「どうぞ戦ってください」

年明けの一月中旬にして、本年度流行語大賞の有力候補に躍り出た。「どうぞ戦ってください」は、「信じているということは、幹事長続投ということでよろしいか?」という記者の質問への答えの一部だ。正確に引用すると、「幹事長、辞めるつもりはないと、そのように申していますから、私も小沢幹事長を信じています。どうぞ戦ってくださいと、そう申し上げています」と首相は言ったのである。

下野した党は、検察への戦闘宣言だとざわめいているが、首相の言から「民主党が党を挙げて検察と戦う」などというニュアンスはぼくには伝わってこない。感じるのはむしろ、われ関せずの冷ややかさであって、「小沢さん、孤軍奮闘してください。陰ながら見守っていますから」と聞こえてくる。応援するとも言っていない。党の問題ではなく、どこまで行ってもあなたの問題ですよ、というのが本意ではないか。

結局、どこの党の誰がこの国のリーダーになっても、起こる問題も解決への姿勢もコメントも、予想される収束も同じなのだろう。言い逃れ、責任のとり方、常套句など、政権が変わるたびに毎度同じものを見聞きする。先日テレビ番組で、鳩山由紀夫から歴代総理を遡っていくクイズがあった。麻生太郎、福田康夫、安倍晋三、小泉純一郎、森喜朗、小渕恵三、橋本龍太郎、村山富市、羽田孜、細川護熙、宮澤喜一、海部俊樹、宇野宗佑、竹下登、中曾根康弘、鈴木善幸、大平正芳、福田赳夫……。際限はあるが、まだまだ続くのでここでやめるが、これだけ日替わり定食みたいに変わっていたら、変化こそ不変のような法則を感じ取ってしまう。


福田赳夫が67代で42人目の首相。就任が1976年だ。以来、鳩山氏まで19人の総理大臣が名を連ねる。福田氏と同時期の1976年、英国ではジェームズ・キャラハンが首相だった。次いでマーガレット・サッチャー、ジョン・メージャー、トニー・ブレアと続き、現在はゴードン・ブラウンだ。わずか5人である。わが国では首相になるべき人材が豊富だったのか、それとも英国の4倍分ほど希釈する程度のポジションだったのか。間違いなく言えることは、「1976年まで首相を遡って答えよ」というクイズやテストは英国では出題されないだろう。

米国大統領を同時期まで遡ってみた。バラク・オバマ、ジョージ・W・ブッシュ、ビル・クリントン、ジョージ・HW・ブッシュ、ロナルド・レーガン、ジミー・カーター(19771月就任)の以上6名。こちらもテスト問題になりにくい。ちなみにわが国の初代首相伊藤博文から数えて鳩山由紀夫は60人目で、第93代内閣総理大臣である。この間、124年。アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンから220年、現在のオバマは44代目だ。一国のリーダーがわが国ほど安売りされている国も珍しい。

「官僚主導から政治主導へ」と言ってみたところで、在任期間が短ければ職務に精通している暇はないだろう。首相でこれだから他の大臣ならなおさらである。ぼくの知る大企業では、同一職場での在職期間の長い派遣社員のほうが正社員よりも仕事をよく知っている。これとよく似た状況だ。皮肉ったり苦笑している場合でないのかもしれない。ここ最近の歴代首相の「お坊ちゃまぶり」には呆れ返るばかりである。ことばに力と心がこもっていないのは言うに及ばず、なにかにつけて態度が他人事なのである。困ったものだ。 

フンデルトヴァッサー・ハウスの遊び心

昨日アサヒビールの大山崎山荘美術館に行った。大正時代から昭和初期にかけて建てられた英国風の洋館。地中に展示室がある新館は安藤忠雄の設計で、そこに睡蓮を含むクロード・モネの5作品が展示されている。年季の入った本館は見所が多々あって興味深い。帰路に立ち寄った古書店で『見える家と見えない家』という本を見つけた。著者の一人が先般亡くなった動物行動学の日高敏隆だ。この人の本は3冊ほど読んでいる。買って帰った。

長年住み慣れた郊外のマンションを売却し、現在ぼくは交通至便な大阪都心の一室に仮住まいしている。腰を据える住居を探さねばならない身ではあるが、だいたいが暮らしに贅を求めない性分なので、寝食さえできれば十分という住宅観しか持ち合わせていない。ところが、古い建築や他人が住んでいる住居には目を配る。実際に生活してみたいとまでは思わないが、見ているだけで何がしかの主題を訴えてくる佇まいにすこぶる強い関心を抱く。その最たる存在は、ウィーン都心のフンデルトヴァッサー・ハウス(Hundertwasserhaus)だろう。

EPSON057.JPG

ハウスはフリーデンスライヒ・フンデルトヴァッサー(1928 – 2000)の手になる公共住宅だ。彼はもともと画家であり、やがて建築家となった。その建築思想や住宅ビジョンを哲学的と称する評論家もいる。フンデルトヴァッサーはハウスの設計を1977年に受託したものの、その設計そのものや建築理論を巡って意見や批判が噴出し、建築施工に着手するまでに6年も要してしまった。自然との共生をテーマにした住宅は、ついに1986年に完成した。いろいろあったが、ハウスの人気は入居倍率の高さによって市民が証明することとなった。

シティ・エア・ターミナルであるウィーン・ミッテ駅から東へ徒歩10分のエリアに立地している。すぐそばにドナウ運河、その外にドナウ川、新ドナウ川、旧ドナウ川が流れている(ドナウと呼ばれる川がこんなにあることをウィーンに行って初めて知った)。余談になるが、この場所から北西に直線で4キロメートルのシュピッテラウに、フンデルトヴァッサーが手掛けたゴミ焼却場(1991年)がある。これを先行範例として建設したのが、舞洲の大阪市環境局のゴミ処理工場(2001年)である。

フンデルトヴァッサー・ハウスは類い稀な公共住宅だ。難しい多色を使って遊びながら、植物と住宅を合体させている外観はどこから見ても斬新な現代作品である。にもかかわらず、どんなきっかけかは覚えていないが、恥ずかしいことにぼくはハウスが19世紀の終わりか20世紀初頭の建築だと思い込んでいた。そして、後日、1980年代の建築と知って少なからず驚いた。完全な認識間違いであるが、錯誤ついでに居直るならば、フンデルトヴァッサー・ハウスは19世紀末に建つこともできたと今でも思っている。カラフルでリズミカルで遊び心をモチーフにした住宅の出現が遅すぎただけの話である。

「食域」というアイデンティティ

仕事にもスポーツにもそれぞれに「それらしい本分」が備わっていてほしいと願う。同様に、民族や風土が育んできた食性がやみくもに損なわれるのを目撃するのは忍びない。自然の摂理でそうなるのならまだしも、珍しいレシピや度を過ぎた折衷を求めるあまり、己の食性を乱すことはないだろう。

食性ということばは生存のための本能的行動に密着しているようだ。そこで、生命とは無縁の欲望のほうに少し近づいて「食域」という造語を用いることにしたい。ざくっと食やレシピのレパートリーと想像してもらえればいい。言うまでもなく、食は饗する側と饗される側の協働によって成り立っている。料理するだけで食の儀は終わらず、料理なくして饗宴が始まることはない。長い食文化の歴史を通じて、人類は実にさまざまな食材を組み合わせて料理を完成させ口にしてきた。いつの時代も食域は前時代よりも広がる。この国の食域の広さは間違いなく世界一を誇っている。

「この料理なら許せるが、あれはダメ」というのが人それぞれの食域になる。各地で鰻を食べてきた鰻の薀蓄家である知人でさえ、うな重に振りかけるのは山椒のはずで、決して黒胡椒をかけることはありえない。タレがデミグラスソースのうな丼を食したこともないはずだ。つまり、世間の共通認識として、黒胡椒やデミグラスソースを使ったら、それはもはやうな重やうな丼ではないという「食域のアイデンティティ」があるということである。


その知人にはもう一つの顔があって、ソフトクリーム大好きおじさんなのである。どこに行っても、抜け目なくソフトクリームを見つけては楽しむらしい。彼のブログではこれまでに醍醐桜、伊予柑、山ぶどう、バラ、メロン、白桃、ほうじ茶、柿、マスカット、いちじくなどのソフトクリームが紹介されてきた。驚くばかりである。ぼくなどは本場イタリアで食べるジェラートもバニラか特濃ミルクのいずれかだ。どんなにメニューが揃っていても、ぼくの食域にはバニラかミルク以外のものは入ってこない。こう言い切るのは、好奇心旺盛にしていろんな種類を食べてきたからこそである。その結果、ソフトクリームにおけるいかなる新種もバニラやミルクを越えないことを知った。

知人の最近のブログには次のように書かれている。「メニューを見ると『昔ながらのソフトクリーム』とある。ソフトクリーム好きの私としては即追加注文。しっかりした柔かさで、味も濃厚。去年はいろいろ変わりソフトを食べてきたが、やっぱりソフトクリームの原点はこの味」。ほら、やっぱり。ソフトクリームもジェラートも原点はバニラ味かミルク味なのだ。

フィレステーキや伊勢海老を丸ごと一匹乗せたお好み焼きはお好み焼きではない。別々に食べるほうが旨いのに決まっているからであり、どんなにひいき目に見ても折衷効果に乏しい。フォアグラやトリュフの寿司も、寿司のアイデンティティに反して食域を欲張ってしまっている。ぼくの中ではタラコスパゲッティはぎりぎりオーケーだ。見た目はともかく、味としてはアンチョビに似通っているからである。但し、箸でスパゲティを食べるのは食域侵犯であり、パスタのアイデンティティが崩れてしまっている。

かつてフレンチもイタリアンも箸でいいではないかと思った時期もある。ところが、小鍋にキノコといっしょに煮込んだ牛のほほ肉をパリで食べ、濃厚なミートソースでからめた手打ちの平麺をボローニャで食べたとき、フォークやスプーンなどの西洋食器が旬の料理と不可分の関係にあることを思い知った。以来、箸を置いてある物分かりのいいフレンチやイタリアンの店を敬遠する。そのような店の料理は洋風仕立ての和風創作料理――または和風仕立ての洋風創作料理――と呼ぶべきである。いや、たいてい創作料理ではなく「盗作料理」になっている。レシピの多様化や新作への挑戦は大いに結構だが、堂々としたアイデンティティの強い原点料理を忘れないでほしいものだ。 

アイデンティティという本分領域

インターネットとメールの時間は最大で一日2時間と決めている。これは最大値なので、そんな日は月にほんのわずか。ブログを書くのに半時間以内、お気に入りに10件ほど入っている著名人・塾生・知人のブログに目を通したり気になる情報をチェックするのも半時間以内。PCにはずっと電源は入っていることが多いが、インターネットとメールで1時間を超えることはまずない。なにゆえにこのような自制について書いたかというと、仕事の本分が、ともすればPC的な作業に侵犯されているのではないかと危惧するからである。

ぼくは代表取締役という立場にあるが、企業経営者であることを本分だと考えたことはない。創業以来、ぼくの本分は「企画者」であり続けている(青二才的に言えば、「世のため人のための企画者」)。最近では「アイディエーター(アイデア創成人)」と自称して、知・技・生・業・術などに関する新旧さまざまなテーマについて新しい切り口を見つけ出し、発想し編集し著し提示し語ることを仕事にしている。マーケッターとかコンサルタントとかレクチャラーなどとも呼ばれるが、これらの肩書きはアイディエーターの下位概念にすぎない。つまり、ぼくの仕事におけるアイデンティティ(自分らしさ、自己が自己である証明)は「アイディエーション(アイデア創成)」にあると自覚している。

そのように強く自覚していても、PCによる作業はそれ自体があたかも本分であるかのような顔を見せる。IT技術者でないぼくにとって、キーボードを叩き、キーワードを検索し、メールのやりとりをするのは仕事の本分にとって手段にすぎない。その手段に一日の半分を食われるようであってはならない。すべての仕事が前段で掲げたアイデンティティに接合している自信はない。しかし、自分らしさから大きくかけ離れた仕事とアイデンティティ確立の仕事の間に、ストイックな「節度線」なるものを引いておくべきだと少々肩肘を張っている。


アイデンティティには「自己同一性」などの訳もあるが、人間ばかりに使うことばではない。たとえば、野球とソフトボールは瓜二つだが、厳密にはそれぞれに「らしさ」があって微妙にDNAが違う。延長になるとソフトボールではノーアウト2塁の状況を設定する。いわゆる「タイブレーク」だが、この方式を北京五輪で野球に用いたのは記憶に新しい。あのような制度を野球で使うのは、小さなルール改正の一つであって野球の本分を汚すものではないと言い切れるのだろうか。

妥協なき質実剛健と思われるかもしれないが、ぼくは野球の本分に「引き分けなし」と「決着がつくまで戦い続ける」があると考えている。日本のプロ野球の引き分け制度は、野球のおもしろさを半減させ本分を歪めているのではないか。延長12回で決着がつかなければ引き分けとするのが現状だ。すると、同点で12回裏開始時点においては「先攻に勝ちがなく後攻に負けがない」が確定する。この引き分けルールもタイブレークも苦肉の策ではあるが、野球というスポーツの遺伝子組み換えになってしまってはいないか。

野球の話をがらりと変える。大学時代、ぼくは英語研究部に所属し二回生の終わりから一年間部長を務めた。部長在任中に数人の部員が「交流機会が少ない」のを理由に辞めたいと言ってきた。副部長は留まるように説得しようとしたが、ぼくは去る者追わずの姿勢を貫いた。「この部の本分は英語研究であって、交流ではない。交流の意義を否定しないが、交流優先で研究お粗末では話にならない。厳しいようだが、君たちの英語力で何が交流か。交流だけを望むなら、根無し草のような他部へ行けばよい」と突っぱねた。それから30数年経つが、今も私塾の運営に関してはこの考え方を崩してはいない。しっかりと学ばない集団に交流などありえないのである。

食のアイデンティティの話を書くのが本意だったが、前置きそのものが一つのテーマになってしまった。ブログを書く制限時間の30分が過ぎようとしているので、食の話は明日以降に綴ることにする。   

会話に飢える人々

ものの売り買いにともなうことばのやりとりは、たとえば昭和30年代では現在よりも多かったはずだ。家族団欒にともなう談話と並んで、買物に際しての会話は日々のコミュニケーションにあって質と量のいずれも重要であった。町内では角のタバコ屋に喫茶店、駄菓子屋に金物店、二筋ほど向こうの商店街には食材の店が立ち並んだ。会話なしに買物はできなかった。いや、ものを売ったり買ったりする行為自体がコミュニケーションのレールの上を走ることにほかならなかった。

昨日こんな話を聞いた。スーパー入口前の駐輪場で高齢の女性客と、これまた還暦を過ぎている駐輪整理係の女性が立ち話をしていた。店内で買物をすること10分弱、外に出ると駐輪場では二人が寒風の中でまだ話し込んでいたそうだ。聞き耳を立てれば、次のような声が聞こえてきたという。「一人暮らしのうえに、商店街のないこの界隈ではコンビニやスーパーばかり。ただ商品を選んで黙ってお金を出してお釣りをもらうだけ。形だけの愛想があるだけで、話す機会などまったくない」。

少し考えさせられた。核家族化が当たり前になって一人暮らしの高齢者が増えた。家庭での会話は当然消えてしまっている。かつて毎日通った商店街は重く翳り、昔なじみがどんどん廃業していく。足腰が弱って商店街を歩く元気もない。便利なスーパーで日々少量の食材をまかなうのもやむをえない。レジで立ち話はないだろうし、別のお客さんとの世間話もありそうもない。先の駐輪場係の女性が面倒がらずにお客さんと立ち話をした背景には、彼女にも会話への飢えがあったに違いない。これは高齢者限定の話ではない。


身近な会話が消えた。町内や街中から「話のある買物光景」が消えた。とはいえ、しーんと静まり返っているわけではない。潤いのあるやりとりに代わって、処理手続のための雑音は増幅している。最近のお笑い芸人がコンビニのネタを披露し観客が笑いころげる。店員のマニュアルトークが不自然であり常識から外れているからである。多数の人々がそう感じているから舞台上で取り上げられると笑う。しかし、慣れは恐い。現実のコンビニに行けば、そのようなトークで平然と買物を済ませてしまうのだ。

魅力ある街と人間味という観点から、ぼくはコンビニと自動販売機の廃止論をずっと唱えてきた。メリットとデメリットを天秤にかけて議論する猶予はない。一切合財の経済効果や便宜性や雇用などの条件も考慮しない。ひたすらデメリットだけを取り上げれば、まず第一に、コンビニも自販機も美しくないのである。街の景観価値を高める存在ではない。第二に、売り手が商売の工夫をしないのである。商品について知らなくても売れてしまうのだ。第三に、会話の不在である。会話なんていらないという買い物客がいるのを知っているが、沈黙の売買関係はまるで覚醒剤の取引みたいではないか。

自販機に音声合成の仕掛けをしてもムダである。それこそ処理手続が最大関心事であることの証になっている。コンビニ店員のほとんどが音声合成的に決まり文句を告げる。コンビニはかぎりなく大型自販機へと変貌していく。いつぞや酒屋に行き、新製品のビールの味を尋ねれば、二代目らしき若い主人が「私は酒を飲まないんで、わからない」と答え、「じゃあ、○○をください」と言えば、「冷えたのがないので、表の自動販売機で買ってください」と言われた。なるほど、これだって会話にはなっている。但し、処理手続の会話だ。こうして、商売から味が消え、関係の妙が消え、街は会話と景観を失う。  

注の注の注

本質的にはいいことが書かれているのだが、注釈や弁疏べんそが多くて面倒になる本がある。この傾向は入門書においておおむね色濃くなる。話しことばになると、本題から逸れるノイズはさらに増える。字義や由来や行間説明をしているうちに注が注を呼び、それがまた別の注を招くのだ。そんな「メタ注」に出くわすたびに「これが言語の限界というものか」と呟く。後日、原典を読んでみると、入門書よりももっとわかりやすかったことを知る。

冗長度が増すのは親切心かもしれないと同情する余地はある。しかし、厳しい言い方になるが、ある事柄を単刀直入に説明せずに迂回してしまうのは、その事柄を十分にわかっていないからなのだろう。あるいは、聞き手や読者とは無関係に、「字義の積み木や工作」を話者や筆者が楽しんでしまうからなのだろう。ぼくにもそんな性向がある。凝り始めると、プロローグにプロローグを被せたり、そのプロローグのための序章を書いたりしてしまう。プロローグならまだましで、これがエピローグになってしまうと、話が終わらない。

何事かを完璧に知ろうとすれば、必然その何事かを説明する定義の完璧をも期そうとする。こうなると、字義が字義を呼び起こし、延々と注釈の注釈が続く。はたしてこれが言語が抱える決め手不足なのか。たしかにそうかもしれない。しかし、畢竟言語を操るのは人間なのだから、言語の限界は人が直面する限界でもある。仮に言語が完璧でありうるとしても、人のほうがオールマイティではない。ことばのみならず、感覚にも思考にも観察にも限界点がある。注の注の注というリダンダンシーは言語の限界を証明しつつも、その限界を打ち破ろうとするせめてもの努力なのかもしれない。


定義や注釈は固定化した説明である。少しずつ劣化する以外に大きな変化の可能性がない標本のようなものだ。もともと定義や注釈は誰かのためにおこなわれる「サービス」なのだが、その性格はきわめて静態的である。ところが、情報は流動する。情報が匂わせる意味は刻々と変化するのだから、定義には向かない。情報には可動性が必要なのだ。「誰かに何かを伝える機能」を担うのが情報。それは、定義ではなく、表現すべきものなのである。表現には度胸がいる。度胸がないから注釈がどんどん膨らんでしまうのだ。

緊急でないテーマの注の注の注を否定しているわけではない。文化的遊びとしてあってもいいだろう。しかし、そんな遊びとは無縁の状況にあっても、注釈癖が顔を出す。くどくなるのは、誰かに伝えようと表現する前に自分自身に説明しようとするからである。極論になるのを避けるために、ああだこうだの注釈がモラトリアム的に発生するのである。一言一句の揚げ足取りという悪しき慣習のせいで、揚げ足を取られる恐怖から定義を固めようとするのか。あるいは単なる衒学趣味なのか。

ともあれ、定義や注釈がおびただしくなるのは、矮小なリスクマネジメントの表れである。それらが何重にも外堀を形成していて、いつまでたってもテーマの本陣に近づくことができない。定義や注釈の完成度がいくら高かろうと、絶対的な表現不足であるかぎり何を言いたいのかはさっぱりわからないのである。情報はなまくらな結束でもいいし脱編集的であってもいいから、もう少し表現の方向へとメッセージを誘導する冒険が欲しい。

愚かなりし我が記憶

『愚かなり我が心My Foolish Heart』と題された映画があり、同名の主題曲がある。しばらく聴いていないが、ぼくの持っている二枚のCDでは、いずれも『愚かなりし我が心』と「し」が入っているはず。一枚のCDではエラ・フィッツジェラルドが歌い、もう一枚のほうではエンゲルベルト・フンパーディンクが歌う。曲名に反して、曲調は静かで「知的な」と形容してもいいバラードだ。もう30年以上も前になるが、関西テレビが特集したドキュメンタリー『風花に散った流星――名馬テンポイント』の挿入曲として使われていた。

そういうことを覚えている一方で、さっぱり思い出せないことも多々ある。まったく「愚かなりし我が記憶」であると痛感する。いや、何かのきっかけさえあれば思い出せるのだが、そのきっかけすら生じないから、記憶そのものが飛んでしまっている。逆に言えば、きっかけが生じる仕組みがあれば記憶を呼び覚ませることになる。もちろん、後日きっかけとなるような仕込みは不可欠だ。ぼくにとってノートは触発のための仕込みである。放っておくとますます愚かになっていく記憶のアンチエイジング策として、ぼくは月に一回ほど過去のノートを捲って拾い読みするようにしている。

先日、自宅の書棚に『ジョーク哲学史』(加藤尚武)を見つけ、ざっと目次に目を通した。おもしろそうだ。買ったままで読んでいないおびただしい本のうちのその一冊を鞄に放り込んだ(鞄にはそんな文庫本が常時5冊ほど入っている)。そして、昨日、たまたま1990年のノートを繰っていたら、同じ著者の『ジョークの哲学』からの抜き書きを見つけたのである。「十三日の金曜日」と題したそのメモを読んだ瞬間、20年前にジョークやユーモア関係の本を濫読していたのを思い出し、次から次へと記憶が甦った。どうやら自宅で見つけた本のほうもざっと目を通していたようなのだ。


同年齢の友人知人のひどさに比べれば、ぼくの記憶力は決して愚かではないと自負している。十歳くらい若い塾生にもたぶん負けていない。しかし、そんな強がりのうちにも不安や失望がつのる。たとえば、8月の私塾大阪講座の第2講『情報の手法』のテキストを読んで、「結構いいこと書いているな」とつぶやくのは一体どうしたことなのだ。自分で考えたり引用したり書いたりしたのであるから、ほとんど覚えている。しかし、所々で数行が記憶から抜け落ちている。信念でないこと? 印象に薄いこと? 繰り返し想起しないこと? よくわからないが、あることを覚えていて別のことを忘れるのは、情報の重要度や頻度とは無関係なようだ。

不安や失望と書いたものの、さほどショックでもないことにあらためて気づく。記憶にはそのような新陳代謝が必要だと悟っている。つまり、記憶力と忘却力は不可避的に一体化しているのである。そして、覚えておかねばならないことや覚えておきたいことを忘れ、どうでもいいことや忘れてしまいたいことが記憶に残ったりする。メディアは時系列で刻一刻事件や出来事を発信する。時系列ではあるが、さしたる脈絡があるわけではない。情報がA→B→CではなくB→C→Aという順番だったら、まったく別の記憶が構築されるのだろう。

今日誰かに何かを話そうと思って忘れてしまっている。今年の講座のアイデアも浮かんだのだが、もはや鮮明ではない。忘れたことは生理的メカニズムの成せる業と割り切るのはいいが、ぼくにとってまったく関心の外にある「淳と安室」が記憶に鮮明に残ってしまうのははなはだ情けない。テレビでB級報道を観てはいけないと肝に銘じる。我が記憶を愚かにするか否かは、日々の情報との付き合い方によるところ大である。  

何々主義はすべて「ご都合主義」

「この店の焼肉は大阪一ですよ」などとうそぶく人がいる。まるで大阪にある焼肉店をすべて食べ歩いた結果のミシュラン認定かのようだ。まずありえない。行きつけのいくつかの店の味を比較して「ここが一番うまい」と言っているにすぎないのである。だが、ひとり彼のみを槍玉にあげるわけにはいかないだろう。ぼくもあなたも、限られた経験を大風呂敷にして、何事かを確定的であるかのように主張する癖をもつはずだ。事は食べ物だけにかぎらない。

変なことば遣いになるが、安定した推論はむずかしい。ぼくたちの推論は不安定に偏っているのが常で、おおむね自らが望むように推論しているのである。「こうあってほしい」という期待が推論する方向を決めてしまっている。「この店の焼肉が大阪一であってほしい」が先にあって、その主張が導けるように推論していくのだ。情報収集の段階から、ぼくたちは自分の考えに合っていて自分の都合によい情報を選ぶ傾向を示す。都合の悪い情報からは目線を逸らす。

おいしいところを中心に推論するように人は縛られている。その縛りを解きほどこうとするのが脱偏見努力なのだが、どんなに頑張っても何らかの偏見は残る。長年にわたる思考や経験によって培われたものの見方がそうやすやすと変わることはない。偏りや歪みを正したいと思っても、そもそも何が偏りで何が歪みかすら認識できないだろう。「正しい見方」と考えているイメージそのものが、すでに偏っていて歪んでいるかもしれない。都合のよい情報と不都合な情報に等距離で接するのは至難の業なのである。


すべての何々主義は偏している。思考であれ思想であれ、主義は不利情報に対して見て見ぬ振りをし、理解可能で自分にとってありがたい情報を中心に論を組み立てる。おもしろいことに、何がしかの主義に強く染まっている人間ほど、不利情報が増えれば増えるほど躍起になって主義を貫くことだ。彼らは有利情報・不利情報100の状況に直面しても動じない。すべての何々主義は「ご都合主義」ということばで一括りにできる。

コップに水が半分入っている。これを「まだ半分ある」と構えるのが楽観主義者、「もう半分しかない」と嘆くのが悲観主義者。よくご存知の、オプチミストとペシミストを比較する名言だ。両者ともに同じコップの中の同じ量の水を見ているにもかかわらず、見方が正反対になるのは眼前の情報以外の「ものの見方」に縛られているからにほかならない。

楽観的状況にあって楽観主義者になるのではなく、悲観的状況にあって悲観主義者になるのでもない。何々主義者だから何々のようにものを見るのである。それが証拠に、主義とは無縁の犬や猫にとっては水は水であり、水量の多寡に一喜一憂するとは思えない。

これだけで終わるなら、わざわざ有名なコップの水の話を持ち出さない。実は、楽観主義者と悲観主義者以外に第三の男がいたのである。二人のコメントを聞いた彼はつぶやいた。「いずれにしても、水の量はコップの体積の半分ということだね」。主義に囚われない冷静な男? いや、そうではない。彼のことを「合理主義者」または「科学主義者」と呼ぶのである。彼もまた、ある種のご都合主義者にすぎない。

年賀状、ちょっといいメッセージ

年賀状のほとんどすべてが、ろくに目も通されずにはがきホルダーに収められるか、輪ゴムか何かで束ねられてどこかにしまいこまれるのだろう。そして年末になって、住所録の更新や新年の年賀状を出す際に引っ張り出されるのだろう。それでもなお、その一年ぶりの再会の折りにきらっと輝く文章に目が止まったりもする。一年後などと言わず、今年の賀状からちょっといいメッセージを拾ってみた。


Aさん(男性、東京)
どんな決断に際しても、最善は正しいことをすること、次善は間違ったことをすること。そして最悪は何もしないことである」。
米国26代大統領セオドア・ルーズベルトのことばを英和併記で書いてある。

Fさん(女性、大阪)
この歳になってからの大学の学びはとっても興味深くおもしろいです」。
ふつうのことばだが、多忙な仕事人なのに五十歳を越えての勉強はえらい。

Hさん(男性、大阪)
超不況という大きな河の流れには逆らえず、21年間使い慣れた広い事務所から安価な家賃のワンルームに移転しました」。
親友の一人だが、なかなかここまで率直に吐露できるものではない。

Kさん(男性、大阪)
何ものにも打ち勝てるものは、ただ頑張りと決断力だけである」。
これも米国大統領のことば。ぼくは頑張り主義者ではないのだけれど、ダメなやつを見ていると「その通り!」と思う。

別のKさん(男性、大阪)
やりたいこと やりましょ」。
やりたいことが十分にできていないぼくへの励ましのように書いてあるが、実は自分に言い聞かせていると思われる。

Kさん(女性、大阪)
三適合一為」。
「三(身と足と心)の適、合して一と為る」という意味。白居易のことばだ。

Nさん(男性、滋賀)
ユーモアセンス、なかなか光りません」。
ものすごいいい人なのだが、笑いがすべる人である。二年ほど前にボケとツッコミの極意とすべらない話のコツを教えてあげたのだが、未だにうまくいかない様子らしい。 

Oさん(男性、栃木)
先生と又、ゲテモノを食べるのが夢です」。
十年ほど前に大阪で美味な馬の刺身やレバーを一緒に食べたのだが、この人にとってあの高級食材はゲテモノだったのだろうか。

Tさん(男性、京都)
明るい、意志、運、縁、大きな夢」。
五つのフレーズの頭文字が「あいうえお」なんだそうである(意地悪く言えば、それがどうした? なのだが)。この人、五十を越えているのだが、少年のように純粋な性格の持主である。

別のTさん(男性、福岡)
ITで24時間連絡が取れるようになりましたが、じかに会って話をすると得るものが全然違います」。
何年間もつらい日々を過ごした彼だが、久しぶりに大阪で会ったらとても元気になっていた。

Wさん(男性、大阪)
フランス語の勉強は進んでますか? フランスへの旅ではどこに行きましたか?
フランス語で書いてあった。二十代前半に在籍していた語学研究所時代の元同僚で、フランス語のスペシャリストである。

Yさん(女性、京都)
魔法のランプから出てきた ほがらかカードです」。
絵柄といっしょに読めば少しはわかるが、だいたいこの人はメルヘン系の異能人アーティストなので、どこかで「飛ぶ」。

Yさん(男性、香川)
「(……)美を犯す者は、美によって滅亡させられる。グラナダの夜、私は夢の中で、ライオンの咆哮を聞いた。いや、それはアルハンブラ宮殿を追われるイスラムの公達の嘆きの声だったかもしれない。 ―スペイン・グラナダにて」。
毎年最上の文章を綴るのは一回り年上のYさん。全14行のうち前の10行を省略したのをお許し願いたい。


文章の一言一句に注視して吟味することはできないが、縁あって出合った人が選んだり書いたりしたメッセージにも縁があるに違いない。安易に見過ごさないよう心しておこう。 

いろいろあります、年賀状

自宅と事務所合わせて四百枚ほどの年賀状をいただく。ぼくも同数近く書いて投函しているつもりだが、一昨年から宛名書きをラベルに変更したので、更新漏れや出し忘れ、重複差し出しが発生しているかもしれない。宛名を手書きでしたためていれば、どなたに出したかを覚えているものである。

日本郵便のくじは毎年切手セットが1015セットくらい当たる。これとは別に「独自のお年玉くじ制度」を採用している知人が数名いて、年初にホームページで当選番号を発表しているらしい。「らしい」と書いたのは、これまで一度も当たっているかどうかを確かめたことがないからだ。今年の分はチェックしてみようと思っている。

正月早々、塾生の一人がぼくの年賀状をブログで取り上げていた。一言一句引用したわけではなく、テーマの紹介だ。しかし、ご苦労なことに、彼はその年賀状についてあれこれと考えを巡らして、なんと数時間ほど付き合ってくれたというのである。ありがたいことだ。彼のような一種マニアックな性格の持主がいるからこそ、ぼくのしたためるマニアックな賀状も意味をもつ。なお、すべてのいただいた年賀状は、たとえ無味乾燥で無個性な文面であっても、ぼくはしっかりと読むようにしている。自分の長文の年賀状をお読みいただく労力に比べれば、一、二行の紋切り型の挨拶文など楽勝である。

☆     ☆     ☆

15日現在、いいことが書いてある年賀状が10枚ほどあった。昨年に続いて、まったく同じ年賀状を二枚くれた人が二人いる。この二人は昨年も同様に二枚ずつ送ってくれた。プリンターで出力されたもので、手書きの文章は一行も書かれていない。リストの宛名重複だけの話なのだろうが、ぼくが指摘してあげないかぎり来年も繰り返されるだろう。おそらく誰かにすべて任せているのに違いない。

ありきたりではない文章の傑作が一枚。十行分ほどと思われる前半の文章が印字されていないのである。紙面の右半分が完全に白紙で、印字されている文章とのつながりがまったくわからない。一文が長いので類推すらできない。文章は短文で書けというのは、こういう事態に備えてのセオリーだったのか。ぼくだけに生じたプリンターのトラブルであることを切に祈る。

もう一つの傑作は、前代未聞の裏面白紙の年賀状。年賀はがきを使っているから年賀状に違いない。おそらく謹賀新年、あけましておめでとうございます、賀正などのいずれかで始まり、プラスアルファが書かれているのだろう。なにしろ白紙だから手掛かりの一つもない。これはちょっと恥ずかしい話ではないのか。いったい誰? と思って表面を見れば、差出人の住所・氏名がない。つまり、この年賀状でたしかなことは、誰かがぼくに出したという事実だけである。もちろん、誰かわからないから恥じることもない。仮に本人がこのブログの読者であっても、「バカなやつだなあ~」とはつぶやくだろうが、まさかそれが自分のことだとは思うまい。