T O M A T O

南米アンデスに由来するトマトがヨーロッパに伝えられたのは16世紀。意外にも歴史が浅い。しかも、当初は観賞されるだけの植物に過ぎなかった。広く食用として受け入れられたのは、さらに下って18世紀のこと。日本でトマトの栽培が始まったのが19世紀なので、さほど時間差はない。トマトは洋の東西で比較的新しい食材なのである。

栄養価もあり重宝されている。ところが、テレビで取り上げられたりすると、翌日から敏な消費者が大量に買い出しに出掛ける。普段から料理に使っているのだから、煽られるには及ばないのに……。熱しやすく冷めやすい国民がトマトをサプリメントのように扱う。こういう偏りはいただけない。

食べる側の正しい食事のありようは、「いろんな食材を、なるべく旬に応じてバランスよく食べる」ことに尽きると思う。普段から少しずつ料理に用いたり食べたりしていたらいいわけで、大量買い付けは滑稽である。トマトは加工しやすく、加工しても栄養価に問題がないので、缶詰ならいつでも手に入る。


酒は穏やかに嗜む程度だが、ここ20年ほどワインを飲むようになった。日本料理店が近場から消えたこと、付き合いなどでも洋食傾向が強まってきたことと無関係ではなさそうだ。いいワインも安価に手に入るようになり、肉料理のパートナーとして出番が増えた。

トマトが肉食と特に相性がよいことをフィレンツェで知った。とりわけ、牛の第二胃のトリッパ(ハチノス)や第四胃のランプレドット(アカセン)などの内臓が合う。内臓をトマトソース、塩・コショウ、ニンニクでコトコト煮込めばかなりやわらかくなる。現地では、そのまま食べるかパニーニにはさむ。年に数回自分でも調理するが、トマトソース煮込みの内臓料理は赤ワインを手招きする。

トマトがヨーロッパに伝わってから一般化するまでに、様々なレシピの試行錯誤があったに違いない。ラテン系の人たちは、やがてトマトが肉ともっともよく合い、こうして作られた料理が赤ワインに合うことを体験していった。サラダで食べるトマトもいいが、火にかけて肉と絡ませてこそのトマトである。

あちらではトマト以外に目ぼしい野菜をふんだんに使うわけではない。パスタで使う具材も決して多くない。トマトがあれば、食材が少なくてもバランスを取ることができる。トマトソースに溶け込んだ香味野菜と肉片。それとパンだけでうまい料理が仕上がる。トマトがうまみを演出しているのである。『おいしさの科学』という本によれば、トマトが昆布や鰹節のような役割を果たしているらしい。この夏、調味料も兼ねた優秀な食材に大変お世話になった。

体感についての雑感

こっちはさほど暑さを感じていないのに、挨拶かわりの「暑いですね」が耳に入ると体感温度が上がる。余計なことを言わないでほしい。温度計が示す数字とは異なる体感温度がことばやイメージによって上下する。

星を見る目から涼しくなってくる

センスのいいシュールリアリズムな句。小四男児の作品であることに驚く(『小学生の俳句歳時記』)。

窓際の温度計を見て大きくため息をつく。肌はどう反応するのか。窓を開けてみた。尋常ならぬ熱風が瞬時に入ってきた。急いで窓を閉める。家族連れがつらそうにアスファルトの舗道を歩いている。他人事ではない。まもなく出掛けなければならないのだ。


灼熱の外気から逃れて地下街に潜れば一瞬ほっとするが、ほとんど通行人がいない。人気ひとけがないと通路は長く見える。まるで無限通路のよう。潜った手前、地上に出なければならない。不幸なことにエスカレーターもエレベーターもない。心理的な無限階段が立ちはだかるが、回避するすべはない。

変幻自在に形を変えて流れて行く雲。空の青も刻々と移ろう。空と雲が提供してくれる題材はおびただしい。しかし、夏場のメンタリティは鈍感である。一篇の詩を編むのが億劫。それどころが、ことばにする軽やかさが欠けている。小四男児の感性がうらやましい。

身体を少し反らせて空を見る。低い雲あり、高い雲あり。陽射し強く、熱を帯びた風が暑さを増幅する。リアルな視覚を封じ込めて、緑の涼を精一杯イメージしてみる。ふとことばが紡がれたような気がしたが、雲のように散り、風のように止んで消えた。忘れられたことば? いや、気づきも覚えもしていないことを忘れることはできない。

二〇一九年八月、プチ随想

「予約の取れない人気店」と噂され、自らもそう名乗る店がある。しかし、ほんとうにどこの誰も予約が取れないのなら、客は存在しないことになり、人気店どころか、店じまいに追い込まれる。予約が取れない人気店は、人気店なのだから予約ができている客で賑わっているわけだ。つまり、予約が取れない人気店とは、「予約の取れる店」と言い換えることができる。

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「人は知っていることしかわからない」とまことしやかに呟かれる。たしかに、知っていることはわかる。しかし、その「知っていること」はいったいいつどのように仕入れたのか? わからない状態で、ある時知ったのに違いない。「人はわからなかったことを知ることができる」と言うほうが本筋である。

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年配から無知な人間がすべて姿を消したら、「無知は若さの証明である」という主張に与してもいい。

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気候風土の影響をもっとも強く受けるのは「食」である。人は環境適応するために環境から様々な情報を得る。かつては食材に関する情報が人の最大関心事であった。われわれの祖先は食を中心に生活環境を整えていった。肉が好きだから肉を食べたのではないし、米が好きだから米を食べたのではない。肉が手に入りやすい環境、米が育つ環境に適応したにすぎない。

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手抜きとは「素材→○→○→完成」のこと。〇の数を増やさないのがポイント。手数をかけないという意味だ。以前パテを作ったことがあるが、うまくいかなかった。下手に作るよりもフランス産の缶詰を使うほうが手っ取り早い。もっともパテをパンに乗せるだけでは芸がないから、一つだけ独自に工夫してみる。そこが手料理のよいところである。

切手の話

1963年の鳥シリーズから記念切手を買うようになった。当時、切手蒐集はブームだったように思う。中学生の頃である。この頃から発行枚数が大幅に増えたので、これ以降の記念切手にほとんど投機的価値はない。値上がりに淡い期待がなかったわけではないが、一枚10円のものが将来値上がりしてもたかが知れていると、子ども心にもわかっていた。

投機的なコレクションではないのに、その頃から大学生になるまで記念切手をもれなく買っていた。さしたる意味はなく、小遣いの範囲でずっと続けていたので、惰性的な蒐集だったと言うほかない。いったん蒐集は切れたが、十数年前に「80円の普通切手を買うくらいなら、記念切手のほうがよほどましだ」と考えて、シート単位で買い始めた。シリーズものだったので、郵便局が発行のつどオフィスに届けてくれた。

手元に各種額面の何十、何百枚もの記念切手シートがある。「日本の世界遺産」「20世紀デザイン切手」などのシリーズもの。封書や小荷物の郵送用にシートをばらして使ったこともあるが、大半が未使用のままシートホルダーに収まっている。最近は切手に出番が少なくなったものの、社用もあるし、私用でもたまに使う。原価割れでもいいから売りさばいてもいいのだが、買ったものは使えるだけ使ってみようと思う今日この頃。


来たる10月から郵便料金が変わる。定形郵便が82円から84円に、通常はがきが62円から63円に値上がりする。消費税アップ相当分である。オフィスでは値上がりして額面が変わるたびに新しい切手を買っていた。そうか、私用ではさばけないが、手元に大量にある80円の記念切手を社用で使えばいいと、遅まきながら気づいた。ところが、80円切手に一枚足して84円にはできない。4円の普通切手が売られていないのである。

不足分の4円を作るには次のオプションがある。
1円の前島密4枚。
2円のエゾユキウサギ2枚。
2円のエゾユキウサギ1枚と1円の前島密2枚。
3円のシマリス1枚と1円の前島密1枚。

80円から82円に変わった時から、便利なはずの2円を避けていた。エゾユキウサギの絵が気持悪いのだ。あんな図柄を使うくらいなら、白地に「2円」と大きく書いてもらうほうがよほど使いやすい。と言うわけで、エゾユキウサギとの組み合わせはなし。残るは前島密4枚か、シマリスと前島密各1枚か。

想像してみよう。平等院の鳳凰堂中堂の絵柄の80円切手の横に4枚の前島密である。異様であり、切手ばかりが目立つ封書になる。陸上女子800メートルの人見絹枝の横にシマリスと前島密が並ぶ。そのこころはと聞かれても口を閉ざすしかない。どんなに宛名をきれいに書いても、貼った切手の組み合わせのセンスが問われる。

いつまで続くのか、切手84円時代。普通切手は来週から発売され、記念切手が次から次へと発行される予定。日本郵便には、過去に発行した80円と82円の記念切手の面倒を見てもらわねばならない。手持ち切手に1枚だけ足せば済むように、エゾユキウサギに代わるセンスのいい2円切手と垢抜けした4円切手の発行を切望する。

1977年~1980年

一年前にほとんどの蔵書をオフィスに移した。自宅にはまだ500冊くらい古い本があるが、大半は処分する予定。一昨日、書道や美術関係の希少本をセレクトしてオフィスに運び込んだ。希少本ではないが、納戸の奥から懐かしい本やノートが見つかる。二十代中頃に読んだ本や雑文を綴ったノート。

1977年~1980年は本を買いあさりよく読んだ時期にあたる。どの程度読んだかと言うと、ほぼ一日一冊のペース。通勤に往復約2時間半かかっていたし、この頃の一年ほど無職だったこともあり、時間がたっぷりあった。197710月の読書記録には次のような書名が並んでいる。

江戸幕府、堕落論、好色五人女、ことばへの旅Ⅰ、勝負、信長と秀吉、毎日の言葉、氷川清話、山月記、李陵・弟子・名人伝、アメリカひじき・火垂るの墓、日本の伝説、新西洋事情、メディアの周辺、人間へのはるかな旅、ピンチランナー調書、考える技術・書く技術、暮らしの思想、続・暮らしの思想、日本の禅語録、海舟全集全6巻……


もっとも懐かしかったのが、今東光の『極道辻説法』と『続 極道辻説法』である。前者が1977年の第四版、後者が同年の第二版。ちなみに、今東光が没したのが同年の9月。どんな縁で手にしたのかわからないが、結構おもしろがって読んだのを覚えている。

巻頭に今東光の人物評が載っている。「八面六臂」と題した柴田錬三郎の手書きの小文がそれ。この一文と目次にざっと目を通せば、40年以上経っているにもかかわらず、かなり鮮やかに記憶が甦る。愉快なコンテンツや文章はよく覚えているものだ。

『極道辻説法』とその続編は、週刊プレイボーイに連載されていた人生相談コーナーの文章をまとめて出版した本である。放送なら禁止になりそうな用語がぎりぎり活字になっている。読者のアホらしくて卑猥な悩みごとを、和尚がこれまた毒舌的かつ過激に回答するという趣向。くだらないと言えばくだらないが、希少と言えば希少でもある。オフィスの書棚の片隅にキープすることにした。

グリーンを通して感じる移り変わり

四時しいじ」と言えば、一般的には春夏秋冬の四季のこと。四季という用語は一年にしか使えないが、四時なら一日の分節にも使える。すなわち、一日のうちの朝・昼・夕・夜をそう呼ぶことができる。

ついでながら、一ヵ月の中にも四時があることをつい最近知った。かいさくげんぼうがそれ。月が出ていない暗い日が晦。朔は新月のこと。弓を張ったような月が弦。望は望月もちづきのことで、満月の別称。これらは月の満ち欠けの姿かたちを現わしている。

四時は文字にして書けばそれぞれが分断されたように見えるが、実は切れ目なく緩やかに流れている。頭で捉えようとするかぎり、緩やかな流れを日々刻々と感じるのは容易ではない。


捲るのを失念していて、オフィスのカレンダーは今日87日まで7月のままだった。明日が立秋の始まりだと言っても、感覚は秋とはほど遠いし、外気の温度や天候は天気予報任せ。これほど暑い日が続けば室内で冷房漬けになり、身体は季節の節目に戸惑う。

ここ数年のうちに、オフィスのグリーンが大小様々およそ30鉢になった。生育させるのにかなりの手間暇がかかる。グリーンに水をやり霧吹きを使い、時折り軽く剪定したり新しい鉢に植え替えたりしていると、季節の移り変わりに気づかされることがある。頭のデジタル知覚としてではなく、体感的な――あるいは触覚的な――アナログ的変化が、朝夕の時間差のうちに確認できることもある。

都会に暮らすということは、こういうことなのだろう。自力では知識や情報に頼るばかり。他力的な手助けなくしては季節の移り変わりが感知できない。感度が極端に鈍らずに済んでいるのは、グリーンの成長具合や日々の様子のお陰なのである。手間暇の恩返しだと思う。

和菓子を人為淘汰した人たち

近くの小さなモールの地階にたまに行く。肉・野菜・惣菜などが売られているが、エントランス近くにはパン屋、洋菓子店、和菓子屋が並ぶ。人の賑わいもほぼこの順。

パン屋と和菓子屋を見て、二年前の道徳教科書の話を思い出した。パン屋という題材が和菓子に変えられた検定意見の一件である。「にちようびのさんぽみち」という文章の一節。

よいにおいがしてくるパンやさん。
「あっ、けんたさん。」
「あれ、たけおさん。」
パンやさんは、おなじ一ねんせいのおともだちのいえでした。おいしそうなパンをかって、おみやげです。

これが具合が悪い、いや、不適切だと意見したのである。学習指導要領の「伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度」に照らして不適切だと言うのである。不適切なのは、パンのよい匂いなのか、友達の家がパン屋を営んでいることか、それとも、パンをお土産に買ったことか。よくわからないが、伝統と文化を尊重していない、国や郷土を愛する態度が足りないと判断された。


次のように修正された。いや、修正ではない。一から書き下ろされた。

あまいににおいのするおかしやさん。
「うわあ、いろんないろやかたちのおかしがあるね。きれいだな。」
「これは、にほんのおかしで、わがしというんだよ。あきになると、かきやくりのわがしをつくっているよ。」
おみせのおにいさんがおしえてくれました。おいしそうなくりのおまんじゅうをかって、だいまんぞく。

当時様々な批判があったが、道徳という概念のことはどうでもいい。人気や売上高もさておき、実際に店の前を通りかかれば、二つの店が並んで日常光景を描き出している。店を覗けば、和菓子はそこでは作られておらず販売員がいるだけ、パンは焼きたてが売られている。

パンとパン屋、和菓子と和菓子屋に何の非もない。二律背反的対立などさせてはいけない。和菓子がこの国の伝統と文化的存在であるのなら、パンも明治初頭から数えて150年だから堂々たる伝統と文化的存在である。国や郷土を愛しながら、朝にパンを頬張り、おやつの時間に和菓子をつまむことができる。もちろん、洋菓子であっても何の不都合もない。

日曜日のぼくの散歩道の日常的光景として、ふさわしいのはパン屋である。しかし、和菓子屋が目立つ街もあるだろうから、特にこだわらない。つまり、パン屋と和菓子屋のどちらを教科書の題材として人為淘汰するかという話ではない。日曜日の散歩道に両店を発見して匂いを嗅ぐ体験こそが現実的な道徳らしい考え方なのである。

〈暑〉を生きる

暑中お見舞い申し上げます

今年の夏も義理堅いあの人から一葉が届いた。団扇のイラストから「暑ぅ~」という吹き出しのルーティーン。余計なことしなくてもいいのに。

いつも長蛇の列が並ぶラーメン店。さすがに炎天下では列にならないが、それでも数人が待つ。命がけのラーメンランチ、もしものことがあっても保険適用外。

オフィスのエントランス。ほぼ毎朝、掃除のおばさんと顔を合わす。「おはようございます。お疲れさまです」と声を掛けると、先月から返事は決まって「暑いですねぇ」。よく通るこの声で体感温度が2℃上がる。おそらく九月中旬まで繰り返されるはずである。

極暑、炎暑、大暑、酷暑、猛暑、激暑、厳暑……。爆暑や乱暑や倒暑が辞書の見出し語に加わるのは時間の問題だと思われる。

これだけ暑を並べてみると、「日+者」という文字の組み合わせが異形に見えてくる。以前調べたことがある。冠の「日」が太陽の光であることはわかる。そこになぜ者がつくのか。ある本には「煮の原字は者だった」と書かれていた。別の本には「者とは一ヵ所に集めること」とあった。併せると「太陽の光を一ヵ所に集めて煮る」。おぞましい。

一週間先は立秋なのに、真夏は始まったばかり。この先、未来永劫、暦と現実が一致することはないだろう。二十四節気に感じ入る風流な精神で過酷な身体的試練を克服するしかない。金田一春彦の『ことばの歳時記』に「立秋のころ」という一文がある。

ある風流人のところに、暑さの中を訪れた客が、茶室に通され、汗をぬぐいながら、ふと床の間の掛け字に目をやると「夕有風立秋」と書いてある。「良い句ですな。夕方ごろ吹く風に秋の気配を感じる、というのは今ごろにピタリですよ」と、お世辞半分にほめると、主人は微笑して、「いやあ、これはユーアルフーリッシュと読んで、おバカさんね、ということなんです」と答えた。

誰もが立秋までにフーリッシュになりそうな暑さである。「狂暑」と呼ぶことにする。

二〇一九年七月、プチ随想

防災ニュースで天気予報をチェックする。今日の熱中症情報欄には〔危険〕とある。午後2時現在、35℃。オフィスのベランダに出ると、微風が外気の熱とエアコンの室外機の熱をミックスして運び、酸欠の罠を仕掛けている。

午後3時のコーヒーのつもりが、フライングして午後2時に淹れた。豆はインドプランテーション。雑味なくさっぱりとしている分、眠気払いの効果はどうだろう。最近復活したぶどう糖のタブレットを口に含み、コーヒーを啜る。

今日はゆったりペースだが、先週は仕事の後にもう一仕事が控えていて、午後3時からも闘っていた。闘いの武器はコーヒーとぶどう糖。時折り、オフィスの外に出てワンブロックほど歩いて戻ってくる。暑さの逆療法という息抜きだが、今日これをすると危険である。

ところで、いま「闘い」と書いたが、仕事と闘っているわけではない。仕事は生業なりわいであり食い扶持であるから、闘うべき敵どころか、心強い味方のはずだ。存在しないゴドーを待てないように、存在しない敵に立ち向かうことはできない。そもそもはっきりと勝ち負けの決着がつくような仕事をしているつもりもない。


今月、訃報が二件届いた。享年65歳と63歳。二人を含めると、この一年半で60代の友人知人が7人も逝ってしまった。これはちょっと尋常ではない。平均寿命が延びて、周囲には80代後半から90代が少なからずいる。その一方で、ここ数年、50代、60代の訃報も届く。

ホモサピエンス的な遠大なスケールで眺望すれば、歴史は始まり、そしていつか終わる。しかし、個人の歴史の終焉は同時代人として確認できてしまう。どなたも遣り残したこと多々あるに違いない。遣り残しはやむをえない。一人の人生で何もかもできないからだ。しかし、可能なら、考え残しはなるべく少なくしておきたい。元気なうちに、他人の死を通じて、人間を、人生をもうちょっと考えておくべきだと思う。

感傷的に七月を終えるつもりはない。読もうと思って放置していた本を引っ張り出して傍らに置き、それでもページを繰ることもなく、インドプランテーションを味わう。味わえるという、ただそれだけのことで、熱気で間延びしかけていた時間と空間がほんのちょっぴり引き締まった。

人間の文化的抵抗

技術は何もかもお見通しではない。欠点を孕んでいるし弊害ももたらす。利便性と問題を抱えているから、これまた何もかもうまくいく保証のない〈弁証法〉的な手段によって改善を図ろうとする。

技術はどこに向かうのか? 〈どこ〉を確定することはできないが、陳腐化と刷新を繰り返しながら、これまでに通ったことのない道を突き進む。他方、人はどこに向かうのか? これまた〈どこ〉かわからないが、この道はいつか来た道に何度も戻ってきた過去がある。不可逆の技術と可逆の人間が対比される。

止揚しながら高度化する技術。ブレーキをかけて時々止まり、時々いつかの道に戻ってくる人間。人は戻って来て反省しようとするのだが、技術のことが気になってしかたがないから、戻ってきても技術の影を気にせずに反省するのは容易ではない。


技術を〈文明〉として、人間を〈文化〉として眺めてみる。

文化は特定のコミュニティに固有の「生活の耕し」である。これに対して、文明は文化の構成員を包括的に束ねて集団を巨大化し画一化しようとする。文化(culture)はコミュニティの農(agriculture)と不可分だった(だから「耕し」という意味のcultureが入っている)。文明(civilization)はコミュニティを超越する技(engineering)によって基盤を作ってきた。その基盤上に空間と時代を構築してきた。何もかもお見通しではないにもかかわらず。

文明は文化的な営みや地域社会を包括する。文明はつねに支配的である。文化的人間は市民として文明に組み込まれる。文明に包括されると、市民は“citizen”ではなく“civil”と化す。この“civil”はちゃんと文明の“civilization”に取り込まれている。

文化は時折り文明の対抗概念として、文明に支配されぬよう抵抗しなければならない。あるいは、文明に文化の価値を認めさせなければならない。文化にそれができた時代はあったが、巨大化した文明のもと、今日どんな方法があるのだろうか。