「偽りを語るなかれ」

もう二年半前になるが、本ブログで嘘について集中的に書いたことがある。ギャグのようなもう少し嘘の話嘘つき考アゲイン性懲りもなく「嘘」の、堂々(?)たる四部作。久しぶりにさっき読み直してみた。自画自賛とのそしりを覚悟して言う、結構おもしろかった。

人は嘘をつく。但し、嘘をつくという理由だけで、やみくもに「嘘つき」呼ばわりできない。嘘つきとは「常習の確信犯」のことである。困った挙句に時々小さな嘘をつくぼくやあなたは彼らの同類ではない。嘘も方便という常套句の力を借りれば、「お似合いですよ」などは愛想混じりの嘘だから許容範囲だろう。但し、可愛げのある嘘も正当化し続けていると、可愛げがなくなるから要注意だ。

それにしても、人はなぜ嘘をつくのか。詐欺師は騙すことによって利を得ようとする。ぼくたちの場合は、だいたい都合が悪くなって嘘をつく。都合が悪い理由のそのさらなる理由は千差万別だろう。今の時期、嘘と言えば「八百長事件」を連想してしまうが、それはまた別の機会に取り上げよう。今日のところは、見栄や執着心と嘘との関係である。タイトルの「偽りを語るなかれ」は6世紀中国の学者、顔之推がんしすいの言とされる。


不可抗力によっても強いられる有言不実行とは違って、虚言は多分に意図的である。期限や約束破りは結果として偽ったことになる。愚かしいことに、その偽りをカモフラージュするために嘘を上塗りする。考えてみれば、都合を良くしようとする点では利を得ようとする詐欺師とあまり変わらないのだ。孫引き参照になるが、中村元の『東洋のこころ』に次のような引用がある。

「真実であるようだが、虚偽であることばを語る人がいる。そういう人はそれゆえに罪に触れる。いわんや嘘を語る人はなおさらである。」
(『ダサヴェーサーリア』75

「この世で迷妄に襲われ、僅かの物を貪って、事実でないことを語る人、――かれをいやしい人であると知れ。」
(『スッタニパータ』131

さて、嘘には〈偽薬効果プラシーボ〉があると思う。嘘も方便を足場にして毎日おだてているうちに、下手が上手になったり弱者が強者に変わったりすることもある。逆に言えば、まことの人が何かの拍子で舌に嘘を語らせ、悪しき口業くごうを繰り返すようになるうちに、「虚人」に成り果てることだってありうるだろう。

人はなぜ嘘をつくのか。先の書物で中村元は言う、「それは何ものかを貪ろうとする執著しゅうじゃくがあるからです」。執著、すなわち「こだわりの心」。何にこだわるのか。見栄にこだわり、やがて見栄が転じて虚栄となる。不完全な人間のことだ、非を認めずに我を通そうとすれば、嘘の一つもつかねば辻褄が合わなくなるだろう。嘘をつかない処方は簡単だ。我を引っ込めて非を認めればいいのである。

類似性への気づき

論理思考の研修経験は豊富であるものの、何もかも承知しているわけではない。ある程度詳しい分野もあるが、きっちりと誰かに説明する段になると話は別である。他者に説明できないのは十分にわかっていないからなのだと自覚している。だいたい論理学で扱われる、〈演繹〉や〈帰納〉などの用語につきもののペダンティック臭が気になる。と書いて、この「ペダンティック」などということばがその最たるものだと気づく。これは衒学的という意味。やれやれ、日本語で説明してもやっぱり鼻につく。「オレは知識があるぞと、ひけらかすこと」である。

未だによくわかっていると胸を張れないのが、最重要語である〈論理)、そしてその形容詞である〈論理的ロジカル〉の意味である。論理学で扱う論理という用語になじむ前に、「あの人(またはあの人の話)は論理的ではない」というように日常的な使い方を身につけてしまっている。ここから、論理が「筋の通っていること」、ひいては話の中身にまで立ち入って「矛盾していない、理路整然としている、明快である、わかりやすい」などと理解する癖が身についてしまっている。これはこれで必ずしも都合が悪いわけではないが、論理学では論理という用語をもっと素っ気なくとらえてしまう傾向がある。

ついこの間も、〈推論〉と〈類推〉の違いについて聞かれた。専門用語辞典のほうが精度が高いのはわかっているが、この質問を誰かにしなければならない人が辞典を読んで細密な定義の相違を理解できるはずがないのである。論理学者が耳にしたら怒るかもしれないけれども、手ほどきというものはおおむね大づかみなものなのだ。「推論は一つまたは複数の前提から結論を導くこと。類推は、この前提のうちに別の確証性の高い何かとの類似を見い出して結論を導くこと」と説明した。

そして、「論理というのは、中身のことではなく、推論の型のこと。前提を認めたら結論を認めざるをえないような型ならば論理的と言える」と一言付け加えた。これが余計なお世話で、質問者を混乱させてしまったかもしれない。わかりやすく解説しているつもりだったが、やっぱり「ペダンティックで衒学的で内包的定義」に過ぎる。ほんとうに嫌になってしまう。隙間なく規定された体系というものは、用語を精密部品のように操ることを強制するのである。


Xという前提からYを導く推論」を論理学で学ぶときはたいてい答がわかっている。「生卵を硬い床に落とすと(X)、割れてしまう(Y)」という具合だ。この推論は、Xという原因からYという結果が生まれるという因果関係を扱っている。論理の前に経験でわかってしまう。ところが、現実世界ではこうはいかない。「この広告を掲載すれば(X)、売上倍増になるだろう(Y)」のように、XYという結果をもたらすには、X以外にどんな前提が必要かという点まで考え抜かねばならないのである。

差異がわかっているから類似に気づき、類似がわかっているから差異に気づく。類似と差異はワンセットだ。AというパンとBというパンの味がよく似ている。Aに使用している小麦の産地がCなので、Bのパンもそうかもしれない――これが類似による類推(あるいは類比アナロジー)である。推論の蓋然性、つまり、「ありそうなこと」は定まらない。

「いま確かなことは三つだけである。一つ目は顧客の価値観が多様化していること。二つ目は顧客の願望が高度化していること。そして、三つ目は、この二つ以外に確かなことは何一つないということだ」。

これはフィリップ・コトラーのことばだが、要するに、確かなことは二つしかないということをデフォルメしたものである。ところで、ポンペイの遺跡で有名なヴェスヴィオ火山の噴火で亡くなったプリニウス1世(紀元23年-79年)に「唯一の確かなことは、確かなものなどないということだ」というのがある。コトラーはこのことばをもじったのか。それとも偶然の類似性か。いずれにしても、類似性に気づくためには、ある事柄を既に知っている別の事柄と照らし合わさねばならない。差異も同様である。気づくとはそういうことなのである。

二つの問題と知の分母

問題発生や問題解決などの四字熟語は、問題が歓迎されるものではないことを明示している。「問題が起こりました!」はいい知らせではなく、「問題が解決しました!」はいい報告である。「発生すると困り、消え失せるとうれしくなるもの、なあ~に?」というなぞなぞに「問題」と答えれば正解になる。もっと具体的に、シロアリの巣または借金またはシミ・ソバカスなどと答えてもよい。と言うよりも、{シロアリの巣、借金、シミ・ソバカス、クレーム、犯罪、凡ミス、etc.}を外延的要素として束ねる集合を〈問題〉と呼んでいるのである。

しかし、ここで少し冷静に考える必要がありそうだ。問題は頭を抱えるような困りごとばかりなのだろうか。いつも煩わしい事態を招くものばかりなのだろうか。実は、問題とぼくらが呼んでいるものは、正確には二つの種に大別できる。一つは〈プロブラム(problem)〉で、排除したり解決したりすべき原因を含むもの。そしてもう一つは〈クエスチョン(question)〉で、わからぬことを疑ったり新たな方法を問うたりすることである。便宜上、前者を〈P問題〉、後者を〈Q問題〉と呼ぶことにする。

「胃が痛い状態」はP問題である。P問題ではあるが、素人である本人には原因不明であることが多い。そこで専門家である内科医がその原因を診断し、原因を取り除くべく胃薬を処方したり養生の方法を指南する。P問題で困っているなら、問題の原因を排除する。それによって問題が解決する。原因を究明できれば問題は解決するが、原因が一つであることはほとんどなく、たいていの場合複数因が存在する。


Q問題がP問題とまったく異質であるわけではない。「胃が痛い」と感知した時点ですぐさま医院に駆けつければ、問題はP問題に留まる。「なぜ胃がしくしく痛むのだろう? 昨日食べた何かがよくなかったのか? それともここ最近の暴飲暴食のせいか? いやいや、仕事のストレスで胃が衰弱しているのか? これから胃腸を強くするにはどうすればいいのだろうか?」などと問うことによってはじめてQ問題へと発展し、少しでも推理したり振り返ったりする動機が生まれる。問いを発したからといって答えが見つかるわけではないが、問うことは答えに向けて考えるきっかけを誘発してくれる。

以上のように、Q問題はP問題の原因のありかと関わることがあるが、注意は、原因とは無関係な発見や創造に向けられる。そして、発見や創造への展望は、Q問題に入ることから開き始める。「言い表わすことのできない答えには問いを言い表わすこともできない。謎は存在しない。およそ問いが立てられるのであれば、この問いには答えることができる」(ヴィトゲンシュタイン)という至言を本ブログでも何度か紹介しているが、太字のように断言できるかどうかはさておき、問うことなくして答えが見つかることは到底ありえない。

混沌や無知蒙昧の中から問い(=Q問題)は生まれない。それどころか、P問題にすら気づかない。問題が問題であることに気づくためには、〈非問題〉に関する膨大な知のデータベースが前提になるのである。非問題の知識とは、平常の秩序的・共通感覚的なパターンのライブラリーだ。〈参照の枠組みフレーム・オブ・リファレンス〉としての知の分母と言い換えてもいい。問題意識はここから顕在化してくる。たとえ外部からやってくるトラブルであっても、それがトラブルであることを頭と照合しなければならないのだ。無知にあっては、PであろうとQであろうと、問題が生まれる余地などないのである。ゆえに問題を抱え問い続けているのは、知が健全に働いていることの証左と言える。悩むには及ばない。

今日は今日の面倒を見る

昨日と同じ位置に太陽が今日も見える。来る日も来る日も。やむなく「昨日、今日」ということばを使ったが、そんな概念は最初からなかった。やがて、これは一つの周期であると確信して一日を割り出した。すごいのは、この一日が365回やってくれば、これが別の一つの周期になるという発見だ。こうして一年が365日に決められた。天文観察や気候変化などにまつわる人類の経験的科学が、ここに生かされたに違いない。

ところで、この365日を「一の日」から始めて、「二の日」「三の日」(……)「七十七の日」(……)「二百二十二の日」(……)と呼び、「三百六十五の日」を最後の日として、次の日からまた「一の日」として振り出してもよかった。にもかかわらず、365日は12の月に分けられた。春、夏、秋、冬という表現も別途あるのだから、一年4ヵ月でもよさそうなものだ。だが、一年は12に文節された。たまたまそうなったようにも思えるし、疎いぼくが知らない真実があるのかもしれないが、ここに至るまで慣れ親しんでしまったら、必然としか思えない。

ともあれ、一年は12ヵ月であり、その最後の月が12月、古風に言えば「師走」である。去年の師走に、「そのうちそのうちといいながら 一年がたってしまいました」という訓話を紹介した。今年も暮れを迎えて、この素朴でクールな言い回しがチクリと怠慢に釘を刺す。いったいいつになったら、何年経ったら、百八煩悩を祓う必要もなく、ひたすら純粋な音としての除夜の鐘に共鳴できるのか。何が何でもその時その場でやり遂げたこともある。その一方で、明日でいいか来週でいいかと先延ばしして年を越す課題も少なくない。いくつになっても、学習はむずかしい。


いつ覚えたのか定かではないが、「明日がどうなるかは、今日はわからない」や「今日の一日は明日の二日に相当する」などの箴言は身に染み込んでいるはずである。それでもなお、油断も隙もないのが怠け癖だ。目線を今日から逸らせて明日へと向けることから、面倒臭さが始まる。何度も自分に言い聞かせてきたのに、ぼくたちは今を生きていることを忘れてしまう。怠慢は今日の忘却によって芽生え始める。

明日は来るのだろう。だが、自分にやって来るとはかぎらない。明日は当てにならない。その明日へと今日のやり残しを送りつけるのは、今日を粗末に扱うことを意味し、同時に明日に負荷をかけてしまうことにもなる。〈いつか・どこか〉ではなく〈いま・ここ〉であり、〈いま・ここ〉があるからこそ〈いつか・どこか〉も淡い確率としてありうるのだ。まずは、今日の面倒をしっかりと見ることである。

ここまで書いて「ようし」と気合を入れるが、今さら鼓舞するまでもなく重々承知していることではある。年末に襲ってくるこの自責の念を忘れずに、来年の今頃は晴れやかな心身へと再生できているだろうか……。あ、だめだめ! この瞬間、ぼくは一年後のことを語ってしまった! その前に今なのだ。自責の念に苛まれて身震いしたその時点で、即刻自己変革を遂げねばならない。そう、今すぐ。間髪を入れずに。すぐに忘れてしまう「今への視点」。今を凝視することは生やさしいことではない。しかし、未だ見ぬ明日への橋は今日側から架けるしかないのである。

三十而立、四十而不惑

私塾のプレゼンテーション・コンテストの第部〈私の尊敬する人〉で、北陸講座の塾生Yさんが孔子を取り上げた。エントリーの時点で「孔子を尊敬? 孔子ほどの古典的人物に尊敬ということばが当てはまるのか? むしろ、第部の〈人物研究〉にエントリーすべきではないか?」などとぼくは感じていた。発表は、孔子を人材育成の始祖として尊敬するという内容であった。結果は、聴衆票と審査員票ともに2位、総合1位でYさんが優勝した。

ご存知の「三十にして立つ。四十にして惑わず」。Yさんはこの箇所でわざと脱線して「少しやばい」と分析した。要するに、「孔子先生、立つのが三十、惑わないのが四十とは、ちと遅いんじゃないですか」という指摘だ。会場には笑いが起こった。なるほど三十にして独立生計というのは晩熟おくてかもしれない。けれども、五十過ぎても人生に迷い悩み、モラトリアムへと引きこもる現代人を見れば、四十でぶれないのはやはり尊敬に値すると言わねばならない。実際、孔子の言う「立つ」も、ぼくらのようにふつうに立つのではない。人生の師として導く立場に就くことであったから、ぼくたちの一人前とはだいぶわけが違ったはずである。

「不惑」。四十歳の意味にとらえるよりも、「潔さ」の象徴としてぼくは考えてきた。歳を重ねたら誰でも自然に不惑の境地に達するのではない。そうではなく、不惑とは、未練を断ち切ってこそ獲得できる「鉄の意志」なのである。想像してみてほしい。たとえ四十にして不惑を標榜しても、その後の十年、二十年でさまざまな事変を目の当たりにすれば、価値観も変わり思想もぶれるだろう。ましてや、孔子が生きたのは群雄割拠の春秋時代だったのである。「不惑」とは何があろうとも動じないことである。信念のみならず、潔さがなければ不動心を保てない。本来なら耳したがわねばならぬ年齢を目前にして、ぼくはやっと惑わなくなった。潔さのお陰だと思っている。


孔子は、「学に志ざす」の十代半ばから「心の欲する所に従ってのりえず」の七十までを振り返った。この振り返りという点を見落としてはいけない。三十、四十、五十などの時々の節目であるべき姿をそのつど語ったのではなく、晩年になってから孔子は己の生き様を回顧したのである。もちろん、ぼくたちも同じことをしてもよい。また、七十歳を過ぎてからでなくても、それぞれの年代で十年前を振り返って後進が参照しやすいよう語り記しておくのもいいだろう。

それにしても、現代と二千数百年前の寿命の差を軽々と乗り越えて、四十にして惑わずの頃合いの良さにほとほと感心する。「五十にして天命を知る」という命題はハードルが高すぎる。他方、ただ立つだけでいいのなら、三十にして安月給で嫌々の仕事に就くのはさほど難しくない。三十と五十の間の四十不惑の難度が絶妙なのである。ぼくは二十年近く前にそこを通過したが、結果に一喜一憂せず仕事と生活を楽しもうと考え、「できる・できない」をよく分別しようと心に決めた。だいたい四十歳にもなれば、過去の経験と知識が未知の可能性よりも大きくなっているはずである。「実現の確からしさ」は経験と知識に依存する。ありそうもない夢を見て他人に迷惑をかけてはいけないのだ。

かと言って、やみくもに可能性の芽を摘むのではない。人一倍想像力が働くのであれば、蓋然性の高い道へ進むべきであろう。だが、やはり「できる・できない」の判断は容易ではなく、誰しも苦悶するに違いない。そこで、もう一つの尺度に照らしてみるのである。「向き・不向き」がそれだ。「できそうもない、しかし自分はそれに向いている」ならやってみるべきだ。さほど適性もないくせに、「できそうだ」と錯誤するのは恐い。四十歳になれば、不向きなことに無理をするのは控えるのがいい。なお、どの世代にあっても「好き・嫌い」への執着は人生を生きにくくする。 

問うことの意味

概念の大小関係上、「歩いている」は「動いている」の集合に含まれる。だから、誰かが歩いているという事実は、必然的に動いていることを意味する。逆に、「動いているから歩いている」は確定しない。歩いているかもしれないが、走っているかもしれないし跳びはねているかもしれないからである。したがって、「動いている」という描写に対しては、ふつうぼくたちは「もう少し詳しく言うと?」や「具体的には?」と聞きたくなる。大から小へと概念レベルを下ろしてほしいと言っているのだ。「さあ、移動しよう」に対して、徒歩か電車かバスか車かと移動手段を聞くのは当たり前なのである。

別の例を挙げよう。「品川に出張した、有馬温泉で一泊した、桜島を見学した」がそれぞれ事実ならば、それぞれに対応して東京、兵庫、鹿児島に滞在したのは確かだ。だから「品川で仕事? ほう、つまり東京出張ですな」などという、言わずもがなの推論にほとんど出番はない。ところが、「兵庫に遊びに行っていました」に対して、「あ、そう」では愛想もリアクションも無さすぎて会話の体をなさない。よほど無関心でないかぎり、「どのあたり?」か「海? それとも山?」などと尋ねるものだろう(それが嫌な者は人間関係には向かない)。

自前で推論できるなら、何もかも問うことはない。「詰問」などの強く問いただすという意味もあるが、今はそんな話をしているのではない。会話をしていて、知らないことや推論できないことに出くわせば、もっと知ろうとして聞き、確かめたくて問うものである。「その人は携帯を耳に当てていた」と誰かがポツリと言って黙ったとする。あなたは「何かを話したり聞いたりしていた」と勝手に推論するかもしれない。そう推論して、そこで話を終わらせるのか。それでは真相はわからない。その人が話をしていたか、相手の声に耳を傾けていたか、留守録を聞いていたか、あるいは電話をする振りをしていたか、単なる癖であるかは、確かめないかぎりわからないのである。


繰り返すが、知らないから――あるいは、もっと知りたくて――聞くのであり、確かめたいから問うのであり、さらには、興味があり好奇心がくすぐられるからもう一歩踏み込んで尋ねているのである。このうち、「知らないから聞く」を恥ずかしいものだと見なす文化がわが国にはあったし、今もある。「問うは一度の恥、問わぬは末代の恥」が典型である(この諺は「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」としてよく知られている)。知らないことをそのままにしておくのはよろしくない、だから恥を忍んで尋ねなさいと教えている。問い聞くことの重要性を教え諭すのはいいことである。

だが、ぼくは待ったをかける。これでは、問うも問わぬも、聞くも聞かぬも恥の扱いを受けているではないか。たとえ一度や一時であっても質問行為に恥の烙印を押すことが解せないのである。立派な大人がフランスの首都を知らないことは恥なのか。いや、それは無知なのである。そして、無知であることは必ずしも恥ずかしいことではない。いい歳になるまでパリだと知らなかったことは無知である。だが、「すみません、フランスの首都はどこですか?」と聞くのは恥でも何でもないし、この問いを境目にして無知とさよならできる。

さまざまなジャンルやレベルでぼくたちは、一方で博学、他方無知であったりする。世界一物知りでも、知らないことは知っていることよりも圧倒的に多いのである。知らないことや忘れてしまったことを、知っている人や覚えている人に聞くことの、いったいどこが恥なのか。問い聞く者は、恥どころか、幸福を味わうのであり、他方、尋ねられる者も光栄に浴するのである。あの諺で「恥」と言ってしまっては、見栄っぱりはたとえ一度でも一時でも恥をかきたくないだろうから、結局末代まで知ったかぶりし続ける。恥すらかかない。ただ無知な人生を送るだけである。ゆえに、諺は「問う(聞く)は知への一歩、問わぬ(聞かぬ)は無知の一生」と改めるべきだと思うが、どうだろう。

人に学び、人を語る

本年度の私塾《岡野塾》の全日程が終了した。6月から11月まで毎月『知のメンテナンス』をねらいとして講座を実施した。そして一昨日特別開催〈第1回プレゼンテーション・コンテスト〉を開催して締めくくった。発表のテーマは「人に学び、人を語る」。座右の銘ほどの位置づけではないが、ずっと以前から「人は人からもっとも多くを学ぶ」ということを繰り返し強調してきた。どんなに高度な情報化社会になっても、ぼくたちは機器やソフトウェアから学んでいるのではない。学習源はまた書物でも談論でもない。ほとんどの知識の源流は人に遡る。

自然現象は人を介さないでやって来る。自宅やオフィスにいて地震に襲われるのは、自然が発した直接の情報を感知したということだ。天変地異は脳や身体で感知する。暑い寒いもそうだろう。だが、これらは聴覚・視覚・味覚・嗅覚・触覚の五感を通じてぼくたちが取り込む情報のほんの一部にすぎない。その他の圧倒的な量の情報はどこかで誰かが発信したものだ。そして、情報を受信しているのも、他ならぬ人からなのである。情報を知と言い換えるならば、知の主たる源泉は他者にある。人は相互刺激によって知を交わす。

ありていに言えば、知のベースに学問があり読書があり仕事があり趣味がある。これらすべての行動において、そこにはつねに人がいる。人が申し訳なさそうに脇役として介在しているというよりも、人が主たる原点にある。ぼくたちは話を聞くと言い、本を読むと言う。情報を取り込むとも言うし、街を眺めたり現場を見学するとも言う。しかし、よくよく考えてみれば、話も本も情報も、街も現場もすべてがメディアなのではないか。これらの媒体の向こうにぼくたちは人を見て人から学んでいる。


話を聞くと言うが、ほんとうは人を聞いているのだ。「おれの話を聞け!」というのは「おれを聞け!」であり、英語なら“Listen to me!”になる。本を読むのも、ほんとうは人を読むのである。戯曲の題名が『ハムレット』であろうと『ヴェニスの商人』であろうと、ぼくたちはシェークスピアを読んでいる。これも、英語では“I read Shakespeare.”と言う。ちなみに“read”には「研究する」や「専門にしている」という重要な意味もある。

『ソクラテスの弁明』を読むとき、ぼくたちは著者プラトンを読んでいる。もちろんソクラテスにも学んでいるが、ソクラテスを語るプラトンにより多くを学んでいる。『本居宣長』を通じて小林秀雄を読み、小林秀雄に学んでいる。Pが人物Sを語るとき、ぼくたちはSのことばかりを躍起になって学ぼうとするが、語り手であるPによりぶれない軸を移しておくべきだろう。さもなければ、P以外のQRという語り手でも誰でもいいということになってしまう。PQRかによってSという人物は大いに違って見える。別人ではないかと思えることさえある。語り手あるいは書き手Pゆえの人物Sなのである。

坂本竜馬について誰が語り誰が書いたのかが重要なのである。竜馬と会ったこともないぼくたちが知りうることは、語り手と書き手の文言を除いて他にないのだ。本年の私塾で、ぼくはプラトンやレオナルド・ダ・ヴィンチや老子やマキアヴェッリを語った。実は、塾生たちはテキストを書き講話したぼくを学んでくれたのである。このことがいかに希少な僥倖であるか、そして、それを肝に銘じるからこそ、ぼく自身も神妙に人物から学ばねばならず、片時も手を抜くわけにはいかないと強く自覚できるのである。語り書くという行為が安直であってはいけない。そこにおける責任は重い。

断章とあとがき

金曜日に『粗っぽいメモ』について書いた。粗っぽいメモには「気ままな走り書き」も含まれる。息の長い論理の構築を焦らず急がず、テーマの出発点である脈絡のない着眼を忘れぬように書き留める。そこに書き連ねる文章表現や構成は目を覆いたくなるようなお粗末さだ。だが、それでいい、それがいい。気ままな走り書きは「このテーマ、現在さらに考え中」として位置付けることができる。

そこにあるのは、きちんとした章の全体ではなく、アイデアの断片にすぎない。この断片をぴったりと表わす術語が〈断章〉である。断章とは「章を断つ」ことであり、全体を明らかにするのではなく、むしろ全体とは無関係に、取り出した一部のみを意味づける。断章について、哲学者中村雄二郎はその意義を次のように鮮やかに説いている。

同じテーマや素材を扱っても、それをどういう書き方で書くかによって、言えること、言えないことがちがってくる。断章形式で書く場合、比較的長いエッセーで書く場合、書き下ろしの単行本で書く場合、それぞれによって。私の経験では、断章という形式は新しいテーマや素材にとっかかるときか、ある程度展開した考察をまとめるときか、どちらかの場合に概して好都合である。とくに、新しいテーマや素材にとっかかるときがいい。というのは、断章という形式が思考の増殖というか、多方面への自由な展開を促してくれるからである。(『哲学的断章』のあとがきより)


ぼくなりの解釈はこうだ。断章は全体の整合性を先送りし論理の出番を遅らせる、そして、手かせ足かせの負荷のない思考は自由闊達にあちこちへと羽ばたいてくれる。七〇年代の半ばに安部公房の『砂漠の思想』を読んだが、あれも一種の断章だった。その文集を「私の創作手口の公開」と呼び、安部自身、「あまりにも複眼的であり……」、「テーマも、方法も、とにかく拡散的で、時間的にも、空間的にも、おおよそ一貫性を欠いている。どこを目指しているのか、目的地の所在は自分にも釈然としないありさまだ」とあとがきで書いている。先の中村の断章評と大きく隔たった見解ではない。

読みごたえのある断章が章立てされた書物にひけを取らないように、すぐれたあとがきは本編に続く単なる付録などではない。あとがきに目を通してから本文を読むなど邪道のように言われたこともあり、たしかに取るに足らないあとがきも少なくない。しかし、一冊を読了したに値するほどのあとがきも現に存在する。あとがきを書き下ろすために、本文を書いた著者以上の時間とエネルギーを注いだのではないかと思ってしまうことすらある。

最近ではルートウィヒ・ウィトゲンシュタインの『青色本』の野矢茂樹のあとがきが出色の出来栄えであった。同書では「あとがき」などとは書かれておらず、〈解説 『青色本』 の使い方〉という見出しが立っている。もはやあとがき以上の意気込みなのである。野矢は論理学にも造詣の深い哲学者だ。ウィトゲンシュタインを入門書も含むいろんな本で読んだが、なかなか理解の糸口がつかめなかった。この人の『ウィトゲンシュタイン 『論理哲学論考を読む』 』を読んで、やっと原本の『論理哲学論考』がわかった。

あとがきの書き手が本文の著者よりも鋭く本質を衝き、本書よりも洞察に満ちたメッセージをしたためる。あとがきだけで本を読んだふりなどしなくても、実際、本を読んだ以上の成果が上がることもありうるのである。

多様性と多様化

新しい概念であり造語である〈生物多様性(biodiversity)〉を通じて、ごくふつうに使ってきた多様性という表現が別の文脈において変容してきた。生物多様性に思いを馳せておきながら人間多様性をイメージしなければ鈍感に過ぎる。人間多様性とは人類の相貌の多面性のことではない。見た目以上に人間はそれぞれに異質なのである。それゆえ、人間をわずか数種類のパターンに分類できそうもないと思い知る時、そこに個々の考えや欲求や価値観が十人十色であること、すなわち、人間の多様性を実感する。人はみな違う。

他方、人はみな同じだという見方も可能だ。一見多様な見方や思いがあろうとも、共通点を列挙すれば、人は所詮人であることも否めない。これは、個体識別がむずかしそうな蟻を例にあげて「蟻は所詮蟻だ」と言うのとはわけが違う。ぼくたちは、ある種の蟻をすべて個性的であると断定するほど十分に識別などできない。ところが、人間に関しては、肉体的にも精神的にも多様であると認識する一方で、それでもなおかつ人はみな同じであると論じることもできるのだ。裏返せば、「人は似たり寄ったりである」と結論づけるにしても、前提のどこかに人間の多様性をちらりと垣間見ているのである。

生物多様性が論じられるようになったはるか以前、たとえばぼくが学生時代であった1970年前後に人々は今ほど多様ではなかったのか。いや、そんなことはない。あらわに顕在化こそしなかったが、当時の人たちもそれぞれに固有の考えや欲求や価値観を把持していた。ただ、社会に多様性を受容するだけの環境が整っていなかった。仕事もライフスタイルも生き様もいくつかのパターンに嵌め込まれており、いずれのパターンにも色分けされない者はアウトローの烙印を押されてもしかたなかったのである。


いつの時代も人間は多様性の存在であると思う。その多様性の面倒を見切れずに、制限を加えざるをえないのは社会のパラダイムのほうである。今からわずか一世代遡るだけで、「男というものは……」「女というものは……」「仕事というものは……」などに見られる、数少ない型が社会に用意されていた。極端な例が職業で、江戸時代までは大きな概念上の職業には士農工商という四種類しかなく、よほどのことがないかぎり、人間の多様性は無視されて出自という運命的な帰属から逃れることはできなかったのである。

マーケティングの分野では、消費者ニーズの「多様性」とも「多様化」とも言う。ニーズはもともと多様性に満ちているのか、それともますます多様化しているのか……いったいどちらが正しいのだろう。これまでの自論からすれば、ニーズはいつの時代も人の数だけ多様なのである。その多様性の、たとえば60年代・70年代の社会や企業は、十分な受け皿になれなかったのである。コンピュータやテレビや電話へのニーズが実際に多様かつファンタスティックであったことは、子どもたちが描いた絵やサイエンスフィクションが証明している。多様性はあったが、多様化が実現しなかったというのが正しい。

ぼくが若かった時代のアウトローやドロップアウトも、今の時代の多様化システムの中になら収まる程度だったのかもしれない。辛辣な言い方をすれば、昔なら村八分扱いになりそうな異型の個性が今の時代には容認されているのである。とは言え、人間多様性を生かしてくれるこのような社会構造の多様化を原則として歓迎する。但し、ニートにクレーマー、仕事のできない社員に無責任なリーダーたちが無条件に救われていていいはずがない。居場所と棲息方法の多様化は、十人十色の人間多様性を担保しないのである。

届かなくても背伸び

以前『背伸びと踏み台』というタイトルでブログを書いた。背伸びを自力、踏み台を他力としてとらえた話である。よく「お前は背伸びしすぎだ。分をわきまえろ」などとお説教している人がいるが、少し酷ではないか。分をわきまえているからこそ背伸びをしているのである。自分は力不足だ。期待されている「そこ」に手が届かない。だからこそ、不安定になりながらも、爪先を立てて精一杯手を伸ばす。いったいこの努力のどこに問題があるだろうか。何もない。たしかに彼は無理している。だが、たとえ爪先と言えども、自分の足が地に着いているのである。

ぼくは背伸びする人たちをずっと評価し、背伸びのお手伝いができないかと考えてきた。今も変わらない。背伸びは自助努力である。自力を用いようと踏ん張っている様子である。そう、上げ底と取り違えてはいけないのだ。上げ底は見せかけである。そこに実体などない。正味60点の力量に架空の20点をどこかから持ってきてトータル80点の振りをしているにすぎない。背伸びして80点というのは、正味の力量である。たとえ20点分に無理があろうとも20点分が束の間の足し算であろうとも、彼の潜在能力が発揮された結果にほかならない。


マルボロの広告で有名な広告界の巨匠レオ・バーネット(1891~1971)は味わい深い名言をいくつか残している。「商品には固有のドラマがある」ということばから、どんなありふれた商品にも誕生したかぎり隠されたドラマがあり、それを掘り起こし使いこなすのがコンセプト開発者の仕事であることを学んだ。「テーマに没頭し、考え抜き、そして自分の予感を愛し、尊び、それに従うこと」という企画者の姿勢にも大いに共感したものだ。

今もなお、ぼくには「できること」と「できないこと」を分別する合理的精神の趣が強い。「一見できそうもないこと」は場合によっては「一見できそうなこと」でもあるから何とかしようと試みるが、努力が徒労に終わりそうな、「明らかにできないこと」はパスするのである。しかし、二十数年前にレオ・バーネットの一文を知るにおよんで、「できないこと」に向かって背伸びして得られる副次的なメリットにも開眼した。

“When you reach for the stars, you may not quite get one, but you won’t come up with a handful of mud either.”

「(つかもうと)星に手を差し伸べても、一つだって首尾よく手に入れることなどできそうもない。だが、(そうしているかぎり)一握りの泥にまみれることもないだろう」という意味である。ぼくはここに背伸びの効用を見て取る。背伸びは必ずしも目的への到達だけを目指すのではなく、落ちぶれないための、あるいは能力を減じないための歯止めでもあるのだ。背伸びをしなければ現状維持さえおぼつかない。肉体のみならず知力のアンチエイジングのために自らの心身によって背伸びする。上げ底ではエイジング対策にならないのである。