明快表現のパラドックス

「意味の共有」はコミュニケーションの重要な原義の一つであった。他者に自分の意図を伝えて理解してもらうことであるから、現在もなお必要不可欠なコミュニケーションの機能である。言うまでもなく、言語を通じて共有化する意味は、不得要領ふとくようりょうであるよりは明快なほうが望ましい。丁寧で遠回しな表現では意味理解に時間を要する。むしろ、少々露骨であっても単刀直入な言い方のほうが意味は伝わりやすいのである。

対象や現象をものの見事にピンポイントで表現できればどんなに気持ちがいいことか。しかし、百万言を費やしてもそんな気分になれることは稀である。語彙が豊富な表現上手にとっても、最適語でメッセージを言い表わそうとする課題はおそらく生涯つきまとうに違いない。対象や現象なら、文字通り、ある程度「かたどどられている」が、観念や感情の意味となると、つまびらかに語り尽くし書き留めるのは難業である。

繰り返すが、ある事柄の輪郭を鮮やかにとらえてその内実を浮き彫りにするのは容易ではない。だが、自分と他者が意味を共有するためには避けて通れない試練である。にもかかわらず、ぼくたちはなぜその試練に立ち向かわないのか。好球を必打するようにことばを駆使しようともせずに、なぜ敢えて表現を迂回させようとするのか。迂回とは持って回った婉曲的語法のことである。差し障りのないよう、穏やかに、また露骨にならぬよう「ぼかしことば」を頻繁に用いるのはいったいどうしてなのだろうか。


人にはトラウマがあったり語りえぬ苦悩があったりする。社会には触れてはならぬタブーがあり、他者の心情や人権への配慮が求められる。今さら肝に銘じるまでもなく、まずまずの良識を備えていればわかることである。そう、良識ある人々は差別的表現を遠ざけようと意識する。差別的なことばは具体的で直接的な表現の一種なのである。ある意味で、名と実が近接して関係が明快なのだ。明快であるからこそ具合が悪い。したがって別のことばに言い換える。ここにぼかしことばの出番がある。

数年前からボケや痴呆症を「認知症」に言い換えようと厚労省が主導してきた。言い換えても実体に影響を及ぼさないが、従来の表現で苦痛を覚えてきた人たちの気持ちをやわらげることはできる。それでも、『ボケになりやすい人、なりにくい人』という書名の本は存在するし、普段の会話では「痴呆症」ということばを耳にする。差別語論はさておき、痴呆のほうが明快であり事態の深刻性を醸し出している。認知症を病だと「認知」していない人もいる。「認知していればそれでいいではないか」というわけである。

言い換えられた新語で傷つく人もいる。人にはそれぞれの痛みの「ツボ」があり、すべてのことばが万人に快く響くわけではない。婉曲表現のそのまた婉曲表現などということになれば、意味を共有するどころか、会話そのものがなぞかけ合戦と化してしまう。表現をぼかせば通じにくくなり、これではいけないとばかりに明快な表現を用いると相手に棘が刺さってしまう。これが明快表現のパラドックスである。パラドックスではあるが、別に悩むことはない。綱渡りさながら明快な表現を探し工夫することに躊躇する必要などさらさらないのである。

「知っている」の意味

すっかり身近になった用語の一つに〈パラダイム〉がある。起源はギリシア語だが、ラテン語“paradigma”を経由して英語の“paradigm”へと変化した。接頭辞“para-“には「並べて」という意味があり、この語根をもつ単語はけっこう多い。パラダイムはもともと「範例、模範、典型」などのことだが、一般的には「ものの見方」や「知の枠組」という意味でも使われるようになった。ものの見方や知の枠組は自分に固有なものと思いがちだが、発想や知識は、時代と文化の制限をかなり強く受けている。

あることを部分的に知らないという理由だけで、その人を無知呼ばわりすることはできない。知識の無さや知恵の無さをひっくるめて意味するのが無知だ。ゆえに、無知は無知以外の何物でもなく、その状態に程度というものはないのである(無知な人は自らが無知であることすら知りえない)。これに対して、「知」はいろんなレベルの階層に分かれる。ピンからキリまでの「知っている」がありうるのだ。ほとんど内実を知らないくせに「知っています」と見栄を張ることもできるし、よく承知していても「少しだけ知っています」と謙遜することもできる。

W.V.クワイン著『哲学事典』の「知識(knowledge)」の項に、「『知る』という語は『大きい』と同じように、程度の問題として受け入れる方がいい」という記述がある。教訓的な助言だ。「知識とは真の信念である」ものの、信念の背後にある裏付けには確実性と曖昧性がつきまとうから、真なる信念の確からしさによってのみ「何かを知る」ということがありうるのだろう。「私は政治を知っている」という主張そのものは政治の知識の程度を示してはいない。知の多寡は精細な裏付けの検証によってようやく判明するものかもしれない。


前掲書の当該項目の後段に「いかに・・・を知ることとできる・・・ことが交換可能である」という行がある。「知る」と「できる」が同じ意味で使われるのは、ヨーロッパ諸言語に顕著な事例である。たしかに方法を知っているということは「できる」ということになるのだろう。英語で“I know how to swim.”は、ほとんどの場合“I can swim.”を意味している。もっと言えば、「~の方法を知る」とは「~を知る」ことにつながり、それは自ずから「~ができる」ことでもあるのだ。ゆえに、“I know chess.”は十中八九“I can play chess.”と同義になる。

「チェスを知ってる?」
「うん」
「じゃあ、やろうよ」
「いや、できない」
「なんだ、知らないじゃないか!?」
「名前は知っているけど、駒の動かし方はわからないんだ」
「それを知らないと言うんだ!」

ありそうなやりとりだが、不自然な会話にも聞こえてくる。ぼくたちも英語圏の人たちと同様に「知る」や「知っている」を使う。「チェス? 知っていますよ」と日本人が言う時、ゲームの名前、ゲームの方法、ゲームの道具のどれについて語っているのかは即座にわからない。もっと神妙に考えてみると、仕事や読書や趣味についても、いったいぼくたちは何をどのように知っているのだろうか、と不安になってくる。パラダイムが「並べて示す」であるなら、胸を張って知をずらりと並べることなどできそうもない。


仕事を知っていると言うのは簡単だが、プロフェッショナルの程度はどのくらいか。その本を知っているのなら、何をもってそう言いうるのか。こんなふうに自分が知っていると信じていることを順に問い詰めていくと、ほとんどの事柄に関して「聞いたことがある」や「名前だけ知っている」に変更せねばならないことに気づく。知識が真の信念の域に達しているのならば、誰かに説明できるはずである。もし暗黙知の次元に達していてことばにできないのなら、「できる」というお手本を示せるだろう。

knowkncancnを比べて見よ」とクワインは言う。なるほど似ているが、同一語源かどうかまでは不明だ(もしかすると、こじつけかもしれない)。しかし、「ドイツ語ではもっと明白で、kennenkonnenという語になっている」と言われてみると、「知る」と「できる」の酷似性が際立ってくる。少なくとも、知には「行動知」という要素があることを認めざるをえない。「知っているけれど、できない」を容認してはいけないのだと思う。できないことは知らないことに等しいのである。

時間を創る生き方

去年一年間、Kはずっと「忙しい、忙しい」と言っていた。会うごとに、電話で話すごとに、メールをやりとりするごとに。先週会った時も同じことを言っていた。仕事がどんなに多忙なのかつぶさに見る機会はないが、会った時の振る舞いからは普段の慌しさが漂ってこない。話し方も悠然としているし……。にもかかわらず、ご機嫌をうかがうたびに、「時間がない、時間が足りない」とよくこぼす。

Kとは誰か? ぼくの回りにもあなたの周辺にもよくいる人物、それがK。そう、Kはどこにでもいる。もっとはっきり言っておこう。時々誰もがKになってしまうのだ。Kというイニシャルに特別な意味はない。多忙を言い訳にする象徴的な人間を他意なくKと呼んでいる。Kは、K自身が多忙だと思っているほど、仕事に追われてもいないし多忙でもない。Kよりも物理的に仕事の負荷が大きくても、余裕綽々に日々を送っている仕事人も世間には少なからずいる。

「忙しい」を口癖にしたまま定年退職していったK先輩たちをぼくは何人も知っている。同輩にも年下にもKはいる。集まりがあればほとんど確実に遅刻し、約束を直前になってからキャンセルするくらいは朝飯前だ。丁重に謝り「次こそ絶対に先約を守る」と誓っても、急な仕事やトラブルが発生する巡り合わせになっている。冠婚葬祭出席の頻度も高い。ぼくはいつも疑問に思う、Kは仕事ゆえに多忙なのか。Kに「忙しい」と言わせているのは、仕事以外の諸々のゴミ時間なのではないか。


多忙だから趣味に打ち込めない、仕事続きでゆっくり落ち着いて本も読めない。あれもしたいこれもしたいと願いながら、一年を振り返れば雑事に忙殺されてきた。しかも、時間を食った割には仕事の達成感はない。何だか薄っぺらな仕事ばかりしてきた感覚が自分を支配している。このようなワークスタイルとライフサイクルは、放置しておけば生涯続く。そして、K本人は言い訳と口癖の「忙しい」を相変わらず言い続けることになる。どこかでケリをつければいいのだが、環境も態度も変容しそうな気配はない。

多忙感には避難所に似た構造がある。「忙しい」というのは口実でもあり幻想でもある。もちろんK自身はそれが口実であるとか幻想であるなどと思いもしていない。言い訳しているつもりもなければ口癖になっているとも気づいていない。毎日がとても窮屈で自由気ままにならないと確信している。だが、Kは間違っている。Kは仕事で忙しいのではない。時間ののりしろを作れないため、不器用に仕事をしているにすぎない。

電話、来客、会議、トラブル対応、先延ばし、人付き合い、優柔不断。ブライアン・トレーシーはこれらが「ゴミ時間」の要因であると指摘する。多忙解消のための電話ではなく、電話に時間を食われて忙しくなっている。来客との会話、会議、人付き合いの大半は、終わってから後悔の念に苛まれる。トラブル対応はパスできないが、マイナス作業であることを心得ておかねばならない。先延ばしと優柔不断は身から出る錆である。

時間欠乏にからんでくるのは、いつも「人」である。人間関係は微妙であって、ある境界線を越えるとプラスがマイナスに転じる。やりがいにもストレスにも人は関与するのだ。Kよ、多忙が好きなら金輪際「忙しい」と言うなかれ。多忙が嫌なら、愚痴を言う前にゴミ時間を減らしたまえ。時間を創れない人間がいい仕事をやり遂げたためしはないのである。

二つの対処法

謹賀新年

元旦の早朝、散歩がてらにいつもの神社に行っておみくじを引いた。「置渡す露にさがりをあらそひて さくかまがきの朝がほの花」という歌が書いてあった。「小凶」とある。この神社に「吉」の神占があるのかと怪しむも、怒らず騒がず、「奢らずに慎み深く生きなさい」というメッセージとして拝読し、備え付けの紐に結んで境内を後にした。

外出の前に、窓を開けたら風が冷たい。部屋が必ずしも暖かいわけではないが、外気との温度差は優に10℃はあるはずだから、窓枠にもガラス面にも結露がびっしりの状態。大晦日の昨日はたぶんもっと寒かった。寒風の中を一路卸売市場へと向かった。午前10時過ぎには小雪が舞い始めた。実は、十二月中旬に塾生の一人から、大晦日の日に正月用の食材を買い出しに行かないかとの誘いがあった。拒否する理由がないので快諾した。てっきり車に乗せてもらえると思っていたら、「自転車で行きましょう」と言う。

彼の自宅から拙宅までは自転車で半時間弱だから、何ということはない。けれども、風の強い日の自転車はきつい。大晦日の前日の天気予報を見たら、「午前中の最高気温4℃、雨から雪に変わりそう」とあった。「明日は自転車日和ではなさそうだが」と伝えたが、悪天候でも決行の決意は変わらなかった。と言うわけで、ある程度寒さに耐えられる格好でサドルにまたがった。拙宅は彼の自宅と目的地のほぼ中間なので、ぼくの往復走行距離10kmに対して彼はその倍近くを走ったことになる。


さて、平均体温が1℃下がると免疫力が30数パーセントダウンするなどと、体温と免疫力の関係が昨今注目される。体温を上げたり保ったりするには大晦日や元旦は自宅で温まっておくのがいいのだろう。理屈ではそのほうが免疫力もつくはず。体温を下げないことは防寒対策、ひいては風邪引き対策にもなるに違いない。ぼくらのように、わざわざ寒い外気の中へ飛び出して風をまともに受けてペダルを漕ぐことなどないのである。

しかし、暖かい部屋で過ごすことと体温を上げることは同じではないだろう。寒いからといって暖房のきいた室内に閉じこもっていたら、逆に免疫システムが甘やかされるのではないか。これは、暑いからといって冷房をガンガンきかすのと同じだ。ぼくの場合、まったく逆の、寒気を迎え撃つ方法を選択することが多い。寒ければ、寒いほうへと舵を取るのである。だから昨日もそうしたし、今朝も億劫にならずに2時間以上外気に触れた。暖房していない部屋に戻ってきても、数時間は身体が温かいのである。

寒さを防ぐか寒さに馴れるか。これはもちろん窮屈な二者択一ではない。いや、いずれか一方だけに偏るのは免疫によくないだろう。あるときは防寒、別のときは耐寒という対処法を上手に選択すればいいのである。と、ここまで書いてきて、これは頭脳の使い方のアナロジーになっていることに気づく。適度な負荷がかかるからこそ、知的満足感も膨らむというわけだ。

勝って驕らず、負けて倦まず

大学生・社会人のためのディベート団体〈関西ディベート交流協会(KDLA)〉を立ち上げてから20年になる。10年ほど前に後進に運営を譲って名ばかりの顧問に退いていたが、ここ数年間実質的な活動が途絶えていたと知り、それならということで「里帰り」させることになった。任意団体ではあるが、西日本では草分け的存在だし、かつては頻繁にユニークな活動をしていた。この会や研修などでぼくがディベート指導した人たちは千人規模になる。

上級の腕前と認定できるディベーターはそうそう多くはないが、ディベートを審査できる人材を数十人育ててきた。ディベート普及の前に立ちはだかるのは人材難、とりわけ試合経験のある審査員不足だ。審査員さえ揃えば場は作れると考えて、ディベート研修では審査も体験してもらい審査についての話も網羅してきた。こうして、常時20人くらいの審査員が集まる体制を整えている。おもしろいことに、審査員のディベート観や哲学は実に多様である。必然、半数の試合で判定が割れる。

ところで、たいていのスポーツ上達への第一条件は身体能力の高さだろう。けれども、人には好き嫌いがあるので、どんなスポーツでもこなせるという保証はない。同じことがことばについても言える。言語能力が高くても決してオールマイティとはかぎらない。読み書き聴く話すの四つの技能に凸凹があったり、一方通行の弁論は巧みだが、当意即妙を要する議論はお手上げという場合もある。能力以外に適性を配慮する必要があるのだ。つい先週も《向き・不向き》について書いたが、もしかするとこれは能力以上に意味深長な成功要因になるのかもしれない。


知識・論理・言語が三拍子揃っていても、ディベートに向かない人がいる。ディベートは体操やフィギュアスケートなどと同じく、審査員が評価するゲームである。より正確に言えば、一本勝ちのない柔道、ノックアウトのないボクシングに近い。つまり、当事者どうしで決着がつかず勝敗を第三者の判定に委ねるのである。当然、ディベーターはディベートが審査員によって評価され勝敗を判定されることを承知して参加している。

競技後にあの採点は変だとか解せないだとか公言してはいけない。判定を不服とする性向がある人は、ディベート大会に出場すべきではないのだ。また、審査員が同僚の審査員の採点を非難したり異議を申し立てたりするのもご法度である。クレーマーの癖が抜けないようなら、不向きだと悟って出場も審査も諦めるべきである。「審査員の見方がおかしい」と捨てぜりふを言うディベーターがよくいるが、後の祭りの文句を垂れるなら、見方のおかしい審査員から一票でも取る工夫をすべきだろう。

悔しがる敗者を見て勝者の前頭葉にどんな変化が起こるかという実験があった。たしか、自己愛の強い勝者ほど変化が大きい、つまり強い快感を覚えるという結果だったと思う。共感と逆の作用なので「反共感」と呼ばれるらしい。だが、試合が終わり余韻が醒めてからの表彰式で勝者がガッツポーズをしてもさほど気にならない。そのときのガッツポーズを驕り高ぶりと見る向きは少ない。

これとは逆に、惨めな敗者を睨みつけてガッツポーズするのはいただけない。これは何も相撲や「道」としてのスポーツにかぎった話ではなく、すべてのスポーツ、そしてディベートや将棋・チェスのような知の競技にも当てはまる。勝利快感をあらわにする勝者ほど、敗北を喫すれば人一倍の不快感を募らせる。そして、ディベートにおいても、勝利しておごり高ぶるディベーターほど、負けると文句を言う傾向が強い。けれども、文句を言ってどうなるものでもない。負けた時こそまずたゆまずでなければならない。つまらぬ擬似プライドをさっさと捨てればよろしい。

ことばを遊ぶ

暇つぶしに辞書を読む人がいた。調べる対象となる用語を決めて読むのではなく、調べるついでに別のページをめくって読むという感覚らしい。ぼくにもそんな覚えがある。ある語を調べたついでに辞書の中を徘徊していたという経験なら誰にでもあるに違いない。但し、手持ちぶさたなときに首尾よく辞書が手元にあるとはかぎらない。それもそのはず、辞書を携えて外出することなどほとんどありえないのだから。また、辞書というものは、時間と場所をわきまえずに引けるものでもない。

それにしても、ことばには我を忘れさせる愉快な魅力がある。辞書にのめり込むと、飛び石伝いにことばは別のことばへと連なっていく。たとえば、一昨日のブログでたまたま「曲学阿世」という四字熟語を使った。そして、書いてからしばらく凝視していたら、阿世の「阿」という文字が気になってきた。大阪市内の南東部にある「阿野」という地名は身近な存在である。同じ「あべの」でも、近鉄の駅は「阿野橋」と書く。「倍」と「部」の違いがある。こんなことを思い巡らすうちに、阿がますます不思議な造形に見えてきた。

阿は、表記としては稀だが、「阿る」という動詞として使われる。クイズ番組の国語の問題に出そうな難読字で、当てれば「ファインプレイ!」と褒められるだろう。「おもねる」と読む。へつらうという意味だ(へつらうも漢字で書けば「諂う」で、これまた難読字だ)。ここから先、辞書世界に埋没していくことになる。「阿諛あゆ」という語を思い出して調べ、これが世間に媚び諂うという意味で阿世に通じていることがわかる。阿とは「山や川の曲がって入り組んだ箇所」だと知る。阿と安は万葉仮名の「あ」を代表している……などなど。


略語系はやりことば
これも遊べる。遊びというよりも「もてあそび」に近い。ぼちぼち「古い!」と言われそうだが、“KY”なる略語に未だに違和感がある。これで「空気読めない」としたのはセンスが悪いのではないか。KYなら「空気読める」の略でなければならない。空気が読めないのなら“KYN”ではないか。あるいは“Not KY”だろう。“AKB48″は「あくび48回」と読める。「今年はお世話になりました、来年もよろしくお願いします」を“KONRYO”とするのはやり過ぎかもしれない。

ツイッター
タレントが元夫の不倫をツイッターで流した一件で、「ツイッターはつぶやくものだから、あんなメッセージは度を越している」と誰かが言えば、「もはやツイッターにそんな原初的な純粋機能などはない」と別の誰かが反論している。すべてのことばは早晩発祥時の意味を変えて、はやったり廃れたりしていく。ことばが生き残るかぎり、意味は変遷しおおむね多義を含むようになる。よく語の起源はこうだった、にもかかわらず現在はズレてしまったなどと批判されるが、変化を批判しても詮無いことである。ツイッターは「つぶやき」を起源としたかもしれないが、誕生と同時に「無差別ばら撒きビラ」の機能も併せ持ったのである。

草食系
一年ほど前の調査だが、肉食系を「貪欲で積極的に活動する人」という意味にとらえ、対して、草食系が「協調性が高く優しいが、恋愛などに保守的になりがちな人」と考える傾向が明らかになった。動物界では、草食系のほうが肉食系よりも行動的な気がするのだが、どうだろう。猛獣は明けても暮れても動かないし、食事は腹八分目で比較的禁欲的である。草食系の協調性は保全のための群れの行動である。草を求めてよく移動するし、肉食系よりも食欲旺盛ではないか。

ことば遊びに正解はない。遊びの本領はイマジネーションにある。そして、ことばの意味についてあれこれと思い巡らすことが、おそらく概念的に考えるということにつながっている。

雑学・雑文の味方

半月ほど前に「断章」について書いた。何かについて手始めに考えをしたためる手頃さと手軽さに肩入れした。著述を生業とする人々にとって断章は文字によるスケッチの役割を果たす。ノートに書き込んだ文章は再構成され推敲されて本になり、やがてメシの種になる。但し、ほとんどの書物は見込みで刷られ、他の一般消費財と同様に売れたり売れなかったりする。だから、メシが食えない場合もある。

断章と言えば聞こえはいいが、ぼくがノートに書いているのは雑文と呼ぶにふさわしい。断章よりもさらに気楽である。書くことは億劫ではないが、しかるべき専門書を読み、ふんだんに字句を引用して論文をまとめるのは好まない。おおよそ特定分野を体系的に学ぶほど退屈なことはないと思っている。ここにスペシャリスト批判の意図はない。ぼくにはできない、向いていない、その気になれないという吐露にほかならない。

本はよく読むが、変則読書家であるから一冊完読することが稀だ。最初のページから読み始めるが、しばらくするとページ番号にこだわらず、おもしろそうな章へと跳び、気に入った項目を中心に読む。あるいは、よく知らない事柄について知的刺激を受ければ、今度は徹底的かつ集中的に読む。こんな気まぐれな性分だから、学者になれるはずはないし、なろうとも思わなかった。大学の特別講座で何度か講義した経験もあるが、学問的視点で話せないことを痛感した。小器用に知を齧る技だけは持ち合わせているので、学問を志していたら、間違いなく曲学阿世の徒か詭弁師に堕ちていただろう。


浅いが、知の守備範囲は手広いと思うし、好奇心は人一倍旺盛だ。浅いということは、やっぱり体系学習が苦手ということだろう。体系的であるためには深堀する根気が不可欠だ。ぼくにも根気や集中力はあるが、専門の中心部を深くえぐろうとすると疲弊してしまう。逆に、中心から周縁へ、さらに隣接へ、やがて無関係なジャンルへと延伸していくと嬉々として愉快になる。いつも反省するのだが、じっと一つのことを集中的にやり遂げる執着心が決定的に欠けているようだ。

肉汁たっぷりのステーキは口を開いて大きく齧って頬張るが、知識のほうは小さく齧る。小さく齧るから不足を感じる。すると、不足を補おうとして(同じ知識ではなく)別の知識を齧りたくなる。こんな危なっかしい「多品種少量学習」ばかりしてきた。しかし、年季というものは確実に利息をつけてくれるもので、広く浅く散りばめられた小さな知どうしの間に回路ができてきた。この回路が考えることに役立ってくれる。ちっぽけな雑学思考の回路かもしれないが、これが雑文と相性がいいようである。

今年ぼくは五冊目のノートを書いていて、年内にほどよく最終ページを迎えそうである。現在のノートに書いてある事柄は百数十ページ分あってもだいたい覚えている。けれども、三冊前や四冊前になると、まるで他人が書いたノートを読むような新鮮なページにも出合う。時間のできる年の暮れに雑文を読み返すと、なまった頭にはほどよい刺激になってくれるのである。

今日は今日の面倒を見る

昨日と同じ位置に太陽が今日も見える。来る日も来る日も。やむなく「昨日、今日」ということばを使ったが、そんな概念は最初からなかった。やがて、これは一つの周期であると確信して一日を割り出した。すごいのは、この一日が365回やってくれば、これが別の一つの周期になるという発見だ。こうして一年が365日に決められた。天文観察や気候変化などにまつわる人類の経験的科学が、ここに生かされたに違いない。

ところで、この365日を「一の日」から始めて、「二の日」「三の日」(……)「七十七の日」(……)「二百二十二の日」(……)と呼び、「三百六十五の日」を最後の日として、次の日からまた「一の日」として振り出してもよかった。にもかかわらず、365日は12の月に分けられた。春、夏、秋、冬という表現も別途あるのだから、一年4ヵ月でもよさそうなものだ。だが、一年は12に文節された。たまたまそうなったようにも思えるし、疎いぼくが知らない真実があるのかもしれないが、ここに至るまで慣れ親しんでしまったら、必然としか思えない。

ともあれ、一年は12ヵ月であり、その最後の月が12月、古風に言えば「師走」である。去年の師走に、「そのうちそのうちといいながら 一年がたってしまいました」という訓話を紹介した。今年も暮れを迎えて、この素朴でクールな言い回しがチクリと怠慢に釘を刺す。いったいいつになったら、何年経ったら、百八煩悩を祓う必要もなく、ひたすら純粋な音としての除夜の鐘に共鳴できるのか。何が何でもその時その場でやり遂げたこともある。その一方で、明日でいいか来週でいいかと先延ばしして年を越す課題も少なくない。いくつになっても、学習はむずかしい。


いつ覚えたのか定かではないが、「明日がどうなるかは、今日はわからない」や「今日の一日は明日の二日に相当する」などの箴言は身に染み込んでいるはずである。それでもなお、油断も隙もないのが怠け癖だ。目線を今日から逸らせて明日へと向けることから、面倒臭さが始まる。何度も自分に言い聞かせてきたのに、ぼくたちは今を生きていることを忘れてしまう。怠慢は今日の忘却によって芽生え始める。

明日は来るのだろう。だが、自分にやって来るとはかぎらない。明日は当てにならない。その明日へと今日のやり残しを送りつけるのは、今日を粗末に扱うことを意味し、同時に明日に負荷をかけてしまうことにもなる。〈いつか・どこか〉ではなく〈いま・ここ〉であり、〈いま・ここ〉があるからこそ〈いつか・どこか〉も淡い確率としてありうるのだ。まずは、今日の面倒をしっかりと見ることである。

ここまで書いて「ようし」と気合を入れるが、今さら鼓舞するまでもなく重々承知していることではある。年末に襲ってくるこの自責の念を忘れずに、来年の今頃は晴れやかな心身へと再生できているだろうか……。あ、だめだめ! この瞬間、ぼくは一年後のことを語ってしまった! その前に今なのだ。自責の念に苛まれて身震いしたその時点で、即刻自己変革を遂げねばならない。そう、今すぐ。間髪を入れずに。すぐに忘れてしまう「今への視点」。今を凝視することは生やさしいことではない。しかし、未だ見ぬ明日への橋は今日側から架けるしかないのである。

三十而立、四十而不惑

私塾のプレゼンテーション・コンテストの第部〈私の尊敬する人〉で、北陸講座の塾生Yさんが孔子を取り上げた。エントリーの時点で「孔子を尊敬? 孔子ほどの古典的人物に尊敬ということばが当てはまるのか? むしろ、第部の〈人物研究〉にエントリーすべきではないか?」などとぼくは感じていた。発表は、孔子を人材育成の始祖として尊敬するという内容であった。結果は、聴衆票と審査員票ともに2位、総合1位でYさんが優勝した。

ご存知の「三十にして立つ。四十にして惑わず」。Yさんはこの箇所でわざと脱線して「少しやばい」と分析した。要するに、「孔子先生、立つのが三十、惑わないのが四十とは、ちと遅いんじゃないですか」という指摘だ。会場には笑いが起こった。なるほど三十にして独立生計というのは晩熟おくてかもしれない。けれども、五十過ぎても人生に迷い悩み、モラトリアムへと引きこもる現代人を見れば、四十でぶれないのはやはり尊敬に値すると言わねばならない。実際、孔子の言う「立つ」も、ぼくらのようにふつうに立つのではない。人生の師として導く立場に就くことであったから、ぼくたちの一人前とはだいぶわけが違ったはずである。

「不惑」。四十歳の意味にとらえるよりも、「潔さ」の象徴としてぼくは考えてきた。歳を重ねたら誰でも自然に不惑の境地に達するのではない。そうではなく、不惑とは、未練を断ち切ってこそ獲得できる「鉄の意志」なのである。想像してみてほしい。たとえ四十にして不惑を標榜しても、その後の十年、二十年でさまざまな事変を目の当たりにすれば、価値観も変わり思想もぶれるだろう。ましてや、孔子が生きたのは群雄割拠の春秋時代だったのである。「不惑」とは何があろうとも動じないことである。信念のみならず、潔さがなければ不動心を保てない。本来なら耳したがわねばならぬ年齢を目前にして、ぼくはやっと惑わなくなった。潔さのお陰だと思っている。


孔子は、「学に志ざす」の十代半ばから「心の欲する所に従ってのりえず」の七十までを振り返った。この振り返りという点を見落としてはいけない。三十、四十、五十などの時々の節目であるべき姿をそのつど語ったのではなく、晩年になってから孔子は己の生き様を回顧したのである。もちろん、ぼくたちも同じことをしてもよい。また、七十歳を過ぎてからでなくても、それぞれの年代で十年前を振り返って後進が参照しやすいよう語り記しておくのもいいだろう。

それにしても、現代と二千数百年前の寿命の差を軽々と乗り越えて、四十にして惑わずの頃合いの良さにほとほと感心する。「五十にして天命を知る」という命題はハードルが高すぎる。他方、ただ立つだけでいいのなら、三十にして安月給で嫌々の仕事に就くのはさほど難しくない。三十と五十の間の四十不惑の難度が絶妙なのである。ぼくは二十年近く前にそこを通過したが、結果に一喜一憂せず仕事と生活を楽しもうと考え、「できる・できない」をよく分別しようと心に決めた。だいたい四十歳にもなれば、過去の経験と知識が未知の可能性よりも大きくなっているはずである。「実現の確からしさ」は経験と知識に依存する。ありそうもない夢を見て他人に迷惑をかけてはいけないのだ。

かと言って、やみくもに可能性の芽を摘むのではない。人一倍想像力が働くのであれば、蓋然性の高い道へ進むべきであろう。だが、やはり「できる・できない」の判断は容易ではなく、誰しも苦悶するに違いない。そこで、もう一つの尺度に照らしてみるのである。「向き・不向き」がそれだ。「できそうもない、しかし自分はそれに向いている」ならやってみるべきだ。さほど適性もないくせに、「できそうだ」と錯誤するのは恐い。四十歳になれば、不向きなことに無理をするのは控えるのがいい。なお、どの世代にあっても「好き・嫌い」への執着は人生を生きにくくする。 

問うことの意味

概念の大小関係上、「歩いている」は「動いている」の集合に含まれる。だから、誰かが歩いているという事実は、必然的に動いていることを意味する。逆に、「動いているから歩いている」は確定しない。歩いているかもしれないが、走っているかもしれないし跳びはねているかもしれないからである。したがって、「動いている」という描写に対しては、ふつうぼくたちは「もう少し詳しく言うと?」や「具体的には?」と聞きたくなる。大から小へと概念レベルを下ろしてほしいと言っているのだ。「さあ、移動しよう」に対して、徒歩か電車かバスか車かと移動手段を聞くのは当たり前なのである。

別の例を挙げよう。「品川に出張した、有馬温泉で一泊した、桜島を見学した」がそれぞれ事実ならば、それぞれに対応して東京、兵庫、鹿児島に滞在したのは確かだ。だから「品川で仕事? ほう、つまり東京出張ですな」などという、言わずもがなの推論にほとんど出番はない。ところが、「兵庫に遊びに行っていました」に対して、「あ、そう」では愛想もリアクションも無さすぎて会話の体をなさない。よほど無関心でないかぎり、「どのあたり?」か「海? それとも山?」などと尋ねるものだろう(それが嫌な者は人間関係には向かない)。

自前で推論できるなら、何もかも問うことはない。「詰問」などの強く問いただすという意味もあるが、今はそんな話をしているのではない。会話をしていて、知らないことや推論できないことに出くわせば、もっと知ろうとして聞き、確かめたくて問うものである。「その人は携帯を耳に当てていた」と誰かがポツリと言って黙ったとする。あなたは「何かを話したり聞いたりしていた」と勝手に推論するかもしれない。そう推論して、そこで話を終わらせるのか。それでは真相はわからない。その人が話をしていたか、相手の声に耳を傾けていたか、留守録を聞いていたか、あるいは電話をする振りをしていたか、単なる癖であるかは、確かめないかぎりわからないのである。


繰り返すが、知らないから――あるいは、もっと知りたくて――聞くのであり、確かめたいから問うのであり、さらには、興味があり好奇心がくすぐられるからもう一歩踏み込んで尋ねているのである。このうち、「知らないから聞く」を恥ずかしいものだと見なす文化がわが国にはあったし、今もある。「問うは一度の恥、問わぬは末代の恥」が典型である(この諺は「聞くは一時の恥、聞かぬは末代の恥」としてよく知られている)。知らないことをそのままにしておくのはよろしくない、だから恥を忍んで尋ねなさいと教えている。問い聞くことの重要性を教え諭すのはいいことである。

だが、ぼくは待ったをかける。これでは、問うも問わぬも、聞くも聞かぬも恥の扱いを受けているではないか。たとえ一度や一時であっても質問行為に恥の烙印を押すことが解せないのである。立派な大人がフランスの首都を知らないことは恥なのか。いや、それは無知なのである。そして、無知であることは必ずしも恥ずかしいことではない。いい歳になるまでパリだと知らなかったことは無知である。だが、「すみません、フランスの首都はどこですか?」と聞くのは恥でも何でもないし、この問いを境目にして無知とさよならできる。

さまざまなジャンルやレベルでぼくたちは、一方で博学、他方無知であったりする。世界一物知りでも、知らないことは知っていることよりも圧倒的に多いのである。知らないことや忘れてしまったことを、知っている人や覚えている人に聞くことの、いったいどこが恥なのか。問い聞く者は、恥どころか、幸福を味わうのであり、他方、尋ねられる者も光栄に浴するのである。あの諺で「恥」と言ってしまっては、見栄っぱりはたとえ一度でも一時でも恥をかきたくないだろうから、結局末代まで知ったかぶりし続ける。恥すらかかない。ただ無知な人生を送るだけである。ゆえに、諺は「問う(聞く)は知への一歩、問わぬ(聞かぬ)は無知の一生」と改めるべきだと思うが、どうだろう。