「選ぶ」と「引く」

アホらしいと思ったが後の祭り。観てしまったのだからしかたがない。昨夜『マジカル頭脳パワー』なる番組のチャンネルを、ひょんなことからリモコンが拾ってしまったのだ(テレビの調子が悪く、リモコン操作を何度か繰り返さないと画面が映らなくなっている)。それはともかく……。

番組中、「この行為は何をしているのか?」という出題があり、行為を示す動詞が順番に出てきて、わかったところで答える。「払う」に始まり、「選ぶ→取る→開く→読む→たたむ→結ぶ」と続く。あるグループはたしか「開く」の時点で正解を出した。ぼくはと言えば、最後の「結ぶ」でやっと「もしかして、おみくじ?」と推論した次第。
どちらかと言うと、勘がいいほうなのだが、ぼくの推理推論では「おみくじ」はありえない。「選ぶ」という行為からはおみくじは導出できないのだ。なぜか? おみくじは、あらかじめ分かっている複数の対象から好みや条件に見合ったものを選ぶものではなく、何かわからないものを「引く」ものだからである。手元にあるすべての国語辞典やコロケーション辞典は、おみくじと結ぶつく動詞を「引く」としている。

不可解で不機嫌になっていたら、正解を裏付けるための映像が示された。お金を払ったあと、よく見かけるくじ引き箱の中に手を入れておみくじを指でつまみ上げているではないか。中身が見えない状態で取っているから、選びなどしてはいないのである。出題の二つの動詞「選ぶ」と「取る」を一つにして、「引く」にするのがふさわしい行為であった。
ぼくが年始に行く神社では、番号の付いた棒を「引く」。引いて番号を巫女さんに告げる。巫女さんは同じ番号の引き出しからおみくじを取り出す。そのおみくじは一枚の紙で、すでに「開かれている」。見てから、棒状に紙を巻くか折ってから、どこかに用意されている竹柵に結ぶ。おみくじ代は引いてから支払ってもいい。つまり、「(棒を)引く→(番号を)告げる→(代金を)支払う→(おみくじを)受け取る→(運勢に)目を通す→(吉や凶に)一喜一憂する→(おみくじを)巻くか折る→(竹柵を)探す→(竹柵に)結ぶ」という一連の行為がおみくじに当てはまる。
冒頭の写真は、基本語彙――とりわけ動詞――の細かなニュアンスを確かめるときにぼくが使う辞典である。【選ぶ】には、「複数の対象の中から、ある条件を満たすものを捜す」と書かれている。例として、「多くの応募作の中から優れたものを選ぶ」「卒業生の中から総代を選ぶ」などを挙げている。おみくじにおいては、条件(たとえば大吉や吉)を満たすものを自分の意志で捜すことはできない。偶然に委ねられるのだ。ゆえに「引く」なのである。選べるのなら、ぼくだって三年連続、好んで「凶」をもらいなどしない。