コモンセンスを欠く女

「あの非常識な女が……」などと口走ったことはある。だが、「女」という字を「おんな」と読ませて文を書くのはたぶん今回が初めてだ。あくまでもぼくの先入観だが、「おんな」という音は女性から品性を引き剥がしてしまいそうだし、また、「おんな」が頻出する文章は書き手の品格をおとしめかねない。青年期に読んだ有島武郎の『或る女』という響きにも落ち着かなかった。魔性の女、ブスな女、恥知らずな女などと言うのはもちろんのこと、好ましい修飾語を付けて、たとえば「美しい女」や「才覚のある女」としても、下劣なニュアンスは否めない。しかし、今日は特別。コモンセンスを欠く或る女について書く。

或る女

一昨日の夕刻7時半頃鹿児島発の新幹線特急さくらに新山口駅で乗車した。見渡せばほぼ満席である。チケットに記載された4号車5A席(窓側)を確認してその席へ向かった。先客がいた。歳の頃四十半ばの、いかにも仕事ができるわよと顔面と態度が主張する女であった。女はぼくが座るはずの席に陣取り、手前に倒した背面テーブルの上にはパソコン、隣のB席にはビジネスバッグと書類、そのB席のテーブルも倒されてその上にはパック入りの焼き鳥と缶ビールが置かれていた。所狭しというほどのカオス状態である。女はスマホで声のボリュームも落とさずに話していた。

ぼくは通路に立って唖然としている。女はぼくに気づき、それでも電話を切るわけでもなく、小首を傾げた。小首を傾げたいのはこっちのほうだ。無言で女の席に人差し指を向けた。「そこはぼくの席だ」というサインである。女はスマホを手放さずに話しながら、隣のB席のバッグと書類を取り上げて膝に乗せ、「どうぞ」という目くばせをした。向けている人差し指をさらに女に近づけて「B席じゃない、A席だ!」とジェスチャーした。女は電話を切った。正しく言えば、途中で切ったのではなく、話が終わったから切ったのである。


「そこはぼくの席です」と声に出して言った。女は「まさか!?」というような表情でバッグの中からチケットを取り出して確認した。「あ、ごめんなさい」と言うが、席を空けようとする俊敏な動作が伴わない。仕事場兼宴会場と化した二つの席が元通りの秩序を取り戻すまで通路で待つ気はない。「あなたの席はどこ?」と聞けば、ぼくの立つ後ろの同じ5番の窓側D席だった。「じゃあ、そっちに座ります」と言い、振り向いてキャリーバッグを荷棚に乗せた。席を間違え、おまけに隣りの席まで散らかし放題のうえ車内で電話をしていれば、一喝してやるに値する。

語気を強めてコモンセンスを欠く女をいさめれば、こちらの良識と品格を疑われるだろう。よくあるではないか、優先座席の前に老人が立ち、見て見ぬ振りをする高校生らしき青年に「おい、席を譲ってやれ!」と怒鳴る光景。怒鳴る男の正論は怒号でかすみ、周囲の乗客の視線は冷ややかに男に注がれる。出張帰りの疲れに自ら棘を刺すこともなければ、大人げないと思われるのもバカらしいから丸く収まってやったのである。

上着を脱ぎ、背面テーブルを手前に倒して文庫本と手帳を置いた。ちょうどその時、女は遅まきながら「どうもすみませんでした」と言った。申し訳なさそうではないから、よほど一言吐いてやろうかと思ったが、気持ちをしずめ神経をなだめて、「いえいえ」と応答しておいた。その後も女は二回電話をしている。電話の後に焼き鳥をつまみ缶ビールを口に運ぶ。同時にスマホをいじる。キャリアウーマンを気取っているが、ぼくの経験上この手に仕事のできるのがいたためしがない。車内で化粧をするほうがよほどましだと思ったくらいだから、このカオスの場で平然としている女がどれほど常識を逸していたか想像がつくだろう。心の内でこの女に垂れた教えは「コモンセンスから出直せ!」であった。新大阪で下車する際に一瞥したら女がニワトリに見えた。ニワトリに悪いと思い、「このヤキトリ女が!」とすぐに訂正した。

この柿の木が庵らしくするあるじとして

小郡に来ている。今年で四年か五年連続になる。ホテルと研修会場をタクシーで往復という味気なさ。今年は何が何でも種田山頭火の其中庵ごちゅうあんを訪れてみようと思っていた。滞在ホテルからだと徒歩で半時間近くかかるからタクシーはどうかとフロントで言われた。しかし、車だと情趣は半減すると思い、坂道を歩くことにした。ぎょうとはほど遠いぶらぶら歩きだったが……。

己の存在を自立させんと漂泊放浪した。歩くことは、山頭火にとって「ぎょうずる」ことだったからだ。
     ほととぎすあすはあの山こえて行かう
山頭火の内なる荒涼たる哀歓は、側側として人間の人間への問いに美しいことばをもって答えてくれる。(上田郡史『山頭火の秀句』)

自由句の俳人、僧侶、袈裟姿、放浪、酒等々で象徴される山頭火を知らなくても、福山雅治がコマーシャルでこの句をつぶやいていたのを覚えている人はいるだろう。続編は「雪へ轍の一すぢのあと」と「雪がふるふる雪見てをれば」だった。

其中庵

山頭火が其中庵に定住し始めたのは昭和七年九月。それまでは壮絶な放浪と作句の日々だった。逆説的だが、安住しないことが自立することであると心得てのことだった。ところが、この地にすみかを得て六年間、不便もなく不安もない生活を送ることになる。それまでの生き方に背くこと、精神が濁ることは承知の上、ただもう安らぎたいという一心ゆえの決断だったのである。


先の書物の中に山頭火自身が綴った文が紹介されている。

かうしてゐると、ともすれば漫然として人生を考へる、そしてそれが自分の過去にふりかへつてくると、すべてが過ぎてしまつた、みんな死んでしまつた。何もかも空の空だ。といつたやうな断見に堕在する、そしてまた、血縁のものや、友人や、いろいろの物事の離合成敗などを考へて、ついほろりとする。今更、どんなに考へたつて何物にもならないのに――それが山頭火といふ痴人の癖だ。

いやはや、わが身を振り返れば耳が痛いなどという程度では済まない。人生をろくに考えずに、過ぎし日々を指をくわえてぼんやりと回顧してほろりとするのは誰もが備えている性癖ではないか。悔悛の念に駆られるときはつねに手遅れである。

其中庵近くの邸宅の庭に柿がたわわに実っているのを見て、ふと柿の木の句を思い出した。

あの柿の木が庵らしくする実のたわわ   (壱)
この柿の木が庵らしくするあるじとして  (弐)

最初壱の句が作られ、その後弐の句に書き換えられた。この変化のうちに心境の一端が読み取れそうな気がする。壱の句ではまだ山頭火はあるじだったのだろう。しかし、脇役のはずの柿の木が弐の句で主役になる。あるじの座は柿の木に取って代わられた。「あの柿の木」が「この柿の木」に変わっているのも見逃せない。軽妙で滑稽味さえ感じさせるが、放浪時代から一変した庵での営みは、本人にとっては怠慢に過ぎる日々だったのか。自由句に示された自覚は諦観的につぶやかれているかのようである。

魂と脳に響くことば

ある程度時代に同期しないと困る仕事だから、新しい話題にも一応の目配りをしている。自力で目配りできないことも多々あり、時事や流行に強い若い人たちの話に耳を傾けて不足を補う。しかし、二十歳過ぎの人と六十年以上生きてきたぼくとでは、リアルタイムの最前線情報の比重は同じではなく、したがって受け止め方が違う。受け止め方の比重には年齢に応じて20分の160分の1程度の開きがある。分子と分母を上下に分かつ括線の下では歳相応の経験と知識が集積している。中身の質を度外視すれば、分母の量は最前線情報の分子の比ではない。

最近よく70年代~80年代のノートやカードを振り返る。ナルシズムに浸るためではなく、その時々の時代をどう生きてきたかを振り返るためである。記憶だけでなく記録に痕跡を求めようというわけだ。当時書いたものを読んで気づくのは、文の論理以前に直観や感覚によって対象に心が動く様子を表現しようとしていることである。現在の文章に比べると、二十代、三十代の時のほうがよく対象を見て心的作用を描写できているような気がする。

今は筋を追いかけて、前文と当該文と次の文をつなぐよう――そこに展開する考えが一貫するよう――書くことを意識する。線で概念を綴ろうとしている。その代償として、個々の点としての対象の摑み、その対象について生起する感覚がおろそかになる。描写や比喩から「執念」が消えている。感じる瞬間の昂ぶりを極力押さえているから、理性がまさって概念に傾く。とは言え、大局的に物事を眺望できているとしても熟成味が増したことにはならないだろう。要するに、叙述することに不熱心になり、他者を意識した理屈っぽい説法が多くなったにすぎない。普遍を求めて情趣を失しているとすれば、まだまだ拙い証拠である。


新書の帯のことば

書店で手に取った新書の帯のキャッチフレーズに「魂がふるえる言葉がここにある。」とあった。これはぼくへの示唆か。なるほど、二十代、三十代はそんなことばによく出合い、テンションが上がったものである。今は脳にも響くことばでなければ残らない。もっとも、経験を積むにしたがって感じることから分かることへ変移するのは当然だ。経験が少ないからこそ断片的なことばに感じ入る。しかし、経験が上乗せされるにつれ、ことばそのものについて考え、ことばで考えようとしなければならない。魂がふるえるだけでは物足りないのだ。脳にも響かなければ感覚も理性も次なる上の閾値に向かわない。

ずいぶん前に抜き書きして、時々読み返す文章がある。金田一京助の『片言をいうまで』である。樺太アイヌ語を採集していく実際の場面が鮮やかに描かれている。単語を覚えてアイヌの住人に披歴したある日のこと……。

私と全舞台との間をさえぎっていた幕がいっぺんに切って落とされたのである。さしも越え難かった禁園の垣根が、はたと私の前に開けたのである。ことばこそ堅くとざした、心の城府へ通う唯一の小道であった。きょ成って水到る。ここに至って、私は何物をもためらわず、すべてを捨てて、まっしぐらにこの小道を進んだのは、ほとんど狂熱的だった。(傍線岡野)

傍線部の表現は魂を揺さぶるに余りあり、そして文脈を視界に入れて再読すれば脳にも響く。ともすれば面倒くさそうにコミュニケーションで済まそうとする姿勢への戒めになってくれる。

もう一例を挙げる。「人間は考える葦である」は『パンセ』の中でパスカルが紡いだ有名なことばだ。この格言だけをぽつんと切り離し、さも魂を揺さぶられたかのように満足している人がいる。そして、文脈を読み取ることなく、この格言だけを斟酌して何となく「人間は弱い存在」だと感じている。そんなことを言うために、パスカルは人間を葦にたとえたのではない。この名文句が登場するくだりをそのまま読んで脳に響かせてみればいい。

人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱い存在である。だが、それは考える葦である。人を押し潰すために宇宙全体は武装するには及ばない。蒸気でも一滴の水でも人を抹殺するのに十分である。だが、たとえ宇宙が人を押し潰しても、人は人を抹殺する存在よりも尊い。なぜなら、人は自分が死ぬことを知っており、宇宙が自分よりも優位であることを知っているからである。宇宙は何も知らない。
だから、われわれの尊厳のすべては、考えることにある。われわれは、われわれが満たすことのできない空間や時間からではなく、考えるということから立ち上がらなければならないのである。よく考えることに努めよう。ここに道徳の原理がある。
(傍線岡野)

魂が揺さぶられても一過性で終わりかねないことは誰もが経験している。これぞということばは、記憶し思い出してこそおこないの糧になる。もう一度繰り返す。ことばそのものについて考え、ことばで考えようとしなければならないのである。

ネット時代のレファレンス感覚

喉元過ぎれば熱さを忘れる。喉元を過ぎるのは苦しみだけではない。歓び、感謝、恩義も過ぎていく。喉元とは体験のその瞬間の比喩である。熱さとはその瞬間の印象であり感覚である。喉元通過中は熱さをしっかりと感じるが、時間が経つと生々しい体験は思い出と化し、時には風化してしまう。それでも、自らの生に強く刻印されるような体験なら、思い出の中でも臨場感を伴ってよみがえる。つまり、時間の遠近を超越して言及できたり想起できたりする。体内時計に倣って、これを人それぞれの〈脳内レファレンス感覚〉と名付けたい。レファレンスとはものを考える際に知識を参照・照合することである。

関係のネットワーク

体内のレファレンス感覚がぶれなければ、ぼくたちは個性的な知のネットワークを構成できる。はるか昔に喉元を過ぎた情報であっても余熱を感知できる。その一方で、喉元通過中で世間が熱い熱いと叫んでいても、まったく自分にとってホットでない情報なら捨ててしまえばよい。プロタゴラスは「人間は万物の尺度である」と言った。ここで言う人間は人間一般ではなく、個人である。ある事件が、他人の尺度ではもはや冷めてしまっていても、自分の尺度では熱い状態のままであっても何ら不思議ではない。

他人が人間ならまだいい。しかし、現在では他人の役割をネットが担い、あたかも社会の標準尺度のように威張り顔をする。ネット上で日々発信される膨大な情報は、古きを捨てて新しきを拾うというスピーディーな更新が特徴だ。当然ながら、早々に水に流してはならないものが流される。蔵入りさせてはならないものが開かずの記憶庫に格納される。レファレンス感覚がネットに支配されてしまったらどうなるか。外界からの新陳代謝激しい情報に晒され続けて、知のネットワークの基本構成が揺らいでしまうのである。


ネットを情報源の中心に据えてしまうと、次から次へと押し寄せてくる目先の情報に軸足が移ってしまう。目先の情報には、本来公共社会的に共有する意味もさほどなく、また長きにわたって考察するに値しない「揮発性の情報」が多く含まれる。否応なしに衝動受信してしまうゴシップや事件の大半は、冷静に考えれば、取るに足らないものばかりだ。こういう類いの話題が高頻度レファレンスの中心になりかねない。重要だが遠い過去の出来事は薄くなり、記憶から消えていく。時間系列に忠実なネットに誘導されるレファレンス感覚は、お仕着せの関心事にしか興味を示さない思考パターンを招く。

直近情報ばかりが優先される借り物のデータベースとの付き合いをほどほどにして、自らの脳内に体験的な知のネットワークを築かねばならない。時間の遠近ではなく、記憶の濃淡をつけて重要な出来事をいつでも想起できるように配置しておくのである。あたかも昨日起こったかのように、いや、今もなお進行しているかのように、優先順位をつけるべき事象があるのだ。オウム事件、同時多発テロ、二度の大震災、数々の偽装事件……。今年1月のシャルド・エブリ襲撃テロ事件などは喉元過ぎれば熱さ忘れるの典型になっている。あの事件の生々しさは、当事者以外のどれほどの人の記憶に残っているのか。

急上昇ニュースばかり追いかけてはいけないのだろう。時事について数行で片付けるツイッターだけではいけないのだろう。将来展望もない今だけのコメントをシェアして左から右へ流すだけではいけないのだろう。誰もが同じレファレンス感覚に染まるのはおぞましい現象である。第一、十人一色ではつまらないではないか。シンクロしなければならない情報とそうでない情報を自分の尺度で精査したい。そして、「現在」のみならず、「現代」の生き証人として体験的に温故知新を心掛けるべきだろう。それが情報化社会に生きる一つのコモンセンスにほかならない。

読書と書評

読書を一般論として語ることはできない。第一にジャンルに応じた読み方があり、第二に目的に応じた読み方があるからだ。いろいろな読み方があるが、ここではぼくが語りうる読み方しか語りえない。第一のジャンル。気に入りそうなものは普段ジャンルを問わずに何でも読むが、文学とハウツーものは読書論から除外する。文学は好きに任せて、ハウツーはそれぞれの事情で読めばいいからである。第二の目的。目的が至近で一つに絞れるような読み方をしないので、仕事に役立つ読み方とか調べもののための読み方を語る資格はない。と言うわけで、生きていく上での教養を長い目で培ってくれるジャンルの本を、考えるヒントや体験の肉付けになるように愉しみながら読むにはどうすればいいかがぼくの関心事になっている。

本を読むとは、著者が書いたことを読者の脳内に移植することではない。そんな意味のないことをするくらいなら、読んだ本をいつも手元に置いて時折りページ繰ればいい。『広辞苑』を丸暗記してもことば上手にならないように、本の内容を覚えても生きた教養にはならない。読書とは、読者固有の「経験・知識」と「書物」との照合作用である。何を読むか以上にたいせつなのは、誰が読むかなのである。つまり、その本を読むのは他の誰かではなく、自分自身なのだから、世間一般のその本の読み方に倣うことはない。いかにやさしい本であっても、あなたが読むのとぼくが読むのとでは理解や読み込み箇所が違うのだ。経験と知識の質が違うからである。

読書感想文を書いたことがあるはずだ。課題図書を指定されて読み、読後に思うところを書いて先生に提出する。課題もなく先生もいないが、自ら本を選んで読み感想を書くのを習わしとする読書家もいる。ぼくも若い頃にはよく読書ノートに記録したものだ。読書感想文の利点を一つ挙げれば、二度読みせざるをえないことである。一度読むだけではそう易々と感想を文にできるものではない。傍線や付箋、ページの折り目を追い掛けながら再読し、ここぞというくだりを抜き書きして自分の考えをしたためる。二度読んで書くから、覚えようとしなくても、自分の経験や知識の中に必然取り込まれていく。もっといい方法は、誰かに読んでもらうことを想定して「書評」してしまうことである。


書評を眼目とした読書会を数年前から主宰し、およそ20回開いてきた。書評だから評さないといけない。要約しても必ずしも書評にはならない。本のさわりや著者の本気のメッセージに着目して引用し、そのくだりに呼応して書評者が経験を踏まえた――あるいは想像を逞しくした――知見を呈示する。著者が誰で、その著者の何かについての本を誰が読んだのかが重要なのである。著者と読者がやりとりする過程に書評の妙味がある。普段の自分が気づかぬこと――気づいていても一面的であること――に、著者がヒントを授けてくれているという感覚で読む。著者の書いていることを自分の経験と対比させてみる。すると、共感もするけれど、そうではなくて自分はこう思うという批評も生まれる。だから賛否を明快にして評すればいい。かく解釈せねばならないという強迫観念に縛られることはない。その本を選んだ時点で何がしかの関心があって敬意を表しているのだから、自分流に書評すればいいのである。

書評

月に数冊から十数冊の本に目を通すが、抜き書きしておく本はわずか二割程度である。書評に到っては対象となる本は年に四、五冊に満たない。直近では、池波正太郎『男の作法』を3,500字で、小林秀雄『真贋』を1,400字で書いた。プロの書評家は本を推薦するために書評を書く。新聞や雑誌の書評は本の概要や要所を知る上で役立つが、同時にそれは一つの評論でもあるから、評者の考えを知ることにもなる。ほとんどの場合、その書評を読んでいる人はまだ本を読んでいない。読みもしていない本の書評が分かるかどうか微妙だが、そこを分からせるのが腕の見せ所なのだろう。アマチュアはそこまで考えなくてもいい。

書評が一つの評論であるならば、書評を読むだけで肝心の本を読まなくてもいい場合があると思う。実際、数千円もするような本に飛びついたのはいいが、読まずに放置する惨めに苛まれる。それなら、その本の書評に目を通して、いくらか読んだことにしておくのも悪くないだろう。そういう本の存在を知るだけでも値打ちがある。本についての評者の視点と知見とあいまみえて垣間見るだけでも十分に読みごたえがある書評があり、大いに学び鼓舞されることもあるのだ。まとめるだけでは不十分である。評者は自らの体験キャンバス上でその本を料理して自分を語ってほしい。

本を読めても本は誰でも書けるわけではない。しかし、誰かが書いた書評は読めるし、その気になれば自分でも気軽に書評を書けるのである。『随想録』でフランシス・ベーコンは次のように語っている。

反論し論破するために読むな。信じて丸呑みするためにも読むな。話題や論題を見つけるためにも読むな。しかし、熟考し熟慮するために読むがいい。

これは本の読み方について書かれているが、書評の読み方にもそのまま当てはまる。自分の体験と知識に照らし合わせて考えるきっかけにするのがよい読書である。そのコツを摑みたいなら、他人の書評を読み自らも書評をしたためて仲間内で発表するのがいい。

習作した頃 #8

 四行連詩 《内と外》

きみがきみの存在を知ったのはいつだったか
きみの存在がきみを知るずっと後のことだった
貝の身が殻の存在を心得ているからといって
包んでいる中身を殻が知っているとはかぎらない

怠惰はおそらくきみを知り尽くしていた
きみという安住の殻にさえ守られていれば
分裂と合成を繰り返して生き延びられるということを
きみが怠惰の存在に気づく前に怠惰は知っていた

夢はきみによって求められていることを知っている
夢はそのうえで逃げ回りあるいは現れる
未熟なきみはつい最近になって初めて知った
夢が蠢きながらきみの内にあるということを

林檎の実はそれを包んでいる皮のことを知っている
熟し始めると実が鮮やかに色づくことも知っている
けれども林檎の皮が甘い実の味を知っているとはかぎらない
皮であることを知らない皮に実の正体がわかるはずもない

きみたちはきみたちの回りに世界があることを知っている
渺茫びょうぼうたる世界の移ろいの内にきみたちはいる
けれども世界がきみたちを必要としている確証はない
それどころか世界はきみたちの存在にさえ気づいていない

内と外


《1970年代の習作ノートから》

感応と響き(一冊の本を巡って)- 3 –

201110月にフェースブックで知り合い、翌年3月に一度会い、その後一年近くメールでやりとりをしていたNさん。去る8月に五十歳の若さで亡くなった。弔いの意味も込めて、そのやりとりの一部を三回にわたって再現している。感応と響きによって人は好奇心を逞しくし知を悦びとするというテーマである。

マルティン・ルター 岩波新書

ウィトゲンシュタインの『論理哲学論考』を巡る彼の疑問とぼくのフィードバックが止んだ直後に、「次に読むべき本を何か推薦してほしい」と言ってきた。ちょうど当時発行された『マルティン・ルター』(岩波新書)を読んだところだったので、「読書には好みというものがあるけれど……」と断って勧めることにした。そして、こう付け加えた。「今年に入って200冊くらい本を買っていますが、古典も含めていい本はいくらでもあるものです。Nさん、読みたい本は歳をとるにつれて加速的に増えるから大変です。うかうか死ぬわけにはいきませんよ。お互いに。」 

一週間後、「先生、マルティンを三冊注文しました。ありがとうございます。ことばに生きた革命者ですね」というメールがあった。なぜ三冊なのかはわからない。推薦した本を三部買ったのか、あるいはマルティン・ルター関係のものを三冊まとめ買いしたのか聞きそびれた。それからまたすぐにメールが来た。「先生、お疲れ様です。ルターは素晴らしい人です。もっと読んで咀嚼したい。自分は薬のせいもあるのですが、理解するのに何度も読まなくてはなりません。自分の能力がもどかしい。ですが、ルターなる人物を自分のものとしたいので頑張ります。すごい人物に出会わさせていただき感謝しております。」 ルターとは面識はないし、別に引き合わせたつもりはないのだが……。


レオナルド・ダ・ヴィンチ、モーツァルト、ガウディは「すごい」と思っている。けれども、ルターに「すごい」という表現は使わない。実際、この本も小躍りするように読んだわけではない。いや、この本だけに限らず、ぼくの読書姿勢は憎たらしく映るだろうが、根が冷静なのだ。それに比べて、Nさんは、『論考』がそうであったように、本を読むことに熱いのである。熱く読めば冷静に読むのとは違う何かが見えるに違いない。彼がこの本を必ず再読するという確信があったので、別の読み方の参考になればと思い、問われもしていないのにお節介な薀蓄をすることにした。

Nさん、あなたにお会いしてから4か月が過ぎました。この短い期間に急速に知の世界に染まっていく姿が垣間見えます。さて、マルティン・ルター。当時のヨーロッパの歴史の文脈を心得ておくと、また別の読み方ができると思います。
ルターという人物を浮き彫りにする上で知っておくほうがいいことがあります。アメリカ大陸が発見された1492年、彼は9歳でした。また、同時期にグーテンベルグの活版印刷が発明されたことに運命を感じます。活版印刷によって、それまで希少だった聖書が民衆に普及するようになりました。聖書のことを知りたければ教会に行って神父の話を聞くしかなかったのですが、ここから先、大衆は、聖書を教会で司教から聞くか自分で聖書を読むかという選択ができるようになりました。カトリック教会でなくてもいい、キリストの教えの源泉は聖書にあるとルターは考えました。それがプロテスタントの始まり。ご存知の宗教改革です。プロテストとは反抗という意味です。
極端に言えば、教会に行かなくても個人として聖書を学べばいいということになった。これは、「顧客」が減ることになるからカトリック教会にとってまずいことです。だから、この後、カトリックは信者の奪還を図ろうとしました。反宗教改革です。信者を取り戻すためには、ゴージャスで魅力的な教会がいる。それが絢爛豪華なバロック様式。この様式が教会建築に取り入れられるようになりました。一人で聖書を読むよりも、大勢でかっこいい教会に出向くほうが楽しいですからね。
カトリックプロテスタントのせめぎ合いは、ぼくのような非キリスト教信者には理解しがたいものがありますが、近世~近代ヨーロッパ史を読み解く上で欠かすことができません。

このメールの末尾に、読んでおもしろそうな本をいくつか紹介しておいた。Nさんから返信があった。

 ありがとうございます。本当に印刷の発明におけるルター、讃美歌におけるルターなど、まことに深く、坂本龍馬にも共通しているとこがありますね。何事にも深く、広く、自らの利得を考えぬ正義が素晴らしいと思います。新しい本のご紹介もありがとうございます。必ず読みます。先生と早く再会できる日が楽しみです。

ルターから坂本龍馬に飛ぶ発想はぼくにはない。さて、その後頻度はめっきり低くなったものの、思い出したようにいくばくかのやりとりはあった。しかし、再会する機会はついになかった。最後のメールは20137月。ぼくがいついつだったら時間が取れると連絡したら、「ありがとうございます。了解しました。ただ、自分は今月末からしばらく海外なのでよろしくお願いします」と返事があり、これが最後のメールになった。

三回にわたって400字詰め原稿用紙に換算して二十数枚書いてきた。ある男性からの問いにぼくが答えるというメールの形式を再現したのだが、薀蓄も含めてやりとりのほとんどがぼくの文章である。知識をひけらかす新しい手法などではない。それどころか、素朴な問いのおかげで、通り過ぎていたはずの本のくだりに立ち戻って再考する機会を得た。ぼくはつくづく思うのである。若い人が年上に、知的下位者が知的上位者に遠慮しすぎてはいないか、と。知的刺激を受けるに際して、恥ずかしいだの照れくさいだのという心理や、その他もろもろの屈折したコンプレックスなどかなぐり捨てればいいのである。問われて馬鹿にする上位者もいるだろう。そんな輩は捨てておけばいい。

分からないこと知りたいことを、自分より少しでも分かり知っていそうな人間に素直に聞けばいい。「満額回答」が返されるはずもない。しかし、何らかのヒントや刺激になるだろう。打てば響く人に――意見の相違とは無関係に――ぼくは共感する。そして、問われることによってぼく自身も背伸びをし、新しい知の地平を広げることができる。二人の間に知的格差があるとき、知の刺激は上位から下位へと流れるだけではない。下位から上位へと逆流もするのである。遅疑逡巡などせずに、手始めに問うことだ。ウィトゲンシュタインから始まった話をウィトゲンシュタインで締めくくろう。

「およそ問いが立てられるのであれば、この問いには答えることができる。」 

《終》

感応と響き(一冊の本を巡って)- 2 –

五十歳で他界したNさんとやりとりした膨大なメールがある。やりとりとは言うものの、文章のほとんどはぼくが書いている。彼の素朴だが勢いのある問いに乗せられて、ぼくが脳内探索をして書き連ねた記録だ。ある日、しばらく間が空いたので、ぼくからご機嫌伺いのメールを送った。「おはようございます。案じています。『Nさんはしんどいときほど雄叫びを上げる』とKさんが言っていました。それを言わなくなったのは元気になったせいか、それとも、それすら言えなくなったのか、心配しています。尋常な病気じゃないのですからね。」 案の定、ぼくの予感は当たっていた。彼は以前一か八かに近い手術をしていたのである。

Nさんからメールが来た。「ありがとうございます。実は、この三、四日間、字も打てないほどボロボロに。薬のせいで惚けていました。ほんまのアホになるのではないかと……。今は大丈夫かな、という感じです。」

論理哲学論考

ほどなくして、またしても『論理哲学論考』のあるくだりについて質問があった。

「先生、質問です。論考の五・一三四の問題は、結局五・一三六一が答えになるんでしょうか?」 こういう問いはとても困るのである。実は、「私はこれについてこんなふうに考えるけれど、どうでしょうか?」のほうが答えやすく、「ABなのか?」という命題形式の問いは「投げられた感」が強く、打ち返すのにエネルギーを要するのだ。

「えらく難しいところに目が止まったものですねぇ……」というつぶやきから始めて次のように私見を書いた。

五・一三四  ある要素命題から他の要素命題が導出されることはない。
野矢茂樹の『論理哲学論考を読む』によれば、野矢はこの箇所を四・二一一と併せて捉えるべきだと言います。ぼくは、その前段の四・二一も引きたいと思います。
四・二一   もっとも単純な命題、すなわち要素命題は、一つの事態の成立を主張する。
四・二一一  要素命題の特徴は、いかなる要素命題もそれと両立不可能ではないことにある。

要素命題はシンプルに一つの事態だけを示します。そして、その一つの命題と一つの事態は密接に関わることを特徴とします。もし、要素命題Aと要素命題Bの間に何の接点もなかったら、AからBも、BからAも導けませんね。五・一三四を強引に解釈すると、そういうことを意味しています。たとえば、「大阪市は大阪府に含まれる」という命題からは、いくら頑張って推論しても「京都市は京都府に含まれる」は導けません。要するに、命題Aと命題Bが一部でも重なっていることが条件なのです。互いに無関係なABの間に因果連鎖などありえないのです。ここから五・一三六一が導かれるわけです。五・一三四と並べてみます。
五・一三四   ある要素命題から他の要素命題が導出されることはない。
五・一三六一  現在のできごとから未来のできごとへと推論することは不可能なのである。
以上から明らかですね。重なりのないABにおいては、AからBBからAも導くことはできない。ゆえに、現在のできごとと未来のできごとは重ならないのですから、推論不可能というわけです。現在のできごとはわかっているけれど、未来のできごとはわからないからです。もしそこに連鎖があるのなら、未来は事前にわかることになります。事前にわかる未来とは確実に起こる未来ですから、すでに未来なんかではないでしょう。

最後に一例を挙げておきます。
「卵は割れやすい。硬い床に落とすと割れるだろう」などという推論は、「割れることがわかっている」から言えるのです。論理学というのは「わかっていること、わかりきったことだけを論理図式に当てはめる学問」です。ほとんどの現実において、ぼくたちが見ている現実からありとあらゆる方向に推論しても、未来を言い当てることはできません。できたとすればマグレです。だから、ノストラダムスも他の預言者も数多く預言したのです。下手な鉄砲も数撃てば当たります。ウィトゲンシュタインは論理哲学と現実社会をつなごうとしたのでしょう。だから、既成の論理学に対してアンチテーゼを唱えることになったのだと思います。


上記のぼくのメールに早速Nさんから返信があった。「体調の悪い時にありがとうございます。こんな簡単なことやったんですね。先生は天才ですね。お大事になさってください。ありがとうございました。」 言うまでもなく、ぼくは天才ではない。なけなしの知識と推論努力で、彼の問いに対して断章を関連付けて、ひとまず自分自身を納得させるように考察したにすぎない。それを彼に伝えただけである。

その日の夜遅く、またメールが入った。「先生、夜分すいません。五・四五三は当たり前のようではありますが、はたしてそうなんでしょうか? 論理には特別扱いされる数など存在しないと言っていますが、はたして今の数学ではほんとうにそうなのでしょうか? フレーゲやラッセル、ホワイトヘッドも読みたくなってきました。おもしろい世界ですね。おやすみなさいませ。」 とにかく疲れていたので、「また時間があるときに返事します」とだけ書いて送り返した。

日を改めて返事したのが次の文章である。

五・四五三   論理に数が現れるとき、それは必ずしかるべき理由を示されねばならない。あるいはむしろこう言うべきだろう。論理には数など存在しないということをはっきりさせねばならない。〔論理には〕特別扱いされる数など存在しない。
この断章は、たぶん次の六・一三、六・二一で説明がつくのだと思います。

六・一三  論理学は学説ではなく、世界の鏡像である。論理は超越論的である。
六・二一  数学の命題はなんらかの思考を表現するものではない。

自信はないけれど、ぼくの解釈は次の通りです。
論理学は世界そのものであり普遍である、世界を超越しながらも、なおかつ世界について超越論的に語ることができる、それに対して数字は特殊である、しかし、論理学は特殊な数字を扱わない、ということでしょう。実際、論理的な証明では数字を使いません。数字を使った瞬間、特殊な計算がおこなわれたことになります。数学命題は等式ですから、型と個々の数字があるだけで、特に思考表現をしているわけではない。しかし、論理命題は世界の何かに関して一つの考えを示しているのです。論理学と数学の関係は、〈論理学⊃数学〉という関係なのでしょうね。「でしょうね」と言うのは確信が持てないからです。また考えておきます。

以上のメールを送ると、「ありがとうございます!! 郷に入れば何とかで、今回の本はおもしろすぎ、収穫もどえらいものになりました」という返信があった。まるで一仕事をしたかのように大きく息を吐いたのを覚えている。疲れたのである。複数の翻訳本で『論理哲学論考』をおそらく数回以上読んできたが、連なった断章を筋を通して追いかけたことはあったものの、こんなふうに飛び飛びの断章を関連付けて考えたことはなかった。Nさんはよく読んでいたと言うしかない。これにて一件落着と思いきや、紹介した別の本に彼が食いついてきた。そして、新たな問答が始まることになる……。

《続く》

感応と響き(一冊の本を巡って)- 1 –

三回に分けて書こうと思うが、分割しても今日の文章は長くなりそうだ。一読して、少しでも気に入っていただけたなら、近いうちに書くつもりの続編にも目を通していただければ幸いである。

さて、ものを考えて人に話を聴いていただくのがぼくの仕事の一つである。考え話す素材のほとんどは、自分の経験をまさぐってあぶり出すか、読書や他者との交流を通じて新たに見つける。この他者との交流の中で軽視できないのが学び手からの学びである。ぼくから学んでくれる人々からぼくもまた多くのことを学ぶ。自分一人では考えようともしないことを学び手からの刺激によって考え気づくようになる。打てば響く学び手からの問いに答えようとして考えるし、打てども響かない学び手からも「なぜ彼らが機を見て敏ならぬのか」を考え、それもぼくの勉強になっている。

四年前にフェースブックでNさんという46歳の男性と知り合った。半年後の20123月、彼は友人のKさんとぼくのオフィスに遊びに来た。食事をし、場所をバーに移し、夜遅くまで談論風発が続いた。ぼく以上の饒舌家はあまりいないから、例によってほとんどぼくが話していた。合間にNさんは不器用な――時には粗野な――表現で、好奇心旺盛な子どものように目を輝かせて問いを投げ掛けてきた。ぼくのことばにペンを構え、そしてすばやくメモを取り続けた。問いと学びの姿勢に久々にオーラを感じさせる人物だった。タクシーに乗る彼らを見送った。NさんとKさんは京都へ帰らねばならないのに、大阪駅でプラットホームを間違えて三宮方面に行ってしまった。話し込んでそうなったのか、居眠りをしていたからなのかは知らない。翌朝、Nさんにメールを送り、返信も受け取った。

おはようございます。なかなかの夜でした。あなたの打てば響く機敏な反応ぶりと霊性(精神的純度)の強さが伝わってきました。ほぼ想像通りの粗っぽい性格の人物でしたが、未完成の「知軸」もお持ちでした。ぼくの口癖の 「知は力なり、知は愉快なり」が証明できた夜でした。人は感情的になって頭に熱が上ると措置を誤る。己の乱れを宥めるのはつねに知の力だろうと思います。整体があるなら、「整知」があって当然。まあ、このあたりに自分より若い人にしてあげられるぼくの役割があると思うわけです。 ごきげんよう、また会いましょう。

先生、 ありがとうございます。最高に学び、喜びを得た日でした。なんか、身に覚えのない世界にタイムスリップした感じです。ふだんメモを取らない自分があんな風に自然とメモをとり必死で貪る姿が不思議でもありますが、新しい自分の芽生えを感じております。これからも貪欲に学ばさせて貰います。会社からお借りしました本はやはりおもしろいです。

最後の一行。別に返却してもらうつもりのない本だったが、貸し出したスタッフが一応本棚に貸し出しメモを貼り付けていた。偶然だが、そのメモが一昨日目に入り、ふと「そう言えば、ぼくのブログの熱心な読者なのに、最近フェースブック上で見てくれている気配がないなあ」と気になり、彼のウォールを覗いてみたのである。そこに複数の方々からのご冥福のことばや弔辞を見つけた。Nさん、享年五十。去る8月末に亡くなっていた。昨日そのことを知った。あのタクシーに乗るのを見送ったのが最後になった。

彼からは読書や勉強について実にたくさんの質問をもらい、ぼくも響く人への面倒見がまずまずいいほうなので、分かる範囲で答えるように努めた。数か月ほどの間におそらく50往復以上のやりとりがあった。ぼくがブログで哲学者ウィトゲンシュタインとその著『論理哲学論考』のことを書いて以来、それを読んだ彼は一変したかのように考えることのおもしろさにのめり込んで行ったように思う。ウィトゲンシュタインと言えば、知的ダンディズムをくすぐる名言を数多く残している。「私の言語の限界が私の世界の限界を意味する」「思考しえぬことをわれわれは思考することはできない。それゆえ、思考しえぬことをわれわれは語ることもできない」「世界と生はひとつである」「論理学の命題はトートロジーである」……。

ウィトゲンシュタイン 論理哲学論考

哲学などとは無縁だったはずのNさんが早速『論理哲学論考』を読み、ある日唐突に「先生、三・〇三二一がよく分からないんです」というメールを送ってきた。ちなみに、この本は断章的に書かれた哲学書で、アブストラクト構造を持つすべての断章に番号が振られている。三・〇三二一とは「なるほど物理法則に反した事態を空間的に描写することはできよう。しかし、幾何法則に反した事態を空間的に描写することはできない」という断章だ。彼の「よく分からない」に対して、やや独善的で極論かもしれぬと承知の上で下記のようにヒントを授けたのである。


三・〇三二一から来ましたか……驚きました。本書の翻訳者の野矢茂樹も、『ウィトゲンシュタイン入門』を書いた永井均も、『ウィトゲンシュタインはこう考えた』の鬼界彰夫も、あなたが着眼した項目には触れていないようです。ぼくも分かったような気がして読み飛ばしていたかもしれない。『論考』はいろんな翻訳で何度も読んではいますが……。結論を急ぐ前に、この断章の前段を考察してみたいと思います。

三・〇一  真なる思考の総体が世界の像である」。これは、ぼくたちの考えていることのすべてが世界の見え方そのものということですね。たぶん。
「三・〇二  思考は、思考される状況が可能であることを含んでいる。思考しうることはまた可能なことでもある」。思考できることをぼくたちは思考と呼んでいる、だから思考と思考可能はイコールだ、と言っているようです。
「三・〇三  非論理的なものなど、考えることはできない。なぜなら、それができると言うのであれば、そのときわれわれは非論理的に思考しなければならなくなるからである」。思考は論理そのものなので、非論理的なことは思考しえない。非論理的思考などというものはそもそも存在しないのです。
「三・〇三一  かつてひとはこう言った。神はすべてを創造しうる。ただ論理法則に反することを除いては、と。――つまり、「非論理的」な世界について、それがどのようであるかなど、われわれには悟りえないのである」。神は論理法則にのっとったものなら何でも創れる。神が創りえない非論理的な世界をぼくたちごときが語ることなど到底できない、ということでしょう。ここまで来れば、次の三・〇三二は自明ですね。
「三・〇三二  「論理に反する」ことを言語で描写することはできない。それは、幾何学において、空間の法則に反する図形を座標で表わしたり、存在しない点の座標を示したりすることができないのと同様である」。論理に反すること、すなわち非論理的なことを言語表現することはできません。空間法則に反する図形が描けないというのもわかりますね(言語にはすでに論理構造が内蔵されている、とぼくは考えています)。
そして、いよいよお尋ねの三・〇三二一です。「なるほど物理法則に反した事態を空間的に描写することはできよう。しかし、幾何法則に反した事態を空間的に描写することはできない」。難しく考える必要はないかもしれません。物理法則に反した事態、たとえば「リンゴが地面から木に上がる」というような事態を空間的に描写、たとえばアニメにして表現はできますね。でも、物理と幾何学は違いますから、「図形の法則に反した事態を空間で図形描写することはできない」。そう、当たり前のことを言ってるんですよ。このことを導くために、思考と世界の見え方、思考とその可能性、論理的であることなど、三・〇一から三・〇三二までの前提を置いたのですね。以上がぼくの説明です。


 何度読んでも難解なのである。こんな話に食いつくのは、ある意味で変人なのである。正直なところ、ぼくは理解してやろうなどとは思わず、思考訓練として『論考』を読んできた。だから、こんな説明でいいのか、今読み直してみて十分に自信はない。しかし、それまでの人生でまったくこういう本を読んだことのないNさんの腑に落ちたらしかった。「なるほど! わかりやすい~。スカッとしました!! これからの考察が見えて来ました。ありがとうございます!!」というメールが来た。大量の文章を書いたのはいつもぼくであった。しかし、感謝しなければならないのはむしろぼくのほうなのかもしれない。彼がぼくに感応して響き、ぼくに考える機会を与え書かせてくれたのだから。

《続く》

響かないメッセージ

ある企業の敷地に芝生を敷き詰めた小さな広場があった。芝生以外に標識はない。「この広場に名前を付けていますか?」と尋ねれば、特にないとの返事。邪魔にならないようにネームプレートを掲げると、目に止まった人に親近感が湧くかもしれないと助言した。

ところで、芝生の広場に名前が付いていることはめったになく、囲い込まれた敷地内であるにもかかわらず、目撃するのは「芝生内立ち入り禁止」という表示のほうである。そこに足を踏み入れて欲しくないのが本意であっても、そんな注意書きを掲げるのはよろしくない。せっかくの空間が台無しになってしまうからだ。標識を掲げるなら広場の名前のほうがいいに決まっている。

「芝生に入るな!」の一言は、芝生をそこに植えて美しく演出しようという意図なり動機なりに反するのである。街中を見渡せば、注意を促し禁止を謳う表示板のお祭り大会が開かれているかのよう。電車に乗って耳に入るのは、「駆け込み乗車は危険ですのでおやめください」「お忘れ物のないように」「優先座席付近では携帯電話の電源をお切りください」等々。ドア回りにはこれでもかばかりにシールが貼ってあって「指づめに注意」をはじめとする各種禁止のアイコンが目立つ。本来乗客に必要なメッセージをマナーを正すメッセージが圧倒している。

重要だが気がつきにくいことはある。そこのところに注意を促されればありがたいと思う。だが、ほとんどの「何々してはいけない」は言語化以前に自明なのである。自明であるならば、常時公共の場で生活し行動する成人に向けてわざわざ伝えることはない。社会は「成人はコモンセンスを備えている」という前提に立つからである。中村雄二郎は『共通感覚論』で、「(……)実際的な理解力であり、物事を正当な光のなかで見る人々の能力であり、そして健全な判断力である」と、コモンセンスを明らかにしている。いちいち誰かに諭されなくても、大人ならある程度は分かるでしょ、ということだ。


もっとも、注意事項を発する側からすれば、分かってもらえないからこそ敢えてことばにしているのだと理屈の一つも言いたくなるのだろう。しかし、その伝でいけば、公共の場で素っ裸はいけないから「汝、衣服を纏うべし」と言い、また、盗むことがよくないことを理解しない者がいるから「汝、盗むべからず」と言わねばならなくなる。

度を越せば、注意の理由にいちいち注意書きを付けることになりかねない。なぜ衣服を纏わねばならないのか、なぜ盗んではいけないのかと。自明であることをわざわざ明文化しようとする際には、誤解を恐れるあまり饒舌な注釈が足されるものなのだ。なお、しかるべき場所に「駐車禁止」と貼り出す類いは、一見注意に見えるが、実は情報提供であるから、許容範囲なのである。但し、「近隣の迷惑になるので」という追加情報は野暮である。

植木と隠しカメラ

いつもの散歩道から少し外れると、車道寄りの歩道に十いくつかの植木鉢が並んでいる場所がある。歩道を挟んで商店兼住居があり、その住人が育てているようである。いつもシャッターが下りていて、どうやら開かずの店らしい。商売をしている様子はない。シャッターには「猛犬に注意」というシールが貼ってあるが、犬を飼っている気配はない。植木鉢を置いている場所は公共の歩道であって、明らかに住人の土地ではない。一本の植木にかなり目立つ表示板がぶら下がっていて、そこには「かくしカメラを設置しました 花、木、実を持ってかえらないで下さい」と書かれている。

丁寧に扱われている様子もなく、おそらく置いてはいけない場所に適当に置かれている、さほど美しくもない植木に植木鉢。景観や美化に役立っているとも思えない。それでも、不器用ながらも、いいことをしているつもりなのだろう。ほとんどの住民、通行人はコモンセンスの持ち主である。性善説的に考えるなら、この注意書きはコモンセンスには不要である。コモンセンスを欠く盗人に対しては、そこに何が書いてあろうとも、少々の文言では抑止力にならない。いや、むしろ、「花、木、実を持って帰ってやろう」という愉快犯罪を助長しかねない。隠しカメラなどないことは見え見えである。

注意書きのほとんどは、承知している者には響かず、また、承知していない者または注意に反しようとする者にも響かない。つまり、要らないのである。コモンセンスを欠く少数派のために無意味な公共メッセージを量産してはならない。どうしようもない連中には、言語ではなく別の方法――制裁や抑止力――を用意するしかないのである。