書くことと考えること

電話や訪問客に邪魔されずに考える時間を持ちたいと思うことがある。何かについて集中的に考えたい時に一人の時間を作ろうとするのは常套手段のように思えるし、実際にそうしている人も少なくないはずだ。はたして、一人のほうが思考がはかどるのだろうか。

書考同源

いや、一人であるか複数であるかは問題ではない。一人であろうと複数であろうと、考えているつもりが、実は考えてなどいないことがほとんどなのである。考えようとするだけでは記憶の引き出しは開いてくれないし、考えようとしているテーマに関連したアイデアもそう易々とひらめいてくれはしない。単にイメージが湧き何かが脳内でうごめいたような気がするだけである。手を、口を動かさずに腕を組むだけでは、思考はめったに起動しない。

では、いっそのこと調べよう。考えがまとまらないなら外部からの刺激を受ければいい? そうはいかない。情報が膨れてしまうと、まとまるものもまとまらなくなる。考えの芽を摘まんでしまうという、悪循環が始まりかねない。


文学者が文章というものを大切にするという意味は、考える事と書く事との間に何の区別もないと信ずる、そういう意味なのであります。まずく書くとは即ち拙く考える事である。拙く書けてはじめて考えていた事がはっきりすると言っただけでは足らぬ。書かなければ何も解らぬから書くのである。文学は創造であると言われますが、それは解らぬから書くという意味である。あらかじめ解っていたら創り出すという事は意味をなさぬではないか。(小林秀雄「文学と自分」)

ここでの話は文学に限定されるものではない。ぼくたちは話す行為や書く行為以前に思考があると思っているが、その思考の明快性や輪郭が表現抜きでしっかりしている保障などない。言語は思考を前提としない。考えたことを話す、考えたことを書くなどという手順の胡散臭さに気づくべきだ。話す相手がいなければ書くしかない。書いてはじめて分かることがある。書くからこそ思考が触発されるということがある。考えることと書くことは一体であり同根なのである。

下手な文章を書いているときは下手に考えているのだと言われてみれば、思い当たることがあるだろう。その下手な文章に筋が通っておらず、語彙表現も適切でなく落ち着かない。もう一度推敲してみる。推敲しているうちに適所適語が見つかる。そうか、自分はこういうことを考えようとしていたのかということが、何度も書き直した文章を通じて見えてくる。

バイアスから呪縛へ

火災と報知器

真夜中に火災警報が町内に鳴り響き、はっきりと内容が聞き取れるほど大音量でアナウンスが何度も流れた。「火事です! 火事です! 12階で火災が発生しました。安全に注意して避難してください」。

ウワァ~、ウワァ~、ウワァ~、ウワァ~と、ちょっと耳慣れない警報音の後にアナウンスが続く。アナウンスの後は再びウワァ~である。これが10分以上続いただろうか。

昨日の午前245分、ほとんどの人が眠りについている時刻。ぼくの居住するマンションの裏、一本路地をはさんだ新築マンションでの出来事だ。鳴り響き始めた直後に北側のベランダに出て様子をうかがった。非常階段に人気はなく、12階を見上げても何事かが起こっている気配はない。

およそ5分後にようやく下層階の住人が何人か廊下に出てくるのが見えた。そのうちの一人が12階の方へと階段を上がって行くのも見えた。マンションとマンションの隙間に、おそらく消火機能のない、小型の消防車らしきものが到着する。最初の警報が鳴り始めてからすでに15分経過していた。しばらく見守っていたが、どうやら火災報知器の誤作動だったようである。


災害発生直後、人は取らなくてもいいのに不可解な行動を取ることがある。他方、取ってしかるべき自然な行動を取らないことがある。たとえば、マンションで警報ベルが鳴っても、ほとんどの居住者は「何かの間違いだろう」と考え、誤作動だと決めつけて動こうとしない。これを〈正常性バイアス〉と専門家は呼ぶ。バイアスとは「誤謬を招く偏見や先入観」のことだ。無意識のうちに「これは異常ではないんだ。何かの間違いなのだ」と、正常の顔を立ててしまうのである。仮に何かが起こっていたとしても、管理人か別の誰かが処置するか消防署に通報するだろうと期待する。

突発的な災害時には、もう一つ、〈多数派同調バイアス〉という状況が生まれやすい。マンションの他の多数の住民が何もしていないことにならって、自分もじっとするのが安全だと都合よく判断してしまう。このバイアスに「誰かが何とかするだろう」という期待が重なる。もし、誰かが階下や階上で動き始めた気配を感じれば、今度はそれに同調して自分も動く。

もっと恐ろしい心理状態がこの後にやってくる。これは間違いなんだと自らに言い聞かせ、みんなに合わせようとした結果、無思考状態に陥り凍りついたように身動きできなくなるのだ。マンションの住民はそれぞれ独立した居住空間に住んでいる。にもかかわらず、マンションというくくりの集団に属している。ふだんは都合よく自分だけで生きているくせに、非常事態が発生すると個別心理を集団心理にシフトする。

以上のような心理状態は非常事態に固有のものではない。よく考えてみれば、平時でもよく似た気質や行動が見られるではないか。「みんなと同じであろうとすること」や「誰かに期待をかけること」は日常茶飯事的な性向なのである。標準意識、安全神話、甘えの構造が根を張っている。しかも、一難去って教訓残らずの憂いありだ。裏のマンションの連中、もう忘れているだろう。結果オーライで済ませてはいけないのである。

名画と自宅の壁に掛ける絵

蒐集家でないぼくたちが鑑賞する名画のほとんどは、美術展や図録内での作品である。レンブラントの、たとえば〈テュルプ博士の解剖学講義〉は日常からかけ離れた鑑賞の対象であり、美術館所蔵的な「遠い存在」と言ってもいい。

この名画を自宅の日常的な空間の壁に掛けるとする。その絵は食卓からも見える。来客の目にも入る。テレビを見るたびに、視野の隅っこに見えるかもしれない。昼夜を問わず、在宅しているかぎり、その絵は見える。さて、それでもなお、これまでの遠い存在として抱いていた憧憬が変わらずに持続するだろうか。今や身近な日常的存在としてそこにある絵は、芸術価値を湛えた名画としてあり続けるのだろうか。レンブラントの絵が気に入っていることと彼の名作の一点をリビングに飾ることは、決して同じことではない。

光と闇の魔術師レンブラントの絵画は、古色蒼然とした城の壁に似合うかもしれない。だが、ぼくの住む安マンションでは息が詰まりそうだ。もちろん、作品は不相応な場に飾られて大いなる役不足を嘆くに違いない。しかし、生意気だが、ぼくの方からもお断り申し上げる。どんな絵がよいのか……鑑賞するならどの絵で、飾るのならどの絵なのか……。議論してもしかたがない。月並みだが、好きな絵がよい絵なのである。ぼくはレンブラントの価値を云々しているのではない。資産価値を度外視するならば、自宅の壁にレンブラントを掛ける気分にはなれないと言っているにすぎない。


Antoni_Gaudi_1878

スペインはカタルーニャの人、アントニ・ガウディは地域性(または風土)と芸術性・合理性について明快な私見を有していた。彼は、自分の、そしてカタルーニャに代表される地中海の気質を誇らしく思い、ヨーロッパの他の地域との個性差について次のように語っている。

われわれ地中海人の力である想像の優越性は、感情と理性の釣り合いが取れているところにある。北方人種は強迫観念にとらわれ、感情を押し殺してしまうし、南方人種は色彩の過剰に眩惑され、合理性を怠り、怪物を作る。

ガウディは「本当の芸術は地中海沿岸でしか生まれなかった」と言い切った。この言を受けて、「しかし、北ヨーロッパにもレンブラントやファン・ダイクのような立派な画家がおりますが……」と知人が指摘すると、ガウディは「あなたの言っているのは、ブルジョアの食堂を飾るにふさわしい二流の装飾品にすぎない!」と激しく北方芸術をこきおろした(『ガウディ伝―「時代の意志」を読む』)。地中海主義に比べればレンブラントの絵は暗鬱だと言わんばかりである。

では、レンブラントと同じオランダ人のゴッホをどう説明するのか。ゴッホはフランスのアルル地方の影響を受けて明るいコントラストと力強い画風を確立したではないか。しかし、元を辿ってみると、実はゴッホ自身もオランダ時代には貧民の働く姿をグレー基調で暗く描く作家だった。そして、後年もオランダの暗さと光を称賛していたという。

ところで、ガウディが南方人種として批判しているのは誰なのか。同じスペインでも最南端のマラガ生まれのパブロ・ピカソは標的の一人なのか。晩年のピカソは色彩の過剰に眩惑されていた傾向があるが……。

エントロピー増大、または宴の後

〈エントロピー〉の物理的法則について全容を語る資格はないが、素人解釈でかいつむことにする。

宇宙は時間の経過とともにエントロピーを増大させる。そして、一方的に増大するばかりで、今よりも秩序だっていた過去には絶対に逆戻りしない。生命体も同じである。加齢にともなってエントロピーは増大する。不可逆的に秩序から混沌カオスへと向かい、やがて死滅する。

エントロピーは「大きい、小さい」で表現される。たとえば、部屋が整理整頓されている時に「エントロピーが小さい」と言い、散らかった状態になると「エントロピーが大きい」と言う。宇宙や生命と違って、たとえば部屋などはある程度元に戻せる。耐えきれないほどの混沌状態になれば、いらないものを捨て、いるものは元の場所に片付けて整理整頓することができる。さらに、部屋を使わなければある程度秩序も保てる。断捨離とはエントロピーを縮減することだ。しかし、いずれまたモノは増え、部屋は秩序を失う。人が生きていくという過程では――そして、何らかの生産活動をおこなうならば――やがて部屋は散らかってくるのである。

学習して知識を得る、外界と接して情報を取り込むのもエントロピーを増やす行為にほかならない。学べば学ぶほど脳は混沌の様相を呈する。それを苦しみと考えるならば、知識や情報の流入量を減らしてわかりやすい秩序に戻るしかない。エントロピーを増大させたくないのなら、何もしなければいいのだ。しかし、それは創造的生き方に逆行する。きわめて逆説的に響くだろうが、人が生きるということはエネルギーを消費することであり、多かれ少なかれ、環境に負荷をかけて散らかしていくことなのだ。脳内カオスは創造的営みに付きまとうのである。


宴が始まる前の宴会場には料理が整然と並び、空気が張りつめてシーンとしている。客が会場に集まり開宴の時点からエントロピーが徐々に増大し始める。飲み喰いに興じ、料理がみるみるうちに少なくなり、酒が尽き始め、客の定位置も乱れ、あちこちで雑音のように会話が飛び交う。

やがて宴もたけなわ、エントロピーはお開きの時間までさらに増大し続ける。客は知らん顔して宴会場を後にするが、店側は翌日に備えてエントロピーを小さな状態に戻し、次の宴席を開く。もし、自宅でへべれけになったら、翌朝エントロピーが増大したままの光景を目の当たりにするだろう。

Dopo il banchettoKatsushi Okano
After the banquet (宴の後)
2014
Pastel, ink, watercolors, felt pen

否定の話

「~がある」も「~がない」もとても明快である。前者が肯定で後者が否定の基本文型だ。「Pがある」の否定形は「Pがない」。疑う余地はない。「Pがある」の否定を「Qがある」と早合点してはいけない。否定という作業はお節介に代案を示すことではないからだ。「天候は晴れである」の否定は「天候は晴れではない」であって、「天候は雨である」ではない。

否定.jpg

順序で言えば、はじめに肯定ありきで、その次に否定が来る。「そろそろ休憩にするか」という肯定的な提案の後に、「いや、休憩はいらないだろう」という否定がありうる。このことから何が言えるか。否定はつねに肯定を前提とするが、肯定は否定を前提にする必要がないのである。肯定を吟味しないで唐突に否定が生じるのではない。肯定を保留し懐疑してはじめて否定が登場してくる。下記引用の視点を頭の片隅に置いておけばいい。
「言語をもち、世界の像を作り、そうして、可能性へと扉が開かれている人だけが、否定を捉えうるのである」(野矢茂樹『論理哲学論考を読む』)

ふだん人は肯定的にものを見る。いまぼくの視野は机の上のペットボトル、目薬、銀行員の名刺、小銭入れをとらえている。とても素直な見方であり、すべて「~がある」と肯定しうる事実である。「~がない」と言い得るためには、そのないものへの欠乏感が必要だ。コーヒーが飲みたくて、そしてここにコーヒーがあってもいいはずだと考える時に、「コーヒーがない」という否定形の文章を発したり思いついたりする。あるがままの現実を素直に見ているだけでは、否定などという発想は生まれない。「何かがある」と認識するよりも、「何かがない」と気づくためには「不在」への強い意識と目配りが欠かせないのである。

人や意見を褒め、受容し、承認するなどの肯定的行為がつねにいいことだと考えている人がいる。類は類を呼んで群れ、まるで同病相哀れむような関係では成長も進歩もないだろう。否定行為への風当たりは強いが、無思考的に左から右へと流すような〈肯定〉よりは、一度立ち止まる〈否定〉のほうが健全な発想なのではないか。
論理思考ないしは論理学においては、否定はかなり重要な役割を担う。念のために書いておくと、論理学では論理を通すためにきわめて初歩的な品詞を使う。「PはQである」という時の「~である」。それを打ち消す「~でない」。おなじみの「AかつB」の「かつ」と、「AまたはB」の「または」。あとは「すべての~」と「いくつかの~」である。これらの日常茶飯事よく使う語を単純な規則で組み合わせれば論理の一丁上がりというわけだ。
しかし、単純明快に使いこなすには慣れも必要である。とりわけ、否定に戸惑う人がいる。たとえば「AかつBである」(A and B)の否定は、「AでないかBでない」(not A or not B)である。「彼は京都と奈良に行った」の否定は、「彼は京都か奈良のいずれかに行かなかった」であって、「彼は京都にも奈良にも行かなかった」ではない。また、「AまたはBである」(A or B)の否定は、「Aでもなく、かつBでもない」(not A and not B)となる。「彼女は風邪薬か頭痛薬のいずれかを飲んだ」を否定すると、「彼女は風邪薬と頭痛薬のどちらも飲まなかった」になるのである。
ともあれ、前言の検証があり、その前言に異議ありと確信してはじめて否定が成り立つ。否定には一工夫がいるし、責任もともなう。単純にノーを発して知らんぷりできるような作業ではないのである。否定を批判と読み替えることができる場面がある。否定される者は批判する側が自分に関わってくる動機をよく読まねばならない。

二人称の語り

きみは真鍮しんちゅうの溝の上に左足を置き、右肩で扉を横にすこし押してみるがうまく開かない。

ミシェル・ビュトールの『心変わり』はこのように始まる。そして、次のように終わる。

通路にはだれもいない。きみはプラットホームの群衆を眺める。きみは車室コンパルティマンを離れる。

ビュトール 心変わり

この小説のあらすじをここに書くつもりはない。もっとも、ぼくが読んだのは三十数年前で、あらすじを書けるほど覚えてもいない。パリからローマへと一人旅する男の列車内における観察と描写は執拗であり細部に及んでいる。話よりもそのことが強く印象に残っている。

主人公が「おれ」や「ぼく」や「わたし」などと一人称代名詞で語っているなら、読者は他者として状況や物語を感じ取ることができる。また、「彼」や「彼女」と三人称であれば、読者と主人公の距離は少し広がって客観する立場が強まるかもしれない。ところが、この小説は二人称代名詞の「きみ」で綴られ、それによって注目を集め話題になった。


おれは昨晩度を越すほど酒を飲み、翌朝ひどい頭痛に悩まされた」と書かれていても、「あ、そう」と読者は平然と読めばいい。ところが、「きみは昨晩度を越すほど酒を飲み、翌朝ひどい頭痛に悩まされた」と作者が綴れば、読者は否応なしに当事者へと変身させられてしまう。読者であるはずのぼくが、「きみ」という二人称の語りを読み進めるにつれ、作品の中へ主人公として引き込まれてしまうのである。

「その日、きみは午前七時に起床して、近所の喫茶店でモーニングを注文した」と書かれると、行動が観察されたことになる。いや、このように事実を語られるだけならまだ冷静でいられる。しかし、「きみはトーストの端っこを齧り、バターの味が薄いことに若干の不満を覚えた。むろん、そんなことできみは腹を立てたりなどしない。コーヒーをすすってトーストを流し込んでしまえば別にいいさ、ときみは思う」となると、話は別である。心象や心理まで描かれたら、すべてを見透かされた気分にならざるをえない。「いや、違う。ぼくはそんなふうに思ったりしていない」と反撥しても、書き手は一切聞く耳を持たず、「きみ」を主語にして話を進めていく。

誰が語っているのか、誰が思い行為しているのかが明示されなければ、文章で語られていることは空疎なのだ。再び『心変わり』の一節。誰がそうしているのかがわからないように主語を伏せてみた。どうだろう。なんとなく落ち着かず、「いったい誰が?」と問いたくなる。

扉から頭をつきだし、左右を眺め、車室をまちがえたのに気がつき、遠ざかり、見えなくなる。

この主語が「きみ」なら事件だが……。実際の文章は次のように書かれている。

ひとりの男が扉から頭をつきだし、左右を眺め、車室をまちがえたのに気がつき、遠ざかり、見えなくなる。

文は個々の単語の組み合わせで意味を持つ。しかし、それ以上に重要なのは「主述関係」という構造なのだ。主語の人称が変わると主語と述語の関係が変わり、ひいては意味や気分が変わり、そしてたぶん、思考軸までもが変わるのである。

反対尋問

ディベートをあまりよくご存じない人のために書く。

ディベートとは、ある論題を巡って、賛成を唱える〈肯定側〉とその肯定側の意見に反対する〈否定側〉が是非を議論する討論形態の一つ。折衷論や中間意見を排除して、イエスとノーだけの二律背反的討論を繰り広げる。

論題には政策を扱うものと価値を扱うものがある。たとえば「わが国は首相公選制度を導入すべきである」が政策論題、「電子書籍は有益である」が価値論題である。いずれの論題でも、賛成か反対かを巡って意見が対立する。議論する立場の肯定側と否定側は、それぞれ“Affirmative”“Negative”という英語からほぼ直訳されたようだ。役割面から言うと、肯定側が論題を「提唱」し、否定側が提唱内容を「検証」する。

まず最初に、肯定側が論題を支持する主張・証拠・論拠を論じる。これを〈立論〉と呼ぶ。この立論に対して否定側が〈反対尋問〉をおこなう。わかりやすく言えば、質疑応答である。次いで、否定側の立論に対して肯定側が反対尋問する。こうして、お互いに立論と反対尋問を通じて争点を浮き彫りにし、次のステージでは相手への反論、相手からの反論に対する防御をおこなう。このステージを〈反駁はんばく〉と言う。


ディベートの要となるのが反対尋問である。上級者どうしになると鋭利な質問が投げ掛けられ、鮮やかな応答でしのぐ。観戦者は見事なやりとりに息を飲むことがある。アメリカの政治家・外交官であり弁護士でもあったジョン・W・デイビスは、反対尋問を「もっとも大切でもっとも難しいヒューマンスキルの一つであり、人の性格が反映する」と断言する。つまり、反対尋問の仕方と受け答えを見れば、その人が不器用であるか軽率であるか自信過剰であるかがわかると言うのだ。

反対尋問

そのデイビスが父親から読めと言われて手渡されたのが、名高い弁護士フランシス・L・ウェルマンの著になる『反対尋問』である。書かれたのは1903年。19歳でディベートに出合ったぼくは当時この本の存在を知らなかった。37歳の時に大学生・社会人のためのディベート研鑽の場である関西ディベート交流協会を起ち上げ、国内外を問わずディベートに関係する書物を買い漁った中にこの一冊があった。

本書は教育ディベートのための反対尋問ではなく、裁判における反対尋問の実録集である。そこらの読み物の比ではないほど、スリルとサスペンスに満ちた質問と応答の応酬が繰り広げられる。今もオフィスの本棚にあるこの本、傷みが激しい。ぼくが二度、三度読んだだけならこうはならない。実は、ぼくの弟子筋の一人に貸したところ、その話を聞いて次から次へとリレーされて「貸本」状態になったせいである。久しぶりに手に取ってみて、ある種の感慨を禁じ得ない。稚拙なコミュニケーションで苦しむ人たちにこの本を読んで欲しいとは思わないが、せめて「問う技術、答える技術」を磨く努力を怠らないようにと願うばかりである。

禅と論理思考

万寿寺

昨年10月に続き、さる5月に禅文化研究所主催の論理思考講座を受け持つ機会があった。対象は禅僧と檀家さん、場所は大分市の万寿寺。受講された方々との意見交換があったわけではないが、帰りがけに一人の禅僧がそばに来て、こうつぶいたのである。「いい勉強になりました。わたしの課題は哲学の不在だったことに気付きました」。

もちろん総意ではなく、個人的な見解と思われる。ちなみに、厳密に言うと、論理思考と哲学はイコールではない。だが、概念を扱ったり念入りに物事を突き詰めていくという点で、論理思考は哲学の補助ツールにはなる。

禅僧が論理思考を学び、議論の技術であるディベートを体験するというのは、かなり特殊で例外的なことなのだ。野球の選手がサッカーに興じるなどというどころではない。極論すれば、禅僧は理屈や議論になじむのを常としないから、ある種のコペルニクス的転回と言ってもいいくらいの逆転発想なのである。


鈴木大拙師は『禅』の中で次のように書いている。

禅は議論したり、学説を立てたり、説教したり、説明を試みたりすることを拒む。それどころか、自分の中から出てきた問いに対する答えは、自分自身の中で見つけ出せ、と言う。なぜならば、答えは問いのあるところにこそあるからである。禅僧は言う、「わしの言葉はわしのもので、お前のではない、お前のものとはなり得ない。すべてはお前自身の中から出てこなければならぬ。(傍線は岡野)

議論したり、学説を立てたり、説教したり、説明を試みたりすることを拒むことを遵守していると、ぼくは食っていけなくなる。顧客へのプレゼンテーションで説明をしなかったら、「お前は何をしにここへ来たんだ」と文句を言われる。この一文に関するかぎり、禅と論理思考は基本的に相容れない。ところが、傍線部は禅の専売特許ではない。

およそ問いが立てられるのであれば、この問いには答えることができる。

哲学者ウィトゲンシュタインのことばである。どうだろう、同じことを言っているではないか。「汝、問いたまえ」は洋の東西、古今を問わず、普遍的な教えなのである。しかも、誰かから問われて答えることに安住してはならない。自問自答こそが問いと答えの基本である。問うとは問題提起であり、答えるとは一つの責任の負い方だ。誰かに問われたら答え、問いを投げたら誰かが答えるというような、いずれか一方しか行為しないのでは問答の本質をきわめることなどできないのである。

ちょうどいい数字

咲き誇る吉野のシロヤマザクラがテレビの画面に映し出されている。「その数、なんと3万本!」とナレーターが言い切っている。えらく正確に数えたのだと皮肉る気はないが、もし賭けの対象にするなら「ぴったり3万本」に賭ける気はしない。あらためて言うまでもなく、3万本というのは概算に決まっている。

「沿道には1万人の見物客が集まっている」と報道されても、ちょうど1万人だとは誰も思わない。おおよそ1万人である。では、約9,950人でも約10,180人でもよさそうなものだが、決してそんな「中途半端な数字」を発表することはない。報道する側も報道される側も「ちょうどいい数字」のほうが落ち着くのである。
 
「今年でちょうど40才になりました」と言う人はいるが、「今年でちょうど37才になりました」とは言わない。そう、40がちょうどいい数字なら37はちょうどいい数字ではない。その40にしても、1050100に比べると「ちょうど感」がやや薄まってしまう。
 

 十進法では1210よりも中途半端なのに、一日の時間は十二進法であるから、12時がちょうどいい時刻に見えてくる。1時間や60分がちょうどよく、1分や60秒もちょうどよい。時を十二進法で刻み、分秒を六十進法で刻むという使い分けにぼくたちはすっかり慣れていて、器用に1260をちょうどいい数字として使いこなし、しかも違和感を覚えないのである。
 
ぼくが生まれてから60余年を経たが、これまで同様に、また、これから先、何万年も何百万年も地球の歴史は46億年であり続けるのだろう。こんな気の遠くなる数字に精度を求める気はしない。46億分の60は「ほぼゼロ」であるから、これでいいのである。中国の歴史もずっと四千年で来ているが、こちらは微妙だ。四千年に占める60年は1.5パーセントに相当するから、これを黙視していいのかどうか。
 
同じ文化圏にいる人々の間では、ちょうどいい数字や中途半端な数字に対する共通観念がある。それでも、人それぞれの都合で微妙にズレが生じる。「777」などは700よりも中途半端だが、ある人たちにとってはこれが「ちょうどいい」。区切りのよさだけではなく、並びのよさもちょうどいい数字の要件を満たす。一万円札を渡す。レジ係が「お釣りのほう、ちょうど1,219円になります」と言えば、かなり不自然である。しかし、レジ係の誕生日が「1219日」だったら、これ以上のちょうどはない。偶然の一致もちょうどいい数字になるからおもしろい。
 
自然や社会を理解しやすいように言語で分節するのが人間の習性である。数字を言語の仲間あるいは変種と見なすなら、数字には時間や価値や変化を都合よく解釈する分節機能が備わっている。ちょうどいい数字は人間の編み出した分かりやすい表現方法なのである。

一つの正解の非現実性

一問多答.jpg「一つの問いに対応する唯一の答え」というケースが現実にないわけではない。簡単な例で言えば、「22を足すといくつになるか?」という一つの問いには「4」という、ただ一つの答え(正答)が対置する。「アメリカ大陸は西暦何年に発見されたか?」への答えは「1492年」であり、少なくとも学校世界史においてはそれだけが唯一の正答であり、それ以外はすべて誤答ということになる。 

わが国の教育制度に十代後半までどっぷり浸かってきた青少年は、当面の正答欲しさ――ひいては成績のため――ゆえに、このような一問一正答方式をいぶかることはなかった。では、教育現場では一問一正答という形式がなぜ成り立っているのか。一つの問いが示されてから答えが生まれるからではない。むしろ、すでに唯一絶対の答えが確定しているところに後付けで問いが作られて一問一正答が出来上がる。たとえば、コロンブスという答えを出させたいがために、「誰がアメリカ大陸を発見したのか?」という問いが発案される。要するに、教師が答えを知っているから成り立つ形式なのである。

さて、一問一正答に慣れきった学生は、その一答が正しいと認められて歓喜する。あるいは、誤っていると指摘されて悔しがる。こういう単純な正誤評価を当たり前と信じたまま、学生は学校を出て実社会に船出することになる。ここでも問いが提示され、それが一つであることも稀ではない。しかし、「誰が、いつ、どこで、誰に、何を」などという過去に関する事実探しは二者間の問答としてはほとんど生じなくなる。これらは、知らなければ「調べれば済む」という調査の対象に切り替わるのである。実社会では「誰が、いつ、どこで、誰に、何を」という問いは、不確定の未来に仮定的に向けられる。そして、さらに不確定な「なぜ、どのように」が頻繁に問われる。ここに到って、一問一正答方式の出番は激減し、一問多答もしくは多問多答という形式が優勢になってくる。


ぼくの従事する企画という仕事では、誰も近未来の答えを知らないことが前提にある。にもかかわらず、「これは正解でしょうか?」と、いつも不安な顔をしてぼくに尋ねてくるスタッフがいた。たとえば「この商品のターゲットとしてどんな顧客を想定すればいいだろうか?」とぼくが問えば、彼は机に戻ってしばらく考えてから、「こういう顧客を想定しました。間違いありませんか?」と聞いてくるのだった。 

「きみ、ぼくが近未来の事柄について知っているはずがない。ぼくには正答がわからない。いや、正答なんてそもそもないのかもしれない。きみが想定した顧客が一つの答えとして成り立つかどうかは、きみの理由づけや説明の妥当性次第なんだ。そして、そのことについて二人で論じ合ってはじめて『答えらしきもの』が仮説的に定まるのだよ」と返事したものである。ぼくの一問には複数の答えがありうる。そして、ぽつんと提示するだけでは答えは有効にはなりえない。数ある答えのうち、自分が選んだ答えに理由と説明を加えて蓋然性を高めてやらねばならない。すでに存在する正答を発見するのではなく、正答を創造するというのが本筋なのだ。

ヒナがあんぐりと口を開けてエサを待つように、一つの問いが上司や顧客から投げられるのを待つ。しかも、その一つの問いに必ず一つの正答があると信じ切ってあれこれと考える。そんな正答発見型の頭の使い方でいいのなら、調査能力に長けた人材が一人いればいいことになる。実際、嘆かわしいことだが、創意工夫が求められる仕事でありながら、依然として調べ上手が重宝されている組織が少なからずある。

一問多答、そして多答からもっとも蓋然性の高そうな答えに絞り込んでいく。こうでなければ一人前のプロフェッショナルになりきれない。この先には、多問多答が当たり前の複雑怪奇な場面が待ち構えている。さらにその先では、他者から問われることなく、自ら問いを発して答えを導出しなければならない状況に遭遇するだろう。バカの一つ覚えのようにウィトゲンシュタインを引く。

言い表わすことのできない答えには問いを言い表わすこともできない。謎は存在しない。およそ問いが立てられるのであれば、この問いには答えることができる 

傍線部は意味深い。問いが立てば答えが見つかるなどとは言っていない。問いが立てられなければ答える資格が得られないと言っているのだ。問いがあるからこそ答えようとする。正答や誤答は別問題、一答でなければならないと気負うのは論外である。答えるという仕事に参加するためには、まず問いがいる。そして、その問いを自ら立ててみる。問いを立てるその瞬間から答える行為が始まる。困り果てたら腕を組むのではなく、言語的に突破口を見つける。言うまでもなく、問答の技術、問答による解決能力は、ほぼ言語の技術に対応するのである。