アナログ記録が記憶にいい

7月に鳥取へ講演に行った。テーマは「マーケティング」と「プロフェッショナル」の二本立て。レトロな昭和三十年代の場末の映画館みたいだが、ぼく生来のサービスマインドのつもりである。「せっかくの機会だから」という思いだった。ついでに発想やエピソードや読書の印象などを書き込むノート習慣についても披露した。私塾の塾生にもずっと推奨してきているが、継続実行できる人はおそらく一割にも満たない。

その一割に入った、あるいは今後脱落しないだろうと思われる旧知のTさんから昨日メールをもらった。本ブログでもいつぞや取り上げた「鰻の薀蓄家」である。メールの内容は次の通り(原文のまま)。

718日(土)に147円で購入し、「特になし」のページも3枚ぐらいありますが、めでたく1冊目完了。先週末に2冊目を購入済ですから、今から2冊目です。
今日の天気は大荒れですが、結構さわやかな気持ちになっています。
ノートをつけるようになって特に感じたことは、「本を読んでもほとんど頭に残っていない」です。マーカーで線を引いても、ほとんど記憶に残っていませんでした。
岡野先生がおっしゃるように、二度読んで、ノートにつけると内容の理解や受け取り方が全く違ってきます。と、思うようになると、ノートにつけることが楽しくなってきました。まだ、4ヵ月の1冊目ですので、今後の気づきが楽しみです。


ぼくより三つばかり年下(つまり五十代半ば)なのだが、とても偉いと思う。ノートの習慣というのは、ぼくのように二十代から始めていないとなかなか続くものではない。「衰脳」にムチ打って五十を過ぎてから一念発起するのは大変なのだ。しかも、動機づけが「ついでの話」。ぼく自身しっかりと効能や手法を開示したわけではなかった。

ご本人が爽やかさを感じたように、ノート仲間が増えたことにぼくも久々に爽やかな気分である。ノリがよくて純朴なTさんゆえに4ヵ月続いたのだろう。おそらく生涯続くような予感がある。Tさんもメールに書いているが、手頃な文庫本サイズのメモ帳がいい。別に147円にこだわることはなく、無印良品ならアクリルの表紙がついた結構いいものを250円くらいでも売っている。ずっと同じメモ帳を使えばいいが、ぼくには飽き性な面もあるので、サイズは変えずとも体裁の違うメモ帳をつねに物色している。メリットがあって、表紙が変われば直近の6ヵ月のメモ帳(たとえば34冊)の新旧がわかりやすい。また、紙質も微妙に変わるから、万年筆にしたり水性ボールペンにしたりと変化も生まれる。

しかし、そんなことは瑣末なことである。何よりもメモ帳には、四囲の情報環境へのまなざしを強化してくれる効能がある。それが発想の源になる。見えていなかった変化に気づき、変わらざる普遍にも気づく。エピソードを発見して自分なりに薀蓄を傾けるうちに、アイデアの一つや二つが生まれてくる。大袈裟に言えば、〈いま・ここ〉にしかない知との真剣な出会いに幸せになるのである。一日の時間が濃密になる。何をしても自分の存在と他者・世界との関わりを強く意識するようになる。だらしないぼくが、辛くも自分の好きな仕事に恵まれているのは三十年間のノート習慣の賜物だ。

Tさん、そして、これまでぼくのノート論を聞いてくれた皆さん、一緒に続けて行こう。途中半ばで意志が折れたりサボっている人、リセットして早速今日から再出発しようではないか。

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proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

「アナログ記録が記憶にいい」への4件のフィードバック

  1.  147円のノート。なるほど,無印のノートを皆さんが持っているのは,そういう訳だったのですね。
     本に線を引くのは,父親のお下がりを読むときに,とても嫌な思いがして,一切引かないようにしてきました。自分が引いたものでも,先入観をおぼえるような気がしています。
     付箋を貼るのは,20歳頃のアルバイトの頃からしていました。ポスト・イットをお教えくださったので色々な付箋を利用しています。
     Tさんのように良い習慣が身につくことがあればいいのですが。。。まず,147円ですね。

  2. 早速にブログに取り上げていただきありがとうございます。2冊目に入り、1日2ページ強のペースになりました。頑張ってはいなのですが、楽しくやっています。

  3. 松浦さん、今日はお疲れさまでした。ノートを続ける第一ステップは、そのノートを手元に置いておくことです。最初は「何も書くことがない」という空気が漂いますが、一行、二行とひねり出すように書いているうちに、「何も書けないこと」のようが不思議になってきます。それだけぼくたちはいろんな刺激や思いつきで日々を生きているのだと思います。
    宮さん、今年の私塾では結局一度も会わずじまい。聞いて欲しかったことも多々あるので、いずれゆっくり。さて、ぼくは昔からの癖で書物に傍線を引きます。欄外メモも書きます。ぼくにとって本はサブノートみたいな存在なのですね。でも線引きは絶対ではないです。傍線習慣にはどこかに魂胆があるような気がするときもある。いずれ鉛筆片手の読書から離れていくような予感もあります。インデックスもメモも兼ねる付箋がいいかもしれません。メモ帳はぜひ。
    鳥取のTさん。くれぐれも強迫観念に苛まれないように。書くことも重要ですが、時折り振り返って空きスペースにコメントするほうが学びになります。自分の記した手書き文字に傍線を引くこともあるでしょう。それは、自己陶酔か、(忘却ゆえの)思い出しのどちらかですが・・・・・・。

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