答えは一つなのか

「アルファベットのRTの間に入る文字は何か?」 この問いに対してふつうは“S”と答える。アルファベットは26文字の集合なので、必ずしも「ABC……XYZ」と並ぶことを強要してはいない。とはいえ、「アルファベットを言ってごらん」と言われれば、ぼくたちはたいていAから順に暗誦する。どうやらアルファベットには「順列」も備わっているらしい。実際、名詞の“alphabet”を副詞の“alphabetically”にすると、英語では「(アルファベットの)ABC順に」という意味になる。

「アルファベットのRTの間に入る文字は何か?」と聞かれて、たとえば“RAT”(ネズミ)が思い浮かんだので“A”と答えるとする。おそらく間違いとされるだろう。出題者がその答えを求めているなら、「RTの間にアルファベット一文字を入れて意味のある単語を作りなさい」とするはずだ。したがって、「アルファベットのRTの間に入る文字は何か? 」への答えはただ一つ、“S”でなければならないと思われる。

このような次第で、答えはつねに一つになるのか? たしかに、上記の例のような既知の事柄については唯一絶対の解答はありうる。他にも、都道府県の数は? 平安京遷都は西暦何年? 元素記号でLiは何を表わすか? などの問いは一つの答えを要求しており、解答者がそれぞれの正答である「47」、「794年」、「リチウム」以外の答えを編み出すことはできそうもない。期待された正答以外の創意工夫をしても、ことごとく不正解とされるはずだ。

絶対主義は真なるものを存在させようとする。真なるものは文化や歴史の枠組や文脈とは無関係に一つであるとされる。たとえば、学校のテストで「アメリカ大陸を発見したのは誰か?」という設問に、「コロンブス」をただ一つの正解として認めるようなものである。だが、ちょっと待てよ。ついさっき、既知の事柄については唯一絶対の解答は「ありうる」と書いた。意識してそう書いたが、これを裏返せば、ない場合もあるということだ。


コロンブスの代わりに、「クリストファー・コロンブス」と名と姓を挙げてもおそらく正解になる。だから、すでに「一つの正解」が崩れている。さらに屁理屈をこねれば、いくつでも答えらしきものをひねり出すことができるだろう。この問いが日本の中学生に出題されたのであれば、「外国人」と答えてもいいし、「もしそれが1492年でないならば、アメリゴ・ベスプッチ」と洒落てみることもできる。もし設問が「コロンブスがアメリカ大陸を発見したのはいつか?」であれば、必ずしも年号を記す必要はない。「中世の時代」でも「15世紀末」でも広義の正解になるし、とてもアバウトだが「ずいぶん昔」でも外れてはいない。明らかに、既知の事柄に関して絶対主義的立場から導く答えも一つとは限らないのだ。問いの表現に解釈の余地があれば解釈の数だけ答えも生まれることになる。

そうであるならば、相対主義に至っては古今東西の文化圏の数だけ、いや人の数だけ異なった解答がありうることになる。では、既知ではなく、未来の方策についてはどうか。これを答えと呼びうるかどうかは別にして、やはり一つに限定するのは無理がありそうだ。

たとえばひどく疲れているぼくが疲れを癒す方策は、適当に思い浮かべるだけでも、睡眠、風呂、散歩、体操、栄養剤、音楽など枚挙に暇がない。数時間先または明日、明後日に効果を待たねばならないから、どれがもっとも有効な方策かを今すぐに決めることはできない。この点では正解はわからない。しかし、正解候補はいくらでもある。実際、すべてを試してみれば、すべてが正解として認定できるということもありうるだろう。

何が何でも正解を一つにしたければ、「コストパフォーマンスの高いもの」や「即効性の強いもの」などの条件を設定したうえで、すべての方策を何度か繰り返してデータを取るしかない。睡眠時間の長短、風呂の温度と水量、散歩や体操の時間と強度、栄養剤や音楽の種類など気の遠くなるような定性的・定量的テストを重ねる。それでもなお、ぼくが自分の疲労条件をまったく一定にすることなど不可能ではないか。未来に求める答えを一つに絞ることがいかに空しいかがわかるだろう。正解候補も答えもいくらでも存在するのだ。どれをベストアンサーにするかは、最終的にはほとんど信念である。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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