イタリア紀行44 「サンタンジェロ入城」

ローマⅡ

何度もサンタンジェロ城のそばを通り過ぎていた。しかし、ローマに滞在した過去三度、いずれの機会も日程に制約があった。時間がなかったら、こちらよりもヴァチカンの博物館かサンピエトロ大聖堂を選ぶのが定跡だろう。たっぷり8日間取れた今回、とうとう初めて「入城」する機会を得た。しかも拠点のアパートのすぐ裏手、歩いて5分のこの名所を見逃していては、もう二度とチャンスはない。

映画を観ていないが、この城は映画『悪魔と天使』の舞台の一つになっている。サンタンジェロ城とサンピエトロ大聖堂が秘密の通路でつながっているとか……。ローマには骸骨寺のような地下墳墓があるから、想像をたくましくするのもうなずける。また、ほぼ東西一直線で1キロメートル弱の距離だから現実味も帯びる。さあ、実際はどうなのか? 正解は、「ある」だ。但し、避難通路らしい。

サンタンジェロ城はテヴェレ川の岸に面している。航空写真を見ると、公園になっている敷地が変則の五角形であることがわかる。城はウェディングケーキのような丸い形状。古代をレトロ調に再現したように見えなくもないが、正真正銘、2世紀に建てられた霊廟である。ハドリアヌス帝の命で建立され、続く古代ローマの歴代皇帝をここに埋葬した。記録では浴場で有名なカラカラ帝までが葬られたようだ。しかし、後年に改築され要塞色を強めていく。もちろんすぐそばのヴァチカンを守る役割として。危機を逃れるため法王が城へ避難して篭城し続けたという話もある。

城の内部は国立博物館として公開されている。冷んやりとして暗いらせん状のスロープを下っていく。複雑な構造になっていそうで、おもしろい。何ヵ所か牢獄跡が見える。外に出ると、当時使われた兵器を展示してある「天使の中庭」。この風情もいい。壁や地面、そこかしこから古代の色が滲み出る。回廊からはローマ市内の四方八方をすべて見渡せる。

ちなみに、観光客が「ローマ」と呼ぶ地域は意外に狭くて、このサンタンジェロ城から南東の方向にあるコロッセオまでは直線で2キロメートルちょっとである。ほぼ主要な名所旧跡は34キロメートル四方にあるので、健脚なら半日もあれば十分見学できる。うまく地下鉄とバスを利用すればさらに容易だ。但し、コムーネという独自の行政体感覚があるので、実際のローマ市という概念はもっと広い。

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回廊から見渡すパノラマ。テヴェレ川とサンタンジェロ橋。
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いかにも城らしく、階段ほジグザグ構造になっている。
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城の中心部にある「天使の中庭」。
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砲弾を遠くへ飛ばす装置。
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砲弾は大理石でできている。
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「井戸の中庭」。
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城内の水飲み場。今も使える。
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ライトアップされたサンタンジェロ城の夕景。テヴェレ川対岸から。

イタリア紀行43 「サンタンジェロ地区」

ローマⅠ

20083月、パリに8日間滞在した後、ローマへと向かった。四度目のローマだ。それまでの訪問で名立たる観光地のほとんどに足を運んでいたが、何となく消化不良に終わっていた。自分が決めた予定にいつも急かされていたのである。それで、ゆっくり7泊することにした。ヴァチカンに近いサンタンジェロにいいアパートが見つかったので、そこに3泊。その後の4泊を市街地のほぼ中心にあたるヴェネツィア広場近くのホテルで過ごすつもりだった。予約は出発前にインターネットで済ませていた。

フィウミチーノ空港からレオナルド急行でテルミニ駅へ。スリの出没で悪名高いバス路線を遠慮して、ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世通りの路線を走るバスで終点ピア広場まで。そこから徒歩約10分のクレシェンツィオ通りに面してアパートがある。サンタンジェロ城と最高裁判所のすぐ北側という好立地だ。出迎えてくれたのはフランチェスコという四十歳前のオーナー代理人兼管理人。実はこのアパートの他の全室はすべて住居。一階のこの一部屋のみが連泊希望の観光客に民泊としてレンタルされている。オーナーはフランチェスコのお兄さん。

リビングに広い寝室、キッチン、シャワールーム。日本式なら1LDKなのだが、廊下もあり天井も高く、何よりも70平方㍍もあるのでゆったり広々としている。ここで3泊だけとはもったいないと内心思いながら、フランチェスコの説明を聞き滞在費用をキャッシュで用意しかけた。すると、彼のほうからこう尋ねてきた。「ローマの後はどういう予定なんだ? 日本へ帰るのか?」

少しばつが悪かったが、このアパートを出た後にさらに4日間ローマに滞在すると正直に答えた。「どこのホテル? 料金はいくらか?」とさらに聞いてくる。「アパートで3泊、ホテルで4泊」にさしたる理由がなかったから、淡々とぼくは説明した。彼は「気に入ってくれたのなら、残りの4泊もここにすればいいじゃないか。キャンセルは簡単だ。『シニョーレ・オカノのローマの友人だが、オカノは都合でローマに来れなくなった』とホテルにぼくが電話してあげよう」。そう言うなり、半ば強制的にぼくに「オーケー」を求め、すぐに携帯を取り出すとキャンセルしてしまった。ちょっと危ない人ではないか……。

宿泊約款により、一週間以内のキャンセルのためキャンセル料は1泊分。当時はユーロ高だったので、2万円近くになる勘定だ。少し落胆していると、「その損失分を値引きするから心配なく。狭いホテルよりこのアパートのほうが絶対にいい」とフランチェスコが言う。勝手なもので、なかなかいい人に思えてきた。オーブンや洗濯機、シャワーの使い方を説明し、彼は「今夜食事に出るなら……」と言って、パルラメント広場近くのトラットリアを紹介してくれた。

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ローマでのアパート生活。ホテルならスイート並みの広々とした居間。
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ダイニングキッチンには食器や什器のすべてが揃っている。
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アパート裏のサンタンジェロ城とサンタンジェロ橋。
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テヴェレ川対岸からの夕景。 
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サンタンジェロ城から。白亜の建物は最高裁判所。
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城からはヴァチカンのサンピエトロ寺院全景が見渡せる。 
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アパート管理人フランチェスコ一押しの”ジーノ”は庶民的で親しみやすい。
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お任せの前菜。これだけですでに腹八分目に達する。
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特製の手打パスタ。この黄み加減は見たことがない。ソース焼きそばの麺のよう。アルデンテとはまた違う独特の歯応えがあった。