三十而立、四十而不惑

私塾のプレゼンテーション・コンテストの第部〈私の尊敬する人〉で、北陸講座の塾生Yさんが孔子を取り上げた。エントリーの時点で「孔子を尊敬? 孔子ほどの古典的人物に尊敬ということばが当てはまるのか? むしろ、第部の〈人物研究〉にエントリーすべきではないか?」などとぼくは感じていた。発表は、孔子を人材育成の始祖として尊敬するという内容であった。結果は、聴衆票と審査員票ともに2位、総合1位でYさんが優勝した。

ご存知の「三十にして立つ。四十にして惑わず」。Yさんはこの箇所でわざと脱線して「少しやばい」と分析した。要するに、「孔子先生、立つのが三十、惑わないのが四十とは、ちと遅いんじゃないですか」という指摘だ。会場には笑いが起こった。なるほど三十にして独立生計というのは晩熟おくてかもしれない。けれども、五十過ぎても人生に迷い悩み、モラトリアムへと引きこもる現代人を見れば、四十でぶれないのはやはり尊敬に値すると言わねばならない。実際、孔子の言う「立つ」も、ぼくらのようにふつうに立つのではない。人生の師として導く立場に就くことであったから、ぼくたちの一人前とはだいぶわけが違ったはずである。

「不惑」。四十歳の意味にとらえるよりも、「潔さ」の象徴としてぼくは考えてきた。歳を重ねたら誰でも自然に不惑の境地に達するのではない。そうではなく、不惑とは、未練を断ち切ってこそ獲得できる「鉄の意志」なのである。想像してみてほしい。たとえ四十にして不惑を標榜しても、その後の十年、二十年でさまざまな事変を目の当たりにすれば、価値観も変わり思想もぶれるだろう。ましてや、孔子が生きたのは群雄割拠の春秋時代だったのである。「不惑」とは何があろうとも動じないことである。信念のみならず、潔さがなければ不動心を保てない。本来なら耳したがわねばならぬ年齢を目前にして、ぼくはやっと惑わなくなった。潔さのお陰だと思っている。


孔子は、「学に志ざす」の十代半ばから「心の欲する所に従ってのりえず」の七十までを振り返った。この振り返りという点を見落としてはいけない。三十、四十、五十などの時々の節目であるべき姿をそのつど語ったのではなく、晩年になってから孔子は己の生き様を回顧したのである。もちろん、ぼくたちも同じことをしてもよい。また、七十歳を過ぎてからでなくても、それぞれの年代で十年前を振り返って後進が参照しやすいよう語り記しておくのもいいだろう。

それにしても、現代と二千数百年前の寿命の差を軽々と乗り越えて、四十にして惑わずの頃合いの良さにほとほと感心する。「五十にして天命を知る」という命題はハードルが高すぎる。他方、ただ立つだけでいいのなら、三十にして安月給で嫌々の仕事に就くのはさほど難しくない。三十と五十の間の四十不惑の難度が絶妙なのである。ぼくは二十年近く前にそこを通過したが、結果に一喜一憂せず仕事と生活を楽しもうと考え、「できる・できない」をよく分別しようと心に決めた。だいたい四十歳にもなれば、過去の経験と知識が未知の可能性よりも大きくなっているはずである。「実現の確からしさ」は経験と知識に依存する。ありそうもない夢を見て他人に迷惑をかけてはいけないのだ。

かと言って、やみくもに可能性の芽を摘むのではない。人一倍想像力が働くのであれば、蓋然性の高い道へ進むべきであろう。だが、やはり「できる・できない」の判断は容易ではなく、誰しも苦悶するに違いない。そこで、もう一つの尺度に照らしてみるのである。「向き・不向き」がそれだ。「できそうもない、しかし自分はそれに向いている」ならやってみるべきだ。さほど適性もないくせに、「できそうだ」と錯誤するのは恐い。四十歳になれば、不向きなことに無理をするのは控えるのがいい。なお、どの世代にあっても「好き・嫌い」への執着は人生を生きにくくする。