ポツンと一言だけ言わない習慣

人前で話をするのが仕事の一つである。だが、いわゆる「古典的な弁論」は苦手だ。ぼくにとって弁論という行為はパフォーマンスにしか見えない。そこに聴衆に聞いてもらう、理解してもらうという意識に動かされた説明は見当たらない。生真面目に言うなら、話し手はパフォーマーであってはいけない、考えを伝えることを最優先しなければならない。

研修や講演の後の交流会や懇親会で話をせよと言われることがある。これも苦手である。さっきまであれほど聴衆に向けて話していたのに、宴席で挨拶をしたり乾杯の音頭を取ったりする段になると気が進まなくなる。ギャラが出ないからではない。結婚式に招かれたら、ギャラがなくても、いや、それどころか、祝儀をはずんで話をしている。来賓としてスピーチをするのは好まないし、適材適所だとも思わないが、やむをえない社交だと割り切って引き受ける。ところが、一仕事の後に、話すという一仕事に付き合ってくれた同じメンバー相手に、仕切り直して挨拶や乾杯のスピーチをすることにまったく気乗りしないのである。

乾杯

ある時、乾杯の音頭役に指名された。さっきまで講演していた講師が、この席でも挨拶して乾杯はないだろうと言い、誰か別の人に頼んでほしいと司会に言った。司会は承知しない。「じゃあ、挨拶抜きなら」と妥協し、司会もうなずいた。全員がグラスを持ち上げたのを見計らって、いきなり「乾杯!」と告げた。司会が慌て、「すみません、何か一言お願いします」と言うから、もう一度言い直した。「一言だけ言います。乾杯!」 笑いが起こり、場は白けずに済んだ。


ポツンと一言しか言わなかったこのケースは例外。儀礼色の強い場面ではことば少なめだが、何が何でもコミュニケーションせねばならない時にはこんな薄情な態度は取らない。コミュニケーションとは「考えや意味の共有」である。わかりやすく言えば、きちんと説明しないと伝わらない行為である。そんな場面でポツンと一言だけ言って幕引きする度胸はぼくにはない。ここで言う度胸とは不親切な厚かましさだ。語る場合のみならず、書く場合もポツンができない。たとえば、誰かの名言を引用する時、その名言のみで分かるはずもないのに、説明を加えずに文中にポツンと置けないのである。

一冊の本の、ある文脈から切り取られたことばは――たとえそれがよく知られた定番の名言であっても――一つの形式命題にすぎない。その名言が心に響くと思うのはすでに知っているからである。文脈無き名言は、意味も脳内を素通りして単なるこけおどしに成り果てている。ポツンと出てきた「我思う、ゆえに我在り」は何を語るか。わからない。ポツンと出した筆者もたぶんよくわかっていない。

根が饒舌にできているせいか、いやお節介な性分のせいか、ぼくは名言や諺の類を引用して孤立状態にできないのである。不親切だと思うからだ。釈迦に説法になってもいいから、意味を明らかにしたいし私見を加えたい。そうしなければ、知の見せびらかしに終わるではないか。このブログで〈名言インスピレーション〉というカテゴリー名のもと文章を書くことがある。おいしい名言だけをどこかから持ってきてポツンと示して「さあ、どうだ!?」などと大見得を切ることができない。知っていればその名言の生まれた背景も説明するし、気づいていることや解釈を過剰なまでに書く。お節介と書いたが、愚直と言うべきかもしれない。

さほど吟味もせずに、誰かの言をあたかも文の装飾品のように扱う文章に出合う。省エネ作文もほどほどにしてもらいたい。名言を引用して知らん顔できるほど偉くもなければ権威もなく、せいぜい「ペンは剣よりも強し」とやせ我慢するのが精一杯の弱者という自覚があれば、言を多く費やすしかない。言い過ぎた冗漫よりも、言い足りない怠慢こそを恥ずべきである。

「ふ~ん」程度の小話を少々

思い出しテスト  

手に取ったことはないが、時折り新聞広告で紹介されるのが、「常識思い出しテスト」や「四字熟語・ことわざ思い出しテスト」の類のシリーズ本。「もの忘れ、認知症にならない」と謳っている。はたしてそんな効果が期待できるのか。

思い出しとは、知っていることや記憶にあることを取り出して再生することだ。広告には、思い出そうにも覚えた記憶のない例題がいくつかある。一度も覚えていないことや知らないことは思い出しようがないではないか。思い出しテストとは「雑学クイズ」を新しく言い換えた本にすぎない。

聞き間違い

「きみ、たまには教養的なたしなみもしないと……。能楽なんかどうかね?」
「教養を身につけたいとは思うけれど、能書きを垂れるのはどうかなあ。」

これは聞き間違いである。こういうプチジョークは手軽に創作できるが、調子に乗ると矛盾が起きる。

「これで一件落着だな。」
「たった一件の落書で済んでよかったね。」

落着らくちゃく落書らくがきはめったに聞き間違わない。間違うとすれば、読み間違いだろう。だから、やりとりが会話調になると不自然なジョークになる。

今日の星占い  

「あなたの今日の運勢はまずまずみたい。自分のご褒美に少しぜいたくを、って書いてあるわ。」
「ようし、今日のランチはソース焼きそばの大盛りだ!」
「わぁ、すっごくぜいたく!」 

ふ~む。人それぞれの考え方があり、人それぞれの幸せがある。

「ふ~ん」程度の小話

ちょうど  

「身長はちょうど174.6センチです」と誰かが言ったら、「どこがちょうどやねん!?」とツッコミを入れるところ。しかし、この前段で何かの条件として174.6センチが示されていたら、「ちょうど」でいいのである。一般的には区切りが良い時に「ちょうど」と言い表わしたくなる。たとえば、「ちょうど6時に着いた」や「ちょうど一万円」というふうに。

セルフのカフェに二人で行った。コーヒーが1190円。注文は2杯だから合計380円。百円硬貨を四つ出した。店員が言った、「400円ちょうどいただきます」。違う違う、ちょうどじゃない。トレーにぼくが380円を置いた時のみ「ちょうど」と言えるのだ。彼にとって400円はちょうどいい数字だったかもしれないが、ぼくにとってのちょうどは380円である。そうでないと、20円のお釣りがもらえない。

ご新規  

まずまずオシャレなイタリア料理店の昼時間。ホールをこれでもかとばかりに仕切る、歳の頃四十半ばのベテラン女性。厨房に向かい「ご新規、二名様で~す」と声を張り上げる。ここは居酒屋か……。

ぼくの後に78組の客があったから、同じ数だけ「ご新規、……様で~す」を耳にしたことになる。いちいち「ご新規」などと言わずに「二名様、こちらへどうぞ」でいいと思うが、「5番テーブルのお連れ様、お越しになりました」との違いをはっきりさせたいらしい。食事をしているぼくには関係のない情報だ。厨房に行って静かに業務連絡をしていただければ幸いである。

増毛  

西田敏行よ、そんなことを言ってしまっていいのか。髪の毛に悩む男どもはマープ増毛法に賭けて大枚をはたくのではないのか。すがるような思いで髪の毛を増やしたくてやって来るのではないか。にもかかわらず、なぜあなたはニーズに応えてあげないのか。いったい西田敏行は何と言っているか?

「マープ。増やしたいのは笑顔です」。

増やしたいのは髪だと思っていたが、ぼくの読みが足りなかった。

書いて考える

才能の無さゆえか、ペンを手にせず紙も用意せずに考えることはできない。宙にまなざしを向けて腕組みをして考えようとしたことはあるが、まともに考えたためしがない。書きながら考え、書いたものを読んでもう一度考え、書き終わったものを繰り返し読んで何度も考える。ぼくにあっては書くことは考えることである。すでに考えたことを文章として書いているのではない。書いて考えるという行為は、先人たちの言に裏付けられ、今ではこれこそが本筋であるという確信に変わった。

言語は内なる思考の外的表出などではなく、思考の完遂である。
(メルロ=ポンティ)

「考える」ということばを聞くが、私は何か書いているときのほか考えたことはない。
(モンテーニュ)

拙く書くとは即ち拙く考える事である。(……)書かなければ何も解らぬから書くのである。
(小林秀雄)

正確に言えば、書いていない時――たとえば誰かと話をしている時――でも考えているのかもしれない。けれども、書いている時にもっともよく考えが巡っている実感がある。よく考えているとは、深い掘り下げのみならず、眺望点に立って四囲を見晴らすように広がる状態である。ことばと別のことばが、イメージと別のイメージが繋がっていく感覚が満ちてくる。ぼくの仲間が話していても、よく考えているかどうかわからない。しかし、その人が書いているものを読めば考えの程度はわかる。

okano note original

二十歳前から、何も考えずに雑文を書いてきた。書いた結果、少しは考えた足跡を認めることができた。三十歳前から定番のノートを用意し、主題を意識して書く習慣を続けてきた。その延長線上に本を書く機会に巡り合えたし、大量のオリジナルの研修テキストを著す機会を得た。書くことは考えることである。そして、考えることには苦しみが伴う。だから書けば書くほど苦しくなる。しかし、ずっと続けているうちに、やがて苦しさと楽しさが対立せずに一つの行為の中で矛盾しなくなった。つまり、苦しくかつ楽しくなった。

滑稽かもしれないが、自分のノートをOKANO NOTEオカノノートと呼んで、書くことと考えることに関するアイデンティティの紋章としている。体裁を変えサイズを変えて今に至り、書棚には何十冊も並ぶ。今年に入って、以前愛用していたバイブルサイズのシステム手帳に変え、気分も新たにして日々書き、日々読み返し、日々異種テーマと別々のページを相互参照している。趣味でも仕事でもなく、考える習慣として。


「何について書くか」についてめったに深慮遠謀しない。いろんなことに関心があるから、素材やテーマに困ることはない。在庫は増える一方、書いても書いても捌き切れないのが現実だ。などと偉そうに言うものの、いざ「なぜ書くか」という問いには少し困惑する。だらだらと気まぐれ日記を自分のために書いているのではなく、書いたものをこうして公開しているのであるから、誰かに読まれることがわかっている。書いたものを晒して読まれる状態に仕上げるだけでなく、最初から読んでもらうことを意識して書くこともある。たった一人の仮想読者の場合もあり、仲間や知人の場合もあり、テーマに関心を示してくれそうな人をプロファイリングしている場合もある。

ぼくの手書きノートは思いつきから始まる未熟でレアな文章の束だ。それでも、誰かのために書くという意識を強くして文字を連ねる。哲学者野矢茂樹は言う。

「自分の文章を読む相手をリアルに感じることだ。あなたは自分でよく分かっていることを書く。しかし、読む人はそうではない。(……)自分が分かっていることを、それを分かっていない人の視線で見つめながら、書かねばならない」(『哲学な日々』)。

ここまで言い切れるほどの自信はないが、読み手をある程度想定しなければ、文章が独りよがりになることを心得ている。時々わけのわからない術語を使ったり難文を綴るのは、まだまだぼくがテーマの難度に釣られてしまうからで、文才未だ熟していない証である。

宙ぶらりんな「なぜ書くか」にけりをつけたい。誰かに向けて書くことによって、考えるきっかけを摑めるからである(拙文を読んでもらえればささやかな考えるきっかけを摑んでいただけるからと厚かましく思っている)。書かなければ、自分も他人も見えないからである。書いて、そこからまた考えることが始まる。渡り鳥が飛び続けるように、マグロが休みなく泳ぎ続けるように書ければいい。書かなければ生命が脅かされるような気になればいい。とは言え、誰のことも意識せず、書きもせず、したがって考えもしない時間と行為は一日のかなりの部分を占めている。だから、そういう時間と行為については何も書くことがない。テーマにならないし、書くに値しないからである。

考えたいという一心で書けば書くほど、しかし意に反して、カオスに向かう。脳内が混沌としてますますわからなくなる。それでもなお、もがくようにして性懲りもなく書く。書くことをやめれば、平穏な秩序が戻ってくることを承知している。すっきりとした部屋でくつろぐように知は落ち着くだろう。しかし、これが知の劣化の始まりなのである。

カオスが常態になり習性になってしまった。手書きのノートを推敲して公開しようと思い立ったのが20086月。以来、七年半の歳月を経て、本ブログは今日1,000回という節目を刻んだ。のろまであったか、まずまずのペースであったかはどうでもいい。四百字詰め原稿用紙に換算して約4,500枚。新書サイズに換算すれば15冊に相当する文章の集積である。万感こみ上げるものなどないが、これまで書いてきた文章の巧拙がぼくの思考の巧拙にほかならない、と冷ややかに振り返っている。

肉、肉、肉……。肉はうまい。多少の好き嫌いや食べる量に違いがあっても、老若男女誰もがだいたい口にする。肉はありがたい。言うまでもなく、肉とは動物の肉である(魚の場合は魚と言う)。また、肉と言えば、皮膚と骨の間の筋肉である。広義では内臓も含むが、内臓に限定するならホルモンとか内臓と言うべきだ。「今夜、焼肉をおごってやるよ」と人を誘い、ホルモンばかり食べさせたら相手はがっかりするはず。

幼い頃の肉の思い出は、肉じゃが、トンテキ、鯨肉、豚のしょうが焼き、名ばかりで実の少ないビーフカレー(はたしてビーフだったのかどうか、当時の舌では判別不能だった)。すき焼きはご馳走であり、年に数えるほどだったが、祝い事の折りに鉄鍋を囲んだ記憶がある。ステーキもたまに食卓に出てきた。近所の洋食屋に行くとトンカツやポークチャップが定番だった。

十代になってから口にした羊がぼくの肉食シーンを一変させた。関西で流通したのは東日本よりだいぶ遅れたようだ。当時の羊肉はすべてマトン。クセのある匂いに閉口することなくふつうに口に運んだ。後になってラムがマトンに取って代わるようになり、マトン離れをする。ニンニクの使い方も覚え、味と気分両方のステータスが一段も二段も上がったような気になった。だが、肉食習慣をそれ以上に激変させたのは、二十歳前後になってからの屋台のホルモン串焼き。そして、タレに付けて食べる焼肉だった。切り分けられてタレに漬かった肉を炭火で焼くのがいい。ポンと出てくる一枚のステーキよりも新鮮だった。焼肉は今もご馳走であり続けている。


縄文時代のわがご先祖さまたちは、せっせと熊、狐、兎、狸、鹿、猪などを食べていた。縄文遺跡からはそんな骨が数十種類も出てくる。この時代の人類はみな肉食派だったはずである。『物語  食の文化』(北岡正三郎)には「天武天皇(675)が殺生禁断のみことのりを出し、野生動物の効率的な捕獲方法を禁じ、猟期を定め、ウシ、ウマ、イヌ、ニワトリ、サルの摂食を禁じた」と書かれている。常食していたから禁じた。つまり、当時は犬や猿も食べていたのである。江戸末期から維新にかけての「ももんじ屋」や「薬喰い」などの肉食文化も興味が尽きないが、そのあたりの事情は割愛して、明治の文明開化期の牛肉に話題を移す。

当時の食肉の主役は牛肉だった。前掲書によれば、西日本では黒毛和牛を農耕に使っていた関係から、老廃した牛を食用にしていた。その中心地が丹波、丹後、但馬。これら産地の肉が神戸牛ブランドとして関西から全国に出荷された経緯があった。イメージとして定着している「関西の牛肉、関東の豚肉」というのはある程度的を射ている。実際、関東では「肉」とだけ言って「牛肉」を示すことは稀で、牛か豚かをはっきりさせる傾向がある。関西では――もちろん牛肉や他の食肉を総称して肉と呼ぶが――「肉≒牛肉」という意味合いのほうが強い。

わたし豚だけどお肉大好き

「わたし豚だけど お肉大好き ウフフ」と豚キャラ女子が牛キャラ男子に言っている。大阪ミナミのとある焼肉店の大きな看板。これが「肉と言えば牛肉」の何よりの証拠である。西日本とひとくくりにする自信がないので、関西、いや、もっと正確を期して大阪ということにしよう。肉うどん、肉じゃが、焼肉、串カツ、すき焼き、しゃぶしゃぶは、わざわざ断わるまでもなく、使う材料は牛肉に決まっている。串カツ屋で「串3本」と注文すれば、牛串のこと。肉を豚にしたければ、豚しゃぶとかとんカツと指名する。東日本――これも自信がないので、経験や知り合いの証言もある関東に限れば――「肉≒牛肉」という一致はほとんどないはずだ。


ありがたいことに、昔に比べればうまい焼肉をいただくようになった。肉の種類に好き嫌いがないから何でも食べる。グループ会食になると、羊がダメ、豚がダメ、鶏がダメというわがままがいるので、焼肉に落ち着く。これが日本流。しかし、世界標準は牛肉ではない。皇室やノーベル授賞式の晩餐会などの正餐の主菜はほぼ羊肉だ。グローバルの階段を登り詰める気がある若者はラムを食べ慣れておくのがよい。

ロスのステーキ

焼肉に満足しながらも、ステーキとは名ばかりの薄いのを食べていた頃を回想しては、ステーキで「失地挽回」せねばという思いも強かった。100グラム200グラムなどとケチなことを言わずに、分厚くて大きいのをレアで喰らう。数年前にロサンゼルスの親類宅で出されたステーキ。それは野趣の風味が強い歯応えある肉だった。なにしろ推定600700グラムだ、平らげた後の達成感は半端ではない。以来、サシの入った肉を遠ざけるようになった。口に入れた瞬間とろけるような200グラムのステーキに大枚をはたく気がなくなった。ぼくは肉のうまさと値段から実に多くのことを学んできたと思う。

わけあり考

ワケアリ

「わけあり」と言うかぎり、わけが分かっているはず。わけが分かっていながら、そのわけの子細を敢えて明かさないのが「わけあり」のようだ。いや、分かっているわけを敢えて説明する「わけあり」もある。すると、わけが分かろうが分かるまいが、明らかにしようが隠蔽しようが、わけがあれば「わけあり」なのか。漢字をまじえて表記すると【訳有り】。訳とは理由や意味のこと。理由や意味があっても内容を示さない場合はふつうによくある。ちなみに、『広辞苑』では「男女間の情事」という語釈も示して「わけありの二人」という例文を載せている。どういうわけなのかは人それぞれの解釈に委ねられる。

念のために『新明解』もひも解いてみたら、「意外だと感じられる物事の背後に何か特別な事情がひそんでいること」とある。何か特別な事情とはいかにもわけありな言い方だ。意外だと感じられるのは、実際は1万円くらいしそうなのに半額の値になっているぞという場合か。ここでの例文は「わけありの品だからこんなに安いのだ」。定義と例文は合っていそうだ。なお、「訳有り」と書くと理が優るような気がする。「ワケあり」と表記すれば胡散臭さを嗅ぎ取ってしまう。

通例としてどんな定義があるのか。楽天市場を覗いてみた。「正規品として販売できなくなった規格外品」とちゃんと規定している。正規品として販売できなくなった理由があり、それが「わけ」であり、そのわけを背負っているものが規格外品、つまり「わけあり商品」ということになる。楽天ではこのわけを次のように説明している。

1.商品の形が不均一や汚れがあるもの
2.パッケージやラベルに問題があるもの
3.製造過程で出る余りや切れ端を集めたもの
4.商品にワレやキズ、破れのあるもの
5.最新の機種から見て旧型になった型番
6.賞味・使用期限が迫っているもの

以上6項目を挙げている。細かくジャンルに分けていることに変に感心してしまった。


わけありの「わけ」をここまで詳らかにしてしまったら、わけありが持つ不透明感ゆえの引き寄せ効果が薄れてしまわないか。「背後に特別な事情」をひそめているものの、そのことを取り立てて問題視せずに不問に付すのがわけありのわけありである所以ではなかったか。わけありの「わけ」が合理的に説明されればされるほど、1から6の規格外品が、実は最初から企図されたものだったのではないかと詮索の一つもしてみたくなる。

もっとも、わけを知りたくなるのは買い手一般の習い性かもしれない。わけあり商品の「わけ」とは予想に反した安値がついていることの理由である。その理由を尋ねるのは、規格外品が正規品と同等であるかどうかを確かめたいからだろう。

「ところで、この商品はなぜわけありなの?」
「そのわけは、言えません」
「わけが分からなければ、値打ちがあるかどうか判断できないじゃないか」
「気になさるほどのわけじゃないんで……」
「そんなこと言われたら、余計気になるよ」
「まいったなあ……。教えますよ、その代わり誰にも言わないでくださいよ。実は、全然売れないというわけなんです」

売れないから安くしているというのも一種のわけありである。楽天市場の1から6のどれにも該当しない正規品であっても、売れないという理由を持つわけあり商品に成り下がることがある。

「わけありシェフのわけありレシピ」などにはどう反応すればいいのだろう。シェフはバツイチ? 調理師免許なし? 何がしかの過ちを犯した? レシピは名店料理のパクリ? 化学調味料だけの味付け? すべて冷凍食材? わけが何であるかを想像していくとわけが分からなくなる。「ぼくわけありシェフなんです」と自白したシェフには、わけを尋ねてはいけない。「へぇ~、そうなのか」とやり過ごすのがマナーである。わけを聞いて欲しそうな顔をしたら、「ところで、わけって何?」と聞けばいい。

「訳」には道理という意味もあるのだが、わけありという場合のわけに胸を張って答えるようなものはない。あれば「特徴」として大々的な売りにしているはずだ。わけありはつねに「言いにくいこと」であり「聞かれたくないこと」でなければならない。わけありの「わけ」を事細かに説明する背景には、わけありブランドを作ろうとする魂胆が見え隠れする。

無力を微力に

パリ――。またもや残忍な同時多発テロがこの街と市民を襲った。ネット時代が事件を忘却させるスピードを加速させていることを憂い、1021日に本ブログにそのことを次のように書いた。「今年1月のシャルド・エブリ襲撃テロ事件などは喉元過ぎれば熱さ忘れるの典型になっている。あの事件の生々しさは、当事者以外のどれほどの人の記憶に残っているのか」襲撃事件からわずか10ヵ月、そこから遠からぬ場所で惨事が起こった。

シャルド・エブリの一件はぼくの周辺でもマスコミでもさほど話題に上らず、遠い過去の事件になりかけていた。ぼくにはずっと重くのしかかっていた。四年前に事件現場近くのアパートに十日余り滞在していた経緯もあり、写真アルバムの思い出以上に強く刻印されていた。人にはそれぞれの価値観があり、それが考え方や記憶の想起の仕組みを司っている。だから、思い出さないからといって咎めることはできない。しかし、あの一件は、悲喜こもごもの小事に触れたついでに思い出すべき同時代体験であったはずだ。

一文を書いてから、2001911日のアメリカの同時多発テロにまつわる当時の新聞の切り抜きを拾い読みしていた。その中に、ミスタービーン役の英国の著名なコメディアン、ローワン・アトキンソンがタイムズ紙に投稿した記事があった。英国政府が準備している反テロ法案の中に宗教的憎しみを煽るのを禁じる内容があることに懸念を示した上で、彼はおおむね次のような意見を述べた。

「宗教者をパロディにするのが私の大事な仕事だ……宗教も含めて笑いの対象にならないものなどない……(諷刺の)良し悪しは、法ではなく、観客や聴衆の判断に任せるべきである……」。

笑いも皮肉も、そしてことばも危険要因を孕んでいることは承知している。しかし、テロという危機に対抗する術は諷刺や言論しかない。特に弱者にとっては。


仕事に自分の無力を感じることがある。無力感のうちに「どうにもならない」という絶望と「もしかしてどうにかなるかもしれない」という希望が混在する。とは言え、所詮、自分と仕事の話である。大した問題ではない。絶望的だと思っても、いくばくかの希望で救われている。無力ながらも仕事の傍にいるのは恵まれている証である。だが、蛮行が繰り返されるパルミラ遺跡の報道に接するたび、仕事に対する無力感などとは次元の違う悲愴と絶望に苛まれる。そこに自分はいない。何もすることができない。考えることはできても指先一つ動かすことすらできない。こういう暴挙には正義による根こそぎ征伐以外に方法がないのではないかと、つい愚案に傾く。遺跡と命、どちらが尊いかなどという議論は無意味である。尊さの尺度は絶対だ。そこに比較級や最上級による一番、二番などという格付けは生れない。

サンマルタン運河近く

パリ――。四年前の11月、ぼくはそこにいた。取るに足りないトラブルやハプニングに何度か遭遇したが、日々平穏無事に街歩きを満喫していた。今回の一連の事件現場から一筋、二筋西の通りはよく歩いた。追悼のために市民が集まっているレピュブリック広場には何度も足を運んだ。秋深まったサンマルタン運河沿いの散策はのどかなひとときだった。

その安らぎと対照的な惨劇にことばを失う。相変わらず一部の人類は平和や幸福よりも破滅を好む。独りで悶々とすれば集団心理に溺れて洗脳される。我にこだわって偏見を正当化し、目の前の怒りに発作的に反応してしまう。我と我の衝突を回避する知恵は、世界という舞台で実践する前に、日々の生活の中で身に付けておかなければならないのだろう。

一個の人間は無力である。遺跡が破壊され罪なき人々が無作為にテロの標的になり被害に遭っても、悲劇の傍観者以上にはなれない自分はただ佇むばかり。事件の後に祈りを捧げる。事件が二度と起きないことを願う。シャルド・エブリの時もそうした。祈り願う以外にいったい何ができるのか。自分と事件を厳しく一対一で対峙させても心の平安はやって来ない。勇気も湧かない。いや、むしろ一人であるからこそ祈り願うしかないのだろう。

では、ぼくは何ができるのか。ぼくには、今こうしているように、書くことしかできない。深慮遠謀せずに書く。ぼくごときが書く文章を読んでくれるのは一握りの人たちある。しかし、この際、少数であるか大勢であるかは問うべきではない。誰かに自分の考え――主として理不尽な狂乱行為に対する批判――を伝えることが、弱者を自覚する人間が無力に独りで闘わない方法なのである。「なんだ、ただの机上の評論ではないか」というそしりを恐れない。誰に何と言われようと、黙って祈るだけのもどかしさと決別して、書くことによって自分と社会との関わりを無力から微力に変えたいと思う。

ぼかし言葉よりも議論の心得

「ぼかし言葉は現代の若者に特徴的ではなく、昔から日本人は婉曲表現をよく使ったものだ」云々。この主張を聞いて、すんでのところで相槌を打つところだった。他人の話は聞き流してはいけない。疲れているときは特に要注意だ。ぼかし言葉と婉曲表現に重なりはある。クッション効果が生まれるという点では近い。しかし、両者の機能は根本が違う。

ぼかしことば

ぼかし言葉は無意味な補助機能にすぎない。「ぼく的にはノーって感じなんだけど、イエスでもいいみたいな……」という言い回しはことばも意味もぼやけている。ノーかイエスか、結局どっちなのかよくわからない。これに対して、遠回しな表現に置き換えるのが婉曲である。相手をおもんぱかって、タブーに触らぬよう、不快にさせぬよう、露骨にならぬよう言い換える。婉曲的に言っても相手に意味が伝わる。「お手洗い」と言えば便所のこと、「逝去」と言えば死んだということだ。ストレートに使うと耳障りかもしれないと案じて、棘のない別の表現で代用する。表現にぼかしは入っていない。

「わたし(ぼく)的には~」「~みたいな」「~という感じ」などが当世のぼかし言葉の代表格と言われる。ものをずばり言わないクッション機能を特徴としている。婉曲話法と違って、「~」に入れるべきことばは通常会話で用いることばと同じ。断定、明言、極論を避ける心理が働いているだけで、言い換えの工夫は凝らされない。ふつうに喋って何の問題もないところなのに、なぜ敢えて意味不明瞭にしてしまうのか。なぜ意思疎通コミュニケーションのほうにではなく、意思不通ディスコミュニケーションのほうに傾くのか。理由はいたって単純だ。波風の立たぬ浅瀬の水遊びのような会話でその場を済まそうとするからである。


とりとめのない会話ならいざ知らず、テーマのある対話では当然議論が生まれる。議論は場の空気を緊張させる。これを嫌がれば、上っ面だけの潤滑油でやりとりを和らげるしかない。こうして、ぼかし言葉が無意識のうちに使われる。会うのが一度きりの相手に対しては強気にホンネを吐くくせに、明日、明後日、その先何度も会う相手とのぎすぎすした関係は避けたい。双方がそう思えば、対話をしても「危険区域」に足を踏み入れない。バーチャルなお友達関係で良しとすれば、批判めいた言は首をすくめたままだ。議論はそんなに関係を危うくするものか。いや、真の信頼関係があれば議論で後味が悪くなるはずがない。

対話の際に意見を述べる。意見とは主張だ。加減したりトーンダウンしたりぼかしたりする主張などというものはない。主張とはある意味で「強弁」なのである。必然、相手の言い分を検証して批判する場面も出てくる。だが、対話は交渉ではない。交渉は合意を目指す。その過程で決裂もありうる。交渉の常として勝ち負けはつきまとう。だから、負ければ口惜しくもなる。翻って、対話は合意を目指すものではない。「意見が一致した」というのは議論の結果にすぎない。では、ぼくたちが対話で重視すべきは何か。双方が持論とする意見を相互に検証することだ。対話とは――そして、それに伴う議論とは――「異種意見間検証」にほかならない。

自論と相容れない意見には問いを立てる。納得できる点と疑問点のどちらも洗い出す。自分の検証フィルターを通り抜けてくる主張ならひとまず受容する。相手も同様のプロセスを踏む。こうして彼我の主張を天秤にかけ、相手が自分よりも先を読み、広く深く考えていると判断すれば素直に認めればいい。お互いがこのことをわきまえるべきである。だから、議論の前提には共通ルールが必要になる。チェスや将棋と同じだ。第三者なる審判がそこにいなくても、議論してみれば勝ち負けは自明になるものだ。負けているくせに相手を認められないのは我見が強いからである。我見は思考強化も人としての成長も阻む。

さて、ぼかし言葉でお茶を濁すような、名ばかりのコミュニケーションで日々を過ごすか、それとも直截的かつ明快な表現で議論できる関係を築くか……前者は無難だが、スリルとサスペンスを求める向きには後者のほうが圧倒的に愉快なはずである。

ことばのメンテナンス

平成7年から国語に関する世論調査を文化庁が毎年実施している。二十年分まとめて眺めてみてつくづく思う。日本人は日本語を意外に知らない……それでも、まずまず意思疎通し合えているではないか……語用や意味は長い歳月を経て変化すると思っているが、情報化社会ではメディアを通じて変化は加速する……。日本全体の母語認識を憂う前に、ことばの知識と使い方を定期的に自己診断する必要があるかもしれない。「整語」というメンテナンスだ。

平成18年に誤解・誤用が顕著だと指摘されたのが「流れに棹さす」だった。全年齢層にわたって多数が棹さすを「逆らう」や「止める」の意に解している(「時流に逆らう」「調子を止める」など)。実際に川の流れに棹さした経験があれば分かるが、棹はすっと流されていく。棹どころか身さえ流されていく。棹一本ごときで流れが止められるはずがない。したがって、「大勢のままに動かされていく」というのが正しい意味になる。意志が働かないさまにも使える。夏目漱石の『草枕』の冒頭、「智に働けばかどが立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ」の傍線部は、「情にほだされると自分の意志を失う」ということだ。

大勢が逆の意味に解釈しているのに、その慣用句を使っていいものか。使っても誤解されるのならその慣用句を避けるべきではないか。いっそのこと誤用を承知の上で使ってみるか。いやいや、誰かに誤用だと指摘されればそれこそ情けない。言うまでもないが、正しい意味と使い方を知っているなら、心得ている通りに使うべきである。ぽつんと「流れに棹さす」と言うだけでは不親切と思うのなら、直後に「つまり」や「たとえば」でつないで言い換えたり補足したりすればいい。


自分が無知側に振り分けられることも少なからずある。四十にして誤っていて、五十にしてやっと正しく知った慣用句や語句をまめにノートに記録してきた。様々な表現に出合って「へぇ、そんな意味だったのか……」と思ったらその場ですぐに辞書に当たる。中年以降の国語力アップにはそんなまめな経験量が欠かせない。たとえば、「灯台もと暗し」の意味を知ったのは平成2年に読んだ一冊の本に遡る。灯台を港の海際に建つ灯台だと思っていた。しかし、いわゆる西洋灯台が導入される前からこの表現は常用だったのである。この灯台は、ろうそくを立てる燭台などの「灯明台とうみょうだい」のことだ。部屋ゆえの明暗が象徴されているから風流である。

『徒然草』は十代から何度も読んでいるが、第十九段中のあることばの本来の意味に気づいたのは十数年前のことだ。

をりふしの移りかはるこそ、ものごとにあはれなれ。もののあはれは秋こそまされと人ごとに言ふめれど、それもさるものにて、今ひときは心を浮きたつものは、春のけしきにこそあめれ。鳥の声などもことのほかに春めきて、のどやかなる日影に、かきねの草もえいづるころより、やや春ふかくかすみわたりて、花もやうやうけしきだつほどこそあれ、をりしも雨風うちつづきて、心あわたたしく散り過ぎぬ。

日影と日陰

「のどやかなる」とあるから勝手に日影を「日陰」と読んでしまっている。兼好の時代の古い用法ではない。日影の意味は今も同じで、「日の光、陽光、日なた」である。「のどやかなる日影」とは「うららかな(明るい)陽射し」のことなのだ。対して日陰は「ものの陰になっていて日が射さない場所」である。同じく「ひかげ」と発音するが、漢字は使い分けられる。この写真の光景のように、日影と日陰は一つの空間にたいてい同時に現れる。

「始末」という表現は、実に始末に負えない。「立派な人間は始末に困る」という文に出合ったら、ふつうは辻褄が合わぬと思うだろう。『南洲先生遺訓』によく似たくだりがある。

命もいらず名もいらず官位も金もいらぬ人は仕末に困るものなり。この仕末に困る人ならでは艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。されども今様の人の凡俗の眼には見得られぬぞ。

傍線部の仕末は「始末」に同じである。「始末に困る」とは始末に負えないという意味ではない。「(金、地位、名誉などに見向きもせず)志を貫けること」である。つまり、始末に困る人とは立派な人間のことを指す。こんな上等な表現は使ったことがないので誤用経験もないが、まったく逆に解するところだった。ちなみに、始末に困る人の対義語は「始末のつく人」である。表現と意味を何度か反芻して理解できるようになった。しかし、生兵法は大怪我のもと、自ら使うのはやめておこう。うまく使えても意味が通じそうな気はしない。ところで、この始末については古本市で買った里見弴の『文章の話』という本で知った。恥ずかしながら、今年の夏のことである。

習作した頃 #9

  記憶の断片

 

想い出したくないが、つい想い出してしまう〈こと〉がある。とぼけようとする記憶を嘲笑いながら、それは現れる。

想い出そうとしてうるわしげに想い出せる〈こと〉は意外にも無機的である。その〈こと〉の自覚の内に生まれる感情の機微はマンネリズムだ。

想い出すことができず、また、想い出せない対象にもなりえぬ〈こと〉は未だ知りえぬ〈こと〉かもしれない。

想い出そうとして想い出せない〈こと〉があり、その〈こと〉はもどかしさを刺激しながら、わらう、逃げる、消える。

記憶の断片

疲弊の粒が身体のあちこちでひしめき合っていた。
いずれ擦り砕かれて乾いた粉になり、路地を通り抜けるのが精一杯の微風によって吹き飛ばされるに違いなかった。
それでも、アスファルトの割れ目にのめり込みそうな空虚な重量感が何となく愛おしかった。

別に走り通してきたわけではない。
よそ見をしたりふざけたりぼんやりしたりして遊歩してきたのだから、感傷的になる理由はなかった。
真夜中でもない限り、歩いた道は歩いて引き返せばいい。
それどころか、おさらいをしながら、時折り知ったかぶりの表情を露わにして帰り道を辿ることもできるだろう。

視界を遮る異物はどれもこれもが親しみのある顔をしていた。
怪しげなほど包容力が漲っていて、知らず知らずのうちに吸い寄せられていくようだった。
閉ざされた視界のなかで想像力が掻き立てられ、異物で遮断されている光景が紙風船のようにぎこちなく膨らんで競り上がってきた。
おそらく何百回もさまよい佇んだ街……記憶箱の扉が擦り切れるほどせっせと運び入れた無数の夕暮れ……あと一つくらい付け足してもどうということはない。

薄い闇色の空と国道の地表が混ざり合い、その中をおびただしい灯りが浮き沈みしながら重なり、また離れる。
わずかな隙間を縫ってヘッドライトの鋭角な光が疾走する。建物群が翳り始める。
せわしげに警笛が弾む。許された空間を奪い、貪るように車体が余白を埋めていく。
あらゆるものがもつれる、ほどける、そしてまた縺れる、解ける……神経を切り刻むような緻密な変化と律動に暗示をかけられて、足の動きは加速を得たらしかった。

不意を突いてメトロのポケットから雪崩れるように人の波がはみ出してきた。
水の中にインクを一滴たらしたように滲み広がっていく。
不思議であり神秘的でさえある。
この国道の下をメトロが走っている。
メトロは秩序の象徴そのものだ。
真面目くさった表情をして地下で機能しているのは驚嘆に値する。

地上では、舗道や信号機や様々の装置を駆使して必死に人間と車輛の動きを制御しようとしている。
躍起になればなるほど気紛きまぐれが背反行為をもたらす。
誰もがわずかな隙を狙って付け入る隙ありと目論んでいる。

地下では大小様々の付属の空間が、ある時は通路の役目を果たし、またある時には待合所に化けてみたりする。だが、朝夕の混沌をものの見事に捌いて機能不全に到らせない。
まるでけもの道が了解されているかのように、人が行き交う。
見事な調和を繰り広げながら、人が脈々と行き交う。
だが、つねに危殆きたいに瀕している存在であることを人は忘れてしまった。
砕けて断片になった記憶は想い出す力を失っている。

……
上から下から

おまえを支える絆の糸が
落ちてくるのを聞くがよい
(アポリネール「雨がふる」)

岡野勝志 作 〈1970年代の習作帖より〉

多義語と万能語

英語の動詞で多義語の最たる単語はおそらく“get”である。手元の辞書には他動詞、自動詞合わせて24もの意味がある。ちょっと待てよ。日本語で表現すると24通りの表現に置き換わるのに、英語圏の人たちは”get“という一通りの表現で押し通しているではないか。彼らは”get“が他の単語と結び付いて文脈の中で変化する意味を経験的に感知する。膨大な英文を読んだり聴いているうちに繊細な意味を読み分け聴き分けることができるようになった。何か別のことばにいちいち置き換えなくても分かる。これをニュアンスが分かると言う。

英語を外国語として学ぶぼくたちの場合も、大量の実例を「コーパス」として累積していけばネイティブ並みのニュアンス感知力が身に付く。理解という点ではこれで何の不自由もない。しかし、そのニュアンスを英語を知らない人たちと共有しようとすれば、日本語に置き換えなければならなくなる。ここに翻訳という仕事の苦労が生じるのだ。ネイティブが”get“からそのつどニュアンスを感じればいいところで、翻訳者はそのニュアンスの違いを日本語で表わさなければならない。ゆえに、24通りもの日本語表現が英和辞典に掲載されることになる。


party

ハロウィンのパーティーと(英語で)言う時の「パーティー」は一義ではない。ためしに英語の辞書で“party”を引いてみる。どんな辞書にもおおむね四つの意味が挙げられているはずだ。〈1.パーティー 2.政党 3.団体(一行、一団) 4.(誰々の)相手;(第三者的な)人たちや関係者〉。 ざっとこんなところである。たとえば、ハロウィンのパーティーの「パーティー」が、1.のお祝いをする会か2.の行列集団であるかは詳しく状況を知らないと判断できない。

英語の“party”は多義語なのである。おもしろいことに、日本語の食事会、懇親会、コンパ、飲み会、二次会などはすべて“party”でまかなえる。この意味で万能語でもある。どうしてももっと具体的に表現したいのなら、 party”というふうに「~」をトッピングすればいい。「~」の箇所にはcocktailteawelcomeなどを入れればよく、日本語の「~会」と同じような役割を果たしてくれる。ぼくたちはパーティーということばからハレの大規模なものを連想しがちだが、英語では、小はそれこそ三人の女子会でもいいし、大は2.の政党主催による何千人規模のホテルでの新年会でもいいのである。

ついでに、“party”の語源を遡ってみよう。予想通りラテン語に辿り着いた。現代イタリア語で「出発する」を意味する“partire”と同じ綴りの古語は元々「分ける」であった。ここからイタリア語の“partito”(政党)と“parte”(部分)が派生した。ラテン語の語幹である“pars/partis”はちゃんと英語の“party”において「分けたもの」「分かれたもの」という痕跡を残している。

ここでふと思い出す。沢口靖子が友人を自宅に招くパーティーシーンのコマーシャルである。おもてなしの食事はクラッカーのリッツ。そのリッツにいろいろな食材をトッピングする。お呼ばれして行ったら、すべてリッツ! たとえその上に贅沢なキャビアやフォアグラが乗せられていても、ぼくならがっかりする。あのコマーシャルを見るたび、少々呆れ、少々小馬鹿にしていた。

しかし、もうお分かりだろう。あれでいいのである。なぜなら、“party”とは本来「分ける」ことなのだ。分けるのだから、小ぢんまりと分けてもよく、分けるものがクラッカーでもローストビーフでもいいのだ。自宅での数人だけの女子会であってみれば、たとえリッツ攻めに遭わせても友人に文句を言われる筋合いはない。リッツを万能食材として扱っているように、多義語も万能語なのである。