イタリア紀行47 「雨のヴァチカン市国」

ローマⅤ

ローマで大雨に打たれたことはまったくなかった。大雨どころか、小雨が降った記憶さえなかった。ところが、今回は一週間のうち3日間が「雨のち雨」という天候。しかも、時折り歩けないほどの土砂降りに出くわす始末。もちろん、散歩や観光には晴れた日がいいに決まっている。けれども、古代や中世の建築物は、濡れると「遠過去の色」を見せてくれる。しっかりと陽光を吸収する光景とは違い、雨の日は情緒纏綿てんめんの風景に変化する。

雨の降りしきるヴァチカンはふだんより粛然とした趣を見せた。色とりどりに開く傘の花も邪魔にはならない。ところで、表記はヴァチカン、バチカン、それともヴァティカン? ぼくのイタリア紀行ではヴァチカンと表記している。もっとも“Vatican”に忠実な発音は「ヴァティカン」だろう。観光ガイドの類いはこのように表記している。ほぼこのまま発音すれば通じるので、ガイドブックとしては正しい選択だ。しかし、「バチカン」も見慣れた表記だから悪くない。発音は滅茶苦茶になるが、見た目はわかりやすい。

何でもかんでも広辞苑で調べるというのも芸がないのを承知の上で引いてみた。「バチカン」の項には「⇒ヴァチカン」と書いてある。ぼくの表記と一致した。それで、「ヴァチカン」の項へ移動すると、三つの定義を挙げている。①ローマ市西端ヴァチカノ丘にある教皇宮殿。②ローマ教皇庁の別称。③ローマ教皇の統治するローマ市内にある小独立国。一九二九年成立。ヴァチカン宮殿・サン・ピエトロ大聖堂を含む。面積〇・四四平方キロメートル。人口八二二(二〇〇六)。ヴァチカン市国。

今日のこの紀行文では、この③の意味でヴァチカンを書いている。さらに詳しく言うと、一般的なテーマパークよりも少し大きめのこの市国の「領土」には、宮殿・大聖堂以外に博物館、システィーナ礼拝堂、広場、法王の謁見ホールなどがある。独自の切手を発行しており、その切手を絵はがきに貼ってここで投函すれば、ヴァチカン市国の消印が押される。広場の左右に土産物店のような郵便局があり、敷地内には印刷所もある。

ヴァチカンもサンピエトロ大聖堂もぼくの中では同義語だ。「ヴァチカン市国」と呼んではじめて、大聖堂を含む大きな概念になる。この国の小ささを語っても、決して小馬鹿にしているのではない。なにしろこのヴァチカン内にある博物館には大小合わせて10以上の美術館や博物館や回廊やがある。八年前、ぼくはこの博物館を見学中 、楽しみにしていたラファエロの間を目前にして忽然と自分自身の居場所を見失った。見学者でごった返す博物館の中の図書館やギャラリーをくぐり抜けてシスティーナ礼拝堂に戻ったものの、結局ラファエロの間を再度目指すも叶わず、疲れ果ててサンピエトロ広場に出てきた。

そのサンピエトロ広場と大聖堂は次回紹介する。しかし、いったいこの紀行文と次回の紀行文の間にどんな違いを描き出すことができるのか自信がない。大聖堂と広場や周辺をカメラで収めたらヴァチカン市国になり、カトリックの総本山だけに向けてシャッターを切れば、それがサンピエトロ大聖堂になる。写真を選んでいたら、何だか写真の見せ方だけの違いのように思えてきた。

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ヴァチカン近くのテヴェレ川。
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右端にサン・ピエトロ大聖堂を望むヴァチカン一帯。
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サン・ピエトロ広場から大聖堂へのアプローチ。ローマ全体がそうだが、晴れでも雨でも観光客の賑わいに差はない。団体ツアーはつねに「雨天決行」だ。
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雨の中、大聖堂に入るのに30分は並んだだろうか。博物館なら時間待ちは当たり前のようである。広場に面した回廊にはドーリア式の円柱が284本建っている。
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サンタンジェロ城の前からコンチリアツィオーネ通りを西へ行くとサン・ピエトロ広場。コンチリアツィオーネは調停や和解という意味。
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雨上がりの広場。噴水は二つあり、対に配置されている。
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ヴァチカン市国正面。
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大聖堂の裏通りから。

イタリア紀行46 「パンテオンとナヴォーナ広場」

ローマⅣ

高密度で味わいのある空間。広場と教会が目白押しで、ぶらりと歩くだけでも楽しみの多い地区だ。パンテオンにやって来たのは6年ぶり。世界最大級のこの建築は、約1900年前に14代ローマ皇帝ハドリアヌスによって建造された。初代が焼失したので、現存するパンテオンは二代目になる。セメントと火山灰を成分とするコンクリートでできていて、ドームに代表される高度な建築技術は圧巻だ。

ギリシア語起源のパンテオン(Pantheon)は、“pan+theos”に由来する。「すべての神々」という意味で、パンテオンは「万神殿」と訳される。後世にはキリスト教だけを崇めるようになるが、当時は「神様のデパート」だった。ちなみにインフルエンザがらみで最近よく耳にする「パンデミック(pandemic)」もギリシア起源で、こちらは“pan+demos”。「すべての人々」というのがおもしろい。病は人々の間で蔓延するからか。

手元の資料によれば、パンテオン上部に設けられているクーポラ(円堂)の直径は43.2メートル。そして、おそらく計算の上なのだろうが、床からドームの尖端までの高さが同じく43.2メートルなのである。その尖端には「オクルス」という採光のための天窓があって、パンテオン内部の装飾をいかにも「神々しく」演出している。

パンテオンから西へおよそ300メートル歩けばナヴォーナ広場に出る。古代ローマ時代の競技場跡だけに、特有の細長い形状の空間になっている。晴れた日には、オープンカフェに座って集まってくる人たちや噴水をぼんやりと眺めるのがいい。雨の日には人は少なくなるが、濡れた建造物の壁と広い空間が何とも落ち着いた空気を醸し出してくれる。

広場には三つの噴水がバランスよく配置されている。北に『ネプチューンの噴水(Fontana del Nettuno)』、中央にオベリスクとともに『四大河の噴水(Fontana del Fiumi)』、そして南に『ムーア人の噴水(Fontana del Moro)』。いずれも噴水と呼ぶだけですまないほどの芸術性の高い彫刻で彩られている。肉体をくねらせた力強さと構図は、いくら眺めていても飽きることはない。

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パンテオン前のロトンダ広場。
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パンテノン正面の柱廊。
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巨大な列柱。
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強くもなく弱くもなく、絶妙な採光を可能にしている天窓の明りを見上げる。「オクルス」という名のこの天窓は「目」を意味する。
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パンテオン内部。ルネサンス期の人気画家ラファエロの墓がある。
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雨上がりのナヴォーナ広場。ムーア人の噴水。
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ネプチューンの噴水。
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オベリスクを中央に見る広場。
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昼下がりのカフェ。
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よく晴れた日のナヴォーナ広場の朝。この日は空が澄みわたり絶好の観光日和となった。いずれ紹介するアッピア旧街道に出掛けたのはこの日だった。

♪ 想い出のサンフランシスコ

あっという間に過ぎた。サンフランシスコの坂をケーブルカーで上り下りしながら、I left my heart in San Francisco……と口ずさんでから一ヵ月が過ぎた。写真の整理をしていたら、ふとこのメロディが脳裏をよぎった。フランク・シナトラのCDを取り出して聴こうと思ったら、この曲が入っていない。そんなバカな……。もしかしてと、トニー・ベネットのCDジャケットを見たら、ちゃんと入っていた。一曲目だ。正確に言えば、こちらのほうが本家ではある。

 

念のために調べてみたら、YouTubeでシナトラバージョンも聴けた。ついでに他にも探してみたら、歌詞と動画をシンクロさせているのもあっておもしろかった。少々こじつけっぽい箇所もあるが、許容範囲である。


下記に歌詞を掲載してみたが、最初の四行は歌っているようで歌っていないセリフ。実はこのセリフのようなイントロがあるからこそ、 I left my heart 以下に哀愁が漂う。字面に影響されぬよう意味を汲むが、なかなかこなれた日本語にはなってくれない。だが、とりあえず試訳してみようと思った。

The loveliness of Paris seems somehow sadly gay
The glory that was Rome is of another day
I’ve been terribly alone and forgotten in Manhattan
I’m going’ home to my city by the bay.

パリの魅力はなぜか悲しげなまでに華やかで、

ローマがほしいままにした輝きも過ぎた日々。

孤独にさいなまれたマンハッタンを後にして、

いまわたしは湾のある生まれ故郷の街へ帰る。


一行目、二行目、四行目それぞれの最後の単語は、gay(ゲイ)、day(デイ)、bay(ベイ)と韻を踏んでいる。こう口ずさんでから耳に親しいあのメロディーで歌が始まる。引き続き日本語を付けてみた。

 
I left my heart in San Francisco
High on a hill it calls to me

心残りだったサンフランシスコが

丘の上からわたしに呼びかけてくる。

 

To be where little cable cars
Climb halfway to the stars

その街では小さなケーブルカーが

星へと向かって坂を登りつめる。

The morning fog may chill the air
I don’t care

朝霧で空気が凍えても苦にならない。

 

My love waits there in San Francisco
Above the blue and windy sea

愛しい人が待つサンフランシスコ。

風が吹きさらす青い海の上。

 

When I come home to you San Francisco
Your golden sun will shine for me.

故郷のサンフランシスコに帰るわたしに

黄金色の太陽が輝いてくれるだろう。


最後の二行では、サンフランシスコが「あなた」と擬人化されている。「サンフランシスコというあなた」、「あなたの太陽」になっている。

☆     ☆     ☆


ここまで書いて、締めのことばが継げない。PCの電源を落として夕食を済ませ、9時頃自宅近くを散歩することにした。先週の土曜日のことである。いつも前を通りながら、一度も入ったことのないバーがビルの2階にある。行って見た。オーナーは日本人ではない(後の会話でわかったことだが、スパニッシュ系アメリカ人でニューヨーク出身と言った)。

ギネスビールを飲みナッツをつまみながら、「つい先月までサンフランシスコとロサンゼルスにいた」という話からアメリカ談義に及び、やがて彼が日本で店を始めた経緯へと会話が弾んだ。「故郷での疎外感がつらかった。だから日本へ来た」と彼はつぶやいた。それを聞いて、ぼくは夕方に訳していた歌詞の冒頭を思い出してこう言った、「“I’ve been terribly alone and forgotten in Manhattan”という感じかな?」 彼はうなずき、人懐こく笑った。 

イタリア紀行45 「そぞろ歩き時々観光」

ローマⅢ

この紀行シリーズで紹介しているローマの写真に不満足なわけではない。だが正直なところ、これらの写真よりも一番最初にローマを訪れたときの写真のほうがバリエーションに富んでいる。それもそのはず、それから後に何度かローマに戻ってくるなどとは思いもしなかったから、できるかぎり方々へ足を運んで見るものすべてをカメラに収めたのだ。当時の写真を繰ると、彫刻家ベルニーニの手になる噴水の作品やトレヴィの泉、スペイン階段などがアングルと構図を変えて何枚も何枚も出てくる。「おのぼりさん的観光」をしていたのは間違いない。

トレヴィの泉もスペイン階段もコロッセオももう十分、それよりもまだ足を踏み入れたことのない裏町や路地に行けばいい。こんなふうに思って街歩きに出る。しかし、観光名所の近くに差し掛かりながら、脇目も振らずに一つ隣りの脇道にそれていくのはあまりにもひねくれている。過去に何度も見たからと言っても、あれから四年も過ぎている。足の向くまま気の向くままがそぞろ歩き(パッセジャータの原点なのだから、ついでに立ち寄ればいいと思い直したりした。

ローマにある7つの丘のうち一番高いクイリナーレの丘に初めて上る。道なりになだらかに坂を上がっていくので、高い所に来たという実感が湧かない。ここからトレヴィの泉は目と鼻の先なので、寄ってみる。トレヴィ(Trevi)は「三つの通り」という意味で、三つの通りが集まった角地に泉がつくられている。雑誌の写真などでは、巨大な彫刻と噴水を囲むように大勢の人だかりを見せるが、実際は「あっと驚く狭さ」である。何度行っても、どの通りから入っても、予想外の狭くて高密度の空間だ。

めったに土産物の依頼を受けないが、知人に皮の手袋を頼まれた。ご指名の店は、スペイン階段の前にあり、イタリア人店員が全員日本語を話すという、露骨なまでに日本人観光客をターゲットにしている。ふつうはこの種の店で絶対に買物しない。でも、店指定の頼まれ物だから仕方がない。割り切ってスペイン階段方面へ歩を進めた。

カンポ・ディ・フィオーリへも初めて行ってみた。この広場は名前の由来通り、もともとは花の市場だったらしいが、今では大半が八百屋、一部ハム・ソーセージ・チーズの店や乾物屋。花屋さんは少ない。素直に感想を述べれば、ローマの名門市場というには「がっかり」である。

ただ、ここにある19世紀に建てられた像には注目だ。コペルニクスやガリレオと同様に「地球自転説」を唱えた哲学者ジョルダーノ・ブルーノ(1548―1600)の像。元司祭だったが、天文学にも精通していて地球外生命の存在も主張していた。処刑を前にして、「真に恐れているのは、私ではなく、私を死刑にしようとしているあなたがたの方だ」と語ったという。司祭だった彼はカトリック教会を破門され異端審問を逃れるためフランスやドイツを転々とした後に、幽閉されて16002月にこの広場で火あぶりにされた。

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人だかりのトレヴィの泉。
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実際に見るとこのスケール感はない。
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ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。
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記念堂の階段から見下ろしたヴェネツィア広場のスケッチ。
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雨上がりのスペイン階段。
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        カンポ・ディ・フィオーリの市場。
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パリのバスティーユのマルシェをイメージしていたので、少々期待外れだった。
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ジョルダーノ・ブルーノの像。火刑後280年の歳月を経て建てられた。

イタリア紀行44 「サンタンジェロ入城」

ローマⅡ

何度もサンタンジェロ城のそばを通り過ぎていた。しかし、ローマに滞在した過去三度、いずれの機会も日程に制約があった。時間がなかったら、こちらよりもヴァチカンの博物館かサンピエトロ大聖堂を選ぶのが定跡だろう。たっぷり8日間取れた今回、とうとう初めて「入城」する機会を得た。しかも拠点のアパートのすぐ裏手、歩いて5分のこの名所を見逃していては、もう二度とチャンスはない。

映画を観ていないが、この城は映画『悪魔と天使』の舞台の一つになっている。サンタンジェロ城とサンピエトロ大聖堂が秘密の通路でつながっているとか……。ローマには骸骨寺のような地下墳墓があるから、想像をたくましくするのもうなずける。また、ほぼ東西一直線で1キロメートル弱の距離だから現実味も帯びる。さあ、実際はどうなのか? 正解は、「ある」だ。但し、避難通路らしい。

サンタンジェロ城はテヴェレ川の岸に面している。航空写真を見ると、公園になっている敷地が変則の五角形であることがわかる。城はウェディングケーキのような丸い形状。古代をレトロ調に再現したように見えなくもないが、正真正銘、2世紀に建てられた霊廟である。ハドリアヌス帝の命で建立され、続く古代ローマの歴代皇帝をここに埋葬した。記録では浴場で有名なカラカラ帝までが葬られたようだ。しかし、後年に改築され要塞色を強めていく。もちろんすぐそばのヴァチカンを守る役割として。危機を逃れるため法王が城へ避難して篭城し続けたという話もある。

城の内部は国立博物館として公開されている。冷んやりとして暗いらせん状のスロープを下っていく。複雑な構造になっていそうで、おもしろい。何ヵ所か牢獄跡が見える。外に出ると、当時使われた兵器を展示してある「天使の中庭」。この風情もいい。壁や地面、そこかしこから古代の色が滲み出る。回廊からはローマ市内の四方八方をすべて見渡せる。

ちなみに、観光客が「ローマ」と呼ぶ地域は意外に狭くて、このサンタンジェロ城から南東の方向にあるコロッセオまでは直線で2キロメートルちょっとである。ほぼ主要な名所旧跡は34キロメートル四方にあるので、健脚なら半日もあれば十分見学できる。うまく地下鉄とバスを利用すればさらに容易だ。但し、コムーネという独自の行政体感覚があるので、実際のローマ市という概念はもっと広い。

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回廊から見渡すパノラマ。テヴェレ川とサンタンジェロ橋。
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いかにも城らしく、階段ほジグザグ構造になっている。
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城の中心部にある「天使の中庭」。
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砲弾を遠くへ飛ばす装置。
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砲弾は大理石でできている。
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「井戸の中庭」。
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城内の水飲み場。今も使える。
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ライトアップされたサンタンジェロ城の夕景。テヴェレ川対岸から。

ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス⑦ ロデオ・ドライブ

関西空港の検疫、入国、税関を通って2階から出て外気に触れた瞬間、ムッとした湿気と23℃の気温で汗ばみはじめた。この10日間、カリフォルニアも最高気温はたぶん同じくらいだったと思うが、湿度がまったく違う。サンフランシスコの朝夕は気温が下がり強い寒風も吹いていた。ロサンゼルス郊外のパロス・ヴェルデスと近くのビーチも底冷えに近い感じだった。ただ、体感温度というものは人それぞれなようで、半袖半パン姿もいれば冬装束もいたのがおもしろい。

長らく聴き話す英語から遠ざかっていたため子どもや訛りのある英語は少し聞きづらかったが、話すことに関してはほとんど苦労はなく快適だった。気候も食材もいいし、カリフォルニアワインは、日本で飲む以上に赤・白ともにおいしかった。カリフォルニア米もサシの入っていない重厚な牛肉も気に入った。けれども、自動車がないと身動きの取れない社会。ぼくにとってはサバイバルしにくい地域ではある。手軽に散策したり自在に街の路地を歩いたりできないのがやや辛かった。もちろん、それは風土の責任ではなく、ぼく自身の生活スタイルから派生する不便である。

若い頃から大勢のアメリカ人と公私ともに接してきた。そして、あらためて痛感し再認識したことがある。それは、日米最大の相違にして、わが国が未だ道険しい状況にある対話能力なのである。彼らはどんなに小さなコミュニケーションでも口先でお茶を濁さない。誰かと話をすることは、極端に言えば、真剣勝負なのである。外交辞令的に場をしのいでいる人間のメッキはすぐに剥がれてしまう。たとえば、二人が会話している時に勝手に割って入ってはいけないというマナー。逆に、二人で会話をしている時、一人がよそ見をしたり中断して他の誰かに話し掛けてはいけないというマナー。わが国では日々この二つのマナー違反に苛立つことが多い。会話の不用意な中断を自他ともに許してはいけないと思う。

さて、ハリウッドは車でざっと通るだけにして、滞在最後の午後の散策にはビバリーヒルズを選んだ。ロデオ・ドライブも歩いてみた。この種の観光スポットから受ける印象は、たいてい往来の人数によって決まる。人出に絶妙の匙加減が必要なのだ。どんな匙加減かと言うと、団体ツアーの観光客はやや少なめ、それより少し多めの個人観光客、そして同数の地元住民が散歩するという具合。これらがほどよい印象をもたらす。この日の正午前はちょうどそんな配分だった。

《ロサンゼルス完》

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ロデオ・ドライブの目抜き通り。
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ドライブとは”driveway”のことで、小さな道を意味する。
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知る人ぞ知るPRADAだから店名を掲げる必要がないのか。
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スーツケースは箱で作ったディスプレイ。
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ロデオ・ドライブの一角。小道の左右にカフェやジュエリーの店が並んでいる。
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世界の有名デザイナーのブランドが集まる一角のカフェ。
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ロデオ・ドライブのこの一帯が特に「ゴールデン・トライアングル」と呼ばれるところ。

ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス⑥ ビバリーヒルズ

別に予定をびっしりと立てていたわけではない。しかし、限られた時間では何かを捨てなければならない。なにしろ車という「軸足」が人頼み。ダウンタウンの様子は車の中からシティウォッチングするにとどめた。車を止めて、ビバリーヒルズ方面を少々散策。豪邸区域、すなわち億万長者たちの住む市街だけに、住宅価値を減じるものはすべて排除されているように思える。美しい街並みを維持するために、住民と市当局による環境保全への取り組みと情熱は並大抵のものではなさそうだ。

警察署の前にシティホールがある。1932年に建設された8階立ての建物。庁内を見学させてもらうことにした。一階と二階は自由に移動でき、建設局の部屋にも入れる。相談光景の撮影は控えたが、市民相談の窓口付近には一切書類や書棚は見えない。一対一でじっくり座りながら話をしている。何だかコンサルティングオフィスのようだ。人口の数が違うとはいえ、日本の市役所の味気なさと雑然としたさまとは対照的である。

ぼくは車を所有しないので、都心のなるべく便利な住みかにこだわってきた。たとえば駅から徒歩数分以内とか。しかし、住居空間や住宅様式に関するその他のこだわりはまったくない。だから、机と本棚さえ置けるスペースがあれば小さなアパートの一室でも平気である。そんなぼくが、自分の生活様式とは無縁の超高級住宅街を車内からゆっくりと見て回る。

ビバリーヒルズの豪邸巡りをするとき、いったいどんな視点をもって観察し、どのような感想を漏らすべきだろうか。月並みかもしれないが、この種の邸宅は間違いなく己のために建てられ構えられたものではないと思う。人は自分のためだけにこれだけの広さの土地にこれだけの豪奢な館を築くはずがない。強く他者や社会を意識しないかぎり、ここまでの贅を尽くそうとはしないだろう。なるほど、そういう意味では、ヨーロッパ中世の貴族たちも現在のビバリーヒルズの成功者たちも「権威の発揚」と「見せびらかしの心理」という点ではあまり大きく変わらないように思えてきた。

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映画やドラマのシーンによく出てくるビバリーヒルズ警察。
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警察周辺のストリート。
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ビバリーヒルズのシティホール(市役所)。
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意匠を凝らした市役所エントランスの天井。
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清潔でデザイン性にすぐれた男性トイレ。
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ビバリーヒルズ界隈の入口にあたる公園。
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庭と道の区別がつかない豪邸。
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ビバリーヒルズの典型的なストリート。
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一見するとホテルと見間違うような邸宅がそこかしこに「乱立」している。

ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス⑤ 食の愉しみ

「食は何とかにあり」とはよく聞く言い回しだが、食材の豊富さだけが食の本分ではない。それぞれの土地で評判になっているものを口にする――それが基本だろう。食材の豊富さ、料理のバリエーション、味や凝り方に関しては、日本が世界の最高水準であることに疑う余地はない。

しかし、比較してはじめてわかるうまさなどどうでもいい。半月前に大阪で食べた寿司と数日前にカリフォルニアで食べたペルー料理の旨さを比較することにほとんど意味はない。今こうして食べている料理が、その場にいる自分にとってうまいかどうかがすべてだ。空腹度、体調、ひいては屋外か屋内か、何と一緒に食べるかなどによって味は見事に変わる。

郷に入っては郷に従えこそが食の原点。ぼくは何でも食べる。いったん食べようと決めたら、太るとか健康によくないとか考えないことにしている。そう思うときは最初から口にするべきではない。前に紹介したレアステーキは、450グラムと書いたが、実は550グラムだった。高級な部類に入るステーキだが、8ドルと聞いて腰を抜かすほど驚いた。これを完食したぼくにも座布団一枚だ。もう霜降り幻想を捨てたほうがいい。

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近くの土曜マーケット。
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ペルー料理の屋台。二番人気のチキン焼きめしを賞味。
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見慣れない野菜もちらほら。
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1.5ドルのホットドッグ。食べ応え十分。
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メキシコ産のなすび。4、50cmの驚きの長さ、大きさ。
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豊富なフルーツの種類。特に桃の品種が多い。
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COSTCO(コストコ)の陳列はすべてダイナミック。
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レジを通過した直後の壁に貼ってある「会員サービス優秀従業員一覧」。
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レジで処理する個数、スピード、ミスの少なさなどに基づいてランキングを毎日更新して発表している。
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モールのカーニバルフェアはさしずめ夏祭りか。アメリカ人と言えば「ポップコーン大好き」というステレオタイプな印象があるが、まったくその通り。一人で洗面器一杯分を食べている人がそこらじゅうにいる。
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ビバリーヒルズで食べたハンバーガー”クラシック”。
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手前がベーコン添え。右がオニオンリング。
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バーガーショップのカウンターに置かれたジュークボックス。音楽はここからではなく、店内のスピーカーから流れる。60年代の曲が多かった。ニッケル(5セント硬貨)一枚で一曲。興味を示していると、店長が硬貨を数枚置いてくれた。つまり、ただということだ。

ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス④ 透明な空気

聖書やキリスト教についてまったく無知ではない。歴史についても少しは勉強してきた。だが、クリスチャンではない。そのぼくが旅行のたびに教会を訪れるのは、山がそこにあるから登るように、そこに教会があるからだ。決してギャグのつもりではない。教会があるから教会を訪れる――これは、欧米の地では教会を避けて街歩きしたり佇んだりすることが不可能であることを意味している。とりわけ教会を中心に都市の構造が形成されているヨーロッパでは、教会を抜きにしては街への理解は進まない。

日曜日、ローリング・ヒルズの教会(Rolling Hills Covenant Church)に行ってみた。もちろん教会だから多少の儀式色はあるが、空気はフランクである。ペテロの第一の手紙第3章の7「夫たる者よ。あなたがたも同じように、女は自分よりも弱い器であることを認めて、知識に従って妻と共に住み、……」に始まり、途中エペソ人への手紙第5章の22「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。」から、同33「いずれにしても、あなたがたは、それぞれ、自分の妻を自分自身のように愛しなさい。妻もまた夫を敬いなさい」までの話を関連づける。

空気を変えるのは場か、自分自身か、他人か、それとも自然か。いや、これらだけでもない。時間というのもあるしテーマもある。しかし、その教会でぼくが感じた空気の変化は明らかに牧師(pastor)のことばによるものであった。スピーチではなく語りかけである。強弱もあり緩急自在。総じて早口なのだが、絶妙な話しぶりだ。頭脳明晰、ユーモア、教養はことばに現れる。誰かに何かを説くことに関して新たな勉強になった。

写真撮影を控えたので教会の写真はなし。その代わりというのも変だが、車で15分圏内のマリンランドとその近郊のシーンを紹介したい。お世話になっていたパロス・ヴェルデスの住宅街にはあちこちに白い柵があり、馬道がつくられている。乗馬センターの馬ではない。このあたりの住民は自宅で馬を飼っている。道路を渡るときの信号押しボタンも、歩行者用の位置と馬上から押せる位置の両方にある。

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壁が住宅地一帯を囲む「〇〇が丘団地」。Gated Communityと呼ばれる。
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馬のお散歩。
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近くのモールの書店。 512ページの”The Every Day CHICKEN Cookbook”(毎日のチキン料理集) と、544ページの”501 Must-Read Books”(501冊の推薦図書)の2冊を買う。
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土・日曜日に開催されるカーニバルフェア。
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遊園地は駐車場に特設される。子どもだましではなく、本格的なものだ。
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クジラがやって来るマリンランドの岬と灯台。
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海の青が濃さが際立っている。
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遠くに見える海岸線を辿っていくとサンタモニカに達する。
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マリンランドから北方面を見る。
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岸壁から数十メートルのところに高級住宅地が居並ぶ。一本の木を挟んで、左手にやや懐古趣味的な住宅、右手に対照的なガラス張りのモダンな家。

ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス③ 青空とステーキ

滞在しているのは日本人の従妹の住まい。彼女は大学卒業後にUCLAに入学して著名な会計監査法人などの勤務を経て、現在ホンダ・アメリカの財務部の要職に就いている。ご主人も同じ会社のITスタッフだ。

ホンダの敷地内に入りオフィスの中まで見学させてもらった。社長や役員用の個室はない。みんな”フラット”である。デスクはパーティションで区切られ、マネジャー職以上のスペースはやや広いものの、自由闊達な空気を感じる。本田式ワイガヤ会議も活発だそうだ。敷地内にはセルフのガソリンスタンドがあって、公私を問わず満タンにし放題とのこと。

二人には6歳になる三つ子がいる。今年9月に小学1年生になるこの子たち――男の子二人と女の子――はものすごくエネルギッシュで日々忙しい。月曜日から金曜日までは、9時から8時間義務教育の幼稚園に通っている。ふつうは午後2時頃までらしいが、両親が働いているので5時まで面倒見てくれる。土曜日には日本の学校法人が経営する日本語学校へ。そして日曜日は10時半から正午過ぎまで教会の日曜学校だ。

住居は住宅街のど真ん中。住宅以外は学校と教会と医院があるばかりで、コンビニもショップも何もない。一番近いモールまで徒歩30分。誰も歩く人はいないが、ぼくは歩いた。歩くしか手段がないからだ。自転車はあるが、坂道なので、行きはよいよい帰りは恐い。とはいえ、夕方から夜にかけてジョギングや速歩をしている人たちもいる。とにかく景観がいいので、ジョギングにも散歩にも最適な環境だ。

ロサンゼルスの中心街から南へフリーウェイで約50分、国際空港からは30分くらいのロケーション。海辺までは少し距離があるが、高台なので海岸もよく見える。日曜日の昼に庭でバーベキューをしてもらった。こちらに来る前の想定通り、今日まで肉食中心の生活になっている。体重は23キロ増えたに違いない。陽射しは思ったほど強くはないし、日中も暑さを感じない。その証拠に、ぼくはずっとフリースの裏地がついたウインドブレーカーを着ている。

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家の近くの遊歩道から見下ろす岬の住宅。
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海岸近くの住宅街。 
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リアス式のような海岸。
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遊歩道のあちこちに野生のサボテンが棲息している。
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周辺の住宅街。ちょっと北海道を思わせる。
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象徴的な「この木何の木」。
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自宅のバーベキューコーナー。
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自宅の庭。ソファ式のブランコで揺られると、うたたねしてしまう。
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庭から見る自宅の裏側。
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ブランコに座ると、海の水平線が見える。
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バーベキューパーティー。一枚約80グラムの骨付きカルビ。
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手のひらサイズのキノコとエビの串焼き。
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別の日のレアのステーキ。右上のワインのコルク栓と比較すれば大きさがわかる。これが一人前。たぶん450グラムくらい。どうにかこうにか完食した。お礼にシーフードのお好み焼きを三枚焼かせてもらった。子どもたちに「やみつきになるおいしさ」と褒めてもらった。