紙にこだわる

先日実施した研修にプチディベートの実習を取り入れた。論題は「電子書籍は有益である」。争点はいろいろ出たが、残念ながら、電子書籍と紙の本とを鋭く対比させた議論は聞けなかった。電子書籍有益論を唱える側の主張は、「紙の浪費は環境によろしくない」、「いつでもどこでも大量の本が手軽に読める」という二つの論点に集中した。4試合のディベートに耳を傾けながら、慣れ親しんできた紙の書物のこと、さらには紙そのものが担ってきた知や文化のことを思い巡らしていた。

電子書籍がさらに普及すれば、僧侶はスマホやタブレットの画面をスワイプしながら般若心経を唱えるのだろうか。いや、お坊さんはお経を暗唱しているから、電子であれ紙であれ経典がなくても大丈夫。では、教会ではどうか。牧師はタブレットの新約聖書を見ながら「ヨハネの福音書第5章……」などと言い、集まった信者たちは、手垢のついた革表紙の聖書ではなく、スマホで参照するようになるのだろうか。ちょっと想像しづらい。一般的には、TPOに応じて電子と紙を使い分けて本を読めばいいと思う。

ただ、ぼくに関して言えば、無料で何冊かの小説をダウンロードしたものの、ろくに覗きもしていない。いつぞやカフカの『変身』をiBookで読みかけて途中でやめた。若き頃に紙を繰りながら読んだ感覚とはほど遠く、読書の味わいをまったく感じなかった。自宅書斎に数千冊の本を所蔵しているが、置き場のやりくりに困惑し床が抜けないかと不安になりながらも、ぼくはこれから先、電子書籍ではなく、紙の本を読み続けるはずである。

絵をよく描いた頃、絵具よりも紙にこだわった記憶がある。手習いのほうは、半紙を師範が使っているものに変えただけで字が格段に変わった。無料の雑誌を手にしたら、記事を読む前にページの手触りを感じている。当社の名刺をデザインした時も、文字やレイアウトやインクを云々する前に、まず紙を選んだ。気に入ったものに出合うまで探していたらフランス製の紙に辿り着いた次第。どんなに値の張る万年筆を手にしても、それ自体の書き味を品評することはできない。インクが重要。そして、インク以上に書き味を決定づけるのが紙である。もっと言えば、紙さえよければ100円の水性ボールペンでも10万円もするモンブランでも書き心地に納得がいく。


紙業は昨今全般的に苦戦しているので、80年代、90年代の頃のように豪華な見本帳を大盤振る舞いしてくれなくなった。それでも、仕事柄、当社には紙の見本帳がまだかなりある。見て手触りを確かめるだけでも楽しいものだ。自宅ではスケッチ帳やポストカードサイズの用紙、画用紙が収納スペースの一角を占めている。整理整頓するたびにどれだけ紙好きなのかと呆れるが、かさばるという理由だけで白紙のまま処分する気にはなれない。

知的生活という粋な表現はぼくにふさわしくないけれど、リテラシーの基本は30数年間ずっと手書きノートであり、それを発想の出発点にしてきた。最近では万年筆や水性ボールペンと相性のよさそうな紙を見つけてきては、試行錯誤している。今年の年頭から二十年ほど前に使っていたシステム手帳を復活させた。ITが加速する今となってはクラシックスタイルかもしれない。バイブルサイズの6穴ノート。補充するリフィルは安直に百均で買うこともあるが、厚口の上、紙質ももう一つ。まったく気に入ってはいない。そこで、広島の知り合いの洋紙専門家のT氏に相談した。「薄口で丈夫で万年筆の書き味がよく、しかも裏写りしにくい紙」という厚かましい条件を出してみた。オリジナルで作ることもやぶさかではないと付け加えた。

6穴リフィル

見積書によると、上記の条件の紙を6穴バイブルサイズに断裁して12,000枚作れば1枚あたり2.8円。悪くない。しかし、一年に400枚使っても30年分になる。いかにノートマニアと言えども30年先までの在庫を抱える気にはなれない。三、四人で共同購入するのが賢明だが、あいにく周囲にこの仕様のノートを使っている人は見当たらない。

思案していたら、T氏から郵便が届いた。「わざわざ作らなくても市販でいいのを見つけた、100枚単位で買え、しかも1枚あたり3.45円」というメッセージとともに、親切なことにサンプルも同封してくれていた。薄い! かぎりなく辞書の紙に近い感触。システム手帳に現在綴じている枚数の2倍近くは収められそうだ。これから二、三ヵ月間試してみることにする。紙にわくわくしている自分がいる。紙にはこだわるだけの値打ちがある。紙を侮ってはいけない。

投稿者:

アバター画像

proconcept

岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

「紙にこだわる」への2件のフィードバック

  1. 岡野先生、体調を崩し残念ながら今年はお目にかかれませんでした。
    重ね重ね残念なのはこの論題のディベートに参加できなかったことです。
    お友達のジイサンに「本は紙しか認めないから反対側には立てない」と言ったら「それじゃディベートにならないんだよ」と言われましたが、その日の体調によって、又、活字の大きさや、本の重さで、読む物を決めている私にとって、ページをめくる音と感触も含めて本だと思っているので、若い電子世代の意見を聞いてみるだけでも価値があったのにと思います。
    私が書き込むと、せっかくの掲示板が井戸端会議になりそうで普段は遠慮していますが、誕生日だけはファンレターを書かせてもらいます。
    いつも拍手しながら読んでいる(掲示板しか読めない)岡野ファンがいる事を、これからもお忘れ下さいませぬよう、お願い申し上げます。

    1. ごぶさたしています。
      体調がお悪いこと、聞きました。どんな具合なのかもよくわからないので、ご機嫌伺いを控えていました。黒崎氏が「先生、明日にでも一緒に行きませんか?」と言ってくれました(彼もいいとこありますね)。しかし、翌日は昼過ぎに帰阪せねばならなかったので、お誘いを受けることはできませんでした。
      さて、紙は文化です。紙の文化がITで代用できるとは思いません。文字を読むことだけが読書であるはずはないでしょう。装丁も本の価値の一つです。手触りも、背表紙を眺めることも、また、仮に読まなくても、所蔵することも文化です。住宅事情によって書斎の確保が難しくなりましたが、廊下の隅でもたたみ一畳分でもいいから、これからの人たちには書斎を確保してほしいものです。書斎文化の復権。読書家でなくても、本に囲まれることの幸せ、気分次第で適当に本を取り出して眺める幸せを感じていただきたいと思っています。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です