「覚える」と「思い出す」

喫茶ノア

初めての喫茶店。店内を見回していたら、競走馬のぬいぐるみが目に入った。手のひらよりも少し大きめ。この種のものは、オグリキャップが活躍した頃から続々と売り出された記憶がある。

覚えてはいても鮮明に思い出せないことがある。人間の記憶力などは十代あたりが全盛で、あとは下り坂なのだろう。ぼくの周囲の連中を観察していると、だいたい五十を過ぎたあたりから急勾配の下りに差し掛かっている。ぼくより一回りも下なのに、すでに記憶喪失に近い御仁もいる。いかにも、「記憶は忘却の穴だらけである」(ホルヘ・ルイス・ボルヘス)。

いま、このテーマに関連して、本で読み研修でも取り上げたはずの「脳の一次記憶と二次記憶」のことを書き始めようとしたところ、その書名をどうしても思い出せない。だいたい見当をつけてから本棚を見回してみたが、見つからなかった。それはともかく、一次記憶は「仮の置き場」なので、時間が経つと情報は消える。二次記憶は繰り返し触れた情報が蓄えられる「永久記憶庫」なので揮発しにくい。つまり、何年も前に覚えたことでも再生しやすい。だからと言って、必ず思い出せるとはかぎらない。倉庫の奥深くに保管しているモノほど取り出しにくいことがある。


さて、冒頭の喫茶店のぬいぐるみ。菊花賞優勝のレイをかけた芦毛の馬だ。よく知っている。ところが、「ビワ」まで思い出したものの、後が出てこない。続くのが和名っぽい四文字だという確信もある。二十年くらい前に活躍したこと、三冠馬ナリタブライアンの兄であること、二年連続の菊花賞兄弟制覇であることも間違いないと睨んだ。それなのに、ビワに続く四文字を必死に探り当てようともがく。手元のiPadを見れば即座にわかる。だが、こういう時に脳にエサを与えて甘やかしてはいけないのである。

ビワハヤヒデ脳内の記憶をまさぐり、浮かんでは消えそうになる情報を繋ぎ合わせてあれこれと参照する。他人の目には悠然とトーストをかじりコーヒーをすすっているように映るだろうが、アタマのほうはかなり目まぐるしく回転し熱を帯び始めている。ついにビワの次の文字「ハ」が浮かび、ほどなく「ビワハヤヒデ」に辿り着いた。どちらかと言うと、お気に入りのサラブレッドだったのに……。

決まりきった答えがあって、それを知らないのなら、調べればいい。しかし、この調べるという作業があまりにも便利になってしまった現代である。単なる「ど忘れ」だと笑って済ませてはいけない。微かな記憶の断片を頼りに思い出そうとするべきなのだ。結果的に思い出せなかったとしても、見えざる脳内の回路に刺激を与えたことに満足すればよい。三十代後半から五十代前半の人たちよ、熟年期を迎えると、覚えにくい・思い出しにくいという二重苦を背負うことになる。そうなるのはまだまだ先と油断することなかれ。忘却の美徳に逃げ込むなかれ。油断と逃避は危険な兆候である。

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岡野勝志(おかのかつし) 企画の総合シンクタンク「株式会社プロコンセプト研究所」所長 企画アイディエーター/岡野塾主宰 ヒューマンスキルとコミュニケーションをテーマにしたオリジナルの新講座を開発し、私塾・セミナー・ワークショップ・研修のレクチャラーをつとめる。

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