無意味な意味づけ

「自宅の柱か壁の一部にあどけない、あるいは微笑ましい落書きをするのは自由である。公共施設、ひいては世界遺産に落書きするのは論外である」。型通りな寸評だということは分かっている。だから、「よい子のみなさん、落書きをしてはいけませんよ」と呼びかけて終わるつもりはない。

指摘したいのは、常識に挑戦する落書きの見た目・メッセージが大胆であるのに対して、落書きを戒める側の情けなさである。壁の持ち主が貼り出す注意書きには強さも工夫もない。たとえば、「人権侵害につながる悪質な落書きはやめましょう」なんて弱腰すぎるではないか。まるで「人権侵害につながらない良質な落書き」を認めているかのようである。「落書きは懲役5年かつ罰金100万円!」くらいのアバンギャルドで対抗すべきではないか。


フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂はお気に入りの名所である。フィレンツェには過去数年間で15泊ほどしているが、滞在中は欠かさずに近くを散策した。この大聖堂によくも大胆な「犯罪」をおかしたものだ。見学時に落書きに適した筆記具を持参していること自体、もはや悪ふざけの域を超えている。寛大にも謝罪だけで済んだということだが、フィレンツェへのお詫びの意味でこの落書き日本人をわが国独自のやり方で懲らしめておくべきだろう。

この一件に刺激されて、芸能ネタがなかったのかどうか知らないが、マスコミがわが国の落書き事情へと目を向ける。今朝は新幹線車輌を取り上げていた。目を盗んで落書きできるくらいなら、爆弾を仕掛けることぐらい朝飯前ではないか。鉄道会社、しっかり用心すべし!

「自分の描いたものを誇示したいという心理」――落書きの権威らしき人がこのような趣旨の意見を述べていた。まったく感動を覚えないコメントである。ぼくのブログのタイトル画面の抽象画(らしきもの)は自作だが、描いて公開しているのだから「誇示したいという心理」? ふ~む。そうだったのか、ぼくの心理は……。このコメントでは、落書きと絵画の違いを説明することはできない。

専門家ゆえに何事にも意味づけを求められる。気の毒だとは思うが、その無理っぽい意味づけが素人考えと大差ないとは皮肉な話だ。己への警鐘として受け止めておくことにしよう。 

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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