顔――この神妙なる正面

「立てたと思えば潰したり、曇らせたり、赤くしたり、出したり、合わせたりつないだりするものなあ~に」となぞかけされると、意外に難しい。顔は面目であり、表情であり、怒りや恥じらいであり、自分自身であり、関係であったりもする。

解剖学的に言えば、顔は頭部の一部である。後頭部が背面で顔が正面ということになっている。後頭部ということばはよく使う。しかし、用語が存在するにもかかわらず、あまり「前頭部」とは言わない。「きみ、もう四十歳になったのだから、自分の前頭部に責任を持ちなさい」などと部下を説教することはない。わたしたちは、それを顔と呼んでいる。

顔。額と眉と目と鼻と口が存在している側である。顔は名刺代わりにもなり、それゆえに責任を持たねばならないのだろうが、後頭部は名刺代わりにはならないし責任も持ちにくい。顔には複数の部品とやや複雑な起伏もある。それらが千変万化のバリエーションを演出し、人物を認識する際に後頭部よりも多くの材料を提供してくれるのだ。

慣れ親しんだ人物ならば、後姿を見るだけで特定することも可能だろう。場合によっては、後頭部の形状と髪の刈り込み方やスタイルを見て、「よっ、〇〇さん!」と肩を叩くこともできる。もちろん時たま人違いなんていうこともあるが、相当に親しいからこそ「よっ」と声に出して肩に触ろうとするのだ。自信の裏打ちがあるはず。それでもなお、顔に比べれば後頭部の情報は圧倒的に少ない。

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したがって、後頭部ではなく、人物の正面、つまり顔を自動販売機に認証させようとしたのは正しい試みである。どんなに立派なセンサー機能をもつ自販機であっても、後頭部から年齢を認証せよと命じられても、いかんともしがたいだろう。後頭部なら、とりあえずカツラでしのげそうだし、人毛のカツラであれば自販機は見破れないだろう。

もしわずかのズレやムレ具合を感知させようとしたら、莫大な開発費がかかってしまう。いや、それがカツラであることがわかったとしても、年齢認証にはつながらない。二十歳以上のれっきとしたオトナのカツラを見破って「あ・な・た・は・カ・ツ・ラ・で・す」とか「バ・レ・バ・レ・で・す」などと音声合成で告げてもお客を怒らせるだけだ。それは、自販機に課せられた顔認証の仕事ではない。自販機の仕事は、二十歳のラインの上下を見極めることなのだ。

繰り返すが、人間も自販機も人物を顔によって認識するのが正しい。しかし、丸刈りの六十歳の男性は「二十歳未満」と認識されたためタバコを買えなかった。その自販機には「丸刈りイコール中高生」という偏見がプログラムされていたのだろうか。他方、高校生が顔をしかめるようにクシャクシャにしたら、オトナと認識されてタバコが買えた。自販機は皺だらけの高齢者と丸刈りの青少年だけしか認識できないのではないかと疑ってしまう。

オトナと子どもに年齢差があるのは当たり前だ。しかし、顔というものは年齢に必ずしも比例しない。老けた十代もいるし、童顔の二十代もいれば、若さを自慢する三十代もいる。しかしだ、二十歳以上と二十歳未満の認識は人間にも機械にも無理だろう。

街角で時々見かけるが、自販機の前ですまし顔をしているのは滑稽である。まるで自販機におべっかを使っているみたいではないか。顔というものは、自販機に正しく認証されるために首の上で正面を向いているのではない。この顔、決して威張れるほどではないにせよ、機械なんぞに認められてたまるか! そんな自尊心だけは持ち続けたい。自販機の失態事例を聞くにつけ、神妙にして不思議なる顔への関心が強まる。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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