「あの非常識な女が……」などと口走ったことはある。だが、「女」という字を「おんな」と読ませて文を書くのはたぶん今回が初めてだ。あくまでもぼくの先入観だが、「おんな」という音は女性から品性を引き剥がしてしまいそうだし、また、「おんな」が頻出する文章は書き手の品格を貶めかねない。青年期に読んだ有島武郎の『或る女』という響きにも落ち着かなかった。魔性の女、ブスな女、恥知らずな女などと言うのはもちろんのこと、好ましい修飾語を付けて、たとえば「美しい女」や「才覚のある女」としても、下劣なニュアンスは否めない。しかし、今日は特別。コモンセンスを欠く或る女について書く。
一昨日の夕刻7時半頃鹿児島発の新幹線特急さくらに新山口駅で乗車した。見渡せばほぼ満席である。チケットに記載された4号車5番A席(窓側)を確認してその席へ向かった。先客がいた。歳の頃四十半ばの、いかにも仕事ができるわよと顔面と態度が主張する女であった。女はぼくが座るはずの席に陣取り、手前に倒した背面テーブルの上にはパソコン、隣のB席にはビジネスバッグと書類、そのB席のテーブルも倒されてその上にはパック入りの焼き鳥と缶ビールが置かれていた。所狭しというほどのカオス状態である。女はスマホで声のボリュームも落とさずに話していた。
ぼくは通路に立って唖然としている。女はぼくに気づき、それでも電話を切るわけでもなく、小首を傾げた。小首を傾げたいのはこっちのほうだ。無言で女の席に人差し指を向けた。「そこはぼくの席だ」というサインである。女はスマホを手放さずに話しながら、隣のB席のバッグと書類を取り上げて膝に乗せ、「どうぞ」という目くばせをした。向けている人差し指をさらに女に近づけて「B席じゃない、A席だ!」とジェスチャーした。女は電話を切った。正しく言えば、途中で切ったのではなく、話が終わったから切ったのである。
「そこはぼくの席です」と声に出して言った。女は「まさか!?」というような表情でバッグの中からチケットを取り出して確認した。「あ、ごめんなさい」と言うが、席を空けようとする俊敏な動作が伴わない。仕事場兼宴会場と化した二つの席が元通りの秩序を取り戻すまで通路で待つ気はない。「あなたの席はどこ?」と聞けば、ぼくの立つ後ろの同じ5番の窓側D席だった。「じゃあ、そっちに座ります」と言い、振り向いてキャリーバッグを荷棚に乗せた。席を間違え、おまけに隣りの席まで散らかし放題のうえ車内で電話をしていれば、一喝してやるに値する。
語気を強めてコモンセンスを欠く女を諌めれば、こちらの良識と品格を疑われるだろう。よくあるではないか、優先座席の前に老人が立ち、見て見ぬ振りをする高校生らしき青年に「おい、席を譲ってやれ!」と怒鳴る光景。怒鳴る男の正論は怒号でかすみ、周囲の乗客の視線は冷ややかに男に注がれる。出張帰りの疲れに自ら棘を刺すこともなければ、大人げないと思われるのもバカらしいから丸く収まってやったのである。
上着を脱ぎ、背面テーブルを手前に倒して文庫本と手帳を置いた。ちょうどその時、女は遅まきながら「どうもすみませんでした」と言った。申し訳なさそうではないから、よほど一言吐いてやろうかと思ったが、気持ちを鎮め神経を宥めて、「いえいえ」と応答しておいた。その後も女は二回電話をしている。電話の後に焼き鳥をつまみ缶ビールを口に運ぶ。同時にスマホをいじる。キャリアウーマンを気取っているが、ぼくの経験上この手に仕事のできるのがいたためしがない。車内で化粧をするほうがよほどましだと思ったくらいだから、このカオスの場で平然としている女がどれほど常識を逸していたか想像がつくだろう。心の内でこの女に垂れた教えは「コモンセンスから出直せ!」であった。新大阪で下車する際に一瞥したら女がニワトリに見えた。ニワトリに悪いと思い、「このヤキトリ女が!」とすぐに訂正した。
新山口から新大阪の車中 2時間のカオス
検札時 車掌さんに
ここじゃないのですが・・・
と言っていたんじゃないかと想像しました
来週乗る新幹線で、こんなカオスが起きないよう
自社の倉庫の500トンのかみ様にお願いしました
特急さくらでは検札は来ません。車掌は通り過ぎるだけ。
この女は結果的に終点の新大阪まで乗っていましたが、「あんたはどこまで乗るのか?」と聞いておくべきでした。途中の岡山などで降りられたら、ぼくが身代わりで座っている席に岡山から客が乗ってきて、結局自分の席に戻らねばならないことになるからです。
しかし、あの女が温めていた席に座る気はしませんね。