禅と論理思考

万寿寺

昨年10月に続き、さる5月に禅文化研究所主催の論理思考講座を受け持つ機会があった。対象は禅僧と檀家さん、場所は大分市の万寿寺。受講された方々との意見交換があったわけではないが、帰りがけに一人の禅僧がそばに来て、こうつぶいたのである。「いい勉強になりました。わたしの課題は哲学の不在だったことに気付きました」。

もちろん総意ではなく、個人的な見解と思われる。ちなみに、厳密に言うと、論理思考と哲学はイコールではない。だが、概念を扱ったり念入りに物事を突き詰めていくという点で、論理思考は哲学の補助ツールにはなる。

禅僧が論理思考を学び、議論の技術であるディベートを体験するというのは、かなり特殊で例外的なことなのだ。野球の選手がサッカーに興じるなどというどころではない。極論すれば、禅僧は理屈や議論になじむのを常としないから、ある種のコペルニクス的転回と言ってもいいくらいの逆転発想なのである。


鈴木大拙師は『禅』の中で次のように書いている。

禅は議論したり、学説を立てたり、説教したり、説明を試みたりすることを拒む。それどころか、自分の中から出てきた問いに対する答えは、自分自身の中で見つけ出せ、と言う。なぜならば、答えは問いのあるところにこそあるからである。禅僧は言う、「わしの言葉はわしのもので、お前のではない、お前のものとはなり得ない。すべてはお前自身の中から出てこなければならぬ。(傍線は岡野)

議論したり、学説を立てたり、説教したり、説明を試みたりすることを拒むことを遵守していると、ぼくは食っていけなくなる。顧客へのプレゼンテーションで説明をしなかったら、「お前は何をしにここへ来たんだ」と文句を言われる。この一文に関するかぎり、禅と論理思考は基本的に相容れない。ところが、傍線部は禅の専売特許ではない。

およそ問いが立てられるのであれば、この問いには答えることができる。

哲学者ウィトゲンシュタインのことばである。どうだろう、同じことを言っているではないか。「汝、問いたまえ」は洋の東西、古今を問わず、普遍的な教えなのである。しかも、誰かから問われて答えることに安住してはならない。自問自答こそが問いと答えの基本である。問うとは問題提起であり、答えるとは一つの責任の負い方だ。誰かに問われたら答え、問いを投げたら誰かが答えるというような、いずれか一方しか行為しないのでは問答の本質をきわめることなどできないのである。

時々音読のすすめ

声に出して読みたい日本語ブームが起こってから10年以上になる。話題を呼び本もいろいろとよく売れた。黙読がすっかり読書の主流になった時代に、本を読みながら語感を磨くという一つの選択肢を提起した。しかし、今では熱もすっかり醒めたようである。

単純な絵や記号を文字に進化させてきた古代文明。文字は何事かを記録するために発明された。だが、記録用に発明されっ放しではなく、必然伝えられ読まれるようになった。近代になっても識字できる人々は圧倒的に少数であったが、彼らが読む時は声に出していた。つまり、古来、読書とは音読することだったのである。

黙読の習慣が定着したのはかなり最近のことだ。諸説いろいろあるが、表音文字であるアルファベットの国々では19世紀まで音読が普通だったという説もある。図書館の普及もあって黙読が音読を逆転するのだが、私的な場面では相変わらず音読派が多かった。昭和30年代でも声に出して本を読む大人が少なからず周囲にいたのを覚えている。

幼少の頃に漢文の素読を徹底的にやらされたと勝海舟は『氷川清話』で書いている。子どもに意味などわかるはずもないが、誰かが読み上げる漢文や漢詩の音を真似し、あるいは、文章を読めるようになると、それを繰り返し只管音読しかんおんどくする。こんなことをしてどうなるものかと納得していなかったかもしれない。だが、こうして習慣形成された響きとリズムが言語力の基底になった。退屈な音読トレーニングが成人してから生きてくるのである。


春望高校時代、杜甫の『春望』を音読して暗記暗誦したことがある。原文を見ずにそらんじるようになると、大人気分になり、また少々賢くなったと錯覚したものである。たとえ錯覚でもいいではないか。ほんの少しことばの自信が芽生えれば儲けものなのだから。だいたい習い事はすべて、真似をしているうちにできるようになったと錯覚し、しばらくして頭を打つが、それでも諦めずに続ける……という繰り返しによって上達していくものだろう。

朱子のことばに「読書三到」がある。本を読むに際しての三つの心得を説く。読書とは、まず声に出して読む(口到こうとう)、次いでよく目を開いて見る(眼到がんとう)、そして、心を集中する(心到しんとう)。この三到によって熟読するのが肝要だと教える。

話すことにマメでない人がいる。話そうと思えば清水の舞台から飛び降りる覚悟のいる人がいる。時々音読するのがよいと助言するのだが、三日坊主で終わる。声に出すというのは口だけの作業ではなく、全身体的行為だからきついのである。腹筋や腕立て伏せを決意しても続かないのと同じ。続く人が少ないからこそ値打ちがあるとも言える。外国語の学習に音読が効果的であることに疑う余地はない。日本語は母語だから勝手に身につくなどという誤った考えを捨てよう。同じ効果は日本語でもてきめんだ。口の重い人はせいぜい音読に励むべきである。

風を見る

風は窓越しで聞こえるが、風の真っただ中にいても風そのものは見えない。視力がよくても、たぶん見えない。視力の問題であるはずはないけど。

音というのは、聞こえるものであって、見えるものではない。そう信じて疑わない。ところが、「観音」がある。音が見えている。

川岸に佇めば、川の流れが見えて、同時に音が聞こえる。ひょっとすると、風の音を聴きながら風の姿が見えるのではないだろうか。風が見えないのは、もしかすると、ぼくたちの怠慢のせい……いや、怠けてなどいない。ただ、ちょっと注意力が足りないのかもしれない……。

そよ風は梢を撫でるだけで、そこにとどまらない。枝葉を微かに揺らし、ついでにいくばくかの光を拾って帯や線を刻んで立ち去る。

帰路、公園の横道に沿って心地よくそよ風が吹いていた。

IMG_5715Katsushi Okano
Soyokaze
2004
Pastel

「一人の時間」の意味

暇がある時に、時間について語られたことばに目を通してみるのもいい。名立たる偉人が実に多くの名言を残している。

充実の時間、優雅な時間、くつろぎの時間、共食の時間、今日という時間、過ぎゆく時間、今刻まれる時間……。時間はどんな修飾表現にもなじむ。試してみればわかるはず。時間は包容力のある概念である。

けれども、「○○の時間」と表現できるからと言って、その時間が実現する保証はない。また、歓迎したい時間もあれば、遠慮したい時間もあるだろう。とりわけ「一人の時間」は微妙である。嫌だけれどそうなっているのか、あるいは求めてそうなっているのか……意味は大きく違ってくる。

夏草(緑地公園)

ぼくにとっては一人の時間は「プライムタイム」だ。一日のうちに、たとえわずかな断片であっても、一人の時間を求めてやまない。ふだんは立場上・仕事上複数の人々との時間に生きている。人々と過ごす時間では人々のことを考える。それはとてもたいせつなことなのだが、その時間はみんなとの時間であって、自分の時間ではない。

やむなく過ごす一人の時間ではなく、意識して創り出す自分の時間に浸ると、時間を忘れたり止めたり早めたり遅くしたり、自由自在である。

「わたしは気の向くままにからだを反らしてのんびりし……夏草の葉をじっと見つめている」――ウォルト・ホイットマン

二足のわらじ

時代劇以外でわらじを履いている場面に出くわさないが、「二足のわらじ」という言い回しは今もよく耳にする。英語では「二つの帽子をかぶる」と言う。わらじよりも帽子のほうがよさそうに見えてしまうのは偏見か。ところで、二足のわらじを同時に履くことはない(二つの帽子も同時にかぶらない)。どちらか一方を使っている時は他方に出番はない。しかし、本来二足のわらじは同時に二つの仕事に従事していることを意味する。

TPOに応じて厳密に肩書きを名乗ると、ぼくは数足のわらじを履いていることになる。面倒なので、企画立案業と教育研修業を二つのわらじとし、両方を同等に本業と考えて励んできた。正と副の印をつけろと言われたらちょっと困る。敢えてつけるなら、キャリアが78年長い企画立案業を正とし、教育研修業を副にするのが妥当だろうか。その副に従事し始めてから四半世紀が過ぎた。


かつて自分を売り込んだこともある。しかし、四十を過ぎてから毎年100件前後の依頼をいただくようになった。二日研修もあるから、一年のうち150日近くがんじがらめになり、過労死を恐れてほとんどPRしなくなった。やがて実績への執着も関心も消え失せ、目の前の仕事をこなす東奔西走の日々を送り続けた。

五十代半ばから二泊三日の出張がきつくなった。還暦を過ぎてからは、準備に時間のかかる特注の研修を減らし始めた。また、研修の成果を数値化せよなどという理不尽な要望に付き合い切れず、そんな研修先の仕事は日が合わないなどの理由をつけて断った。その結果、年間50件程度に落ち着いた。その50件のほとんどを7月から11月に集中させ、正である企画立案業に比重をシフトしているのが昨今である。

研修案内 (2)

これからはマイペースで仕事をするぞと目論んでいた矢先、スタッフが「PRすれば講師としてまだまだ売れる!」とぼくを鼓舞し、「研修の提案をしたいからメニューの一覧を作ってくれ」と半ば強制してきた。根が素直なので、二つ返事で承諾してしまい、先月下旬から暇を見つけて毎日少しずつ編集することになった。そして、ついに完成。総数20枚のメニュー一覧である。ついでに記録と記憶を頼りに実績を集計したところ、区切りのいい数字を達成していたことに気付いた。研修・講演回数2,000回、研修・講演テーマ100本、執筆したテキストと作成したパワーポイントスライドショー300種類を超えていたのである。小も積もれば大と為るものだと、それなりの年月を費やしてきたことにちょっとした感慨を覚える。

眠れなくなる回文創作

軽い機敏な仔猫何匹いるか二十数年前に土屋耕一の『軽い機敏な仔猫何匹いるか』を読んだ。後先を考えずにことば遊びに食いつく性分だから、読後約一年間は回文熱が高じてしまった。仲間と創作に励み競ったこともある。

回文。上下同読のことば遊びである。冒頭の本は土屋耕一が創作した回文を集めたもので、タイトル自体が「かるいきびんなこねこなんびきいるか」と回文になっている。

「トマト」や「新聞紙」も上下同読だが、文章にはなっていない。おなじみの「竹やぶ焼けた」(たけやぶやけた)。短いが、一応文章になっている。「品川に今住む住まい庭が無し」(しながわに いますむすまい にわがなし)もよく知られている。五七五では「我が立つた錦の岸に竜田川」(わがたつた にしきのきしに たつたがわ)がきれいにまとまっている。古来、俳句や和歌ではおびただしい回文が作られていて、「むむ、これで回文になっているのか!?」と目を疑うほどよくできたものもある。下品系では「ヘアリキッドけつにつけドッキリあへ!」 これはぼくが作ったのだが、まったく同じものを作っている人が何人もいる。回文には制約があるから、短文の場合は偶然の一致がよく起こる。


オリジナリティを意識するなら長文である。しかし、長くなればなるほど、助詞が抜けたり文法が変則になったりするし、ふだん使わない言い回しを強引に捻り出さねばならない。自然文で作るのは決してやさしくない。なお、「は⇔わ」「お⇔を」「清音⇔濁音」などは互換性ありと見なす。

ワープロ時代にずいぶん作ったが、データがどこにあるかわからない。ワープロとフロッピーはオフィスのどこかにあるはずだが……。自作だから十や二十は何とか思い出せる。一つご笑覧いただこう。

「今朝女の子 飯時に土間で危機を聞き 出窓に木戸閉め この難を避け」 (けさおんなのこ めしどきにどまでききをきき でまどにきどしめ このなんをさけ)

回文をやり出すと、何をしていても単語や文章が浮かんでくる。たとえば「空が青い」と頭で響くと、「いおあがらそ」と下から音を逆読みする。やがて、ことばが次から次へと押し寄せてきて眠れなくなる。一度は経験しておいてもいいと思うが、苦労の割には駄作しかできない。佳作の一つや二つができるまでは少々時間もかかるし、それなりの覚悟はいる。

「覚える」と「思い出す」

喫茶ノア

初めての喫茶店。店内を見回していたら、競走馬のぬいぐるみが目に入った。手のひらよりも少し大きめ。この種のものは、オグリキャップが活躍した頃から続々と売り出された記憶がある。

覚えてはいても鮮明に思い出せないことがある。人間の記憶力などは十代あたりが全盛で、あとは下り坂なのだろう。ぼくの周囲の連中を観察していると、だいたい五十を過ぎたあたりから急勾配の下りに差し掛かっている。ぼくより一回りも下なのに、すでに記憶喪失に近い御仁もいる。いかにも、「記憶は忘却の穴だらけである」(ホルヘ・ルイス・ボルヘス)。

いま、このテーマに関連して、本で読み研修でも取り上げたはずの「脳の一次記憶と二次記憶」のことを書き始めようとしたところ、その書名をどうしても思い出せない。だいたい見当をつけてから本棚を見回してみたが、見つからなかった。それはともかく、一次記憶は「仮の置き場」なので、時間が経つと情報は消える。二次記憶は繰り返し触れた情報が蓄えられる「永久記憶庫」なので揮発しにくい。つまり、何年も前に覚えたことでも再生しやすい。だからと言って、必ず思い出せるとはかぎらない。倉庫の奥深くに保管しているモノほど取り出しにくいことがある。


さて、冒頭の喫茶店のぬいぐるみ。菊花賞優勝のレイをかけた芦毛の馬だ。よく知っている。ところが、「ビワ」まで思い出したものの、後が出てこない。続くのが和名っぽい四文字だという確信もある。二十年くらい前に活躍したこと、三冠馬ナリタブライアンの兄であること、二年連続の菊花賞兄弟制覇であることも間違いないと睨んだ。それなのに、ビワに続く四文字を必死に探り当てようともがく。手元のiPadを見れば即座にわかる。だが、こういう時に脳にエサを与えて甘やかしてはいけないのである。

ビワハヤヒデ脳内の記憶をまさぐり、浮かんでは消えそうになる情報を繋ぎ合わせてあれこれと参照する。他人の目には悠然とトーストをかじりコーヒーをすすっているように映るだろうが、アタマのほうはかなり目まぐるしく回転し熱を帯び始めている。ついにビワの次の文字「ハ」が浮かび、ほどなく「ビワハヤヒデ」に辿り着いた。どちらかと言うと、お気に入りのサラブレッドだったのに……。

決まりきった答えがあって、それを知らないのなら、調べればいい。しかし、この調べるという作業があまりにも便利になってしまった現代である。単なる「ど忘れ」だと笑って済ませてはいけない。微かな記憶の断片を頼りに思い出そうとするべきなのだ。結果的に思い出せなかったとしても、見えざる脳内の回路に刺激を与えたことに満足すればよい。三十代後半から五十代前半の人たちよ、熟年期を迎えると、覚えにくい・思い出しにくいという二重苦を背負うことになる。そうなるのはまだまだ先と油断することなかれ。忘却の美徳に逃げ込むなかれ。油断と逃避は危険な兆候である。

定義はいろいろ

辞書辞書を引く。頻度の高い見出し語には定義や語釈が多いことに気づく。また、辞書ごとに定義のラインアップが違うことも分かる。一般辞書から離れて専門用語辞典を覗けば、目新しい定義が目につく。もちろん、用語の定義はこれだけにとどまらない。

アンブローズ・ビアスが『悪魔の辞典』を著したのは一世紀も前のことである。正統派の辞典に対し、裏から斜めから、あるいは前衛的に字義解釈をおこなった「異端派の辞典」である。今日まで悪魔の辞典の流れを汲む本は絶えず発行されてきた。ぼくの本棚にも数冊が並んでいる。言うまでもなく、おもしろさという点では広辞苑や新明解は太刀打ちできない。

「博士」という号がある。正統派の定義では、「学問やその方面の知識・技術に詳しい専門家」ということになる。他方、異端派の『ビジネス版悪魔の辞典』(山田英夫著)によれば、博士などは定義していない。代わりに「博士号」についての皮肉がつぶやかれる。「博士号をもつ研究者を多数擁しながらも成果が出ない状態を、『ドクタースランプ』と呼ぶ」という具合だ。アラレちゃんか……。いま話題の某研究所の内情がアラアラにアレアレ状態だから、これを根も葉もない用例として切り捨てるわけにもいかない。


〈無知の知〉はソクラテス哲学の重要なテーマの一つである。無知を自覚する時点で、何でも知っていると錯覚している者よりもましだということだ。人はどれだけ学んでも何から何まで知ることができないという点で無知だと言うのである。これも一種の悪魔の辞典的用例ではある。

仕事柄、知識の多寡や知の研鑽について考える機会が多いが、「知っている」というのは人それぞれだとつくづく思う。ぼくから見れば、あるXについてA君はB君よりもよく知っている。ところが、A君本人はまだまだ知らないと自覚しており、B君はかなり知っていると過信している。A君には無知の知がある。正真正銘の無知というのはだいたいB君タイプである。余談だが、ネットでちょこっと調べ物をして知ったかぶりをしていると、やがてB君になってしまう。

以上から、悪魔の辞典風に言えば、【無知】とは「知っていることが知らないことよりも多いと錯覚している状態」。ついでに、【浅学】とは「あることについて、知らないことが知っていることよりも圧倒的に多い状態」である。さらに、【博学】は「ひろいと表わすものの、実は、浅学よりもほんのちょっとましな程度」に過ぎない。依然として、知らないことが知っていることよりも絶望的に多い状態である。

分母に「∞(無限大)」を置けば、まことに人はみな平等に無知な存在に出来上がっている。しかし、現実社会においては誰も知の領域を無限大などと見なしていない。だから、ものをあまり知らない人間とものをよく知っている人間が入り混じる。前者のほうが楽そうだが、そういうわけにもいかないのが無知を自覚する者の宿命なのである。

大都会の宿命

都会

大都会と聞いて何を連想するか? 友人の一人は「♪ あー 果てしない 夢を追い続け あー いつの日か 大空かけめぐる」と口ずさんだ。クリスタルキングが歌って30数年前に大ヒットしたあの曲。

もちろん知っている。知っているが、ぼくがいの一番に連想するのは違う。そのヒットソングのはるか昔に読んだリルケの『時禱集じとうしゅう』、その中の大都会が脳裡に強く刷り込まれているからだ。

なぜなら 主よ 大都会は
失われたもの そして分解したもの
最も大きな都会は焔からの潰走に似ています――
そして都会を慰め得る慰めは何ひとつなく
その区々たる時が流れ去ってゆきます


強い悲壮感を漂わせて、大都会に失望しているかのようだ。リルケは別の一篇でも、大都会の欺瞞性を訴える。大都会が昼、夜、子供を欺き、沈黙で偽り、騒音や従順な事物で偽ると断じるのである。

リルケ(1875-1926)が生きた時代と現在とでは、同じ大都会と呼んでも、桁違いだろう。それでもなお、リルケはよく言い当てているような気がする。今の大都会にも多分に喪失があり、分解分裂があり、慰めはわずかで偽りと欺きがおびただしい。

生まれてこの方、ほんの二、三年を除けば中都会または大都会暮らしをしてきたぼくだ。けれども、埃と騒音にまみれながらも、厭世的に時の流れを見つめて何もせずに指をくわえているばかりではなかった。そうならずに済んだのは、ほかでもない、十代の終わりに読んだこの大都会観を現実にしてなるものかと反発して都会を生きたからだ思う。都会生活者への警鐘として読めば、この詩は間違いなく名言なのである。

リクエストの聞き方

コントローラ【ロサンゼルス共同】 任天堂は(……)、人間型キャラクターが架空の生活を楽しむ人気ゲーム「トモダチコレクション 新生活」(欧米版は「トモダチライフ」)で同性婚ができない設定になっていることに対し謝罪するコメントを出した。(……)米アリゾナ州の同性愛者の男性が、設定を変えるよう任天堂に要請していた。任天堂は「残念ながらこのゲームの設定を変えることは不可能で(出荷後の)修正もできない」とし「多くの人を失望させたことを謝罪します」と述べた。


受注型商品の製造販売なら話は分かる。しかし、見込型商品の製造販売にあたっては、購入者全員の要望を先取りして反映することなど不可能なのである。任天堂は一部の同性愛者を失望させたかもしれないが、謝罪表明までする必要があったのか。

ゲームソフトが「シゴトライフ」だとしよう。「オレの職業が入っていないじゃないか!」などというクレームにいちいち謝罪するのか。一部のホームレスからの「ホームレスも職業だ。なぜ不在設定になっているのか!」という声にも耳を傾けるのか。職業など国勢調査の範疇外にいくらでも存在する。そのすべてを想定してゲームソフトを作るのは絶望的だ。

「ホビーコレクション」なるゲームを買ったが、都都逸がない、パッチワークがない、チャトランガ(古代インド将棋)がないという不満も出ないとはかぎらない。ゲームデザイナーにはコンセプトがある。それに基づいてホビーを取捨選択するだろう。売れると見込んで開発して売るのだ。リクエストに適わなければ売れないからリスクも背負う。購入希望者も自分の趣味が設定されていなければ買わなければいい。ゲームソフトにかぎらず、商品は買ってみなければ分からないものだ。当たり外れがつきまとう。

「同性愛者」に神経をピリピリさせること自体が、ある種の偏見ではないか。「この商品では想定していません。以上」でいいはずだが、おそらく、ここは、そんなクールな姿勢を見せず、また反論などもせずに、穏やかに謝罪で収束させようとしたのに違いない。厳しく言えば、意気地がない。


この新聞記事を読んだ一週間後に、この対処とまったく違う一件があった。六本木の「すきやばし次郎」に入店した中国人留学生が生の魚を食べられないから焼いてくれと言ったそうである。しばし口論になったそうだが、店側は毅然と対応しノーを貫いた。店の融通の無さへの批判が予想されたが、ネット上で中国の同胞たちは総じて店側に軍配を上げた。

できる・できないの話ではない。ネタを炙る寿司もあるから、焼けと言われれば焼くことくらい朝飯前だろう。しかし、炙るネタや煮るネタを慣習的に決めている。すべての生魚をリクエスト通りに焼いたり煮たりするわけにはいかないのである。買う側にもリクエストがあるだろうが、売る側にも絞り込んだ顧客を想定したコンセプトがあるのだ。お客さまは毎度毎度神様などではない。