 「エトルリア文明の名残」

オルヴィエートⅡ

エトルリアについてよく知らなかったし、今もさほどわかっていない。『エトルリア文明』というえらく難しい本にざっと目を通したが、受け売りするレベルにも達しない。ローマ時代を読むだけでも精一杯、さらにその前の紀元前の時代にまでは手が回らないのだ。エトルリア時代とのきっかけは2004年。ペルージャ滞在にあたって調べていたら、紀元前4世紀のエトルリア時代に遡る古代都市であることを知った(目の当たりにしたペルージャに残るエトルリア門は「歴史の貫禄」そのものだった)。

オルヴィエートもエトルリア国家の一つで、ペルージャよりさらに23世紀遡ると言われている。エトルリア(Etruria)はエトルリア人(etrusco)たちの居住地で、主として現在のトスカーナ(Toscana)地方を中心とした地域である。“Toscana”はこの“etrusco”に由来するらしい。生兵法は大怪我、いや大恥の基ゆえ、塩野七生の『ローマから日本が見える』に拠って「エトルリア人」を紹介しておく。

エトルリア人の起源については、いまだ謎とされているのだが、早くから鉄器の製造法を知っていて、イタリア半島に彼らが定着したのも、半島中部にある鉱山が目当てであったと考えられている。古代エトルリアには十二の都市国家があったが、突出した力を持つ国家はなかったので、エトルリア全体で協調行動を取ることがなかった。このことが、のちにエトルリアが衰亡する致命傷になったのである。

話をオルヴィエートに戻す。この日、アパートで前夜調理して食べ残したイカのリゾットをカップに入れて持参していた。それとゆで卵でランチを済まそうと思っていたので、レストランに入る予定はなかった。初めて訪問するイタリアの街で地元の料理とワインを賞味しないのはあまり賢明ではない。それは重々承知しているのだが、ローマで予約していたホテルを急遽キャンセルしたため想定外の出費があり、財布の紐を締めにかかった矢先だったのだ。

「ここはエトルリア文明の街だ」と自覚するだけで、視線は古びた煉瓦や街路にも延びてくれる。街の中心であるレップブリカ広場では市が立っていた。名物の白ワインを買わない手はない。二本がセットになったご当地の定番を買う。広場から旧市街あたりへ出て、地図に名前も載っていない小道をぶらぶら辿ってみた。

旧市街やドゥオーモへ引き返す別ルートの道すがらにエトルリア時代の遺産はほとんど残っていないのだろう。おそらく現存する面影は中世の佇まいなのだ。にもかかわらず、エトルリアの名残を時空間的に錯視している。そのように感じざるをえない舞台装置がここには巧妙に仕組まれていた。 《オルヴィエート完》

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レップブリカ広場の市場。店の数は多くないが、結構賑わっていた。
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広場に面して建つサンタンドレア教会と市庁舎。
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心惹かれたレストラン。メニューの値段を見て引き返した。
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サングラスを掛けたイノシシの剥製のディスプレイ。
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土産に買った白ワイン。一本400円。賞味した某氏は超高級ワインだと絶賛。
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ドゥオーモに向かう裏通り。エトルリア料理のトラットリア。
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通りから姿を現すドゥオーモ。繊細で眩しい光を放つゴシック建築の華である。
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「バラ窓」と呼ばれる丸いデザイン。まるでレース模様を編み込んだかのよう。

イタリア紀行20 「ゴシック建築と白ワイン 」

オルヴィエートⅠ

20083月のとある日、ローマのヴァチカン近くのアパートを午前8時に出発。地下鉄レパント駅まで10分ほど歩き、ローマの終着駅テルミニへ。鉄道に乗り換えて普通列車で1時間20分のオルヴィエート (Orvieto)を目指した。

オルヴィエート。ワイン好きなら知っているか聞いたことがあるに違いない。ローマから近いにもかかわらず、たとえば『地球の歩き方 ローマ版』にこの街の情報はない。掲載されているのは『フィレンツェとトスカーナ版』のほうだ(フィレンツェからオルヴィエートは倍以上時間がかかる)。ローマ版ではティヴォリやヴィテルボ、フラスカーティは紹介されているいる。オルヴィエートをわざわざフィレンツェ版のほうに編集した理由がわからない。

イタリアを代表するゴシック建築のドゥオーモと安価で上質の白ワイン。オルヴィエートが自慢できる目ぼしいものはこの二つだけ。しかし、この二つ以外に何も望まなくてもいい。下手に何でもかんでも揃っていたり中途半端な特徴を備えているよりは、「これしかない」と言い切れるほうが「地ブランド」に秀でることができる。欧米人観光客は美しいファサードのドゥオーモ前広場にたむろしワインショップを訪れる。やはりその二つがお目当てなのだ。

当初からローマ滞在中にオルヴィエートに出掛けるつもりではあった。しかし、ぼくの動機は大それたものではなく、白ワインの里を見てみようという程度だった。オルヴィエートの駅からケーブルカーを乗り継いで到着したのはカーエン広場。先を急ぐならバスか徒歩でドゥオーモへ行く。しかし、広場の少し先の展望スポットに寄って眼下に広がる景色を楽しんだ。崖っぷち状の丘陵地の街なので眺望がとてもいい。

ドゥオーモに着いた。キリスト教にも教会の建築様式にも知識や教養を持ち合わせていないが、あちこちの街で見てきたデザインとの違いは一目でわかる。金色とピンク色を織り束ねたような模様と繊細かつおごそかなファサードのデザインに目を奪われる。座り込んでうっとりと眺めている人たちもいる。ぼくもしばし足をとどめた。ゆっくり歩きながらメインのカヴール通りに入り市庁舎のあるレプッブリカ広場へ。道すがら、あるわあるわ、名産の白ワインを所狭しと展示しているエノテカ (enoteca)。イタリア語でワインショップやワイン庫を意味する。ワインが23本単位で箱にセットされているのも珍しいが、もっと驚いたのは値札の数字であった。

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ケーブルカーのターミナル駅。
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はるか遠方まで見渡せるパノラマの図。
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着工1290年。300年以上の歳月を経て完成したドゥオーモ。
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ディテールを見事に描き出す浮き彫り。
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定番ワインは1300~500円。驚嘆に値する価格で、うまさも申し分なし。
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              落ち着きのあるドゥオーモ広場ではしばし佇んでみたくなる。

イタリア紀行19 「一期一会が似合う」

サン・ジミニャーノⅢ

滞在時間は3時間と少し。フィレンツェ⇔ポッジボンシ⇔サン・ジミニャーノ往復に要した時間とほぼ同じ。街が小さいのに加えて自慢できる知識などまったくないから、何が見所なのかもよくわかっていない。おまけにシーズンオフだ。正直言って、3回にわたって書くだけの話題を持ち合わせていない。

四十いくつの数の世界遺産を誇るイタリアにあって、サン・ジミニャーノは1990年に7番目の早さで登録されている。城壁に囲まれた街。石畳と古色蒼然とした壁の間から中世以来生き延びてきた塔が背伸びをしてみせる。よく目を見張ると、石畳や壁が修復されているのがわかる。石の文化は強靭だが、それでもなお数百年の年月は街を劣化させる。

錆びたような黄土色の建物、時には寒々しいグレーの石畳や赤っぽい石畳、くすんだこげ茶色の屋根、窮屈そうで人影もまばらな通り。この街に決してマイナスイメージを抱いたわけではないが、見るもの感じるものすべてが寂寥の色合いに染まる。ルチアーノ・パヴァロッティが歌いあげるイタリア民謡、たとえば『はるかなるサンタ・ルチア』が流れてきたりすると、哀愁がただよい感傷的な気分になること間違いない。

世界中から観光客がやってきてこの小さな街がにぎわう季節なら、哀愁や寂寞に襲われることはないだろう。ガイドブックの教えにしたがって名物の白ワイン“Vernaccia di San Gimignano”も楽しみ、土産物もしこたま買い込んでほろ酔い気分で帰路につくかもしれない。しかし、それはそれ。旅は季節によって街の顔を変える。それを一期一会の縁と受け止めるのが潔い。 《サン・ジミニャーノ完》

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足の向くまま街外れへ。
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城壁の外はさらに閑静な風情。
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城壁外の田園風景。
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塔の上からの風景。
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一戸建て住宅。ホテルが少なく、民家が部屋を貸す、いわゆる民泊が多い。
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聳える塔を後景に置く住宅地。街に絵になる躍動感を与えている。

イタリア紀行18 「オンリーワン体感」

サン・ジミニャーノⅡ

トスカーナ州の都市を一ヵ月ほどかけて丹念に周遊すれば、それぞれの個性を繊細に感知できるだろう。同じ中世の佇まいであっても面影の残り方は異なっている。西洋中世の時代の建築や都市の専門家なら現場で即座に街の差異を認知できるに違いない。

ぼくなんかはそうはいかない。万が一細い通りが交差する街角に突然投げ出されたら、そこがフィレンツェかシエナかピサか即座に判断できる自信はない。もっと知識を深めたいと思っているものの、残念ながら、トスカーナ地方全般、とりわけ都市の歴史や建造物に関してぼくはまだまだうとい。しかし、投げ出された場所がここサン・ジミニャーノなら、おそらく言い当てることができる。それほど、この街はトスカーナにあってオンリーワンの様相を呈している。

地上にいるかぎり、煉瓦の建物や壁の色や石畳をじっくり眺めても街の特徴はよくわからない。わからないから、高いところに上って街の形状を見たくなる。だから、塔があれば迷わず上る。高いところに上るのは何とやらと言うが、塔は無知な旅人の視界を広くして街の全貌を知らしめてくれる。

だが、現存する塔のほとんどは700年以上の歳月を経て老朽化している。市庁舎の博物館と並立するトーレ・グロッサは安全を保証された数少ない塔の一つだ。高さはわずか54メートルなのでトーレ・グロッサ(巨塔)とは誇張表現だが、小さなサン・ジミニャーノの街全体はもちろん、周辺の田園や丘陵地帯を一望するには十分な高さである。そこの切符売場でもらった『サン・ジミニャーノの宝物』と題されたB5判一枚ものの案内。何となく気に入っているので額縁に入れて飾っている。

見所を一ヵ所見逃した。と言うか、見送った。中世の魔女裁判をテーマにした『拷問・魔術博物館』である。当時使った拷問装置がそっくりそのまま展示されていると聞いた。残酷・残虐のイメージを前に好奇心は萎えてしまった。「生爪剥がし」や「鉄釘寝台」を見ては、その日の夕食に影響を及ぼしかねない。ここはパスして城壁周辺を散策することにした。

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トーレ・グロッサの塔から眺める三本の重なる塔。
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現存する塔の数は15本、14本、13本と資料によって異なる。教会の鐘楼も数えるのか。
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いびつに形を変えた鐘が無造作に置かれていた。
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 光景におさまっているのはわずか3本の塔だが、13世紀の頃には72本あったとされる。現在の高層ビル群になぞらえて、天へと聳立を競った塔の街を「中世のマンハッタン」と呼ぶ人もいる。
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トスカーナの田園地帯という言い方をするが、平野部は少なく、牧草地も起伏の波を打っている。この写真のような風景が街の周辺の丘陵地帯でよく見られる。
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塔のほぼ真下に見える広場と住宅。
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中央やや下に井戸の見えるチステルナ広場。街のすぐ背後に緑が迫っている。古色蒼然と言うしかない。

イタリア紀行17 「世界遺産の塔の街」

サン・ジミニャーノⅠ

以前、NHK衛星放送がイタリア各地の世界遺産をシリーズで生中継していた。季節がいつだったのか覚えていないが、その番組を見たかぎりサン・ジミニャーノは賑わっていた。街の入口になっているサン・ジョヴァンニ門をくぐると同名の通りが街の中心チステルナ広場へ延びるが、大勢の観光客がテレビの画面に映し出されていた。

サン・ジミニャーノはトスカーナ州に位置する、辺鄙な街である。すでに紹介したシエナ県に属している。フィレンツェからバスで行くが、直行便がない。途中ポッジボンシという場所でで別のバスに乗り換える。バスの連絡が悪いと30分ほど待たされるので、フィレンツェからだと都合2時間近くかかることもあるようだ。

それにしても、この閑散とした世界遺産、いったいどうなっているのだろう? NHKで見たのと、いま目の当たりにしている光景には天地ほどの差がある。土産店で尋ねたところ、2月の下旬はほとんど観光客は来ないらしい。ツアーコースでシエナのついでに立ち寄るくらいなので、滞在時間は1時間かそこらとのことだ。あまりにも暇そうだし親切なオーナーだったので、置き物を一つ買った。街の模型である。そこには、お粗末なしつらえながら塔も立っている。

この街は小さい。南北が1キロメートルで東西500メートル、住民は8000人にも満たない。日本なら過疎の村である。だが、今も品質のよいサフランで有名なサン・ジミニャーノは、サフラン取引で富を得て、金持ちたちは競って塔を建てた。まさしくステータスシンボルだったのだ。かつて72本も建っていた塔は、今では15本。その15本のお陰で世界から注目される遺産になっている。

これまでの紀行文で「中世の面影を残す」という表現を何度か使ったが、サン・ジミニャーノには使えない。「面影」ではなく「そのまま」だからだ。123世紀の中世の騎士映画を撮影するためにこしらえられたセットではないかと錯覚してしまう。ここは「今に生きる中世そのもの」である。人気のない季節が中世の重厚で硬質な印象を際立たせた。

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サン・ジョヴァンニ門から街に入る。
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門をくぐり振り返るとこんな光景。
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サン・ジョヴァンニ門から広場までの道すがら。曲がりくねる通り、建物の間から一つ目の塔が見えてきた。
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さらに通りをくねっていくと、別の形状をした塔が現れる。
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通りが交差する街角に出る。
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チステルナ広場。“Cisterna”とは「井戸」 のこと。
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チステルナ広場の井戸。取り囲む建物や広場に敷き詰められた煉瓦は中世の色そのままだ。この井戸が水汲み以外の用途で使われたことは想像に難くない。
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博物館の塔から見る対面の塔。
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サン・ジミニャーノのほぼ全貌。この規模の街にかつて72本の塔が建っていたとは驚きだ。さぞかし圧巻だったに違いない。現在では15本の塔すべてを見渡せる場所は空以外にはない。

イタリア紀行16 「中世のたたずまい」

ルッカⅡ

ルッカの駅で少し慌てる体験をした。駅に着くと何はさておき、帰りの時刻表を確認して復路の切符を買い求めることにしている。ルッカからフィレンツェまでの準急料金は4.8ユーロ。10ユーロ札を自販機にすべらせてボタンを押すと、切符は出てきたがお釣りが出ない。釣銭ボタンめいたものを押してもダメ。あ~あ、イタリア特有の故障。これは面倒なことになるぞと覚悟する。

よく見ると切符の下にもう一枚切符が……。実は、切符ではなく、釣銭の額が印字された金券だった。これを窓口に持っていき、サインをして現金に換えてもらうのである。面倒臭いが、お釣りの硬貨が出ますようにと祈らねばならないイタリアのローテク券売機ならではの工夫と言える。外国人旅行者にとって鉄道駅は想定外の出来事に満ちている。降り立つ駅ごとに特徴があり、軽い緊張感を覚える。とは言え、ハプニングは異文化に遭遇する貴重な機会であり体験である。

さて、プッチーニの銅像を目当てに、二つの通りを往来してみた。フィッルンゴ通りとグイニージ通りだが、行ったり来たりしたので、手元の写真の光景がどちらのものかよくわからない。どれも中世の印象を色濃く残しており、煉瓦仕上げの建物の外壁は古色蒼然としている。この街は戦争を経験していないから14世紀がそのまま今に生きているようだ。試行錯誤したあげく、どっちを通ってもローマ時代の円形劇場に辿り着くことがわかった。

メルカート広場の一画にローマ時代の古代円形劇場跡を利用した集合住宅がある。円形空間の周囲に建物が「丸く」びっしりと建っているのは奇観と形容すべきか。ルッカ独特の景観である。円形劇場から東西へ少し行けば、有名な旧邸宅があるのだが、敢えてそちらへは向かわず、ぼくにふさわしい裏道を選んで帰路についた。

メジャーではないだろうが、ルッカも知る人ぞ知る観光地の一つ。ツアーの団体も見られたが、観光客を特に意識した街並みや店づくりはしていない。通りが狭く建物が古いせいだろうが、中世の風情を保ちながらも生活感を漂わせる街並みであった。駅に戻る途中、城壁跡である遊歩道に上がってしばし散策。緑地帯に囲まれた中世の街がとてつもなく希少な存在に見えた。 《ルッカ完》

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狭い通りが中世の面影を濃くする。店構えもこじんまりしている。  
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円形劇場跡の外壁。
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中庭風の広場の一角。
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劇場跡のメルカート広場の中央に立ち、円形状に建ち並ぶ建物をぐるぐる回りながら撮影。ここには1830年までローマ時代の観客席がそのまま残っていた。その観客席部分に建物が建っている。地下は古代のままなので、まさにローマ時代の上に現在が暮らしているという構図。
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広場を裏手から出ると、ひっそりと遺跡の名残。“Antico Anfiteatro”とは「古代円形劇場」。 

イタリア紀行15 「城壁とプッチーニ」

ルッカⅠ

どの季節にその街を訪れるか。一人で行くか、誰かと行くか、団体で行くか。そこにどのくらい滞在するか。街のどこを見るか。他のどの街を訪問した後にそこに行くのか、その街の次に訪れる街はどこなのか。条件によって街の印象は大きく変わる。街との出会いは運命的である。

数え切れないほどの特徴の組み合わせがあるにもかかわらず、紀行文はごくわずかな一面しかとらえ切れない。街の印象をしたためるのは個々の旅人の自由だ。そして、旅人の印象はたぶん偏見に満ちている。これは批判ではない。国勢調査員のような旅人であってはいけない、という意味だ。ルッカ(Lucca)についてぼくがこれから綴る内容も、実体を写実的に描写するものではなく、印象のスケッチにすぎない。

前回、前々回のアレッツォと同様、ルッカが定番のイタリアツアーに入ることはまずない。オプショナルツアーとしても考えられない。フィレンツェから西へ準急で約2時間、これが、この街に出掛けてみようと思った「ホップ」。オペラ『蝶々夫人』のプッチーニの生まれ育った街、これが動機の「ステップ」。最後の決め手になった「ジャンプ」は、ルッカが戦争を知らない、イタリアでも稀有な街であることだった。思いを三段跳びさせないかぎり、ルッカに行く決断はしづらい。

ルッカはトスカーナ州の北部に位置する、ローマ時代から続く歴史ある街だ。12世紀初頭に自治都市になり、1617世紀に城壁が建設された。今も旧市街は高さ12メートルほどの城壁に囲まれている。完璧な城壁があったから戦火に巻き込まれなかったのではなく、まったく偶然の幸運だったようだ。地理的に恵まれたという説もある。

ルッカの駅に着くと、通りを挟んですぐに城壁が見える。遊歩道に沿ってドゥオーモから街へ入り、ナポレオン広場、サン・ミケーレ広場、中世の家、プッチーニの生家、円形競技場跡など主だったところを徒歩でくねくねと辿っても2キロメートルにも満たない。なにしろ街を取り囲んでいる城壁の長さが約4キロメートルだから、とても小さな街なのである。それでも縦横に伸びる細い通りで迷ったり、プッチーニの生家にはなかなか到達できなかった。いろんな人に尋ねながら歩いた。ルッカの人たちはみんな笑みをたたえた親切な人ばかりだったが、プッチーニの生家を示す指の方向はみんな違っていた。

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城壁の上の幅78メートルの遊歩道が街を取り囲んでいる。
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大聖堂はカテドラーレ・ディ・サン・マルティーノ。聖マルティーノはルッカの守護聖人。ファサード部分の3つのアーチがロマネスク様式の特徴。
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 ファサード前のサン・マルティーノ広場。この日のルッカは課外授業らしき中高生や小グループの観光客で賑わっていた。
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ナポレオン広場。戦争を知らないルッカは、19世紀初頭にナポレオンの妹エリーザが治める公国になった。広々としたこの広場が気に入り、ピザを買ってきてここでランチ。
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街と市民の生活の中心となるサン・ミケーレ広場。ローマ時代の遺跡を利用してつくられた。
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サン・ミケーレ広場から約100メートル歩くとプッチーニの像。
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最後に出会ったおじさんが教えてくれたプッチーニの部屋。
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プッチーニの生家であることを記す大理石の銘板。 

イタリア紀行14 「記憶に残る街景色」

アレッツォⅡ

「無印良景」ということばがあってもよい。観光ガイドにも載っていないし、地図のどこにも印すらない場所や建物。写真に撮ってみたものの、写っている光景や風景の固有名詞を後日調べるすべもない。そんなシーンが街外れの一角に忽然と現れると鼓動が高まる。

ここアレッツォは詩人ペトラルカの生誕の地でもある。地図を調べてみたら、生家の前を間違いなく通り過ぎているのだが、写真には収まっていない。その先の大聖堂(ドゥオーモ)や市庁舎を目当てにしていたから見落としてしまった。とりわけ、この日は骨董市のせいで視線と視野をいくらか不安定にしてしまっていた。目抜き通りでは、人混み越しに建物や通りをゆっくり眺める余裕はなく、人の流れに従うのが精一杯だった。

ところが、名前も位置も知らぬままに何気なく撮影した写真なのに、突き止めることができたのもある。サント・スピリトの稜堡がそれだ。「りょうほ」と読むこのことばは、かつての城壁の突出部分を指すらしい。もう一つ、イタリア通りから東の方向に150メートルほど歩いていくと、絵本によく描かれるような教会が姿を見せた。外観をじっくり眺めるだけで内部に入らなかったので名前がわからない。場所を地図で照合した結果、「サン・アゴスティーノ教会」ではないかと推測している。

初めて訪れる街について事前に知識があるほうがいいのか、それともまったく知らないほうがいいのか……微妙である。ただ、この日のように半日に限って散策するときは「不案内ゆえのときめき」に遭遇できるかもしれない。知ったかぶりをせずに「知らざるを知らずとせよ」という教えにしたがえば、自分なりの、あるいは、自分だけの発見があるに違いない。洒落たリストランテ、自治会の案内板、街外れの質素な教会、迷い込んだ通り、帰路に見つけたキメラの噴水……。アレッツォの知識は今も大したことはないが、不思議なほどこの街の道すがらの光景はよく覚えている。 《アレッツォ完》

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市庁舎。どの街に行っても市庁舎前で市民は憩っている。
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賑やかな通りから一本隣りへ入れば閑静な街並み。
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メディチ家の紋章が装飾された壁。トスカーナ大公国統治時代の建物。
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入店したリストランテは、暖色系なのに落ち着いた雰囲気だった。
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サン・アゴスティーノ教会。
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エトルリア時代の稜堡。
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円形闘技場跡。入場料は無料。但し、外から十分に見学できる。
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ギリシャ神話由来のキメラの像。

イタリア紀行13 「美しい人生の舞台」

アレッツォⅠ

アレッツォ(Arezzo)という街について詳しかったわけではない。フィレンツェから南東へ普通列車で1時間ちょっとの立地なので、日本を発つ前から訪問地にリストアップしていた。前知識は、映画『ライフ・イズ・ビューティフル』の撮影舞台であること、毎月第一日曜日に骨董市が出ること、エトルリア時代の面影を残していることくらい。この街の名物は何と言っても「サラセン人の馬上槍大会」だが、開かれるのは6月と9月の年二回。訪問したのが3月なので、観光的にはシーズンオフだった。

純粋に街の散策に徹することにした。駅から旧市街までは徒歩10分。メインのイタリア通りをぶらぶら歩きする。骨董市の日だったので、大勢のアンティークマニアで石畳の狭い小道がごった返していた。一見してプロと思われる人々も品定めをしている。買い付けに来ている数人の日本人にも出会った。

くだんの映画の主演・監督を務めたロベルト・ベニーニの故郷がこのアレッツォで、その縁もあって舞台になったのだろう。映画に頻繁に出てきたグランデ広場に興味津々だったが、アンティークのにわか屋台が埋め尽くしていて臨場感には乏しかった。「グランデ」は「大きい」という意味なのだが、映画のシーンで感じたほどの広さではない。

歴史上の有名な芸術家がこのアレッツォで生まれ育った。グランデ広場は別名「ヴァザーリ広場」と呼ばれており、ルネサンス後期の芸術家兼建築家のジョルジオ・ヴァザーリにちなんだものだ。本人が広場の設計に携わっている。他にも絵画に初めて遠近法を採用したピエロ・デッラ・フランチェスカもこの街の出身である。

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アレッツォ駅。旧市街の北東のプラート公園へはモナコ通りかイタリア通りを経由する。 
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イタリア通りに立つ骨董屋台。
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ガラクタか掘出し物か判然としない品々。狭いスペースに雑然と放り出されている。
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使用済み絵はがきを売る店。何語かわからない時代物にもマニアが存在する。
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そこかしこの通りが人で溢れ返る。
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古い建物の外観をリフォームしたカフェレストラン。“Vita Bella”は「美しい人生」。おそらく映画の題名を拝借したに違いない。
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グランデ広場の一角に存在感を示すヴァザーリ設計のロッジェ館。1階は天井の高い柱廊。
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イタリア通りの街角。建物の壁色はベージュとグレーの色調が多い。