語らないと始まらない

事実に反すると知りながら虚偽を語ることは好ましくない。もし事実に反していることが自明で、しかもそのことを弁じたければ、手っ取り早く創作として仕上げればいい。事実に反することが許容され、しかも責任を負わなくていいのが創作の利点だ。はなから虚構が担保されているのである。これに比べれば、自論を語る責任のほうは重い。事実であるか事実に反しているかもわからない、また、事実の解釈にも二義性がありそうだという場面に必ずぶつかる。さあ何を語るかと遅疑逡巡した挙句、つい慎重を期して黙することになる。こうして意見を言わない小心者や保身家ばかりが増える。

ギリシアについて、安保について、専門家と言えども知悉して論評しているわけではない。極端に言えば、誰もが一部の事情通なのであり、限られた既知から推論して意見を述べているにすぎない。知が「ある程度」に備わるまで口を開かないのなら、生涯意見を開示する機会はやって来ないだろう。言論の自由、表現の自由があるのだ、「程度」を低めに設定しておけばいいのである。ほんの少し分かれば、その小さな知識に自分の経験を照らし合わせて推論する。馬脚が露わになって知識不足や論の甘さを指摘されることになる。しかし、このことは問題であるどころか、テーマを深読みし別読みする機会を与えてくれるのだ。問題を引き起こすのは、対話を成り立たせている批評・検証・反論に耳を貸さず、不十分な知見をひたすら守ろうとする姿勢のほうなのである。

対話

浅い考慮かもしれない、視野も狭いかもしれない、しかし、考察途上でそのつど意見を構築する習慣と勇気を持たねばならない。さもなければ、世論の大勢や影響力のある人物の意見に棹差すばかりで、思いもよらぬ方向に流されていくことになる。自論というのは、基本が変わらなくても形や強度が変わるものである。変容のきっかけの大半は、異種意見の論者との対話を通じて生まれる。二者間の対話においては知識に格差があるのが常である。下位の者が格差を恐れていたら、いつになっても上位の者に挑発的議論を挑めない。しかし、対話は知識と論考の合戦である。往々にして論考は知識の多寡よりも優勢になりうる。


対話において話し方がうまいなどということは決定的ではない。つまらぬことを流暢に――あるいは扇動的――大言壮語してもしかたがないのである。話し上手などと言うけれど、何を以て「上手」なのか、誰も決められないだろう。そんな当てのない上手の幻想に縛られず、日々の経験の内に熟成させてきた語りたいことと語るべきことを語ればいいのである。もっと正確に言えば、精細な自論が最初からあるはずもない。あるはずもないのに、事前に丸暗記して人前で再現してみせるのは学芸会だ。学芸会に表現と演戯はあっても、伝えることにまで意識は回らない。あどけない子どもたちのパフォーマンスには拍手を送ろう。しかし、一人前の人間が、そこに居合わせる相手に眼差しを向けることもなく、今しがた覚えてきたことをあたかも独言のように再生し、それを対話と呼んで知らん顔するならブーイングである。

つぶやくように自分の心理を吐露するXがいる。つぶやくXからは他者への視点が抜け落ちている。Xのことばは対話に求められる伝達や説明の機能を失う。下手なりにも意味を明らかにしようとする情熱のかけらもない。共有と交換という対話のていを成していない。対話をしないのではなく、対話ができないのである。自分が次に何を語るかに気を取られて、人の話など聞いていないのである。聞かなければ、その時々にしかできない、打てば響くような反応ができるはずもなく、応答はつねに的外れになり、ことばがだらしなく虚ろな表情を見せる。言語を自然学習して事足りると考える風土で対話が育つはずもない。

吐露するだけのことばに描写力は宿らない。論理は不毛であり、説得力も芽生えない。他者に向かって語られていないXのことばに傾聴する忍耐が揺らぐ。Xの自分だけに捧げることばは色褪せ、やがて他人を退屈させる。思考交流としての対話と居酒屋の泣き言・戯言との違いがわからぬX。ぼくの周囲にもあなたの周囲にもXがいる。対話から逃げるXは、早晩〈言語エイジング〉という症候群を患う。言語からの脱却なら悟りだと見立ててあげてもいいが、言語の劣化以外の何物でもない。言語エイジングが晩年の最大の不幸だと言う自信はないが、不幸の一つであることは間違いない。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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