ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス② 夕暮れのビーチ

ロサンゼルスから海岸を南へ下ると有名ビーチが目白押し。サンタモニカ、マンハッタン、エルモサ、レドンドと続き、岬を東へ折れてからロイヤル・パームズへ。その次が都市名にすらなっているロングビーチ。すべて観光地で全米はもとより海外からの来訪者が絶えない。6月はまだハイシーズンではないが、学校が休みに入る中頃からは賑わいを見せる。

レドンドビーチに連れて行ってもらった。もうだいぶ暗くなっていたので海の色もわからない。シーフードレストランが軒を連ねて並んでいる。よく見ると、コリアン風やジャパニーズ風という店もある。ジャパニーズ風には当然のように“SUSHI”という表示がある。Old Tony’sという店に入った。生ガキにカニコロッケ、それにサンフランシスコでも食べた小イカのから揚げ「カラマリ」も試してみた。実はすでに自宅で夕食を済ませてから出たので、これは夜食ということになる。

ちなみにカリフォルニアロールはサンフランシスコ空港で出発待ち時間に食べてみた。まずまずの味で合格点をあげてもいい。いま手元にレシートがある。値段は5.95ドルで6切れ。「お~いお茶」のペットボトルが驚きの3.75ドルなので、巻き寿司がまあまあの値段に思えた。このお茶に天ぷらうどんに寿司の盛り合わせを食べているビジネスマンがいたが、30ドルくらいのランチになっていたはず。

レドンドビーチに行った翌日にラグナビーチまで足を運んだ。サンディエゴ方面におよそ60マイル(約100キロ)のところ。このビーチ近辺には芸術家が住んでいるそうだ。通りに沿ってアートギャラリーも目立つ。カフェレストランやバーも意匠を凝らしてある。海外からの旅行者向けの観光地ではなく、地元住民が集うスポットとのこと。アメリカ人らしくなく、ドレスアップしている若者たちもいる。

レドンドビーチ(Redondo Beach

P1020968.JPG
5秒間露光で撮った夜景。
P1020942.JPG
夜釣りを楽しむ人たち。聞けば、子サバを釣っているという。
P1020947.JPG
シーフード目当てに入った店。
P1020958.JPG
夜景を楽しめるよう店内を思い切り暗くしてある。
P1020969.JPG
ボートが繋留されている桟橋近く。 
P1020938.JPG
カニは好物だが生きたまま群れていると食欲は高まらない。

 

ラグナビーチ(Laguna Beach

P1030040.JPG
サンセット間近。海の東側。
P1030041.JPG
こちらは西側。東側と比べるとこんなに明暗が違ってくる。
P1030042.JPG
日没直後の海岸線のシルエット。
P1030058.JPG
土曜日の夜、賑わうストリート。
P1030064.JPG
夕暮れの後も絶妙の明暗構図がしばらく楽しめる。
P1030067.JPG
レドンドではうまくいかなかったストロボが機能してくれて、写真が撮れた。これはいわゆる「海鮮盛り合わせ」。三種類のタレがついてくる。

ゴールデンステート滞在記 ロサンゼルス① ドジャー・スタジアム

ロサンゼルスは日本時間から16時間遅れ。たとえば69日(火曜日)の午前1045分は、こちらでは8日(月曜日)の午後645分。ロサンゼルス郊外、市街から南へ約時間、海岸沿いにあるランチョ・パロス・ヴェルデスの親戚の家にいる。

昨日の午後5時、ドジャー・スタジアムに出掛けた。言うまでもなく、ロサンゼルス・ドジャースのホームグラウンドである。対戦相手はフィラデルフィア・フィリーズ。途中、バスケットボールのファイナルの会場前を通ると、レイカーズファンでごった返していた。ほぼ同時刻のスタートなのでどっちを観戦するか迷ったファンもいるだろうが、レイカーズのほうは数万円にまでチケットが跳ね上がっていると聞いた。


さて、スタジアムで陣取った席はドジャース側、つまり三塁側ブルペンの少し上。一塁側だと直射日光を浴びるが、ちょうど陰になった直後の場所で5イニング頃からは冷えてきた。3イニング終了時点で名物のホットドッグ「ドジャードッグ」を頬張る。ロサンゼルスに来て過食気味なので夕食はこれとコーラだけ。ぼくの前の列の四人家族などは試合もそっちのけで、次から次へと飲み食いしていた。

野次はそこそこあるが、「かっとばせ~」というのがない。一球ごとに電子オルガンが鳴ったり拍手が起こることもあるが、一投一打の一瞬はシーンとする。おまけに申し訳程度のバックネットが少しあるだけで、ぼんやりしているとネット越えのファウルボールが危ない。甲子園のようにファウルグラウンドが大きくなく、観客席のすぐ前に三塁コーチが立っているほどの接近感。ファウルボールは日本の倍は飛んでくる。

3回裏、数メートル左手にファウルボールが飛んできた。一人がはじき、そのはじいたボールを取ろうとした直前の列、すなわちぼくと同列の三、四人向こうの男性がこれまたはじき落とす。その落としたボールがバウンドせずにちょうどぼくの足の下に転がってきた。もちろんこのチャンスを見逃すはずもない。立ちもせず、足元のボールを拾うだけなのだから。日本から旅行で来た者にこんな漁夫の利があっていいものか。

年間チケットを購入するほどのドジャースファンで20年来通い詰めても手に入れていない人がいるらしい。試合後にオフィシャルショップでシャツか帽子でも買おうと思っていたが、そんなものどころか、千載一遇の宝物となった。

P1030129.JPG
駐車場から臨むスタジアム。
P1030135.JPG
外観同様、球場がコンパクトに見える。ファウルグラウンドが狭いせいだ。 
P1030136.JPG
フィリーズ側に若干空席があるが、ほぼ満員。
P1030140.JPG
絶好の席に陣取るもチケットは75ドル。
P1030148.JPG
レフト側のビジョン。
P1030143.JPG
KISS CAMタイムには画面に映った人がキスをする(ことになっている)。
P1030150.JPG
チャンスが到来すると、観客は一斉に立ち上がることもある。日本ほどではないが……。
P1030153.JPG
ドジャースはヒットを量産するが、手に汗握る場面はなかなかやって来ない。
P1030161.JPG
敗北濃厚ゆえ、9回には出口側へ移動して観戦。ここもなかなかの位置どりだ。
P1030271.JPG
希少な記念品になった、微妙な汚れのついているファウルボール。

ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ⑤

ひとまずサンフランシスコは今日で最終回。この後、ロサンゼルスの郊外に移動して親戚の家にお世話になる。

何から何まで写真に収めたわけではないが、ユニオン通りやサクラメント通りなどの代表的なストリートは歩いてみた。ゴールデンゲートブリッジの近くには行っていない。少し離れた所から撮影したが、見せるほどの出来ではない。サンフランシスコ近代美術館も近くまで行ったが、入館も外観見学もできなかった。

数ある名所の中から最後に選んだのがアラモ・スクエア(Alamo Square)。午後4時頃、まずノブヒルのホテル前のカリフォルニア通りからケーブルカーとバスを乗り継いでシビックセンター(Civic Center)へ。ここは市役所などの行政関連のビルが群を成す官公庁街。地図ではここから西側にアラモ・スクエアがあるが、バス乗り場が見つからない。だいたいの見当をつけて2キロメートルほど歩くことにした。途中のヘインズ通りがヨーロッパの街並みにそっくりだ。イタリアンの店のお兄さんは「ボナセーラ(こんばんは)」と声をかけてくる。

この道でいいのかと不安になりつつも、やっとスタイナー通りへ。ここがアラモ・スクエア。名所になった理由の一つはビクトリア朝様式の家が建ち並ぶからだ。ただし様式であって、古い家々ではないし、これだけなら名所にはなりえない。これらの家々の背景に、まるで映画のセットのようにサンフランシスコの現代が控える構図がおもしろいのである。ガイドブックにはまるで「絵はがき」と書かれている。ぼくの写真もそう見えるだろうか。誰でもこの程度の写真は撮れると思うが、午前や午後の早い時間は逆光になるためうまくいかない。晴天の夕方前がベスト。

出発の朝、せっかくなのでノブヒルの一番高い位置まで散歩した。坂のある風景を見晴らす絶好の締めくくりとなった。

《サンフランシスコ完》

P1020811.JPG
市役所(City Hall)
P1020809-1.JPG
シビックセンター周辺は木も芝生も緑にあふれ、よく手入れされている。
P1020816.JPG
ヘインズ通りの家並み。住宅と坂の構図が絶妙。
P1020819.JPG
アラモ・スクエア近くの交差点。
P1020824.JPG
ビクトリア朝風の住宅と現代の高層ビルの対比。
P1020827.JPG
まるで前景と後景を合成したように見える。
P1020848.JPG
最終日の朝。元メジャーリーガー、レフティ・オドールゆかりのカフェへ。
P1020851.JPG
ボリュームたっぷりの朝食。
P1020835.JPG
ダウンタウンの中心ユニオン・スクエア。南北戦争時の北軍(ユニオン)支持派の集会が開かれたことにちなむ。公園の地下を駐車場にしたのはここが世界初と言われている。
P1020868.JPG
サンフランシスコで一番高いノブヒルから臨む湾。まるでジェットコースターのような趣だ。

ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ④

ガイドブックを頼りにハイド通りをハァハァと息を切らせながら上がってきた。人だかりしているその場所がロンバード通り。ここはあまりにも傾斜がきついので、1920年代に意識的に道をくねらせた。どうくねらせたかと言うと、5メートル下っては道を曲げ、また5メートル下っては道を曲げた。これを何度か繰り返して勾配を少しでもゆるやかにしようとしたのである。

勾配はゆるやかになったものの、車は曲がった直後に次の急カーブに備えねばならない。この曲線の坂を下るすべての車は歩くより遅い。赤いレンガを敷き詰め、カーブを描く道路に沿って色とりどりの鮮やかな花々が花壇を飾りたてている。この一画に住んでいる人の車の往来も見かけたが、観光で訪れている大勢のドライバーたちがここを通りたがる。運転しながらも、前の車がつかえるとすぐさまカメラを構えているドライバーもいる。

ぼくはカメラを構えながら、ゆっくり急勾配の階段を下りては立ち止まりして写真に収めた。家にも工夫がされており、眼下に海岸が見晴らせるので住むには恰好のロケーションだと思う。しかし、観光シーズンはさぞかし迷惑なことだろう。意識して観光スポットにしたわけではなく、住民便宜のための工夫だったはずだから、自宅周辺を観光客がたむろするとは思わなかったに違いない。

P1020788.JPG
ロンバード通りを坂上から下る途中の光景➊
P1020789.JPG
光景➋

P1020795.JPG

光景➌

P1020796.JPG
光景➍
P1020798.JPG
光景➎
P1020799.JPG
光景➏
P1020800-1.JPG
通りの終わりまで降りきってから見上げる。花壇の合間を縫うようにくねくねと道が折れている様子がわかる。ここを車が徐行する。

ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ③

サンフランシスコと大阪は姉妹都市関係にある。当たり前だが、姉妹都市だからといってどこかしら雰囲気が似ているなどということはない。しかし、この街にさほど違和感を感じないのは、通りや賑わいや店舗の数など日本の大都市構造と共通点があるからだろう。もしサンフランシスコに坂とケーブルカーがなかったら、どこにでもある街並みになっていたかもしれない。地形と、その地形に合った乗り物がこの街の生命線になっている。

海岸線も特徴の一つだ。ピア39にやって来ると、この街が神戸に酷似しているように見えてくる。正確なことはわからないが、神戸のモザイクがここを真似たに違いないと確信してしまう。この確信が間違っているのなら、サンフランシスコのピア39が神戸を真似たに違いない。しばし目を閉じ、再び開けてみると、神戸にいるような錯覚に陥る。

昨日パスした屋台でシーフード料理を食べる。大人の片手より一回り大きいパンの塊をくり抜き、その中に具だくさんのクラムチャウダーを注ぐ。もう一品、イカ(caramari)のガーリック風味のから揚げ。二つで18ドルくらい。「うまいかまずいか」と二択で聞かれれば、うまいの欄にチェックを入れる。だが、「安いか高いか」だと、よくわからない。うまいかもしれないが18ドルなら当然だろうという感じ。日本人は食に貪欲だとつくづく思う。フィッシャーマンズ・ワーフの名物料理でも費用対効果は「普通」になってしまうのだから。

少し沖合いにアル・カポネが収容されていた監獄の島アルカトラスがある。遊覧して上陸できるが、所要4時間と聞いてやめる。当初の予定通りに海岸沿いを歩き、ハイド通りに入ってブエナ・ビスタ・カフェ(Buena Vista Cafe)の前に出る。アルコールの入ったアイリッシュコーヒーで有名な老舗店だ。競馬ファンならずとも聞き覚えがあるかもしれない。今年の桜花賞とオークスの二冠に輝いた最強牝馬の馬名がスペイン語で「すばらしい景色」を意味するブエナビスタである。

この店の前をさらに上がっていくとリーヴンワース通りと交差する。ここまでの道は冗談抜きに心臓破りの坂である。その坂から左を見下ろせばロンバード通り。ここが「世界で最も曲がりくねった通り」と呼ばれる曲者の坂。続きは次回。

P1020753.JPG
ピア39の土産店・飲食店通り。
P1020755.JPG
ピア39には迷うほどのシーフードレストランがある。
P1020757.JPG
ピア39のヨットハーバー。
P1020758.JPG
沖合いおよそ2キロメートルのところにあるアルカトラス島。
P1020767.JPG
海岸の道路に埋め込まれているトレイルコースの標識。
P1020768.JPG
手前がクラムチャウダーの大。パンはやや酸味が強い。その上がカラマリのから揚げ。チリソースとタルタルソースがついている。
P1020774.JPG
ケーブルカーにはいろんな種類があり、イタリアやオーストラリアでお払い箱になった路面電車が使われている。
P1020778.JPG
ハイド通りとビーチ通りの角にブエナ・ビスタ・カフェがある。
P1020777.JPG
ブエナ・ビスタ・カフェの建物。
P1020785.JPG
ハイド通りを上り振り返る。なるほど、急勾配が”ブエナ・ビスタ”を演出している。

ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ②

「ゴールデンステート(Golden State)」はカリフォルニア州の愛称。アメリカの全州にはこのような愛称がついている。学生時代にいくつか覚えた。たとえば、ニューヨーク州が「エンパイアステート(Empire State=帝国の州)」、フロリダ州が「サンシャインステート(Sunshine State=日光の州)」。一番おもしろいと思ったのがミズーリ州。この土地の人たちは疑い深いということになっていて、誰かが何々を持っていると自慢でもしようものなら、「じゃ、見せてくれよ」と言うので、「ショーミーステート(Show Me State)」と呼ばれる。「アロハステート(Aloha State)」ならハワイ州というわけ。さしずめ「県民性コンセプト」といったところだ。

初日の夕方はケーブルカーで近くのスーパーへと買い出しに行った。行きが急坂なのでケーブルカーに乗る。チキンのローストとサラダとパン。食後にカリフォルニア通りの坂を下って東側の海岸へ。下りだからぶらぶらと30分くらいは歩ける。途中、中華街も見たが横浜のほうが大規模で活気があるように思った。さらに下ると、オフィス街。そこを抜けて周回バスの乗り場を探したが、あいにく地図を持って出なかったので見つからず。誰かに聞けばそれまでだが、なるべく自力で探し当てるのがいい。気ままにフェリーターミナルまで歩いた。


二日目の朝。時差ボケはない。近くのカフェでモーニングスペシャルを注文する。コーヒーは自由。トーストと卵2個のスクランブル。「るるぶ」的なものへの憧れがほとんどないので、歴史探訪することにした。まずはドロレス伝道院(Mission Dolores)へ。ホテルからはケーブルでパウエル駅を経由して地下鉄で4駅目。後でわかったことだが、地図に間違いがあったため、方向を誤って歩き始めていた。通行人に道を尋ねたが、スペイン語の単語のアクセント位置がよくわからない。「ミッション・ドロレス」と発音したら首を傾げられ、言い直して「ミッション・ドローレス」で通じた。場所は探すまでもなく、目と鼻の先だった。

カリフォルニアにはこのようなミッションが21もあるという。ここが州内最古の建物で、もらったリーフレットには年代的には1791年完成と記されている。但し、この地に入植しミッションが始まったのは建国年の1776年に遡る。あまり細かなことはわからない。白壁の装いからスペインの影響を見て取れる。伝道院から徒歩、ケーブル、バスを乗り継ぎ、再度フィッシャーマンズ・ワーフを目指す。ピア3939番埠頭)からの話は次回。

P1020713.JPG
幻想的な夕暮れ時のフェリーターミナルの海岸通り。
P1020714.JPG
夜は10℃を切り、冷たい風が吹く。6月に冬装束でも不思議でない。
P1020720.JPG
駐車状態から坂の勾配が半端ではないことがわかる。
P1020724.JPG
朝のカフェ。”モーニング”は日本同様だが、卵料理が選べる。
P1020735.JPG
ドロレス伝道院の聖堂を覗いたらミッションスクールの卒業式だった。
P1020737.JPG
18世紀を偲ぶ小ぢんまりした博物館。
P1020738.JPG
ドロレス伝道院の中庭。
P1020745.JPG
ドロレス伝道院と聖堂の全景。
P1020746.JPG
聖堂と鐘楼。欧米では常にセットである。

ゴールデンステート滞在記 サンフランシスコ①

サンフランシスコに到着したのは、現地時間6月2日の午前11時半。名物の坂は予想以上に勾配がきつく、タクシーは勢いよく駆け上る。市街のもっとも高い丘の一つであるノブ・ヒル(Nob Hill)の一角にあるホテルにチェックインし、荷を解いてすぐに近場を散策してみた。続いてケーブルカー乗り場へ。とりあえずフィッシャーマンズ・ワーフ(Fisherman’s Wharf)を目指そうとしたが、待つこと10分、15分、20分……待てどもやって来ない。待つ人が増えてくるが、ケーブルカーが上ってくる気配はいっこうにない。

痺れを切らして、10分ほど坂を歩いて下り発着駅へ行ってみた。何か事故があったようで、乗客が長蛇の列をつくっている。ケーブルカーも何台も連なって発車待ちの状態。ランチを食べていないのに気づき、近くのショッピングモールへ向かった。ホットドッグとプレッツェルのシナモンスティックで腹ごしらえして戻ってきたら、ケーブルは動き始めていた。

乗車料金は15ドル。やや割高感があるので、18ドルの3日間チケットを購入した。これを使えば、ケーブルカーも市内の地下鉄もバスも乗り放題だ。パウエル駅からノブ・ヒルへ上がり、坂を下りながら海岸へ。思ったほどの賑わいではない。日本人らしき観光客は何組かいるが、団体客のツアーが皆無。そう言えば、残席わずかと急かされたユナイテッド航空の関空発の便はガラガラだった。インフルエンザの影響だったのかもしれない。

フィッシャーマンズ・ワーフは翌日にじっくり見るつもりだったから、中途半端に見学せずホテルに戻ってきた。ホットドッグのせいもあってカニやエビの海鮮屋台にも食指は伸びなかった。気がつけば、日本時間なら午前9時。もう24時間以上寝ていないことになる。

P1020643.JPG
ホテルから見るノブ・ヒルの光景はよく澄み切っていた。
P1020653.JPG
中央の星条旗のある建物がホテル。到着日の午後は好天だったが、風が強く寒かった。
P1020669.JPG
ようやく発着駅に入ってきたケーブルカー。
P1020671.JPG
木製の円盤の上に車両を載せたら、その後は手動で回転させて向きを変える。
P1020684.JPG
フィッシャーマンズ・ワーフの「玄関口」。
P1020687.JPG
フィッシャーマンズワーフでは海特有の潮の匂いがほとんどしない。
P1020697.JPG
鐘を勇ましく鳴らして走るケーブルカー。
P1020698.JPG
「鐘鳴らしコンテスト」の開催案内。運転士がテクニックを競う。

イタリア紀行43 「サンタンジェロ地区」

ローマⅠ

20083月、パリに8日間滞在した後、ローマへと向かった。四度目のローマだ。それまでの訪問で名立たる観光地のほとんどに足を運んでいたが、何となく消化不良に終わっていた。自分が決めた予定にいつも急かされていたのである。それで、ゆっくり7泊することにした。ヴァチカンに近いサンタンジェロにいいアパートが見つかったので、そこに3泊。その後の4泊を市街地のほぼ中心にあたるヴェネツィア広場近くのホテルで過ごすつもりだった。予約は出発前にインターネットで済ませていた。

フィウミチーノ空港からレオナルド急行でテルミニ駅へ。スリの出没で悪名高いバス路線を遠慮して、ヴィットリオ・エマヌエーレⅡ世通りの路線を走るバスで終点ピア広場まで。そこから徒歩約10分のクレシェンツィオ通りに面してアパートがある。サンタンジェロ城と最高裁判所のすぐ北側という好立地だ。出迎えてくれたのはフランチェスコという四十歳前のオーナー代理人兼管理人。実はこのアパートの他の全室はすべて住居。一階のこの一部屋のみが連泊希望の観光客に民泊としてレンタルされている。オーナーはフランチェスコのお兄さん。

リビングに広い寝室、キッチン、シャワールーム。日本式なら1LDKなのだが、廊下もあり天井も高く、何よりも70平方㍍もあるのでゆったり広々としている。ここで3泊だけとはもったいないと内心思いながら、フランチェスコの説明を聞き滞在費用をキャッシュで用意しかけた。すると、彼のほうからこう尋ねてきた。「ローマの後はどういう予定なんだ? 日本へ帰るのか?」

少しばつが悪かったが、このアパートを出た後にさらに4日間ローマに滞在すると正直に答えた。「どこのホテル? 料金はいくらか?」とさらに聞いてくる。「アパートで3泊、ホテルで4泊」にさしたる理由がなかったから、淡々とぼくは説明した。彼は「気に入ってくれたのなら、残りの4泊もここにすればいいじゃないか。キャンセルは簡単だ。『シニョーレ・オカノのローマの友人だが、オカノは都合でローマに来れなくなった』とホテルにぼくが電話してあげよう」。そう言うなり、半ば強制的にぼくに「オーケー」を求め、すぐに携帯を取り出すとキャンセルしてしまった。ちょっと危ない人ではないか……。

宿泊約款により、一週間以内のキャンセルのためキャンセル料は1泊分。当時はユーロ高だったので、2万円近くになる勘定だ。少し落胆していると、「その損失分を値引きするから心配なく。狭いホテルよりこのアパートのほうが絶対にいい」とフランチェスコが言う。勝手なもので、なかなかいい人に思えてきた。オーブンや洗濯機、シャワーの使い方を説明し、彼は「今夜食事に出るなら……」と言って、パルラメント広場近くのトラットリアを紹介してくれた。

P1010843.JPG
ローマでのアパート生活。ホテルならスイート並みの広々とした居間。
P1010844.JPG
ダイニングキッチンには食器や什器のすべてが揃っている。
P1010888.JPG
アパート裏のサンタンジェロ城とサンタンジェロ橋。
P1020192.JPG
テヴェレ川対岸からの夕景。 
P1010878.JPG
サンタンジェロ城から。白亜の建物は最高裁判所。
P1010868.JPG
城からはヴァチカンのサンピエトロ寺院全景が見渡せる。 
P1010839.JPG
アパート管理人フランチェスコ一押しの”ジーノ”は庶民的で親しみやすい。
P1010836.JPG
お任せの前菜。これだけですでに腹八分目に達する。
P1010837.JPG
特製の手打パスタ。この黄み加減は見たことがない。ソース焼きそばの麺のよう。アルデンテとはまた違う独特の歯応えがあった。

イタリア紀行42 「丘陵の聖都」

アッシジ

一般にローマと言うとき、それは人口270万人の「コムーネ(comune)」としてのローマを指す。いわゆる「ローマ市」の感覚に近い。そのローマ市を包括する「ローマ県」もある。コムーネというのは地方自治体を指すことばだが、日本の市政概念とはだいぶ違っていて市町村すべてに使う。だから単純に行政規模の大小を類推できない。

このイタリア紀行における「街」や「都市」の視線は、県にではなく、終始一貫コムーネに向けている(しかもほとんど徒歩圏内の地区)。アッシジはすでに取り上げたウンブリア州ペルージャ県のコムーネの一つ。大都市ローマもコムーネなら、人口は約25千人の小村アッシジもコムーネである。アッシジの「サンフランチェスコ聖堂と関連遺跡群」は2000年に世界遺産に登録された。その翌年、ぼくはアッシジを訪れた。

バスは緑に溢れる平野を抜けて丘陵地帯へと向かう。修復作業以外に目立った工事が一切ありえない土地ゆえ、自然の一部を建物が拝借しているという風情である。だからこそ、聖地たりえるのだろう。コムーネ広場からほどよい距離を歩くとアッシジ生まれの聖人フランチェスコゆかりのサンフランチェスコ聖堂に着く。

フランチェスコはイタリア男性に多い名前だ。アッシジの守護聖人でありイタリアの国の守護聖人でもあるフランチェスコ(1182?1226年)は裕福な家庭に生まれた。若い頃に放蕩三昧したあげく、神の声を聞いて聖職への道についた。生地だから当然なのだが、こんな絶好の立地はない。世界遺産や聖人フランチェスコだけではなく、ロケーションもアッシジ人気の理由の一つだと思う。

聖堂で希少なフレスコ画を見て聖人の墓のある地下室へ。過酷な修道生活の日々が彷彿とする。キリスト教や聖書についてまったく無知ではないが、信仰者でないぼくでも敬虔にならざるをえない。修道院の中庭や回廊である「キオストロ(chiostro)」はたまげるほどのスケールだが、何かにつけて瀟洒で質素にこしらえてある。それがいっそう「聖なる空気」を充満させているのだろう。 《アッシジ完》

Assisi (15).JPG
中世を再現したかのような通り。
Assisi (9).JPG
小ぢんまりした市街のどこにも現代は見当たらない。
Assisi (19).JPG
遠近法に忠実なキオストロと呼ばれる歩廊はどこまでも続くかのよう。
Assisi (16).JPG
サンフランチェスコ聖堂のファサード。
Assisi (25).JPG
聖堂の中庭と修道院。
Assisi (1).JPG
聖堂のある高台から見晴らす風景。

イタリア紀行41 「暮らしの息づかい」

ボローニャⅢ

トスカーナ州(州都フィレンツェ)と並んで、ここエミリア=ロマーニャ州も肉類やチーズなどをふんだんに使った郷土料理で有名だ。とりわけボローニャは、パスタの「ラグー」、つまりミートソースの本家本元である。このミートソースが”ボロニェーゼ”と一般に呼ばれるもので、パスタにはタリアテッレまたはフェットチーネという手打ちの平麺が使われる。肉汁が濃厚できしめん状の麺によくからむ。ペンネを使う店もある。

口にした牛肉のことごとくが昔懐かしい野趣に富んだ味がしたが、あながち気のせいではなかったと思う。斜塔近くのマクドナルドのハンバーガーにしても「牛肉本来」の味がした。牛肉本来がどんな味なのか説明は難しいが、とにかく日本のそれとは違う。そう言えば、トスカーナ地方ではキアーラという銘柄の牛肉が食べられるが、それも素朴でストレートな味を特徴としている。

ボローニャはイタリアにあって主要な商工業都市の一翼を担っている。経済を牽引しているのは伝統的な手工業や中小企業だ。街の風情の見かけとは違って、国際絵本展などの「超」のつく国際イベントや国際見本市が活発。とりわけ35月と911月は目白押し。ぼくが滞在したのが3月上旬で、予約を買って出てくれたローマ在住の知人はホテル探しに大いに苦労したらしい。幸い、斜塔近くの好立地のホテルを3泊予約できたが、心臓に良くないほどのハイシーズン料金だった。

街のとりどりの表情に向けてシャッターを押したつもりが、手ぶら散策の時間も楽しんだので、撮り収めていない、ちょっと残念な場所もある。初老の男性が親切に案内してくれたアルキジンナージオ宮の写真は一枚もない。中庭があって二階部分が当時の名残りを色濃く象徴する回廊になっている。実は、ここは旧ボローニャ大学で、世界初の人体解剖でその名を知れている。当時の様子がそのまま残っている解剖学大階段教室にも案内してもらった。

城塞跡への行きと斜塔への帰り。ぶらぶら歩いた通りの名前は覚えていない。イベントや観光のシーズンに入った直後にもかかわらず、団体客と遭遇することもなく、ほとんどの通りは人影がまばらで閑散としていた。ところが、通りと通りが交叉する地点や放射状の通りの基点にやってくると、ふいに人々が行き交い賑わってくる。出発前日、土産用に手打ち乾麺のパスタや生ハム・サラミやチーズを市場で買う。観光客相手ではないので、すべてお買い得な「地元住民価格」だった。

ボローニャには他のイタリア都市との共通点ももちろんたくさんある。ただ、ここでは絵はがきで見覚えのある光景に出くわすことはない。たとえばローマのコロッセオ、ヴェネツィアのサンマルコ広場、フィレンツェのドゥオーモに対峙するときのような高揚感には達しない。そう、他のイタリア観光地とは違って、ボローニャでは無条件にはしゃぐことはありえないのだ。それだけになおさら人々の暮らしの息づかいが伝わってくるような気がする。 《ボローニャ完》

Bol (25).JPG
街外れの城塞跡。この外には幹線道路が走っている。
Bol (29).JPG
昼間ほど人影が見えない。黄昏の時間になるまでは静まり返っている。
Bol (1).JPG
マッジョーレ広場の大道芸人。
Bol (73).JPG
広場をそぞろ歩きする家族。
Bol (86).JPG
ボローニャ風ラグーの平麺が絶品だったトラットリア。
Bol (35).JPG
 斜塔近くの市場。
Bol (37).JPG
公設市場のような区画もある。
Bol (65).JPG
ボローニャにはアドリア海の魚貝が届くらしい。ちなみに「カエル」は鮮魚店が扱っている。
Bol (75).JPG
市場通りの点景。
Bol (87).JPG
ディスプレイの「ナカタ」。この年、中田英寿はボローニャに所属していた。