ドニゼッティに『愛の妙薬』というイタリアオペラがある。観劇したことはないが、ラジオとCDでそれぞれ一度ずつ聴いたことがある。気弱でもてない男が薬売りから「飲めば恋が実るという妙薬」を法外な値段で買う。実はワインなのだが、プラシーボというもので、男はたちどころに陽気になり気も大きくなる……こんなふうに第一幕が始まる。野暮なので、結末を明かすのは控えておく。
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効果を見極める
一つの原因から一つの結果が生まれるようになれば、分析も予測も誰がやっても同じになるに違いない。たぶんものの見方もアタマの使い方も簡単明快になるはず。科学至上主義への懐疑も霧消して、科学は完璧主義という地位を獲得する。いや、運命決定論的にすべてを支配することも夢ではない。同時にそのことは、ハプニングや意外性やユーモアやジョークのない、さぞかしおもしろくない世界になるだろう。
ぼくのような浅学の身でも、少しでも考えようと頭に鞭打つのは、原因と結果の関係が定まらないからだ。直接・間接の原因があり、遠因と近因があるし、アリストテレスによれば質料因、作用因、形相因、目的因も考慮せねばならない。さらに、これらが混ざり合って一つの結果が生まれているわけではなく、結果も複合的であることがほとんどだ。因と果がぴったり対応しないからこそ、固定観念を反省したり創意工夫をする気になったりもする。原因も結果もよくわからないのは不安定だが、苦労せずによくわかってしまうよりもずっと精神衛生上はいいはずである。
医者に行く。「どうされましたか?」と聞かれ、「ちょっと熱があるんです」と答える。「咳は?」「時々出ます」などのやりとりの後に胸と背中に聴診器が当てられて、やがて「どうやら風邪ですね」と所見が下されて納得する。だが、なぜ風邪を引いたのかまで深く顧みることはない。仮にここ数日間を振り返ってみたところで、原因はわかりそうもないし、一つともかぎらないだろう。二、三日して体調が戻る。よくなった原因が薬だったのか、よく睡眠を取って休息したからか、あるいは自然治癒したのかは不明である。
一度でもお試しサプリメントを注文すると、その後しばらくDMが送られてくる。以前、そんなDMの一つにグルコサミンとコンドロイチン配合のサプリメントやサメのコラーゲンの案内があった。「足首や膝に痛みを感じたり階段を上り下りしたりする時に思うように動けない、脚力や関節に不安がある、そんな方にぜひ」というふれこみである。無料お試しを申し込んだのも、たしか同じような文言に反応してのことであった。
テレビにもDMにも折り込みチラシにも消費者の声が紹介されている。「歩くのも階段の上り下りも楽になった」と異口同音の摂取体験談。足に「何だか」力が入るようになり、痛みも「気にならなくなってきた」と言う。はたしてサプリメントは効いたのか。それとも、サプリメント摂取を機に、よく歩くようになり軽い運動すら始めるようになったからか。関節の痛みが改善されたのが、健康食品か新しい生活習慣なのかはわからない。
サプリメントや薬物には自己暗示を促す効果があるのかもしれない。プラシーボ効果である。ところで、こんなことを考えていくと、落ち込んでいたので買物をしたら気分がよくなったという因果関係にも同じことが言えるかもしれない。ふと、ぼくの研修もプラシーボなのではないかとの思いがよぎる。おっと、とんだヤブヘビになってしまった。残念ながら、直接効果のほどは証明のしようがない。ただ、改善や向上に努めようとするきっかけの一つになっていてほしいと願うばかりである。