続々・大笑いするほどではないけれど……

シリーズ化するつもりはないが、『大笑いするほどではないけれど……』と題して書き、その後に『続・大笑いするほどではないけれど……』を書いた。タイトル通りのよもやま話やエピソードである。長文を紡ぐほどではない小さな話をいくつかまとめて書くという、ただそれだけのことであって、大それた意図があるわけではない。前回が「続」だったので、今回は「続々」である。気まぐれなので番号を付ける気はない。ふと、作曲家でエッセイストの團伊玖磨の『パイプのけむり』シリーズの題名について、以前このブログでも書いたことを思い出す。まずはその話から。

パイプのけむり  読んだ人よりも読んでいない人のほうが多いに決まっている。ぼくの周囲では、團伊玖磨のことも『パイプのけむり』と名付けられたエッセイのことも知らない人ばかりである。このエッセイは『パイプのけむり』に始まって、その後26冊も続いた。

続パイプのけむり、続々パイプのけむり、又パイプのけむり、又々パイプのけむり、まだパイプのけむり、まだまだパイプのけむり、も一つパイプのけむり、なおパイプのけむり、なおなおパイプのけむり、重ねてパイプのけむり、重ね重ねパイプのけむり、なおかつパイプのけむり、またしてもパイプのけむり、さてパイプのけむり、さてさてパイプのけむり、ひねもすパイプのけむり、よもすがらパイプのけむり、明けてもパイプのけむり、暮れてもパイプのけむり、晴れてもパイプのけむり、降ってもパイプのけむり、さわやかパイプのけむり、じわじわパイプのけむり、どっこいパイプのけむり、しっとりパイプのけむり、さよならパイプのけむり。

最後の『さよならパイプのけむり』の翌年だったか、團は亡くなった。そして、パイプのけむりは消えた。

倍率  この一週間でぼくがひときわ愉快がったのが職員募集に対して応募者が殺到したインドの話。ウッタルプラデシュ州が雑用担当の職員を368人募集したところ、なんと230万人(!!)が応募してきたのである。この数字は州人口の1パーセントに相当する。倍率は6,250倍。ぼくが志望した大学の倍率は36倍で、受験前から絶望的であったが、そんな比ではない。書類選考ではなく、面接をするとなれば4年かかるそうである。雇用戦線はいずれの国も厳しいが、もはや「厳しい」などという表現では間に合わない。

アイスコーヒー

アイスコーヒーの注文  ホットコーヒーを飲もうと思ってカフェに入ったものの、注文したのはアイスコーヒーだったという経験は誰にあるだろう。その日のぼくもカウンターで予定変更した。一人だったので「アイスコーヒー」とだけ言った。そう言ってから、サイズが「ショート、レギュラー、ラージ」と3種類あるのに気づいたので一言添えようとした瞬間、店員が先に「アイスコーヒーのほう、ショートで大丈夫ですか?」と聞いてきた。「大丈夫」と来たか……。何が大丈夫なのか知らないが、困ることもなさそうなので、反射的に「はい、大丈夫です」と答えた。

縁起のいい姓  五年前のノートを繰っていたら、宝くじツアーの話を見つけた。宝くじを買う前にバスで吉兆名所を巡るという企画だったような気がするが、確かではない。このバスツアーの運転手の姓が見事で、金持かねじさん、三宝さんぽうさん、御幸ごこうさんだった。「縁起がいいかもしれないけれど、みんなバスの運転手をしているじゃないか」と誰かが皮肉ったが、それを言ってはいけない。宝くじバスツアーの運転手になれる可能性の高い名前であると言うべきだろう。

風と凪  「ぬ」と「め」が似ていて、「ね」と「れ」と「わ」が似ているなどと思った幼い頃。あの時の感覚がよみがえることがある。なぜ「ぬ」をnuと発音し、「め」をmeと発音するのかと詮無きことを考えたりもする。

強い風が吹いた先日、「風」という漢字に不思議が沸々と湧いた。風が止むと「なぎ」になる……風の中には「虫」がいる……虫は鳴く……鳴かない虫は「さなぎ」……さなぎの中に「なぎ」がある……。こんなことを連想してどうなるわけでもないが、どこかで愉快がっている自分がいる。

言語の五技能

他に適語が見つからないので、一般的な「技能」という用語を使っている。機能や働きでもいいのかもしれないが、分かりやすさと語調の良さから技能を選択した。言語学者ソシュールは、言語をシニフィアン(能記=記号表現)とシニフィエ(所記=記号内容)に分けて言語の本質に迫った。今回はそれとは違って、言語活動面から五つの技能について考えてみる。

言語の五技能

五技能としたものの、まずは四技能から話を始めよう。ぼくたちは、ことばを音声にして話し、音声として聴く。音声を用いない時は文字にして書き、文字として読む。これらの〈話す・聴く・書く・読む〉の四つの技能は、表現と認知に分けることができる。すなわち、話す・書くという表現系技能と、聴く・読むという認知系技能である。

知っている語彙は、認知はできるが使えないものと、認知も表現もできるものとに分類できる。たとえば、「渺渺びょうびょうたる」が果てしなく広いという意味であることはわかるけれども、会話や文章で自ら使うことがない場合、これは認知語彙ではあるが表現語彙になりえていない。認知語彙はつねに表現語彙を含み、表現語彙よりも多い。だいたい〈認知:表現=3:1〉と言われている。ところで、知識や経験は表現のための原資と言うよりも、他者が話し書くことを認知するために用意されるものだろう。ある程度知らなければ、また、ある程度類推を働かさねば、ぼくたちは他者のメッセージを理解できはしない。表現というのは、知識や経験の多寡とは関係なく、その気になれば、知っている範囲内でこなせるものである。千語もあれば話すことはできるが、千語程度では他人様の言うことや書いていることはよく分からない。


これら四技能の関係図の上に「考える」という技能を加えて五技能としてみると、言語と思考のつながりが見えてくる。四技能はいつでもきちんと機能するわけではない。必ず誤作動を起こす。言い間違い、書き間違い、聴き間違い、読み間違いである。ところが、考え間違いというのは自分も他人も気づきにくい。なぜなら、思考という技能は他の四技能に比べて共通項が少なくパターンが多いからである。つまり、個別であり多様なのだ。では、どんな時に考え間違いに気づくのか。書いてみて気づき、他人が書いたものを読んでみて気づくのである。音声の技能だけでは思考の精度を見極めにくいのだ。議論でディスコミュニケーションが生じやすいのも頷ける。

「考えていることを文字で表わせばいい」とまことしやかに語られるが、ぼくはここに書いている文章のようにあらかじめ考えているわけではない。書こうとしていることが頭に浮かびはしているが、それは輪郭のない茫洋としたものである。書かずに考えることがないわけではない。しかし、「言語的に思考していること」と「いまここで書いている言語的表現」はまったく同じではない。考えていることはここに書いているほど明快ではなく、また、考えている時の語彙は文章を綴っている時の語彙ほど豊かではない。書くという表現行為によって、思考に形を与え、考え間違いを検証し修正していくのである。

思考することが表現をもたらす温床であり細胞核であることを認めるにしても、考えていることを紙の上に単純に書き写しても文章の体を成すことはない。書かなければ考えたことにはならないとまで極論しないが、ほとんどの場合、書いてはじめて思考はその姿を現わす。書かなければ、考えるということは実に摑みどころのない虚ろな状態にとどまる。腕を組んで考えても、その考えはひ弱で無定形な感覚の域を出て来ない。ぼくの主張に説得力がなければ、最後に次の一文を参考にして考察していただきたい。

思考が、言葉となったり他人に伝達されたりする際のわずらわしさを避けて、ただ自分に対してだけ存在することに満足してしまっていたら、そんな思考は生れるや否や、たちまち無意識に陥ってしまうだろうし、自分に対してさえ存在しないということになってしまうだろう。」
(メルロ=ポンティ『知覚の現象学』)

習作した頃 #7

 そこにある顔

 

 ぼくの手元の辞書には、見出しとその語釈がこんなふうに書かれていた。

 げんそう【幻想】 非現実的なことをあたかも夢のように心に抱くこと。
 きのう【機能】 目的に応じてある働きを発揮すること。

 ¶

 「幻想的だ」と彼が言った。
 「やっぱりそう形容すべきなのかね」とぼくが応じた。
 平然とそう応じたけれど、アルファベットをZからAへと逆に辿るみたいに混乱していた。あるいは、不慣れな方程式の解をとっさにでっち上げるような感じだった。正直なところ、ぼくには彼の言う「幻想的」という意味がよく呑み込めなかったのである。
 「きみの言う幻想には機能が含まれているのかい?」
 ちょっと間の抜けた問いであることはわかっていた。瞬時に真意や本質を摑めないときによくやる、時間稼ぎの問いというやつだ。それを投げ掛けた。
 「機能は結果さ。幻想を感じる者の目の置き方次第というわけ。つまり、幻想の解釈の仕方で機能が決まるのだよ」
さすがだと思った。彼のこの説明は薄明りの中に焦点を結んでくれた。何となく彼の意味していることがわかりかけてきた。そんな気がしたのである。

☑顔

 ぼくたちの目の前にはガラスを隔てて顔がある。ずいぶん前から知る人ぞ知る、かなり有名な顔である。
 その顔は間違いなく生きている顔なのだが、当局の厳重な監視が行き届いていて、触れることはできない。触れるどころか、眺めるだけでも大変なことなのだ。ガラスの向こうのそこにある顔を見るには一年前から予約が必要だ。鑑賞するには――鑑賞と言うべきなんだろうか、観賞なんだろうか、拝観と呼んでいる人もいるようだが――世界一級のオペラ楽団の最上級席のチケットに相当する予約金を支払わねばならない。ぼくは二度目で、彼は今回が初めてだった。
 前回の鑑賞直後に、そこにある顔の印象を、ごく直感的ではあるけれど、できるかぎり詳細に彼に説明したのを覚えている。

 《顔はね、全体に乾いた土のような感じだよ。時折赤茶けた鼻と唇がぴくぴくと動くんだ。数えたらきりがないほどの皺が深くくっきりと刻まれている。古新聞をくしゃくしゃに丸め黄土色の絵の具を塗りたくり、何日も直射日光に晒したような形さ。髪は十種類くらいの色で毛染めされていて、今にも抜け落ちそうなんだけど、ぱさぱさと不揃いに両眼と両耳を覆っている。その眼はいつも光っていて、見る角度によっては、赤い三角形になったり、緑色の線になったり、青い円になったりする。耳は眼の位置よりも高い所にくっついていて、軽く押しつぶされたマッチ箱みたいなんだ》

 「おおよそきみの描いた通りだな。非常に幻想的だよ」と彼は言った。
 ぼくたちはもう十五分以上も顔をじっと見つめている。嫌と言うほど見つめているが、顔は大きな変化を示さないし、示す兆候も現わさない。部分的には皮膚が息をつくように膨れたり鼻が微かに動いたりするのだが、首は決して動かない。
 「幻想的だよ。まったく。でも機能的じゃないから、単純な幻想だ。それはそうと、後頭部も見たいものだね」とぼくは言った。
 ぼくの話が耳に入っていないのだろうか、彼はまるで絵を描く時によくやる、親指や人差し指で構図を取っている。
 「この顔は不精なんだろうね。ここに置いておくには適材じゃないね。したがって、ぼくらのいるここも適所じゃない」と独り言のようにぼくはつぶやいた。
 彼はまだ黙っていた。ぼくの言っていることをあまり聞いていないなと思った瞬間、
 「ぼくはきみと違って、こいつは幻想的かつ機能的だと思うんだ。なぜそう思うか、理由を聞きたいかい?」と彼は口を開いた。
 「ぜひ。鑑賞時間も余すところあと五分だし、早足でお願いするよ」とぼくは応じた。

 《きみの話を聞き、きみに誘われて、今日ぼくはきみに同伴したのだけれど、正直言って、期待以上の顔だった。内心、半端じゃないほど感動もしたよ。ところで、この顔は幻想的だ。なぜなら、強制的に配置されていてもなおかつ機能的だから。振り向くのが面倒だからと言って後頭部に顔を据え付けることができないように、一般的には機能と配置の関係においては配置が優先するもんなんだよ。きみは適材適所というふうに言ったけれど、適材を適所に配置するのは不可能だ。適材適所はもともと機能優先の考え方であり、実際のところ、配置がおこなわれた瞬間、機能は何らかの麻痺状態に陥ってしまうものだからね。それに……》

 彼はまだ喋り残しているようだったが、係員の時間切れの合図で話すのをやめた。若干残念そうな素振りを見せたが、ぼくはさほどでもなかった。むしろ少しうんざりし始めていた。
 出口に向かって動き始める直前に見納めの視線を顔に投げた。その時、そこにある顔がいきなり振り向いた。そう、確かに振り向いた。そこにある顔が、まったく変わりのないそこにある顔をこちらに向けた。
 「見たかい?」とぼくは彼に言った。興奮はしていたが、声は震えていなかった。
 「振り向いても振り向かなくても同じなんだ。あの顔は窮屈な状況を強制されているにもかかわらず、機能という点では完璧さ。幻想的だよ、まったく」と彼は静かにつぶやいた。
 係員がしかめっ面をして退出するように再び促した。ぼくたちはその場を去って出入り口に向かった。そこには入場を待つ次のグループが列をつくっていた。
 その後、顔はますます評判になった。しかし、なおも、彼が言うところの幻想的であり機能的であり続けたのだろう。ぼくたちはもう鑑賞予約をするつもりはなかったし、事実しなかった。その代わりに、ぼくと彼は会うたびに顔のことを話題にしてはあり余る時間を潰したのである。

 一つ付け加えておかなければならないことがある。ぼくはその後の彼との対話で調子よく話を合わせていたが、実は幻想についても機能についても実はあまりよくわからなくなっていた。それで、あの愛用の辞書の該当箇所に取り消し線を引いた。こんなふうに。

 げんそう【幻想】 非現実的なことをあたかも夢のように心に抱くこと。
 きのう【機能】 目的に応じてある働きを発揮すること。

 そして、別の見出しの語釈に取り消し線を引き、新たに書き加えた。

 かお【顔】 個を認識するための重要な役割を担う、目・口・鼻のある面(つら)。
        → 幻想的かつ機能的な一個の表象。


岡野勝志 作 〈1970年代の短編習作帖より〉

ジョアン・ミロと中華料理

四条大橋

昨日、半年ぶりに京都に出掛けた。京都市美術館で開催中の『ルーヴル美術館展』でヨーロッパの風俗画を鑑賞後、三条から祇園、四条大橋、河原町あたりを散策した。例によって四条大橋から北の方向を臨み鴨川風情に目を休ませた。この橋を川端通りから渡ると、東華菜館の建物が否応なしに視野に入る。絵画展の後にこの建物を見れば、少年から青年になった頃のある日を必ず回想することになる。

小学校と中学校時代、文学と絵画への好奇心は旺盛だった。中学二年になった時、学年1,100人中つねに成績が1番か2番のS君と同じクラスになった。十三歳にして老成した感のある彼は、できたのは勉強だけでなく多趣味で多芸だった。LPレコードでクラシック音楽を聴き、ほとんど手の内に入れていた。最初の数秒聴くだけで作曲者と曲名を瞬時に答えるほどの精通ぶりである。彼の影響を受けて、ぼくも「コンサートホール」というクラシック音楽のレコード頒布会に入った。最初に買ったのはシューベルトの『弦楽四重奏 ます』。入会記念プレゼントとして『未完成交響曲』をもらった。

普通の成績のぼくとS君との格差はかなりのものだったが、よく付き合ってくれたものだと思う。彼の家には各種ボードゲームがあった。ほとんどのゲームは彼から教わった。彼は読書家でもあり絵の腕前も本格的であった。中学二年の終わり頃、太刀打ちできそうもない音楽から遠ざかり、趣味を絵画一点に絞ることにした。別に競うつもりなどなかったと思うが、絵画なら個性を発揮してわが道を行ける予感があった。中学三年になって少々勉学もするようになり、無事普通の高校に入学できたが、受験勉強などというものに巻き込まれては美術どころではなくなった。


高校一年の十五歳。誰にぼくの趣味のことを聞いたのか知らないが、九歳違いの叔父が「絵を見に行こう」と言ってきた。国立近代美術館京都分館で開催されていた『ミロ展』だった。抽象画にも関心があったので二つ返事でありがたく誘いを受けた。季節のよい秋の京都だった。結論から言うと、その日からぼくの抽象画への思い入れは強くなり、たまには創作もしたが、もっぱらブラック、ピカソ、ダリ、クレーらの絵画鑑賞を楽しんだ。

当時二十四歳の叔父は甥や姪の面倒をよく見る人だった。定時制の工業高校に通いながら勤勉に働き、卒業後は大手薬品会社で、今で言うMRとして働いていた。ミロ展の後に四条大橋を渡り、そして連れて行ってくれたのが北京料理の東華菜館だったのである。たぶん酢豚とあと一、二菜を注文してくれたはずだ。下町の薄汚い中華料理屋で中華そばと餃子くらいしか食べたことのないぼくにはかなりのご馳走だった。特に炒飯は初めて食べる味だった。大人の雰囲気の店で身構えていたのを覚えている。昭和の初めの建物だと知ったのはそれから十数年後である。

ミロのモザイク(ランブラス通り)

時は流れる。たまに絵を描くことはあっても、ジョアン・ミロとも東華菜館ともまったく縁もなく長い月日が過ぎた。ぼくがミロと再会するのは2011年まで待たねばならなかった。バルセロナはランブラス通りの路上モザイク画である。モザイクを恐る恐る踏みしめながら、その時も若かりし頃のミロ展を思い出していた。そして、ミロを思い出すたびに四条大橋のあの建物につながるのである。昨日は彼岸の入りだった。叔父は七年前、67歳で永眠した。

語らないと始まらない

事実に反すると知りながら虚偽を語ることは好ましくない。もし事実に反していることが自明で、しかもそのことを弁じたければ、手っ取り早く創作として仕上げればいい。事実に反することが許容され、しかも責任を負わなくていいのが創作の利点だ。はなから虚構が担保されているのである。これに比べれば、自論を語る責任のほうは重い。事実であるか事実に反しているかもわからない、また、事実の解釈にも二義性がありそうだという場面に必ずぶつかる。さあ何を語るかと遅疑逡巡した挙句、つい慎重を期して黙することになる。こうして意見を言わない小心者や保身家ばかりが増える。

ギリシアについて、安保について、専門家と言えども知悉して論評しているわけではない。極端に言えば、誰もが一部の事情通なのであり、限られた既知から推論して意見を述べているにすぎない。知が「ある程度」に備わるまで口を開かないのなら、生涯意見を開示する機会はやって来ないだろう。言論の自由、表現の自由があるのだ、「程度」を低めに設定しておけばいいのである。ほんの少し分かれば、その小さな知識に自分の経験を照らし合わせて推論する。馬脚が露わになって知識不足や論の甘さを指摘されることになる。しかし、このことは問題であるどころか、テーマを深読みし別読みする機会を与えてくれるのだ。問題を引き起こすのは、対話を成り立たせている批評・検証・反論に耳を貸さず、不十分な知見をひたすら守ろうとする姿勢のほうなのである。

対話

浅い考慮かもしれない、視野も狭いかもしれない、しかし、考察途上でそのつど意見を構築する習慣と勇気を持たねばならない。さもなければ、世論の大勢や影響力のある人物の意見に棹差すばかりで、思いもよらぬ方向に流されていくことになる。自論というのは、基本が変わらなくても形や強度が変わるものである。変容のきっかけの大半は、異種意見の論者との対話を通じて生まれる。二者間の対話においては知識に格差があるのが常である。下位の者が格差を恐れていたら、いつになっても上位の者に挑発的議論を挑めない。しかし、対話は知識と論考の合戦である。往々にして論考は知識の多寡よりも優勢になりうる。


対話において話し方がうまいなどということは決定的ではない。つまらぬことを流暢に――あるいは扇動的――大言壮語してもしかたがないのである。話し上手などと言うけれど、何を以て「上手」なのか、誰も決められないだろう。そんな当てのない上手の幻想に縛られず、日々の経験の内に熟成させてきた語りたいことと語るべきことを語ればいいのである。もっと正確に言えば、精細な自論が最初からあるはずもない。あるはずもないのに、事前に丸暗記して人前で再現してみせるのは学芸会だ。学芸会に表現と演戯はあっても、伝えることにまで意識は回らない。あどけない子どもたちのパフォーマンスには拍手を送ろう。しかし、一人前の人間が、そこに居合わせる相手に眼差しを向けることもなく、今しがた覚えてきたことをあたかも独言のように再生し、それを対話と呼んで知らん顔するならブーイングである。

つぶやくように自分の心理を吐露するXがいる。つぶやくXからは他者への視点が抜け落ちている。Xのことばは対話に求められる伝達や説明の機能を失う。下手なりにも意味を明らかにしようとする情熱のかけらもない。共有と交換という対話のていを成していない。対話をしないのではなく、対話ができないのである。自分が次に何を語るかに気を取られて、人の話など聞いていないのである。聞かなければ、その時々にしかできない、打てば響くような反応ができるはずもなく、応答はつねに的外れになり、ことばがだらしなく虚ろな表情を見せる。言語を自然学習して事足りると考える風土で対話が育つはずもない。

吐露するだけのことばに描写力は宿らない。論理は不毛であり、説得力も芽生えない。他者に向かって語られていないXのことばに傾聴する忍耐が揺らぐ。Xの自分だけに捧げることばは色褪せ、やがて他人を退屈させる。思考交流としての対話と居酒屋の泣き言・戯言との違いがわからぬX。ぼくの周囲にもあなたの周囲にもXがいる。対話から逃げるXは、早晩〈言語エイジング〉という症候群を患う。言語からの脱却なら悟りだと見立ててあげてもいいが、言語の劣化以外の何物でもない。言語エイジングが晩年の最大の不幸だと言う自信はないが、不幸の一つであることは間違いない。

習作した頃 #6

寸前のインタビュー

 

直前のインタビュー 

そこは小さな病院の待合室だった。彼の前には数人の患者がいる。あいにく時間潰しの自前の材料を用意してこなかった。マガジンラックから適当に一冊の小冊子を手に取る。なぜこんな小冊子がここにあるのか不思議に思った。適当にめくったページにインタビュー記事らしきものを見つけた。「生き残りについて」という見出しに次ぐ本文は、導入文もなくいきなり記者の質問から始まっている。

聞き手  「生き残ることの難しさに比べれば、死ぬくじを引き当てるのはとても簡単である」という説があります。 何ヵ月も死に喘ぎながら砂漠を横断し、ついに辿り着いたオアシスでサバイバルの喜びを噛みしめる。手にしたグラス一杯の水。口に含めば甘露の味わい。そのうまさを貪るように飲み干そうとした瞬間、水が勢い余って舌の上を一気に滑って誤嚥。生命力の強さと隣り合わせの関係にあるあっけない死。A教授、生と死について、いかがお考えですか?

A教授  たしかにそうだね。生き残ることは難しく死ぬことはやさしいというのは正しい説だと思うよ。わたし自身が数年前に加害者の立場でそれに近い経験をしたんだから。

聞き手  加害者? 興味津々です。その経験、よろしければぜひお聞かせいただきたいです。

A教授  いいとも。あれはたしか十月のことだったように思う。床に就く半時間ほど前までは心地よい気温だったんだが、布団にもぐると同時に秋風が止んだ。月も変わって夜気は冷たくなってはいたけれど、九月と十月は半世紀ぶりの異常気象とかでね。猛烈な熱気の余燼が部屋の隅々にまで充満していて、カーテンも本棚も、机も椅子も、枕元の電気スタンドも灰皿も、メモ帳も万年筆も、すべてが焼け跡から掘り出されたばかりのように余熱を発散していた。
わたしはね、翌日の大学院ゼミ用に講義のメモを取っていたんだ。『戦場における生死境界理論の実証的研究のための比較予備基礎論』というような講義内容でね。いや、うろ覚えで怪しいけれど、まあ、そんな感じの名前だった。 突然、一匹の蚊がメモに集中しているわたしを目がけて攻撃してきた。いや、大した奴じゃないがね、耳元でうるさくされるのには閉口したよ。布団に入ってうつむいていたが、さすがに耐えられなくなってね、身体をひねってあおむけになった。うつむいていたわたしをあおむけにしたんだから、そのテクニックは認めざるをえない。
「きみ、礼儀をわきまえたまえ」とその蚊に言ってやった。そして、礼儀さえわきまえれば、きみの言い分を聞いてやってもいいと付け足した。すると、その蚊はブーンと唸りながら語り始めたんだ。 ……八月の酷暑を無事乗り越えて、閉じたままの戸棚へ隙間から入り込み、奥のほうでじっと身を潜めていました。並大抵の辛抱ではありませんでした。戸棚の戸が夕方に開いたので出てきました。ある種の生き残り兵です……。 驚いたね。奴、胸を張っているんだからね。でも、わたしにとってはどうでもいいことでね。そうだろ、講義の準備で頭が一杯だったし、それにとても疲れていたから。
実を言うと、わたしは記憶力があまり良くないんだ。記憶が悪いというのがどんな感じかわかるかね。脳の襞が粗めの紙やすりみたいにざらついていて情報の引っ掛かりが悪いなどと世間では言われているが、そうではない。記憶の悪さというのは、ぷつんと糸が切れるような感触が断続的に生じるのだよ。 いま思い起こすと、その時も床に就いてからどこかの時点で記憶の糸が何本も切れていたに違いない。
蚊が語り始める何分か何十秒か前のわたしは、たぶん講義の準備に疲れていた上に秋風がふいに止んだので夢うつつとなっていた。 それで結論なんだが、蚊の言い分を聞いた後、わたしは両腕をこうして広げて、いや、このくらい (注1) かな、とにかく腕を広げて、顔面上を低空飛行する、並大抵でない苦労を背負ったその生き残り兵をぴしゃりと力一杯にやったんだ。墜落したかどうか定かじゃなかった。ただ、左手の中指の付け根あたりに昆虫の足のようなものがくっついていたから、おそらく、少なくとも負傷させることができたと思っている。それから……

聞き手  その蚊がどうなったのか、気にならなかったのですか?

A教授  気にならなかったかって? べつに……。むしろ、なぜ気にしなきゃいけないか聞きたいくらいだね。いいかい、生き抜いてきた事実を誇った奴の現在が、死んだ状態であろうと生きている状態であろうとあまり関係ないんじゃないかな。気になるなら、それこそきみが冒頭で引用した説に救いを求めるしかない。曰く、「生き残ることの難しさに比べれば、死ぬくじを引き当てるのはとても簡単である」。(注2) 

(注1) A教授は最初広げた幅よりも20センチくらい狭めた。
(注2) このインタビューはA教授がドラッグストアで殺虫剤スプレーを購入する直前におこなわれたものである。

唐突な終わり方だなあと彼は気になった。マガジンラックにこの一冊を戻すついでに、続く号数を探してみた。そして、それが見つかった時、彼は口元が緩むのを自覚した。まったく同じ体裁のインタビュー記事があり、そこには「無作為抽出」という見出しがあった。

聞き手  蚊は生き残ろうとし、生き残ったことで存在を全うした、しかし、その行末が生の延長であろうと死という帰結であろうと大した問題ではない、というのがA教授の見解でした。さて、評論家のBさんにお伺いしたいのは、A教授に語りかけた蚊の辿った道についてどう考察されるかということです。いかがでしょうか?

評論家B まず、ぼくから問題提起をしたいと思います。電灯に群がる蚊を両手でやる時に人が選ぶだろうか? ということです。これはあくまでも推測ですが、A教授の一件が起こった時には枕元の電気スタンドが点いていたはずです。蚊にとっては何がしかの動機があったというよりも、一種の本性的行動だったはずです。
ところで、蚊は一般的には血生臭さを連想させる害虫とされていますね。ごく少数の一部の人たちを除いて、蚊を愛玩昆虫として飼うことはないわけです。蚊は害虫であるがゆえに、両手や殺虫剤でやる時に、やる順番はあまり関係ないでしょう。蚊であればやられるに足る資格を有しているんですから。やられた蚊からすれば選ばれたということになりますが、やった人間側――この場合はA教授――からすれば、選ぶなどという気も余裕もなく、作為もなく任意に抽出したというしかありません。
だってそうでしょう。このインタビューにしてもね、ぼくは今から選挙キャンペーンの街頭インタビューに出掛けるところだったのですが、あなたが突然マイクを突き出してきて、ぼくが逆にインタビューされている。あなたの疑問文らしき発言があって、立ち止めを食ったぼくは驚いた表情も見せずに、まるでこっそりと用意していた文章があるかのように答えています。もっとも、ぼくは選ばれるということに慣れっこですから平然と受け答えできているのでしょう。一般の方ならとてもこういう具合にはいかないはずです。 自分の身の上にいつ降りかかるかもしれない無作為抽出のことを考えると、不安に襲われてうかうかと街に出れなくなったりする。哲学的に言えばですね、生も死も――俯瞰している側からすればね――どっちに転ぼうと無作為抽出にほかならないわけなのです。

インタビュー記事はここで終わっているわけではない。しかし、診療窓口で名前が呼ばれた。彼は小冊子を閉じてマガジンラックに戻した。別につまらないともおもしろいとも思って読んでいたわけではない。それでも、彼はほんのわずかな未練を残しながら、診療室のドアをノックした。 待合室に戻った彼は、小冊子の続きを読むどころか、小冊子を読んでいたことすらすっかり忘れていた。病状の経過を医師に告げられて落ち込んでいたのだった。

岡野勝志 作 〈1970年代の短編習作帖より〉

理由のあること、ないこと

行為に理由を付けなければならない場面がある。たとえば、「何となく読んでいる」では済ませられない類の本や読書行為がある。なぜこの本を読むのかという自己説得なしには手に取ることさえできない本である。もちろん、何となく読むという本があってもいい。飲食についても同じことが言える。何となく何かを食べ何となく何かを飲むことがあり、そこに理由や目的などあるはずもない。しかし、宴席に顔を出すとなると話は別だ。暇だから宴席に出るなどということはぼくにはない。必ず理由がいる。では、病院に父を見舞うのはどうか。見舞いに行くのに理由はない。見舞いたいから見舞うのである。これに敢えて理由を付けようとすると、どんなにうまく表現しても偽善臭が漂う。

本人は軽い気持ちだったのだろう。「ある本を読んだので、話を聞いてもらっていいですか?」と言ってくるから、ランチを共にした。彼は決して話が上手ではないが、ぼくは真摯に耳を傾けた。話が途切れたところで「なぜその本の感想をぼくに聞いてほしかったのか?」と切り出した。こういう場面ではつねに理由を尋ねることにしている。彼は口ごもり、説明しようとすることばがよどみ、結局理由はわからなかった。何となくという動機と付き合う気はない。こんなぼくを意地悪だと言う向きもあるが、当人に迷惑をかけているとは思わない。それどころか、理由を述べるという学びの機会さえ提供しているのだ。主義でも主張でもない。目的や理由の必要な場面とそうでない場面をぼくなりに分別しているにすぎない。

目的を共有せねばならないのに、わざわざ言わなくてもいいだろうと個人の気分で決めてはならない。「気が向かなかったから遅刻の理由を上司に言わなかったんだ」などという言い分は通用しないのである。けれども、どんな行為にも理由があるわけでもなく、理由がいるわけでもない。「なぜ」と聞かれて、目的を共有する必要がなければ、理由を告げる義務はない。仮に理由があるとしよう。そして、それを示す意欲もあるとしよう。それでも、うまく言い表せなければ理由は語れない。語れない理由を共有することはできない。


散歩に理由や目的があるはずがないと思っていたが、健康のために散歩する人がいると聞いて驚いた。Wikipediaに「娯楽として、あるいは健康増進に歩く行為全般を指す言葉」と書いてあったから、もう一度驚いた。世間一般では散歩に理由や目的があるのだ。念のために『新明解』を引いたら、「(行く先・道順などを特に決めることなく)気分転換・健康維持や軽い探索などのつもりで戸外に出て歩くこと」とある。大事な箇所が丸括弧に入っていて、その後に続くのがやっぱり散歩の目的なのである。「いっさいの理由や目的なく、ただ何となく歩くこと」というすっきりとした定義ではだめなのか。

『「散歩学」のすすめ』という本がある。ずいぶん以前に買って拾い読みし、これは衒学趣味だと即断して放置した。ウォーキングに興味のある人が読みたいと言うから貸してあげた。返してもらうつもりはなかったが、読了して返しに来たその人は「とてもためになった」と言った。なるほど、「何かのために別の何かを理由づけるタイプ」、あるいは「何かにつけて目的がいるタイプ」には受ける本なのだと思った。散歩学などいらない。いるのは散歩道である。

散歩は、長く続ければ結果として暮らしを豊かにするかもしれない。ここまでならぼくも同意するが、ここから先、散歩がなぜ暮らしを豊かにするかという推論を捻り出す気はない。くだんの本には、血行がよくなると書いてある。これは、歩いた後に体験的にわかることだ。しかし、血行をよくしたいという目的のために散歩をするのではないだろう。目的や理由がなくても散歩したいから散歩するのである。散歩は〈理屈に先立つア・プリオリな経験〉なのである。ところが、散歩が「学」として捉えられると、過剰仕様の定義が施され、免疫力や発想力の向上という理由または目的が論考される。勘弁願いたい。「学」や「力」などという概念の対極にあるのが、そもそも散歩ではなかったのか。

そぞろ歩き

散歩を言い換えれば「そぞろ歩き」である。そぞろとは「漫ろ」と書く。「気もそぞろ」とは何かが気になって落ち着かない様子のことだが、「そぞろ歩き」はその正反対。これといった理由もなく何となく漫然と歩くことだ(「漫歩まんぽ」ということばもある)。散歩にはゆとりに満ちている姿がある。目的がないから追われるような気分にならない。道すがら光景は目に入ってくるが、それは散歩しているからである。光景を見るために散歩をしているのではない。

散歩中に知り合いに会ったことがある。「お出掛けですか?」と聞くから、「散歩です」と答えた。「どちらまで?」と続けて聞くから、「散歩です」と答えた。「お買い物?」とさらに聞くから、「いえいえ、散歩です」と答えた。不愛想な男だと思われただろう。たいていの人は目的のない散歩に納得がいかないようである。

橋のことからふと考えた

フィレンツェのアルノ川に架かる名橋ポンテヴェッキオは、その名もずばり「古い橋」である。架設された時点で「古い」などと形容したとは思えない。新築の旅館にいきなり「旧館」などと名付けないように。ともあれ、ポンテヴェッキオと言えば橋のことであり、そのあたり一帯の地名を指すことはない。

ぼくは大阪で生まれ育った。八百八橋が有名だが、実際はそんな数に達したことはないらしい。名立たる大阪の橋の名は、橋が残存していれば橋そのものを表わすこともあるが、おおむね地域周辺を指す地名として使われる。東京の日本橋もそうだ。あれは橋であるが、地名として意味される頻度のほうが高い。大阪にも日本橋がある。東京では「にほんばし」、大阪では「にっぽんばし」と読む。大阪人が日本橋と言うときはほぼ地名である。ちなみに、「にっぽん」のほうが「にほん」よりも古い時代の発音と言われている。切手などは“NIPPON”

さて、ぼくの徒歩行動圏は橋の地名だらけである。淀屋橋、天神橋、天満橋、京橋、長堀橋、心斎橋、阿倍野橋……。このうち、長堀橋と心斎橋はすでに橋そのものが存在せず、地名としてのみ知られている。他の現存する橋にしても、橋よりも地名としてのアイデンティティが優勢だ。「待ち合わせは淀屋橋にしよう」と提案したら、そのメッセージは橋の上ではなく、その地域での待ち合わせを意味する。淀屋橋と聞くだけで駅を連想する者がたまにいる。京阪と地下鉄御堂筋線の淀屋橋駅に親しみがあるからだろう。言うまでもなく、「職場は淀屋橋です」と誰かが言っても、橋の上や下で仕事をしているなどと早とちりしてはいけない。


志んさいはし

すでに橋が存在しないから、「心斎橋で働いている」と言えば、勤務地が心斎橋エリアということである。かつて長堀川が流れていたが、東京五輪の頃に埋められて通りになった。すでに半世紀前のこと。当時中学二年だが、川が流れていた記憶がほとんどない。川の時代に架けられた心斎橋が、川がなくなっても架かっていたのはよく覚えている。その下を車や人が行き来していた。

何のコマーシャルか忘れたが、歩道橋時代の心斎橋に田村正和がキザに佇むシーンがあった。石柱には凝った装飾が施されていた。その橋ももう30年以上前に解体・撤去された。石造橋の一部、ガス灯だけが復元されたにとどまる。名残のシルシは交差点に申し訳程度に残っているに過ぎない。この「旧心斎橋」あたりは、中国人を多数派とする観光客のショッピング通路になっている。交差点の南東角のビルの1階スペースは、ツアー客のフリータイム後の集合場所だ。中国語以外の言語を耳にすることは稀である。

高度成長時代、地下鉄工事のために長堀川を埋め、心斎橋を取り壊した。今また、アールデコ建築の傑作と言われる大丸心斎橋店を、味も素っ気もないショッピングモールに変貌させる計画が持ち上がっている。他の46都道府県の実情に不案内なので、敢えて国民性とは言わない。大阪に限定して、経済的発展のためなら後先を考えない、辛抱の足りない府民性、いや、もっと正確に市民性と言っておく。伝統的遺産喪失の対価が単に目新しさだけでは、歴史が継承されることはない。

フィレンツェに現存するポンテヴェッキオの話に戻る。橋は1345年に再建されたとヴァザーリが記録している。再建ということばから、それ以前に存在していたことが窺える。現在、橋の上の両側には宝石店が立ち並び、その建物の上階部に通路がある。その通路が、アルノ川右岸のヴェッキオ宮殿(現フィレンツェ市役所)と左岸のピッティ宮殿をつなぐ回廊の一部を担っている。日本人なら、とうの昔にアルノ川の下に地下鉄を通し、橋を壊して殺風景な地下道を作ったに違いない。江戸末期の長堀風情に匹敵する観光価値は現在の心斎橋には微塵もない。外国人がそこに集まるのは物欲を満たす買物のためだけである。

習作した頃 #5

断章的創作ノートⅠ

 

彼はアスファルトの割れ目に自由な時間を探していた。群れの色で塗り潰された時間に自分の色が入り込む余地はなかった。彼の領域内で一分一秒ですら消化するのはもはや不可能だった。群れがこのことを特に意図したわけではない。彼にとっては知らず知らずのうちの脱色化だったのである。

仕掛けられた罠だけが陥穽とは限らない。
色が褪せるのは人為によるだけではない。


伝書鳩

伝書鳩の帰巣性のような秩序が必要だからと言って、ぼくたちにそれを押し付けるのはどうなんだろう。人間がいつまでも動物としての帰巣性に執着しなければならないなんて、ちょっぴり怪しい気がする。

善悪を抜きにしよう。人間がやっとこさここまで来れたのは、たぶん帰巣性に抵抗したからなんだ。帰巣性に逆らいはしたけれど、帰巣性を全否定せずに模擬秩序の束縛的ルールの外へひたすら逃げようとしたのさ。ただ、そのようなささやかな良識を表現し行為したのは少数派だった。ほとんどの人間はそうしなかった。それでも、少数派の良識が発揮されなかったら、今の世の中はもっと惨めになっていたはずだ。

王様が「おれは王様だぞ!」と明けても暮れても叫んでいる。そんなこと、何度も言われなくても、暗黙のうちに王様の存在を感じていると言うのに……。

きみもまるで王様みたいだ。自分を語ることになぜきみはこうも熱心なんだろう。もういいじゃないか、きみはきみなのだから。どんなきみなのか、あまりよく知らないけどね。


真理を語ろうとする人間の回りに小さな嘘つきが何人かいたら……。
小さな嘘の背後には、まるで真理のように燦然と輝く大きな嘘がある。

結末がストーリーの最終部分を占める必要などない。終幕に全エネルギーを注ぐためにいたずらに紙数を埋め合わせるのでもなければ、爆発を楽しむために導火線に火を点けるわけでもない。

一頁ごとに丹精を尽くすべきであって、つねに磁場へと向かう針先を揃え並べておくことに意味を見い出すべきだろう。一定の方位を向いた針を繋ぎ合わせてみれば、その結果としてテーマが浮かび上がるというわけだ。クライマックスだけを書くのなら、別段物語性の形式に依存しなくてもいい。短詩でも断片メモでも何だっていいのである。

《1970年代創作ノートからの抜き書き》

喜劇と悲劇

喜劇と言うと、バカ笑いのように思う向きがある。喜んで笑うだけが喜劇ではない。喜劇を観て涙を流すこともあるのだ。同様に、泣いて悲しむのが悲劇でもない。悲劇を観て満足すれば、それはある意味で喜びでもある。喜劇にせよ悲劇にせよ、観劇者の泣き笑いに本質があるのではない。同じ主題を喜劇的にも悲劇的にも仕立てることができる。演出の喜劇性、悲劇性という話なのである。

劇から離れて現実に立ち戻っても、ぼくたちは喜劇的、悲劇的という表現をよく使う。この時、喜劇的とは「高尚な笑い」ではなく、もっぱら低俗な滑稽だと見なす傾向がある。そして、悲劇的という形容のほうに道徳的なものを、人生に真摯に向き合う姿勢を感じ取る。講師が自らの悲劇的体験を語る講演会の訴求力は侮れない。悲しかったことを悲しく脚色し悲しく語る話に聴衆は共感し涙を流す。このステレオタイプを傍観して滑稽に思う。逆説のない生真面目だけの悲劇はぼくの目にはパロディとしてしか映らない。

(……)人間は自分の親をはなれたときに、はじめて親一般についての理解をもつことができる。失恋は恋愛についての知識を深め、死は生の意味を教え、絶望は希望への道を開き、歴史は今日に価値を与えているのだ。真の知識を得ようと思えば、人はまずその対象のもとを立ち去るのがいい。道徳は二宮金次郎であらわすようなこだわりからは、早く抜け出さねばならない。道にこだわりすぎるものは、かえって道を失う。そうした道徳的偶像をすすんで破壊することのほうが、いつもはるかに道徳的な行為なのである。
(安部公房『砂漠の思想』)

このエッセイが書かれてからまもなく半世紀。何も状況は変わっていない。ある価値を学ぶのに相反する価値を重ね合わせるのが有効なことは分かりきっている。にもかかわらず、相反価値に目をくれないのが人のさがある。特定の価値観だけを信奉すれば想像力に乏しくなる。そんな人間は、自ら意見を語ることよりも過去の偶像に手っ取り早く代弁させる、いや、突然ポツンと偶像をそこに置いて、自分の思いを安上がりに象徴させる。


一見オープンな社会のように見えながら、同調者が群れる閉鎖的気密性の高いグループが随所に形成されていく。これらの集団に共通するのは、ユーモアとエスプリの絶対的な欠如である。彼らは褒め合い、慰め合い、馴れ合い、悲しみと道徳を共有し、外部に対してはつねに排他的である。メンバーたちはその小グループの価値観に染まるから、自らの滑稽さに気づきにくい。要するに、自己検証の手段すら持ち合わせていないのである。類が類を呼んで同病相憐れむ集団に進化はない。そんな集団が現代でも泡沫のように結ばれては消えていく。何度も歴史で繰り返されてきた失望と失意の終幕しかないと言うのに。

“Life is a tragedy when seen in close-up, but a comedy in long-shot.” (人生は近づいてみれば悲劇、遠くから眺めれば喜劇)。

チャップリン

チャールズ・チャップリンのことばである。まったく個人的な経験になるが、映画、脚本、小説を問わず、若い頃はよく悲劇系のものを読んだ。やがて、ただでさえストレスの溜まる仕事に従事し、人間関係でも苦労し、異種意見間で論を交わさねばならない立場になって、本来慰みものであるはずのエンターテインメントになぜわざわざ悲哀を求めなければならないのか懐疑し始めた。悲しみを悲しげな表現で描くのは短絡的な写実主義だ。悲劇的な物語にこそ人生のエッセンスがあると考えるのは一つの主観にすぎない。

チャップリンは喜劇の中に悲劇を描いた。あるいは、悲劇の中に喜劇を持ち込んだと言ってもよい。人間行為の中には笑い飛ばすしかない愚かさが垣間見えるのであり、それは遠映しという冷徹な目線によってのみあぶり出される情景である。接写してありのままに悲しみだけを描いても、そんな常套手段で悲しみの本質が伝わるものではない。近づいて見る時点で、すでに感情が優勢になり対象に移入されている。他方、遠巻きに見ているかぎり、人は冷静さを失っていない。世間一般の思惑に反して、喜劇のほうが悲劇よりも理性的であるというぼくの根拠がここにある。どちらがいいとか正しいとか言うつもりはない。悲しい話が好きか、ひょうきんな話が好きかという違いである。そして、悲しい余韻だけを残す悲しい話などには付き合ってはいられないというのが正直な心情なのである。