断章的創作ノートⅠ
彼はアスファルトの割れ目に自由な時間を探していた。群れの色で塗り潰された時間に自分の色が入り込む余地はなかった。彼の領域内で一分一秒ですら消化するのはもはや不可能だった。群れがこのことを特に意図したわけではない。彼にとっては知らず知らずのうちの脱色化だったのである。
仕掛けられた罠だけが陥穽とは限らない。
色が褪せるのは人為によるだけではない。
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伝書鳩の帰巣性のような秩序が必要だからと言って、ぼくたちにそれを押し付けるのはどうなんだろう。人間がいつまでも動物としての帰巣性に執着しなければならないなんて、ちょっぴり怪しい気がする。
善悪を抜きにしよう。人間がやっとこさここまで来れたのは、たぶん帰巣性に抵抗したからなんだ。帰巣性に逆らいはしたけれど、帰巣性を全否定せずに模擬秩序の束縛的ルールの外へひたすら逃げようとしたのさ。ただ、そのようなささやかな良識を表現し行為したのは少数派だった。ほとんどの人間はそうしなかった。それでも、少数派の良識が発揮されなかったら、今の世の中はもっと惨めになっていたはずだ。
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王様が「おれは王様だぞ!」と明けても暮れても叫んでいる。そんなこと、何度も言われなくても、暗黙のうちに王様の存在を感じていると言うのに……。
きみもまるで王様みたいだ。自分を語ることになぜきみはこうも熱心なんだろう。もういいじゃないか、きみはきみなのだから。どんなきみなのか、あまりよく知らないけどね。
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真理を語ろうとする人間の回りに小さな嘘つきが何人かいたら……。
小さな嘘の背後には、まるで真理のように燦然と輝く大きな嘘がある。
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結末がストーリーの最終部分を占める必要などない。終幕に全エネルギーを注ぐためにいたずらに紙数を埋め合わせるのでもなければ、爆発を楽しむために導火線に火を点けるわけでもない。
一頁ごとに丹精を尽くすべきであって、つねに磁場へと向かう針先を揃え並べておくことに意味を見い出すべきだろう。一定の方位を向いた針を繋ぎ合わせてみれば、その結果としてテーマが浮かび上がるというわけだ。クライマックスだけを書くのなら、別段物語性の形式に依存しなくてもいい。短詩でも断片メモでも何だっていいのである。
《1970年代創作ノートからの抜き書き》