対話に「あれもこれも」は禁物

「インターネットで飛び交う情報は過去のものばかり」と主張する場面があった。なるほどその通りだろう。しかし、もし「だからインターネットの活用には限界がある」と続けたら、これは勇み足になってしまう。議論における主張をどこで締めくくるかというのはかなり重要だ。調子に乗って弁舌を走らせてしまうと切り返されてしまう。

冷静に考えてみれば、インターネットに限らず、情報はすべて過去のものであることがわかる。書物だってそうだ。会話など交わされた直後に過去形に転じる。経営方針などの計画や天気予報や競馬の予想を未来形の情報のように錯覚してしまうが、未来をテーマとして扱っている過去の情報にすぎない。


閑話休題。昨日、第2回のディベートカフェを主宰した。第1ラウンドが「朝青龍のガッツポーズの是非」。この論題を11で議論する。第2ラウンドは33で議論する「脱インターネット宣言」(こちらのディベートで冒頭の主張がひょっこり顔を出した次第である)。

いずれも即興である。午後5時に論題を発表、若干の資料も配付。その場で発表されたチームの中で小一時間作戦を練る。ディベートフォーマットは肯定側の「立論」で始まるが、即興ディベートではこれを中途半端に作ってしまわずに、論点だけをメモしておく程度がいい。なぜ即興でやるのかにはいろんな理由があるが、第一義は「よく交叉接合する当意即妙の議論」を楽しみたいからである。

ところが、ディベートカフェのメンバーはほとんど即興ディベートの経験がない。数ヵ月前に論題を公示され、その論題に関して肯定側と否定側の立場から調査して証拠を集め、事前に肯定側の立論をきっちりと構成したり否定側の反駁戦略を立てたりしてディベートに臨んでいたのだ。このような「正規のディベート」では議論を「あれもこれも」と欲張り、論点が多岐にわたることが多くなる。議論も複雑になる。

かぎりなく生きた対話を目指す即興ディベートでこの癖が出るとまずい。即興には幕の内弁当は向かないのだ。むしろ、「あれかこれか」で一品を選ぶアラカルト型が好ましい。余計な枝葉を捨て去り、複雑なからめ手も避けて、単刀直入に論題に切り込むのがわかりやすい。「見方によって違う」とか「ケースバイケースだ」などの姑息な答弁は減点対象にしなければ、即興ゆえの議論のスリルが湧き上がらない。

「ディベート脳」については賛否両論あるが、「死んだ演説」ばかりではなく、時には「生きた対話」に向き合ってみるべきだろう。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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