ある程度時代に同期しないと困る仕事だから、新しい話題にも一応の目配りをしている。自力で目配りできないことも多々あり、時事や流行に強い若い人たちの話に耳を傾けて不足を補う。しかし、二十歳過ぎの人と六十年以上生きてきたぼくとでは、リアルタイムの最前線情報の比重は同じではなく、したがって受け止め方が違う。受け止め方の比重には年齢に応じて20分の1と60分の1程度の開きがある。分子と分母を上下に分かつ括線の下では歳相応の経験と知識が集積している。中身の質を度外視すれば、分母の量は最前線情報の分子の比ではない。
最近よく70年代~80年代のノートやカードを振り返る。ナルシズムに浸るためではなく、その時々の時代をどう生きてきたかを振り返るためである。記憶だけでなく記録に痕跡を求めようというわけだ。当時書いたものを読んで気づくのは、文の論理以前に直観や感覚によって対象に心が動く様子を表現しようとしていることである。現在の文章に比べると、二十代、三十代の時のほうがよく対象を見て心的作用を描写できているような気がする。
今は筋を追いかけて、前文と当該文と次の文をつなぐよう――そこに展開する考えが一貫するよう――書くことを意識する。線で概念を綴ろうとしている。その代償として、個々の点としての対象の摑み、その対象について生起する感覚がおろそかになる。描写や比喩から「執念」が消えている。感じる瞬間の昂ぶりを極力押さえているから、理性がまさって概念に傾く。とは言え、大局的に物事を眺望できているとしても熟成味が増したことにはならないだろう。要するに、叙述することに不熱心になり、他者を意識した理屈っぽい説法が多くなったにすぎない。普遍を求めて情趣を失しているとすれば、まだまだ拙い証拠である。
書店で手に取った新書の帯のキャッチフレーズに「魂がふるえる言葉がここにある。」とあった。これはぼくへの示唆か。なるほど、二十代、三十代はそんなことばによく出合い、テンションが上がったものである。今は脳にも響くことばでなければ残らない。もっとも、経験を積むにしたがって感じることから分かることへ変移するのは当然だ。経験が少ないからこそ断片的なことばに感じ入る。しかし、経験が上乗せされるにつれ、ことばそのものについて考え、ことばで考えようとしなければならない。魂がふるえるだけでは物足りないのだ。脳にも響かなければ感覚も理性も次なる上の閾値に向かわない。
ずいぶん前に抜き書きして、時々読み返す文章がある。金田一京助の『片言をいうまで』である。樺太アイヌ語を採集していく実際の場面が鮮やかに描かれている。単語を覚えてアイヌの住人に披歴したある日のこと……。
私と全舞台との間をさえぎっていた幕がいっぺんに切って落とされたのである。さしも越え難かった禁園の垣根が、はたと私の前に開けたのである。ことばこそ堅くとざした、心の城府へ通う唯一の小道であった。渠成って水到る。ここに至って、私は何物をもためらわず、すべてを捨てて、まっしぐらにこの小道を進んだのは、ほとんど狂熱的だった。(傍線岡野)
傍線部の表現は魂を揺さぶるに余りあり、そして文脈を視界に入れて再読すれば脳にも響く。ともすれば面倒くさそうにコミュニケーションで済まそうとする姿勢への戒めになってくれる。
もう一例を挙げる。「人間は考える葦である」は『パンセ』の中でパスカルが紡いだ有名なことばだ。この格言だけをぽつんと切り離し、さも魂を揺さぶられたかのように満足している人がいる。そして、文脈を読み取ることなく、この格言だけを斟酌して何となく「人間は弱い存在」だと感じている。そんなことを言うために、パスカルは人間を葦にたとえたのではない。この名文句が登場するくだりをそのまま読んで脳に響かせてみればいい。
人間はひとくきの葦にすぎない。自然の中で最も弱い存在である。だが、それは考える葦である。人を押し潰すために宇宙全体は武装するには及ばない。蒸気でも一滴の水でも人を抹殺するのに十分である。だが、たとえ宇宙が人を押し潰しても、人は人を抹殺する存在よりも尊い。なぜなら、人は自分が死ぬことを知っており、宇宙が自分よりも優位であることを知っているからである。宇宙は何も知らない。
だから、われわれの尊厳のすべては、考えることにある。われわれは、われわれが満たすことのできない空間や時間からではなく、考えるということから立ち上がらなければならないのである。よく考えることに努めよう。ここに道徳の原理がある。(傍線岡野)
魂が揺さぶられても一過性で終わりかねないことは誰もが経験している。これぞということばは、記憶し思い出してこそおこないの糧になる。もう一度繰り返す。ことばそのものについて考え、ことばで考えようとしなければならないのである。